1/31 今日で、1月も終わりである。1/12(12分の1)が過ぎる。この分では、一年なんか、「あ~っ」 という間に終わってしまうかもしれない。「好きな事が、後何回出来る。何年出来る?」 と、友人・知人を含め私の周りの人達に言っても、ニヤニヤしながら、返事をしてくれない。よく考えてみれば、「何と言えば良いのか・・」 になるのかもしれないが、「私は焦っているのかな?」 それとも、「燃え尽きないうちに・・」 の不安からかもしれない。

 「元さんの山歩き」は、途中挫折がありながら、2/6で満8年になる。「山歩き」 と題しながら、最近の内容は、ボヤキや嘆き、そして、思い付きなどと、元来の主旨から、些か掛け離れようとしている。

 それは、周りに、実力者や、きめ細かく記述してくれるHPが数多くあり、もう、その用はなくなってしまった感がある。使命感もなくなり、面白さに欠ければ、その内消えゆく運命にあろう。
 しかし、山へ行ける間は、連絡用として、或いは、自分の記録だからとか、何とでも理由付けをして、長らえているおかしなHPである。

 そんな事もありながら、「元ちゃん・元さんの山歩き」 を通じて、多くの山仲間を得た事に間違いなく、本当に感謝しなければならない。 p.m.11:30



1/30 ビックリするような日中のお天気であったが、これから西高東低の冬型に変わるようである。あまり降って欲しくないような気もするが、山だけは降って欲しいと思うのは私だけではあるまい。

 しかし、雪だるまが並ぶ週間予報で、私の休日の前日(日曜日)だけが傘マークである。予報というものは、大概、翌日にずれ込む事が多く、一番イヤな予報である。

 まだ日にちがあるから、どのように変化するか分からないのであるが、キャンプの予定もあるだけに、気勢が上がらない。思い切って、太平洋側の案もないではないが、西高東低がはっきりしなければ、その気にもなれない。

 「出来れば、富山の山で、模様の良い時」 にと思うのであるが、今年は、好天に恵まれ過ぎであるから、それは、「欲」 と言うものであろう。まだ、行き先も決めていない。今回も、ギリギリまで思案しなければならないであろうが、日帰りであっても、いつもの近場の低山であっても、一向に構わないのであるから、そう力む事もない。 p.m.7:20



1/29 何事も早めにやっておけば、後から苦労しなくてもよいものを、「わかっちゃいるけれど・・」 に今回もなってしまった。昨日の牛岳山行後、通夜に行かなければならなくなり、町内の新年会の準備や、係の人との打ち合わせなども、昨夜の内に終える事が出来なく、今日は、一日中、せわしく動かなければならぬ羽目になった。

 その新年会も、何とかクリア出来、後は、「あれとあれ」 などと、指を折れるようになった。しかし、能力に欠ける私にしてみれば、何もかもが難題で、早く終わって欲しいと思うだけである。でも、時間が過ぎれば、それだけ歳を取り、体力が落ちるのジレンマがある。

 昨日は、「北ちゃん」らの城ヶ平山~ハゲ山に同行せず、牛岳を選んでしまったが、一ヶ月以上、彼との山行機会がなく、あれで良かったのかと、ちょっぴり考え込んでしまった。

 しかし、ちょっと、病の気があった「北ちゃん」であるが、彼のHPを覗けば、今年に入って、5回も山に入っている事を確認! 元気になったのだと思わずにはいられない。その「北ちゃん」とeiko女史の日程が、なかなか合わず、復帰山行と題しての山行が出来ないでいる。



1/28 牛岳は、前日のものであろうトレースが、びっしりと付いていた。それを嫌い雑木と杉林の西側を歩いた。上部で、またトレースに出遭ったが、6合目から稜線までは、そのトレースが続いていなかった。しかし、西尾根からのトレースが、三角点まで続いて、その上を歩かせてもらった。三角点からも、その先の山頂からも、これ以上ないという絶景に、歓喜の声をあげ、牛岳を選んだ事に、満足感が漂っていた。

 一年ぶりにお会いした岩ちゃんとは、「織姫さんみたいだね! 今度は、また来春でしょうか?」 と各々違った山への思いを語り合った。岩ちゃんのスノーシューは、軽くて、リフターのないもので、急登場面では難儀するのであるが、若いからであろうか、ちゃんと皆に付いて来るのである。それも、山行機会が、極端に少ないのであるから、あのすらっとした身体の何処に、そんな馬力が潜んでいるのかとおもう程であった。

 大家族で、かなりの時間制約があり、これから日照時間が長くなるにつれ、我々と、ご一緒する機会が、尚更なくなるのであるが、こちらが、逆にだんだんと元気がなくなっていくから、その内に合意点が見出せるかもしれないねと笑っていたが・・・

 また、「 お天気の悪い時は、その可能性は高いよ!(集合時間が遅い。遠くへ行かない。)」 などと、おかしな山への誘いをしてしまった。それにしても、お天気に恵まれ、快適な素晴らしい山行となったが、登山口で、またまたコーヒータイムとなるなど、それを象徴するかのようであった。



1/27 明日は、「岩ちゃん」と、牛岳へ行く事になった。休日は合っても、なかなか時間が合わない「岩ちゃん」とは、昨年2月の「高落場山・高清水山」 以来となる。集合時間も午前8時過ぎであるから、久しぶりに、のんびりゆっくりになる。今夕、吉尾氏も参戦の意向あり、予想通りの好天であれば、山頂付近で、それこそ、のんびり優雅に過ごしたいものである。 p.m.11:55



1/26 夕刻から校下連合自治会長会議並びに、各種団体合同の新年の懇親会があった。もう私の任期中に、このような会合はないと思っているが、それは分からない。
 来週の火曜日には、町内の新年会がある。当然、下準備なるものがあるから、要領の悪い私の頭中は、現在パニック状態だ。そして、「後2ヶ月、我慢をすれば・・」 と指を折っているのであるが、こんな時は、なかなか日(時間)が進まない。

 3月の総会を乗り越えなければ、この職から放免されないのであるが、「早く自由になりたい。」
 公私ともに、何かと時間を費やさなければならぬ事が多いが、振り返って見ると、必ずしもそうではなく、無駄な時間が多くあるものだと実感する。もしかしたら、山歩きの時間も無駄な事なのかもしれないが、「有意義な無駄」 としたい。「好きな事」なのだからである。

 「山に行くために働く。」 「雑踏から逃れるために山に行く。」 その繰り返しかもしれないが、「何もしなくても良いから、毎日山に行っておれ!」 などと言われたなら・・・果たして、私は・・・



1/25 たくさん降らなかったが、ちょっと安心! まるで雪遊びをする子供と同じである。どの辺が降ったのだろうと、スキー場の積雪が気になるところである。ブッシュが好きでない私は、どうしても雪量を求めてしまう。低山も、これで少し安心かもしれないが、でも、もうちょっと、山には降って欲しい。

 「ねぎちゃん」の所属する上市峰窓会の写真展が始まった。彼女は、4点出品しているらしいが、日程上、私はいつも観覧にいけない。一度だけ、上市の総合病院で、同じ展示が行われ、山の帰りに楽しんで来たことがある。山岳雑誌「岳人」の投稿や市展の作品を拝見し、その凄さは重々承知しているつもりである。



1/24 「お酒は酔うために飲む。」 らしいが、私はちょっと違う。○○会のような、始めから飲むための会ならば、私も何ら変わらない。また、そのような企画でなくても、気のあった者同士が、何らかの機会を得て飲み、大いに語り合って酔うのは、些かの反論もない。

 しかし、何事もない我が家で、晩酌として飲む酒に酔うのは、自分としては、かなりの違和感がある。酒は、酔うように飲むらしいが、私は飲んでも、何かをしたいのである。

 例えば、HPの更新、読書、アルバム整理などなど、探せば切りがない。しかし、これも体力の衰えの一つであろうか、「睡魔」に、悉く負けてしまうのである。ならば、「酒量を減らせば・・」、また 「飲まなければ・・」、なのであるが、やっぱりちょっと淋しい。「飲まない人の事を思えば・・」 なのであるが、よ~く考えてみると自分の自覚が足りない。頼りないだけなのかもしれない。

 私として、晩酌の一番ダメな事は、飲めば運転出来ないから、友人を訪ねる機会が減るし、書店などに行く機会が減り、情報網が欠落する事である。



1/23 今年に入ってからの山行は、お天気も味方してくれる事もあるが、殊の外上手くいっている。言い方を変えれば、順調過ぎる程である。寄る年波には適わないが、膝も何とか持っているし、荷も担げるから・・・欲を言えば、「ご一緒する。」 と言いながら、「また、今度ね!」 と言いながら、すっぽかしている事ぐらいか・・・・

 一週間はすぐ来る。中6日、連休時は、中5日である。年間80日程度の休日と言えども、すぐに消化してしまう。「休日は山へ・・」、「何が何でも・・」 そんな私でも、時々は、これで良いのかと思う事がある。

 あまり不義理はしていないつもりであっても、他人からみれば、何処となく可笑しいのかもしれないし、知らず知らずの内に、世から外れてしまっているのではないかと、疑心暗鬼になる事もある。忠告を「余計なお世話」 といつまで言い続けられるかも、元気でなければどうしようもない。

 「好きな事は今の内に・・ 元気な内に・・」 は、いつか萎む。 そうなると、単独で楽しんだ事など、泡とかしてしまいそうである。やはり、「山ノ神」を含めた仲間との想い出を、多く持たなければ、淋しい人生を送らなければならなくなるのであろうか・・



1/22 人は、いつか登れなくなる。そして歩けなくなる。そんな不安をいつも抱えている。他の趣味と違い足が思うようにならなければ、否応なしに涙を呑まざるを得なくなる。足を痛めた事のある者にとっては、いつも爆弾を抱えているようなものである。それは、山が好きな者ほど強いように思う。

 そのような叫びは、自分も同じ立場だからだろうか、ヒシヒシと受け止める事が出来る。しかし、何をしてあげるわけにもいかない。「山が好きなら大丈夫!」 「その情熱があれば大丈夫!」 と繰り返すしかない。

 でも、ゆっくり歩いたり、荷の負担を軽減してあげる事は出来そうである。そして、「それでも行く。」 と言う仲間を私は見捨てられない。もしかしたら、この先、自分が通る道だからかもしれない。歳の差も性別も乗り越えた山の絆は、そう簡単には切れないのである。



1/21 「休日は、必ず山に行く。」 を当てにしてもらっての山行であったが、行き先が、なかなか決まらなかった。「何処でもいい。」 と言われても、「土倉山はどう?」 が、頭から離れないでいたからである。「1月・雪量・道路の凍結」の不安要因を払拭させたのは、「行ける所まで、そしてまた、行き先の変更もあり。」 の条件下で、募らず行きたい者同士5名となったからかもしれない。

 ところが、早朝の冷え込みも少なく、陽が上がり始める前から、剱岳のシュルエットが、否応なしに目に飛び込んできた。今年の筏井さんの口癖ではないが、「私が出掛けた翌日が晴れる。」 と、零しておられたのを思い出してしまった。

 土倉山へは、最中状となってはいるが、真新しい雪上を、サクサクと気持ちの良い歩きとなる。、途中、採石場付近から上がってきたトレースに助けられるが、人間というのは可笑しなもので、楽が出来る反面、切り開く楽しみを奪われたような気がしてしまった。

 しかし、そのトレースは、土倉山に向かうものではなく、ずっと林道を川沿いに繋がっていた。我々の雪を拾っての登髙は、ちょっと、東側にルートを外した事もあり、標高600mぐらいまでは、結構辛いものであった。

 高度を上げる毎に、雪量が増えていったのであるが、朝方あれだけの晴天であったのに、見る見る内に、ガスに覆われていった。これだけ頑張っているのであるから、「ご褒美として、剱岳の勇壮とした姿を見せてくれないものか。」 との願いは、山頂に届いてからも、適うものではなかった。それどころか、小雪が舞い、ジワジワと気温が低下していった。

 今日は、eiko女史・ねぎちゃん・「山ノ神」の女性3人に、テーブル造り任せる珍事も手伝い 違った意味で盛り上がった。また、吉尾氏のホットサンドを口にした時は、「流石、金屋の料理長!」 と歓声を上げてしまった。それから、寒い中での運転手3人は、ノンアルコールビールを手にしての乾杯! 思わず顔を見合わせてしまった。(随分とレベルが上がった??)

 何にも見えない土倉山頂(1,348m)は、同行の志に、何故か申し訳ないと思ってしまったが、各人それぞれの思いがあり、私が心配するような事はなく、「もしかしたら、今年、土倉山一番乗りかもしれない。」 の方に興味が移った。違っていても、それはそれ、自分達の心には、充分過ぎるくらいの満足感が漂っていた。



1/20 県西部南の積雪は多かったらしいが、県東部には、あまり降らなかったようであった。それでも、黒部側のゲスト3名が加わり、14名とまたまた大所帯となった。急登・ヤブ・アップダウン、そして、杉の合間を縫うような「ぶどうヶ原」 と、変化にとんだ面白いルートであった。

 お天気模様が心配であったが、山頂からは、素晴らしい展望が待っていてくれた。立山・剱が見れれば、自ずとテンションが上がる。左に毛勝・僧ヶ岳と続けば、右に鍬崎・薬師と続く。富山湾・富山平野が見えるのも、何故か楽しくなり、我が家は・・・と、目で追ってしまうものである。



1/19 明日のハレルヤ山行は、魚津の大杉山となる。幹事は堀シェフ、いつものように、事前調査がなされていると思うから、何の心配もいらない。高岡側のゲスト・吉尾氏と中山君が、急遽都合が悪くなり、ちょっと淋しいが、黒部側のゲストは、如何なるものか、まだその情報はない。

 13年の2月、降雪の後の晴天時に、大杉山を目指したが、山頂に届く事が出来なかった。悔しくて、同年9月に坪野から車を入れて、山頂だけを踏んだ記憶がある。明日は、正々堂々と、大杉山頂を踏む事が出来ると思うが、雪量だけが心配である。



1/18 年頭から、わりかし、お天気に恵まれた山行が続いている。年間を通じれば、大体帳尻が合うというのか、そのうち悪天が続く事であろう。

 山に登るに付け、もっとステキな景色を見たくなる。一番良い時間帯は、朝夕であるから、ゆっくりと相成って、泊まりたくなる。これからは、どんどん日が長くなっていくから、行動時間も長くなり、テントに潜り込む時間も短くなっていく。

 お天気さえ良ければ、雪のテーブルに座り、好きなお酒を飲みながら、沈む夕日を眺めるのがいい。暗くなっても、キャンドルの灯りを楽しむのも、それなりの趣がある。それは、まるで、かまくらの中にいる少年のようでもあるが、大人でも感性を大事にしたい。

 私には、月2回のキャンプする機会がある。と言っても、お天気が良くなければならないし、所用というハードルもある。山仲間との付き合いもあり、必ずしも思い通りにいかないのが常である。

 でも、今年は、心を鬼にしてでも、可能性を高めたいと思っている。それは、ず~っと、行き続けるわけにいかないからである。「今のうちに・・」 「悔いの残らない(少ない)・・・」 ばかりではないが、もっともっと、自然と触れ合いたいからかもしれない。それが、低山でも、一向に構わない。



1/17 このところの私は、他の人と違った手袋を使っている。過日、福井の森本女史と、ご一緒した際、晩秋や初冬の冷たいミゾレ混じり時に使用する手袋の話題になったが、彼女から、「園芸用の手袋が良い。」 と言われ、「何かの機会に、私にも買って来て下さい。」 とお願いしていた経緯があり、昨年末に送って頂いて以来、愛用しているのであるが、フイット感の他に、細かい作業が出来、大満足をしている。

 昨年末の高峰山・大辻山から、先日の白木峰まで、ず~っと、使っているのであるから、私にとっては、さほど冷たさは気にならない。何といっても、カメラのシャッターを切る時や、靴紐を結ぶ時、或いは、カンジキやスノーシューを装着する時、またリックの中身を調べる時など、外さなくても良く、かなり重宝している。

 「ウレタンコーティング ソフト背抜き手袋 手首ロングタイプ」 と称しているこの商品は、表がポリウレタン樹脂、裏がナイロン100%であり、用途は、野菜・果物の手入れ、収穫、選別などの細かな手作業に、食品関連・各種研究機関の検査工程、精密機器、細かな部品の取り扱いなど記されている。

 また、特徴として、「ウーリーナイロン編手袋の指先と、手のひら側だけに、ポリタン樹脂をコーキングしているので、通気性が良く、蒸れにくく、ソフトで長時間の作業も快適ある。」 としている。

 先日、DYI店で、「山ノ神」用として、類似品を買ったが、サイズが合わずしてか、指先の作業がイマイチであった。もうちょっと、調べてみなくては・・・



1/16 5年程履いたのだろうか、プラブーツの足首上に当たるところ、ベロ?、耳?、それとも、前皮コラップと言うのであろうか、割れてきたので(切れてきたので)3ヶ月前に、メーカー送りの修理に出したのであるが、修理代が高額なため戻してもらった形になった。

 持ち込んだお店の方では、修理してあげたいが、時間がないので、シーズンが終わってから、もう一度持って来て欲しいとの事で、当方も、雪の時しか使用しないのだから、納得して引き取った。

 その部分は、靴紐をしっかり結べば、さほど気になる所でもない。まだ、インナーの所々に、出来ている欠損(穴)の方が気にかかる。しかし、それは、自分の修理で対応出来る。(お店の方も「上手い事やったな~」と言っておられた。)

 プラブーツを修理に出した時、買い求めた革靴の調子も良いし、併用していくつもりである。足は暖かい方がよい。そして、機能的でなければいけない。私は、低山でも長靴を使用しない。どんな時でも対応出来、悔いを残すのがイヤだからである。



1/15 山歩きを終えて、いつも思うのは、「あれで良かったのか?」 である。参加者が、多ければ多い程、楽しいのであるが、気持ちが行き届かず失礼をしたのではないかと、反省を繰り返さなければならない。また、自己責任と、各々が自覚しているハズであるが、何事もないようにと、祈らなければならない。

 私の力量からして、ネームバリューのある山などには、とてもいけない。「憧れ」「羨ましい」 と思うが、それは仕方がない。自分の力量の範囲以内で楽しむしかない。しかし、それが、またいいのである。何度も何度も登ってみて、その良さが分かるというもの・・・

 しかし、これだけ情報が、公開されているからであろうか、ちょっと、山をやっただけで、意図も簡単に、どのような山にでも、登ってしまうのであるから、些かこちらも、参ってしまう。登れるのであるから、仕方がない。昔が、どうだったと言っても、仕方がない。

 どのような事が起こるか分からない大自然の中で、メカばかりに頼るわけにもいくまい。知識の他に、体力を付けなくちゃ。もうすこし、もうちょっとの気持ちがあるのなら、それは最低条件になるのであろう。



1/14 集合場所では、いつの間にか9名になった白木峰行き。山そのものより、凍結した行き帰りの道路も気になるところであった。山中、マイナス5~10℃で、吐く息も白く、お互い顔を真っ赤にしながら、立ち止まれば、「寒い寒いの連発!」 であった。

 「行ける所まで・・」 を事前に周知しての参加を仰いだが、予想を遙かに上回るペースに、もしかしたら、山頂に届くのではの勢いになっていった。低温であったが、深雪ではなく、予報を覆すお天気に恵まれつつあるこの時に、「1月の白木峰山頂」に執着したくなったのは、私だけではなかったのではと思われた。

 しかし、全員登頂でなければ、今回の山行の意味はなく、ペースもゆっくり、粘り強くを、訴え続けたつもりであった。「頑張れと言われても足が上がらない。」 「もう少しと言っておきながら、まだではないか。」 を繰り返しながら、山頂に立てば、何もかもが払拭され、唯々感激の握手とカメラのシャッターを切るだけ。もしかしたら、誰もが、厳冬期の剱岳や、ヒマラヤの山々の頂に立ったような気分を味わったのではなかろうか。

 「素晴らしい!」 「ハッピー!」 を繰り返しながらも、寒くて山頂には長居出来ず、白木小屋に、なだれ込む。しかし、雪のため小屋へのドアが開かず、また一仕事が待っていた。小屋での食事の温かいものは、何もかもが美味しかった。小屋に備え付けの日記には、今年になっての書き込みがなく、もしかしたら、我々が、一番乗りと言う事だったかもしれない。

 車デボから5時間近くを要して山頂に、小屋では1時間半程の食事と休息、さてと、腰を上げたのが、午後2時40分頃であった。少し日の暮れるのが遅くなったこの頃であるから、一気に降れば、余裕の計算であったが、硬く凍った急斜面を全員では降れなかった。一部林道を迂回したのであるが、今日の低温で救われたのであろうが、なだれの巣のような所を通過するのであるから、気が抜けなかったのである。

 でも、終わってみれば、9時間半を要した今日の白木峰山行に参加した9名、各々が、忘れられぬ想い出として、心に残るのは間違いないと思っている。



1/13 少雪、今度は寒波の予報、山行く者行く先に困る。そして、誘いも出来ない。しかし、「あいつは必ず何処かへ行く。」 少しは、当てにされているのかもしれないが、いつの間にか、白木峰へ6名が集う事になった。「ゆっくりだよ!」 「途中で止めるかもしれないよ!」 の条件を呑んでもらった。

 ワイワイ騒ごうが、他に誰も来ないし、ゆっくり山の話をしてみたい。歩きながらであろうが、食事時のベンチであろうが・・・明日は、そんな日にしたい。明朝は、ぐ~っと、冷え込みそうである。気を付けて運転しなければ・・・ p.m.11:20



1/12 「いつも楽しみにHP拝見しています。確か、娘さんが黒部峡谷がお気に入り? だったと記憶しています。 黒部峡谷鉄道発行のカレンダー 年末に頂いたものですが、今日送りました。 よかったら娘さんに送ってあげてください。・・ (後略)」  私のファンから、このようなメールを頂き、今、「ゆうパック」で、送られてきました。縦長のカレンダーで、トロッコ電車を題材にしたものです。(12ヶ月)送りましょうか? ← これは、私が東京の娘宛に送ったメールである。

 「せっかく送って頂いたもの、是非送って下さい。素敵な方がいらっしゃるものですね!」 との返事が娘から来た。娘には、私のファンだと勝手に記したが、送り主は、県東部にお住まいのS女史で、記憶に間違いがなければ、8年前の1月負釣山で、お遭いした事があるだけの方である。たった一度だけしかお会いした事がないS女史であるが、賀状のやり取りだけは続いているし、年に1~2回ほど、忘れた頃に(失礼!)メールを頂く事があった。

 同じ趣味だから、いや、「山の友の絆は、強く深いのだ。」 と私は常に叫んでいる。一日を共にするの行動は長い、同じ釜の飯を食う、大げさかもしれないが、運命共同体である。それが、山中で一言だけしか言葉を交わさなかったとしても、きっと、何かが通じ合っているものと私は思っている。私だって、イヤなものは、イヤであるから・・・・・

 このような、機会があったから、もしかしたら、今年は、また山中で、バッタリお会い出来る予感がしないでもない。負釣山でお遭いした同じ年、T女史遭難の事で、お電話頂いて以来であるから・・・・



1/11 二つの不幸が重なった。通夜が同じ会場で同じ時間。仕方がないので、「山ノ神」にも、強力を求めた。葬儀は、おそらく一つしか行けまい。この後、「新年の集い」「自主防災組織の結成」「総会」 などを経なければ、町内会長から放免されない。

 ガワハタから見れば、さほどでもないように思われる任務であるが、ず~っとであるから、気が重くなる。要領が悪いから、尚更なのかもしれない。やはり、やってみなければわからないが、本当のところか・・・

 山行に関しては、今のところ影響は少ない。それは、「必ず出掛けなければならない。」 という使命感のようなものが働くから、行けたのであろう。例え、それが半日であろうと、僅かな時間であろうがである。

 良い悪いは別にして、「やりたい事。」 が、「やれる。」、 それが、私の心の支えなのかもしれない。その「やりがい」が、消えた時の事を、一番心配しているのが、自分に他ならない。

 「山に行けなくなったら、半分死んだようなものだ。」 「歩けなくなったら、死んだようなものだ。」  と、ず~っと、言い続けて来ただけに、もっともっと、身体を大事にしなければならない。

 ちょっとした事で、ケガをしたら何にもならない。飲み過ぎ食べ過ぎにも、注意を払わなければなるまい。大好きな事を、ず~っと続けたいのなら、当たり前の事となるのであろう。

 大した山にも登れない。でも、低山でも、雪のある時に登れば雪山。冬に登れば冬山。富士山や剣岳に登れなくても、自分だけのステキな山の世界はある。



1/10 スパッツを、外そうとしたら、ファスナーが凍って、なかなか降りなかった。放っておけば、そのスパッツも、昆布のようにバリバリになった。テント撤収の時、支柱が、やはり凍って外れなかった。(折りたためなかった。)しかし、ふっと息を掛けたら、すぐに緩んだ。

 情けない話であるが、歯の弱い私には、部分入れ歯がある。それを外して、水の入ったカップの中に漬けて置いたら、当然のように凍ってしまった。全て、大辻山頂の話である。

 テントの中は、それなりに暖かいが、如何せん、地べたが冷たい。私共の使用している銀マットだけでは、ジワジワと冷たさが伝わって来る。その銀マットの下に、薄いレジャーシートなる物を敷いてみたら、意外にも効果があった事に驚いた。

 タープの下とはいえ、裸のままのペットボトルは、当然の如く凍り付き、薄いながらも、ポリ袋に包まれたペットボトルは、平然としていた。

 今回、1月としては、冷え込みが低い方であったが、本来の厳冬期では、そんなもんじゃないハズである。
 昨冬の大倉山では、「山ノ神」が、今一つ馴染めなかった「ゾウ足」だったが、今回は、暖かさや使い勝手の良さに、至極ご満悦であった。それから、ブカブカして、イヤだというエアーマットは、やはり必需品のようである。

 どちらにしても、我が家には、何もかもが、一人分しかなく、良い物は全て、「山ノ神」が、使用するという私には合わないものである。     

1/9 装備を更新する時、「もうどれだけ登れるのか?」 が頭を過ぎる。でもそれは、「今行きたいから・・」 なけなしのお金を使っても買ってしまう。その後、仮に行けなくなっても、納得出来るような気がする。

 しかし、リックは、少々違うのである。大きなリックを買うのには、かなりの納得が必要である。「そんな大きな物を、担げるのか?」 という事である。だんだん体力が落ちて行くのに、だんだん大きなリックになっていく。本当におかしな事なのだ。

 軽くて嵩のある物がある事も承知しているのであるが・・・・ 50・60・70・75Lの容量まで来ているが、流石に80・90Lまで手が伸びないのが現状である。しかし、おかしなもので、ゆっくり、それなりのペースで歩くのなら、何とかなるのである。
 「何でだろう。」 やはり、そこへ行きたいからであろうか・・・



1/8 背中が冷たくても、なかなか、シュラフから、抜け出せないものである。1日目に山頂に届かなければ、「翌日に山頂を踏んだ後、帰りに来拝山を登る。」を考えていたが、山頂に届いたからには、七姫山への稜線が、気になって仕方がなかった。もちろん、下作業済みである。

 薄明るくなって、外に出れば視界が悪く、小雪が舞っていた。お湯を沸かし、食事の準備をしても、元々、何事にも俊敏さを欠く「山ノ神」は、なかなか、テントから出て来なかった。

 「行くのか、行かないのか?」 には、一人でいるのはイヤなようであった。「イヤな所があれば引き返す。」 「ダメだと思ったら退却!」 を条件に、発ったのであるが、七姫山に届かない午前9時を大きく回っていた。もちろん、荷は非常用の物を含め、一手に私が担いだ。

 この時期は、雪庇が発達していないが、フワフワの雪が、樹木に積もり、ややこしい所もある。痩せたちょっと高い所に登ってみたが、「降りられない。」 と足を前に出さない「山ノ神」に閉口した。やはり横の斜面が気になって、スノーシューでは降りられないのかもしれない。

 その先は、益々、その繰り返しになると予想され、撤退を決めたが、通過して来た所を、今度は、「登れない。」 という。仕方がないので、シャベルを出し、階段を造らされる羽目になった。

 いよいよ山頂(大辻山)に近付くと、今度は、私のリックを担ぎたいという。その所為で、最後は足が上がらなかったようであった。
 七姫山への稜線の1/3も歩けなかったのであるが、それでも、ちょっとだけでも、その雰囲気を味わえたと「山ノ神」は、至極ご満悦のようであった。

 山頂に戻る頃から、降雪が激しくなった。この雪の状態からして、下は、ミゾレか雨であろうと予想し、ジャケットを雨具に切り替えた。重荷を背負っていても、下りは早いもの、1時間余で登山口に辿り着いたのであるが、長い長い林道歩きが待っており、良からぬ一言で、帰り道は無言に終始してしまった。



1/7 「この車はどうしたのだろう?」 となると困るから、立山少年の家に、「泊まるから・・」 を、伝えてからの出発となった。しっかりしたトレースを、辿ったのであるが、26kgと16kgの荷は、やっぱり肩に食い込み、お互い顔を見合わせた。私は、体重・着衣・スノーシュー・担ぐ荷を合われると、軽く100kgを超えるのであるから、「ぶくっ」 と予期せぬゴボリには、些か参ってしまった。

 長尾峠まで、2時間、それから、山頂まで2時間半程と、予定を遙かに上回るペースは、剱岳の出迎えまで加わった。時間の余裕は、週末に造られたであろうシェルターを利用して、倍の大きさの物を造る事が出来た。(テントの前に、テーブル・ベンチ)

 山頂まで届かぬ事も想定していただけに、超展望は、大自然からの我々への大プレゼントとなった。夕暮れに近付くに従い、山々は、くっきりし、やがて赤く染まっていった。

 下界では、さほど珍しい物でなくても、山では大変なご馳走となる。こんなに担がなくてもと思ったお酒も、スイスイと身体の中に染み込んでいった。「重荷を担いで来た甲斐!」 と言うのであろうか? 2Lのお酒も、4時間で飲みきってしまった。

 満点の星も、我々に感動を与えた。「寒い」 「きれい」 が、交互に連発された。テントの中は、暖かいのであるが、地べたが冷たく、ジワジワと浸透し、何度も何度も目を覚まさせた。そして、時折、サラサラと小雪が舞う音が、また眠りを誘うのであった。



1/6 明日から年末の計画通り、大辻山雪中キャンプの決行である。お天気は、もう一つであるし、山仲間からの誘いを断ったのが、ちょっと引っ掛かるところである。

 「山ノ神」と、2人の軟弱パーティーであるから、翌朝に中止となる事もあろうし、途中撤退という事もあるかもしれない。しかし、ここまで、こぎつけたのであるから、何とか成功裏に終えたいと思っている。

 あれもこれも、まるで小学生の遠足のようであるが、本当に誰が担ぐのかと思う程である。古い装備・酒類などの関係上、70Lと60Lのザックには、入りきらず、またその上に、乗せなければならないようである。

 毎年、1・2・3月にキャンプ山行を計画するが、実現出来たのは、おおよそ1/3程度である。1月に実行出来れば、その率は、確実に上がる事になる。 p.m.11:30



1/5 「・・・・・・誠に失礼とは思いますが、本年をもちまして、賀状の挨拶を遠慮させていただきとうございます。これまでの心温かいお言葉をたくさんありがとうございました。・・・・・」 このような賀状の返事を頂き、少々ショックを受けている。

 私より、少~し、年上の女性で、一度しかお会いした事がないのであるが、気品があり、優しく、ちょっと気になるお方であった。年齢を上げておられたが、身体を壊された事が原因なのであろうか・・・・

 一方で、山小屋アルバイト時代から、40年余、ず~っと、賀状を出し続けている女性がある。高校を卒業して、1~2年後であったろうか、一度だけ、私を訪ねて来てくださった事があった。何を話したかも覚えていないが、別れ際に、当時、骨折か捻挫で包帯をしていた手を、千切れんばかりに握られ、思わず「痛い!」 と叫んだ事だけは、よ~く覚えている。

 「いつかまた、お会いしたいですね。」 と言いながら、40年一度もお会いした事がない。もっとも、一年に一度の賀状に、近況報告や自分の山へ対する気持ちを、書き綴っているだけであったから・・・・

 そのお姉さんは、幾つなのだろうか、ず~っと、 年上に見えたが・・・姓も変わっていないし、住所からして、大阪で一人アパート暮らしのようにも思える。しかし、お元気なら、そんな事は、どうでもいい。

 きっと、私の一年に一度の便りを、楽しみにしてくださっているに違いないから、私は出し続けるであろう。それは、やはり、共通の想い出があるからに、他ならない。



1/4 年末にプロバイダーを変えた事により、必然とメールアドレスも変わった。併用期間も切れ、今年からは、一日100通は、くだらなかった迷惑メールが、淋しいくらいに、一通も来なくなった。

 メールのやり取りをしている方々には、変更の連絡をしたのであるが、ちょっと、ご無沙汰している方々には、まだ、そのままになっているかもしれない。一番困っているのは、直近の1年半に届いているメールを、不手際で無くしてしまった事である。

 登録されておれば、さほど問題ないのであるが、そのままになっていたものは、都合が悪くなってしまった。(もっとも、送信済みのものが残っているから、探しようでは分かる事になるが・・・)

 かなり時間を要したが、この機会にHP上からも、連絡先(アドレス)を消した。これで、しばらくは、迷惑メールも来ないであろう。しかし、新しい出会いがなくなる事になる。ここが思案の為所である。「どうしたものか?」 「何か、妙案はないものか?」 と思案中である。

 良からぬ人達(業者なのか?)が、HP上のアドレスを、ソフトを通じて、吸い上げていくとも聞く。ならば、「リンク」はしないが、アルファベットや数字を、カタカナで表示しようか・・・・

 迷惑メールも酷いが、電話にも悩んでいる。10通に1通も、まともな電話が掛かってこない。各々が携帯を持っている時代だし、加入電話は、いらないのかもしれない。



1/3 「今日の山行は、長野の実家に戻るムコ殿を、見送ってからにして・・」 と、「山ノ神」の一喝で予定は決まった。午前11時4分高岡発では、行き先が自ずと限られて来る。
 HPの更新をしながら、近所の山好きを、誘うか誘わないか迷った。前々からの約束なら良いが、急に誘われて、戸惑われるのが落ちであろうと思ってしまったが・・

 千石城山を目指して登り始めたのが、0時40分頃。立派なトレースのお陰で、杉林の落雪で痛い目に遭った以外、快適に登れた。通常の登山口に辿り着いた頃、そのトレースを、猛ラッセルで付けた筏井さんから、電話が掛かる。「今何処にいる?」 「登山口」 だと言ったからであろうか、寒さに耐えきれなかったのか、それとも奥方がいなかった所為であろうか、途中で会った感じになった。お互い「3日は、千石城山」 と言い交わしているわけでもないのに、よく出遭うのである。

 車中、コッフェルを忘れた事に気付いた事もあり、炊事類の用具は、荷から外した所為か、山頂まで1時間ほどで達する事が出来た。山頂には、お馴染みの佐渡さんと池田さんが待ち構えていてくださった。握手を交わしながら、ちょっとだけの会話に、記念写真を撮って、すぐさまに降った。池田さんは、息子さんと一緒であったが、ちょっぴり羨ましかった。千石城山は、びっしり雪の山であった。 p.m.8:00



1/2 重度の好山病を患っているオヤジは別にしても、母親は、毎日出掛ける事は出来ないであろう。「山ノ神」は、年末から、覚悟していたようである。もっとも、恒例となっている箱根駅伝を見たいというのも一つの要因でもある。

 ならば、私もお昼過ぎに帰って来れば、問題はないであろうと、夜の明けぬ薄暗い頃から準備に取りかかったが、まだやらなければならぬ事があったりして 、出足は悪かった。

 471号線、やや利賀側の小牧ダムが見落せる所の駐車スペースを利用しているが、既に車が一台止まっていた。しかし、登山口には、トレースらしきものがない。林道を横切るに当たって、初めてトレースに出くわした。林道登山口では、1時間遅れの私の方が、先に出てしまったようであった。

 五合目下で、お会いしたのが、登山を始めて2年目だという坂田氏であった。私よりも20歳も若く、高岡から来たと聞き、何故か近親感が宿った。「正午まで家に戻らなくてはいけないので・・」 と言う彼を、「1時間もあれば降れるから・・」 と強引に、6合目まで誘った感じになった。でも、その間の猛ラッセルは、きっと彼には、想い出深いものとなるであろう。

 お天気は、上向いて来たのであるが、私も正月から、毎日山に出掛け、娘夫婦を、蔑ろにしているようではいけないと思い、坂田さんと、一緒に降る事にした。



1/1 「初詣の代わりに・・」、また、「ジョギングに行ったと思って・・」 と、いろいろな言い訳を作って、2人で、初登山に出掛けた。「午後2時半までに戻るから・・・」 と、またまた、怪しい約束を作って・・・

 家に戻ったら、戻ったで、また二人して、新年会に、出掛けなければいけないのであるから・・・・・42年間も続いている行事である事を知っている娘は良いとしても、冷静さを装っているムコ殿は、何とおかしな家なのかと、思っているかもしれない。


 もっと、早く出掛ければ良かったものを、午前7時を大きく過ぎての出発であった。閑乗寺スキー場の駐車場の積雪は、30cmを超えていた。降ったばかりのフカフカの雪の中を、歩くのであるから、年始めとしては、誠に結構な話である。

 林道を離れての登髙は、なかなか高度を稼げなかった。飲み過ぎなのか、寝不足なのか、いや両方であろう。とにかく、足が重かった。ず~っと、雪は降り続き、時には、風を伴って、強く吹いた。

 雪の重みで倒れた樹木を跨いだり、潜ったりで、いらぬ疲れが加わって来ると、「頂上まで行くの?」 の囁きが聞かれるようになって来る。「もう少し・・ と言うけれど、そんな言葉が、当たった試しがない。」 と、まで・・

 八乙女峠に着くまで、3時間を要してしまい 「山頂を取るか、食事を取るか!」 になったのであるが、「山ノ神」の言わずとしれた食事の選択である。もっとも、私も、雪を掘り試したい事があったので、その作業に入ったが、結構戸惑り時間を費やしてしまった。

 「山ノ神」に、早く早くと急かすので、「ゆっくり飲めない・・」 と、不機嫌になりかけたが、それでも、ビールを飲むのが優先なのか、起こってなんか、おられなかったらしい。

 復路は、林道を通らなかったのが奏功してか、1時間掛からずに、閑乗寺スキー場に戻る事が出来た。午後5時からは、高校時代からの有志の会(管鮑会)に出席し、その後、機嫌良く家に戻ったのであるが、やはり一連の疲れが出たのか、ムコ殿との付き合いも、そこそこに(と言っても午前0時近く)休まざるを得なかった。