8/31 あんなに暑かったのに、時期が来れば、そのようになるのか、特に朝方は涼しくなって来た。今日で、8月も終わりで、その暑さとの入れ替えをと思って、ポスターを黒部峡谷の紅葉のものにした。

 些か早いようにも思えるのであるが、私の心は、既に今秋のスケジュールへと動いている。金山・天狗原山、火打山、白山、ブナクラの山々(大猫・猫又・赤谷)、もうちょっと足を延ばしたい山、等々指を折れば切りがない。しかし、高山から低山までを考えても、見どころは、精々1ヶ月くらいである。私の休日にして6~7回、雨の日もあり、台風もあるから、錦繍を楽しめるのは、そう何日もない。

 もう一度、あの感激を味わいたくて、また行ってみたい山、何度出掛けても、お天気に恵まれなかっが、今度こそと思っている山、未だ出掛けた事はなくても、素晴らしいとされている山にも興味を抱く・・・・・。

 そして、落葉後の静まり返った低山を、サラッ、サラッと落葉を踏んで歩くのもいいものである。視界が良く、腐葉土の上を歩いているようだから・・・・そして、白いものが降って晴れる 晩秋から初冬の山もいいものである。



8/30 花じいのHPで、「三つ星山の会・剱岳への挑戦」を拝見した。私は唯、淡々と読んだだけであったが、その事を知人に話す時になって、声が上ずり目が潤んでしまった。「目の不自由な方のサポート」、「山頂寸前での撤退」、「その地点を、三つ星の山頂とした事」、「悔し涙でなく、嬉しくて感謝の涙」 どの一文とは限らず、花じいの人柄と重ね合わせて、胸を熱くしたのかもしれない。

 「花じい」の文章は優しい。随所にその人柄が出ている。ある時、チップ制の公衆トイレに、「え~っ」、と驚くような金額を、何食わぬ顔で、チップ箱に入れているのを目撃した事がある。また、サクランボを食した後に柄を落としたら、生態系が狂うと叱られた事もある。毅然として、言わなければならない時は言う、それが、年上の方であろうが、有名人であろうが・・・・・・花や樹木に詳しい「花じい」だけではない。

 5年前の遭難事故・4/27の件を、未だ削除せずに、残しておいてくれているのも、我々が切望した事を受け入れてくれているからだと思う。そんな彼との山行は、休日の違いから、年末の同窓会的山行を含めても、年に1~2回程になってしまった。だからこそ、今夏、思いも寄らぬ白山でのすれ違いであったが、会えたのがとても嬉しかった。

 こんな折、心とは通じるものであろうか、「私の膝が痛い。太腿が痛い。」 の当欄の叫びに、哀れみ(非常事態)を感じられたのであろうか、心配して電話を掛けて頂いた。それだけで嬉しかった。「テーピングを習いたい。」 「もうちょっと、一緒に山へ・・」 などと、私より10歳程若い「花じい」に、甘えた感じになってしまった。 p.m.7:00



8/29 やはり私の膝が可笑しい。大猫山から帰ってから太腿が痛い。久しぶりに、このような状態になったのは、いつの間にか、膝をかばっていたからかもしれない。

 近所の内科医と、談笑する機会があり、「専門の事は分からないが、膝の何処かが、磨り減ったりする事もあるが、何処かほんの少し、飛び出ていて、それが痛いという事もあるらしいよ。一度専門医に診てもらったら・・」 とアドバイスをもらった。しかし、「歩けないわけでもないし、診察(診断)だけなら、何ら変わらないし、手術など、とんでもないし・・」 などと、ブツブツ言い訳を考えてしまう。

 あれだけ、事前・事後のストレッチをやらなければと思いながら、全く施していないのであるから、山が好きだと言いながら、「本当かよ! もっと大事にせよ!」 と自分を責めたくなる。もっと歩きたいのなら、ず~っと歩きたいのなら、心を入れ替えて、精進しなければいけないようである。

 

8/28 山から帰って、ビールを飲んだ。「早く冷たいビールが飲みた。」 という一心で、車を爆走させるのであるが、いざ飲むとなると、そう沢山も飲めない。だが、昨夜は、いつもより余計に飲んだ。といっても500mlを3本である。

 昨夜も暑かった。疲れもあったのかもしれないが、何度も目が覚めるくらいに蒸し暑かった。余談だが、私は、エアコンも扇風機もない部屋で、今夏も乗り切るつもりである。トタン張りで周りが駐車場、しかも2階であるから、その暑さは想像以上である。

 夜中に、ザーッと降った雨に目が覚め、慌てて、外に干したザックなどを入れようと思い、下に降りたら、別居の「山ノ神」の手で、もう始末済みであった。(まあ~、よく目が覚めたものだ!)

 次行く山は何処? この時が、私にとっては、一番楽しい時かもしれない。しかし、この先一週間は、雲に小さな傘マークばかりが付いている。これでは、流石の私も滅入ってしまう。オセロのように、くるっと、入れ替わるのを待つしかない。 p.m.11:20



8/27 予定が変更されて、「好山病・・」は、別メニューで大猫山に行く事になった。もっとも、仕事や所用で来られない人もあれば、以前から温めていた山行へと、足を運んだ人もあり、結果的には、橋ちゃんと田村さん、そして、私達夫婦の4名になってしまった。

 橋ちゃんとの山行は、5/28の寺地山・北ノ俣岳以来、田村さんとは、6/17~18の朝日岳以来であった。「それでも、そんなに、会っていない気はしないね。」 などと、久しぶりの再会に、しっかり握手を交わし、大猫山の登りは始まった。

 我が家の事情(脚力)で、ゆっくりという手加減(足加減)を頼んだのであるが、やはり元気が余る人達には、ゆっくりにも程度があるようだ。4時間も掛からずして山頂に着き、猫又山側に少し(10分程度)移動して、ペコペコのお腹を満たすための昼食とした。

 その頃には、雲上に、上部だけを現していた剱岳も、まるっきり、ガスの中へと、姿を隠してしまい再び現れる事はなかった。展望は思わしくなかったのであるが、積もる話は山ほどあり、今日は、その事に熱中してしまった。

 今回の大猫山行には、猫又山への登山道が、何処まで出来ているのかという偵察の意味合いもあったから、橋ちゃんと二人で、ちょっとだけと、空身で出掛けたのであるが、行けども行けども、その道は続いており、約束の時間を遙かにオーバーしてしまった。

 食事場所から35~40分、標高にして2,200m地点位まで歩いたのであるが、その先もず~っと、延びていた。もしかしたら、猫又山頂まで届いているのかもしれないと思ったくらいである。何人もの方々が、ブナクラから、或いはブナクラへ、周遊しておられる話を聞いているから、それに近いものだと思う。

 午後3時近くになって、下山開始。「山ノ神」と私は、疲れ切って、やっとの思いで、ブナクラ取水口駐車場(登山口)に辿り着いたのであるが、橋ちゃんから、冷たいコーラーを頂き、生き返った思いであった。(登りがけに、流水に冷やしておいてくれた。)



8/26 ゆっくり泊まり掛けで登る人があれば、そこを日帰りで行く人もある。同じ日帰りでも、未明・早朝に出掛ける人もあれば、現地泊のち早朝に出掛ける人もある。林道をコツコツ歩く人もあれば、行ける所まで自転車を利用する人もある。
 1分1秒を競い、先行く人を抜き去る事に、快感を得る人もあれば、お花や景色に見入り、ゆっくりそれを楽しむ人もある。

 職業或いは、環境の違いで、スタイルはいろいろであり、どれが良く、どれがダメだというものでもあるまい。僅かな時間を惜しみながら、近くの低山に足を運ぶのも、それはそれで素晴らしいものである。少々の雑音に、自分の考えが、ぶれなければ、これまた素晴らしい。大概の者は、自信があるようでないもので、同調を求めて、気を休めるケースが多い。

 独りで歩けば、人が恋しくなり、また、評価して欲しくなり、仲間と歩きたくなる。いつも徒党を組んで歩いていると、たまには、ゆっくり静かにを、求めてしまうものである。この先も、同じような事を繰り返すのであろうが、結果的には、元気で歩き続ける事が出来、認め励ましあえる仲間を、多く持つ事が、良しとするところであろうか・・・・・

 認めてあげれば、認めてもらえるような気がする。これが仲間つくりの原点のような気がするが、大げさであろうか・・・ p.m.11:55

 

8/25 「好山病・・」の諸氏とは、2~3ヶ月ぶりの山行となる8/27の大猫山を楽しみにしている。各々の山に対する夢があり、夏は、なかなかスケジュールを合わせにくい。今回は、私の記念山行として、企画してくれていた日であったろうに、何事もなかなか上手くいかないものである。
 北ちゃん・eiko女史・ねぎちゃんらのスターを欠くのであるが、それはそれ、もうみんなに会いたくてしょうがない。「山ノ神」には苦手な山で、渋い顔なのだが、やはりその方が、優先しているようである。



8/24 「お風呂の中で、正座をしてみたら、お尻と踵が着いた。」 当たり前の事であるが、左膝の故障から、正座が出来なくなった私には、チョットにっこりである。ここ2年程は、正座も胡座も出来ず、座る事を要求される席では、いつも辛い思いをしている。

 過日、Y女史から、「そんなので、よく山に登っていますね。」 と問われ、ストレッチをやる事を勧められたが、良いと思っても、なかなか、ライフスタイルとする事が出来ず、現在に至っているのであるが、自分としては、雨の日も風の日も、必ず山に行く事で、辛うじて、その一端を担っているのではないかと思っている。だから、それを欠かすと不安でならないのである。

 雪の山は、テーブルベンチを造るので、食事の時の辛さはない。問題は雪がなくなってからであるが、その事を知っていてくれる仲間達は、座るのに適当な木のころや、石ころを、探してきてくれて、私にあてがってくれていた。平場で足を伸ばすと、必ずといっていいほど、足を攣らしてしまうほどなのであるから・・・

 「違った趣味を見付けたら・・」 などと言う人があるが、「それは、まるで人間を止めなさい。」 という事と同じである。まだまだ歩けるし、スタイルを変えれば、どれだけでも、山と親しむ事が出来ると思っているし、まだまだ長い時間を歩く事が出来るのである。

 でも最近、左足の1趾(1指)と2趾(2指)の延長線の甲の部分が、長い間歩いていると痛くなるようになった。でも、歩けないわけでもない。しかし、高校時代、毎日長時間走り続けた事が原因で、3趾(3指)の付け根付近を、疲労骨折した事があり、ちょっと、イヤな感じを持つようになっている。当時は、その事が分からず、尚も走り続け、その骨折箇所が固まり、その部分だけが、太くなっているのが、今でも分かるほどである。

 適当な運動と栄養のバランスが保たれれば、鍛え抜く事は出来なくても、ある程度の体力を、維持する事は可能だと思っているが、ここに来て、歯がまるでダメなのである。これでは、体力どころか、気力までも失いそうである。 p.m.7:20



8/23 当欄の日付にようやく追い付いた。1ヶ月余休養宣言は、何の効果もなく代わり映えしない。ま~ぁ、焦らず地道に行く事にした。何と思われようが、それしかないからでもある。特別な事もない中、何かを見付けていきたい。それは、同じ山を、何回も通うようなもので、あまり面白くもない。
 しかし、面白くない事も、数を重ねれば、注目もされるようになり、結構味が見出せるものである。「いぶし銀」 という言葉があるように、あえて、その渋さを出せるように、山と関わっていきたい。 p.m.11:20



8/22 由利香女史の来髙、東北遠征、子供達の帰省など、慌ただしく暑い夏が過ぎて行く。これで良いのかと自問しながら、「今が最高。」 「これ以上の事はない。」 「あまり欲張らない。」 と思い続けている。

 8/27は、山仲間達が、一週間遅れで、私の還暦山行を企画してくれていた。歳を重ねれば必ず迎える日。それほど珍しくもなく、祝ってもらう程のものでもない。日頃は、「歳だ!歳だ!」 と言ったり、あちこちの不都合から、嘆きを重ねているのであるが、心の底では、「まだ、まだ。」 「もうちょっと。」 などと、しきりに抵抗心が働いている。

 でも、そのように、私の事を思ってくれる仲間達の心遣いに、手を合わせて感謝しなければならない。山を、ちょっと早く始めただけで、教える技量もない。まだ足手纏いになる事の方が多いのに、何かに付け、大事にしてくれる。

 その祝が、引退勧告のようなものなら、ちょっぴり辛い。愛嬌のある仲間達は、そのような事を肴にして、またワイワイと歩き回ろうとしていてくれるのなら、実に嬉しい。それもこれも、平生往生かもしれないし、自ずとその答えは出て来るのであろう。

 その還暦山行の企画は、日にち以外、私には一切届いていない。行き先も人員もである。それ程までに、私の驚きを誘う企画であったのかもしれないが、突然重鎮の「北ちゃん」の都合が悪くなってしまった。「楽しみにしていただけに、残念でなりません。」 と届いたメールに、「それは、何時であってもいいのです。何もかもが整った時にお願いします。」 と返事を送っておいた。
 

8/21 明日から屋久島に出掛ける娘夫婦が、リックと雨具を貸して欲しいという。大は小を兼ねるからと、私が通常使っているリックを二つ貸した。雨具は、この度のお祝いにもらった物を使うように言ったのであるが、やはり、それは使いにくいのであろうか断られた。

 私は、屋久島に行った事がないから分からないのであるが、縄文杉を見に行くのがメーンであって、山に興味がないだけに、宮之浦岳は関係ないらしい。それでも、地質などの興味があるのであろうか、ガイドを付けると言っていた。

 屋久島に行くのなら、私も行きたかったなどと、「山ノ神」は悔しがっていたが、「元気で長生きしていれば、その内行けるよ!」 と慰めてやるしかない。11月には結婚30年になる。「その祝に、旅行をプレゼントするよ。その時行ったら・・・」 と、午前に「はくたか」で、帰京して行ったが、そうそう、甘えてばかりもおられまい。



8/20 昨夜は、いや、未明の3時頃まで、飲み続けていたようなので、起こすのを躊躇ってしまった。娘は、友人との約束があり、息子は帰阪する中で、ムコ殿だけを残して、我々だけが山に行くわけにはいかない。

 イヤとは言わぬムコ殿を、山に誘うにあたり、楽で展望が良い白馬・八方池を考えていたのであるが、出掛けるには、ちょっと遅すぎた。ならばと、出掛けたのは、真夏の昼間には適さぬ「中山」である。救いは、距離が短いだけ。

 登山口発午後0時20分であったが、荷を担がせなかっただけに、1時間20分で登る事が出来た。剱岳上部は、ガスに覆われて、その雄大さを、実感出来なかったであろうが、その他の展望は、まずまずであり、何よりも、冷たいビールを差し出した時の表情は、実に、にこやかであった。

   「これほど美味しい物はない。」 「山ノ神」と同じというもの。私は、運転手兼ガイド役であるから、その美味しい物を飲むわけにはいかず、カップ麺とコーヒーで我慢である。そのコンロにも、ムコ殿は、興味津々であった。

 「来夏は、一緒に山に行こう。」 「始めから、そのような計画で・・」 などと言いながら、小糸側から下山したが、満更でもないような気がしたが、それは、欲目というものか? まず、「娘が、ウンと言うハズがないか!」 でも、猿飛峡や祖母谷温泉までの歩きは、軽装とはいえ、私より速いのであるから、その気になってくれれば・・・



8/19 娘は、殊の外、黒部峡谷鉄道がお気に入り。今春、黒薙まで、出掛けた時の印象が良かったのかもしれない。山はイヤ。でも、ムコ殿をトロッコに乗せたかったのかもしれない。
 午前11時6分宇奈月発のトロッコで出掛け、3時間半程の欅平滞在になったのであるが、猿飛峡や祖母谷温泉まで出掛けたのである。もちろん、入浴もしたのであるから、目一杯の行程である。ヘルメットを被ったり、祖父谷温泉からの帰路、雨にも見舞われたのであるから、相当の想い出になるハズである。

 今夜は、息子も加わり、正式のお祝いとなる。(息子は、明日帰阪するので、一日早いバースデーとなる。) 事前の情報では、「ゴアテックスの赤い雨具」が、お祝いの品と聞き及んでいたが、開けてみると、バートンオレンジで、私のザックとよく似た色であった。息子にもその幾分かの負担を科せたらしいが、品選びは、娘夫婦が、カモシカ本店で選んだものらしい。

 山の事は、さっぱり分からないのに、お祝いなら山用具を強請るだけに、苦労を掛けてしまっている。この夜も、良い気分であったが、息子・ムコ殿の酒の強さには付いていけず、またまた、お先に失礼となってしまった。



8/18 9連休の娘夫婦がやって来た。前半は、私の誕生日を祝うためで、後半は、屋久島へ出掛けるようである。長男も、その祝のために、緊急招集を食らったようであるが、二男は音沙汰なしである。「山ノ神」は、その祝に託けて、山行を提案していたようであるが、悉く拒否されたようであった。

 娘は、黒部のトロッコか、黒四ダムを、皆で行く事を提案していたのであるが、息子は、友達との付き合いがあるのか、街中へ消えて行ったようである。ムコ殿は、細い身体に似つず、お酒が強い。こちらが、早々にギブアップし、明日の欅平行きを約して、床に入った。



8/17 午前1時半に自宅に戻った。高速料金深夜割引を考え、魚津IC午前0時過ぎの予定であったから、40分位遅れた感じになった。その分だけ、仕事の事を考えると、冷たいビールが飲めなかった事になる。
 午前2時半過ぎに寝て、5時半過ぎに起きたから、一日中眠たかった。座ると、すぐウトウトしてしまうので、意識的に動いていた。流石の私も、夜遅くまで起きておれなかった。

 (交通費42,000円 観光2,000円 食費・雑費12,000円)



8/16 視界の悪い中、午前5時半、栗駒山に向かった。須川温泉・大日湯(露天風呂)の横から登って行くのであるが、幾つかの構築物があり、何だか、これであっているのかと、足が止まったりするが、その内、名残ヶ原に着く。
 自然観察路の分岐を過ぎ、地獄谷を横目に見て、昭和湖に行く。ガスが切れ、パーッと広がる視界に、蒼い湖面が何となくいい。昭和19年の爆発で出来た火口湖だそうだ。

 朝が早い所為か、あまり良くないお天気の所為か、登山者がいない。「稜線へは、あと40分だ。」 と言って「山ノ神」を励ます。次第に、葉っぱに付いた露で、ズボンが濡れ出す。稜線(天狗平)に出ると、風が強まる。山頂から降りて来た「登山者が凄い風ですよ。」 と言って去って行く。その登山者の言う通り台風並みの強風であり、「山ノ神」が怖がって立ち止まってしまう。右側が切れている所など、ビビって握る手にも力が入ってしまう。

 「もっと良いハズの山なのに・・」 と思っても仕方がない。山頂での記念写真もままならない。食事をする事も出来ず、今度は、産沼側(自然観察路)に降りる。降りるに従い風雨がなくなる。「いい山なのに・・」 「きっと、紅葉はきれいだよ。」 などと、山頂からの展望を楽しめなかった悔しさからの言葉をお互い連発となる。

 地獄があるからであろうか、「三途の川」 があった。特別の川でもなかったが、ネーミングに面白さを感じた。名残ヶ原に戻った頃から、登山者が増えてきた。帰路は、賽の碩を回って、県境登山口に戻った。

 4~5日ぶりに風呂に入った。お湯に浸かっただけで、疲れが取れた気がした。秋田駒ヶ岳も栗駒山も、お天気に恵まれなかったが、「山頂に立てただけでも、良しとしなければ・・」 などと、目を瞑りながら、東北遠征を振り返っていると、ポツリポツリと雨が降って来た。山頂待機も考えたのであるが、結果オーライになったようである。

 「時間があれば観光も・・」 の約束が有り、平泉の中尊寺に行く事になった。お盆と人気も手伝って、街中は渋滞。駐車場も混雑していた。しかし、こんな事でもないと、来られる所でもないので、じっと我慢をする。「金色堂」 以外は、人々で、やっぱり疲れてしまった。

 その後がいけなかった。高速代をケチるために、一関~泉間の4号線を走った。所々渋滞で、時間を要してしまったが、それはそれで、町名(地名)を覚えるには良かったかもしれない。



8/15 登るには、つまらない山かもしれないが、私にしてみれば、八幡平は、予想通りの山であった。山中の道路を走りながら、昔の賢人達は、如何様に登った(歩いた)のだろうかと思ってしまう。また、石畳と木道を歩きながら、久弥氏が登った頃は、もっともっと、自然を、そのままに感じていたのだろうと・・・

 時間が早かったからであろうか、八幡沼を周遊していても、二組しか擦れ違わなかった。終焉を迎えているニッコウキスゲの他に、色の濃いギボウシ(別名があるのかもしれない)ばかりが目に映った。しかし、おかしなもので、そのギボウシばかりに、カメラを向けていた。
 沼の辺で佇んだり、木道をゆっくり歩いておれば、八幡平の良さが分かるというもの。しかし、最高点には櫓があるものの、展望が利かなければ、その良さなど分からない所。

 八幡平を程々にして、秋田側の田沢湖方面に車を急がせた。秋田駒ヶ岳へは、「アルパこまくさ」 という大きな駐車場から、マイカー規制のためシャトルバスに乗り換えなければならない。ケチケチ山旅の我々には、往復2400円(一人1200円)のバス代は痛い。8/19までだから、余計に利いてしまった。

 規制がある間は、「お花がきれい。」 と思ったのであるが、今夏は、多くの山で、素晴らしい花達との遭遇を経験しているからであろうか、その驚きは少ないどころか、ちょっぴり寂しかった。それは、もう既に機会を逸していたのかもしれない。また、天候的にも恵まれず、焼森・横岳辺りからガスの中、しかも阿弥陀池避難小屋から山頂(男女岳)への方向さえ間違いそうになったほどであったから・・・・

 山頂では、風が強く、三脚を立てるのにさえ、戸惑ったほどであり、記念の写真を撮って、そそくさと降ってしまったのであった。帰路は、片倉側へ進路を取ったのであるが、高度を下げると、視界は、まずまず・・・・・大きなシシウドばかりで、その登山道辺りが白くなっているほど・・・・・

 本来なら、八幡平は、昨日の内に終了しており、秋田駒ヶ岳と、森吉山か乳頭山のいずれかに、登る予定であったが、ずれ込んだものはしょうがない。
 その先は、盛岡から一関まで高速を使い、翌日の栗駒山の登山口である須川温泉まで行くハズであったが、地図を見ていた「山ノ神」が、角館・大曲・横手経由を提案するにも、地理不案内の私は、否応なし(即座)にOKを出す。しかし、カーナビがなく、古い道路地図を使用している我々は、今般行われた市町村合併による道路標識の変更には、何度も悩まされてしまった。

 まるっきり反対方面から入った須川温泉入りは、もう既に暗くなってしまっていた。こんな時は、車の中で寝られないのが辛いのである。仕舞いには、ちょっと下がった小さな駐車場に、マットを引いて、取りあえず、空腹を満たした。と言っても、まずは一杯であった。今にも雨が降りそうな空模様であったが、テントを組み立てては、言い訳にならぬと、そのままマットの上で、休憩という形で眠る事にしたが、風も吹き、たまにはポツリと来る状態では、なかなか思うようにならなかったが、それでも、時間は過ぎていった。



8/14 ビールばかり飲んで、あまり食べなかった所為か、目覚めは良くなく、頭も何となく可笑しかった。予定より30分遅い午前5時半発となったが、歩く事においては、周りを歩く人達に比べて遜色はない。

 登山口から一合目まで、40~50分を要するという不思議なコース(柳沢コース)。そして、五合目まで2時間半を費やしてしまった。殆どの登山者が、百名山狙いのように見受けられたが、あの暑さで、リタイヤされた方も多かったのではなかろうか・・・

 4時間掛かって辿り着いた八合目避難小屋には、何故か、どっと水が流れていた。簡単な食事をしてからも、その水を、これほどまでに飲めるものかと思うほど飲み続けた。冷たくて美味しい水は、私だけでなく、多くの登山者を元気づけていたようであった。

 東北の山は、もう秋が、そこまで来ているのかもしれないが、それと思う程の花は咲いていなかった。アキノキリンソウとアザミばかりが目立っていた感じであった。

 外輪を一周しながら、「火口のある山を、幾つ登ったろうか?」 と言う「山ノ神」に応えて指を折ってみたが、よく分からなかった。昨日登った「姫神山」、明日登る予定の「八幡平」が、微かに眺められる程度で、展望そのものは良くなかった。しかし、ガスに覆われたかと思っても、その内、また青空が広がる不思議なお天気であったが、暑さだけは、山の上と言えども凄かった。

 下山路は、旧道を降りてみたが、火山の山、そのものを降りた感じで、岩手山を、より多く分かったような気がした。
 予定としては、この日の内に、八幡平を登り、田沢湖畔まで行くつもりあったが、意外なほどに時間を要してしまい、前日と同じ馬返しキャンプ場に泊まる事にし、片付けたテントを再び張り、ビールを仕入れに、街に車を走らせた。



8/13 睡魔との戦いが伴う夜の運転は、どちらかというと苦手!でも、「あの山もこの山も」 と、ちょっぴり欲張りな私(達)は、午後10時に高岡を出発した。案の定、その睡魔に襲われては、サービスエリアや、パーキングに避難しなければならず、その回数は10回を超えた。しかし、東北道・滝沢ICで降りて、「姫神山」一本杉登山口に着いたのは、最悪予定よりも、1時間余早く、午前8時半過ぎであった。(730キロ)

 一日目にも何処か登りたい故に選んだ山が、片道1時間半から2時間程の「二百名山・姫神山」。一本杉と急階段(ざんげ坂)なるものだけで、特別特徴のある山に見えなかったのであるが、森林限界を飛び出した山頂には、素晴らしい展望が待っていた。

 やはり、山は登ってみなければ分からないし、山頂には、その都度喜びがある。明日登る 別名・岩手富士の岩手山が、雄大で素晴らしい。そして、今晩泊まる予定の馬返しキャンプ場へ真っ直ぐに延びている道路も見える。岩手山の右手に、八幡平の山並みがある。そのず~っと右手には、七時雨山らしき山が浮かんでいた。牧場らしき上の遠方に見える山は、今回カットした早池峰であった。

 その素晴らしい山頂に、1時間程滞在したが、暑いし眠たいし、早々に下山し、ビールを買ってキャンプ場に向かった。岩手も暑かった。水のように、ビールが喉を通過していった。



8/12 午前中、悩んだ挙げ句に、東北行きの決断をした。「カシミール地図」だけで、ちょっと心持たないが、名山ばかりであるから、何とかなると思っているのだが・・・
 勉強不足だから、楽しみが少なくなるのは仕方がないところである。田沢湖・角館・小岩井農場・中尊寺の観光がどれだけ取り入れられるかも心配である。

 簡単で、短く、楽、そして、遠くへが、充分加味されているのであるから、「山ノ神」はルンルンである。私は、勉強不足を懸念しているのに、「山ノ神」は、何とかなるのではと、まるで他人事のよう・・・
 「はやく・・」 と言うと、また喧嘩になる。 p.m.6:50



8/11 早朝、山口の涼子女史から、「今、飛騨にいる。」 というメールが届いた。師と仰いでいた方の突然の死から、メールが滞りがちで、ちょっと心配であったが、木戸川打込谷入り、14日には、笠ヶ岳に登るとの事、細くて小柄な身体でも、心が強いだけに、立ち直ってくれたものと安心している。

 夜は、千葉の川久保氏から、北アの真ん中を抜ける計画は、夜行列車の運休で、中止にするとの連絡があった。「東北に行くのなら、何処かで会えるのでは・・」 の電話であったが、我が家の計画は、未だに決まっておらず、「分からない」 との返事しか出来なかった。

 皆、それぞれの思いがある。実行出来るか否かであるが、「どちらが、良いとも言い切れない。」 しかし、時には、思い切りも必要な気もする。風貌は変われども、ず~っと、若い気でありたいから・・・・ p.m10:50



8/10 早いもので、”休養宣言” をして、4週間になる。残りあと10日間になってしまったのであるが、休日は山、そして、諸会合、その上、毎晩飲んでおれば、次の構想など、思い浮かぶハズもない。そして、言い訳になるが、連日の暑さにも負けてしまっている。

 「どうしたものだ!」 「格好が悪いから閉鎖か・・」 いやいや、”休養”と述べながら、流れに負けて、ちょっとちょっと更新している小者であるから、大それた事も出来るハズもなく、多くの方々も、それを望んでいる事もなかろう。

 「ずる~い」 考えが、また脳裏を過ぎる。休養の間の更新は、”ずぼら”でいいのだ。
 「ロゴ」作成も、高度のソフトでもなく、「ワード」で作るのであるから、見栄えの良いわけがない。文章は「メモ帳」、サーバーへの転送は、「FTPソフト」なのだから、原始的と言えばよいのか、それとも、拘りの一念だけで、やっているのかもしれない。思い出した「ローカル色を出すには、これが一番。」 と言い続けて来たではないか・・・・  p.m.10:35



8/9 13日からの盆休を利用した山行計画は全く白紙である。3日間の日程で、東北に出掛け、3座を登って来るのは、考えただけでも、「だやい!」 と思ってしまう。もう一日延ばしてみても、欲張りな私は、1座増やしてしまう。

 岩手山・八幡平・早池峰・秋田駒ヶ岳・姫神山・森吉山などを候補に上げてみたが、北海道・東北北部は、必ずしもお天気が良くない。そして、「眠たい。眠たい。」 と言いながらの運転は、それこそ、「車での遭難」 に繋がり、何となく怖い!

 自ずと、地元・北アに心が動きつつある。「何処でもいい。」 「必ずしも、ピークを目指さなくてもいい。」 「ゆっくり過ごしたい。」 「ビールをたくさん持って行く。」 など、「山ノ神」との妥協を求めての交渉になると思うが、必ずしも自信がない。「決裂」で、自分勝手の手段も、あるにはあるが、家に戻ってからが怖い。お天気周りも良さそうだし、家からの 「日帰り3日間」 だけは避けたいのである。



8/8 早朝の雨晴海岸、朝食後の金屋町の街並みと、山町の土蔵造りの街並みを「山ノ神」が案内し、午後から私が瑞龍寺拝観に付き合った。甲斐性のない私達であったが、目一杯の山行、楽しい語らいを全面に出し、少々見栄えは悪いかもしれないが、神奈川からやって来てくれた由利香女史へ、心からの歓迎をしたつもりである。

 「何かの縁」が、高岡で再会を果たしました。3年前、「金峰山」の紀行文を読んで頂いたのがきっかけで、昨年11月に丹沢山で、初めてお目に掛かったのでした。「何時かは、北アへ、一度は北陸へ・・」 への思いを、些か強引に招聘した感はあったのですが、迷う彼女へ 「始めの最後かもしれないから・・」 と、「イヤだったら、次に来なければいい。」 「こちらも、イヤだったら、次に誘わない。」 が、結構決断材料になったようでした。

 山の事、HPの事だけで、他の事など話題にも上らない不思議な「山の友」、私達には、妹が出来たような感じである。彼女も、「すっかり高岡が好きになりました。」 「高岡に親戚が出来たような感じです。」 と言って帰って行ったが、「高岡に来る。」 というエネルギーを、いろんな場面で発揮していって欲しいと願うものです。 p.m.9:30



8/7 二晩も、我々に付き合ってくれた上での白山行き。疲れと眠さに、室堂まで行けないかもしれないと、弱気だった由利香女史。しかし、前日とは、また違ったお花を目にしてから、だんだんと元気を取り戻していった。

 ハクサンコザクラとクロユリの群落を見せてあげたい一心だったのに、一週間(8日間)の日にちは、これほどまでに違うのかと思わせるほど、終焉を迎えようとしていたのであるが、それでも彼女は、その名残を、殊の外喜んでくれたのである。それは、ハクサンフウロが、所狭しと咲き誇っていたし、イワギキョウも、その青さを、誇っていたかのように感じたからであろうか・・・

 「今度、いつ、来られるか分からないよ!」 の私の一言が、利いたのか分からないが、青空が広がって行く中、山頂を目指す事になった。反対に、「山ノ神」が、ビールを片手に室堂待機となる。もしかしたら、「気を利かせた。」 のかもしれない????

 下山時は、女性二人が殊の外元気で、走るように降りて行く。その余勢を駆って、ドボンと露天風呂に浸かり 「早く冷たいビールを飲もう!」 と高速を使った。最後の晩餐と銘打って、3日目の宴となったのであるが、日が経つのが、本当に早く感じてしまった。



8/6 室堂山から浄土山経て、一ノ越に至っただけでも、お花の多さに感激する由利香女史。一週間前に、南アの仙丈ヶ岳に行って来ている彼女は、「問題にならないよ!」 と、北ア立山に軍配を上げてくれた。

 一ノ越から雄山への行列が出来るくらいの人の多さに、ちょっとビックリしていたようであるが、大汝山辺りで黒四ダム(黒部湖)を見下ろした時は、残雪の多さの感激と共に、「わ~っ」と、はしゃいでいた。

 富士ノ折立から真砂岳付近では、「まるでヨーロッパの山のよう。」 だとまで言っていた。そして、真砂岳山頂から降りて、しばらくした所で、称名・大日岳を経由して来た「北ちゃん」との遭遇に 「HP上でしか拝見した事のない人に遭えて・・」 と「好山病・・」のメンバーに遭えてラッキーだとまで言っていた。

 地獄谷を経由して、室堂に達したのであるが、そのスケールの大きさに、ビックリそのものであった。疲れていたであろうに、雷鳥平から、40分で室堂に戻る事が出来、午後5時のバスに間に合ったのである。

 その夜も、我が家に戻り、祝杯をあげたのであるが、お花・山並み・残雪の何もかもに感嘆し続けていた彼女であったが、雷雨のオマケまで付いた立山は、絶対に忘れられない想い出になったハズである。



8/5 今日も暑い日であった。明日は、何とか「晴れマーク」が出たが、ちょっぴり雷雨が心配である。富山が初めての客人に、立山の素晴らしさを見せてあげたいのであるが、神頼みになってしまいそうである。先んず今夜は、その歓迎をしなければ・・・・ p.m.7:00



8/4 先月の中旬、折立で同席した”若い衆”の突然の来訪があった。42年間続いている同級生による月一の会場を引き受けていただけに、ちょっとビックリ!その会合の集まりが悪く流会となって、”若い衆”との宴となったのであるが、私には、何が何だか分からない不思議な時間を過ごした事になった。

 食材まで用意しての来訪であったから、もしかしたら、「山ノ神」との打ち合わせがあったのかもしれないが、必ずしも、そうでもなかったようにも感じられた。人を寄せる事が好きな我々であるが、”若い衆”と語り合うとなると、相当のエネルギーがいる。同じ事ばかり言っているわけにもいかないし、ましてや、若い衆の名さえ、よく知らない程であったから・・・・

 そして、酒が強い。これには参る。好きなのと強いのとでは、わけが違う。彼らは、いったい何者のなのか? でも、人はいい。海や山で食材を調達して宴を催しているようであるが、どうも、それが頻繁に行われているようである。不思議な”若い衆”である。今まで私の前に現れた事のない人種である。 「では、また。」 と、タクシーに乗って去って行った。



8/3 急激に暑くなった今夏に、些か参っている。エアコンのない、そして、ナマクラだから、扇風機も出さない部屋で、寝ているものだから、寝ているような寝ていないような日が続く。山行の疲れが、ようやく、次の山行の前日くらいに取れる感じの「山ノ神」にすれば、ず~っと、疲れているようである。だから、長い行程の山行だと、必ず 「え~っ」 となる。

 それにしても、6月中旬の朝日岳以降、ず~っと、「山ノ神」と二人だけの山行が続いている。意識したものではなく、日程が合わなかっただけの事。もう一つは、予報が悪く、前夜まで、行き先が決まらず、誘いにくく、誘われにくかったものだと認識している。

 これだけ、仲間と歩かないと、人が恋しくなる。今度の連休(6・7日)は、由利香女史が、来髙の予定で、久しぶりの同行者となってくれる。しかし、「好山病・・」の諸氏とは、8月末まで、その機会は巡って来ないようである。



8/2 富山は全国一の暑さ38・5℃(高岡は37・5℃)。フェーン現象だから湿気がなかったが、それでも、外に出れば、午前中から汗がタラタラだった。富山に接近するのは、明日の夕方以降の様子であるが、大きく心配する事がなくなりつつあり、胸を撫で下ろしている。

 このような自然現象の中の山行は、注意に注意を重ねなければ、取り返しのつかない落とし穴がある。「台風一過」 とか、良い事ばかりに目が向いてしまうが、局地的な豪雨、それに伴う増水・崩落、想像も出来ないような烈風、そして、落雷である。私も九死に一生を得た事がある。思い返すだけでも身震いがする。恐ろしかった。



8/1 やっと梅雨明けである。そして、今年初めての猛暑日となった。このところの休日は、好天に見放されていただけに、今後に期待するものであるが、台風5号という厄介なものが出て来た。大きな台風らしいが、予想通りに進行すれば、何だか、こっちの方に向かって来るイヤな感じである。しかし、休日前に抜ければ、「台風一過」 の言葉通り好天がやって来るはず・・・・

 その休日に、神奈川から、由利香女史がやって来る。北陸は、初めてのようであるが、立山・白山を満喫してもらいたいと思っている。