2/29 一向に予報が良くならない。夜半から風を伴った雨になった。雷鳴も轟いている。山は雪かもしれないが、雰囲気は良くない。大地・初雪山行の決断は明晩にずれ込んでいるが、その判断は難しい。私は、葬儀・初七日の法要をお勤めしながら、刻々変わる予報や、空を気にしなくてはならない。

 それにしても、気温の高いのが気に掛かる。吹雪や、始めから、ず~っと雨は、流石の私も足が竦む。明日・明後日のネコ・イヌは何処へ出掛けるのであろうか? 我々の山行の為に、前衛基地を造り上げるコース取りをしたのでは、ちょっと気が重い。 p.m.11:59



2/28 親友の母様が亡くなった。激動の世を生きた人達が去って逝く。頑固で融通が利かず、何が楽しくて生きているのかと思った人達である。家族の為だけに汗を掻き、世間体ばかり気にして・・・

 でも、好き勝手を言い、気遣いのない45年間も付き合っている友よりも、余程骨があった。冥福を祈りながらも、今までの温情に感謝し手を合わせずにはいられない。

 そして、友の母様は、私の山行に支障がないように逝かれた感じである。その月・火の予報は、依然と良くない。「行く気」満々のメンバーの熱気が、予報を覆さないものかと、後僅かな日にちに、期待するのである。



2/27 今度の月・火が、「曇り」から「曇り時々雨」に変わった。その上、親友の母様が、危篤だと聞かされた。計画を進める者として実にまずい。「誰が行かなくても、私は行く。」 つもりであっただけに、苦しい。でも、少しの可能性をも私は追い続ける。

 事情説明で、参加希望者の一人に電話をしてみたら、私と同じように、大事な人が危篤状態なのだという。誰もが同じような目に遭っているのだと思った。

 2/17(日)は、深雪のために、誰もが、何処の山でも、「頂に立つのに苦労した。」 「届かなかった。」 と聞く。また、先日の強風(寒波)で、「雪庇が発達していて、崩落に巻き込まれそうになった。」 「目の前で崩落した。」 ようで、「ビックリした。」 「死ぬかと思った。」 「辛うじて・・」 が多く耳に飛び込んで来た。いやはや、慎重過ぎるくらいに行かないと、痛い目に遭うかもしれない。



2/26 昨日、大地で撮った415枚の画像を見ながら、その余韻に浸っているのであるが、思いの外良い画像がない。いろいろ細工をするのであるが、それが、かえって良くないような気がする。素人は、やはりオートが一番なのかも知れない。

 同日、長勢君(真っ黒ネコ)が、諸事情から予定を変更して、単独で僧ヶ岳に登ったようである。幸運も手伝ったのであろうが、この時期にしては凄い! 「只、登りたい!」 の純粋な心と、彼の脚力には敬意を称するものであるが、「無理するなよ!」 「何かあったら、もともこもなくなるよ!」 などと、余計な心配をしてしまう。

 20歳の年齢差がそうさせるのかもしれないが、不思議と「妬み」 などはない。「もっと、頑張れ!」 とエールを送るが、だんだんと距離を感じて行く。雰囲気しか感じてあげられないが、彼の話を聞いてあげるのも、山の仲間として大切な事かもしれない。



2/25 未明の星空も、魚津・黒部を通過する頃には雪が舞い路面を白く覆ったが、小川流域に達した頃からは、青空が覗いてきて、ラッキーな一日の始まりとなった。

 夢創塾までの林道の雪量は、2週間前と比べてもそれほど遜色はなかったが、高度を上げる毎に、雪が深まって行った。懸念した新雪も10~20cmくらいで、その下の雪が締まっていたから、比較的歩きやすかったのである。しかし、急斜面では、やっぱり「山ノ神」が、四苦八苦していたかのようであった。

 時折、真っ黒な雲が頭上に来たかと思えば、すぐに消え、風もなく穏和な山行としてくれた今日の大自然様に感謝! 二人で400枚以上の写真を撮りながら、山頂どころか、何処まで行けるのかとの思いがあっただけに、何もかもが素晴らしかった。

 山頂に達する最後の登り40~50分は、高度にして170~180mの間が一番絵になった。(eikoちゃんが喜びそうな風景と二人の意見が一致!) 只、不覚にも、私の前途に、ミシミシと亀裂が入り、縦3m横2m雪庇が崩落した時は肝を潰した。

 咄嗟に反対側に逃げたのであるが、スノーシューが、ひっくり返るように靴と乖離した様を見るに付け、瞬時であったが、異様なエネルギーが動いたように感じずにはいられなかった。その場所は、仮に落ちていも這い上がる事が出来る所であったが、肝を潰したのは事実であった。たまたま「山ノ神」が、カメラを構えようとしていたらしいが、やはり驚きが先で、シャッターを切る事が出来なかったようであった。

 山頂に立ってからは、大好きな初雪山の頭が、見えたり隠れたりの繰り返しであったが、私には充分満足の出来るものであった。来週は初雪山を狙うのであるが、大地山頂付近まで、荷を担ぎ上げられるかと、いろいろな気象条件下を想像してしまった。

 帰路の夕日が富山湾の県西部付近を照らす様は、「まるで黄金色の海」 として目に飛び込んできた。その事が象徴するように、何もかも満足が出来る一日であった。その証拠に、「山ノ神」との言い争いが、一度もなかったのであるから・・



2/24 明日も大地。何処まで行けるか分からないが、昨日・今日のお天気よりは良いだろうから、少しは期待が持てる。後は、何処まで沈むかである。膝上なら、早々にダメであろうが、膝下なら、二人でもかなりの望みがある。

 この時期なら、毎週出掛けても、飽きる事がない。昨春、5週の間に4回も出掛けた。そのペースで出掛ければ、50回も夢ではないのであるが・・・ p.m.10:55



2/23 やはり、この頃の自分は可笑しい。書き込みをしていても、UPを怠っている。「今日の元さん、いつもと違う。」 とも言われた。ボケの始まりか、それとも、燃え尽きる予兆か、そんな事を思うとイヤになる。

 こんな折、北ちゃんとネコ君から、熊野川と黒川に挟まれた山々を駆けめぐる計画の誘いを受けた。これだけ降ってしまえば、そのような事はないであろうが、すぐにヤブを連想し、私はダメと答えてしまった。もっとも、あの二人の足の運びには、毛頭付いて行けないし、「只、歩いて来た。」 だけでは、私のこれからの山スタイルに、逆行してしまう恐れがあったからでもある。

 体力・スタイル、或いは、休日を考慮すると、「好山病・・」の二極化も致し方ないかもしれない。「いつかは・・」 を覚悟しているし、邪魔にならないようにとも思っている。でも、メンバーは、皆優しく思いやりが深い人達ばかりであって、「そうではない。」 と言ってくれるに違いない。

 これからは、メンバーに少々甘えながらも、自分の山に対する姿勢を、はっきりしていかなくてはと思っている。少しでも、長く山と付き合っていくためにも・・・



2/22 明日からお天気が悪くなるようである。今までの経験上、大雪警報や第一級の寒波などの予報は、あまり当たった事がない。それは、台風情報と同じようなもので、必ずしもそうではないが、「警戒せよ!」 という事であろう。一回の間違いでも、生命・財産を脅かすのであるから、心しておかなくてはならない。

 先週の日曜日は、何処へ出掛けていても、山頂には届かなかったようである。簡単に思われている山でも、「どかっ~」 と降れば並大抵ではない。これが自然の驚異なのであろう。

 自然を甘く見ず、あくまでも謙虚で、そして、準備周到でなければ、いつかは大自然に牙を剥かれる事請け合いである。考えられない事も起きるのが当たり前と、肝に銘じていた方が良いようである。 p.m.6:50



2/21 3~4時間の睡眠が、今日で6日目だ。流石に眠たい。すぐウトウトする。物を落とす。やらなければならない事を先送りにする。当欄の記述にも誤りが多くなる。 (若くないんだから・・)

 これから、山が面白くなる。「あそこへも、此処へも・・」 と、ガキのように夢が膨らむ。一緒に行けそうな仲間の顔が浮かび、楽しくて仕方がない。余裕がない中、切り詰めながら、着々と装備を充実させている。しかし、軽量化にまでは及ばない。「まだ担げる。」 を確信し、今年は、これで行くしかない。

 私にとっては、大事な一年である。疎かにせず、私なりの贅沢な時の使い方をしたいと思っている。まずは、初雪山から・・  p.m.11:40



2/20 「花じい」が仕掛けた H.fujii氏の結婚祝パーティーのため、仕事を早めに切り上げ富山に出掛けた。 噂には聞いていたが、駅前付近にある「枡天」 への入店は初めてであった。

 「立山会」 の方々が中心に全部で10名。主役のH.fujii氏の他に、幹事の「花じい」には、何かに付いて会いたくなる。位山・川上岳山行の折に遭遇した笠間氏にも、ゆっくりお会いしたかった。そして、我らの「シュンちゃん」となれば、それだけでも楽しくなる。

 初対面の広瀬・金尾氏、窪田・瀬口・正橋女史らにも、たくさんの笑いをもらった。飛び入りの「ヨネちゃん」も、大いにはしゃいでいるようであった。富山の街、そして、往復の交通手段に使ったJRなど、久しぶりに本当の下界へ足を入れた感じであった。

 でも、自宅⇔高岡駅(徒歩約20分)は、必ず歩く。最終列車に乗り、酒気を漂わせて歩かなければならないのは、「ケチ」、それとも、「貧乏」・・ 答えは言わずと知れた事。



2/19 17日(日)は、牛岳。18日(月)は、大鷲山 and 焼山。19日(火)は、「山ノ神」のバースデーの集い。20日(水)は、Hfujii氏の結婚祝パーティー(富山)。21日(木)は会合、22日(金)は、久しぶりの元ちゃん山荘へと、びっしり予定が組まれている。

 町内会の総会準備や確定申告など、やる事が山ほどあるのに・・・ でも、人生忙しいのがいい。暇だと、ろくな事がない。しかし、これに勝てる体力と経済力が必要だ。私には、どちらも充分だと言えないから寂しい。

 「アリとキリギリス」 になってしまうが、あまり先の事ばかり考えていても始まらない。現在も充実していてこそ、「人生とは如何に・・」 になる。お金ばかりが人生でない事は、重々承知しているのであるが、もう少し、こちらに回って来ないものかと嘆きたくなる。

 そう言っても、まだ、山に行っているだけ、山に行けるだけ、私は幸せ者なのであろう。



2/18 牛岳の雪量を経験した翌日だけに、「好山病・・」の有志5名を持ってきてでも、大鷲山の何処まで行かれるかになった。しかし、県東部の雪量は、県西部に比べれば、それほどでもなく、歩き出してからの雪の感触で、もしかしたら、山頂に届くのではないかと思った。もちろん、真っ黒ネコ君の他、橋ちゃん・ねぎちゃんの若手の参加と、「山ノ神」と私も、ちゃんと後から付いて行けたからでもあった。

 その若手の脚力の恩恵を受けて、何もかもが順調であったが、橋ちゃんが雪庇を踏み抜くというアクシデントがあった。日頃鍛えた運動神経が、身体を落としても、小枝の先を必至にしがみついたのが奏功し、何処まで落ちていくかもしれない斜面を見下ろしながら、何事もなくて良かったと、胸を撫で下ろした一幕もあった。

 そして、もしかしたら、「焼山・黒菱山まで・・」 の思いが、実現したのである。流石に、黒菱山までは行けなかったが、水上谷上部の鞍部まで100m下り、また焼山目指して200mの登り返すのであるから、大変なものである。

 尚かつ、焼山では、深い穴を掘りタープを張って、通常通りの食事をするのであるから、ちょっとやそっとで、真似出来ないものである。しかも、時折、ブリザードのような強風に見舞われ、そして、視界の悪い斜面を通過するのであるから、同行した「私も恐れ入りました。」 と脱帽しざるを得なかった。



2/17 予報とこれまで降り続いた雪を考慮して行き先を「牛岳」としたのであるが、今回の牛岳は甘くはなかった。特別参加のネコ君がいてでも、山頂に届かなかったのである。牛岳も、県西部の豪雪地帯にあるだけに、様相が一変していた。

 ルートを通常の登山道を、意識的に外したにしても、スノーシューを履いても膝上どころか、腰までの雪量では、前に足が進まなかった。斜面になれば、当然胸までとなり、後方の者が、停滞で寒くなるくらいであるから、どうしようもなかった。

 今回ネコ君が、参加してくれた事もあり、それだから、6合目に、そして、稜線まで達っする事が出来たのであるが、欲を言えば、もう少し、クタクタになるまで、その先まで行ってみたかったのも正直なところ。

 しかし、5時間15分も歩いたご褒美の食事も、なくてはならぬ山行行事の一つでもある。今回のテーマであった「雪とトコトン戯れる。」 は、雪洞を掘る時間がなかった事もあるが、タープも張らず、降雪の中での食事会となった。鍋物やうどんなどの温かい物に舌鼓をうったのであるが、何もかもが雪に覆い隠れてしまう程の雪量には、殊の外参ってしまった。

 しかし、たかが「牛岳」 であったが、低山であっても、雪山は雪山の思いを、新たにしなければならないと、皆が思ったに違いない。でも、真新しい雪の造形や、雪そのものの美しさに触れ、自然の神秘を否応なしに身に感じた今日であった。明日も、何か新しい発見があるといい。大鷲山は、優しく迎えてくれるであろうか・・・・ p.m.11:25



2/16 「生活に支障がない程の積雪で、山に雪があればこの上ない。」 などと良いながら、毎日のように雪が降り続けば、山行きの企画者が迷うのは当たり前である。そして、ハレルヤの行き先が難産の結果、牛岳となった。もしかしたら、「近くの低山へ雪遊びのつもりで行こうよ。」 の良からぬアドバイスが、このようになったのなら、ちょっと恐縮しなければならない。

 しかし、少人数の時こそ、いろいろと勉強できるのである。効率の良いタープの張り方、素早くつくれるテーブル・ベンチ、雪洞のつくり方などなど・・ でも、宴の誘惑もあり、果たして、そのような優等生となる事が出来るのであろうか・・・・ p.m.11:59



2/15 「重い荷を担いで、もう何年も行けない。」 「あと何回行けるだろうか?」 と思って何年も経つ。「あれも欲しい。」 「これも買いたい。」 などと思うに付け、先の言葉が垣根となって、私の決断を鈍らせて来た。「一度しか行けなかった。」 となっても、それでも良いではないか。その一度に、全てを傾けても良いではないか。これが、私の直近の考え。

 人それぞれの環境が違い何とも言えないが、苦しい中での買い物は、より慎重になるであろうし、その買い物自体楽しい。そして、より大事にするであろう。あまり余裕のない私であるが、他の物に目もくれなければ、まだまだ買い物が出来るかもしれない。

 「もうちょっと、大きなテントが欲しい。」 「真冬に暖かく寝られるシュラフが欲しい。」 夢に終わるかもしれないが、「もうちょっと、我慢して・・」、あるいは、「あれを削ってでも・・」 など、子供のような気持ちでおれば、まだまだ山に行けるような気がする。

 それにしても、可笑しい。「誰が担ぐのだ!」 そう思いながら、50L・60L・75Lとザックが大きくなり、「もうちょっと大きな物でなければ・・」 となっている。60歳のオヤジが、重荷を担いで、ラッセルしながら、雪の斜面を駆け上がるのであるから、山を知らない人からみれば、「狂気の沙汰」 にしか映らないであろう。



2/14 雪が降らなければ降らないで不満だし、降れば降ったで降り過ぎだとか、当日だけはいらないとか、結構勝手な言い方になる。しかし、その山行に関わられる幹事の方は、いろいろな面での苦労がある。雪の降り方や雪量、メンバーの力量や車の手配・駐車に関する事など、何もかもを背負わなければならない。そして、尚かつ、気に入ってもらえるだろうかも、気になるところである。

 私も、時々であるが、「好山病・・」 や 「ハレルヤ」 の山行企画をさせてもらう事があるが、大勢の要望を満たすには、大変なエネルギーがいる。  「何処でも良いから一緒したい。 (連れてって)」 「私でも行けるでしょうか?」 の問いには、世話する方も力が入るのであろうが、「そこなら行きたい。」 「行った事がないから・・」 などは、その反対の事を思うと、ちょっぴり寂しさを感じるのではなかろうか?

 その点、私的な(自分が企画する)山行は楽で良い。私より元気な人には、「ゆっくりなのであるが、それでも良いか?」 「行動を一緒にしてくれるか・・・」 など。 ちょっと元気が足りない人には、「気にする事はない。 皆がフォローしてくれるから・・」 と、自分のペースで行けるし、結構言いたい放題も出来る。

 でも、やっぱり、参加してくれる人達の顔色が、気になるのは同じかもしれない。ずっと、仲良くしていくには、その気遣いは、どうしても必要なのかもしれない。やってみて、人々の心遣いを感じるのであるから・・・・



2/13 相変わらず正座・胡座が出来ない私であるが、ご存知の通り山行を続けている。悪化の気配もなく、普通の方々となら遜色なく歩く事が出来る。少々長く歩こうが、荷が多くなろうがである。もしかしたら、これだけ、「山・ヤマ・やま」 と言い続けているから、神様からの 「しょうがないな~、もう少し歩かせてやるか!」 と施しなのかもしれない。

 昨年末、私の膝痛を心配してくれた「花じい」から、「なるほど・・」 と思わせるアドバイスを受けた。あまり知識のない私の表現は、必ずしも適切でないかもしれないが、一日2~3回ストレッチのような開脚が主な運動を繰り返すのであるが、なかなか自分一人では出来ないし、後からなどと言っていると、それこそ忘れてしまうのである。

 当てにしていた「山ノ神」は、余程気分が良くなければ手伝ってくれず、また力がなさ過ぎるのであるから、弱ったものである。しかし、それらしき事を、自分一人でも、やっていると、少々変化が現れてきた。

 山から戻り、入浴する時の事であるが、、湯船から掛け湯をする時に、蹲踞(つま先を立てたままで深く腰をおろし、膝を開き身体を真っ直ぐにする事)の姿勢を、膝痛が伴い出来なかったのであるが、その成果の一部なのかもしれないが、最近は、下山した一日目から痛くないのである。

 山行時は、深く足を曲げる時以外、元々そんなにも痛みはなかったのであるから、変化は感じないのであるが、食事の時などの足を止める時が、攣らないかと一番心配である。

 しかし、何と言っても、一番辛いのは、下界での会合や宴会が、畳の上(座敷)で行われるの時である。その後遺症として、2~3日は、股関節が痛くて堪らない。その点からも、雪のテーブル・ベンチは、私の嬉しく楽しいアイテムなのかもしれない。



2/12 昨日の大地の雪質は、少々歩きにくかったものの、昨年より雪量が多く、好天に恵まれ、「最高!」 「ハッピー!」 「ブラボー!」 の、どの言葉でも、当てはまるくらいに素晴らしかった。もうちょっと、雪量があれば、いうことなしである。

 昨年も2月末から、5週の内4回も出掛けてしまった大地に、今年も体調さえ悪くなければ、そのペースで出掛ける事になるであろうが、「山ノ神」を始め仲間達は、嫌気が差すであろうか・・・

 行きたい時に、好きな山に行く、これこそ山登りの真骨頂であると私は思っている。速さや回数など、いろいろな拘りもあるのであろうが、これが私の拘りかもしれない。そして、やはり好きな山で泊まりたい。 p.m.7:40



2/11 高岡組は、このところ4週同行が続いている吉尾氏と、「山ノ神」と私の3名。黒部組は、シュンちゃんと玉ちゃん先生の二人。大好きな大地だけに、尚更ゆっくり山を楽しみながら、そして、チームワークよく、例え時間を費やそうが、全員山頂に立つ事を目的とした山行。

 好天に恵まれ、我慢が出来なくなったのか「橋ちゃん」が、「HPで行き先が、分かったから・・」 と追って来てくれて俄然楽しくなった。鍋倉山の休憩時に、「山ノ神」が、先のピークに、何か動いているという。「もしかしたら熊?」 

 私には、何も見えなかったが、それを聞いて、「シュンちゃん」が望遠レンズを覗きながら、「熊ではない。カモシカ、いやネコかもしれない。」 などと面白い事を言った。クマやカモシカと、ネコでは大きさが異なるから間違うはずがない。

 その内、「シュンちゃん」は、「真っ黒ネコの出で立ちと似ている。」 と言い出した。  ネコ君には、大地行きを伝えてはあるが、「来られない」 の連絡を受けていたし、まさかの思いがあった。しかし、快足を飛ばし、小川朝日ダムからやって来たのである。

 ゆっくり山行の私達は、山頂まで彼の顔を見る事は出来なかったのであるが、1時間以上遅れて辿り着いた大地山頂には、ちゃんとシェルターが用意されていた。温かい物を食べながら、素晴らしき大地山頂の展望を楽しみ、山談義に花が咲いた。



2/10 昨日は、初対面同士のヨネちゃんとH.fujii氏が我店で遭遇。今日は、鉢巻山に出掛けた筏井氏が、来週のハレルヤ山行の事で来訪、そこへ、今日、猫岳の出掛けられ、その山行に、ご一緒された福井のkyuさんからの言付け(お土産)を、届けてくださった豊本氏と鉢合わせとなった。どちらとも、短時間であったけれど、山好き同士は、すぐに話が弾む。このような出会いが、不思議なくらいに発展する事がある。そんな事を思うと、楽しくなるのは私だけではあるまい。

 明日は大地へ。 p.m.11:10



2/9 もう2月半ばになろうとしている。この時期になると、どうしても、大地・初雪山が気になる。ネットの普及なのであろうか、最近は、3月中旬の土日になると、かなりの人達で賑わうようになってしまった。

 幸い私の出掛けるのは、平日が多く、その賑やかしい事に遭遇する事は少ない。「静かな山」を堪能する機会に恵まれるのであるが、それでも、これでもかと付いているトレースには、些か閉口する。したがって、どうしても、計画が先へ先へとなる。
 晴れれば、何処でも良いのであるが、私は、とにかく初雪山が好き! また、初雪山を眺められる大地が好きなのである。 p.m.11:30



2/8 山中で泊まらなければ、頂きに届かぬ山があれば、日帰りで行ける山であっても、泊まる事もある。「どちらが・・」 などの問いは論外であって、感性というのであろうか、山との接し方の問題である。

 山への思いは、人それぞれあり、「何も寒い冷たい所で、寝なくてもいいのではないか!」 という意見があれば、「それこそ山の真骨頂!」 と拍手もある。泊まれば、お酒が飲めるなどの利点もあるが、何と言っても、山は朝夕の見慣れぬ光景にある。

 それが、雪のある冬となれば尚更である。汚れた物を全て包み込んだ下界と掛け離れた雪世界は、「非日常」・「別世界」・「異次元」の言葉が当てはまるように、自分の心まで癒してくれる錯覚に陥らせる。

 何も高所だけが山ではなく、身近にある低山でも楽しめるのであるから、「雪国とやま」 にいる事に感謝しなければならないであろう。



2/7 「自分は何も・・」 の思いがあっても、世の中は、やっぱり自分の思うようにならぬものである。結果的には、直接間接的に多くの親戚・友人に迷惑を掛けた事になった。

 山行にあたって、現在二人暮らしの我が家では、テーブルの上に、行き先を書き置きしても、あまり効果はない。今度の騒動で、HP上に行き先と、その予定を記してあった事が、結果的に奏功したと友人は述べた。(管轄の警察署にも、そのHPを覗いて頷いてもらえたようであるから・・・)

 どんなに自信があっても絶対という事はない。友人・知人からは、「山ではないかもしれないが、車での遭難に気をつけろ!」 と言われている。 それは加齢と共に切実に感じているところである。雨や雪の夜の運転などはイヤになる。それが長い道程であれば尚更である。

 山の話に戻せば、臆病過ぎるくらいに行動していても、自然が牙をむけば為す術がない。今一つは、加齢に伴い病でのリスクの拡大である。
 オールラウンドの遭難捜索費用保険に加入しているが、疾病が補償されない欠点がある。大きな組織に入っていない(共済)リスクでもある。



2/6 ルンルン気分で帰宅し、濡れものや、食事に使った小物などを片付け、入浴しようとした矢先に、東京の姪と高岡の友人から、「下山していないのか心配!」 「警察から電話があった。」 などのメールが、相次いで着信した。何が何だか分からぬまま、固定電話を覗けば、4日夕から、5日午後にかけて、21件の着信履歴がある。親戚の名に知人の名、そして、どうも警察からも掛けられていたようだ。(昨夕の事)

 メールは、4日夜の発信であったが、取りあえず連絡を取ってみると、詳細は分からないが、どうも夜になっても車が放置されているもので、スキー場から南砺警察署に連絡があったようである。その警察が連絡した所が、どうして探したのであろうか、亡父の実家(本家)、本家も驚き、埼玉の姉に連絡し、携帯番号を知らないものかと問い合わせたらしい。その姉も動転し、東京に嫁いだ娘(姪)に連絡となる。

 もう一方は、私の友人宅に問い合わせてらしい。その二人とも、インターネットで、私のHPを覗き、キャンプしているようであるからと、一応胸を撫で下ろしていたようであった。でも、「警察からの電話」 という事で、あちこちパニックになったのも事実らしい。この時期、至る所で、中高年の山岳遭難事故が発生している事もあり、結果的に余計な心配を掛けてしまった。本当に申し訳なかった。

 「届け出」 という事を、怠っていた事に間違いないのであるが、毎週行く者にとって、何処に出掛ける時も、登山届を出す事に、若干の戸惑いがある。先月の大辻山泊の場合は、「立山少年の家」を訪れ、駐車した事と、キャンプする事を告知していたのであるが、今回の金剛堂山の場合、スノーバレー利賀は、リフトが動く前は、施設開放をしないので、どうしても声掛けを怠ってしまう。

 過去に除雪最終地点で駐車した時に、どんな事で、除雪するか分からないので、スキー場の方に、行くよう勧められた経緯があり、何の問題もないと思っていたのが、浅はかだったのだろうか? これからは、どんな事で迷惑を掛けるか分からないので、いろんな事に気配りをしながら、慎重にいかなければならないようである。どれだけ、「焦らず、ゆっくり」 と言ってでも、それは、自分だけの事である。 p.m.3:20



2/5 やっぱり、あまり眠れず、夜が明けるのを待って外に出た。昨夜の星空が続くとは思わなかったが、まだ青空が残っていた。荷を少なくしてといっても、ある程度の荷を担がなければいけない。食料に、コンロ・コッヘル・タープ・シャベル・水・嗜好品など、寝具など除く殆どの物、そして、「山ノ神」は荷ナシなのだから、ある程度の重さになる。でも、確実に昨日の半分以下なのであるから、歩く事に支障がない。

 思案山の下りから、まだ大きくないが雪庇が出て来る。4キロ地点を過ぎてから大きくなって来る。そして、ブリザードのような烈風が伴うから、耳が千切れんばかりなり、シャッターを切るにあたって、手袋から手を出し、2~3枚も撮れば、指先が強烈に痛くなり、手を戻してもなかなか治らない。

 雪量は、高度を上げる毎に増え、山頂付近の雪量を期待していなかったのであるが、一面の雪原で、祠の頭が僅かに見える程であった。強風・低温では、とても長居出来るような状態ではなく、記念写真を撮って退散となったのであるが、ホワイト状態では、方向を見誤まる状態に一時陥った。何もかもを担いできたのであるが、それは致し方ないと諦めて、食事処を探す事になったが、勢いよくキャンプサイトまで戻り、2時間を費やす昼食となった。

 二度目のスキヤキに、ウインナーの炒め物、ホットサンド、うどんなどなど、そして、2本のビールを3人で分けたが、運転手は、一口だけ甘えた。その2時間も、雪はず~っと降り続き、トレースを隠さんとしていた。それでも、下りは快適なもので、軽くなった荷が手伝い、それこそ1/3の時間しか要しなかった。

 帰路の車の中では、装備の事を話ながらも、「山は泊まらなければ・・」 とその楽しさを結ぶものとなった。今回は、一番のヒットは、燗ポットの持ち込みであった。(所謂、居酒屋でやる、湯の中で、酒を温める手法)

 

2/4   やはり利賀は、日本有数の豪雪地帯である。スノーバレー利賀の積雪(200cm)が示すように、百瀬に入れば雪壁が続いていた。前日に参戦表明した吉尾氏が、テントを準備してくれるというので、私の外張りを含めたテント容量(4~4.5Kg)が、軽くなる事を期待したが、結果的には、1~1.5Kgしか減らなかった。(何故だろう?)

 25Kgと15kg(吉尾氏の荷は未測定)を担ぎながら、スキー場横からの斜面を登れるかの不安があったが、20cmの新雪があったものの、トレースに従って登れたため、1キロ地点まで、1時間半を要したものの意外と余力を残して登山道に達する事が出来た。

 高度を上げる毎に、そのトレースは風雪に消され、スノーシューを装着していても、膝まで沈んだ。しかし、二人と三人では、ラッセルに掛かる負担が全然違い、ゆっくり山行であったも、幕営地を、何処まで先に延ばせるかと思う程であった。でも、3時間半程経過した時点で、片折岳(一服金剛=2キロ地点と3キロ地点の間)。

 そこが、思案の為所であった。まだ2時間は行動出来る。思案山または、4キロ地点まで行けるのではないかと思えたが、風雪が強くなり、設営に要する時間と体力温存を考慮、また、空腹には勝てず、時間が余れば、偵察に先へ足を進める事にし、設営を開始した。

 しかし、思ったより設営と食事処を造るのに時間を要し、今日は予定終了で、明日は明日と、午後2時40分宴会に突入してしまった。スキヤキ・焼き物・パスタ・ヒレ酒・イワナ骨酒などなど、これだけ飲めるかなと思っていた3Lの清酒が、みるみる内になくなってしまった。

 だんだんと冷え込んでいく中、二次会はテントで・・ そんな折、今日、行き先を異にした山仲間から、「寒くはないか・・」 のメールが届いた。返信と思っても「圏外」表示で通じない。外に出て、間隙を縫せて短時間の通信とした。空を見上げると、先程来の降雪が止み、満点の星空、そして、砺波市・南砺市なのであろうか、夜景が見えた。



2/3 ちょっと、心に引っ掛かる事があったが、初志貫徹と言うのであろうか、明日は、山中で泊まる事にした。例え、頂きに立てなくとも、「もっと山を知りたい。」 という口実を付けての山行である。大義名分などどうでも良いのに、自信がないというのであろうか、いつもの事であるが、ギリギリまで、決断が出来ないもどかしさもあり、実に情けない限りである。

 大倉山を外し、またまた牛岳、そして、八乙女山から大寺山・扇山・赤祖父山、もう一つは、金剛堂山を提案したが、「山ノ神」にしてみれば、「帯に短し襷に長し」 なのであろうか、なかなか行き先が決まらなかった。大きい荷故、ブッシュで苦労するのはイヤという事で、元日に出掛けた八乙女山を外し、先週の牛岳も外して、気温が高くても雪を見込める、今一つは、降雪があっても、駐車で支障がない事を加味して、金剛堂山とした。

 こんな折、金屋の料理長から、「明日は何処へ行くの?」 の問い合わせがあり、「あ・うん」 でご一緒する事になった。二人で出掛けるより不自由である事は間違いないが、諍い回避いう利点がある。さて、何処でキャンプインか、また、山頂に立てるか・・・ 「山と親しめればいい。」 3人では、その点においては心持たないところである。 p.m.10:30



2/2 熱中していても、いつかは、それが覚めたり、イヤになる事がある。細々でも良いから、それを、ずっと続けていると、他から、ちょっと声が掛かり、やがて認知されるようになる。趣味とは、こういうものかもしれない。

 認めて欲しいとか、他の人を意識しているようでは、無ではなく、まだ、修行の域に達していないのではなかろうか?でも、おかしなもので、人は、常に認めて欲しいのである。無視されるほど辛いものはない。無とはなんぞや! 無には、喜びも悲しみも笑いもないのであろうか? いや、そんな事はない。全ての事を、単純に受け入れられる事が、無なのかもしれない。



2/1 今度の連休(2/4~5)に、キャンプを予定していたが、あまり盛り上がらない。「長い林道歩きがイヤ。」 だとか、「細尾根は歩けない。急登は辛い。」 などと「山ノ神」が、あまりいい顔をしない。「あんただけ行って来られ・・」 と言われれば、ちょっと淋しいし、張り合いもなくなるかもしれないが、あれやこれやと、ケチを付けられるよりもいいかもしれない。そして、完全装備は一人分しかないから、丁度いいかもしれない。しかし、我が家は、それが通らないから厄介なのである。

 「日帰りにするか?」 と言えばすぐに食いついて来る。「本当に山が好きなのか・・・」 と疑問に思うのであるが、それが本当のところかもしれない。しかし、予定を変更すれば、大概、お天気も逆の方向に行く。自然は、人の心まで見透かして、あざ笑うかのようである。