2/28 私が、スノーシューを履いたのは、昨年1月末からである。使用してみると、意外なほどの ”優れ物” で、浮力あり、また直登には凄い威力を発揮する。しかし、不慣れな私には、凄い傾斜の斜面を降りたり、急斜面のトラバースには、凄いプレッシャーを感じる。
 でも、その ”優れ物” は、多くの人達に受け入れられ、少なくとも、私の周りの殆どが、カンジキに代わって、スノーシューを使用するようになって来ている。

 頑なに、スノーシューを拒んでいた人達にも、履いてしまえば、その ”優れ物” の使用感なるや絶賛に近い。
 会に所属の人達や、山歴の長い人達に拒まれ、山歴の浅い人達に受け入れ易かったかは、固定観念の執着の有無が、大きく作用したのではないかと思えるし、歳を重ねた者達には、必ずしも、身体が付いていかなかったのかもしれない。

 実際、下界の事に例えれば、車をはじめ、携帯やPC・GPSなど、次から次へと文明の機器が現れて来る。それを受け入れるか、どうかと、何故か似ているようにも思えるのであるが・・・
 その機器に溺れなければ、益々楽しく、しかも、より安全に効力を発揮するかもしれない。 p.m.11:55



2/27 大地山頂に別れを告げ高度を300m位落とした頃からであろうか、体調に異変を感じた。クシャミ・鼻水など、今話題のアレである。私は何年も前からこのような症状が出るが、1本数百円の鼻炎用のスプレーを買えば、大体凌げるのである。
 昨年は、その容器に半分ほどの薬を残し、終了したのであったが、今年はどうなるのであろうか・・・・やはり、鼻水が下がり辛~いので、薬局に駆け込んだ。

 少雪・暖冬の今シーズンは、山やる者、雪を求めて、仁王山・金剛堂山など一所に集まった感が歪めない。多分これからは、初雪山に多くの方々が集中するように思う。
 その情報提供には、やぶさかでないが、初めて大地・初雪山に挑戦する方々には、あまり勧められない。それは、もっとステキな山容を見て欲しいからである。今年は、「あの美女に、ヒゲが生えている。」 ような感じにとられては、初雪山ファンの私としても、些かやりきれないのである。



2/26 徹底抗戦のハズであったのに、いつの間にか「大地へ行くかね・・」になってしまった。私には、「山ノ神」を連れていけない計画があったのだが、それを断念しての苦渋の決断であった。「山に行っても、喋ってやるもんか」 などと思っていたのであったが、そうはいかないのだから、これが夫婦というものなのであろうか!

 今まで、私の大地・初雪山には特別の思いがあった。「大地まで、登山道が出来た。」 と聞いた時、「何で・・・」の思いから、そのルートは、あえて選んだ事はなかった。大平川を遡っていた頃は、初雪山は、まだ多くの人達に知られていなかったが、今では山名の美しさと、ネットの威力が、全国区にさせてしまっているようである。

 暖冬・少雪の今年は、特別としても、黄砂が届かない内に、または多くの方々が、山中に入り込まない内にの思いが強くなって来ている。それは、私の休日が、皆様の翌日になる事が多いから、尚更なのかもしれない。

 背に腹は代えられなく、今日は、その夢創塾からのルートを選んだ。出発前に交わした塾長との挨拶、登ってみれば、なかなかの登山道の整備とその展望、今まで抱いていた夢創塾ルートのわだかまりが、いっぺんに払拭されてしまった。

 次週の偵察を兼ねた今日の山行であったが、乾いているから良いものの、降雪・降雨の後に、この急登を重荷を背負って、登り切る事が出来るのであろうか?そして、降る事が出来るのであろうかと思ってしまった。

 しかし、好天に恵まれた今日の展望に、その事も皆忘れさせるように、大地の山頂へと、我が心は吸い込まれるようになっていってしまった。最近は少々元気を失いかけている私であるが、この雪の状態と意外な程の快調さに、2月末とは言え、初雪山に届きそうな勢いであった。しかし、”お荷物を担いでの山行” 故、そうともいかず、「ビール飲みだけが山の味わい」 と言っても過言ではないという ”お荷物様” を、大地山頂に置いて、少々初雪山方面へ、足を延ばしただけに留まった。

 それでも、一日中、剱岳や毛勝の山々を眺められた事に感謝しながら、悔いの残らない山行となった事には違いなかった。



2/25 何だか私までが、だんまりになってしまった。余計な事を言わぬために・・・言葉尻を云々言われたくないために・・・
 これで良いとは思わないが、お互い自分の方が正しいと思っているから、早々の解決はないであろう。イヤな者と一緒にいなくても良いのにと思うのであるが、その真意が分からない。
 八方尾根の誘いを断り、大事な計画もホゴにしてしまった私の明日の山行は、どうなるのであろう。



2/24 一週間後の「大地・初雪山」行きに際して、雪の状態が気になっているところに、尾田さんから情報を頂いた。やはり予想通り、どのルートを行こうと、雪量は甚だしいくらいに少ないようである。しかし、高度があり、奥深い山だけに、少々我慢すれば、それなりの雪には、お目にかかれそうである。

 昨年のような美しい初雪山を見る事が出来ないかもしれない。しかし、今年も、傷付いて、また、汚れたように見えるかもしれない初雪山に、会いに行かなければなるまい。
 一度や二度で、その山の味など分かるはずもなく、また、容易にその美しさを見せてくれないのである。惚れ込んでいっても、跳ね返される事や、門前払いをされたりする事を思えば、何か若き日の事を思い出さずにいられない。



2/23 先日の猪頭山行の折、「還暦などと、どうも年寄りにしたいらしいが、コンロ・コッフェルなどの装備を免除するとか、何か良い事があるのか・・・?」 と皆に振ったら、誰ともなく「山行を免除する。」 と言い、それが面白く大笑いをした。

 やがて来るそんな日を機会に、なるべく出しゃばらないで、そ~っと、付いて行く事にしようと私は考えている。それが出来なければ、やっぱり去って行かなければなるまい。体力も気力も維持出来れば良いのであるが、なかなかそうもいかないであろう。

 しかし、私が元気で歩ける事は、彼らの10年後や20年後の姿を想像する参考に価するようにも思わない事もない。「私が歩けるから、君もこの歳まで歩ける。」 などのキャッチフレーズで、この先を凌ごうか・・・



2/22 意地を通しても、結局は後味の悪さだけが残る。ほんの些細な事が原因で、人間関係を可笑しくするが、我が家もご承知の通りである。
 「大自然の中にいる人間などは、ほんの米粒みたいなもので、ふーっと吹かれりゃ、何処かへ飛んで行く。あんな、ちっちゃな人間の悩みなんか、大した事はないんですよ。」 山の凄さや良さを、このように紹介する事があるのに、自分の事になると、本当にだらしなくなる。

 夫婦だと余計な事にまで、干渉しやすくなるし、充分にもなる。それこそ、些細な言葉尻を叩かれては致し方ない。面と向かっても、こうであるから、電話やメールでは、充分に意志を伝える事が出来ない時もある。
 思いを寄せている時は、何もかもが、可笑しい位に、自制心が働くのであるが、その反対になると、我が我がになりやすい。やっぱり会わなきゃいけないのかもしれない。存在感を意識し、認めて欲しい程、人の心は実に弱い。

 HPも然りである。勝手な事を綴る当コーナーであるが、よくぞ、我慢をして読んで頂いている。最も、嫌気りゃ読まなきゃ良いのだけれど・・・
 話はもっと大げさになるが、山一つに例えても、てっぺんを踏んだと言って、自分が勝手に楽しんでいるだけ、その結果が僅かであろうと、汚すだけなのである。気晴らしをして、いい気になって、人様(世の中)には、何の貢献もしていない自分を情けなく思う事がある。何か良い事をと思わなくてもいいのであろうか?



2/21 この時期、毎週でも行きたい大地山方面の山々であるが、先日の小川温泉の帰路、その周辺の山々を見上げながら、雪のないのに唖然としてしまった。
 例年なら、小川温泉までの道端には、多くの雪が積み上げられているのに、今年は全くないのである。道路沿いだけならいいのであるが、山は白くないのである。林道や平らな所なら積雪を見るであろうが、斜面となると、標高500mもしくは、600m位でないと、付いていないのではなかろうか? いや、それも向きによっては、無いかもしれない。

 真っ白な雪に覆われた大地・初雪山の魅力が、損なわれるようで、何だか残念でならない。黄砂が降らないうちに、多くの方々が登らないうちになどと思っていたが、この分だと、どうなるか分からない。

 週末の雪マークが、また消えた。もう、平野部の積雪・降雪などを期待しない方が良いのであろうが、山間部では、もう少し降って欲しいものである。これは、私だけの願いでもなかろう。 p.m.10:35



2/20 私の山歩きよりも、「山ノ神」の動向が気になる方が多いようである。「山ノ神」の帰宅を午後10時まで待ったのであるが、痺れを切らして、食事を始めたところに、「山ノ神」が帰って来た。流石にバースデーケーキを目の当たりにして、バツが悪かったようであるが、「ただいま」の後は、言葉が続かなかった。

 娘から、花束が届いていたのを受け取っている様子であったから、午前中は家にいたのかもしれない。私は、根掘り葉掘り聞かれるのが、あまり好きではないので、私自身「何処へ行って来たのか?」 と尋ねないのも不満であるらしい。
 車の中に、スノーシューやスパッツなどが置かれたままになっている事や、「白馬にいたらしい。」 という情報もあるから、もしかしたら、何処かのゲレンデを歩いてきたのかもしれない。
 もし、八方山荘から八方池、五竜遠見の地蔵の頭辺りを歩いて来たのなら、少しは誉めてやりたいのだが・・・どれだけ、ヤケクソになっても、それだけの根性はないであろう。

 可笑しなほど赤裸々に綴り続けている私であっても、後々まで残る当欄に、「山ノ神」への愚痴を、これ以上、並べるわけにはいかない。現在休止している「山ノ神」コーナーにでも載せて、何時かは鬱憤を晴らしたいが、それは、惨めな自分を、さらけ出すだけの事であり、あまり誉められた事ではない。

 話は変わるが、朴ノ木山・猪頭山から戻って体重を量ったら、3キロ減っていた。山頂で、もう少し食べなかったら、また、家に帰って「山ノ神」を待ったのであるから、最後まで食事をしなければ、5キロは減っていたであろう。結局は食べてしまったから、翌朝の計量では、元に戻ってしまっていた。



2/19 真っ黒ネコさんからの「日帰りで猪頭山へ行きませんか?」 で、我が家は揺れた。今年に入って、前日まで私の山行回数が、11回(12日)に対して、「山ノ神」は、4回(5日)であった。雪は少ないかもしれないが、ようやく、大地行きに決定した矢先の事だけに、口では「行って来たら・・・」 と言うものの 「その変わり、後は覚悟しておかれ・・・」 の脅迫染みた言葉が並んだ。
 今日は、「山ノ神」の誕生日であったから、尚更であったのかもしれない。

 その怨念が、付いて回ったのかもしれないが、晴れなくても、雨は降らないはずの予報が、車を走らせた頃から雨が降り出し、小川温泉を出発する頃にも、一向に止む気配はなかった。
 その雨がミゾレになり、やがて小雪になったりで、山とは言え、あの予報は、何処へ飛んでいったのかと思うほどに、「山ノ神」の「雨降れコール」が上回ったのかと皆に冷やかされ続けた。もしかしたら、eiko女史の涙雨も重なったのかもしれない。

 「猪頭山」へは、1~2泊して、しかも適期は残雪期が常套だと思っていたが、少雪・暖冬がもたらした山行計画となったような気がする。
 それにしても、「真っ黒ネコさん」と、「北ちゃん」のペースは速い。私などは、待ってもらって着いたと思っても、すぐまた先に行かれるのであるから、休息などは、あってないようなものであった。その結果が、朴ノ木山(とちのきやま)まで、4時間を要せずして辿り着いてしまったのであるから・・・

 朴ノ木山に着いたのが、午前10時40分から45分程であったから、これで猪頭山は、頂いたと誰もが思ったに違いなかった。
 この計画を耳にした時は、少雪・暖冬といは言え、「2月の山」と自分を戒めていのだが、小川温泉を出発する時の雨が、ちょっぴり判断を誤らせた。
 緩い雪を連想させ、小枝に絡むかもしれないピッケルを車に残してしまった事が、高度を上げて、雪がクラストし始めた頃から、不安が脳裏を過ぎり始めていた。

 朴ノ木山から痩せた尾根を一端下り、次の雪庇の出たピークへ西側をトラバースするに、スノーシューの慣れていない(苦手な)私などは、瀬々薙谷側に吸い込まれて行きそうになった。ピッケルがあればなどと思ったのであるが、後の祭りである。
 しかし、猛者達も、次の尾根は全く渡れないと判断し、退却する事になったのであるが、私などは、後退するのにも四苦八苦であった。自分の世代の方々だったら、やはりピッケルやアイゼンがないと、それはそれは不安で、いや、歳を重ねて、不安だけが先に行くのかもしれないが・・・

 再び朴ノ木山に戻って、悔しさを滲み出す者、ここだけで満足と言う者など、様々であったが、それでも、何時通り、テーブルを造って、食事にする事になったのである。各人のコンパクトなリックの中からは、いろいろな物が飛び出し、その内容は、何処のグループにも負けないものであったろう。下りも実に速く、小川温泉に午後4時に辿り着いてしまったのであった。

 ビールを1ケースに、バースデーケーキを買って「山ノ神」を待ったが、10時まで帰って来なかった。白馬のスキー場に現れたと言う情報があったが、何の会話もなくその日は終わった。
 バースデーの前に贈ったスノーシューや、商品券の威力もなかったわけで、これからも思いやられる。来週、また、このような山行を続けるとしたら、我が家はどうなるのであろう。しかし、これも一つの手か・・・・



2/18 所用の「シュンちゃん」と「山ノ神」を除いた7名が、雨の中を黒部市田籾から、鋲岳・烏帽子山を目指した。暖冬・少雪のお陰?で田籾から3~4キロ車を乗り入れる事が出来たが、でも嘉例沢森林公園下の駒ノ池までは、2時間近くの時間を要した。

 腐った雪を踏み締めながら、最初に烏帽子山を目指したのであるが、4時間を経過した時点で、潔いくらいに烏帽子山登頂を諦めて、東屋のある鋲岳に戻る事になった。山頂よりも、堀シェフの料理の方に目が向いてしまったのであるが、これも、山の楽しみ方の一つである事に間違いない。

 堀シェフの料理に舌鼓を打ったのであるが、もう一つ珍しい料理もあった。シゲキ・伸子夫妻の鍋料理に、何の思い違いか、水の変わりに、焼酎が注ぎ込まれていたのである。恐る恐る手を付けたのであるが、これまた珍味と、大受けしたのであるが、運転手さんが困ったのであった。美味しいけれど・・・ p.m.9:50



2/17 1月の「シュンちゃん」に次いで、2月は堀シェフが、ハレルヤ山行の幹事を引き受けてくれた。黒部の2人は、事細かに計画を立ててくれ、年上の我々への根回しも上手である。

 12月から、翌年の5~6月の第3日曜日が、定例山行とされているのであるが、最近は ”おんぶにだっこ” で、唯参加すれば良い事になっている。そして、ハレルヤの大半は、県西部の高岡在住であるから、送迎までしてもらって、この時ばかりは、ルンルン気分になっての山行である。明日は、鋲岳・烏帽子山の予定であるが、山頂まで届くかどうかは、二の次である。 p.m.11:40



2/16 「人生とはなんぞや!」 と思うのと同じに、「何故、山に登るのだ!」 と今更ながら、自問自答を繰り返す。「山に登らなきゃ死んだようなものだ!」 などと言い続けているのにである。「人間とは、実に不可解なもの也。」 であろうか? 

 喜びと辛さが、背中合わせにある山登り・山歩きは、まるで人生の縮図のようでもある。達成感はあるにしても、その喜びは一瞬であり、また重荷を背負って歩かなければならない。途中で止めるわけにもいかない。止めるとしても、自力でなければならず、他人の力を借りるという事は、悲しい結末を迎える時であろう。

 「だやいのがいい。」 これは、山歩きの良さの持論であるが、最近は、これさえも揺るがすのである。雨や雪が、時には恋人のように思えるのであるが、気持ちの乗らない時は、まるで凶器のように変わったりもするのである。
 刃を喉に突きつけられるような難局に、ワザワザ出向く事もなかろうに・・・・でも、優しく迎えてくれるような時もあるから止められない。しかし、もう歩くだけの山や、ワイワイだけの山は、遠からず私の山から消えて行くだろう。



2/15 S先生に来て頂くまで、またまたPCの調子が悪かった。今度はメモリーのようであるが、必ずしも、原因は確定していないようである。
 動かないPCの前をウロウロする私の様子をみて、「山ノ神」は、「勢いを失った魚のようである。」 と言う。そうかもしれない。差ほど重要な物が、PCにあるわけでもないのであるが、HPの他に、諸表やメモなどがあり、携帯を無くした若者のように、まるでラチがあかなくなってしまうのである。

 もしかしたら、日頃から、「山に行けなければ。半分死んだようなもの」 だと言い続けて来た事に、匹敵するほど、生活に密着してしまっているかもしれない。テレビが無くても、PCが欲しい。そんな状態である。

 「メールを出しても、返事が来ない。」 そんな酷評は、もっとも辛いところである。



2/14 北ちゃんが、「高落場山・高清水山」 山行で、私の還暦山行の事を話してくれた。牛岳記念山行の折、そういう話題はあったが、まさかと思っていた。先日、私達夫婦が大倉山に登っていた時、小白木峰では、そんな事が、ちょっとだけど、話題になったと言う。

 私は、「とんでもない。」 などと、年寄り扱いをされるのを嫌うと共に、私だけが、「好山病・・」の仲間達から、祝福を受けているのではないかという引け目や、申し訳なさがそう言わせてしまったのかもしれない。

 また、「還暦」を連想するに、赤い物が目に浮かび、引退の二文字が、頭を過ぎってしまうのである。還暦じゃなくて、「古希=70歳」 くらいが良いのではないかと、逆提案をしたのであったが、これだけ自分を思ってくれる仲間達に、ならばと、甘えた方が良いのかと、逆に悩んでしまう始末である。

 それだけ、「好山病・・」の仲間達は、仲が良いのである。毎週のようにとはいかないまでも、それに近いような頻度で山行に集い、しかも、その中味は濃いのである。それであって、未だに、不思議なくらいに、仲違いなど一度もないのである。
 それは何故? 上手い具合に、バランスの取れた仲間が集まったとしか言いようがない。そして、時折、ゲストと迎える方々とも調子が良く、同じメンバーの如くお付き合いを願っている。

 そんな事も含めて、体勢に甘んじ、「元じい」の称号を頂けば良いのかもしれない。それは、寄る年波に逆らわず、私の新しい一歩を踏み出すのは、丁度いいのかもしれない。 p.m.11:50



2/13 小雪が降り視界の利かない高落場山頂で、「高清水山の展望はどうかね?」 と問われて、「展望はない。視界は利かない。」 と答えたが、「山頂に立ったのは、雪の日と雨の日だった。」 と付け加えたら、皆の失笑を呼んだ。

 高落場山頂も、平スキー場が真横に見え、反対側には、イオックス・アローザスキー場のある医王山が大きく見える。むろん五箇山の山々が、墨絵のように連なり、散居村の砺波平野を見下ろすのもなかなかのものである。

 しかし、高落場山頂に達したのは、まだ午前9時を少し回ったところであった事から、高清水山を目指したのであるが、ブナ林を抜ける頃から日が差し、遠くに位置する高清水山を見通しながら、純白の雪に覆われた林道歩きも、何ら違和感を伴わず歩く事が出来たのである。

 一昨年の10月上旬の雨の日に、高清水山を訪れたのであるが、噂通り森林組合の手で夏道が造られていた。(登山道は、今回立った高清水山頂より、もう少し延びていた。)
 私のイメージとしては、その登山道よりも、縄ヶ池から車で進入したその林道の方が、何処が何処か分からなかったように記憶しており、ず~っと以前に登った残雪期の高清水山に軍配を上げたくなってしまう。
 今回は決して残雪期でもなく、積雪期真っ直中なのであったが、今冬のような少雪では、致し方ない選択であったような気がしている。それでも、雪量が、その残雪期とは、比べようのない少なさに、低山ながら雪山を愛する者にしてみれば、ちょっぴり寂しさを感じてしまうのである。

 

2/12 「好山病・・」に、なくてはならぬ「北ちゃん」、3週間ぶりの田村さん、ゲストとして、奥ノ山以来の吉尾さん、前日の大品山・鍬崎山で過ごした「イッちゃん」、初顔の小矢部のW・N女史と私の6名で、急遽、純シニア隊、いや、準シニア隊が結成され、「高落場山・高清水山」に臨む事になった。

 見るからに、五箇山トンネル城端側入口の取付き地点には雪がなかった。しかし、ちょっと煩いヤブを凌げば、前日、金沢ハイキングクラブの方々や、「豆ちゃん」のトレースが、遊歩道として道案内をしてくれた。そのお陰で、2時間足らずで、我々は高落場山に達する事が出来た。

 降雪の山頂では、記念写真だけを撮り、「食事には早過ぎる。イザ高清水山へ・・」となった。少雪なれど、高落場山から高清水山へ向かうブナ林はステキである。降雪が止み、日が差し始めた光景を見ながら、誰からともなく、”「eikoちゃん」が、描きたくなりそうな景色” の言葉が出たくらいであった。

 草沼山横の林道に降りる斜面から眺める高清水山は、「えっ~、あんなに遠いの?」 になったが、終始先頭を切ってくれる北ちゃんの計らいで、予想より遙かに速く、高清水山頂に辿り着く事が出来た。

 トンネル入口の登山口から、4時間の山頂には、素晴らしい展望が付くというプレゼントまであり皆歓声をあげた。雪不足で、なかなかきれいに造れないテーブルやベンチも、北ちゃん・「イッちゃん」のテクニックがあったかもしれないが、ある程度の雪量に恵まれ、今冬久しぶりの見事なものとなった。

 山頂に着いたら、おにぎりを食べ、コーヒーを飲んで、さっさと帰っていたという小矢部のW・N女史には、我々の行動が、奇怪に感じられたかもしれないが、また、違った楽しみ方があると思われたに違いない。今度は、「高落場山から八乙女山まで・・」 などと、戯けた事を言いながら、我々華麗なる準シニア隊は、ステキな山行を楽しんだのであった。




2/11 明日は、5名で「高落場山・高清水山」へ出掛ける事になった。そこへ、「豆ちゃん」から、「高落場山へ行って来ました。」 とメールが届いた。トレースを辿って行くと、金沢ハイキングクラブの10数名のパーティーと出会ったという。そのリーダーはN女史で、お互い面識はないのであるが、私のHPを通じて、話が盛り上がり、そして、ご馳走になったそうだ。

 去年も、「ねぎちゃん」が、細蔵山に行った時、やはり「豆ちゃん」と出会ったらしい。お互い面識がなかったのであるが、私のHPでお互いの顔を知っていたようで、思わず名を呼んでしまったと聞いている。

 個人情報が、云々と言われている今日であるが、このような事にだけ使われるのであれば、本当にハッピーである。
 明日の「高落場山・高清水山」 行きでも、初対面である小矢部のW・N女史とお会いする事になるが、やはりネットの威力である。お姫様のように、荷を担いであげる事になるか、それとも、逆に尻を叩かれるかは、お会いしてからの楽しみである。 p.m.7:30




2/10 空を見上げながら、山行く友の事を案ずる。「お天気はどうなんだろうか?」 「無事登頂出来たのだろうか?」 
 以前だったら(もうちょっと昔だったら・・)、妬み・やっかみが前面に出て、「う~ん」とか「悔しい・・」 とかになっていたに違いない。

 「友の喜びは、私の喜び。」 この歳になって、私は成長したのだろうか? 私が成し得る事が出来なくなった故に、その嫉妬が、そう言う風に変化していったのであろうか? もしかしたら、「誉める」「分かち合う」「認める」などの素晴らしさを、ようやく習得の域に近付いて来たのかもしれない。

 過日、3人の子供から、「お父さんに誉められた事がない。」 と言われて、ハッとした事があるが、そんな事はないと反論しても、届かぬ言葉に意味はなかった。
 大自然は、私にとって、直接・間接的に純然たる「師」であり、大いに学ばせてくれる。しかし、何事にも忠実でなければ、驚くようなしっぺ返しが待っているような気がする。




2/9 福井の宮ちゃんから、「香りお届けします。」 と、「ろう梅」を描いた絵手紙が届いた。「老梅」「狼狽」などと掛けてあるのだろうが(掛詞)、ステキなお便りであるし嬉しい。以前、アイゼンの絵と共に、「命預けます。」 と書かれ、勘違いして大いに笑った事もあった。

 それ以来、私宛であった絵手紙が、「山ノ神」宛に変わってしまった。感性そのままに、時には、毎週のように送って下さる季節の便りに、我が家は温かいものを感じている。
 その絵手紙の添え書きとして、「山の方は、雪が少ないです。荒島岳へ来てって言えないです。」 とあった。でも、逆に1~2月に富山に来てもらう機会が少なかったのが、もしかしたら、雪を求めて、「ガッツの宮ちゃん」は、やって来てくれるかもしれない。
 でも、いつになっても若い宮ちゃんと違って、力の衰えの甚だしい私は、付いて行けるか心配になる。私よりも、弱そうな人を、メンバーに加えなければ格好がつかなくなる・・・・・




2/8 依然高温が続く。毎日最高気温が10°超えである。時には16~17°の時もあり、3月・4月並などと連日のニュースで報じられ、終いには、杉花粉情報なるものが、例年より早く気象情報として報じられるようになった。週末の雪マークも何だか怪しくなり、そのマークも、2ヶが1ヶになってしまった。今の気温からして、平野部の積雪などは、期待しない方がいいかもしれない。

 土・日・月の三連休に泊まり掛けの仲間を3パーティー承知している。予報は必ずしも良くない。その予報を、「山では雪として喜ぶ!」のであろうか?それとも、「悪天を嫌う!」のであろうか?難しい判断である。暖冬とはいえ、未だ2月初旬である。自分達の力に溺れる事なく、慎重に、そして、安全に楽しんで来て欲しいものである。




2/7 大倉山頂からの下山時に、「山ノ神」は、「雪が汚れている。」 と言う。私は差程気に止めず、「我々が歩いた跡の汚れ」 くらいにしか思えなかった。大倉山の2日間は、全くという程、風が吹かなかったのであるから・・・・
 下山して、同日(2/5)「北ちゃん」やeiko女史・ねぎちゃん、そして「イッちゃん」達が登った小白木峰では、結構風が吹いたと聞いた。また、別の人から、自動車のフロントガラスの汚れが凄く、早くも黄砂らしいという。そうであったのかと思う心には、少雪に、早くも黄砂では、雪山の良さが失われてしまう懸念が胸を痛める。

 昨春のコット谷も、そうであったが、降雪直後は、ラッセルが伴うものの、純白の雪の上を気持ちよく歩く事が出来たが、下山時は、やはり黄砂の影響で白がすさんでしまった。「黄砂が降るまで・・」の雪山をアピールしていただけに、何だかいたたまれない気持ちである。今年は、何もかもが異常であるが、山にだけは降雪を期待したい。

 「山ノ神」も異常事態か? なかなか起きて来なかったから・・・
 「足が痛いのか?」 と尋ねても、「痛くない。」 などと言うのでは、唯のナマクラなだけか・・・




2/6 2月上旬の気温としては、高かった事もあったが、テントの中は暖かかった。しかし、マットの下から、ジュ~ワっと来る冷たさに、何度か目が覚めてしまったが、オーバーズボンや靴下など、用意した物をめんどくさがらず、使用しておれば、もっとポカポカだったかもしれない。

 私としては、今回試した事が二つあった。一つは、ホッカイロの使用であった。今まで、下界でも使った事がなかったのであるが、シュラフの中の冷たい指先に、そのホッカイロなるものを入れると、いっぺんに暖かくなった。これも、夏用の薄い靴下1枚しか履いていなかったせいもあるし、予備の靴下と取り替えておれば、何と言う事もなかったのかもしれないが・・・

 もう一つは、昨秋小遣いを叩いて買った「ぞう足」の使用である。そのまま雪上を歩くと、素足感覚で、何だかおかしな感じであるが、厚手の靴下を、もう1枚重ね合わせて使用していた「山ノ神」のからの使用感としては、「冷たくない。」との事で、3~4時間の飲食中も、ずっと履いていたのである。

 満点の星や月が、朝方には雲に覆われ、暗闇から歩くつもりでいたのを、明るくなってからに変更したのが災いし、雲が切れて行くのと同時に、剱岳の左から上がるお日様を、途中の樹木の間から、拝まなければならぬ羽目になってしまった。
 しかし、それはそれで、神々しい山並みを眺めながら、我々は素晴らしく感じ、今日の天候に感謝した。

 荷は一つにして私が担いだ。その中味となると、またまた欲張りなほどに、いろいろな物を詰め込み結構重いものになってしまった。今回も雪庇というほどのものがないが、尖った痩せた尾根を歩くにつけても、「山ノ神」の歩きは快調であった。雪質が緩いからであろうか、それとも荷がなくバランスが良いからかもしれない。今日も私だけが、時折ズブズブと沈むのであった。それでも、山頂まで1時間40分程で辿り着いたのである。

 剱岳は逆光、そして、毛勝の山々も薄靄に、今一つはっきりしていなかった。「午後から雨」の予報を下界から頂いていたのであるが、時間経過と共に、本当にお天気が崩れるのであろうかと、思うほどに回復傾向であった。
 スコップで、テーブルを造り、またまた2時間以上も山頂の人となったのであるが、容量オーバーで、もう1本のビールが入らなかったと言って、「山ノ神」が悔しがっていた。それでも、1本の冷たい第3のビールは、この世のものかと思う程に喉を潤わせたのである。
 前週、「好山病・・」で訪れ、深く掘ったシェルターは、跡形もなく消えてしまっているようすを見ながら、少雪・暖冬とはいえ、やはり真冬の山頂である事を確認したのであった。

 もし、前日に山頂に届いていたなら、土倉山か濁谷山のどちらかにも、アプローチするつもりであったが、それは、もうどうでも良かった。陽が上がるに連れ、山並みが、蒼くはっきりとしてきたと思うのも僅かな時間で、みるみる間に、雲が我々に覆い被さるようになってきたのを見計らって、下山を始めた。
 車に戻るまでは、降らないであろうと思っていたものが、せめてテント撤収までは持って欲しいとになっていった。それでも、下りは快調で、40~50分程で、キャンプサイトに辿り着く事が出来た。

 食べ尽くしたハズであったが、70リットルと60リットルのリックに、荷を詰め込んでみれば、嵩だけは、何らかわらずパンパン状態であった。時々、ポツリポツリと落ちるものの、雨具を着用する程のものではなく、先を急ぐハズであったが、重荷を担いでの下りのスノーシューには四苦八苦であった。
 先程までの笑顔が、私を睨み付けるように変わった「山ノ神」に、「触らぬ神に祟り無し」 と決め込んで、失言に気を付けながら、距離を置いての下山となった。
 しかし、どれだけ苦労をしても、下りは速いものである。林道に出て、雨具を着る事になったが、「昨朝の雪が何処へ行ったのか?」 と思うほどの雪量の減少に、この先の山行が思いやられると感じてしまった。




2/5 「より美味しく、より暖かくしながら、大倉山頂で楽しむ。」 をテーマに臨んだ今回の山行であったが、メンバーと出掛けるのと違い、たがが緩んでしまうのか、やはり出発予定より1時間遅れとなり、ラッシュに出くわしてしまった。また、上市北馬場線を嫌い蓑輪経由にしたのが、冬期通行止の看板があるように、放射冷却の今朝は、ツルツルで、まるでガラスの上を走るようなもので、此処でも大幅なロスとなった。

 ようやく桑首林道入口を出発したのが、午前9時15分であった。雪の締まりを期待していたが、時間経過と共に、4月の陽気並の高温が予想されていたように、次第にブカブカと沈むようになっていった。自分の体重に、26キロの荷、そして、プラブーツに着衣などを加えると、軽く100キロを超えてしまい、如何にスノーシューと言えども、浮力は落ちてしまい涙の始まりとなる。
 先を行く「山ノ神」は、15キロの荷であるが、体重が軽いからか、林道などでは、殆ど沈まないのである。それでも、登山口発が午前10時半であったから、まだ、何とか山頂キャンプの可能性が残っていたのであった。

 今日のお天気ならば、何処でも素晴らしい山行が出来たに違いないなどと、次第に重荷が肩に食い込んでいく毎に、辛さだけが心を揺さぶるようになっていく。「ズル~と滑る。」 「予期せぬゴボリ。」 に、だんだん足が上がらなくなり、高度100mを稼ぐのに、1時間を要するようになってしまった。
 前週より雪量が多いというももの、大きなリックは、小枝と何度もトラブルを起こし、その度にイライラが増し、だんだんと休息回数も増えていった。

 稜線に出たのが、午後2時を回り、今日は、どんなに頑張っても山頂に届かないと判断し、1053mでキャンプする事にした。この辺りは、雪量が多いように見えるのであるが、ちょっと掘れば、やっぱり小枝が現れ、自分の思いとかなりのギャップがあった。
 ダンロップのテントは、結婚前からの使用であるから、30年は経過している事になる。その上に、夏用のフライを使わず、外張りを使用するのであるから、二重構造というところか・・・

 雪壁は固まるような雪質ではなかったので、低いものとした。テーブルとベンチは、樹木の間からではあったが、剱岳が見える所に配置し、タープやツエルトを張らず、天井は青空としたが、無風でもあり、ゴボリをもたらした高温が、今度は良い方にもたらした感じであった。
 暗くなっても、剱岳の輪郭が見え、夜景の他に、月や星もアクセントとなり、静まりかえって中での2000mlの清酒は、一滴も残さず、飲み干されてしまった。




2/4 迷った挙げ句、明日・明後日の連休は、大倉山でキャンプをする事にした。12日も18日も、所用で山に出掛けられない「山ノ神」のために、ちょっとサービスのつもりであるが、装備がちょっと足りない。
 やむを得ず代用品で賄う事にしたが、凄い量になり、リックがパンパンになった。果たして担げるだろうか? そして、「山ノ神」が登れるであろうか? 山頂でのキャンプが、途中になるかもしれないし、もしかしたら、途中での引き返しもあるかもしれない。
 晴れだけを信じて・・・そして、剱岳や毛勝三山を眺めながら、美酒に酔ってみたい。




2/3 プロバイダーの容量制限もあり、あの手この手で乗り越えて来た私のHP。今回は、ちょっとのトラブルであったが、どうしたわけか、自分の思い通りにならなくなってしまった。その場凌ぎで、渡って来たからであろうか、その記憶が飛んでしまったのであった。

 同じプロバイダーで二つのHP。容量オーバーからの有料。他のプロバイダーからのリンクなどなど・・・・HP作成ソフトを使わず、タグを使っている私には、今回のトラブルは、何が何だか分からなくなってしまった。結果的には長い間使用していたアドレスを止めて一つのHPに集約する事になったが、その作業が終わる頃になって、ようやく過去に使った手法を思い出すという惨めな私であったが、今更後戻りする元気もなく、新たな出発とする事にした。このように、度々のアドレスの変更が、「検索」に支障をきたしているのであるが、それはそれで、しょうがないと諦めるしかないのであろう。

 一時的な挫折や、いろいろな苦難を乗り越えながら、明後日(2/6)で、満7年を迎える 「元さんの山歩き」 であるが、自分ながらよく続いていると思っている。それは、多くの方々から、叱咤激励を含め、暖かく見守って頂いているからに他ならない。

   


2/2 このところ、体調が思わしくない。腰・背中・胸・膝・股関節・耳・歯・目など身体中である。多分、暴飲暴食などの日頃の不摂生、そして、準備や整理の運動(ストレッチ)の怠りが、災いしているのであろう。
 そして、もしかしたら、多くはなといても、休み無しで、飲み続けているアルコールも、主たる要因として、上げなければならないかもしれない。

 しかし、お酒は、楽しくなければならない。私は憂さ晴らしなどの悲しい酒は、殆ど飲まない。くどくどと同じ話をするにしても、気持ちの良いお酒でなくてはいけないと思っている。もちろん、自分だけ気持ちの良いのではなく、同席者も楽しくなければならない。 (大勢だと、その辺りが難しいかもしれないが・・・)
 話題はずれてしまったが、いつも美酒とはいかずとも、その一瞬でも、そうありたいと心がけるようにしている。




2/1 「県内23日ぶりの積雪。」 などと、久しぶりの雪に大騒ぎであるが、私自身は、昨年末の28日以来の積雪という感じである。それは、1/8の積雪は、「奥ノ山」山行の際、山中で寒さの中での降雪を味わったのであるが、山里へ降り、また富山市内に戻った時には、全く雪を見なかったからである。

 高岡の積雪は、12~13cmくらいであるが、この雪への思いは様々である。山へ出掛けない人には、今更降らなくていいのであろうが、山を楽しむ人達には、「まだ足りないが、ようやく雪山になる。」「スキーが楽しめる。」「ようやく、カンジキ・スノーシューの出番が来た。」 もっと降れ!なのであろう。

 富山県では、明日から、インターハイ・スキー競技が開催されるが、関係者の方々は、胸を撫で下ろされたに違いない。