4/30 片貝山荘まで車が入り、好天の約束まで取り付けかのような山行の始まりに、何故か真新しい山行スタイルが待ち構えているようであった。
 お話を聞けば、千葉の川久保氏は、私など足元にも及ばないアルピニストである。しかし、同行された泰子夫人の本格的な登山は、今年初めてのようであった。

 「ゆっくり、焦らず、途中で止めても良いから・・」 を、何度も繰り返しながら、先鋭に聳える毛勝山を指さして、「あの急激な谷を、ご主人が登ったのですよ!」 「もうちょっと登りましょうか?」 

 雪上に出て、アイゼンを付けてからでも、何度も何度も立ち止まられた泰子夫人であったが、「ゆっくり行きましょう。」 「もう少し行ってみますか・・」 の我々の励ましの言葉に、「このような山は初めて、なんと美しくて凄いのでしょう!」 の連発であった。
 成谷山からの稜線歩きでは、何度も呼吸を整えながら、先へ先への気持ちが功を奏し、僧ヶ岳の山頂を勝ち取られたのである。

 援軍のH.fujii氏が、山頂でテーブルを造って、待ち構えていてもらった事もあり、ペコペコのお腹が要求する故に、すぐに食事に入った。
 H.fujii氏持参の大量のコブ締め刺身に、舌鼓を打ちながら、我が家のささやかな鍋料理にも、感嘆の声を上げて頂いた。
 「来て良かった。」 「こんなのは初めて・・・」 が、私達への一番の褒め言葉であった。ゆっくりゆっくりであっても、殆ど林道歩きが無かった事もあり、往路は5時間であった。
 デジカメのろくな画像でも無かろうが、二人で撮った500枚位の画像を、後日、富山・僧ヶ岳の想い出として、千葉の山友に送ろうと思っている。
 

4/29 来客は、もう既に魚津入りしている。午前5時集合と伝えると、「えっ~」 という声が伝わって来たので、こちらが気落ちして、5時半と言ってしまった。どんな珍道中が、待ち構えているか分からないが、楽しみにしている。

 それが、成谷山で終わろうが、伊折山で終わろうが、大した事はない。富山の山に、何かを感じてもらえればいい。県西部の山や、中山を選択しなかった旨を、分かってもらえるようなら最高なのだが・・・・ p.m.11:59



4/28 くよくよするのではなく、粋な人生を過ごす事に切り替えよう。少々お金がなくても、世の中の不幸を全部担いでいるわけでもないし、笑えば福が来るかもしれない。「忘れるが得。笑うが大得。怒ると損だ。」 の精神で行こう。

 幸い今度の休日は、「遠方より友来たる。」 である。4年前、日光白根山でお会いした千葉県の川久保氏である。昨春、毛勝山を登られるために来富されたのであるが、所用で不義理をしてしまった。今度は、ちょうど良い機会であるし、ご夫妻を、東又コースで僧ヶ岳を案内したいと思っている。

 駒ヶ岳からの剱岳を仰げたらとまではいかないまでも、大明神山や毛勝山の先鋭な山並みを、雪上から是非眺めてもらいたいと思っている。そのためにも、この頃よく裏切られているお天気に、どうかその日だけはと、拝まなければなるまい。



4/27 このところ、急激に石川県の方々からのメッセージや、問い合わせが増えて来た。もう一つは、続「山ノ神」シリーズは? との問い合わせが出て来た。私から見れば、異変が起きている感じである。

 しかし、私が面白い事を綴れるわけがない。真面目さを、売り物にしていたのに、紀行文も途絶えがちである。また、お酒を飲んでも、PCの前で頑張れたのに、今や、うつらうつらの方が多くなってきた。山歩きと、HPが一帯だっただけに、何もかもが崩れてしまいそうである。正に末期的症状である。



4/26 「正座も胡座も曲げも出来ない脚で登っているのですか?」 と同級生のYさんからメールが届いた。山に縁のないYさんだけに、ちょっとビックリ! 
 「左膝半月板損傷、右膝炎症で、10年間 正座も胡坐も曲げも出来なかった私、今は、跳んだりはねたり回ったり、スケートの すごいコーチに恵まれ、嬉々とした日々です。ウオーミングアップ クーリングダウン ストレッチやってますか?」 と続く。

 そして、「大切なのは、歩き出す30分前、 歩き終わった直後30分 必ずすること、出来ないなら登ってはいけません。」 と手厳しい。何だか40年前に戻った気持ちになった。ず~っと、歩きたいし、若くないんだから、その提言を素直に受け入れなければ・・・



4/25 「山に行きたいのです。」 「何を買えばいいのですか?」 と言われたら、あなたはどう答えますか? 「連れて行ってもらえますか?」 が、続けばどうしますか? トレーニングを積まれてからと言っても、その方が、私と同年代の方となると、あまり無責任な事も言えなくなります。「履き物は?」 の答えに、ズックでも長靴でもいいのですが、長く続けるとなると、やはり登山靴が欲しいものです。となると、ずーっと引き摺ってしまいそうである。

 その時期が、雪が溶けてしまってからなら、いいのだが・・・・ それが、複数、しかも、別々の人となると、私のライフスタイルが崩れてしまう懸念を生じる。ネットからの依頼であれば、それ相当の意欲も感じるし、こちらの行動もある程度掌握してもらっていると思うのであるが、取りあえず、時間があるから、ちょっと登ってみたいからでは、些か参るのである。
 でも、毎日・毎週登る事もなかろうし、やり方次第では、そうそう負担になることもないかもしれないね!

 「5時間歩けますか・10時間歩けますか?」 ちょっと脅してみるが、その方々が、本当に山が好きなのか、好きになるのか見極める材料にしてみたい。過去の運動競技選手であろうが、私はビクともしない。山の歩きやその他の技術は、別物であるからである。「都合の良い時に、何時でも」 「そして雨でも、風でも」 と言って頂ければ、組みやすいのであるが・・・・ p.m.11:25



4/24 昨日は、車をデボしたのが、午前5時半、その車に戻ったのが午後6時半であった。その間の13時間は、三ツ倉山頂で、カメラに収まるのに屈んだ事以外、座りもしなければ、何処かに腰掛けもしなかった。

 簡単な食事や、コーヒータイムも全て立っていたし、その他は、歩いていた事になる。もっとも、今の身体では、正座や胡座も出来ない状態なので、足を投げ出すのが怖いという事情もある。
 雪のある時は、テーブル・ベンチが造れて(今回は、時間に余裕がなく造らなかった。)、人並みに休む事が出来るのであるが、平地で足を投げ出すとなると、必ずと言っていいほど、足を攣らしてしまうのである。
 だから、立ってた方が良い。歩いていた方が良いとなる。雪穴に落ちたり、木に足を引っかけたりして、極度に足が曲がると、大声を上げなければならぬほど辛いのである。

 そうなれば、「山などへ・・・」 と話がずれそうになるが、趣味とは、そのようなものではない。何が何としても、行きたいのであるからしょうがない。後は、人様に迷惑を掛けないようにと、思うだけかもしれない。と言うものの、まだまだ歩く自信はある。「急激な下りが辛い。」 「人様のフォローが出来ない。」 「咄嗟の時が怖い。」 などが過去に比べて、劣っていると自覚をしている。そんな事を思うと、一人歩きや、少人数のパーティーに、必然的に変わっていくかもしれない。 p.m.11:59



4/23 やはりお天気は、私の懸念してした通りであった。歩き始めからの霧雨は、着衣を濡らし、足元の可愛いイワウチワが歓迎してくれても、全く見通しが利かない状態であった。
 単独行故に、荷を軽くしても良かったが、何もかもが万全でないと、有事の時は悔いるだろうと、どうしてもフル装備になる。ましてや、久しぶりの「越中の百山」であれば、三脚までもとなる。

 私には、今まで三ツ倉山に縁がなかった。ヤブ漕ぎが苦手では適期は短い。それならばと、僧ヶ岳から下るルートを、昨年から考えていた。一つのピークを目指すのに、より高い山頂から下り、しかも、また登り返して・・・・なのであるが、山を親しむに当たって、それも、一つの方法であろうと割り切っていた。肉蔵山を大辻山から目指し、また戻るという感じのコース取りである。

 僧ヶ岳山頂到着が9時45分であったから、「山ノ神」に、「視界がないが、三ツ倉山を目指す。」 とメールを打った。一瞬パーッと、開けたから、前僧ヶ岳までは、難なく辿り着けた。
 問題は、視界のない下りを、支尾根を避けて、上手く何の変哲のないピークに、辿り着けるかであった。

 尾根の北側は、ズタズタに大きく亀裂が入り、イヤな感じであったが、南側は雑木があり恐怖感はない。唯、この尾根筋は、冬期に一部の岳人達が入り込む以外、あまり利用されていないだけに、何と言っても「熊」がイヤであった。見通しが悪く、一人であるから尚更であった。
 そして、GPSの使い勝手が上手でない私でも、その座標から、方向を見出す事が出来凄く助かった。

 写真を撮り、昼食として、うどんを食した。「遠回りで独り三ツ倉山頂。何も見えない。帰りの方がいやな感じ。」 今春、別又谷から、三ツ倉山に登っているネコ君に、メールを打って、山頂を後にした。それでも、45分くらいの滞在であった。

 ルートファインディングに手間取ったと言っても、僧ヶ岳山頂から、三ツ倉山までは、1時間で到達した。帰路は400m弱を登り返さなくてはいけなかったのであるが、思ったよりも容易く、前僧ヶ岳には、1時間で登り返す事が出来た。僧ヶ岳山頂で、コーヒーを沸かしながら、「午後から晴れ。」 を期待したが、一瞬の開きはあったが、カメラを構える程の余裕もなかった。

 僧ヶ岳から、成谷山の稜線で、深み(雪が抜けた)に嵌り、腰まで落ちた時、痛めている左膝に、「これでもか・・」 と思うほどの激痛が走った。また、伊折山付近で、スノーシューの滑りで転倒して、、樹木の根にぶつかり、腰骨に近い臀部を強打してしまった。その煽りで、雪のない登山道を降りるのに、随分時間をかけてしまった。



4/22 最近の予報は当てにしていない。「朝方まで雨。日中曇りで、午後遅くから晴れる。」 では、雲の流れが速まるより、遅れがちの方が多いから、また面白くない羽目に出くわすかもしれない。

 どちらにしても、早起きして、空を見ながら、決断しなければならないであろう。○なら、思い切って・・・ ×なら、またまた低山となる。 p.m.6:00



4/21 「黒部峡谷鉄道・黒薙駅」で、降りた東京の娘達一行3人は、駅員さんの開口一番 「何もないのに・・」 と言われたそうであるが、後曳橋の事を述べると、通行止のロープを潜って行くようにと導きされたそうである。

 我が家での3人分の雨具の用意が、奏功した事は、言うまでもないが、黒薙温泉の営業は、未だであったらしく、その煽りで、黒薙の滞在が、僅かな時間となってしまったらしい。駅員さんに 「また来られか・・」 と見送られ、車窓の人となったのであるが、唯では終わらなかったらしい。

 熟年の乗客が多い中で、若さを武器にしたのであろうか? 宇奈月駅の駅員さんから、大きなポスター(タテ100cm超、ヨコ70cm超 非売品)を、2種類もせしめて来たようである。

 私事であるが、彼女(娘)は、こよなく富山を愛し、積極的にPRする私設富山親善大使である。そのポスターも、彼女の部屋に飾られのであろうが、その話題は、間接的に、人から人へと広がって行くに違いない。



4/20 その後、3組の方々から、春木山に行かれた報告をもらった。どのルートを辿られようが、良き雰囲気が漂う春木山である。積雪・残雪期限定であるが、車が上部まで入るようになると、脇役になるかもしれないが、長い林道歩きをしなければならない時は、立派な主役に躍り出る。そして、好天時には最高の宴会場となる。

 今年の山歴を振り返ってみると、翌日・翌週・翌月と同じ所に、出掛けるケースが目立つ。これからも、良い所、好きな山に、懲りずに何度となく出向く事が多くなるであろう。

 そして、もしかしたら、山をやり始めた人、山をやり始める人達との機会が増えるかもしれない。でも、弱って来た私にも、「元気者」から、声が掛かれば、飛んで行きたい気持ちには変わりない。



4/19 「元さんの山歩き」には、掲示板のない事もあるが、励ましこそあれ、未だに中傷を受けた事がない。そして、「イヤな人は、見なければいい。」 の考えから、思うがままに綴り続けて来た。

 でも、世の中が変わりつつあり、個人情報云々では、実名を多く使う私だけに、心が揺らぐようになって来た。誉める事はあっても、誹謗などしない。電話番号や住所を載せるわけでもない。とても被害を受けさせたとは思えないのだが・・・

 しかし、人の思いは多様で、計りしれないのが実情である。初対面の方には、「実名で載せても良いか!」 などと、大概尋ねる事にしているが、物忘れの酷い私の事だから、落ち度があったやもしれない。でも、今更やり方を変えると、私のHPは続ける事が出来なくなります。
 私の誕生日まであと4ヶ月、アクセス件数50万件まで、あと3万余です。(おおよそ3ヶ月) 一つの目標としているゴールまで、もう少しですから我慢をしてよ!



4/18 東京の娘が、同じ職場の先輩夫妻のガイドを兼ねて、またもや来富する。「ホタルイカを食する。」 「黒部峡谷の後曳橋を眺める。」 が、今回の主要目的であるらしい。黒部峡谷鉄道の終点・欅平までの開通は、5月に連れ込むらしく、現在は、猫又までしか行かないらしい。苦肉の策なのだろうか? 

 パンフレッドにある素晴らしい「後曳橋」を、何処から眺めれば良いのかと問われれば、もう、あの人に聞くしかない。「黒薙で降りて、外回りで、温泉に向かえば、プチ日電歩道気分で。あの橋を見る事が出来ます。」 と回答を得た。その旨を娘に伝えたら、何とした連絡網かと感激をしていた。唯、お天気を願うだけである。

 あの人(ネコさん)の声を、久しぶりに聞いたような錯覚に陥ったのか分からないが、何だか、随分大人(失礼!)になったような気がした。「大関は、大関の相撲をとるし、平幕は、平幕の相撲をとる。」 と聞いた事がある。彼は、アマチュアの山岳会の雛壇を、登り詰めているような気がする。 p.m.10:45



4/17 「好山病・・」の活動はどうしたの? 内外から言われて、山行歴を調べてみたら、2/19に、5名で目指した猪頭山(結果的には、朴ノ木山)以来ご無沙汰であった。メンバーの家庭の事情や、或いは、目的遂行のための形を変えた応援!など、ちょっと控えめにしていた事は歪めないが、私自身は、随時「山ノ神」の同行や、eiko女史を始め、他に入れ替わり立ち替わりの同行者があり、あまり気にしていなかった。

 また、元々月曜日の会のため、勤務の都合もあり、集まりにくい面があるのに、今までよく一緒に歩いたものだと、過ぎた事を想い出深く振り返っている。
 しかし、個々の付き合いはあるにしても、2ヶ月も経つと、一同に会したくなる。新緑が眩しい来月あたりには、「好山病・・」特有の笑い声が、津々浦々に、こだまするかもしれない。



4/16 「雪が残っていた。」 「流石、牛岳」 「やっぱり、牛岳」 であった。今年は、少雪で、同レベルの山(同じような標高の山)では、余程奥深い山でない限り、雪上を歩けなくなって来ている。

 前日の人形山(春木山)に次いで、「今日は何処の山?」 と思っても、曇天模様で、降水確率が高ければ、自分にとって秘める山はあっても、「山ノ神」を丸め込む程の志気は上がらなかった。また、山菜採りを兼ねた山歩きの候補も脳裏に浮かばず、ゆっくり牛岳を決め込んだ。

 いきなり迎えてくれたショウジョバカマの小群落に気を良くし、出会ったお花達を、グレードの高くないデジカメなれど、それなりの工夫を懲らして、撮り続けながら歩いた。6合目まで、1時間半を要しているのであるから、超スローペースである。

 「フーフー」言いながら上がって来た「山ノ神」の開口一番、「あれ、雪がある。」 であった。  中途半端に雪が着いたこの時期を、最も苦手にしている「山ノ神」にしてみれば、「こんなハズではなかった。」 と言いたかったのである。

 山菜採りの偵察を希望する「山ノ神」と、何処かのてっぺんに立ちたい私との意見調整の結果、牛岳を簡単に登り、のち上市町の早月川沿いを歩く予定を立てての牛岳行きであったのであるが、砺波市内を通過する時、「何だか、牛岳の上部は白い!」 と懸念を持ち始めていたのである。

 4月下旬から5月上旬まで、登山道に雪が残っているのが通常である牛岳であったが、他の山々の状況から、今年はと、高を括っていたわけになった。

 「山ノ神」のイヤな所の雪の着き方は、差ほどでもなく、また、一昨年、熊と遭遇した8合目付近から、直接尾根に向かって雪が残っていたので、それを辿った。所々、前日のものであろうか、踏み跡があり、随分楽チンをさせてもらったが、尾根に出たら、雪がなく、ヤブであった。

 三角点付近にあるポールが、思ったより遠くに見える。「こりゃ!参った。」 と思ったが、「山ノ神」は何時もと違っていた。先へ進もうと言うのである。幸いその先の所々に雪が着いていたので、難を免れたが、「山ノ神」は、そのヤブを猛進した。
 それは、雪斜面のトラバースが、イヤだという先入観からであろうが、枝の跳ね返りさえ気を付ければ問題なかったのであるが、私のいう事など耳に入らなかったようであった。
 三角点に出てからは、夏道が殆ど出ており、スムーズに歩く事が出来たが、それども、雪の多さには、豪雪地帯を再認識した思いであった。

 牛岳山頂発が午後1時過ぎ。これから、早月川・小又川へ行くように促されたが、とても無理だと思ったが、渋々承知して、山を降った。牛岳登山口発が、午後3時である。
 牛岳林道・広域農道を経由して、上市町に着いたのが、午後4時を少し回っていたが、過日、県民会館で行われた上市峰窓会の写真展を、日程上の都合で拝見する事が出来なかっただけに、上市総合病院の2階渡廊下で、その作品を展示している情報を聞いて、寄らなければと思っていた。ようやく「ねぎちゃん」の4点の作品を拝見し、「ねぎちゃん」の凄さを改めて認識した。

 剱センターから、歩いて小又川まで行く時間でもないし、程々の河原で、我慢をしてもらったが、もう少し時期を待たなければならぬコゴミを少々採って、ご機嫌の「山ノ神」を眺めながら、苦笑いをしなければならなかった。



4/15 ハレルヤ山行に、ゲストを含めて13名が集った。具合良く、登山口まで車を乗り入れる事が出来、目的地の人形山だけでなく、カラマン峰や春木山までも、同時に行けたらなどの欲を持って臨んだはずであったが、何故だか、宮屋敷跡付近では、何名かが、一束して失速してしまうというアクシデントに見舞われ、行き先を春木山へ変更する羽目になってしまった。

 好天に恵まれ、より高くを目指したものにしてみれば、ちょっと不満も残ったかもしれないが、新鮮な山での絶景や、別方面(大勘場)から登って来られた池原・盛安・柚木の三氏と紅一点の嶋田嬢?のパーティーとの遭遇、大量のご馳走に、差し入れのワインなどに、舌鼓を打ち、時間が経つにつれ盛り上がっていった。 p.m.11:10



4/14 先月末の大地・初雪山行の際、大地直下(標高1、000m付近)でピッケルを拾ったが、その持ち主に、昨日ようやく渡ったようである。紛失されたDさんは、3/21のようであるが、私が見付けたのは、3/26である。その件を、HP上に掲載したら、一日で持ち主が判明した。

 県東部にお住まいのDさんによると、すぐには使用しないとの事であったから、ワザワザ高岡まで、ご足労願う事もないと思い、「北ちゃんの店」を知っておられると言われるし、いつでも良いのなら、友人達の手を介して、「北ちゃんの店」に届けるから、その時点で連絡するとしていた。赤祖父山で 一緒したeiko女史に、その役をお願いしていて、2日前に、ようやくDさんに届いたようである。

 日頃、あまり世の中のために良い事もしていない私だけに、「手にした。」「届いた」の知らせに、「人のためになった。」 と、私自身嬉しくなってしまった。そのDさんは、「好山病・・」の連携プレイに、殊の外感謝して頂いたようである。 p.m.11:10

 

4/13 「高岡古城公園の桜も満開! しかも、フェーン現象で高温!」 の好条件に、旧友と、急遽、花見と洒落込む事になり、大型のリックに、宴会用の小道具をいっぱい詰め、彼らの到着を待った。

 40年来の友は、庄川町(現砺波市)と氷見市から、我が家に、やって来たのであるが、イザ出陣という時に、雨が風を伴って強く降り出したのであった。
 仕方なしに、我が家が会場になってしまったが、飲んでしまえば、何処でも同じ事! 料理に煩い彼らは、手前の料理を持参した事もあり、テーブルには、並べ切れないほどになった。清酒・焼酎・ワイン・ビールをゆっくり時間をかけて飲んだ。

 飲めば、必然的に、昔の登った山の話になる。何度同じ話になろうが、これが楽しい! 共通の想い出を持った者だけに許される特権である。「山ノ神」の知らぬ話になると、尚更盛り上がる。

 四季に一度はの約束も、最近はホゴになりつつあるが、突発的な緊急招集の方が、その気になるとの結論になった。「今度は何時?」 には、「テーマ」が決まればになるであろう。

両親がいて、私がまだ若かった頃、大勢の友が、入れ替わり立ち替わりやって来た。しかし、その反動であろうか、歳を重ねる事に、その数を減らした。もちろん、その友たちも、所帯を持ち、変わらざるを得ない事情もあったに違いないが、人が集まって来てくれる事は、本当に楽しく、嬉しいものである。

 古くて、あまり広くはない家(部屋)ではあるが、語り合うだけなら充分である。いつも、誰かが訪れる、そんな家であれば良いと思っている。



4/12 4/15のハレルヤ山行の行き先(人形山)が決まった。5/7~5/8は、雷鳥沢キャンプがいい。このように私の日程が埋まっていく。とてつもない事が出来なくても、どっぷり山に浸かる事が、私の思いである。それは、自分で企画する小旅行のようなものかもしれない。

 日頃の用事も、休日以外の日に片付け、県外に出ている子供達にさえ、「休日を避けて帰省せよ!」 と申し合わせてある。全てが、山中心に動いているが、何のわだかまりもない。

 このような生活が、「いつまで続けられるのか?」 と、それだけが心配であるが、ここまで来たら、「なるようになれ!」 と開き直るしかない。一日一日を大事にし、多くの山仲間に感謝しながら、一つ一つの出会いも、大事にしていきたいと思っている。

 

4/11 長い間山歩きをしていると、いろいろな事に遭遇してきた。もっと謙虚になっておれば、そんな事にならなかったのではと思い返したり、想像も出来ないくらいの自然の大きさ・恐ろしさを思い知らされたりした事もあった。

 今は、思うがままに動かぬ身体に、「こんな事をしていても良いのか?」 などと思う事もある。しかし、自分の力量を認識し、腹八分目と言うのであろうか、余力を持ってすれば、私の行けるような山では、大方、大丈夫のような気がする。

 「どんな怖い目に遭った事があるのか?」 と尋ねられれば、花じいのHPの「4/27の件」 を見よと言う。山の怖さは、その記述に、凝縮されているように思うからである。早いもので、「4/27の件」 から、やがて、満5年を迎えようとしている。 p.m.11:55



4/10 少雪で雪解けが早くても、フキノトウを除けば、本格的な山菜シーズンは、これからのようである。私は、元来山菜に特別興味がなかったが、最近は採る事の面白さが、少しずつ、分かってきたからであろうか、随分楽しくなってきた。

 しかし、山菜採りのために休日は使わない。下山時に、その楽しみを味わうようになってきている。ゼンマイ・コゴミ・ワラビ・ゼンマイ・タラの芽・コシアブラ・ヨシナ・ウド・フキノトウ・ススダケなどは、自分だけでも分かるようになって来たが、行者ニンニク・ユキザサ・ギボウシ・センナなどは、まだまだお手本がいる。
 ワラビを採るのでさえ、いちいち教えてもらわなければ、分からなかった事を思えば、随分進歩したものである。

 採ったものを、友人・知人そして、近所の方々にお分けするのも、楽しみの一つであるが、山中で、天ぷらなどの料理(山菜パーティー)も、贅沢な楽しみ方である。
 昨年は、そんな機会が3回もあったが、その都度大受けとなった。しかし、鍋の大きさ・温度調節・参加人員など揚げる方は、結構大変のようである。そして、火や油の後始末は、充分に気を付けなければならない。(油は、吸収剤に染み込ませて持ち帰る。)

 今年も、そんな事を考慮しながら、山仲間と大いに楽しみたいと思っているが、一杯やるとなると、どうしても、泊まらなくては、その思いは達成しにくいかもしれない。



4/9 白い僧ヶ岳を求めて、片貝第2発電所を午前5時のスタートとなったのであるが、今回も予報に反して、始めから雨。成谷堰堤付近から、ミゾレ混じりとなり、登山道に入ってからの標高800m超辺りからは、積雪を見るようになった。

 スノーシューを付けた伊折山直下からは、視界が広がり10cm位の新雪が、黄砂などの汚れを隠し、予想通りの白い山容を見せてくれた。しかし、大明神山や毛勝山、また駒ヶ岳の山頂付近は、厚い雲に覆われ、ちょっぴり不安を持たざるを得なかった。
 それでも、成谷山へは、午前11時前に到着し、不安がっていた「山ノ神」や、eiko女史は、白く続く稜線の美しさに胸を躍らせていたようであった。

 あまり大きく張り出していない雪庇ではあったが、それでも、それをかなり意識して、避けるようにしていたが、不安定な雪の状態のために、踏み抜いて腰まで落ちた「山ノ神」を助けようと思った私までが、同じように落ちてしまった程であった。

 それから先の痩せ尾根付近では、視界が悪くなりつつあったのが、益々悪くなる、所謂、ホワイトアウト状態に陥ってしまった。ちょっと離れると、赤や黄の雨具スタイルであっても、分からなくなってしまう程で、しばらく立ち止まってしまった。
 もう少しであったから、(帰って調べてみると標高1750m付近で、山頂までは、まだかなり距離があったようだった。) 退却は心残りで、少し引き返し待機することにし、シェルター造りに入ったのであるが、今度は横殴りの降雪となってしまった。

 おまけに雷鳴が轟き、後ろ髪を引かれる気持ちであったが、潔く撤退となる。雷に追われるような気持ちで足早に歩いたが、何もかもが収まった1500m付近で、ランチタイムとした。持参した物を分け合う、いつものスタイルであるが、静かな大自然の中では、何もかもが、ご馳走である。
 一時を過ごして、覆い被さるような黒い雲と競争のようなつもりで、登山道を下ったのであるが、登りの新雪も溶けて、滑りを気にするほどでもなかった。(しかし、私が2回も転けてしまい痛い思いをしてしまった。)

 林道に出てからは、ミゾレや雨が降ったり止んだりの中を、3人ともナイロン袋から、こぼれるほどの「ふきのとう」を摘んで、楽しい山行の終わりとした。
 企画段階では、一昨年「好山病・・」の記録である、「山中15時間」の記録に、匹敵するのではないかと思っていたが、片貝第2発電所到着は、強い雨の中、午後6時45分であった。



4/8 今年のような少雪でも、片貝側沿いは、第2発電所にゲートがあり、車が入れない。しかし、少しでもきれいな山を見る時は、我慢して歩かなければならない。長い林道歩き故、多くの人が、入ってないだけに、少しは優越感を味わう事が出来る。
 早春の僧ヶ岳を、東又から入るのが恒例になりつつある。 p.m.10:35



4/7 「好きな山に登れればいい。」 などと、山への憧れは保てども、だんだんと目標は小さくなって行く。”それは致し方ない” とは分かっていても歯痒い時もある。人は、自己満足であっても、ちょっぴりでいいから、何かで輝いていたいものである。
 速さや回数、或いは、人の出来ない事などもあろうが、いつまでも、元気で登り続けるのも一つである。絵や写真に凝るなどもステキである。探せばいろいろ出て来るかもしれない。

 この頃、「夫婦で登っている方ですね!」 などと言われる事が多い。HP上で、けったいな「山ノ神」の写真を載せ続けている所為もあるのだろうが、意外と、そのインパクトが強いのかもしれない。
 最近、山仲間と共に行動をする機会を多く得ているが、夫婦である程度の回数をこなしている方々は、そんなに多くないかもしれないと思った。もしかしたら、これを誇っても良いような気もする。

 「ピッケルやアイゼンが、必要とする山には行かない。」 「岩が、ゴロゴロしているような山には行かない。」 「アップダウンが多く、長い行程の山には行けるわけがない。」 このような思いのある「山ノ神」であるから、剱岳はもちろん、槍ヶ岳や穂高岳に登った事もない。数年前までは、赤谷山や猫又山・大猫山などは、とても行ける山とは思っていなかったようである。しかし、何とか無雪期ならば、行けるようになったが、「荷を軽くせよ!」 の条件付きである。このような「山ノ神」と、年に数十回も同行するのであるから、今更ながら、かなり忍耐力の強さではないかと、自分に呆れている。

 富山県にも夫婦で、高レベルの山行をされている方々を知っているし、何組も夫婦仲良く山行回数を重ねておられる方々の情報も聞く。我々は、そのような方々の足元にも及ばないし、低山のありきたりのルートを辿るのであるが、雨でも雪でも行く。そして夫婦共々の山行回数は、呆れ返られる程多いのではないかと思っている。こうなると、「山ノ神」を、なおざりに出来なくなる。



4/6 真っ黒ネコさん(長勢君)の「越中の百山」の完踏も秒読みに入った。「宮ちゃん」も、今月の中旬に予定されている「宮之浦岳」を登れば、「日本百名山」の完踏になる。
 身近な山仲間の偉業を喜ばずにはいられない。「たかが・・」 であるかもしれないが、幾つものハードルを越えての勲章だけに、賞賛に値する。達成の暁には、大いに誉めてあげたい。山登る者、皆憧れているのであるから・・・・ p.m.11:59



4/5 公私の会合が続く。物覚えの悪さが手伝ってストレスが溜まる。「休日は山へ」 は、もう無理なのかな?



4/4 昨日・一昨日の山歩きは、平日の事もあり、(同行してくれたeikoちゃん以外)山中で誰とも遭う事がなかった。3月末の大地・初雪山では、ウサギが飛び出し、ホットな気分になったが、今回は、鳥の囀り以外は、小動物との出遭いも全くなかった。

 そんな中、「時間に縛られない。」 「変更が容易である。」 の利点以外、夫婦というのは、どことなく、ギクシャクしてしまう。「たった一言で・・」 その日が面白くなくなるから・・・
 それだけなら、まだ良いのかもしれない。如何に親友と言えども、その 「たった一言・・」 で、永遠の別れとなる事もあるからだ。

 我々は、言葉を選んで喋らなければならない誠に「けったいな夫婦!」 考え方次第では、「いつまでも恋人感覚でおれ!」 と言うことなのかもしれない。「そこまで戻るのであれば・・・・」 などと言おうものなら、明日の私はない。

 

4/3 「平地の気温は、10°にも満たない。雨または雪!」 そんな予報は、午後から回復とも述べていた。最近の休日の予報が悉く外れるので、あまり信じられなかったのであるが、山は雪であった。2日続きの人形山(春木山)にしなくて良かったのかもしれない。

 「何処でも良いから歩きたい。」 と言うeikoちゃんと、我々の3人で、近間の山歩きに、お花(福寿草)と戯れるのをテーマに、赤祖父山となる。
 冬期通行止の標識を忠実に守り、林道歩きから始まった。福寿草が咲き誇る様を見た2人は、大喜びであったが、ある程度の残雪を期待していたルート選定は、悉くハズレ、2ヶ所のヤブ漕ぎを強いられ、山頂(扇山)滞在は1時間ほどになってしまった。

 新たな雪は、5~10cmであったが、テーブルやベンチを造るには、ちょっと足りなかった。ブナの原生林の中を、所構わず歩くのが好きな私であるが、今日ばかりは、何故か、ブナは、ほっそりとして見えた。

 それでも、樹木に付着した雪の白は、まるで桜が咲いたように見えたのは、寂しがる私を癒そうと思ってくれた自然からのプレゼントだったのかもしれない。帰路は、忠実に登山道を降りたが、可愛い雪割草が、ここでも、小さく微笑んでくれたような気がした。



4/2 人形山への田向からの林道は、2・3キロの地点(大きくカーブしている所)で、デブリのために車をデボしなければならなかった。ある程度は予測していたのであるが、その時点で、最終目的地を、春木山に変更をしたのであった。

 所々に雪を見たのであるが、中根山荘付近では雪がなかった。登山口でも、スノーシューを付けることはなく、それは、もっと先になった。スノーシューを付けても、1000m付近にも雪のない所があり、本当に驚いてしまった。

 しかし、もう少し高度をあげれば、別天地に変わり、黄砂が降ろうが、それはそれは素晴らしい山行となった。展望は、からきしダメであったが、三辻ヶ山と人形山は、殊の外ステキであった。
 車デボ地点から、5時間も要してしまったが、速く歩けないなりに、また違った楽しみもあるものである。何回登っても、これで良しという事はない。

 雪があれば、私達でも、ちょっとは速く降りる事が出来る。しかし、道端のふきのとうを、いっぱい摘んで微笑む「山ノ神」に、「明日もこの山に来ようか!」 と言ったら、返事をくれなかった。 p.m.11:59



4/1 無料の予報にあまり文句も言えず、この頃は参考程度に利用させてもらう事にした。積極的に誘う事もせず、明日は、「山ノ神」との2人だけの山行となる。
 林道が如何なるものか分からず、いろいろなパターンを考えておかなければならない。雪の状態も気になるところだが、必ずしも人形山の頂に拘る事もあるまい。