11/30 あれもこれもと思いながら、結局は何も出来なかった。人の世話とは難しいものである。「やってみれば、その難しさが分かる。」 という理由で、町内会やサークルの世話役が回って来る。会合の案内や段取りにしても、簡単だといっても、やるとなると、なかなか大変である。

 私は、口だけで、難しい事は、お願いしてしまうタイプ。動いてくれる人達に、本当に感謝である。感謝しておれば、大体上手く事が運ぶのであるが、チャチャを入れると、可笑しくなるのである。それにしても、山仲間は、非日常の事だからであろうか、連携が上手く行く。何事もこのようになれば、「日本は平和になる。」 (まるで、何処かの番組の一節である。)

 上手くいこうが、いくまいが、心を込めてやれば、楽しい想い出として残るであろう。同窓会には、共通の想い出が、あればあるほど愉快で楽しい。12/3は、そんな想い出作りの一日であって欲しい。 p.m.11:59



11/29 「う~ん」 参った! 記念行事の主役が来られなくなった。という連絡をもらって唸ってしまった。会社の大事な所用なだけに、趣味の域の山などに、待ったを掛けられても致し方あるまい。物事が順調に行く事自体少ないのであって、苦難を乗り越えて行かなければならないのは、山登りも人生も一緒である。

 イベントの裏方より、当の本人の方が辛いに決まっている。本隊が先に登り、屋根を作って、当人を迎える事になりそう。時間の関係上、簡単なセレモニー後、急いで祝賀会場に向かわなければならなくなるが、お天気が大崩しない事を願うだけである。 p.m.11:59



11/28 来たる12/3「好山病・・」真っ黒ネコの長勢君が、「越中の百山123座」完踏の運びである。その123座目は、黒川上流の二子山で、日付も、12月3日を、ゴロ合わせで選んだくらいであるから、雨でも雪でも、行かぬハズがない。

 月曜日であっても有志が集う。私も、世話役の一人なのであるが、その大役は重くて、空回りばかりである。「山」を介して知り合ったのが、17年の1月であるから、まだ3年を要していない。山は 中味が濃い。一日であっても、行動時間が長い。同じ釜のメシを食う。(食事を一緒にする。)大げさかもしれないが、命を預ける。(運命共同体)

 親子ほどの年齢差なのだが、同じ山仲間として扱ってくれる。そして、そっと気遣ってくれるのであるから心憎い。これも、趣味の世界(同じ目的・目標を持って)だからこそ、有り得るのかもしれない。

 富山で山登る者が憧れる「越中の百山」を、40歳の若さで、それも3年掛けないで登り切る彼を、この時ばかりと、二子山頂で抱きしめたいと思っている。そして、置き去りに、されがちな「愛妻・さおりさん」の労も、慰めてあげたいと思うのである。

 偉業達成を祝うのであるが、彼の山人生の新たな出発点になれば、山仲間として、こんな嬉しい事はない。



11/27 11月末、私の休日も残すところ、後6回となった。この時期となると、一年の精算というのであろうか、今年の山行を、自ずと振り返るのである。内容・中味は別にして、休日を山に宛がえる自分のライフスタイルに、まずまずという言葉が、適当かどうかは別にして、結構満足をしている。

 私は、結構数字が好きなのである。差ほど意味ない事でも、数字を駆使して、「う~ん、どうだ!」 などと、自分よがりを楽しんでいる。日頃から、「1度や2度登っても、その山の事など分かるハズがない。」 「いろいろな時期に登って、且つ、いろいろな気象条件下で登ってみなければ・・・」 などと息巻いている。しかし、未だに、山の事はよく分からない。唯、「甘く見てはいけない。」 だけは、分かったような気がする。

 そんな中、10回以上登った山が、24座を数えた。その内20回以上が8座あった。9回というのが3座あったから、来年は、もうちょっと、増えそうである。年数を重ねれば、自ずと回数は増える。同じ所を、何回歩いても、意味ないと考えるのも一つであるが、元気でなければ歩けないし、山を愛さなければ、数え続ける事も出来ないのである。

 歩ける事に感謝しながら、登れる山を、イヤというくらい登り続けたいと思っている。「難度」 という語句は、私には、もう必要がないのかもしれない。 p.m.11:55



11/26 福井から3人の魔神達を迎えての金剛堂山は、絶好の山行日和に恵まれた。前日のトレースが、固く不規則で、ちょっぴり歩きにくかったが、ラッセルもなく、目標タイムより、相当速く登る事が出来た。その余裕が、中金剛まで足を延ばさせてくれ、真新しい雪上を、食事処とさせてくれた。

 前日、伸子さんから頂いた感激のメール通り、山頂からの展望は、天下一品であった。美しき山々を眺めながら、福井の魔神達は、斜面を利用した特設テーブルに、次から次へと、ご馳走を並べ、豪快な笑いを利賀の山々に、響き渡らせるのであった。

 圧倒された「山ノ神」は、唯一人、ビールをチビリチビリ・・・、私は、その様を、カメラに納めるに徹していた。ぜんざい・コーヒー続く最終メニューを終えて、再び山頂に立ち、「こんな良き所とは、知らなかった。もっと、雪量がある時に、また来てみたい。」 と魔神達の言葉が印象的だった。

 私が夕方から、忘年会がある事を、魔神達は充分に認識しながら、余裕をもって登山口に導いてくれた。しかも、山頂滞在を、疎かにしないでであるから、彼女らは凄い!



11/25 私には関係ないが、金・土・日の三連休となった方もあっただろう。そして、お天気に恵まれ、多くの方々が、山に出掛けられたのではなかろうか? 幸いそのお天気が、私達にも味方してくれ、明日まで続きそうである。時間制限が付くものの気持ちよく歩いてきたい。福井から、何人の方々が来られるのであろうか?

11/24 60歳、結婚30年、私にとって、否応なしに節目の年なってしまった。過日、こんな話を聞いた事がある。傷付いたり、大きな病がなければ、120歳くらいまで、生きられるという。その事から考えれば、60歳というのは、一日に例えて、丁度、正午を迎えた頃であるというのである。

 顔がシワシワにならず、歩き回れて、後人に迷惑を掛けぬのなら、私も長生きしたい。出来れば、多くの友人達と共にである。
 北海道での雪山訓練中の遭難が伝えられた。その岳人達は、私とよく似た年齢の人達ばかりである。やはり「老人」と捉えられるのであろうか・・・・



11/23 今日は、高校時代の学年全体(当時495名)の同窓会が行われたのであるが、私は欠席してしまった。仕事や多くの同期生と頻繁な交流があるから、特別に参加しなくても・・の気持ちもあったが、一番の理由は、「昔の想い出を、大事にしていたいから・・」 であった。

 「懐かしき友と語り合いたい。」 「久しぶりに、あの顔がみたい。」 などと、人には、それぞれの思いがあり、それを否定する事など毛頭無い。しかし、自分には、美しく、楽しかった青春期の想い出を、誰にも崩されたくない独り善がりのところがある。

 「ギラギラ燃えた。」 「熱く語った。」 「泣いた。」 何の邪心もなく、真っ直ぐに進んだあの頃を、自分一人の同窓会にしても可笑しくはなかろう。淡い恋心を抱いた人に、お会いするのもステキかもしれないが、ず~っと、そのままに胸の中に仕舞い込んでおくのもいいではないか・・・。  また、飲んで騒いで、気勢をあげるばかりが、回想とするものでもなかろう。

 有事に決起した心境や、あの時の一言・一文を、確かめてもみたかったが、40余年前に、バックしても、虚しさだけが残るのでは、その代償が、大き過ぎると思ってしまった。

 ちょっぴり、センチメンタルになりながら、コツコツ山に登るのが、私には似合う。もしかしたら、大変わりした自分を、旧友に、さらけ出すのが、イヤだったのかもしれない。

 

11/22 次の休日(26日)は、何処へ出掛けようか? 今のところ、お天気マークが付いている。出掛けないわけがないが、午後5時頃まで、帰宅しなければならない条件がある。それは、山に無縁の仲間達との忘年会が設定されているからである。

 開始時間が、午後6時などと、私としては、とんでもない? 時間設定であったが、何とか、6時半にしてもらった経緯がある。ちょっと「所用が有り。」 と30分間伸ばしてもらったが、企画者は、何の為かは、薄々感じているに違いない。

 彼らの精一杯の意地悪も分かるのである。小旅行・温泉など、悉く山行のために、企画を壊してしまうのであるから・・・「もうちょっと、山に行きたいから・・」、「もう1~2年待ってくれ!」 などと、いつも逃げているのであるから・・・本当に申し訳ない。

 でも、「あいつは、どうしようもない。」 と、認知し、ず~っと、付き合ってくれるのであるから、私は幸せ者である。



11/21 日頃から、子供達や姉には、(いずれも県外在住) 「私の休日に、来てくれるな!」  と言い続けている。一緒に山へ行ってくれるのならいいが、何が何でも山への生活を送っている者として、耐えきれないからである。そんな事を思うと、先月中旬に、娘が山に付き合ってくれたのは、実にハッピーであった。 p.m.11:35

 明日から、埼玉の姉夫妻がやって来る。私達の休日を外してである。義兄が20歳上、姉が10歳上であり、両親がいない現在では、小姑ではなく、親代わりのように小言が多くなる。それは、「山も良いが・・」 から始まる。

 「我が人生に、何を・・」 をと、反論したくなるが、せっかく訪れる姉夫妻とケンカもまずい。3日間我慢すれば良い事。どれだけ歳月が流れようと、姉と弟。私の事を思わぬわけがない。



11/20 大阪の長男から、「結婚30年おめでとう。」 などと、珍しくメールが届いた。1月に、その長男と、大阪から一緒に遊びに来た友人達からも、メールが届いた。それに気をよくした「山ノ神」が、「記念に何処かへ出掛けなくては・・」 と、そわそわし始めたのである。

 とかく、女性はそのような事に煩いと、聞かされているが、自分の事となると、どうもいけない。「ご馳走をとって、家で、のんびり祝うのも良いのでは・・」 と、「山ノ神」に提案したが、頷くハズがなかった。

 私が外食をする機会など、無いに等しい。私が決めかねるのを知っていてか、近くにあるとんかつ屋へ行く事になった。5年ほど前に一度行った事があったが、「山の好きな方」 と覚えていてくれた。銚子一本を飲み、その次は、私のまたまた不得意なカラオケ屋である。 

 最初に「同期の桜」とは、「山ノ神」の精一杯のサービスだったのだろう。持ち込んだ食料で、2時間半も堪え忍んだから、私は「忍耐の人」なのかもしれない。歌は下手でも、河島英伍の歌が好き!

          

11/19 晴れるのなら、大猫山か雨飾山に行きたかった。タイヤも換えてあるし出動は可能であったが、夜半に覗いた外は、雪がちらついていた事もあり、その予定を外し、起きてから・・に変更したのである。

 しかし、ドンドンお天気が良くなるのに出遅れてしまった。白木峰に向かったのは、午前8時半を回っており、栃折の時間規制にも引っ掛かり、白木峰の管理棟前を出発したのは、午前10時半であった。管理人の津田さんは、「これからか・・」 などと心配顔であったが、気持ちよく送り出して下さった。

 どうしたわけか、「山ノ神」の足取りが重かった。「時間がない。」 と、急かせたら、尚更、機嫌が悪くなった。865mの登山口から、今年初めてのスノーシューを装着となったが、急登には四苦八苦。1,160m付近の林道に出た途端に、「もうダメ。」 と、「山ノ神」が戦線離脱を表明してしまった。

 いつもの如く、「あんただけ・・」 を勧める。どうしたものかと、しばらく思案をしたが、いけない事としながら、「山ノ神」と、調理器具・食料を残して、上を目指す事にしたのが、午後1時であった。

 「午後3時をメドに、引き返す。」 を約束したが、それでは真っ暗になる。ブナ林を抜け、1330m付近(駐車場上)までは、誠に調子が良かった。しかし、雪の重みで倒れている枝木を、潜ったり跨いだりするのに、結構疲れを感じていた。

 そして、その先の急登を嫌って、林道を辿ったのが間違いであった。足が動かなくなって、何度も止まってしまった。その間40分。まだ残された時間が30分あったが、ふわ~っと流れ出したガスに参ったように、山頂を諦める事にした。嫌った斜面を降れば、僅か7~8分、此処で勝負が決まったようであった。

 くたびれた身体に鞭打って降ったが、「山ノ神」の姿はもうなかった。熊よけに、鈴とホイッスルを持たせておいたが、最後まで心配であったが、とうとう管理棟まで追いつけなく、辺りは薄暗くなっていた。「一緒に歩いたのは、始めの1時間半だけだった。」 と、ちょっと不満顔の「山ノ神」は、下山時に熊の足跡を、カメラで撮っていた。

 

11/18 予想通りの雨が、坂田峠では一瞬止み、青空が覗きにかかった。でも、それは一瞬だけの事で、風を伴った雨となり、次第に雪に変わった。しかし、ハレルヤ軍団は、田圃のようなぬかるみも何のその・・・で、2時間余で白鳥小舎に吸い込まれていった。

 午前10時05分から、午後2時15分まで、4時間余の白鳥小舎滞在の間に、出るは出るは、次から次へと、誰が担いできたのかと思うほどの食材、そして、これほどまでに飲めるのかという美酒、それは、久しぶりの集いに、嬉しさ楽しさが爆発した証拠なのかもしれない。

 堀シェフ不在で、目立ったのが吉尾氏。絹子さんの介添えがあり、出来上がったパスタの味は、絶品で、この際、金屋の料理長に改名となる。(高岡市は金屋町を含め世界遺産に登録を申請・・吉尾氏は金屋町在住)   還暦祝にと、赤ワインを持参してくださった筏井氏にも感謝。

 サプライズがあった。こんな天候では、他に誰が登ってくるものか・・などと高を括っていたところに、「シュンちゃん」の新しい仲間として、「イッちゃん」・よったん女史・魚津の楊貴妃の3人が、またまた大きな鍋に、ワインを担いでやって来たのである。2時間遅れであったが、その瞬間が最高潮となった。結局集ったのは12名。世の中には、私と同様のアホな連中が多くいるものだと思わずにはおられなかった。

 雨から雪に変わったが、その降雪量は多く、ぬかるみはなくなり、駐車地点でも、5~7cmの積雪となった。12名は、同じメンバーのように、楽しくワイワイと話ながら降った。きっと、想い出深い一日になった事であろう。



11/17 「雨なんか何のその・・・」 である。ハレルヤは、好山病・・より、僅かに平均年齢は高いが、元気いっぱいである。明日は、メンバーの二人が都合が悪く参加出来ないが、準メンバー二人が加わり9名となる。雨が雪に変わるかを見届けに、白鳥山へ出掛けるようなものである。

 伸子さん・絹子さんの運転手付き、そして、彼女らの料理付きで、飲めるのであるから、誠に申し訳ない。でも、明日は半年ぶりのハレルヤだけに、少々甘えさせてもらおうか・・・・p.m.11:55



11/16 例年より、1ヶ月早くハレルヤから声が掛かった。雪が降ってから、雪が溶けるまでが、恒例となっていただけに、「おっ~早」 と思ったのであるが、この週末の寒気と共に、雄叫びをあげるのかもしれない。

 ハレルヤの発足当時は、ちょっぴり存在価値があったかもしれないが、今は(いや、ずっと前から・・)、送迎までしていただいて、只、飲んでいるだけ、どうかしたら、お荷物的存在なのかもしれないのに、皆さんが良くしてくださる。

 面白い事も言えないのに、特別の荷も担がないのに・・、これが仲間なのかもしれない。予想通り雪になるのか、リーダーの連絡を待つ事になる。



11/15 冬型になり、雨が降り、気温がぐっと下がる予報であったが、何故か、明後日に、晴れマークが付いた。これほど宛にならぬものはない。ころっと、オセロのように変わるのであるから、トコトン信用出来るものではない。

 予報より、早まったり遅くなったりして嘆くが、それは、予報をベースにしての話であって、やはり恩恵に肖っている事になる。「雲は明日の天気を告げる。」 観天望気だけでは、一週間先の事はわかるまい。

 それにしても、気象は難しい。解説付きならウンウンと頷けるのであるが、自分だけで、天気図の書き方読み方になると・・・・やっぱりわからなくなる。高層天気図となると尚更であろう。

 そうなると、観天望気になる。「日差しが強くて蒸し暑く、半日風がないと必ず雨かガス。」 「太陽や月に暈がかかると天気が悪くなる。」 「東風は天気が悪くなり、西風はよくなる。」 「積雪を踏んでキュッキュッ音がすれば寒くなる。」 などの方が、わかりやすいか・・・・



11/14 今夜のテレビ番組で、月探査衛星「かぐや」 が、きれいな地球を捉えていた。あんな小さな星(地球)に、何十億の人間が住んでいる。私達が、日頃登っている山どころか、ヒマラヤなんかも、何処にあるのか、聞いてみなければ分からない。

 思い悩む人に、「山に登っている人は、まるでアリのよう。海に浮かぶ船は、点にもならない。大層に思う悩みなど、大自然の中に入れば、ほんのちっちゃなもの・・」 などと慰める事があるが、今日は、その地球自体、ちっぽけなものに映った。この機会に、ウジウジせず、もっと前向きに生きなければと思ったのであるが・・・ p.m.10:40



11/13 45年間付き合っている親友のオヤジさんの逝去に、通夜・葬儀・七日法要と、慌ただしく時間は流れた。うまいもすっぱいも知り尽くした友なのに、あまり力になれなかった事に反省!

 私も、いつかは逝かなくてはいけないのであるが、「悔いのない人生」 とは、どんなのだろう? 「しても、しなくても悔いる人生なら、しなくては・・・」 などと日頃口にしているが、どうだか分からない。 「そうだよね!」 と同調を求めるくらい人の心は弱い。



11/12 「雨でも行く。」 「何処でも行く。」 好山病重症者・eiko女史との集合場所へは、雨が降り、しかも、時々、ピカピカゴロゴロ。午後のスケジュールが、立て込んでいた事もあったが、弱き気の「山ノ神」の「もっと簡単な所へ・・」 に心が動かされ、北ちゃんと田村さんが時間制約がありながらも、小佐波御前山に行くと知っていたし、三人の合意で、急遽、そちらの方に行き先を変えた。北ちゃんとは、特別約束をしていなかったが、車中、「山ノ神」に、その主旨のメールを、打ってもらった。

 雨降る中、雨具を纏い展望レストランのある駐車場を経ったのが、午前7時20分頃であるから、小佐波御前山を目指すには、あまりにも早いスタートであった。お互いリックを見ながら、「これでは、太ってしまう。」 などの冗談が飛び出すほどであったが、「ゆっくり楽しんで行こう。」 と絨毯が敷かれたような落葉の登山道を歩きながら、久しぶりの会話を楽しんだ。

 獅子ヶ鼻への全てのルートを歩いても、尚かつ、雨が止んだ間に、カメラのシャッターを切っていてでも、時間は使い切れなかった。そんな頃、「10時に登り始めます。」 との、北ちゃんからのメールに気付いたのである。

   時間調整のため、開通記念碑のある山頂から、今生津方面に降りる事にした。このコースは、お天気が良くないに関わらず、メーンルートより紅葉が素晴らしく、大満足の散歩となった。その雰囲気に酔ったわけでもないが、地元の「まきちゃん」に、「もうすぐ、山頂。好山病5名が結集の予定。」 とよからぬメールを打ってしまった。

 そのルートに1時間ばかり費やし、小佐波御前山避難小屋に着いたのは、午前11時であった。北ちゃん・田村さんの到着を予想して、二つの豆腐料理を準備して構えていたのであるが、その思いは通じず、我々の胃袋の中に消えて行った。しばらくして、「おっ~、来たかと思ったら・・」 師匠を従えたまきちゃんであった。 (ビックリ・・) 結果的には、所用が重なり出遅れた北ちゃんらは、大分盛り上がってからの到着となった。でも、久しぶりの再会は、熱気が漂い寒さを吹っ飛ばすものとなった。当然、12/3の話にも及んだのである。

 帰路、昨年末の踵の手術し、今度、また、アキレス腱を切断してしまった「よねちゃん」を見舞った。一緒に、山に行く行かないは別にしても、私の事を大事にしてくれる人を、見舞わぬわけにはいかなかった。  足を治し、もう少しウエイトを落として頂ければ、弱って来た私と、丁度よい歩きが出来るのではないかと、期待をするものであります。



11/11 山歩きをしない知人に、「内容は別にして、休日を一日も欠かさず山歩きをしている。今年の残された休日は、後10日であるが、このまま全休日山歩きが出来ると良い。」 そして、「それ程、山バカになってしまった。」 と述べると、「それほど、なかなかバカにはなれない。」 「そんな、あなたが羨ましい。」 と言われた。

 そう言われてみれば、「好山病・・」を含む、私の山仲間達にも当てはまる事かもしれない。今日も雨、明日も雨の中、やはり山歩きの計画をしている。しかし、生活の一部であるから仕方がない。

 当欄を書き込み中(夜半)、友人のオヤジさんが亡くなられたの訃報が入った。山行計画を中止にするわけにもいかないし、雨具を纏って自転車で弔いに行って来た。もちろん、通夜にも葬儀にも、そして、お手伝いもするつもりであるから、早めの集合時間として良かったようだ。



11/10 休肝日がなく飲み続けているからであろうか、それとも、大食いだからであろうか、このところ、血圧が20数ポイント上がって来ている。高血圧の方からみれば、何ともない数値であるように思えるが、時々、頭が痛くなるのは、もしかしら、その所為なのかもしれない。ガタガタになる前に、手当をしておかなければ、後から泣きを見るのは明らかなのに、なかなか、そちらの方に足が向かない。

 8月末から歯科医に通い始めたが、「もう少し早く来れば良かったのに・・」 の状態である。この進行状況からしてみれば、まだ1年以上かかるような気がする。病は、時間と費用が掛かり、とても辛いものである。休日を外して行けるくらいだから、まだ増しか・・

 何とかの遊技と同じで、こんな事がなければ、何でも買えるのに・・・ p.m.8:00



11/9 先日、久しぶりに雪のない高落場山に登った。山頂には、山名を記した立派な標柱があり、きれいに整備されていたのには驚いた。更に、朴峠への整備された登山道が延びている。

 唐木峠からも、朴峠へ刈り上げられた道が延びていただけに、周遊出来るようになったのであろう。つくばね森林公園への周遊コースもあり、高落場山の魅力が、増したというところか・・・・・

 積雪期は五箇山トンネル手前から、残雪期は若杉から、そして、雪が溶ければ山菜、秋は紅葉、一年中楽しめる山かもしれない。



11/8 もう片方のローバーのチベッタ(登山靴)を燃えるゴミに出した。私としては、奮発して買った登山靴であったから、なかなか捨てられなかった。ソールの張り替えもしてあり、ちょっと見ただけでは、まだまだの感じであるが、もう手当の施しようがないのでは仕方がない。でも、未練がましく、今日に至ったのであった。

 シリオの登山靴もメンテナンスが悪く、メーカーもソールの張り替えに価しないとなり、2年も経たない内にボツとなってしまった。今は、数年経ったソールが怪しい軽登山靴を再登板させ、このところの山歩きに間に合わせている。
 雪が降るまでには、プラブーツの前皮コラップ割れの修理も終わるだろうし、ちょっと大きめであったが、割安で求めたシリオで賄う事が出来るであろう。でも、来夏には、また登山靴を買わなければならないであろう。



11/7 一昨日の雨飾山頂は、絶景であった。8名の登山者と遭遇したが、殆どの方が、初めての雨飾山だったらしく、山座同定を求められた。そのような方々が、11月上旬の山に来られるようになったのは、「登山ブームが、ここまで来たのか!」 の他に、やはり暖冬の影響があるのであろう。

 その中に、可愛い女の子と、お母さんの2人連れがあった。小谷コースを3時間で登って来られたのであるから、元気そのものである。絶景をカメラで追う私をよそに、「山ノ神」は、その母娘に声を掛け話し込んでいた。

 小5のお兄ちゃんは、山にはあまり興味はなく、そして、お父さんは、山には全く縁がないとの事。しかし、おばあちゃんは、今も山歩きを続けておられるようで、何故か私には、女性だけが輝いているのかと思ってしまった。

 「私も両親に、山へ連れて行かれたのであるが、何であれ、一時山から離れてしまった。そんな自分が、今は、こうして娘を山に連れて来ている。でも、いつかはこの反動で、山から離れるのであろうか・・・」 などと、お母さんの談。ちょっぴり不安を覗かせながらも、愛娘と一緒して、山歩きが出来る事に、目を細めて、その嬉しさを表しておられた。

 思い通りにならなかった私の子供達との山歩きを重ね合わせながら、この先も山を通じて、仲の良い親子関係が続いて欲しいと願ってしまった。「小3のひとみちゃん」 お母さんと一緒に、百名山だけでなく、たくさんの山に登ってください。



11/6 予報通り雨になったが、なかなか行き先が決まらなかった。雨の日は、牛岳・小佐波御前山・中山辺りが定番であったが、この頃はどうしたわけか、他の山の良さを、より知りたくなったのであろうか、今までの歩き方と変わってきたような気がする。

 私がそうであるから、「山ノ神」にしてみれば、尚更そのように思うのは必至である。「希望?」を聞いても埒があかず、このところ福寿草の時期以外、ご無沙汰している赤祖父山とした。ちょっと寄り道をしたこともあり、登山口に着いたのは、午前11時半くらいであった。しかし、その登山口の様子を見た「山ノ神」は、あまり良い顔をしなかったので、更に林道を西方面へ、目的地を13キロ移動して高落場山とした。

 高落場山のイメージは、ちょっと雪が来て、「葉を落とした名残の赤が、その雪に映えるシーン。」 そんなのが、私は好きである。今日は、打って変わって、始めから雨。そのロマンの到来には、まだ時間があるようで、濡れた落葉を踏みしめるに至った。それがまたよく、何故か赤い絨毯を歩くような様。

 思いもよらぬ、ミツバツツジとの遭遇。紫式部の青い実も雨に冴えていた。何といっても、高落場山は、ブナ林であり、素人の私でも、雨とブナの関わりを感じてしまう。

 一向に止まぬ雨に、一時凌ぎにタープを広げた。「山ノ神」のビールタイムだけでもの思いである。今冬、同じ高落場山の山頂を踏んだのであるが、これほど、きれいに整備されているとは、思いもよらなかった。

 下りは、何度も転がりながら、意外と早く降りる事が出来たのであるが、その転び方をみて、お互い大笑いした事が、帰りの車中で、ケンカとならなかったように思えるのである。 p.m.10:15



11/5 12回目の雨飾山は、4年ぶりに梶山登山口からで、大きな標識に、「ゆっくり歩いても4時間」の表示されているかのように、静かな晩秋の山を楽しんだ感じであった。紅葉は既に里へ降りてしまっていたが、大量の落葉を踏みしめながら、見通しが良くなった樹木の間から眺める頸城の山々も、私の心を楽しませるのである。

 近年、小谷・大網などからのアクセスが多かったのであるが、雨飾山への私の原点は、あくまでも梶山からである。「勤労感謝の日」前後の日にちに登る事が多く、雪をかき分けながら、また車のタイヤチェーンを施しながらと、幾つもの想い出が蘇って来る。

 その煽りを食ったのが「山ノ神」で、初登頂時(H.11.11.22)は、好天に恵まれながらも、相当の雪量で、ラッセルに四苦八苦した上に、最後の山頂への凍った岩場では、身動きが出来なくなってしまったのである。その時は、流石の「山ノ神」も、大好きなビールどころか、何一つ喉を通すことなく、山頂で震えていたのである。

 その翌々年(H.13.5.7)は、残雪期に挑戦したのであるが、数々の失敗から、「もう雨飾山には来たくない。」 と、その印象の悪さをもっていたのであるが、近年は、シラネアオイの群落に感動した小谷ルート、ブナ林の魅力を再認識した大網ルートなど、雨飾山への思いに変化を生じていたはずであるが、「紅葉時にも来てみたい。」 と言いながらも、初冬への佇まいを急ぐ、晩秋の静かな山に、今回は、殊の外ご満悦のようであった。

 もっとも、後立山連峰の展望や、新潟の可愛い女の子との出会いなど、山頂でのご褒美があったのも忘れてはならない。小谷ルートから7名、梶山ルートからは、我々の他1名なり。



11/4 月曜・火曜の内、月曜は何とかお天気が持ちそうである。「山ノ神」は、「富士山が見たい。」 という。私は、いつ雨が降るか分からないし、雨の夜の運転は、疲れるからイヤであると、突っぱね、また、山歩きより車の運転が長いのも、イヤな理由の一つであり、そして、ガソリン高騰の折でもあるから、遠出は控えようと説得に努めた。

 ちょっと遠出に、なるのかならないか分からないが、白山、僧ヶ岳・駒ヶ岳、頸城駒ヶ岳、雨飾山を提案したら、「山ノ神」は、雨飾山を選択した。それを確認してから、会合に出掛けた。今、戻ったのであるが、まだ、やらなければならない事がたくさんある。また、寝不足のまま出掛けなければならなくなるであろう。 p.m.10:40



11/3 山は、そろそろ晩秋から初冬の装いにかかる。山登る者として、そろそろ冬支度というか、装備の点検となる。特別の山に入るわけがないから、そう大げさにならなくてもいいのであるが、万が一の時は、辛い目に遭うのは自分であるから、「備えあれば憂いなし。」 となる。

 オーバーもインナーも、片方という手袋が幾つも出て来た。風に飛ばされた事や、落とした事などを思い出した。予備がなければ、高所ほど、本当に辛い思いをしなければならなかったのであるから、ぞっとする・・・・ 飛ばされないように、また、落とさないようにの装備や注意が必要になってくる。

 靴・スノーシューなどが、当日になって、アレアレとなっても困るし、今の内に再点検が必要である。軽薄短小になった装備に、なかなか手が届かず、またまた重い目に遭わなくてはならぬが、まだしばらくは、耐えられるような気がする。でも、それだけ山に憧れるなら、何を削っても、それに宛がわなければならないのであるが、なかなかそう出来ないのが辛いところである。



11/2 世の中には、凄い人が、たくさんおられるのに驚く!80歳・90歳になっても、走ったり泳いだりして、記録を狙っている人、かと言って、第一線で働いている人もある。ボランティアというのであろうか、他人のために一生懸命尽くしている人など、趣味・仕事・使命、その思いは様々であるが、共通している点は、充実という言葉の如く、病が寄りつかないように、身体が張り詰めているように思える。

 これからの私も、そのような事に肖り、「あこが痛い。」 「ここが悪い。」 などを払拭させ、もうそのような言葉を、発しないようにしなければと思ったりもする。常に前向きであれば、もしかしたら、病そのものが、寄りつかないかもしれない。少なくとも、気持ち的にそうでありたい。想い出は大切であるが、そればかりでは生きていけまい。「胸の中は、いつまでも青春。」 それを失えば、後退の一途である。



11/1 大猫・猫又山中で、「もう一回、大猫山に来たい。」 と漏らすと、宮ちゃんが、「お付き合いしましょうか・・」 と言ってくれた。 「でも、お天気が、どうなるかわからないから、遠方の人には、声を掛けにくい。」 と、約束をしなかったが、帰ってから、「山ノ神」に、この事を話すと、「また大猫け・・・」 呆れて、物も言えないという表情をした。

 今年の大猫山へは、まだ5回ではないか・・・このような状態で、50回、100回行きたいと言おうものなら、またまた、「山ノ神」は、「だんまり病」を、発症するに違いない。

 大猫山の他、白山5回、人形山・春木山を合わせれば4回、大地4回、僧ヶ岳3回など、同じ所を繰り返して登った事が多かった。いい所は、何度も足を運びたい。いい時期は、続けてでも行きたい。

 そんな事を思えば、1月の2日続けた仁王山、1月2月に跨り2週続けた大倉山、2月~3月に4回も出掛けた大地、4月に3回も出掛けた僧ヶ岳、残雪・高山植物・紅葉と、その時期を見て出掛けた白山など、拘って登ってしまった感想である。

 人それぞれに、山への思いがある。目標と言えるかは別にして、その憧憬は、何人にも侵されるものではなく、心の故郷でもある。