5/31 今朝、県展の事が気になってすぐに新聞を見た。山仲間・知人・同級生の名を探したが、なかなか見付けられなかった。やがて、書道で同級生の名を見付けたが、洋画や写真で、山仲間・知人の名が見付からなかった。

 お昼頃になって、山の神が、「ねぎちゃん」の名を見付けた。別山からの剣岳だそうだが、何回も通い続けて撮られたのだろから、苦労が報われた事でしょう。友人として、山仲間として、「本当におめでとう」 と労いの言葉を贈りたい。でも、あれだけ「岳人」のフォトコンテストの常連だけに、県展入賞など、当たり前なのかもしれない。 p.m.9:10



5/30 次行く山に、少々プレッシャーを感じている。雪の状態はどうなのだろうか? 山の神が、あの長い行程に耐えきれるのだろうか? などなど・・・ 残雪期は、初めての北ア南部の山域だけに、雪の状態から装備まで、何もかもが心配である。好天の予報であるが、山の天気であるから分からない。少々の寒さなら耐えられようが、雨になれば、現在の私のテントでは、辛い思いをしなくてはならない。端境期は、その点が辛いところ・・・・

 逆に、ワクワクするところもある。幾つになっても、チャレンジとは、不安が伴うが楽しいものである。可能性を追求する事は、若さを保つ秘訣(ちょっと苦しい表現かも・・)ではないかと、私は思っている。日頃から、山歩き・山登りの類は、「冒険と、ままごと」 などと言っている事と合致するような気がする。



5/29 私の山行スタイルが変わったように見え、付き合いが悪くなった印象があるらしいが、そのような事はない。確かに今月末まで6回の泊まり掛け(キャンプ)があるが、山行回数からして、その割合はそんなに多くはない。

 そう感じるのは、周囲の方々のレベルが上がり、それこそ、そのスタイルが変わって来たからだと思う。もっとも、休日に違いがあるのに、よくぞ今まで、私の休日に合わせてもらっていたというものである。

 一人で感傷にふけりたい時もあれば、二人で希望を語り合う機会を持つのもいい。少人数で思いっきり話し合うのも良かろう。大勢で出掛ければ、新たな友を得る事もある。山歩きには、幾多のスタイル・パターンがあるが、どれが良くて、どれが悪いもなかろうし、無いもの求めるかもしれない。

 冬期であるが、月一の日曜休日に合わせてもらっているハレルヤの仲間、月曜という難しい日に、休みを取ってくれる「好山病・・」の面々に改めて感謝である。

 「年に、一度や二度くらいは一緒に・・」 と交わした約束を守れないでいるのも確か、「その内に・・」 にと、言っておきながらホゴになっているのもある。 私の周りには、「もうちょっと、高い山に・・」、「夕日を見るのに泊まってみたい。」、「ほんの少しでいいから、雪の山に登ってみたい。」、「低くてもいいから、雪山でキャンプをしてみたい。」 という方々がおられる。そんな方々のお手伝いが出来れば最高なのであるが、まだ欲がすんなりと治まらず、修行の域に達していないようである。



5/28 今朝の午前7時前なのであろうか、アクセスカウンターが600,000件を超えた。長い間やっておれば、必然的に数を重ねるのであろうが、私には、「もうちょっと頑張れ!」 の応援のように思える。

 「毎日のように・・」 どころか、一日に、何回も覗いて頂ける事に感謝! また、興味本位であろうが、気に食わなかろうが、我がHPに訪問くださった事に代わりはなく、それもカウントの積み重ねて頂いた事になる。

 ローカル的で、斬新さに欠けている事は、重々承知しているのであるが、才能の無さは致し方ないのである。また、「目先を変える。」 手法も底を尽き、この先が見えて来ない。

 ず~っと、続けておれば、たまにいい事も書くであろうし、良き情報となる事もあるであろう。それくらいの気持ちで、焦らず、ゆっくりやって行きたいと思っている。出来れば、山歩きが続けられる限り・・・ p.m.11:40

 

5/27 テントを買うか、買わないかで迷っている。値段・大きさ(収容力)・重量・素材などなど・・・ そして、「買うなら、すぐにでも、買わないと・・」 というジレンマに陥る。それは、、もう少し我慢すれば、買わなくてもよいからである。

 現在使用しているテントは30年を超える。使える事は使えるのであるが、二人が目一杯であるから、荷物の多い冬は、食事処を外に求めている。しかし、雪量が少なく悪天の時はどうしようもない。無雪期でも雨の時は・・・である。しかし、「狭いテントも黄金の御殿」 である事を忘れてはいけない。欲しいものを、何が何でもと手に入れても、後の生活に支障が来れば元も子もない。

 少々重いものを担ごうが、また嵐で濡れようが、またまた狭い思いをしようが、あの素晴らしい光景を求める一点に絞り込めば、そのような支障など、問題外なのかもしれない。山で、日常的な事を求める事自体、平和に、どっぷりと浸かってしまった私の堕落なのであろう。



5/26 前回のキラズ山(5/12)山菜山行の折、久しぶりにメンバー全員に、声を掛けようとなった北ちゃん提案の今回の金剛堂山。結果的に、仕事・所用などで合わず参加者は5名となった。それも、好山病・・富山支部で、夕刻から秘密会をやるから、早々に下山しなければならぬという条件付き。

 それでも、山中に、8時間もいたのであるから充分である。田村氏とは、今年2回目、eiko女史とは、2ヶ月ぶり。歩き始めから、その溜まったものを一気に爆発??? それが爆笑となって、ず~っと続いた。

 食べるだけ(お土産も少々)のススダケ・ウド・コシアブラに、ほんの僅かなタラの芽・疑わしきギボウシ・食べてみたかったお花を少々で、山頂直下の残雪上で、天ぷらパーティーとなった。

 テーブル造り職人(北ちゃん)の技が奏功したのか、それとも、同時に吹き出したさわやかな風が、もたらしたかのか分からないが、悩まさせたブヨが一掃され、尚更ムードが高まった。なれば、当然、次行く山の話題になる・・・・・・・

 我々の頭上を通過された男性を呼び止めれば、すっかり忘れていたが、昨春、シュンちゃんが、「大地」で落としたピッケルのスピッエーのプロテクターを拾って、我が家へ届けてくださった高岡の横田氏であった。僅かな時間であったけれど、その歓談を通じて、また何処かでお会いしても、話が弾むというもの。

 また今春、北ちゃん達が大熊山に出掛けた折、遭遇したという射水市の木場氏ともバッタリ!。山に友人・知人は、ぐるぐる回って、皆知り合いになっていくような感じである。気があって、仲良く出来れば、そんな良い事はない。



5/25 明日は、「好山病・・」メンバー5名で金剛堂山になる。私達以外、夕刻から所用があるらしく、早めの下山となるらしい。早めに下山という事は、他に、何かが出来るかもしれない。そんな休日があってもいいかも・・・・



5/24 この時期あちこちで、山開きが行われているようである。休日の違いもあり、私はそのような催し物に参加をした事がないのであるが、結構賑わっているようである。先日の牛岳などは、庄川側と富山側から合わせて、400人の参加があったと新聞が報じていた。自然に親しむ人が増えたのか、時間に余裕がある人が増えたのかわからないが、結構な事である。

 明日は白鳥山の山開きのようである。先週、各人の都合が重なり、一週間繰り延べたハレルヤ山行も、同じ白鳥山のようである。私は仕事なので参加出来ないのであるが、これで3月・4月・5月と三ヶ月連続欠席である。来月も密かに狙っている所があるが、「もう~、どうにでもしろ!」 と叱られそうである。



5/23 去年も、そうであったが、今年も、コット谷を歩けなかった。大熊山や早乙女岳(大日岳)に行けなかったのである。冗談紛れに、「花じいと一緒に・・」 を、口にしていただけに、ちょっと心残りが生じている。休日や天候などを考慮すると、その機会は、ワンチャンスぐらいしかないのに、あの山もこの山もと欲張りな自分が、自ら潰していたのかもしれない。

 最近のコット谷の適期は、登山者よりもスキーヤーで賑わう傾向にある。それはそれで良いのであるが、それよりも、ちょっぴり早めを模索した方が、ずいぶん気分が良い。それよりも、入山者の少ないステキな山が、周りにはたくさんある。特に長い林道を歩かなければ行けないような所は、煙たがられるから、私には穴場なのである。そんな山行なら、まだまだ続けられるような気がする。



5/22 先日の北ノ俣岳山行 (予定としては黒部五郎岳まで・・) で、以前、高岡ハイキングクラブの塩谷氏から譲り受けた12本爪アイゼンを、「山ノ神」に着用させてみた。当日は、早朝以外、雪が緩く、あまり必要としなかったのであるが、下界で調整したものを、ピッタリ来るか試してみたかった。

 旧モデルであるから、ちょっぴり重いが、クラストした雪面では、結構感触が良かったようである。この時期の北ノ俣岳までなら、必ずしも、必要としないのであろうが、当初は稜線にテントを張り、早朝から、黒部五郎岳の斜面に取り付くには、軽アイゼンでは、ちょっぴり不安であったので、12本爪を用意したのであった。

 「ピッケル・アイゼンを、使用するような山には行かない。」 と言うのが、「山ノ神」の口癖であるが、車のタイヤチェーンのように、ちょっとだけでも、どうしても、必要になる時があるから、持参せねばならぬ事がある。

 まあ~、私の行くような山では、ピッケルやアイゼンが、殆どいらないのであるが、真夏でも剣岳のような、大きく長い雪渓を、早朝に歩く時や、3~5月の残雪の山を、谷沿いに歩く時くらいであろうか? それも、大げさなアイゼンなどいらないような気がしている。昔は、6本や8本爪が、主流であったから、今の方が、より安全という事になるのであろうか...

 山歩きを始めた頃、「ピッケルやアイゼンは、雪のあるところ以外で使わない。」 と教わった。爪や先を丸くしては、イザという時に、支障が生じるという意味であったように記憶しているが、この頃は、草地の急斜面などに重宝しているが、先輩達に知られれば、苦い顔をされるかもしれない。



5/21 今回の北ノ俣岳行きで、今年6回目の山中泊となった。(1月は大辻山、2月は金剛堂山、3月は大地山と鳥ヶ尾山・鉢伏山、4月は僧ヶ岳・駒ヶ岳。) あまり意味がないのであるが、月1回のペースで、年12回程を目標にしている。さすがに、雨のキャンプは避けたいと思っているが、この先の事は分からない。

 ゆっくり、焦らず、のんびりのハズが、帰ってみると意外に疲れている。のんびりではないのであろうか? 加齢の所為なのであろうか? やっぱり、知らず知らずの内に、体力が衰えているのであろう。

 戯言になるが、日頃の暴飲暴食が不完全燃焼で、身体を蝕んでいるように思っている。まるで、渋滞の街中を走る車のようにである。週に一度、高速道路を走れば、マフラーに詰まっている物が、吹っ飛んでいくような気がする。山歩きも、これに似て、何もかもが、汗と共に排出するような気がする。そのためにも、どうしても歩かなければならず、また、次の次を考えると止めるわけにはいかない。



5/20 赤木岳では、三脚を立てる事も、ままならなかったのに、「山ノ神」は、どうしても、儀式(点滴)を、やらなければならぬという。大きくはないが、「登り返さなくてはならないよ。」 と言うと、ちょっと躊躇ったが、「これをやらなければ、山に来た甲斐がない。」 「来た気がしない。」 とプシューと栓を抜いた。

 しかし、風が強いし、そのムードはなく、私が急かせる事もあり、仕舞いには、私に半分飲めと言う。困ったもんだ! しかし、間近に見る黒部五郎岳や笠ヶ岳には、それなりにご満悦のようであった。水晶岳から赤牛岳、そして薬師岳を、ず~っと眺めながら、時折、だんだん小さくなる槍の穂先を振り返る、北アルプスならではの光景である。

 往路と違った雷鳥に出遭ったが、あまり長居をせず、先に進まなければならなかった。でも、分岐から避難小屋までは、苦労した登りは、何であったのかと思うほどのペースで降り(30分)、避難小屋で、温かいうどん・ソバを食する時間を設ける事が出来た。

 驚いた事があった。昨日、食事用に作ったシェルターの雪壁が、高温と強風によってか、跡形もなくなく消えてしまっていた。(掘った部分だけが残っていた。)暖かい風が、一番雪を溶かす事が証明された気がした。

 避難小屋を午後2時に出、寺地山まで40分と、かなり順調であったが、その後は、次第に尻すぼまりとなり、「まだかまだか・・・」になった。また、2度も目印を外し、右往左往したのも疲れを倍増させたかもしれない。雪山の下りは、そんな所が怖い。

 午後6時前には、下山出来たのであるが、車デボ地点まで、もう少し歩かなければならないのが、少々応えたようであるが、その僅かな時間で、タラの芽・コゴミ・ウドを、レジ袋いっぱい収穫出来たのには、疲れが何処かに吹っ飛んだかのように、「山ノ神」に真面の笑みが戻った。



5/19 「どうなるか分からないお天気であるが、午前3時起床。荷を片付けながら食事をし、夜明け前に出発出来るような体勢にしておく。」 山頂からガスが降りて来て、真ん丸いお月様を隠してしまう様子を確認してシュラフに入った。

 疲労困憊の「山ノ神」は、二人では話が尽きてしまう所為もあるが、早々に寝入ってしまった。でも、あまり飲まなかったと思った清酒の残量が、2000mlから200mlになっていたのであるから、誰が飲んだのであろうか・・・(床にはこぼれてはいなかった。)


 外は、明るんだが、視界が思わしくなかった。それでも、「北ノ俣岳の山頂は踏んでおこう。」 予報も下り坂のハズであるから、早めに出発である。しかし、午前5時には、稜線がはっきり見えてきた。「北ノ俣より先へ・・」 に修正である。

 30分で150mの高度を稼げるペースであったから、午前7時には北ノ俣岳山頂に立てるのではと思ったが、そう甘くはなかった。雲が広がると共に風が強さを増して来たのである。ボヤッとしていると、風に身体が持って行かれそうな強風である。台風並みとでも言えばいいのかもしれない。

 「山ノ神」に、ストックからピッケルに換えさせたが、右斜め前方からの強風には進む事が出来なくなってしまい近くのハイマツに逃げた。その後も強風は収まる事はなかったのであるが、その風は、雲を裂き真正面に「日の出」としたのである。

 ハイマツの間を駆け抜け、時には、「山ノ神」の手を取り必至になって駆け上がったが、2350mのハイマツの中で、もうこれまでか・・と心したが、「山ノ神」の口から、「もう止めよう。」 「戻ろう。」 が、なかっただけに、更に上を目指した。

 前傾姿勢になりながらというよりは、這いつくばって、だったかもしれないが、「2500mは超えようよ!」 「稜線までは・・」 と次第に目標を上げて行ったのである。行ったことがないが、まるで次元の違う山に来たかのように・・・

 3時間余を費やした午前8時20分、ようやく稜線に出た。ちょっと色は薄いが、いつもの展望が開けた。カメラを構えても、フラフラし上手く撮せない。それよりも、とにかくお腹が空いていたので、風当たりの少ない場所を探し、食べ物を口に入れた。

 昨日、無理をして、この場所まで来ていたら、とんでもない事になっていたかもしれないと思った。それはそれとして、素晴らしい展望には、苦労して来た甲斐があったと言うものである。ましてや誰もいなく、「独占」であるから尚更であった。

 風当たりとは不思議なものである。稜線に出たら、立ってはいられないと思っていたのであるが、所々風の道ではないのかもしれないが、何ともなく穏やかな所もあるから不思議である。

 北ノ俣岳の山頂までは、あれもこれもとカメラのアングルを求め、2~3倍の時間を掛けて歩いた。その先は、「山ノ神」に取っては、未知の領域である。黒部五郎岳は諦めたが、赤木岳辺りまで行こうとなった。起伏もそんなになく視界が良好なら何の問題もない。後は、帰りの時間が気になるだけである。

 雷鳥のつがいと遭遇。シャッターを切り続けたもので、意外と時間を費やしてしまった。(家に戻って調べてみると、私が89枚、「山ノ神」が、44枚も雷鳥を撮っていたのである。) それでも、腐った雪を踏みしめ赤木岳の三角点を触って来たのである。



5/18 二人だと、やっぱり出発が遅れた。また登山口まで(102キロ)の所要時間を甘く見過ぎた事や、登山口手前(徒歩15分)のデブリでの通行不能が重なり、予定より1時間半も登山口発が遅れてしまった。

 「山ノ神」が15キロ、私が25キロの荷を担ぐのであるが、いつも、「どうして、こんなに重くなるの?」 である。私は、厚手の下着と登山シャツを行動着にしているが、その他の着衣は(リックの中には)、雨具の上下と、30年来使用している薄手のウィンドブレーカーの上衣だけであるのに・・・

 前回の「僧ヶ岳・駒ヶ岳」は、これにスノーシュー2組を担いだのであるから、未だ良いとしなければならない。しかし、前回の僧ヶ岳よりは、「急登がないから楽だ!」 と言っていた「山ノ神」であるが、次第に荷が私に方に、移されて来たのであった。

 歩き始めて30分程経過すると、すぐに残雪が現れた。スノーシューがあったら、もっと楽だったかもしれないが、後の祭りであるから、コツコツと、ひたすらに歩いた。二人で歩くと、どうしても休息時間が長くなり、寺地山頂には、4時間半経過の午後1時になってしまった。(もっと、速く歩かなければ、稜線にまで達し得ないと思うが、言えばケンカになるに決まっているから、ニヤニヤ我慢するしかない。)

 そして、避難小屋に着いたのは、午後2時20分頃になってしまった。「疲れた!」 と、匙を投げられては、北ノ俣岳稜線まで無理して引っ張って行っても、不徳の事態になれば、取り返しのつかない事になるので、諦めるしかなかった。

 分岐標識(避難小屋・北ノ俣岳・寺地山)のある高台で、食事用のシェルターを造った。二人で1本のビールを飲み、腹ごしらえをしたが、何だか割り切れなかった。2600m台の稜線で、テントを張るのだからと、外張りまで担がせられて来たのに、避難小屋泊では、どうしても納得いかなく、このままでは飲んでばかりなるからと、隣りにテン場造りに掛かったが、益々風が強くなり、それも断念し、日の暮れる前には、食事処のタープも撤去し、避難小屋にお世話になる事にした。



5/17 18日(日)、19日(月)の両日とも、日帰りの誘いを受けたのであるが、当初予定の北ノ俣岳・黒部五郎岳方面に出掛ける事にした。二人だけだと、すぐに軟弱になるから、黒部五郎岳まで行けるだろうか? 北ノ俣避難小屋に泊まれるだろうか?(始めから当てにしていいのだろうか・・) テントを張るとしたら、もっと先に行きたいし、風を避けねばならぬから、何処に張ろうか? などなど、それなりに悩むところもある。

 でも、やはり、夕日や朝日が見たいから、稜線まで上がりたい。しかし、余計な物を担ぐだけに、果たして、そこまで届くかどうか分からない。 p.m.7:00

 19日(月)の予報が悪くなった。(曇りに・・飛騨は、曇り時々雨である。) でも、怯まず、一日目が勝負であるから、尚更、テントを担ぎ稜線に出ようと思っている。ゆっくり焦らず、危険があれば、すぐ戻るつもりで出掛ける。 p.m.11:00



5/16 18・19日を、どうするか、未だに迷っている。PCの迷走もあり、充分な連絡がいかないでいる。



5/15 今日は、まるでPCの調子が悪く、ず~っと悄気ていた。「動かない。」 その後は、「立ち上がらない。」 が続いた。只でさえ、更新が遅れているのに、それに輪を掛けている。さすがの私でも、S先生に、しょっちゅう電話は掛けにくい。

 「死んでいる時間が長い。」 いろいろ触っていると、また長い時間放っておくと、たまに動く・・・ その合間の更新となる。何か変わった事をやると、途端に動かなくなる。「再起動」を、やるだけでも動かなくなるのであるから堪らない。今宵は、シャットダウンをやるだけでも怖いから、このまま休む事にする。 p.m.11:59



5/14 山口の涼子女史から清酒が届いた。もしかしたら、猫又谷林道の最終地点で、差し入れをしたお礼なのかもしれない。お仲間が一緒であるから、ちょっと、お顔を見られればいいくらいの気持ちで、出掛けただけの事だし、それに便乗して、「山ノ神」に、猫又谷の雰囲気を、味わわせてやればいい程だっただけに、かって申し訳なく思わずにはおられない。

 お酒を嗜なまれない涼子女史だけに、お酒選びが大変だったのではなかろうか? 「獺祭=がっさい」 という高級酒を贈って頂いたのであるが、「もったいないから、一気に呑むな!」 と「山ノ神」に、早くも釘を刺されている。「酔うため売るための酒でなく、味わうための酒を求めて」 が、ポリシーのこの酒造メーカー、獺(かわうそ)の漢字を覚えただけでも、とても収穫になった。



5/13 我が家のニッコウキスゲが、もうしばらくすると咲きそうである。何の花かと思っていたが、「山ノ神」の話によると、数年前白木峰へ紅葉を見に出掛けた時、踏まれたニッコウキスゲの残骸から種子を拾って来て、鉢に植えた(入れていた)ものだそうだ。

 忘れてしまっていたものだが、花が終わり、映画のイーティーのような形をした種子が、生き返ったのだから、「良かった。」 「嬉しい。」 が実感である。「一夜花」で寿命が短いが、蕾から咲き終わるまでを、じっくり楽しみたいと思っている。



5/12 キラズ山・山菜山行に5名が集まった。集合場所を間違う者、大事な食材を忘れる者など、不安なスタートであったが、「何かが違う・・」 雰囲気は、すぐに癒しに変わる。あっちにふらふら、こっちにふらふらは、いつもの頑張りとは違い次第に目の色が変わっていく。

 「あった!あった!」 の嬉しそうな顔は、何の邪念もない幼き子供のよう・・
 山菜の名、ありそうな場所などは、その都度上手になっていく。コシアブラ・タラの芽・ウド・コゴミ・フキノトウ・ワラビ・ススダケ・イタドリ・ヨモギなどを採り山頂に上がった。

 標高1,188mのキラズ山には、殆ど雪が残っていなかったのであるが、しかし、その山頂には、不思議な事に、テーブルとベンチを作るだけの雪量があったのである。早速、採った食材で、天ぷらを揚げる。また太ると言いながら、手が伸びるから可笑しい。

 美味しいケーキとコーヒーで仕上げ、ヤブを掻き分け立山連峰を覗いたが、カメラに納める程ではなかった。帰りも山菜を探しながら、アハハ・・・、オホホ・・・いろいろな話をしながら楽しく歩いた。トランクに入らない程の収穫ではなかったが、新しく楽しい想い出をいっぱいザックに詰めて担いだ。そして、今度は、「フルメンバーで来たい。」 が、共通の思いであったに違いない。



5/11 不思議なもので猫又山を諦めたら、「猫又山は、どう・・」 のメールが来た。既に士気が低下してしまっているからどうしようもない。また、昨日からの気温低下に、昨年毛勝山での氷塊シャワーを思い出してしまった。怖いのはもういい。安全で楽しくの方に、心が傾いてしまっている。 p.m.7:20



5/10 S先生に、PCの不都合を改善してもらう機会に、3ヶ所の部品を交換して頂いた。その中の一つに、DVDの書き込みも出来るようにしてもらった。また、テレビでしか見られなかった北ちゃん作成の私の宝(牛岳記念山行・突坂山・雨飾山のDVD)が、Cyber Link Power DVD で見られるようになったのである。Media Player や Gom Player では見られなかったものである。

 DVD RAM も使ってみた。ITだけでなく、私の身の回りの物が、ドンドン変わっていく。ボーッとしていると、すぐに付いていけなくなる。若手の多い「好山病・・」は、そんな点でも刺激を受けるチャンスなのである。



5/9 「好山病ウィルスが騒いだ!」  予報を見ながら、次行く山の選定に苦慮していた。それは、幾つのも候補から、「山ノ神」の力量を加味しながら、また翌週(連休)の行き先と、ダブらない事も考慮しなければならないからである。

 そんな折、吉尾氏から猫又山の提案があった。しかし、「山ノ神」からして、雪渓の斜度、雪解けが進むに連れての取り付きの危険などから、辞退をしていたのであるが、ザイルなどの確保をも条件に計画を進める事とした。

 ところが、その後に、舞姫から山菜山行の誘いが来た。(山ノ神にも、別便が来ていたらしい。) 危険回避から、「山ノ神」は、好山病ウィルスに合体する約束を瞬時にしたらしい。しかし、私はそんなわけにはいかない。でも、私に潜在する「好山病ウィルス」も、そちらに行きたがるようで、吉尾氏を口説きに掛かった。男の約束であるから、一方的に解除するわけにもいかないのであるが、「好山病・・」として納得してもらうしかない。

 「話したい事がたくさんある。」 「話がたくさん溜まっている。」 そんな共通項が皆にあり、山菜を採りながら、一気に発散したい。「でも、山菜がなかったらどうしよう。」 という心配もあるが、また違った楽しみを見付ければいいだけの事。昨年の同時期に、大勢で祖父岳に登った。あの時は、ツバキ・タムシバの花まで、天ぷらにして食べてしまった。



5/8 「山の茜を顧みて 一つの山を終わりけり 何の俘のわが心 早くも急がるる次の山」 以前、富士写ヶ岳に登った時、深田久弥の歌碑を見た。久弥は、ふるさとの山で、何を詠みたかったのだろうか・・・

 「俘」 という文字は読みにくいが、その歌を格別に引き立たせているようにも窺えた。文学には、まるで疎い私であるから、コメントのしようがないが、「一つの山」 とか 「次の山」 には、そんな私でも、心を同じにする錯覚に陥るのである。

 「百の山頂に、百の喜びがあり。」 は、名文であり、近場の低山歩きをしている我々には、心の道標のようなものである。



5/7 眠たくなって、途中で止めてしまった記述を読み返すと、「何をクダクダと・・・」 になり、消される羽目になる。このような類は、一気に綴らなければならぬもの・・・

 読み返さないから、誤字脱字に、意味不明の事もしばしば・・・それを、続けているし、残しているのであるから、また可笑しい。

 「山に行った。」「行かなかった。」「思うようにならなかった。」 ニッコリだろうが、悄気ていようが、すぐに休日が来る。中5~6日で確実に来る。中には、毎日そのチャンスがある人もいる。


 何を求めているのだろうか、分からないままに、ず~っと、続けているのが、良いか悪いかは別にして、「好きだから・・」 と言う他ない。その「好きだから・・」 は、只、自分勝手なだけで、自慢出来るものでもあるまい。生意気かもしれないが、社会貢献の微塵もないから、この歳になると、ちょっと考えてしまう。

 そんな能力がないのだから、無理せず、気ままに山を楽しんでおれば良いのかもしれない。でも、「何かを・・」 が頭から離れない。「ゴミでも拾うか?」 「草刈りでもしようか?」 でも、何かを決めれば窮屈になる。やはり、大それた事を考えず、そ~っと、山を愛すのが一番良いのかもしれない。

 

5/6 昨日の猫又谷、そして、「今日は、あまり出掛けて欲しくない。」 の要望を加味して、午前中だけ牛岳としたが、起きてみれば、素晴らしいお天気に、「何故・・」 が思わず口から出てしまった。

 牛岳でも、「行かれるだけ、登れるだけ私は幸せなのだ!」 を自分に言い聞かせ、「お昼過ぎには、家に戻る。」 と出たのが、午前6時20分であった。「行くなら、ワラビの状態を見て来て・・」 の宿題も科せられたが、山行との抱き合わせなら、さほど苦にもならない。

 登る前に、「山ノ神」から依頼された偵察場所と違う所で、ワラビをゲットしていたら、林道登山口に何台も車がやって来て、仕方がなく、別の場所に車をデボして登り始めた。

 新緑に青空は、先の雑念を払拭してくれそうで、ツバキやツツジの前で、足を止めさせてくれた。また、「コシアブラは、まだこれから・・、サンカヨウの白い花も、今からだね!」 と呟きながら、ゆっくりと、時には小走りに・・・

 休日の山頂には、次から次へとハイカーが訪れた。山菜採りのついでにと思われる方、初めてなのであろうか、ガイドブックを見ながらの方などなど・・ そのなかで、牛岳の主である秋山翁と暫しの語らいをさせて頂いた。

 翁は、もう少しで、牛岳登頂800回になるようである。「ちょっと膝が痛くて・・」 とおっしゃっていたが、なかなかどうしてである。 その会話中、寺口氏が2回程牛岳に来ておられると聞き、「もうダメだ!」 と言っておられただけに、お元気な事を知り、何だか嬉しくなってしまった。
 また、優しい語り口の砺波の川辺氏とも、一言二言の語りであったが、仲良くなったような気がした。(顔を覚えていられるかな・・と笑いながら、別れたのであった。)

 私は山菜で苦手なのが、ゼンマイである。シダと間違える事がある。また、オス・メスの選別、伸び過ぎ、小さ過ぎの見極めが下手なのである。また、ワタを取ったりの手間や、収穫が少量だと、どうしようもない。 など、天日干しなどを含めて、厄介な山菜であるから・・・ そんなゼンマイを降りながら収穫してしまったのである。「山ノ神」に叱られるか、誉められるか、おっかなびっくりの心境で・・・

 そんな山中、「カギを持っているか?」 と電話あり、今から3人で出掛けるという。帰京の電車時間に合わせ、帰宅するのが午後4時頃だと言うから、いっぺんに力が抜けてしまった。始めからそう言っててくれれば、違った山に行ったのに・・(行けたのに・・)

 

5/5 雨が落ちぬ間に、猫又谷の雰囲気を「山ノ神」に味わわせる。大明神から毛勝三山、そして、大猫山踏破し、猫又谷を降りて来ると思われる山口の涼子女史との再会。その二つのテーマを持って、早々に自宅を出た。ちょっとズルをして、歩かなければならぬ所をカットし、南又谷へ入った。

 車デボ地点から、1時間半後、谷から林道に上がって休息している涼子女史に出会った。山岳会に所属する男性を3人従え?元気いっぱいの彼女と、矢継ぎ早に山の話となった。しかし、グループの事もあり、記念写真を撮り、「鮨とおはぎ」を差し入れし別れとなった。

 「山ノ神」としては、初めての南又谷、しかも猫又谷へ来ての一歩。その時点で、「もうこれでいい。」 の思いがあったのであろうか、「いつ止めてもいいよ。」 と私に迫る。時たま、雨がポツリと落ちる事もあり、尚更だったのかもしれない。

 未知の世界に、足を踏み入れたいの思いがあっても、怖さがあっては、何をか言わんである。「雨が降るまで・・ ガスが架かるまで・・ 登れなくなるまで・・」 などと言って繋ぎ、「もう少し・・・歩けなくなるまで・・・」 などと言いながら、「もしかしたら、登れるかもしれない・・」 があったのだろうか?

 そんな思いがあっても、右から、大きな雪のブロックが、しかも雪崩のように、そして、左から大きな石や岩が、これまた私達を、狙い打ちにしているかのように・・・・・ 落ちて来るから堪らない。高温・熱風が、そうさせたのかも知れないが、「もういい。これで充分!」 では、退散しなければどうしようもあるまい。・・・

 いつしか「山ノ神」の術中に嵌り、山菜採りになってしまったが、「他の山にも・・」 には、流石の私も、「もうこれでいい。」 と、頂への未練も重なり、早く家に帰ろうと言ってしまった。家路へは、所々で強雨となり、早めの下山の奏功と、涙雨が入り交じった感があった。 p.m.11:50



5/4 明日の山行は、迷いに迷ったが、お天気の事、娘夫婦の事などあり、仲間を誘いきれず、また仲間の企画にも乗り切れるムードでもなく、変更も利く二人だけの山行とする事にした。今まで、「山ノ神」が足を入れたこと無い片貝の山域の一つ猫又谷を考えている。雨が降ったら引き返せばいいし、危険だと思ったら止めればいいの気持ちで出掛けるつもり・・・

 もっとも、お天気が良くても、あの谷を登り切る事は出来ないであろうし、その雰囲気を味わうだけでもいいのつもりである。結果的には、山菜採りになるかもしれないが、それはそれでいい。

 「山ノ神」を同行しない「聖域」を保った事もあったが、一年一年雪崩現象のように崩れていく。二人の差が、狭まっていく事は確かであるが、度胸と言うのであろうか、恐がりが直らなければ、到底残雪期の山を登る事が出来ない。 p.m.11:20



5/3 ず~っとお天気の予報が、イヤな事に、5日(月)だけ「傘マーク」が付いた。すんなり行くとは思っていなかったが、「何で・・」 の思いが強い。6日も、思うように使えるか分からないし、山に関して憂鬱!

 しかし、5日も今のところ、夕方から雨の予報だし、早立ちなら何とかなるかもしれない。



5/2 昨夜から、PCが立ち上がらなくなった。S先生にみてもらうしかない。 「PCがなかったら、寂しそうな顔をしている。生気がない。」 と「山ノ神」に言われてしまう。特別の事をしているわけではないが、寝ている時以外、ず~っと、PCを付けっぱなしにしている程、生活に密着している現在、電気や水道・電話が通じないのと同じくらいである。

 5日は、日帰りにする事にした。6日は、お昼過ぎに帰宅出来る山に・・・。 「何が何でも・・」 の考え方を、見直す時期に来たのかもしれない。 p.m.10:55



5/1 今日は、高岡の祭礼・「御車山」。世界遺産登録、また、来年は開町400年と高岡は話題が多い。出たがり屋の「山ノ神」に引き摺られて、昨夜の宵山、そして今日の本祭りと町歩きとなった。私は、スーパーの買い物や、この類のイベントには、異様な疲れを感じてしまうタイプ。

 早々に引き上げ食事に期待したのであるが、出掛ける前、空腹をアピールしたばかりに、カップヌードルを食する羽目になり、それが、夕食の代用となったらしく、仕方がなく飲むだけになった。

 5日・6日の連休は、「泊まりたかったら、泊まってもいいが、出来れば、娘夫婦が帰京する時までに帰って、見送って欲しい。」 と言われれば、計画を変更しなくてはなるまい。さて、どのようにしようか・・・