10/31 月曜・火曜は雨、それも全国的に雨のようである。「晴れそうな所へ行こう。」 が、口癖の「山ノ神」であるが、こうなれば仕方なく諦めるであろう。

 私も、決して雨が好きではないのであるが、日帰りで、遠くへ行くよりは増しである。見知らぬ山に興味がないわけでもないが、時間を掛けて、ピークハントをするだけでは、ガソリン髙の今日この頃には似つかないではないか・・・

 「時間を掛けて、ゆっくり旅する時がきっと来る。」 お金がなくても、元気であれば、そんな夢が、いつかは現実となると、思っているのであるから・・・・・それにしても、2日間とも雨だったら何としよう。



10/30 名前だけの町内会長なのだが、通夜も葬儀にも参列した方が良いに決まっている。それは昨日の山行が、順調にこなせた事に他ならない。それにしても、会場・祭壇・参列者など、私が経験した最大級の葬儀であった。そんな中、七日法要に招待を受けてしまった。名士揃い中で、「何で私が・・・」 と辞退をしたのであるが、「どうしても・・・」 には、受けざるを得なかった。

 花輪の手配、訃報の連絡など、在り来たりの町内会の世話をしただけで、会場でのお手伝いをしたわけでもなく、また同班の方々が招待されているわけでもなかった。私自身、特別の親交があるわけでもなかったし、町内会長の肩書きへの招待状だったのであろう。

 そんな中、どのような顔をして行けば良いのかと、心は重かったのであるが、そこは、「山の事は、私の方が知っているであろう。」 と、自分流の勝手な思いで臨んだのであるが、意外や意外で、身内だけのこぢんまりした法要であった。
 しかし、華麗なる一族の中で、よそ者は私だけである。会食に至れば、海外旅行や別荘の話で、私などには、別世界。愛想笑いを繰り返していたが、なかなかの試練であった。

 世には分からぬ事ばかりで、一つ一つが勉強である事に間違いはないが、山登る修行より辛いものばかりである。会長職を受けた時も、「休日は家にいないから・・」 の条件を呑んでもらったのであるが、そんなに上手くいくハズがない。

 「ボンクラ」 の私には、試練の連続である。「辛い事は我慢すればいい。」 「知らない事は、学べばいい。」 後は、「心を込めて接すれば、大概の事は成就する。」 と思っていくしかない。幸い私には、ちょっと、我慢すれば、山に行けるという楽しみがある。



10/29 薄暗い内に馬場島に入ったのであるが、白萩川の木製の橋を渡った所に、ユンボが立ち塞がっていた。それは、取水口駐車場までの舗装工事と思われるための警告処置に思えたから、橋手前に戻ってから準備をした。そこへ、福井から超人達(5人)が現れた。

 中山登山組2人を残し、取水口駐車場にある登山口に向かって、歩き始めたのであるが、その時点では、何処まで行くかは、まだ決まっていなかった。そして、次第に明るさを増す毎に、素晴らしい紅葉が目に入ってきた。

 錦繍のブナクラ谷を遠目で眺めながら、また大猫山・標高1400m辺りまでの紅葉は、予想以上のものとなった。午後からの雨を予想しながらも、色付いた木々に、陽が当たらないものかと、欲張ったりもした。

 前週、大いに楽しんだ剱岳の山容も、今回は、必ずしも格好は良くなかったが、それでも、その姿を、ずーっと見せてくれていたのには、感謝しなければならなかった。

 大猫山頂までは、決して速いペースとは言えなかったが、宮ちゃんに、宮ちゃんのマラソン仲間の前川氏、そして、森本女史であるから、口に物を入れなくても、ドンドン先に行ってしまう。カメラのシャッターを切る度に、ハーハー言いながら、後を追いかけなくてはいけなかった。

 大猫山に着いた時点でも、この先の雲行きが、怪しかったのであるが、何となく、猫又山に足が向かって行ったようである。前週と違い雪によるスリップもなかった事から、やはり1時間半で、猫又山頂に辿り着く事が出来た。

 山頂は、風が強く、カールの下まで、食事場所を求めて降ったのであるが、完全に風を遮る事が出来ず、上衣を纏い我慢となった。火とは、有り難いもので、温かい物を頂くと、やっぱり口がなめらかになり、愉快な雰囲気になる。

 小一時間を費やしたものの、猫又行きの時点で、半ば諦めていた町内の所用に、この健脚者を持ってすれば、間に合うかもしれないと思った。結果的には、急かすことなく、適当な休憩、見所では足を止めての写真撮影などがあっても、登山口には午後3時半に届き、駐車地点に戻り、中山登山組の黒川・中村女史にも、それなりの挨拶を交わす事が出来た。また、車に乗り込んだ時点から、雨が降り出すという、これもラッキーであった。

 去年に勝るようなブナクラ谷の紅葉、時間制限の中で、またまた行けた大猫山・猫又山、遠方の友人達に、不義理をせずとも良かった事、そして、町内の役目も無事済ませられた事など、丸一日を有意義に過ごせた事に感謝である。

 「好山病・・」の面々と、楽しく過ごせて、ご満悦だった「山ノ神」も、終始和やかな表情であり、我が家は、しばらく平穏な日々が送れそうである。



10/28 またまた町内に不幸が起きた。これが私の休日に重なるのだから堪らない。時間に戻らなければならい故、「好山病・・」の諸君達の山行には、「山ノ神」だけがお伴する事になり、私は、時間内に戻れる大猫山とする事になった。

 午後からお天気が崩れる予報だから、猫又山に行く事が出来ないと思うのであるが、崩れが遅れると、不謹慎にも、その先まで足を延ばしたいと欲が出そうである。

 そんな折、福井の超人達が、大猫山にやって来るという。あの足の速さに適わないが、もしかしたら、その風に乗って、上手く物事が運ぶチャンスがあるかもしれない。どちらにしても、早々にお天気が崩れない事を願いながら、馬場島に行ってからになる。 p.m.10:05



10/27 最近は専門誌でなくとも、テレビや新聞で、程よい山の紹介をよく見るようになった。それだけ、山行く人達が、多くなったという事なのであろう。過日、夫婦の山歩きに関するテレビ番組で、次のような事が、とても印象的だった事を覚えている。

 「どのようなスポーツをやっても優劣が付き、また一緒にやることが出来なかったが、山登りは、気遣いしてもらえば、一緒にゴールする事が出来、正しくこれだと思った。」 というものであった。

 でも、それは、お手本のような夫婦。尻を叩き合いながらの夫婦、片方だけが、先に進んで行く夫婦、自分のやりたい事が優先で、なかなか一緒出来ない夫婦など、ラブラブのものばかりではない。

 でも、どんな形であれ、一緒しておれば、夫婦というものは、息の長い友達であるだけに、共通の想い出として事欠かない。もしかしたら、それが、無形の財産かもしれない。

 私(達)は、人様と比べて、必ずしも休日が多いとも言えないが、その頻度としては、どなたにも負けないような気がする。また、グレードとしてはかなり劣るが、夫婦で出掛ける回数も、そう負けるものではない。人それぞれで、何が良いかは別として、何かに取り付かれたように、心を傾けられるのも、幸せの一つのあり方に思えて仕方がない。 p.m.11:35

 

10/26 秋に入って、雨具を纏う日が多かったが、このところ、またお天気に恵まれてきた。春は良い思いをしたし、一年をならしてみれば、さほど変わらぬものかもしれない。その事に、一喜一憂する事もないのであるが、そう言って、肴にするのも話題としては楽しい事なのかも・・・

 今度の休日(10/29)も、晴れの予報が出て、些か気分を良くしているのであるが、何と言っても「秋の空」、「山ノ神」共々、何時変わるか分からない天気と心、注意する事に越したことはない。



10/25 今年の私の休日は、80日の予定である。10/22まで67日で、残すところ、後13日となった。67日の休日は、65回の山行で67日を費やした事になり、このまま残りの休日が、予定通り山行に宛がわれれば、今年の目標であった「全休日、山行日」 となる。

 今年は、同じ所に、あるいは、続けて(期間を置かずに) が、特徴で、他人からは異様に見られたかもしれない。間近にいる「山ノ神」でさえ、「またけ・・」 となるくらいである。「もう、あと2回大猫山に行きたい。出来れば、その内の1回は、猫又山まで・・」 と言ったものだから、「山ノ神」は憮然とした。

 行ってしまえば、その絶景に、殊の外喜びを、露わにするのであるが、元々、ブナクラ周辺の山々のイメージは、急登、長い道程の思い込みが強く、毛嫌いをするのである。

 例によって、「山ノ神」は、楽で遠出の「富士山が見える山」 を催促するのであるが、歩くより車の運転の方が長い山は、余程の事がない限り私は足を向けたくない。しかし、妥協の産物として、いずれ何処かに行かなくてはならぬようになるのは必至であろう。



10/24   「送れないでゴメンナサイ。昨日は、私達のために付き合ってくださって有り難う。とても楽しく嬉しかったです。こんな日が、また来れば良いのにと思ってしまいます。気を付けて帰って下さい。」
 これは、娘と接する時間より、山を選んだ父が、早朝書き置いたもの・・・

 大猫山・猫又山から戻ったら、テーブルの上に、「では、また年末(お正月)に!」 というメッセージと共に、先日の地図展で購入したと思われる高橋敬市氏(山岳写真家)のカレンダーがあった。

 本当に、地図展だけを見に来たのであろうか? それも、2日間もである。好きでない山歩きまで付き合ってくれて・・・親として、何かを感じなければならなかったのであろか・・・・

 「極楽トンボ」 のような親であっても、「何かを一生懸命」 だけの心は、伝わっていっているように思う。



10/23 久しぶりに、ステキな、そして、大きな剱岳を拝んだ。巡り合わせというものがあるのかもしれないが、赤谷山や猫又山からは、ちょっとの瞬間も入れれば、100%に近いほど、剱岳にお目に掛かっている。しかし、大猫山は、その限りではなく、私には冷たい。もっとも、距離が短いだけに、少々お天気が悪くても、出掛けているからかもしれない。

 人それぞれであるが、私は、別山からの剱岳が一番好きである。オートドックス過ぎる嫌いがあるかもしれないが、荒々しさに、美しさを備えているからだと、私は思っている。それに似た剱沢からの剱岳も私のお気に入りである。

 別山や剱沢へは、そう何回も出掛けられないから、身近にある大猫山に来てしまうのかもしれない。私の評は、「優美」 とは言えないが、別山や剱沢から見る事の出来ない荒々しさを備えており、それなりの魅力を感じるのである。

 「私のカメラには入りきれない。」 などの表現をする事があるが、ちょっと下がった「細蔵山」からの剱岳が品を備えるように思える。それは、もしかしたら、残雪期しか行けない故に、雪に覆われた「白い山」 としか見ていないからかもしれない。

 はじめから、ず~っと、剱岳と対峙する事の出来るのが、大猫山の一番の魅力! 紅葉が終わって、見通しの良くなるこれからの時期は、、恋いこがれている方を、一日中眺める事が出来るのである。



10/22 帰京する娘の見送りに関する事もあり、「山ノ神」から山行許可が出たのは、昨夜になってからであった。その事から、仲間との連絡不十分となり、何処かで会えばくらいのつもりで歩く事にしていた。

 同じ歩くなら、大猫山と猫又山だと思っていたから、すれ違いだけでは寂しいと思い、大猫山と猫又山を往復する事にしていた。特別急いだわけでもなかったが、タイミングが良く、馬場島まで丁度60分で着き、ブナクラ取水口を、午前6時に出発する事が出来た。

 駐車場の先に駐まってジムニーの方々には、大猫平で追い付いた。大猫山止まりだというお二人と、しばしの歓談後、猫又山へと足を向けた。積雪のため、草付き場所では、何度もスリップを繰り返したが、刻々と変わる剱岳に、足を止めてシャッターを切り続けた。

 誰もいない猫又山頂は、ちょっと寒かった。もしかしたら、大猫山頂で仲間が待っててくれると思うと、すぐにも下山と思ったのであるが、やっぱり、そういうわけにはいかなかった。30分の間に食事もせずに、やたらと、カメラのシャッターを切り続けてしまった。

 家を出る前から、雪の状態が気になっていて、軽アイゼンを準備していた。それが功を奏して、半分の時間で、大猫山に辿り着く事が出来た。とは言っても、何度立ち止まってカメラを構えた事か・・・

 ねぎちゃんと、ねぎちゃんの写真の師匠である高橋氏、そして、新カメラマンの橋ちゃんが、三脚を立てて、剱岳に焦点を当てていた。奥には、まきちゃんと、まきちゃんの山の師匠である松田氏が、悠々と剱岳に対峙していた。



10/21 午前5時に起きた時点では雨が降っていた。折角の記念すべき山行なのに、雨では何となく起こす気にはなれなかった。そして、1時間待った。

 次第にお天気も良くなり、登山口着の午前9時頃には、絶好の登山日和に変わった。そして、登山口の車の数に娘はビックリであった。赤・黄と色付いた登山道を、我々の心配をよそに、娘は、順調に歩いた。1時間半で達した山頂での展望は、彼女の目に、どのように映ったのであろうか・・・・

 剱・薬師・槍・笠・乗鞍・御岳・白山など360度の展望である。それよりも、山頂に収まりきれないような中高年登山者の多さに、目を丸くしていたようでもあった。そして、コンロや鍋、フライパンなどの小道具にも何故と思ったに違いない。

 どちらにしても、このような日が訪れるとは思っていなかっただけに、何よりも素敵なプレゼントをくれたように思う。1年に1回、いやいや、2年に1回、5年に1回あればなど、思ってしまう欲の深い親になってしまいそうである。



10/20 明日のお天気は、何とか回復しそうである。そんな中、娘との山行が実現する事になった。幼い頃を除けば、山行経験がなければ、装備もない。

 「山ノ神」は、遠出を提案したが、それは無理というもの。逆に、中山・負釣山、あるいは、人形山程度を候補に上げたが首を立てには振らなかった。ならばと、中距離の大日岳(大日平)・頸城駒ヶ岳・籾糠山・天蓋山の中から選択となると、何故か天蓋山を選んでしまった。

 まあ~、娘との山行が実現するのであれば、何処でもいいや・・・でも、本当なのであろうか、明日になってみなければ分からない。「初めの最後かもしれない。」 楽しい想い出となれば良いのだが・・・p.m.11:55



10/19 日中のテレビは、立山・天狗平の雪舞う模様を映し出していた。でも、まだ積雪とはなっていないようである。しかし、念のために、灯油を買ってきた。鍛錬は良いのであるが、風邪をひいては、なんにもならないからである。

 夜になってから、娘がやって来た。剱岳測量100年記念地図展2007in富山を見てからの帰宅であった。今度の帰省は、この地図展を見るのが目的のようで、我々にも見に行くよう勧めるのである。では、日曜日の山行はどうなるのだ? 「雨じゃないの?」 だって・・・ 我々は、雨でも行くのだ・・・



10/18 寒くなり秋が深まった感じだ。半袖スタイルの私は、二の腕を擦りながら、寒さを凌いでいる。依然、、日・月曜日の予定が立たない。何もかも、娘が来てからになる。週末の予報は必ずしも良くない。そして、明日から、また一段と寒くなりそうである。



10/17 「今度の日曜は、何処のお山に・・」 福井のkyuさんからの問いに、「10/5の当欄を読んで・・ 」 としか答えられなかった。最近のkyuさんは凄い! 下ノ廊下どころか、槍・北鎌尾根までやるようになった。沢登りに山スキーと、オールラウンドの「山ヤ」 になってしまった。

 そんなkyuさんとの久しぶりにお会い出来る機会を失ったのであるが、よく考えてみると、あの若さ溢れるウーマンパワーに、翻弄されてしまうだけに、それで良かったのかもしれない。

 富山に来る時には、私の顔を思い出してくれる優しさに感謝し、パワーアップ出来なくとも、「まだまだ・・」 と言い続けられるよう鍛錬を怠ってはいけないようである。



10/16 14年ぶりの火打山は、「ライチョウ平」 以外の黒沢・十二曲・富士見平・高谷池・天狗ノ庭の固有名詞は覚えていたものの、初めての山と差ほど変わらないものであった。

 まずは、百名山だからなのであろうが、登山口の構築物。そして、登山口の位置自体が、少し変わったような気もしたのだが・・・ また、登山道整備の名の下に行われた長い木道。私も含めた中高年登山者の目立ち。でも、山そのものが変わるはずがない。

 14年前の夏、ぬかるんだ登山道をズック履きで登った子供達。小さな虫にも参っていたようにも記憶する。何の楽しみもない日帰りだったから、無理矢理連れて行かれた事が、「想い出」 として、彼らの脳裏の片隅にあるに違いない。しかし、遠い将来、傘を差したり、ポンチョを纏った山頂での写真が、オヤジとの触れ合いとして、貴重な一枚となる事であろう。



10/15 「天狗の庭」の上部、「ライチョウ平」 手前から、小雨が小雪に変わった。山頂では、ガスに覆われ、展望もなく寒い思いをしたものの、お山のてっぺんは、いつもの如く、何故か気持ちの良いものであった。

 お天気は、どちらかと言うと、「曇りがち時々小雨、そして一時小雪、下山時には、時々晴れ間が出る。」 と目まぐるしく変わる秋特有のものであった。「早く降らないと暗くなるよ!」 と言いながら、何時、また来られるか分からないだけに、時々、パーッと繰り広げられる「紅葉ショー」 に立ち止まらざるを得なかった。

 高台から高谷池を見下ろすアングル、天狗の庭の雰囲気、下山時は、それまで見えなかった火打山頂付近を、振り返りながらの錦繍の様など、目に焼き付けるに必至であった。

 日没との競争であったが、やはり負けてしまった。そして、笹ヶ峰から小谷温泉への林道は、真っ暗になると、思ったより長い時間が掛かってしまった。小谷温泉の露天風呂に入る段取りをしていたのであるが、糸魚川から乗る高速料金(通勤時間帯)に、合わせるために割愛せざるを得なかった。

午前3時に家を出、午後9時に戻るという長い一日であった。久々に、一緒した「茂ちゃん」も、さぞかしお疲れの事と思う。



10/14 また変わった予報に戸惑ってしまう。でも、降らない事を願って、「山ノ神」が希望する「火打山」行きにする事にした。近所の「茂ちゃん」も乗り気で3人になるが、私は14年ぶりとなる。

 当初は、高速を使って、妙高高原から入るつもりであったが、小谷村から笹ヶ峰の林道を通ってみるつもりである。万が一の場合は、2案の金山・天狗原山となる。小谷村から笹ヶ峰の林道は、全線通り抜けた事がないだけに、是非とも通り抜けたいのである。そして、いつかは、湯峠から姫川温泉の道へもと、山歩きと違った楽しみも模索しているのである。 p.m.10:25



10/13 「あ~っ」、余程付いていないのか、またまた予報が悪くなって来た。明日午後から、この秋一番の寒気の南下だという。大猫山・猫又山、を翌週以降に延ばし、「山ノ神」の意向を尊重して「火打山」と決めたところである。

 2案の金山・天狗原山も含めて、ボツになる可能性が高くなる。通行止程の雨でなければ、また白山が候補に上がって来る。白山も、本当に雨の山になってしまった。



10/12 前日のような事ばかり綴るから、「元さん、この頃、弱気だね。」 と言われる所以である。欲を持って、堂々と進んでいくのも良いのだろうが、今の私には似つかない。ちょっと控えめに、ウジウジと、そして、そ~っと、何かが出来れば良いと思っている。

 幸い私は多くの山仲間や、同期或いは、近隣の友人に恵まれているから、有り難い事に、その都度パワーをもらっている。したがって、塞ぎ込む事など、今のところない。

 雨の休日が続いたが、ようやく、今度の休日(15日)に、傘マークはない。「山ノ神」の要望に流されてしまいそうであるが、山には代わりはない。何処かで紅葉の見頃に出くわす事は間違いない。



10/11 「今日も、一日無事に過ごせた事に感謝!」 とか 「お陰様で、今日も目が覚めました。」 などの心境には程遠いが、今までの人生を振り返ったり、この先の事を、考えたり、見つめ直す機会が多くなった事は確かである。

 「あ~っ」 という間に過ぎた60年。私は、いったい何をしてきたのであろう。そして、この先に、何が出来るのであろうか・・・である。捨てないで大切にしてきたものも、この先、再び見る事があるのだろうか? 後々、邪魔になるだけではないかと・・・ もう、捨てようかと思い始めているのである。

 この先の不安も増すだけ・・・健康・経済力など何をとっても、自信がない。「そんな事、考えてもしょうがない。目先の事だけを考えていこう。」 「なるようになるさ・・」 「山ノ神」 も、たまには良い事を言う。

 山では、何にでも怖がって、てんでだらしないのに、下界では非常に楽天的なのである。「長生きなんか出来ないから、今の内にやれる事を・・」 の主義である。石橋を叩いてばかりでは、前には進まないし、渡る前に渡れない身体になるかもしれない。



10/10 雪山に備えて登山靴を点検した。2年も経たないのに、ソールが減って、ツルツル寸前! そして、キジに栄養を与えていないから、亀裂が入って、修理が利かないかもしれない。次に、プラブーツの耳の所の損傷は修理に出したが、インナーは自分で手当する事にした。

 その次は、プラブーツ以前に購入した、私としては一番高価な登山靴があるが、手入れが悪く没となる。3年くらい履いていなかったから、かなりの覚悟をしていたのであるが、捨てるとなると、ちょっぴり寂しく残念である。それでも、平地で履く靴が、1足しかないのに、登山靴が7足もあるのだから、おかしな感じと取られても仕方がない。

 いずれ登山靴を求めなければならないが、2年で2足(「山ノ神」分も含め)はチョット辛い。しかし、元気でなければ(歩く事が出来なければ)、買う事もないわけであるから、買えるという事は、喜ばなければいけないとなる。

 世には、超人と言われる方々が沢山おられる。お手本にして頑張らなくちゃ・・・



10/9 最近は、あまり好天に恵まれいない。山から降りて来てから、または、翌日になって、お天気が回復するパターンが多い。欲張りな私は、「う~ん」 となるのであるが、相手がお天気だから致し方ない。「春は、結構お天気に恵まれたじゃないか!」 などと割り切るしかない。一年を通算すれば、そう偏る事もないと思っている。

 秋が深まれる高所の雨は、心底冷たく感じる。冷たいだけならいいが、不意を突かれると命にも関わる。靴・雨具の念入りな、手入れを怠たれない。また、チョコレート1個、手袋一つで、生死を分けた話がたくさんあるから・・・

 紅葉の良い悪いや、見頃が話題になる。しかし、紅葉は感性のあり方によって随分と違う。「草紅葉をみて、草が枯れているだけじゃないの!」 と言った人がある。その通りであるが、その言葉には何も返せない。素晴らしい紅葉も、お天気の他に、その時の心境によって違うように思う。ワイワイ楽しい時よりは、感傷に浸っている時の方が見事に感じる時がある。



10/8 葬儀を終えて、高岡を出たのが午後0時30分、県民会館で、eiko女史とねぎちゃんの力作に、暫しの間うっとりする。雨でも時間が無くても、何処かに登りたい私(達)は、馬場島に向かって車を走らせた。

 中山登山口発が、午後3時である。雨の中、時間もないし山頂で長居することもないし、荷は私だけが担いでの出発である。雨は強弱を伴って降り続いた。もう、「こんな日に・・」 とか、「こんな時間に・・」 など思う事はない。いつしか休日は、何処かのてっぺんに登らなければ、ストレスに押し潰されてしまうような域に、達しているのかもしれない。

 暗さ(日没)は、どうしようもないが、余程の事でなければ、強い雨が降り続く事は少ないし、時折小降りになったらり、止んだりするものである。また雨が降っていても、視界が広がる時もあり、かえって自然の神秘が伝わって来るというものである。少々負け惜しみ表現が伴うが、樹木へも目がいくものである。

 只一つ、どうにもならない事がある。山頂に立ったら、どうしても飲まなくてはならぬ「山ノ神」だけには手を焼いている。「ご褒美だ!」 も分からないでもないが、暗くなったら困るのは、自分である事を、もっと自覚して欲しいものである。



10/7 今夏に計画していた剱沢キャンプが流れた事、「越中の百山」の未踏の山に、もう1座くらい登りたかったくらいが、ちょっと心残りであって、それも、どうしても登らなければならないものでなく、まあまあ、今年も山を楽しませてもらっているというのが、私の率直な山への思いである。

 それでも、欲はちょっとぐらいある。大猫山に、あと2回くらい登りたい。紅葉時の新潟の名山に・・・紅葉の火打山に・・・などであるが、そう欲張りでもない。しかし、それが実現する可能性は極めて薄い。「今年も行けなかったか・・」 で終わっても、それはそれで良い。元気であれば、いつでも行けるからである。

 「いつでも」 をキーワードにしているが、「何処へでも」 は難しいにしても、「誰とでも」 を加えられたらハッピーと、思っている今日この頃である。



10/6 8日(月)の予報が悪く、行き先の選定に苦慮していたところに、町内の老人が亡くなられるという不幸が起きた。明日(7日)が通夜で、8日が葬儀となった。名だけでも町内会長であるから、参列しなければなるまい。

 真っ黒ネコ夫妻と、久々の同行となると思われたが、このような事が生じ、ちょっぴり残念である。「山ノ神」だけが、一緒すればいいのに・・・

 正月から、続いている全休日山行日を、ここで止めるわけにも出来まい。午前11時の葬儀では、ちょっと難しいが、やっぱり何処かを歩いてきたい。出来れば、eiko女史・ねぎちゃんの力作も見てきたいし・・・時間が足りないかもしれない。



10/5 「19日から、ひとりで帰省する予定です。21日は、何処に行くの? 私も行けそうなところだったら行きたいです。22日に東京に戻る予定です。」 突然、娘から携帯メールが届いた。

 子供時代の強行登山の影響からか、山には見向きもしなかったのに、どういう事? 嬉しいけれど、予定を見直さなくなるし、装備ましてや体力がないであろうから、出掛けられる所も限定されてしまう。

 結婚式・同窓会など、何の用事で帰省するのかも知らないが、私(達)にしてみれば、突然、嵐がやって来るようなものである。結婚30年を祝ってくれるその一環としてのイベントなのであろうか、それとも、私(達)の趣味を理解しようとしてくれているのであろうか、今夏ムコ殿が、「中山」へお伴をしてくれた事に影響があるのだろうかと、良い方にばかり考えてしまう。

 それが、どうであれ、その意向を尊重して、一時でも一緒に過ごさなければなるまい。そんな娘が、明日から一週間仕事で、アメリカのラスベカスへ行くと言う。



10/4 「○○歳になったから、年賀状を出すのを止めます。」 という便りを貰ったという話を聞いた事があったが、まさか、私にも来るとは思わなかった。

 「手前勝手な言い分で申し訳ありませんが、年賀の名簿から、削除してくださいますよう・・・」 牛岳の三妖怪と言われる中のお一人・寺口氏からであった。毛勝山へ出掛けた時、僧ヶ岳登山口で、ほんの一声掛けたのと、ハレルヤ牛岳山行(H.16.1)の宴会中に、偶然お会いしただけであるが、それより以前から、沢山のメールやお手紙を頂いていたのである。大正生まれでありながら、PCはもちろん絵画・カメラ・畑仕事など趣味は多彩な方で、山を通じていろいろな事をご教授願っていた。

 昨年から、体調を崩されていたようで、今年になって、膝痛が伴い自信を失われたようにあった。このところ、当方もご無沙汰気味で、チョットは気になっていただけに、その便りには辛いものとなった。「これからも、お元気で、山の話をお聞かせ下さい。」 と結んであったから、まだまだHPを覗いてもらえるのであろうか?

 何度も「お会いしに行く。」 などと言いながら、実行をしなかった事を悔やみ、正直なところ、胸にぐさっと来るほど、ショックを受けている。そして、お返事にも戸惑っている。でも、私の事を大事にしてくださる山友であり、お父さん的な方である。尚更、心を込めて賀状を出そうと思っている。



10/3 ぬかるみがあり、雨具が泥んこになると、一昨年10/30に出掛けた「青海の黒姫山」を思い出してしまう。たまたま、毛勝山参加した「好山病・・」6名が、その時のメンバーであった。

 集合場所を間違う人、寒い山頂での宴会、夜景を見ながら林道歩き、鉱山事務所が捜索を検討していたなど、今となっては、楽しくて可笑しな共通の想い出である。忘年会など節目の飲み会では、必ずというほど、この事が肴(話題)になる。

 今回の毛勝山の長い行程も、それに劣らぬエピソードになるに事は必至! そんな話で盛り上がるのは、近々訪れる真っ黒ネコ君の「越中の百山」完踏の時、年末の忘年会であろう。元気でいなくちゃ!



10/2 午前4時、昨日の毛勝山・西北尾根で相当疲れている「山ノ神」を、なかなか起こす気になれなかった。HPの更新で時間を費やし、5時過ぎ 「ちょっと遅いけれど行くかね!」 と声を掛けたが、やはり、なかなか起きて来なかった。

 しかし、「置いて行かれてたまるか・・」 の一念というものなのか、「山ノ神」は、足を引き摺りながら準備を始めたのである。「簡単な物で良いではないか!」 と言っていても、なかなか女としてのプライドがあるのか、いやいやビールのつまみへの拘りなのであろうか、かなりの時間を費やしていたようである。

 昨日のドロドロになった登山靴は洗ってはあっても、まだ乾いておらず、冷たい靴に足を入れなければならぬ・・・私は、それなりに代わりの物があるから良いのだが・・・

 白山行きにしては、6時20分発と遅い出発。ケチ(いや貧乏)な私でも、高速を使わなければなるまい。平瀬道は、ぬかるみなど全くなく快適であった。しかし、昨年同時期のような紅葉には、お目に掛かる事はなかった。

 時々、青空が現れるのであるが、すぐ、ガスに覆われてしまう薄ら寒い一日であった。今日も、ビールを飲む時間がなくなるから、「あんただけ、山頂に行って来られ!」 になってしまった。でも、流石の「山ノ神」も、フリースのチョッキに上下の雨具を着込んでも、「ビールが上手くなかった。」 と言うほど寒かったらしい。「上に来れば良かったのに・・」 と言い返したけれど、後々の事を思うと、その先を続けなかった。

 「あんた、ここは、高速ではないのよ。」 と言われながら、高岡~白川間の高速利用に、それ程遜色のない時間で帰宅してしまった。食卓で、「今日は一度も喧嘩にならなかった。」 と嬉しさにも不満にもとれる発言に、一定の距離をおいて歩けば、そうそう喧嘩なんか出来るもんじゃないよ・・・



10/1 お天気は良くないのに、今日も好山病感染者達が集まった。「何処かに変更かもしれない。」 などと心に思う者もなかったでもなかろうが、口にも出さず、小雨の中、 西北尾根を歩き始めたのであった。

 「好山病・・」6名、ゲストにハレルヤの筏井氏、そして、途中(2時間後)から、福井の宮ちゃんと森本さんが、猛スピードで追い付き参戦! 「何の景色もないのに・・」 只、ひたすら歩くだけ・・でも、久しぶりに集った故の沢山の会話が、元気を付け山頂へと導いてくれた。

 手が悴むほど、毛勝山頂は寒かった。山名板と三角点があるだけで、景色は全くなし! しかし、皆の顔は、悪条件の中を歩き通した満足感が漂い「辛さ」「だるさ」を、払拭させていたようであった。

 帰路は、ドロドロ道に悪戦苦闘であった。何事もなく5時過ぎに下山となったのであるが、大阪からやって来た、200・300名山ツアーの22名、そして、千葉から単独行の男性は、薄暗くなっても、降りて来る気配を感じなかった。ちょっと心配しながら、我々は家路を急いだのであった。