4/30 暑い一日であった。日本海側は、軒並み真夏日となり、富山でも28℃を超えた。「暖かい風を伴えば、雪が溶けてしまう。」 などと余計な心配をしてします。人生と同じで、暑い日もあれば、寒い日もあるのに・・・・

 多くの山仲間達が、ブナクラ谷・毛勝谷・猫又谷に入る。予報もバッチリだし、良き山行となると確信している。その中に、涼子女史一行が、大明神山~毛勝山~釜谷山~猫又山~大猫山~猫又谷の計画を携えて入山するようである。それも、山口からであるから凄い。

 娘夫婦が、3日に帰髙、6日に帰京の計画でやって来る。雷鳥沢または剱沢キャンプ、そして、猫又山・大猫山の計画も、日帰りの山行に切り替わる可能性が出て来た。それにしても、ず~っと、お天気が続く予報を、本当に信じて良いのであろうか・・・



4/29 今月も、あと一日を残すだけになった。一年の1/3が終わりであり、本当に日が経つのが早い。山の事になると、23回(28日)も出掛けたのであるから、充実?した日々を送った事になるのかもしれない。3月に何回か雨に祟られたが、それ以外は、比較的お天気に恵まれたし、5回もキャンプが出来たのであるから、それ以上を望めば、欲というものであろう。

 この先、一ヶ月余は、残雪を求めた山行が出来るであろうし、下山時に、山の幸の収穫も期待出来る。好きな山に出掛けたいのは、もちろんであるが、まだ行った事のない山にも、ちょっぴり心を動かされたりする。

 また、山仲間の顔を思い浮かべながら、「ちょっぴりご無沙汰。」 「どうしているのかな?」 など、次行く山と、重ね合わせてしまう。「無理せず、ゆっくり、焦らず」 をモットーに、これからもどっぷり山に浸かりたい。 「無理はしても、無茶するな!」 は、最近覚えた言葉・・・
 

4/28 妥協の産物となった人形山行きは、田向の林道入口に掲げてある全面通行止の看板を恐る恐る通過したが、何と登山口まで車を入れる事が出来るという幸運に恵まれた。起床時は、路面が濡れており、「好天の予報は、どうなっているのか?」 と心配したが、徐々に回復し、急遽、橋ちゃんの参加もあり楽しいものになった。

 3週間前の雪量と比べれば、雲泥の差であったが、少し高度を稼げば、まだびっしりと雪原であり、起伏も穏やかに感じられた。スノーシューも功を奏したのであろうが、休憩を入れながらも、4時間足らずで山頂に届いた。そうなれば、隣のカラマン峰へと心が注いだ。

 「えっ~、あんな所へ行くの?」 と、「山ノ神」は渋ったが、「危険を感じたら、引き返しても、止めてもいい。」 を条件に前に進んだ。少々雪は割れていたが、見たよりも意外と広い稜線に、安堵して先に進めたが、最後のピークを目の前に、「止める。」 「待機!」 の声を発せられ、しばらく躊躇してしまった。でも、ここまで来たら、「どうしても・・」 の心が動き、ピッケル2本、アイゼン2組を分散し、山頂を目指す事になった。しかし、難なく登る事が出来、感動が少なかったようであった。

 好天と思いもよらぬ林道の開通?で、人形山とカラマン峰の頂に立て、その歩きも快適すぎるくらいで、素晴らしく楽しいものであった。しかし、雪解けが急激に進んでいる現状から、その時期も短いものであろう。

 山頂よりも山菜採りと思っていただけに、車に戻っても収穫ゼロであったが、執念の「山ノ神」の目は、林道で発揮された。「あこにも、ここにも・・・」 との声に、橋ちゃんと私は、山歩きよりも凄い壁を登らされる羽目になった。しかし、その行程が楽しく、またお土産も出来、一日の締めくくりとしては最高の気分であった。



4/27 GWは、今のところ、ず~っとお天気が良いようです。明日も、せっかくのお天気なのに、「山ノ神」と行き先が、かみ合わず、誰にも声を掛けれずに終わりそうだ。  その行き先も、希望とは全く反対の五箇山方面となり、果たしてお山のてっぺんに到達出来るかも怪しいく、山菜採りになる公算が強い。



4/26 市美術展応募に関してお世話になったY氏を食事に招待した。特別のご馳走は無いのであるが、フキノトウ・ワラビ・コゴミ・タラの芽・コシアブラ・カンゾウ・つくしの山菜料理と、昆布〆の刺身・筍料理である。招待しながら、飲んで食べちぎっているのは、私達では格好が付かなかったか・・・

 Y氏は私より10歳年上の書道家。写真の趣味もあり、市展・県展の応募されており、一昨年は、市展で大賞となった方である。私達の山の画像を見るに付け、「私も行けたら・・」 と地団駄を踏まれるが、如何せん、公園の坂道でも、しんどいと言われては、山に誘うわけにもいかない。

 しかし、私達の山行を暖かく見守って下さり、撮って来た画像を楽しんで下さるY氏は、PCでHPを見る事が出来なくても、私の大事なファンの一人なのである。



4/25 山の帰りに山菜を採る事はあっても、山菜採りだけに、休日を使わないのが私の主義。しかし、休日を使わず、仕事前に出掛ける事が、シーズン中に、2~3回くらいある。県東部へ出掛けると、ラッシュに遭い、仕事に支障が出る。そんな事もあり、山菜採りだけのエリアは牛岳となる。

 午前4時起きで、コゴミを採りに出掛けた。化けてしまっている物と、芽が出始めた物が、入り交じっていたが、まずまずの収穫となった。また、明晩のお客様用に、少々おまけ気味だったが、タラの芽もゲット。今度来る時は、ワラビ採りになる。 p.m.8:45



4/24 このところ、立山周辺での遭難ニュースが、毎日のように報じられている。それも、中高年スキーヤーの方々が多いようである。 「お前も気を付けよ!」 と各方面からよく言われるのであるが、「そんな危ない事をしていません。」 と言葉を返していても、不注意だけではなく、相手は、どう襲いかかって来るか、わからない自然であるから、慎重に、尚、慎重を重ねなければいけないのかもしれない。

 今日は、多くの方々と、ず~っと(一日中)、写真の話が続いた。市美術展出品の話、僧ヶ岳・駒ヶ岳800超の画像の話。そして、HPの話にまで及んだ。持ち上げられて落とされて、仕舞いには、HPの中味の注文まで出て来た。「写真だけでは・・」 なのであろうが、「ガイド的紀行文は、他のHPに、たくさん載っているし、私は、同じ山ばかり登っているから、新鮮なものがないのですよ!」 と述べてしまった。

 面白い事、変わった事など、何か特徴を出そうと思っても、そのような知恵はもう出ない。「ず~っと、山を続けたい。」 「出来れば記録としてHPを続けたい。」 「ちょっとでも興味を持って頂ける方々と、情報交換をしたい。」 ぐらいなもので、大それた事など考えもしない。  でも、何かを、求めたいし、発信もしたい。それを模索するのが、ボケ防止策になるのであろうか?



4/23 私達が、僧ヶ岳・駒ヶ岳を楽しんでいる時、好山病の北ちゃん・ねぎちゃん・橋ちゃんが大熊山に出掛けた。まだ直接山行時の話を聞いていないが、北ちゃんのHPを見れば、私達の苦手な、「あんな所を歩いている。」 「行かなくて良かった。」 と思ってしまった。 

 「景色を・・」 「お花を・・」 「山菜を・・」 に、志向変えて行かなければ、私の山歩きは長続きしなくなる。「ケガをしないように・・」 「病気をしないように・・」 を加えて、ゆっくり焦らずである。

 まだ持久力・耐久力は、人並みにあると思えるので、それを生かし、「一日のものなら二日で、二日のものなら三日掛かっても・・」 の精神でいかなければなるまい。

 「山には、いろいろな楽しみ方がある。」 と言って、ごまかしているが、でも、大方は、そう思っているに違いない。そういう点からも、テントを担いでの山行が、多くなるのは歪めないところであろう。



4/22 昨夜は、家に戻ったのが、午後8時半頃。後片付け・入浴を済ませ、食事としてテーブルに着いたのは、午後10時半頃になってしまった。冷たいビールを飲みながら、「良かった!」 「素晴らしかった。」 の言葉の後に、「林道歩きは辛かった!」 「肩が痛い。」 が続いた。

 今年5回目のキャンプとなった「僧ヶ岳・駒ヶ岳山行」 は、天候・標高・周囲の展望などを考慮すれば、一番に価するかもしれない。そんな余韻に、ず~っと、浸りたかったのであるが、眠気には勝てず、HPの更新もそこそこに、床に着かざるを得なかった。

 

4/21 凄まじい風音に、殆ど眠れず、夜が明けるのを只管待った。月が、まだ沈まず、暗闇から、だんだんと浮かび上がってくる山容、そして、駒ヶ岳から上がる日の出。黄昏の山並みと共に、これを見たかったから、重荷を担いでやって来たのであった。

 朝方のアイゼンの軋む音。これも山の醍醐味である。僧ヶ岳の山頂に立っても、休む事の出来ない程の強風で、そのまま駒ヶ岳に向かった。その稜線の北側は雪庇、南側はヤブが相場であったが、登山道が出来てから、そのヤブに悩まされる事が、なくなったような気がする。

 北駒ヶ岳を過ぎてからの鞍部付近で、その先行きの不安から、「山ノ神」が、登頂を断念! 「宮ちゃん」と、二人だけになる。(ビールを飲みながら、その行動の様子を眺めながら、楽しむと言う。) 「う~ん、来ればいいのに・・」 は、言えなかった。

 ルートを模索しながら、「宮ちゃん」は、スイスイと行く。駒ヶ岳山頂では、吹き飛ばされるような強風に、カメラを構えるのも辛い状態であった。しかし、残雪期では、今回のルートが、初めてという「宮ちゃん」は、「素晴らしい」 を連発していた。

 これでもかと思うほど、たくさんの写真を撮りながら (「山ノ神」と合わせて840枚)、お腹を空かすして、テン場に戻れば、昨日積み上げた、また、テン場を離れるに補強したブロックが溶け出し崩壊していた。その様が、また面白く、はしゃぎながらカメラに納めた。

 昼食を済ませ、テントやタープを撤収し、キャンプサイトを離れたのは、午後2時半であった。雪上の歩行は順調であったが、残雪が消え、重荷を担いだ急な登山道の下りに、「山ノ神」は閉口していた。

 それでも、それで終わらない。林道に出てからフキノトウを採るのであるから、重荷が揺らぎ、肩や腰に、辛いものを感じながら、2時間で歩き通したのであるから、なかなかのものであった。



4/20 ガスに覆われても、青空の勢いは強く、すぐに視界を広げ、先鋭な山々が、尚一層際だって見えた。シャベル・三脚・ピッケル2本・スノーシュー2ヶを、ザックに括り付けると凄い形になった。

 長い林道、そして、残雪が現れるまでの急登と、5時間を凌がなければならなかったが、伊折山から上の大パノラマは、見慣れた山容とは言え、何度も歓声を上げてしまった。成谷山からは、正しく雲上の人となり、下界の煩わしさを一掃するに充分な光景となった。

 歩き始めて8時間、テン場を稜線に求めた。より展望を求めたかったからであるが、夜間になってからの強風には、今にも飛ばされそうで、なかなか眠れなかった。その風の威力は凄まじく、骨抜きと言えば良いのか、それとも骨粗鬆症のようであるといえば良いのか、高く積み上げた雪のブロックを溶かしてしまうのであった。

 それにしても、あの黄昏の光景は、泊まる者にしか味わえないもの。雲海に沈む太陽、真ん丸く大きな月、キラキラ光る星、遠くに下界の灯りなど、何もかもが、非日常の胸を、ときめかせる新鮮なるものであった。



4/19 いつもの事ながら、ザックから中から、「何を削ろうか?」 となる。あれもこれもと思うのであるが、結果的には入らず、何かを出さなければならなくなる。アルコール、それとも水、それがイヤなら衣類(身体に羽織るもの)となる。

 何を我慢するか、何が我慢出来るかになるが、担ぐのも、削るのも限界というものがある。ならば、自分の限界を試そうではないか・・・・  それでなければ、粋がっていられないじゃないか! p.m.10:15



4/18 例え、長い林道歩きが伴っても、トレースがなく、黄砂の影響が少ない時期の東又ルートの僧ヶ岳が好きである。片貝第2発電所から歩く者だけに与えられた絶景! 本当は、もう少し早い時期に歩きたかった。

 昨年4月に、3回も同ルートからの僧ヶ岳に臨んだが、今回は、キャンプのための重荷を背負わなければならない。しかし、あれもこれもと担ぐ贅沢な山行も、今の内なのかもしれない。



4/17 ようやく、休日に晴れマークが付くようになった。しかし、まだ日にちがあり、予断を許さない。この時期、まだ多くの人達が入らない僧ヶ岳・駒ヶ岳は、私の大好きなところ。重荷を背負っての歩きだけに、片貝の何処まで車が入るかが問題になってくる。昨年はなかったが、片貝山荘から登山口間のデブリ、そして、雪の着かない最初の急登を思うと、「山ノ神」の決断が揺らぐようである。

 ハレルヤ(大倉山)や、好山病(大熊山)からも、お誘いがあり、益々悩むところである。雪中で、2日間を過ごすか、それとも、二つのグループと、二つの山を楽しむか、ギリギリまで贅沢に悩みたい。



4/16 大鼠山の何でもない下りで転けた。まだテレマークスタイルに慣れないでいるので、ちょっとしたところでもよく転ける。転んだ拍子に右腕を12~3cm擦り剥いてしまった。
 シャツが捲り上がっていた為に、痛い目にあったのである。見るからに痛々しく、キズバンを貼って凌いだが、私よりも、周りに人達の方に気を揉ませてしまった。

 家に帰ってから、傷口にラップを貼った。いつの日か、薬よりその方が、治りが早いとのテレビ番組を見て以来、それを信じているのである。傷口を乾かさないこの方法は、普通の手段より、一日は治りが早いと思っている。只、ラップを止めるにあたって、テープを貼ると、その場所が痒い。それだけが難点と思う。

 それから、今度は、「山ノ神」のスノーシューにトラブルが起きた。使用期間が1年2ヶ月なのに、ピン(部品)が外れて、使用不能になった。たまたま、輪っか(針金)や、プライヤーなどの部品や器具を、仲間達が持っててくれたお陰で、難を免れたが、奥深い山中で起きれば、痛い目に遭ってしまう。非常用具は、やはり、ザックの片隅に、忍ばせてておかなければいけないようである。 p.m.11:59



4/15 「このたびご応募いただきました作品について、入選となりましたのでお知らせします。」 第14回高岡市美術展審査結果として連絡があった。
 4年前の4月上旬に、大倉山での撮った写真であるが、市展・県展の常連であるY氏の勧めで応募となった。最も、プリント・搬入など全ての事は、Y氏に委ね、それも、〆切寸前であった。

 小安い小さなデジカメで撮った写真であるが、ブレもせず、なかなか良いと、後押し頂いていたが、自分でも大好きな画像で、HP上でも、何回か紹介したものである。

 「黄昏の惜別」 と題したが、よく考えてみると、シャッターを押したのは、「山ノ神」であった。やっぱり応募名は、「山ノ神」が適当。4/18~5/5まで、高岡市美術館で美術展として開催される。

 入賞と聞いた「山ノ神」、何を着ていけば良いのか、どう挨拶をすれば良いのかと、舞い上がっていたが、大賞・優秀賞・奨励賞などと違い 「飾られるだけ・・」 と知ると、ちょっと残念そうであった。 p.m.11:55



4/14 やはり雨であったが、登り始める頃は、そんなに気にならないものとなり、途中からは、雨具の上下とも脱いでしまう程であった。雪深い山之村であり、大鼠山の標高が1585mを考えれば、当然のように、「雪・雪・・」 を連想したのであったが、意外や意外、雪を拾っての登髙となった。小枝は煩かったが、「北ちゃんのヤブ」 からしてみれば、胸を撫で下ろすものであった。

 なだらかな山頂は、さすがに1500m超の標高だけに、シェルターを造る雪量はあった。あまり歩かなかった?(登り2時間半くらい) 割には、豪華な食事になってしまった。(運転手は、0.1~.0.5%のノンアルコールビールであるから、ご心配なく・・・)

 「また太るね・・」 などと言いながら、久しぶりのメンバーとの談笑は、楽しくてならなかった。帰路は、フキノトウの「アワ」「コメ」の2種類の勉強? また、猿倉山に戻り、カタクリ群落を楽しむという、いつもと違った山行スタイルであった。



4/13 またも予報はあまり良くない。明日は、「北ちゃん」主宰で、岐阜県飛騨市の大鼠山に行く事になっている。私は、初めてで、どのような山かもしらないが、「好山病・・」6名+ゲスト1名になるらしく、ゆっくり楽しめれば良いと思っている。

 出発地点の標高は高く、ヤブは少ないと思っているが、何せヤブの好きな「北ちゃん」故、予断を許さない。しかし、知らない山だけに、どのようなハプニングがあるか、久々に一緒する山仲間と共に胸を躍らせている。 p.m.11:00



4/12 ホームページ拝見。厳しいコメントが届いたようですね。せっかく見てくださっている方が、いらっしゃるんだから、いくら嫌なことがあっても、見てくださる方が、不快になるかもしれないコメントは、控えた方が良いかもしれません。
 # 今日はイライラしてる、とか、そんな後ろ向きなコメントは、# 人を喜ばせるものではないと思うのです。嫌なことがあって、書けない日が、あっても良いのではないでしょうか。記入がないことで、馴染みの方は、「今日は、いい気分じゃないのだわ!」 とわかってくださるように思います。
 ここまで続けてきたのですから、より多くの人に、より長く見て頂けるように、という目標を加えてみてはどうでしょうか。


 東京の娘から、上記のメールが送られてきた。「見ているのか?」 「あまりバカな事も書けないな・・・」 そして、追伸として、

 書き足りませんでした。ホームページ開設は応援しているので、長く楽しく続けられるためへのひとつの提案になれば、という意見でした。批判ではありませんので、ご容赦を。

 有り難い事です。娘からのメールを公開したのですが、(嫌がられるかもしれませんが・・) 山仲間からも嬉しいメールが届きました。でも、それは、私の心の中に、しまっておこうと思います。 p.m.6:00



4/11 北ちゃんから、「晴れたら(降らなかったら)、大鼠山へ行きませんか?」 との誘いを受けた。「コット谷への思い」 と、「ヤブはイヤ!」 から、なかなか返事が出来なかったが、「好山病・・」の仲間との会いたさから、心は動き、お願いする事にした。

 今年に入って、3ヶ月余、100日になるが、「好山病・・」としての正式山行は、一度もなかったような気がする。実際、私(達)が出掛けた時でも、一番多く集まったのが5名であった。

 これからの山行も、諸事情もあり、なかなか揃う事も難しいだろうが、今回は、ちょっと期待が出来るようである。まだ、今年顔を合わせていないメンバーとの再会を期待している。



4/10 「山歩き」と題しているが、本当に山のHPなのかと思うようになってきている。環境・加齢・体力・気力・経験・思考などが、共に変わっていって当たり前なのであろうが、赤裸々に綴るのは、当人だけでなく、覗いて下さる方々にも、ヒヤヒヤさせてしまうところがあるかもしれない。

 そして、一年365日の事であるから、話題が干上がってしまう事もある。また、同じ事を何度も繰り返す事だってある。毎日山に出掛ける訳でもなく、それでいて、何度も同じ山に登るのであるから、新鮮味もないであろう。そこは、山日記の延長線上だと思って、お見逃し頂きたい。

 ”助け船” の話ではないが、皆さんの励ましでやっているようなものです。どうか、興味の無い方、イヤな方は見ないで下さい。HPは、ある面でバックアップ的要素があり、イザという時には助かるのです。私は、この記録(記述)を、もう少し延ばしてみたい。何せ、HPと関わって人生の2/15 (8年/60年) にもなるのだから・・・



4/9 7日・8日の連休は、結果的に夜だけ雨であった。雨による濡れを避けて、2日間とも日帰りとしたのであるが、良かったのか悪かったのか分からないでいる。それにしても、このところのお天気は、月曜日だけを狙い打ちするかのような予報である。

 如何に巡り合わせといえども、精神衛生上良くない。そして、それが当たれば当たったで、しょげてしまうのであるが、当たらなければ当たらないで、文句が出てしまう。直前になって、行き先を決める私(達)であるから良いにしても、これでは、なかなか仲間を誘えない。 次週も「傘マーク」が付いている。



4/8 「昨夜来の雨も午前3時頃まで・・」 の目算が外れ、夜が明けても、シトシトと降り続き、志気が低下してしまった。それでもと準備をして、家を出たのが、午前7時20分頃。これでは、人形山頂どころか、春木山も難しいかもしれないと思わずにはおられなかった。

 田向から林道に入って、すぐに「落石注意」の看板があり、慎重に進んだが、800~900m入った地点でのデブリでストップ。覚悟していた 「大きなヘアピンカーブまで」 よりも、まだ20~30分多く林道歩きを強いられてしまった。

 「林道歩きが好き!」 と豪語していた「山ノ神」であったが、登山口まで2時間半も要する羽目に、「もうここでいい。」 とでも言い足そうな表情が窺えたが、「何が何でも・・」 の私に従わなければならぬような感じで・・・・

 雪量が多く、小枝もさほど邪魔にならず快適に歩けるのであるが、何度も何度も後を振り返らなければならなかった。午後1時を過ぎた時点で、春木山や宮屋敷への到達を諦めたのであるが、昨日の大倉山、または、カクレ山よりは高いところまでの願いも達する事なく、ガスに覆われた平地で、シェルター造りとなってしまった。

 1290m地点で、1時間半程過ごしたのであるが、視界が悪い上に、二人だけの食事では、さほど盛り上がらず、近くの宿り木に目が移り、何とか届かぬものかと雪を積み上げたのであるが、童心に返った一時に過ぎなかったのかもしれない。

 下りは、案の定、快適なものになり、登山口までは半分程の時間で降りる事が出来た。その後に、またまた長い林道歩きが待っていたのであるが、昨日同様フキノトウ採りになった。車に戻り田向に出ると、「全面通行止」の標識が立ててあった。



4/7 雨の予報で、やむなくキャンプを中止としたが、雨降る前に大倉山に出掛けた。15分のロスを覚悟して、桑首林道への車の乗り入れをしなかったのは、帰りに、フキノトウを採るためでもあった。

 ある程度の高さになれば、雪量も豊富であるが、下部では、本当に少ない。その煽りを食って、稜線に出るまでは、小枝が結構煩い。しかし、眺望は素晴らしく、一日中、剱岳や毛勝の山々を中心に、イヤと言うほど見入ってしまった。お天気の時に来ても、必ずしも、剱岳が見えるというものではなく、その点では、とてもハッピーであった。

 山頂では、大展望を前に、いつものように、シェルターを作ったのであるが、私の分(ノンアルコールビール)を忘れて来たというので、この機会に1時間あまりの猶予をもらって、カクレ山に行く事にした。

 濁谷山に向かって、だんだん小さくなっていく剱岳、逆に大きくなっていく猫又谷や駒・僧ヶ岳を楽しみながらルンルン気分であった。1ヶ所、イヤな雪庇を越えるのに、ピッケルを出したものの、高度を下げる以外問題はなかった。でも、ふと思い出したのは、この辺は、「熊の多いところ」 が、脳裏を過ぎり、思わず大声を出しながら歩いてしまった。

 記念の写真に時間を費やしてしまい、遠目で大倉山頂から見下ろす、吉尾氏と「山ノ神」を意識しての登り返しは、大汗を掻いてしまった。1053mからの下りでは、やはり「山ノ神」が、四苦八苦したのであるが、時間的には、そう遜色のあるものではなく、林道歩きでは、袋がいっぱいになるほど、フキノトウを積み、車に戻る頃に小さな雨が落ち出した。。



4/6 昨夜は、綴る事も出来ず、新たな画像も用意出来なくなった自分がイヤになり、HPに八つ当たりした感じになった。そんな自分に愛想が尽きた感もあったが、材料がなく、「切れちゃった!」 をタイトルにしたのであるが、

 「切れたら、未練たらしくページを残すな!あっさりやめてしまえば!いつものように、助け舟を待っているの?年寄りは、消えなはれ。」 (原文のまま)

 なる凄いメールが飛び込んで来た。

 「余計なお世話。」 「イヤなら見なければいいのに・・・」 などと思ったが、「私のHPを見て下さった。」 「もしかしたら、ずっと見続けて下さった方。」 なのかもしれない。

 ましてや、私のアドレスへも手を加えなければ送信出来ないのであるから、イヤミがあっても、私のへのアドバイスと受け取った。助け船の期待はないにしても、年寄りは・・・やはり堪える。(日頃、歳だと言っていても・・)

 今まで、この手のメールが無かっただけに、ちょっときつい。やっぱりいい加減に止めなければいけないのかもしれない。 a.m.11:00



4/5 あちらもこちらも、いろいろあって、頭に来てしまった。それだから、まだ人間が出来ていない事になる。そうそう良い事ばかりあるはずがないのであるが、我慢出来ず、ぶっ千切れてしまった。その八つ当たりというのか、憂さ晴らしというのであろうか、HPに当たってしまった。私には、まだ不満をぶつける所があるからいいけれど... p.m.11:00



4/4 このところの月曜日は、雨に見舞われている。予報によると、次週(4/7~4/8)も免れないようである。せっかく、吉尾氏が小又川まで偵察に行ってくれたのであるが、雨だと、大熊・早乙女・大日方面へは止める事になるであろう。そしてまた、日帰りで何処へ行こうかと、模索しなければならない羽目になる。

 鳥ヶ尾山・鉢伏山行に参加した、福井の宮ちゃんが、楽しくてならなかったから、また次のキャンプに参加したいと言っていたのに、下山後、手首が腱鞘炎になり、不参加を伝えて来たが、お天気も悪そうだから、丁度良いのではと、慰めの言葉となってしまった。「次回に是非!」 と言っていたが、行く先選定が難しくなっていく。



4/3 「北ちゃんのGPS通信講座」 を受ける事になった。そして、初心者として、手取足取りでのお願いである。 (メールでは、そうもいかないが・・) しばらく、やっていないと、先日まで出来た事が出来なくなる。本当に困る。イヤな事は忘れれば良いのに、そんな事は忘れない。これは、どんな頭になってしまったのだろう。

 PCの覚え掛けに、PCを立ち上げてください。(立っています。) ゴミ箱に捨ててください。(ゴミ箱に入りません。) まるで、そんなレベルである。

 今日は、そのような事で、PCとGPSで、頭がごちゃごちゃ・・・ そして、おかしなも物をもって、道を歩く、おっさんの姿は、どう映ったのであろうか・・・ ちょっと、しょぼんでも、「まだまだやらなくちゃ・・」 と意気込んでいる。



4/2 「HPの更新が、ちょっと疲れた!」 という話を小耳に挟んだ。「それは、そうだろう。」 あれだけの事を、しかも、毎日であるから、疲れぬハズがない。きっと、「何の為に・・」 と陥るのが当然であろう。

 「疲れれば、休めばいし、ちょっとくらい遅れても、いいじゃないか・・」 大げさかもしれないが、「継続は力なり。」 そのものである。他人の為は、自分の為になる事もあり、その記録は、大きな財産になる事間違いなし。多くの応援メッセージが届いていると思うが・・・



4/1 「北ちゃん」が温めていた「雨ならば、この山・このルート」 を、無理矢理赤祖父山に変更してもらったのに、福寿草は未だ蕾で、何だか申し訳なかった。でも、雨が雪になり、思ったより多かった雪量に、また新雪に、何だか「ホット」し、救われた感じになった。

 ず~っと、続くブナ林を歩きながら、積もった話に花が咲く。高清水山への誘惑より、あれもこれもと話がしたくて、お昼前にはシャベルを持ってしまった。ネコ君・eikoちゃん・まきちゃん・橋ちゃんなどの話題が、次から次へと出て、大笑いしてしまった。

 休日や家庭の事情、そして、体力・気力、また山への思いに違いはあれど、何故か「ファミリーな好山病・・」 会わなければ・・、離れれば・・、寂しい・淋しい・さみしい・・

「懐かしの一枚」 も話題になった。「元ちゃんにも、若い時があったのか?」 「髪の毛がたくさんあると、他人のような気がする。」 など、言いたい放題。またこっそり、「山ノ神は、HPを見ているのか・・」 まで!