9/30 「何が何でも行く。」 一日中、雨のハラハラするお天気であったが、「北ちゃん」の「好山病・・」 の原点であるような決行宣言に、胸の中は晴れた。明日は、山頂よりは、皆との再会がメーンである。

 今朝の高岡の最低気温は16℃。もしかしたら、高所の稜線は雪を見たかもしれない。一万尺から、500~600mも低い毛勝山では、そのような事はないであろうが、地形その他の違いから、決め付ける事は出来ない。もう雪が来ても可笑しくない時期なのであるから・・・・ p.m.10:40



9/29 「う~ん」 予報が必ずしも良くない。折角、久しぶりに仲間と会えるのに・・



9/28 このところ、面白いくらいにメールが届く。「ちょっと弱ったのでは・・」 「何を考えているのか・・」 などと元気づけ、ご機嫌伺い的なもの。一方は、情報の入手・提供。各人一年に何度かのメールが、一度に重なったような感じである。

 特別の山に登っているわけでもないし特別の人間でもないのに、本当に感謝しなければならない。これも、長くHPをやっているお陰なのであろう。それこそ、特別の情報提供もないのに、面白い事を綴るわけでもないのに・・である。

 もう一つ、山に興味があるのかどうか分からないが、山に登らない人が、私のHPを見ていてくれているいう事である。それが、一人や二人でないから分からない。数年前、母の介護の合間や、デーサービスに預けている間に、牛岳を始めとする近郷の低山を題材としていた頃、それが良いと言われた事があった。

 険しい山の事など分からない。「どのようなプロセスで、山に行くかの方が、余程興味がある。」 であった。世の中、それぞれの考え方もあり、環境も違う。また、その時その時で、思いが違うのが本当。何が良くて、何が悪いなどはわからない。好きなものは好きなのである。 p.m.10:45



9/27 元々、涙もろい方なのであるが、テレビ・ラジオの感動場面、また、それが書物であっても、ほろっとしてしまう。最近は、目に涙がいっぱい溜まり、恥ずかしいくらいである。でも、それは、感受性が強く、素直(純情)なのだと、自分に言い聞かせている。

 久しぶりの再会には、強く手を握りしめる。仲間と山頂に辿り着けば固く握手をする。先日、親友の夫人に抱きついてしまった。(ハグ) 山の延長線上でもないのに、あまりの嬉しさに・・・親友は苦笑いをしていた。

 真面目・堅い人間・気難しい・面白くない・頑固などと形容される私が、余程感激したか、ボケたかのどちらかであろう。もしかしたら、後者の方に近いかもしれない。でも、少しは人間らしくなったのかもしれない。

 嬉しかったら嬉しい。悲しかったら悲しいと言える自分でありたい。そして、「粋」でありたい。でも、その域には、まだまだ修行が足りない。



9/26 一昨年の10月中旬に買った登山靴(使用開始は11月から)のソールが減ってしまった。只でさえ、大きく急な段差を苦手にしているのに、余計に滑るのは、やはり靴底の所為なのかもしれない。「自分のしたい事には、ケチるな!」 「後悔する事にならないように!」 山を始めた頃、今は亡き母が、私に何度も言ったことである。趣味だけでなく、命に関わりような事なら尚更かもしれない。

 靴の寿命は、100回5年、ハードなら、60回3年と聞いている。ソールを張り替えれば、しばらくは大丈夫であろうが、その張り替え時期が、問題なのである。「休みはない。」 のであるから、捨てきれなかった登山靴のソールのメジを見比べながらの使用となり、その修理期間を凌ぐ事になりそうである。

 プラスチックブーツも、かなり傷んできている。修理が出来るか専門家にみてもらわないと判断ができないが、どちらにしても費用が嵩む。何かを削らなければ、私の山行に支障が出る。「飲まなくても山に行きたい。」 「山ノ神」が承知してくれるであろうか・・・・



9/25 大きな段差の下りが、だんだん苦手になってきているからであろうか、それとも、一昨日の運動会で、予定もしていない3競技に、走ったからであろうか、久々に太腿だけでなく、身体中が痛い。

 「こんなハズがない。」 と認めようとしなかった自分が懐かしい。今は、尚更のように申告して、哀れみ・同情を買おうとしている。情けない話である。

小咄を一つ

 中高年グループに、シャッター切りを頼まれて・・・「だんな、ここからでは、上半身しか入りませんけれど・・」 「それでいいんだ。下半身には、もう用がないんだ。???」

 p.m.11:59



9/24 「大猫山~猫又山を通しで歩いてみたい。(無雪期)」 「大猫山登頂50回を目指す者として、その1回としたい。」 「早く猫又山10回登りたい。」 など戯けた事かもしれないが、私にとっては大切な目標。

 ポイントを稼ぐ、そんな日がやって来た。お天気はどうでも良かった。しかし、もしかしたら、と思わせるように、時々、剱岳が現れるようなお天気であったが、長続きしなかった。

 「山ノ神」の飲むビールが無いから、フル装備とは言えないかもしれないが、コンロ・三脚など一様な物を担いで、大猫山まで3時間であった。慌てず急がずにしては、上出来であったに思う。

 M氏(宮村氏)から、大猫山・猫又山間、開通のお知らせを頂きながら、なかなかその機会に恵まれなかったが、「山ノ神」別行動の雰囲気を掴んだ頃から、この日を狙っていたのである。でも、一応、誘ってはおいたのであるから、大手を振っての山行となった。

 大猫山頂でお会いした富山の北野氏(お連れが一人あり)と共に、猫又山に向かったのであるが、大展望であるはずの稜線漫歩は、始めこそ剱岳が見え隠れしていたのであるが、後は、厚い雲に覆われてしまった。

 後を気にしながらの歩きでも、2時間掛からずして、猫又山に到着したのであるが、猫又山は初めてと言われる北野氏は、ガスに覆われていても、カール付近の雰囲気を察知してか、「何と良いところですね。」 と言っておられた。ぽつりと来ていた雨が、ブナクラ峠を過ぎてから、雨具を着るような雨に変わった。



9/23 午前11時過ぎ、住民運動会を覗きに行ったら、午前最後に町内対抗リレーの予選が組まれていた。メンバーが集まらず、我が町内は、棄権する事になっていたハズであったが、私の顔を見付けるなり、急遽出る事になった。

 内容は必ずしも正確に掌握していないが、20・30・40代の男子に、20・30代の女子で構成するチームである。町内会長という事で、担ぎ上げようとしたのであろうが、山は毎週のように登っていても、走る事の実績もないし、あの静脈留の手術以降、20~30mも、走った事がなかっただけに、流石の私も拒み続けた。

 面白がられたのであろうが、周りの雰囲気も呑んで、渋々走る事にしたのであるが、第三走者の私の対戦相手は、まるで私の子供のような年齢の若者ばかりであった。

 100m先の我がチームの次ランナーに、バトンを渡す事が出来るであろうか、転ばないで、ケガしないで走り通す事が出来るであろうか、ばかりを考えていたが、幸いにも、一走・二走が終始どん尻であっただけに、我が心は落ち着いたからか、転ばずに、その役目を終える事が出来た。

 久しぶりの運動会、違った筋肉を使い、それなりに、快い疲れを覚えたが、やはり明日のお天気と共に、その筋肉痛が、山行に影響を及ぼさなければ良いがと思うのである。 p.m.11:20



9/22 ず~っと、雨なんか降らない予報であったのに、ちょっと暗くなったと思ったら、雨が降ってきた。大降りではなかったが、西部北には、大雨警報まで出たようである。明日は、平米校下住民運動会であり、町内の世話する者にとっては、ちょっと気になるところである。仕事の切れ間・合間を縫って、応援がてら、会場に出向かなければならないと思っているが、なかなかの負担である。

 しかし、雨になって、順延になろうものなら、翌月曜は、何が何でも、一日中運動会に付き合わなければなるまい。ならば、仕事に支障があってでも、予定通り運動会が決行された方が、気分が良いになる。



9/21 ここへ来ても(この歳になっても)、「人生とはなんぞや?」 である。正しく不可解なり。欲を捨て、プライドを無くし、たがが緩まなければ良いのであろうが、そんな事が出来るわけがない。欲は程々に、大した事のないプライドに拘らず、ルールを守っていけば、まずまずなのであろうか・・・・

 自慢話をし、他人の悪口を言っておれば気分は良いだろうが、ひっくり返して考えてみれば、これほど情けない事はない。こんなでは、人は寄りつかないどころか去って行く。酒を飲んで、一時の憂さが晴れても、虚しさだけが残り、尚更、落ち込んでいくのではなかろうか! 

 それでは、やはりクタクタになるまで、歩き続けては如何か・・・・しかし、どんなに疲れても、何も考えない事など無いし、「何で・・」などと、恨み辛みが増すこともある。でもである。大自然の中で、長い時を過ごすと、自分の小ささや弱さを、ヒシヒシと感じる事があり、その行程を顧みるに、その凄さに驚く事もある。

 本当は、悩める人の話を聞いてくれる人こそ素晴らしい。そんな事が出来る人は、世には少ないのであろう。また、飲む酒は、全て楽しいものでありたい。



9/20 ベンチャラであろうが、「元さんとこは、奥さんが一緒でいいですね!」 と良く言われる。「うちも、何とか、一緒したのですが・・なかなか・・」 とも聞く。自分の趣味に無理矢理誘うからなのか、それとも配慮が足らないからか分からないが、「そんなの、どうでも良いじゃない。」 と言いたくなる。絶対思い通りにはならないのだから・・・

 世の中、全て無いもの強請り。四六時中、喧嘩をしているのなら、自分勝手に歩いていたり、気のあった仲間と一緒の方が楽しいに決まっている。しかし、如何に高い所に登ろうが、険しい所に出掛けようが、家中での話題としては、長続きしない。その点、一番長く一緒にいる女房と、想い出を共有する事に意義はある。

 他のご婦人方には、出された食材に「美味しいね!」 歩く姿にも「元気だね!」 「若いね!」 などと、何処から途もなく「世辞」 も出て、「蝶よ花よ!」 になる。我が女房殿には、喉に支えて、なかなか発する事が出来ない。そして、行程の半分以上が、無言・喧嘩が当たり前・・・・ムムム・・・しかし、イヤな一言を発しても、他人と違い、普通なら修正が効く。その点は、良しとしなければ・・・・・

 「夫が、山に一緒に行くようになる方法」 の問いには・・・どのように答えれば良いのか分からない。「連れて来なくてよい。」 では、尚更、顰蹙を買うかも・・・・



9/19 「山は、お金が掛からないからいいね!」 と言われる事がある。我々が、「マラソンや水泳は、パンツ一つだから・・」 と思うのと同じなのかもしれない。でも、それを極める(のめり込む)と、そうはいかなくなる。安全・軽量・便利性・見栄えなど、お金を掛けようものならキリがない。
 頻度・難易度、そして、体力によっても違う。雪・岩・沢など、ジャンルによっても違うし、名山狙いになると、それはそれは、大変である。
 しかし、自分の年齢・体力・環境を、充分に加味し、少しずつ、そして、決して驕らず、謙虚ならば、いつまでも、楽しめるスポーツであると思う。そして、用具に愛着を持って接すれば、その寿命も自ずと延びるものである。流行も良いが、少しの煩わしさや重さなどの不便を、お金で解決するのも一つであるが、なければ、体力と気力、そして、「想い出・愛着」の名を取って、使用するしかないであろう。

 行きたくても余裕がなければ、高速を捨て、下道を走ればいい。ダートの道に入れなければ、そこから歩けばいい。ならば、少し早起きして、早く家を出ればいい。そして、「あれもこれも・・」 を我慢すれば何とかなる。



9/18 日・月の連休は、結果的には泊まり掛けで、何処かに出掛けられたかもしれないが、「哲ちゃんに会えた。」 「シュンちゃん・筏井夫妻と山に行けた。」 「夜遅くまで飲めた。」 など、楽しい事もあったので、「それなりの連休」 としては、○印を付けなければなるまい。

 只、2日間とも、明るい内に下山どころか、家に戻ってもまだ明るい。こんなに健全な山行など、私には似つかなく、ライフスタイルが崩れそうになった。「家に帰っても何かが出来る。」 は、「丸一日遊ぶ。」 には適わないのである。

 このところ、「好山病・・」が話題とされる事が多い。多分、直接述べられていないメールでも「心配」して頂いているみたいである。「偶然が重なり、全員集合の機会がないだけ・・」 それが本当の事であり、他のメンバーは、結構少人数で出掛けているのです。

 「では、お前は・・」 になるが、休日の違いが、もろに出たのと、メンバーの実力アップ、そして、各々の「テーマをもっての夏」 であった事ではないかと思っている。もしかしたら、”抗争” に、声も掛けられないほど、呆れられていた事も、考えられるかもしれない。

 「好山病・・」の絆は半端じゃない。あのニコニコした顔を忘れた事もない。今度あったら、思い切り手を握りしめたい。私は未だ歩けるから・・・



9/17 この頃の私は、人様には、”精彩なく映るのであろうか”、「雨でも良いから、何処かへ一緒に・・」 の声を、「シュンちゃん」が掛けていてくれた。ところが、その「シュンちゃん」・・・前日より高岡入り・・・筏井氏も伴って・・少しだけ早く帰った筏井氏であったが・・・午前3時まで飲み続けてしまった。 (何時から飲み始めたか? それは・・・)

 飲み続ける毎に、時間が経過する毎に、行き先がトーンダウン・・・結局は、奈良岳を目指している上総の哲ちゃんの帰りを、「赤摩木古山で、待ち構えて驚かす!」 という軟弱な山行に予定変更となってしまった。「上総の哲ちゃんに会いたい。」 「何処でも良いから一緒に歩けたら良い。」 をミックスしたものとなったのである。

 大門山へは、シュンちゃんと筏井氏が、分岐で待機。絹子さんと「山ノ神」と私の3人だけが、山頂を踏んだのであるが、戻ると、「早、戻って来たのか?」 などと、昨夜の後遺症に悩まされている姿がありありと窺えた。

 6~9時間も飲んでいたし、その量も桁外れであるから、山なんかどうでもよかったハズ。でも、「やっぱり山が好き!」 どうしようもないバカの集まりは、赤摩木古山で待機を決め込んだのであるが、雨となったのである。

 「今に止むよ!」 と言っていたのであるが、1時間半、風が伴う雨の中で、ひたすら哲ちゃんを待ち続けたのである。その雨の中でも、飲まなくちゃならぬと、独り気勢をあげていたのは、やはり「山ノ神」。

 哲ちゃんが戻って来た頃は、雨が上がって、大笠山や笈ヶ岳がくっきりと見え、その威厳を漂わせていた。今日は、それだけで良かった。山の空気を胸一杯に吸い、そして、山仲間との再会を果たせたのであるから・・・



9/16 昨夜は、予報と空を眺めながらも結論が出ず、行き先を今朝に持ち越した。「山ノ神」と大猫山・猫又山へとなると、相当早く出発しなければならないと思っていただけに、目が覚めた時点では、諦めざるを得なかった。「雨降る前に、山頂まで・・」 でと、「山ノ神」を急かしたが、我が家発は、午前6時ちょっぴり前であった。

 「降るのかな?」 「降らないのかな?」 と空を見上げながら、だんだんと、大猫・猫又でも良かったのではなどと、良からぬ思いが脳裏を掠めたが、言ってしまえば、また長い抗争が始まりかねない。

 人形山のてっぺんに、人影を見た。何と上総(千葉)の「哲ちゃん」である。その時点で、何もかもが吹っ切れて、今日の山行は、○となったのである。帰路もず~っと、一緒。登山口では、コーヒーを飲みながら、暫しの山談義となった。

 哲ちゃんは、凄い人。百名山はおろか百高山も踏破。二百名山も三百名山も、残すところ10座ずつだそうである。それよりも凄いのは、1年に10回以上を富山に来ると聞き呆れてしまった。山だけでなく、海も文学も・・何もかもなのであるから・・近寄りがたい。でも、人が良い。だから、皆、彼を大事にするのかもしれない。 p.m.8:05
 

9/15 今、メガミットに興味を持っている。以前、まきちゃんに調べてもらって、モノポールシェルターとも言うらしい。身近な人では、「シュンちゃん」がもっている。“参天”や“ティピー”などの名称で知られる、いわゆる「ポール1本で立ち上がるタープ」です。

 ペグをしっかりと打ち込んでおけば、ポール一本でも意外としっかり立てれそうだが、、逆にペグが打てないところでは使い物にならないのが弱点の様。設営のバリエーションとして、上部に木の枝などがあれば、それに天辺を吊るして張ったりもできるみたいで、利点としては、何といっても、設営場所が狭くても張れることらしい。

 日帰り用としては、靴の履いたままで、雪雨風を凌ぐ事が出来、宴会好きの「好山病・・」や、ハレルヤには打って付けなのである。もちろん入り込む人員に制限があるが、実に頼もしいものだと思っている。しかし、「山ノ神」と二人だけの山行となると、担いでも宴とならないから、その用を足さない事になる。

 キャンプサイトでは、集会場(宴会場)にもなり使い勝手がある。楽しさ便利さもあるが、結局誰が担ぐ、やっぱり自分になって負担が増すだけか・・・・



9/14 年取って、「衰え」とか、「枯れる」 とか、ばかりを考えなくても良いと、あるテレビ番組を見て思った。そして、これからは、「成熟」をテーマに、我が人生を生き抜こうと思った。

 今日は、3人の方に、お便りを出したのであるが、その主旨の事をちょっぴり匂わせておいた。他人に、どのように思われようが、自分の信念を貫き通せば、それも、立派な人生ではないかと思う。しかし、人生とは、なかなか思うようにいかないものである。チョットの事で流されるし、苛立ちも覚える。一人で生きていけないというのも、その辺にあるのではなかろうか・・・

 誉められると嬉しい。年齢に関係なく舞い上がる。誉めてあげる事、認めてあげる事は難しい。その難しい事を、科せてもらえる事は、どんな事なのだろう。それなりに、応えなければいけないのでは・・・ p.m.11:55



9/13 何回も登っている大辻山に、三角点が二つある事に気付いた。「三等三角点」と「主三角点」が、4~5mも離さずにある。こんな事に詳しい「ヨネちゃん」に尋ねたら、次のような返事を送ってくれた。

 「明治時代、国有林の中でも皇室の財産であった森林は、宮内庁御料局というところが管理していました。その他の国有林は、農商務省山林局が主に管轄していました。それぞれの役所は管轄林の管理のため、定期的に森林の面積をはかる測量をしていました。このための基準点として設置されたものが御料局三角点(御料局管轄)、主三角点(山林局管轄)でした」

 いろいろ調べられたのであろう。迷惑をお掛けしてしまった。でも、こんな事は、実に楽しい。分からない事は、率直に伺う。分かる事は出し惜しみしない。これを原点にすれば、益々楽しくなって来る。山に行かなければ、こんな話も出て来ない。 p.m.10:00



9/12 M氏から、大猫山と猫又山が繋がったというお知らせのお葉書を頂いた。M氏からは、駒ヶ岳の時や、北駒ヶ岳の時も、案内図を付けてのお便りを頂いている。最近は、年賀状だけのやりとりになっているが、このような事で、また、お便りが出せるというもの・・・

 M氏とは、早乙女岳の帰路、大熊山でお会いし、大熊谷を降ったのが、最初の出会いである。その後、2回ほど低山でお会いしたが、以後、ず~っと、ご無沙汰である。しかし、多くの山仲間達が、時折、M氏と山中で遭遇する事があり、その消息を窺っている。最近は、地元紙の「読者のひろば」への投稿を、何回か拝見している。名を少し捩ってあるが、M氏と確信している。山への思いは、同じであるからである。 p.m.11:20



9/11 大辻山に向かう途中、ラジオから 「小沢昭一的こころ」 が流れた。小沢昭一氏のちょっとエッチで、しかも古風な言い回しが私は好きである。しかし、日頃は、ラジオから遠ざかっているし、この時間帯には、当然の如く、山中で聞く事も出来ない。

 昨日は、格言・人生訓に付いてであったが、なかなか面白かった。「果報は寝て待て」「棚からボタモチ」 が、「天下りに退職金」、 「泣きっ面に蜂」 が、「年金の払い損」 など、風刺が効いていて思わず笑ってしまった。

 ちょっとメモをと思ったのであるが、身の回りにペンはなく運転中であり、リックの中のペンを出す事が出来なかった。山中を歩いていても、時折、上手い言い回しを思い付いたり、「これは・・」 と思う事もある。

 しかし、悲しいかな! すぐに忘れてしまうのである。なかなかメモ帳に書き留める事も出来ないし、レコーダーのようなものに、録音すれば良いのにと思ったりしたが、忘れるような事であれば、大した事もないのではと、何の手立ても行っていない。

 これからの頼りない私の山行には、チョット先に急ぐより、少し立ち止まって、思い付きを書き留める方が、楽しくて、私なりの山行とする事が出来るのかもしれない。



9/10 内戦の終結をみても、後遺症からか、口数は未だ少ない。空を見ながらも候補はあがらない。ようやく、大辻山と決まって、家を出たのが、午前11時頃であった。雨の大辻山へは、何時しか鳥越峠からが、我が家の定番となっている。

 シトシトかと思っていると、時折、ザーッと降ったのであるが、僅かな山頂滞在時間であったけれど、その時だけは、雨が止んでいた。展望がない山頂であったが、何故か、ホットした一時であった事は間違いない。「今日は、ビールなしだよ!」 「分かった。」 と言っていたハズなのに 「プシューッ」 という音を聞いて、私は呆れた。
 「山にはなくてはならぬもの・・」 私にまでどうかと言って、差し向けるが、イヤな顔をしないわけにはいかなかった。流石に2本までは飲まなかったようだが、怒っても仕方がないと諦めた。

 雨の中は、殆ど喋らなかったが、時折顔を出す山並みへの歓声には、相槌を打たないわけにはいかなかった。そんな中、軸の上に赤く熟したヤマボウシの実が、何故か、カニの目玉のように感じて、自分だけが、小さな秋を見付けたように心を和ませてくれた。

 少し遅い時間(午後4時45分)であったが、ちょっとの期待を込めて高峰山に向かった。危ない物を持たせないためにも、荷は私だけにして、先を急いだ。墨絵のような山並みが見えだしても、大日岳や剱岳の裾野をも確認出来なく残念であった。
 しかし、富山平野方面は明るく、その期待を持たせたのであるが、夕闇が迫り、靄が立ち込めて来たので、半ば諦め、急いで鳥越峠に向かったが、突如とした光景に、二人とも、「わーっ」 と声を上げてしまった。



9/9 またまた明日の予報が良くない。傘マークが並んでしまった。夕方からの凄い雨で、いっぺんに志気が下がってしまった。あわよくは、大猫山・猫又山の周遊を狙っていたのであるが、もう、それも来週以降になるであろう。「全国的に雨。」 これでは、流石の「山ノ神」も、「晴れる所へ」などと言う事もないであろう。明日起きて、それから考えても、充分に間に合う山にしか行けないであろう。 p.m.9:15



9/8 私は、当欄で、よく「歳の所為」「歳だから・・」 などの言葉を使ってしまう。しかし、このHPを見て下さる中には、私より年上の方々が、結構おられる事を承知している。それを思うと、「ちょっとまずいな!」 になってしまう。恐らく、「何を言っているのだ!」 と思っておられるに違いない。そのところは、「元さんの日記であって、思い付きでもある。」 と割り引いて、見て頂きたい。

 それにしても、今日は眠たい。昨夜の宴、そして、一昨日の眠れなかった夜が続いてしまった。内戦中は、早めの就寝となっていたのであるが、「寝よけ」「寝溜め」などは、出来ないもの。明後日の予報が良くない。



9/7 私の欠席は、不本意な憶測に及んでも心外である。「山ノ神」の出席だけで、許してもらうつもりであった。その間、私は、ゆっくり、一杯やれば良いと思っていた。

 しかし、予想外の”強制連行”で、私はたじろいでしまった。久しぶりの山仲間に会えば、「恥ずかしながら・・」 と、否応なしに、にっこりとしなければならず、いつの間にか、「山ノ神」との確執も、何処かへ吹っ飛んでしまったのである。彼らは、人間的に、私よりは遙かに上であると認識し直した。

 会場を提供、そして、その準備を一手に引き受けて頂いた小竹夫妻、またまた送迎に甘えさせて頂いた筏井夫妻、黒部から「シュンちゃんと堀シェフ」、そして、私の40年来の親友ヨッチン夫妻、飲むほどに酔うほどに、山の話は弾み、堀シェフのギターと共に、尚一層盛り上がった。
 その楽しさ、愉快さは、時間の経過を倍増させるかのような速さで過ぎていった。そして、「あれは、何だったのだ!」 と思わせるように、我が家の雪解けは、一気に進んだようである。



9/6 台風9号が、東海から関東にかけての沿岸に、上陸する可能性が高いようである。北陸・富山への影響は少ないようであるが、災害というものは、何時如何様に襲いかかるかわからない。

 そんな折、シゲキ・ノブコ邸から、山仲間が集まるから、是非とのお誘いを受けた。ハレルヤと朝日小屋エプロン隊の重複したメンバーで、さぞかし楽しい集いを連想してみたが、「内戦」が続く我が家の状態では、即答が出来なかった。

 グットタイミングと「山ノ神」は、喜んでいたようであるが、その顔と付き合わせての宴など、私には考えられなかった。「せっかく、楽しい宴席に、仏頂面・・・」 欠席の返事を出さなくてはいけなかった。

 泥沼的な内戦状態になると、事の発端がどうであったのかも薄らいでしまっていて、意地の通し合いだけになってしまっている。そう長くもない人生、20年生きても7000余日である。充実した毎日を送りたいと思っているのに、このような日々の過ごし方は、いったい何なのだろうと怒っているのである。しかし、怒っている自分にも、大いに責任があるのは確か・・・・



9/5 先日、「ヤブのまっちゃん」からも、私の膝痛の事を心配してメールが届いた。整形外科で、診断(レントゲン)を仰いだらという事と、「まっちゃん」自身が、膝の軟骨が、かなり磨り減って、骨と骨とがぶつかり合っている「変形性膝関節症」と診断された事も述べてあった。

 そして、「もう少し長生きしたいから、山は止めようと思っている。」 ともあった。 私は、「本当に止められるか?」 と返事を送ったが、その後の便りは未だない。しかし、「まっちゃん」のHPは消えていた。

 人それぞれの思いはあり、何とも言えないが、日頃、粋がっている事も、有事になってから、その事をやり通せるには、相当の精神力がいるハズだ。「這ってでも行く。」 と言い張っていても、日毎に、トーンダウンしていくようになるであろう。

 豪雪で、千石城山の登山口までも行けなかった事、肉蔵山で、年上の「まっちゃん」を叱った事など、尚更のように想い出が脳裏に浮かぶ。
 本当に山を止めるのなら、「ご苦労様でした。」 と述べると共に、「数々の失礼をお許し下さい。」 も付け加えたい。でも、「また来たよ!」 と、ひょっこり年末の同窓会的山行に現れる事を期待していたい。



9/4 今日も、パッとしたお天気でなく、ふて寝のような感じで、床から離れなかった。それを察知してか、「山ノ神」は、早々に何処かへ出掛けたようである。登山靴とリックがないから、それなりに目的があったのかもしれないが、差ほど気になる事はなかった。

 まずまずのお天気であれば、大猫山・猫又山を歩きたいとの思いがあったが、良の気持ちが、悪の気持ちに、負けたきらいあったからかもしれないが、身体が付いていかなかったのであろう。

 昨日の牛岳行きで、差ほど歩いていないのであるが、脛でも脹ら脛でもない所に、張りを感じていた。私は、何か異常を感じると、すぐに、「衰え」を思い浮かべ落ち込んでしまう。「何故?何故?」 も常である。もしかしたら、舗装された林道の下りで、何時も使わぬ筋を使ったからかもしれない。

 どちらにしても、一日中、家中におられるわけがない。リックの中に、水とカップ麺を入れて、馬場島に向かった。午後1時過ぎに、中山の登山口に着いた時点で、5時には、家に戻れるだろうと思ったが、同時に、あくせくして登る事もないであろうとも思った。

 しかし、展望が良いわけでもないし、特別のお花が咲いているわけでもないのである。休まずに山頂に着いて、時計を見たら、45~50分程のタイムであった。この歳にしてみれば、まずまずである。「山ノ神」と一緒でないから、ビールもなく、カップ麺を食べながら一時を過ごし、東小糸側を周遊して車に戻った。



9/3 会話のないまま我が家の連休に突入した。「行かないわけがない。」 が、恒久化されているからか、おにぎりだけは準備されていた。何処へ行くとも約束していなかったし、上天気でもなく、何処へ行こうとも口出せなかった。「だんまり」が、自分にも移ってしまったのかもしれないが、必要な事以外喋ることもなく、お互い不機嫌な顔になってしまっている。

 「山ノ神」は、何処へも行かないわけがない。それが、山であろうがなかろうがである。私が行かないと見通せば、さっさと見切りを付け、出掛けてしまうのである。(出掛けてしまった。)

 お昼過ぎ、テーブル上の海苔も昆布も付けてないおにぎりを頬張りながら、やはり、何処かへ行かなくてはと思ってしまう。独りでに車を牛岳に走らせていた。

 でも、”いつもと違った事” をの心は、林道登山口の草の生え方を見て、更に上(4合目登山口の上)まで、車を入れようとしたのであるが(実際一度は入れた。)、林道に草が覆い被さっていたので、それも止めてしまった。

 牛岳は、お天気が良くない時に登る山、時間のない時に登る山、その事は、トレーニングの山としての様相を呈していたのであるが、16年5月16日の記録からしても、もはや、「私の心のふるさと」 的な意味合いをもつ山となってきているようである。

 牛岳トンネルを抜け、山頂へ通じる鍋谷線(4・4キロ)に出た。靄っている林道を歩き、山頂からブナ林まで行けたらぐらいの気持ちである。今日は、身体をいじめるような事も思い浮かばず、唯、山の空気を吸いに来ただけであった。林道に雉が飛び出したと思っているところに、子鹿が出て来た。カメラを出す事さえ忘れているのであるから、ボーッと何気なく歩いているだけだったのかもしれない。

 それでも、山頂に三脚を立てて、何の変哲もない写真を撮った。それは、やっぱり私の山行記録の1コマ、1ページには変わりはないからである。何度登っても、その日その時の気分が違うから、山も自ずと違ったように感じる。例え、今日のように、全く見通しが利かなくてもである。

 鍋谷ブナ林に降りた。靄の中の幻想的なブナをイメージしていたのに、こんな気持ちだからなのだろうか、パッとする事もなく、歩けば歩くだけ、蜘蛛の巣が、顔にまとわりつくだけのようだった。



9/2 町内会の事で頭が痛い。誰かがしなければいけないのであるが、能力・行動力が伴わない私は適任ではない。しかし、任期まで頑張り、次期を受け持つ方が、やりやすいように、バトンタッチしなければなるまい。

 こんな時に、「山ノ神」のだんまりは応える。発散出来ない性格なのであろうが、ジワジワと効いてくる。何かシグナルを送っているのであろうが、意固地な私は応えてやれない。まだ人間が小さい。(出来ていない。)



9/1 山のHPなのに、紀行文・ガイド的なものがなくなりつつあり、これでは、使命を果たしていないのではないかと思う事もしばしばである。しかし、県外の山は、それなりに、地元の方々のHPがあるし、富山にも、今売り出し中の精鋭達が、沢山おられる。

 私自身、あまり代わり映えしない山にしか、登らなくなった事も、一つの要因としてあるかもしれない。 でも、本当は、「怠慢」という言葉が、一番当てはまるかもしれないのですが、これでいて、結構人並みに悩んだりしているのですが・・・・・

 性格的にも、あまり面白い事は出来ないのですが、「でも、何か新しい事、出来れば手作りで!」 を、モットーに、中味のない頭で考えているのです。如何せんHP作りにも、体力がいる事から、だんだんと、「遅れ」そして、「先細り」が顕著になってきています。

 我ら、「団塊の世代、負けてなるものか!」 と、ちょっとでも長く叫んでいたい。「これが、ダメなら、あれで・・」 そんな気持ちで、いつまで続くか分からないのですが、頑張ってみたいです。