12/31 今年も、「つまらぬ事ばかり・・綴った」 一年でした。それも、「あ~っ」 という間に終わってしまいました。この分だと、「あ~っ、あ~っ」 という間に、私の人生が終わってしまいそうです。

 しかし、焦っても、仕方がないように思います。また、過ぎ去った日々は早くとも、この先は、結構長いとも聞きます。でも、鍛えるには時間が掛かりますが、衰えるのは、早く簡単なようです。この先、何回、何年などと、考えますと、「ぞ~っ」 と、してしまいます。

 元気な諸先輩方を手本に、まずは、それまでを、目標にして参るつもりです。そして、心だけは、いつも少年のようにです。
 この一年、本当に有り難うございました。来年も宜しくお願い致します。



12/30 朝方の自分の身体には、それ程寒さを感じず、本当に降るのだろうかと思っていたが、午後から、やはり降り出し、初積雪となった。それでも、ほんの少し・・・ しかし、山沿いは、降っているだろうし、これからも降るのであろう。

 娘夫婦がやって来たし、元日登山は、明日の雪を考慮して、決めなければならない。2~3日は、お昼過ぎには、帰宅したいと思っているから、行き先も限られて来る。雪量が増えれば、翌週の山行は、雪中キャンプが浮上して来る。でも、装備が伴わず、行けたとしても、極身近な山という事になる。そんな計画も、今から立てていると、すぐに壊されてしまう。だから、直近でないと分からない。 p.m.11:59



12/29「花じい」が訪れてくれた。私の足の事(膝)が気になって、やって来てくれたのである。もしかしたら、本当にストレッチを、やっているのか、調べに来てくれたのかもしれない。

 私の身体を触ってくれたのであるが、妙に納得する手法であった。やはり、膝そのものより、鼠蹊部に難があるようである。そのストレッチで、硬い身体が、随分と楽になったような気がした。すぐには、良くならないと思うが、少しずつ、やってみる事にする。

 山への登り始め、そして、下山後のストレッチを、充分にやらなければ、自分の登山寿命を、短くする事に繋がるのであろう。これからは、グループにも理解してもらうか、それとも、皆が帰ってからでも、自分一人でもいいから、ストレッチに、励まなければならないだろう。

 ようやく、年賀状が完成した。ちょっと、身体が、しんどかったけれど、酒を断って5日間、その体調は頗る芳しい。やはり酒は毒か? 大量は毒という事である。 p.m.11:10



12/28 年賀状作成が追い付かない。まだ100枚以上ある。これでは、お正月に届かなくなってしまう。「ちょっとは、ズルをするか・・・」 と気持ちが揺らぐ。 「同じ文章では味がない。」 と 「そんなものを、誰が期待しているか!」 心での格闘が続く。やっぱり自分の味を出そう。いつも迷う時は、「納得のいく後悔」 を選択する。



12/27 先日の山行終了後、皆と別れてから、私の膝痛を心配してくれていた「花じい」が、ストレッチに付いて教えてくれた。彼の勉強熱心と経験則を信用して聞き入ってしまった。膝が痛くても、あれだけ歩けるのだから、靱帯の損傷は考えにくいし、もしかしたら、サッカー少年達が痛めやすい鼠蹊部ではないかという。その仕法を教わった。私の自覚症状も、膝そのものより、何となく筋が短くなったようなものなのである。心配してもらえるなんて、本当に有り難い事である。無理せず、少しずつやってみよう。

 年賀状の追い込みと、ちょっと体調の悪い事もあって、3日間お酒を止めている。この僅かの期間に、お酒を止めただけで、体重が2kgも減った。夕食は、お酒類を飲むため、白米やうどんなどの炭水化物をとらないようにしているが、他の物を食べ過ぎている嫌いがある。

 今度は、ご飯を食べて、お酒を飲まないのである。私は、身長175cm 体重73~4kg ウエスト82cmであるが、太ってはいないし、太っても見えないらしい。歯の不都合から、痩せたのかと言われるくらいであるから・・

 年賀状が完成するまで、飲めないであろうから、もしかしたら、もっと体重減となるかもしれない。20歳当時の体重(あと5~6kg)に落とせば、もしかしたら、膝にも良いかもしれない。お酒を飲まなければ体調も良い。飲まないなら、飲まないようになるのであるが、やっぱり嬉しい時や楽しい時は、飲みたいものである。



12/26 いつもの事ながら、この時期、年賀状に精根尽き果てている。さほど良いものが出来るわけもないのに、ギリギリまで手を付けないでいるから、このような羽目になるのであろう。今年は、それに、プリンターの調子が悪く、思わぬミスプリントとなるものが多かった。その無駄の他に、新しきプリンターの導入となり、その動作の確認や設定をせねばならず、これまた時間をとられてしまった。

 如何にプリンターが頼りと言えども、やはり年賀状というものは、一人一人の顔を思い浮かべて書く習慣になっているから、いつになったら、完成(終了)するのかと、思ってしまう。お酒も飲まず、2日連続の徹夜であるが、目はチョロチョロで、尚更時間を要してしまう。p.m.11:59



12/25 今年の山行は終わった。特別な山行とならなかったが、大地・僧ヶ岳・白山・大猫山・春木山に、よく出掛けた形になった。そして、神奈川からの客人・由利香女史の来富で、立山・白山を案内した事が、大きな出来事だったかもしれない。また、多くの山仲間との出会いも特筆に価する。

 休日全部を山に出掛けられる幸運に恵まれた事も、私には意義があったが、これからは、そのような事を言っておられまい。人は、一人で生きていけない宿命のようなものがあるから、その事に拘りつつも、柔軟に対応していきたいと思う。

 一年でも一回でも、長く多く、山と関わっていくためにも、身体を大切にし、周りの人達とも、上手い具合に付き合っていきたい。「もう、充分に遊んだだろう。」 「山に行き尽くしたであろう。」 などという事は毛頭ない。

 幾つになろうが、小さい夢であっても、持ち続けなければ、張りがなくなってしまう。「ロマン」 というような格好の良い言葉でなくてもいいから、心だけは、いつも少年のようでありたい。 p.m.8:20



12/24 どうなるかと、気を揉ませたお天気であったが、想定内の模様は、意外にも、林道610mまで、車を入る事が出来た。ワイワイガヤガヤと話ながら、入れ替わり立ち替わり、ラッセルを交代しながらの登髙。高峰山を越え、鳥越峠に降り、そして、北尾根から大辻山を目指したのであった。

 しかし、早めの宴会ムードが漂い 何度も「この辺で・・・」 の声が掛かる。高峰山頂よりも高い所で、せめて標高1000m超で、出来れば、今日、西新山を目指しているグループがあるが、その頂より高い所でと、先延ばししたものの、サイドブレーキが利いた所が、ピッタリの標高1000mであった。

 3時間20分の行程に沈没したものの、誰もが、笑いの中にいて、メーンイベントである雪上レストラン化としていった。今日は、「飲める。」 待遇の方々が、少なかったのであるが、それでも、2時間程笑いっぱなしであった。続々出される食べきれない料理に、(テーブルの上に、出す事さえ出来なかった物もあった。)目を丸くしながら、それでも、いつしか胃袋の中に吸い込まれていったようだ。

 来春、「花じいを、早乙女岳でなく、大熊山に連れて行く会」 まで発足し、これまた大笑いをしてしまった。鳥越峠に戻り、往路の高峰山越えではなく、西種林道(作業道)を経由する事になったのであるが、これまた予想を遙かに超えるロングラン。足腰よりも精神的に参ったようであった。しかし、時々、雲間から覗く、真っ白な山々に元気づけられ、何とか日の落ちない内に、車デボ地点まで戻る事が出来た。



12/23 明日は、骨原から高峰山を経由して、大辻山を目指すのであるが、クルクル変わるお天気や、積雪状態によっては、目的半ばになるかもしれない。でも、猛者達が12名集う予定である。今年最後になる方も多いと思うし、楽しくて楽しくて仕方がない山行になれば良いと思っている。 p.m.9:45



12/22 特別募ったわけでもないが、24日の「花じいが一緒する山行」には、今のところ10名前後の参加がある。19日の当欄で、述べただけであるが、「花じい」や、「シュンちゃん」の人気の高いところである。

 頂きよりも、温かい物を食べて、大いに語り合うのが目的であるから、「この際、どさくさに紛れて、あなたも参加してみたら・・・」 と言っても、年齢に関係なく、元気者ばかり。勢いづいて、目的の山頂を目指すかもしれない。しかし、賢者は、置いてきぼりなどにはしない。今回は、花じいが主役。彼の楽しいお話や、経験談を聞こうじゃないか! そしてまた、ステキな歌が聞けるかもしれない。p.m.11:20



12/21 「好山病・・」のマドンナeiko女史が退院した。16~17日間の入院だったろうか? 長勢君の記念山行を、やり過ごしてからの入院であったから、山の仲間への思いやりが、ヒシヒシ伝わって来る。

 そのeiko女史の事だから、一日も早く、山への復帰を目指して、トレーニングを開始しているに違いない。我々も、彼女のいない山行では、何だか、今一つ盛り上がらない。「早く帰って来い。」 とエールを送りたい。

 さて、年が明けたら、まずは復帰山行であろうか、いやいや、快気祝の宴であろうか、狼煙を上げたらすぐ集まるから、「好山病・・」は、本当に楽しいグループである。



12/20 今年の山行機会も後一回になった。私的には、休日山行の満願で、遠かろうが、近かろうが、また、高かろうが、低かろうが、山漬けになった事に頗る満足をしている。

 しかし、より遠く志向の「山ノ神」にしてみれば、まだまだ不満のようである。回数、難度などは全く関係なく、富士山が見られればいいとか、まだ出掛けた事のない所へ行きたいとか、歩きがなくてもいいような事までいう。

 今秋、不用意に、行き所がなくたった時(晩秋から初冬にかけて・・)、「関西方面にでも行こうか・・」 と言ったのを根にもたれ、「まだ実行されていない。」 と突っ込まれている。

 「比叡山・愛宕山は、いつでも行けるではないか。」 「いつでもとは、いつよ!」 いやはや参りました。私は、結構あなたに、尽くしていると思っているのですが・・・・  ここは、「山ノ神」コーナーではなかった。



12/19 先日の同窓会的山行(烏帽子山・鋲岳)では、所用で忙しかった「花じい」の顔がなかった。その埋め合わせではないが、12/24を、空けて待ってていてくれるという。「誰と会いたい。」 と尋ねると、「いつも元さんが、ご一緒されている皆さんと、お会い出来れば、私は嬉しいです。」 との答えが返って来た。

 そして、「近場であろうが、何処でもいい。」 と付け加えてあった。予報では、お天気回りがあまり良くない。行程が短くとも、温かい物を食べて、たくさん喋りたい。自ずと行き先が狭められて来る。もしかしたら、多くの山仲間と鉢合わせになる事も考えられる。それは、それで、また楽しみというもの・・・
 このところ、悪天の予想を覆して、結構良い山行となっている。当日も、Xマスプレゼントとしてくれないであろうか!

 私は、「花じい」 と、年に2~3回くらい、ご一緒出来る機会があればと思っているのだが、今年も当日の1回だけになる。「花じい」の話題になると、「早乙女岳に無理矢理連れて行こう。」 と、シュンちゃんと盛り上がる。来春、隣の「大熊山」でもいいから、コット谷を歩きたいものだ。それ程、彼は、何か分からぬ魅力を持っている。



12/18   8月の記念の誕生日に、子供達からのプレゼントが、ゴアテックスの雨具であった。最も、何が欲しいかと尋ねられて、三代目となるゴアを強請ったのであった。赤・あか・アカで祝われるのであろうが、山中なら、さほど抵抗感がない。赤でも良いと思っていたのだが、ワインレッドであり、子供達は考えたのかもしれない・・・

 その雨具のデビューを模索していたのであるが、出来るなら、あまり汚れない時期。即ち歩き始めから、雪がある時と思っていた。烏帽子山・鋲岳では、林道から雪であったし、当然、大辻山では、例え国少の家からでも、雪と考えて準備をした。

 急遽牛岳へ変更した途端に、「ありゃ~」、雪のないところ、雪が溶けたところなどと、グチャグチャ・ドロドロを連想してしまった。しかし、ゲレンデ歩きも、すぐに雪になり、泥まみれの懸念は全くなかった。それどころか、あまりのハイペースに汗を掻き、雨具を脱いでしまったのである。

 着心地はいいのであるが、あえていうなら、ポケットの位置が、これまでの物と違い、慣れるまで時間が掛かるかもしれない。でも、有り難い事である。何もしてやれなかった子供達に、このようなプレゼントをもらえるなんて、ちょっと嬉しいし、この時ばかりは、誇らしく思うのである。 p.m.11:59



12/17 烏帽子山・鋲岳の同窓会的山行終了後、はるちゃんと、「久しぶりに飲もうか? 泊まればいいじゃないか!」 になった。そんな事もあり、まきちゃんとの山行は、行き先が、なかなか決まらなかった。結局、在り来たりの「大辻山」を約束して電話を切った。

 今朝、はるちゃんを見送ってからの準備、そして、ラッシュに引っ掛かり、まきちゃんとの待ち合わせのアルペン村には、大幅な遅れになると思い「山ノ神」にメールを打ってもらった。しばらくして、まきちゃんから、携帯で「搭倉山」の提案があった。もっとも、昨夜は、大辻山・高峰山・鍋冠山・牛岳を提案し、その中から、お互い何となく、大辻山になった経緯があった。

 予期せぬ提案に、しばらくご無沙汰している「搭倉山」は、積雪が予想され、地図がないからと、退けた形になった。アルペン村に向かいながら、何とか、彼女の希望を適える事が出来ないかと、富山市に住む北ちゃんに電話をしてみた。

 「私のいる所から、北ちゃんの家は遠いかね。出来たら搭倉山の地図を印刷してもらって、取りに行きたいと思っているのですが・・・」 すると、北ちゃんは、「遠い・遠過ぎる。全然方向が違っている。」 そして、「イッちゃんが9時に迎えに来る。今日は時間がないので、小佐波御前山・祖父岳・牛岳のどちらかに行こうと思っている。」 と言った。

 そうなると、誘われたわけでもないが、私の方が、北ちゃんや、イッちゃんにも会いたくなり、その行き先の一つである「スキー場からの牛岳」 に乗っかる事になった。その旨をまきちゃんに伝え、山田村(現在富山市)で待ち合わせる事になった。

 雪のない牛岳スキー場の駐車場発が午前10時20分。入院中のeiko女史を見舞、尚かつ、北ちゃんが、午後5時までに、帰宅しなければならない条件を満たすために、午後2時半から3時までに下山・出発しなければならないスケジュールである。

 始めは雪のないゲレンデを、上部では50cmの積雪の中を、駆け上がるように歩いた。林道、そして、二本杉からの登山道と、北ちゃん・イッちゃん・まきちゃんの快足揃いの中では、終始我々夫婦は遅れがちであったが、それでも要では、ちゃんと合わせてくれる気の使いようであった。

 その気持ちを酌んで、ロートルの我々も、精一杯頑張った所為もあり、午後1時前には、山頂に辿り着く事が出来た。山頂では、記念写真を撮るだけになったが、今日も何故か、その時ばかりは、視界が広がり、我々を歓迎してくれたかのようであった。

 山頂より少し下がった所で、風を避けての食事も、僅か20~30分とし、快足を飛ばした。まるで走るように・・・・間に合わないのではないかとの懸念を、払拭するような足取りは、時計を見て、ビックリである。1時間を切るタイムであった。

 5人で、友坂にある病院に、eiko女史を見舞、もう次行く山の話、快気のお祝いパーティーの事などで、短い時間であったけれど、和やかな一時を過ごした。eiko女史は元気。すぐ元通りになる。



12/16 「電波が届きやすく、尚かつ、わかりやすい。」 そんな理由から、黒部市田家のコンビニに集合した5台の車が、田籾を経由して、50cm前後の積雪のある嘉例沢森林公園下に辿り着き、出発したのが、1時間20分後の午前8時過ぎであった。

 リタイヤしなければならない車があったが、林道歩きを、強いられなかった事が、一番日の短い時だけに、今回の烏帽子山頂に届いた最大の理由であった事は間違いない。

 当然、山頂を目指すものであったが、同窓会的山行だけに、参加者全員が、山頂を踏まなければ意味がない。4時間のアプローチは、結構長かったのであるが、山頂で、一人一人握手を交わせたのが、最大の喜びであった。

 14名が、すっぽり入るタープ中での食事会は、それはそれは凄いものである。相変わらず、堀シェフの姿造り(刺身)や、テラミスに歓声が上がった。そして、各自が持ち寄った食材が、ザックの中から、出し切れない程なのであるから・・・

 笑いの絶えないタープの中から、僧ヶ岳に連なる山々が、陽を浴びて輝いて見えたのも圧巻であった。必ずしも、長くはなかったが(2時間余)、真冬の烏帽子山頂に立てた全員が、満足のいくものだったろう。

 鋲岳を経由して、嘉例沢森林公園下の車デボ地点に戻った時は、まだ日が落ちる前であった。またまた、一日をフルに使った充実した山行であったが、今回この企画に、池原氏とBOWBOW嬢の参加を願ったのであるが、それも、大いに盛り上がった要因であった。「またお会いしましょう。」 と、何度も握手を交わして、帰宅の途についた。

 

12/15 朝方は、思ったより暖かかった。そして、雪も降らなかった。降ったら降ったで困るのであるが、降らなかったら降らなかったで、ちょっぴり淋しい。吹雪や大雪はイヤなのでが、山には適当な雪が欲しいのである。雨が降ってビシャビシャ、雪が溶けてドロドロがイヤなところ。

 気温が下がって来た。明日は降るかもしれない。降っても、降りっぱなしはイヤなのだから、横着なものだ。雪の中、黒部にある烏帽子山を目指すのであるが、今回は、宴会よりも登頂に拘りがあるように感じる。宴会は、付録で、本来の山行スタイルに戻るのか?

 でも、ザックの中には、これでもかというほどの食材が、いっぱい詰め込まれているに違いない。どちらにしても、安全で楽しく、想い出として残るものであって欲しいと願うものです。 p.m.7:50



12/14 同窓会的山行の行き先が、ようやく決まった。予報というものを尊重しなければならぬ事は、重々承知しているのであるが、誤差というのであろうか、上方修正なら良いのであるが、その通りに、ならなかった時の落胆は大きい。企画する者として、全ての事を、頭に入れなくてはいけないので、やり終えるまで、結構辛いのである。

 鋲ヶ岳・烏帽子山に、行き先を決めたのであるが、その鋲ヶ岳へは、届くのであるが、時期が悪いのであろうか、烏帽子山には何度となく、届かなかった事が思い出される。死闘の末なのか、それとも宴への誘惑なのか、各人の思いが、それぞれ違うのである。

 今回の行き先が決まったのが、午後8時過ぎであるから、多くの方々へ、積極的にアプローチしなかった所為もあるのかもしれないが、午後11時半現在の参加者は13名。研修会・仕事・ケガ・入院・別の約束事などが理由で、参加出来ない方々も多くあるようだ。

 同窓会的と唄っているのであるから、新たな方が参加される事も難しく、一年一年、年老いていくのであるから、元気さ、または、要職に就かれて、思うようにならぬのかもしれない。今回不参加であっても、私の心の中では、いつでも旧友を受け入れる準備があるし、酒なくても、充分に語り合える事は出来る。 p.m.11:40



12/13 「もうちょっと、降るなら降れよ!」 中途半端は、同窓会的山行の企画者として、非常にものい。(難しい=富山弁) 悪天なら、当然、屋根のある所になるが、アプローチが短く、雪量がなければ、意図も簡単に目的地に着き、宴会モードになってしまう。

 それはそれで、良いのであるが、飲まない者・ハンドルを握る者にしてみれば、あまり面白くない事になる。逆に雪量が多くなり、林道も歩かなければなると、アプローチが長くなり、大人数だと、殊の外時間が掛かりすぎる懸念が生じてくる。

 元気者だけを、前に集めれば、そうでもないのであろうか? 飲まない者にしてみれば、その方がよいのかもしれない。屋根のない山頂の場合は、ある程度の雪量が欲しいし、タープなどの装備が必要になる。本来はその方が山らしいし、長居も出来ないのであるが・・・

 さてさて、当日は、どのようなお天気で、同窓会的山行を迎えてくれるのか、ギリギリまで、待たなければならないであろう。 p.m.11:55



12/12 私のPC使用では、どうかと思ったのであるが、今日から「光」になった。当然メールアドレスも変わるのであるが、HPは、ジオシティを使っているから、そのままでいける。

 昨日はどうなったのであろうか、Outlook Expressの「受信トレイ」 にあったメールが、昨年9月23日から、昨日の午前中までのものが、何処かに消え去ってしまった。何処を探してもない。特別なミスをしたわけでもないのに、狐につままれたような感じである。

 容量オーバーで、上書きされた以外考えられない。IDやパスワード・ライセンスキーなどは、万が一の為、別保管に心掛けているのであるが、最近、少々なまくらをしていたところも有り、痛い目に遭いそうである。そして、心に残るメールも有り、それが消えたのには、かなりのショックを受けている。PCの事、いつか、パーッと、蘇るなんて事はないのであろうか・・・

 幸い「送信トレイ」 側のメールは残っているので、記憶を蘇られれば、何とかかんとか、その辺の主旨は分かるのであろうが、老化した頭では、心持たない限りである。

 送り主が何でもないと思っても、受ける側に感動を受けるものもある。逆のケースもあるのだから、言葉(語句)選びを、慎重にせねばなるまいと思うのであるが、なかなかである。

 「ご意見ご要望はこちらまで」 で、アドレスを公開している所為もあるのか、一日に100通以上の迷惑メールがやって来る。「削除済みアイテム」 に、流れ込むシステムになっているのであるが、それでも厄介である。初メールなどが、そこに紛れ込む可能性も否定出来ず、やはり点検をせねばならない。

 最近は、その「ご意見ご要望はこちらまで」 を縮小しているのであるが、全廃すると、繋がりを、全く絶やす事になる。このアドレス変更の機会を、どのようにすれば良いのか現在思案中である。 p.m.11:30



12/11 直近の1年間に、6回も試みた人形山であったが、結果的に、その内の4回は、春木山へと、道をそらした形になった。

 6/5は、「山ノ神」と、コシアブラ採りをしながら頂きに、9/16は、山頂で上総の哲ちゃんとの遭遇した。4/2は、長い林道歩きがあり、登頂を断念し、春木山へ、4/15は、林道歩きはなかったのであるが、ハレルヤの大所帯故に、人形山・カラモン峰行きも、あえなく、進路は、取り舵で、春木山へ。

 昨年末の12/25と、今回は、「好山病・・」 もしくは、「好山病・・」 が主。またまた春木山になった。

 人形山へは、少々お天気が悪くても出掛けるようになっているが、春木山だけに関すると、何故か結果的には、好天に恵まれているのである。

 山にも、巡り合わせというのもあるのか、私の出掛ける大猫山は、意外とお天気に恵まれない。いや、展望がないと言った方が、正しいのかもしれない。一年中(休日毎に)出掛けるのであるから、そりゃ~、雨の日も、風の日も、雪の日もあるさ。p.m.11:55



12/10 あの予報は、どないしたのであろうか? 大崩しないと思ったが、チラチラと雪が舞うだろうし、視界が悪く展望など、あるわけがないと、大方のメンバーが思ったに違いない。バースデーのねぎちゃんに、天は、よろめいたのであろうか、起きて、空を見上げれば、満点の星であった。

 その余勢が、我々に、喜びと余裕を与えてくれたような気がする。本来のピークに拘らず、雪中を、お互い気遣いながらの歩きである。余力があっても、順応してくれる様は、何処のグループにも負けないような気がする。頂きは、「春木山」としたが、その頂きには、行った者しか分からない喜びがあった。 p.m.11:59



12/9 「何処かへ行きませんか?」 「何処に行くの?」 「何処でも良いから・・」 を集約して、人形山方面に行く事になった。何処まで車が入るか分からないし、雪(量)の状態も分からない中、お天気を見ながらの歩きとなる。私が主宰となると、「弱い者に合わせて、ペースはゆっくりだよ!」 と念を押す。

 それでも、俄に、7名が集う予定である。お天気を目掛けて登るわけでもない。大崩しないから、1700m台の高さの山に、向かうのであるが、共通するのは、歩きたくて、歩きたくてしょうがない者ばかり。
 例え、宮屋敷で終わろうが、行き先が、春木山に変わろうが、雪の中で、戯れれば良いのかもしれない。
 

12/8 同窓会的山行として、「山の情報」欄に、お知らせを載せた。日頃、ご無沙汰している山仲間と、「一年に一度ぐらいは、会いたいものだ!」 が、企画の主旨であるが、しかし、もしかしたら、それは私の独り善がりかもしれない。

 でも、良いのである。「会える人だけで・・」 旅行と同じで、あの方も、この方もと、顔を思い浮かべている時が、一番楽しいのかもしれない。それこそ、山ほどある話が、お会いしても、それ程語られ尽くせないものである。

 もっとも、あちらにも、こちらにもと、細切れの話しか出来ないからかも・・・  
 同じ話題で、時を過ごすのは難しいかもしれないが、交流の輪が広がる事だけは間違いない。仕事など、いろいろな事情で、参加出来ない方々とも、それを機会に、交信が始まれば、それも有意義というものであろう。



12/7 労山の尾田さんと山談義の機会を得た。先頃、2週間を要して、四国・九州・そして、屋久島まで出掛けられた話を伺った。中でも、宮之浦岳登髙中、優れぬお天気であったが、突然現れた雄姿に、感極まって、涙が零れてしまったという話が興味深かった。

 普通なら、山スキー・沢登り・岩登りなど、山に関しては、オールマイティーの尾田さんが、私など相手にされないのであろうが、山の何かが、通じるのであろうか、時々、私に声を掛けてくださる。もしかしたら、毎日バカな事を綴っているのであるが、その中の何かに、反応してくださっているのかもしれない。

 アルコールが、全くダメな尾田さんであるが、飲んべェ~の私に、湯布院産の焼酎を、お土産にの心遣い。そして、「一年に一度ぐらいは・・・」 をくみ取ってくださったのか、「今度の月曜日、何処かに行きませんか?」 のプレゼントまで付いた。そして、それが、牛岳であっても、誰か一緒でも、またゆっくりでも良いとの事、さてさて、お天気は・・・



12/6 一旦溶けた雪が、また里まで降りて来た。下界ではいらぬが、山登る者にとって、雪は待ち遠しい。しかし、降り始めの雪が一番歩きにくく、未だ定まらない気温故、雨・ミゾレが、殊の外厄介である。私が歩くようなところは、少々寒い・冷たいを、我慢すればいいのであるが、山深く入ったり、高所に行かれる方々には、本当に辛く感じると思う。

 高所では、雨具と防寒具の使い分けも命に関わる事、手袋となると、尚更厄介かもしれない。こまめに取り換えるしかないのであろうか? こんな折、届入れ条例施行前に、剱岳を登る話を聞いた。一番難しい時かもしれない。難なく登れるかもしれないが、一つ間違うと、命に関わる事に・・・私には、手が届かぬ人の話であるが、やっぱり気になってしまう。



12/5 長勢君の「越中の百山」制覇は、気力・体力だけでは出来なかったと思う。装備やルートを、これまでやるのかと思うほど、熱心に勉強していたし、「運」も当然のように味方したと思うが、私は何よりも、彼の性格から来る「執念」だったのではないかと思っている。その入れ込み方は凄く、さおりさんやお子様達が、よく我慢をしたというのか、理解があったから、この偉業が達成されたのかもしれない。

 もしかしたら、短期間で成し遂げた事や、年齢的にも、レコードかもしれないが、それに驕る事なく、また新たな目標に邁進して欲しいと願うものです。祝賀会の会場で、「我々仲間を、一人でも多く、同じ山頂に導いてくれてこそ、本当の越中の百山制覇!」 などと言ってしまったが、これが、余計な負担に、ならなければいいのですが・・・・



12/4 一夜明けた宴会々場から、眠い目を擦りながら、手短な大辻山に足を向けた。芦峅寺からは雪となり、立山国少の家付近では、積雪が10cmを超えていた。スリップしながら、結果的には、長尾峠下の通常の登山口付近まで、車を入れる事が出来た。 (積雪15~20cm)

 降りしきる雪の中のスタートで、しかも、午前10時頃であったから、荷は一つに纏め、スノーシューとカンジキも、ザックに括り付けた。寝不足とお天気の悪さから、なるべく行動時間を短くし、早く家に戻るつもりであった。

 前日のトレースも、新たな降雪で、消されてしまっていたが、壺足でも問題なく歩く事が出来、荷なしの「山ノ神」は、意外と快調であった。荷を担いだ私の方が、足取りが悪るかったかもしれない。⑥から私は、荷の重さに耐えきれず、スノーシューを履いたが、「山ノ神」は、終始壺足で通した。

 それでも、1時間50分で山頂に辿り着いたのであるから、我らにしてみれば、まずまずのペース。昨夜の宴会から、いつの間に掠めて来たのか、(注・ちゃんと正規ルートだそうである。) 私が担いできたザックの中から、ビールを取りだして飲む始末。いやはや・・・

 「20分で、帰るよ!」 と言っていたのが、「山ノ神」点滴のため40分となった。登山開始当時の降雪も弱まり、快適に降る事が出来た。「荷ナシ(空荷)では、絵にならない。」 と「山ノ神」に荷を担がせたら、「何が入っているのかと問われてしまった。」 「通常装備。まさか、金塊が入っているわけがなかろう。」 を繰り返したが、すぐに荷は、私に戻された。

 1時間程で車に戻ったが、新たな積雪は、少なかったようであった。それよりも、低温故に、林道の下りの方が気を使ってしまった。

 暗くならない前に帰宅し、載るであろうと思っていた新聞に目を通した。長勢君の「越中123山 3年で踏破」 の記事が、とても良い所に載せてあった。新聞記事に、少しは関わりがあっただけに、安堵と共に、胸を撫で下ろした。

 しかし、私の名まで出ていたのには、嬉しさよりも、他のメンバーの方々に、ちょっと、申し訳ないと恐縮してしまった。



12/3 降水確率90%、怪しいお天気に雨具を纏っての出発となったが、それ程の雨にはならなかった。この日に、「越中の百山123座」を、制覇するために、駆け上がって来る長勢君を、午後1時前後と設定し、山頂で雨を凌げるようタープを張って、我々が迎え入れる形になった。彼の社用で、急遽変更になったスケジュールは、時間の都合から、足早の彼と同行するより、山頂で待ち、セレモニー後、下山を共にするものであった。

 下草を刈り、木々を利用して張った3枚のタープに、時折、強く雨が叩き付けた事もあったが、45分で駆け上がってきた彼の熱気が、その雨も吹き飛ばすかのように、記念撮影や花束贈呈時には、ちゃんと止んだのである。

 夕刻から吉峰で行われる祝賀会に間に合わせるために、山頂では長居は出来なかったが、その短い時間であっても、皆からの祝福を受けながら、勝ち取った123座を、彼は、じっと噛みしめていたように、私には感じられた。

 午後5時(結果的には、5時半)からの祝賀会は、今回もeiko女史のアトリエで、お世話になったのであるが、早めに飲んで(遅くまで飲まない。)、明朝の出勤時には、酒気を残さない配慮があった。この日ばかりは、当然の如く 「長勢・ながせ・ナガセ」 の一日で終始し、遅い者は、午前3時近くまで、山談義が続いたようであった。



12/2 明日は、二子山に行く。長勢浩一君(真っ黒ネコ君)が、「越中の百山123座」を、登り切る日である。表現が悪いが、私が登れないから、登ってくれるようなものである。何故か私事のように、今朝からワクワクしている。どのように祝ってあげればいいのか、無い知恵を絞らなければならないからである。

 月曜日なのに、今のところ15名が参加する。しかし、突然、彼の職場の辞令交付式が重なり、楽しみにしていた仲間との歩きが出来なくなった。予想される雨・雪の中、駆け上がってくる彼を、我々が山頂で迎える変則的な祝う式典になる。

 もしかしたら、それが彼らしく、彼の職場も、それを見抜いたのではなかろうかと、疑いたくなる。どちらにしても、「めでたい。」 話である。明日ばかりは、いや、いつもかもしれないが、「一日中、楽しくて、楽しくてならない日にしたい。」 p.m.11:35



12/1 今年も残すところ一ヶ月となった。何もしないで、また、一年過ぎて行く事になる。休日以外のスケジュールも詰まって行くが、その割には中味がない。「山だけに、現を抜かしていた生き方は、果たして、どうだったのであろうか・・、またどうなっていくのだろうか・・」、これは、私の永遠のテーマなのかもしれない。

 差ほど大きな目標がなくても、それに入れ込んでいるだけでも、素晴らしい事だと思いたい。いや、思い込みたい。それには、仲間がいる。友が必要である。いつも揺れる心を支えてくれる人である。認めてくれる人。応援してくれる人。慰めてくれる人。それを求めるのであるから、人の心は弱い。だから、一人では生きていけないのであろう。 p.m.11:59