6/30 楽しみにしていただけに、「雨なんかに負けるか・・、負けるもんか・・」 と皆が集まった。夕方からの臨時総会(懇親会)に合わせて、行き先は、割と短時間でも楽しめる白木峰。それでも、八尾某所の集合が午前6時とは、下山後の入浴、所用や買い物などを考慮して逆算したものであった。

 傘を差しながら、ぬかるんだ階段、そして、濡れた木道歩きの白木峰であったが、ニッコウキスゲの開花が、例年より早いのではないかと思わせるくらいの状況(歓迎)に、皆の顔がほころんだ。始めから、小白木・前白木峰への予定もなく、浮島まで歩いて、すぐに白木小屋で食事である。夜の事(懇親会)を考えれば、何もかもが早めであるが、それでも白木小屋滞在1時間半。(9:30~11:00)

 午後5時からの臨時総会は、白木峰山行の参加した9名に、所用があった「橋ちゃん」 が加わって、全員参加。(きくちゃんが産休?) 議題を提案しないままに、喋って飲んで食べた。毎回のように会っているのに・・、今日も白木峰でたくさん喋ったのに・・、どれだけ喋っても飽きなかった。



6/29 警報が出て、その通りになった事はあまりない。もっとも、「注意せよ!」 という事で、何もないのに越した事はない。明日は、今年半分の最後の日。「好山病・・」が揃う。

 臨時総会と言うのが良いのか、株主総会とでも言えばいいのか分からないが、とにかく、皆時間を都合して集まってくれる。ちょっと、歩いて、今後の事、また反省点など、話し合う機会となれば最高である。「好山病・・」が発足して、まだ3年半である。 p.m.11:55



6/28 新聞広告であるが、先月、75歳で、エベレストに再登頂された三浦雄一郎氏の記事を読んだ。「何のために長生きしたいのか、健康の先に何を見たいのか。目標がはっきりしないと、私はただの怠け者になってしまうのです。」 とあった。

 そんな60歳当時の三浦氏でも、「ゴルフ、旅行、食道楽、パーティーなど・・」 と生活習慣病の肥満体であったという。また、「若い頃に鍛えても、不摂生が続けばマイナス以下になる。」 ともあった。また、焦りから、厳しいトレーニングをして体調を崩し、「無理は続かない。楽しみながら少しずつ・・」 を悟られたようであった。

 この中から、何かを学び取れるような気もする。「目標」「継続」 が、キーワードなのかもしれない。食べ過ぎ、飲み過ぎに、最も気を付けなければいけないのであろうが、これがなかなか難しい。質素な物でも、食べ過ぎれば、長い間に身体を壊すのであろうし・・・

 これに、運動不足が加われば、最悪の状態になる。私(我々)は、幸いにも、ちょっとだけハードな山歩きがある。これで、何とか身体を保っているのかもしれない。「ちょっとだけ」 食べ過ぎないで、「ちょっとだけ」 運動機会を増やせば、もっと良いのであろう。それも無理しないで、そして、長続きするように・・・



6/27 由利香女史から頂いたコーヒーカップに、異変を感じたのは先月であった。何か分からないがテーブルやお盆が濡れている。別に穴が空いているわけがないし、合点がいかなかった。しかし、毎日毎日、何処が可笑しいのかと調べていたら、かすかに「ひび」が入っていたのである。「ショックであった。」

 朝昼晩のコーヒータイムに、欠かさず使用していたし、ず~っと、山行にも持ち歩いていた。コッヘルの中に入れ、パッキンを忘れた時があったが、それが原因だろうか? それとも、ザックを何処かにぶつけた時に、衝撃を受けたのだろうか? などと悩むのであるが、どうしようもない。

 私の宝物が一つ無くなった事になる。それを、由利香女史に、どのように告げようかと思っていたのであるが、この欄での告白となった。でも、捨てないで残してあるし、山行時の画像として、たくさん残っているのがせめてもの慰めである。それにしても、カップの図案(ハイキング)は、可愛くてステキであった。  その由利香女史、今年も高岡合宿に来ないかな?



6/26 白鳥山(6/23)から戻って、シャッターを開けた途端に電話が鳴った。いとこの婿さんからであったが、始めの内は、支離滅裂で内容がよく分からなかった。その婿さんからみれば、兄の孫(本人から見れば、甥の子)に当たる人が、「6/18に妙義山(群馬)に登って帰らない。」 と言うものであった。

 高岡出身で東京の製薬会社に勤務している30歳代の男性で、バイクで出掛けたらしい。会社からも20~30人捜索に出たらしいが、(もちろん警察もであろうが)天候が悪く2日間で捜索を打ち切ったそうである。

 私は、妙義山に、登った事もなければ、その遭難した方の名も知らない。しかし、いとこの婿さんからしてみれば、ワラをもつかむ思いで、私に電話して来たのであろう。「あいつは、いつも山に登っている。」 何か心の休まる事を言ってくれるのではないかと思ったに違いない。

 その後、「どうなったのか?」 と電話してみたのであるが、進展がないそうである。そして、葬儀の事について、問われたのであるが、「何を言っているのですか? 親戚の方だけでも、生きていると信じてあげなければ・・」 と私は叱ってしまった。

 2月上旬、金剛堂山に登った際、私達にとっては、何も無かったのであるが、「遭難もあり得る」 と見られたからであろうか、警察からの電話に、親戚中が大騒ぎになったのであるから、今回の関係者の方々の心中を察するのである。



6/25 昨夜、筏井氏・シゲキさん、そして、シュンちゃんがやって来た。3人で何か良い事があったのだろうか、上機嫌の来訪であった。 『たかまち』 に、あまり行きたがらない私を察知してくれたのであろうし、「高岡に来て、私の所へ寄らないわけにもいかない。」 などと、シュンちゃんが、思ってくれたのかもしれない。

 私が行けなかった先日の朝日岳山行の話、今度の朝日岳登山会の事など話題は欠かない。7月の剱岳登山も話題となったが、まだ時間があるから煮詰めなければならないであろう。飲めば飲むほどに、私の山行スタイルにも及んだ。「スタンスは変わらない。」 などと、言っても、「そうではない。」 と返されてしまった。

 夏(無雪期)は、ハレルヤがない。「好山病・・」だって、同じようなもので、夏は同行の機会が少ない。各々が、いろんな思いで自由に飛び回ればいい。日も長いし、どっぷり山に浸かる良い時期である。会えなくても、いつでも会えるというが安堵に繋がる。昨夜も、わざわざ、我が家に訪れてくれた有志に感謝したい。 p.m.11:55



6/24 白鳥山の後半は、雨が止んだ。そして、今日は晴れだ。「山から降りたら、晴れるぜ!」 「次の日は、晴れるぜ!」 が、その通りになった。約束した山行は、変更になっても、誰一人中止になると思っていない。それが、「好山病」なる所以であるから・・・・。

 そんな折、2通の便りが届いた。1通は福井の宮ちゃんからの絵手紙。(宛名は山の神に) 「随分、長~く会ってないような、もう今年の半分が終わってしまいます。月日の経つのが早く感じます・・・・・・。」 宮ちゃんとは、僧ヶ岳・駒ヶ岳のキャンプ以来、ご無沙汰かもしれない。

 もう1通は、縁戚のM女史からであった。先日の姉婿の兄が他界された際、キャリアながら、ワケありで、帰高しても寂しそうな感じのM女史(姉婿の姪・甥のいとこ)を、夜行列車で帰京する甥と共に、2時間弱の間であったが、我が家に誘った。その礼状である。

 山の神の山菜料理を食べながら、私の山への入れ込みを、淡々と語っただけであったが、M女史からしてみれば、非日常どころか、異次元の話に思えたであろうに、何故か感謝!感謝!の語句が多く綴られていた。「お陰様で、また、元気で頑張ろうと思います。」 と結んであった。好き勝手な事ばかり言っている私であるが、知らない内に、ちょっとでも、何か良い事もしているのかも・・・

 もっとびっくりしたのは、M女史の母様宛に出した私からの賀状(平成18年・19年・20年)を探しだし、山への憧憬を、ひしひしと感じられたとの一節であった。今までは、弔いの時に挨拶を交わす程度しか交わりがなかったM女史であったが、1通の便りは、「行くところが無かったら・・、高岡に来たら・・、またおいでよ!」 と言いたくなってしまう。



6/23 朝方まで雨であろうからと、魚津IC集合を、ちょっと遅くして午前6時半とした。それでも雨、結局、皆の合意を得て、行き先を白鳥山とした。山姥線最終地点まで車を入れ、早めに白鳥小屋を目指したのであるが、登山道は半ヤブ状態であり、雨や草木・小枝の濡れ(水滴)が、雨具や登山靴を通してしまい、それこそ、何もかもが、グジョグジョになってしまった。

 それでも、草木や花の名、またまた山菜の話、今まで行った山、これから行きたい山など、話題が尽きず、白鳥小屋まで、ず~っと、喋り通しであった。濡れた物を脱ぎ、暖かい小屋での昼食は、これまた3時間、静かになる事無く、笑いっぱなしであった。

 下山路は、シキワリを経由し坂田峠に出、林道を歩き、山姥最終地点の車に戻る事になった。復路も同じだと、ちょっと物足りない歩きになる事を考慮すれば、メンバーのなかなかの思い付きであった。今日も「好山病・・」メンバーが7名。「このところ、俄に活発になって来た。」 などと言われるのであろうか・・・ p.m.8:50



6/22 北陸の明日は、午後から雨が上がりそうな予報。疑わしいが良い方に考え、2通りの案を持っての山行となる。県東部の山、回復が早ければ頸城方面や信州の可能性もある。しかし、毎週出掛ける者として、経済観念も必要である。怪しければ、わざわざ遠くへ行かなくてもいい。どの山でも、充分に楽しめる話題があるから・・・・ p.m.11:55



6/21 23日も「好山病・・」メンバーが、6~7名揃いそうである。もしかしたら、「ネコ君」と2月以来、「さおりさん」とは1月以来になり、とても楽しみである。少々の雨でも行かぬ訳がないが、しかし、その行き先に苦慮してしまう。

 梅雨でも、降らない時は降らないのであるが、予期せぬ事も、頭に入れておかなくてはならない。前線が北上しない事を祈り、もう一日様子をみたい。それにしても、降水確率の定義はややこしい。



6/20 先日プリムスのウルトラバーナーの不都合を山用具K店に持ち込んだ。K店で購入したものでなかっただけに、ちょっと気が引けたが、顔なじみのT店長に相談してみた。忙しそうなT店長だったが、時間を割いて、しかも長時間に渡って、真剣に対処して下さった。とても良い気分になった。人として、何かを買いたくなる。私も普通の人である。



6/19 傘マークを並べ、無理矢理「梅雨入り宣言」 をしたように思えてならない。バ~ッと来るかもしれないが、その内、きっと晴れる事が多いよ!

 ・・・、自分が出掛ける時に限って降ると、「よく降るな~。」 となり面白くない。感覚とはそんなもんだと思う。「雨も、乙なものだ!」 などと粋がっているが、降らない方が良いに決まっている。

 でも、出掛ける。そんな「ライフワーク」 だと言ってしまえば、それまでだが、一度止めると、なし崩しになって行く、自分が怖いからであろう。それほど「意志が弱い」 という事に。「強い人間なんていないよ。」 そう見えるだけ・・ 必ず、同調を求めたり、確認したりしている。人は支え合っていかねば、生きていけないという事であろう。



6/18 今月は、あと2回の山行機会がある。それを順調に消化出来れば35回(41日)になる。半年で、それだけ、山中で過ごせたのであるから、私は幸せ者である。何一つ欠けても、そのスタイルを維持する事が難しいのであるから、本当に感謝しなければいけない。

 山行内容はともかく、その雰囲気やスタイルを作るには時間が掛かる。周りの人達を、そのように思い込ませてしまわなくてはならないのであるから、ちょっとやそっとではならない。信念がいるであろうし、時間も掛かる。後は、ケガや病気をしない事。これが一番大事である。

 百・二百・三百の名山がある。特別の入れ込みは無いにしても、機会があれば登って見たい。これには、時間とお金と根気がいる。登っての勲章よりも、どのような山なのかに興味がある。登って見なければ分からないからである。出来れば、その付近の名所旧跡や、気になる街を訪れたい。

 そのような事は、夢に終わるかもしれない。でも目標・目的が無くては、活力が生まれない。小さな目標が幾つも積み重なって、それなりのものになる。自慢しなくても、それなりの励みになる事は間違いない。そんな話が出来る仲間が多いのは、何よりも自慢である。



6/17 筏井氏から、今シーズン最後のハレルヤ山行(6/15)の報告を受けた。東笠山の参加者は4名。何故か知らねど、小口川林道を7・5キロを歩いている。登山口を通り過ぎた。予想外の残雪と装備不足等々が綴ってあった。そして、ヒメシャクナゲは、未だでも、チングルマやタテヤマリンドウが咲き乱れ、北アの展望が充分に楽しめたとあった。

 二組の夫婦が山菜を採り、好きなお酒を飲み(旦那衆だけ・・)、長い林道をいろいろな話をしながら、歩かれた事を想像してしまう。
 今年6回の山行機会が有りながら、3~6月に掛けて、キャンプ山行のため、4回も欠席してしまった。本当に申し訳なかったと思っている。
 しかし、今シーズンは昨年の11月から始まり、8回の内4回であるから5割となり、勝手に自分を納得させている。雪が無くなると、ハレルヤの山行としてのイベントがなくなる。ちょっと、何処にもない山グループかもしれない。



6/16 「遠出がなくなったのなら・・」 の誘いを受けて大猫山に参加する事になる。獲物はないかと、キョロキョロしながらも、ペースは速く、山の神には、辛いものだったかもしれない。しかし、山仲間とキャッキャッ言って歩くのも実に楽しい。

 早朝からピーカンで、ずーっと剱岳を眺めながらの登高は、汗を垂らしながらも気分の良いもの。しかし、ここでも、ブヨには悩まされる。大猫平からは一面の雪(残雪)。高度を上げる度に、ガスが濃くなり、山頂に達する頃には、雲中の人になってしまった。

 でも、稜線上は、たっぷりの雪量があり、早速テーブル造りの職人が動く。「景色なんぞは、そっちのけ!」 早く席に着き、溜まった話をしなくては・・・ になる。「鬼場倉ノ頭」への誘いにも誰もが乗らず、「ワッハハ」、「ヒッヒヒ」 と、次から次へと出る話が、面白くて楽しくてならなかった。

 1時間も1時間半も経った頃であろうか、パーッと、ガスが切れたかと思ったら、遥か彼方から「好山病・・」の舞姫マキちゃんが、やって来るではないか・・ 飛ばして飛ばして後追いをしてきたとか、ガスに覆われた大猫平で、目測を誤ったと言いながら、驚異的なタイムでやってきたのである。

 メンバーが7人も揃えば、次週の朝日岳(メンバーからの参加は、二人だけであるが・・)の事や、「好山病・・」のイベントの事に話が移る。「雨が降ろうが、何が降ろうが、今月中に、皆が揃いそう。」 そんなお土産を背負って、ルンルン気分で、ブナクラ取水口の登山口に降った。



6/15 山行を諦め、目一杯姉夫婦に付き合うつもりでいたが、気を利かせてくれたのであろうか、早めの「さよなら・・」 になってしまった。「午後から何処に・・」 なったが、「牛岳より、夫婦山へ・・」 の山の神の意見を組み入れて西松瀬へ。

 ササユリを見たい山の神の要望は、「まずまず・・」 であったが、牛岳を撮りたい私の思いは、視界が悪く、また次の機会になってしまった。一部の区間は、下草刈りが行われていなかったが、他は、すっきりと歩きやすかった。

 日曜日であったが、この時期のこの時間では、人影はなかった。低山で展望が期待出来る夫婦山は、ステキな山である。向かいに独立した祖父岳があり、戸田峰も間近に・・・ 遠望となるが、立山連峰を望めるのが、お気に入りである。

 

6/14 姉夫婦のスケジュール次第では、今年最後ハレルヤ山行の仲間に入れてもらおうかと思ったりしていたが、今度は、「明日の午後に帰埼する。」 と変更になり、それを断念する事にした。

 姉弟でありながら、年に一度、会うか会わないのだから、許される時間だけでも、たくさん話をする事としよう。「私の休日を避けて来高してくれ。」 などと、日頃から酷い事を言っていた事を、少々懺悔しなければならないか・・・ また、この言葉を、子供達にまで言っているのであるから、おかしな親であろう。

 それほど、私は、ライフスタイルに拘っている。好きな事でもあるが、健康維持は、子供達への負担軽減でもあると考えている事も事実。何もしてやれなかっただけに、少しでも長く健康であらなければ・・・



6/13 遠出を無しにした。慌てて飛んで来た姉夫婦のスケジュールを、事細かく聞く事が出来なかった。でも、17日(火)のお昼過ぎまで滞在するとだけ聞き、まともに私の休日が被さった感じになる。そんな中、タイ国から帰国したばかりの甥(姉の長男)が、通夜式にだけ参って、夜行列車で帰っていった。その合間の2時間を、我が家で数年間の空白を埋めんばかりに飲んで語り合った。

 「遠出をしなくても山へ行く。」 「何を割いても山へ行く。」 そんな私を知っている姉夫婦だけに、私の負担となるスケジュールとしないと思うが、やっぱり「我が家に来いよ。」 と声を掛けねばなるまい。それでいて、二日間とも、しかも二人とも、山に出掛けられるものか・・・   恐る恐る「山の神様」に、ご相談となる。 果たして・・・



6/12 「まずい!」 縁戚(姉婿の兄)に不幸があった。明日が通夜・明後日が葬儀となり、私の休日に重ならなかったが、すんなりと出掛けられないかもしれない。当然、姉夫婦が、埼玉からやって来る。葬儀が終わって、「そ~れっ」 と帰る事もなかろう。ましてや、二人とも病身である。「ゆっくりしていったら・・」 と声を掛けなければなるまい。

 ハレルヤに断りを入れて、「蝶ヶ岳」or「那須岳」 を考えていただけに、明後日の夜遅くの出発が微妙である。80歳と70歳の姉夫婦だけに、山優先は言いにくい。もしかしたら、その合間を縫って、またまた、牛岳などの低山歩きになる可能性が高くなって来た。 p.m.11:55



6/11 欲張りな私には、あれもこれもと欲しい物がたくさんある。テント・カメラ・パソコン、直接・間接的であれ、どれも山に関する物ばかりである。しかし、現状では、どれも手が届かないし、買えないものは仕方がない。

 テントは、3~4人用が欲しかった。ゴアであろうがなかろうが、フライや外張りもとなると、ちょっと値が張る。同じ買うなら、自分の年齢からして、少しでも早く買わなければと思っていたが、何を削っても手当が出来ない。遠征の時の奥深い山以外は、麓でのキャンプとなるから、ちょっと大きめの安いテントを探す事にしよう。地元の山や、低山の雪山は、少々狭いが、今まで使用して来たテントで我慢しよう。雪対策として、外張りがあるのだから、まだまだ使えるというもの。

 高価でなくても良いから、デジカメの一眼レフが欲しいと思っていたが、記録と記念だけなら、現在のコンパクトカメラでも何とかなるであろう。トラブル続きのパソコンを、何とかしなくてはいけないのであるが、これも頭が痛い。現在は、PCの心臓部を、S先生から借りている。近い将来何とかしなければいけない。

 「山は、安上がりの趣味でいいね。」 と言われるが、登山靴や雨具を始め、一度買えば良いというものではない。安上がり?で楽しめる山歩きもあれば、そうはいかないところもある。趣味とは、そういうものかもしれない。



6/10 2週続けて、中5日(休日と休日の間)となる。土日が休日の人達からみれば、当たり前の事かもしれないが、私は通常中6日。すぐに、休日を迎えるのは嬉しいのであるが、全休日山に出掛ける私には、ちょっときつくなって来ているのかもしれない。

 山に入ってしまえば、どうという事が無く、正に通常通り歩けるし、少々重い物を担いでも、また、、他の人と比べても、おそらく遜色がないと思う。その点においては、10年前と何ら変わらないつもりでいる。

 しかし、平場の生活に、疲れを感じてきたのである。山の神の言葉を借りれば、「次行く山行前に、ようやく疲れが取れる。」 状態なのかもしれない。でも、「座れば眠たくなる。」 「飲んだら眠たくなる。」 は、歳を重ねた者の共通項であり、山歩きしているから、ばかりでもないのかもしれない。

 確かに、ハーハーと、息を弾ませなければならない事など少なくなった。顔・姿は衰えても、まだ身体は大丈夫だと思いたい。そうそう、あの膝痛は何処へ行った・・・?



6/9 珍しく時間厳守と合いなり、有峰林道ゲート開門10分前に到着。あれもこれもで、私の荷が16キロ、山の神が8キロとなる。日帰りなのに、これでは、真っ黒ネコ君が、キャンプ時に担ぐ重さと変わらないではないかと、お天気もあまり良さそうでないので三脚を外した。でも、しばらく歩くと、山の神の荷の一部を、担がなくてはいけなくなり、最初の荷より重くなった感じであった。

 「6月の薬師岳は初めてで、太郎小屋まで行ければ、御の字」 の山の神に、ハッパを掛けるが、足は動かないようであった。でれでも、休み休みとは言え、3時間半余で、太郎小屋に届いたのであるから、その先を目指す事が出来たのである。

 薬師峠(キャンプ場)からは、まっすぐ突き上げ、薬師平を経由する事無く、直接・標高2600m下辺りに出る事が出来た。しかし、その辺りから、風雲急を告げ、雷鳴が轟き始めたのである。薬師岳山荘に到着したなり、今度は霰が降り、不吉な予感がしたので、山頂へ全く行く気のない山の神の事を考慮し、登頂を諦めまだ閉鎖されている薬師岳山荘前で、食事とする事にした。多くは降らなかったのであるが、雨具を着込みタープを張ったから、降らなかったような・・・・ 不思議な気分であった。

 薬師岳山荘到着が、午後0時40分位であったから、山の神が、「何度も山頂まで、行って来たら・・」 と私に促したが、お天気の悪い中(結果的にはあまり降らなかったが・・) 一人残して行くのもどうかと思ったし、時間の関係上、せっかく担いできた食材を食べずに帰らなくてはならなくなるのも考えてしまった。

 もともと、「今日は何処まで行けるか・・」 が、テーマだっただけに、無理する事など全く無かったし、悔しくも何ともなかった。帰りも、途中でコーヒーを沸かしたり、またまたコシアブラ採りになり、車に戻ったのが午後7時になってしまった。



6/8 新潟の「粟ヶ岳」に、行きたいという山の神。「目的のササユリは、富山県の山でも楽しめるではないか!  「あそこは遠すぎる。何処かの山とセットで行った方が良い。」 と私の意見を通した。

 代案として、雨飾山・白山、そして、大猫山の名を出したら、山の神が悄げてしまった。私は、大猫山が一番近く、時間的にも、かなり余裕が出来るのではないかと思うのであるが、只でさえ、イヤなのに、雪が残っているではないかと言いたげであった。

 何故か知らねど、昨週の候補でもあった薬師岳が妥協の産物となったのであるが、何処まで行けるかわからない。なだらかのイメージがあるのであろうが、お天気も含めて、そう簡単ではない。とりあえず、目先を変える行き先となったのである。 p.m.11:59



6/7 この時期の予報は、本当にクルクル変わり、予定を立てにくい。でも、そんな事に嘆かないで、自分なりの計画を立てれば良いのかもしれない。お天気に関係なく出掛けられるところ、あるいは二本立て、などなど・・・・



6/6 せっかく書き込んでも、UPしなければ 「更新」 とならない。誤字脱字だけでなく、そんな怠慢が続いている。「ボケて来た。」 と自分が口に出しても、他人から言われるのは、イヤなもの・・・

 反対に、「若いね!」 「まだまだですよ!」 などの言葉は、世辞だと思っていても嬉しいもの。そして、その 「まだまだ・・」 を信じて、歩き続けたい。 でもでも・・、「頭の上のサングラスを忘れて・・」 ないない。 「ポケットに仕舞い込んだ車のキーを・・」 ないない

 と弱ったものです。しかし、山の標高や登山口の地名など、好きな事・興味のある事は、忘れないし、まだまだ覚えられる。女房の名を、時々忘れても、他の女性の名は忘れない。努力すれば、まだまだ・・です。



6/5 同級生の友人が、「フルマラソンを走りたい。」 と言っていたのを聞いて、思わず拍手をした。仕事であろうが、趣味であろうが、目標があれば元気が出る。その目標に向かって、努力する事に意義があり、そして、それが実に楽しい。

 「何もする事がない。」 と言う人がいる。「本当かな?」 と思うのであるが、実に寂しく、悲しい話だ。「休日は家にいない。」 が、私のモットーであるが、家の中にいても、楽しい事を見出す事が、たくさんあるような気がする。

 私自身、家の中にいても、何か出来る事を模索中なのであるが、なかなか、そのようなものに遭遇しない。何かを見付け、それに没頭するようになれば、お天気の悪い時まで、山に出掛けなくなるかもしれない。

 我が家は、ケーブルテレビでもなければ、BSアンテナもない。かと言って、テレビを見ないわけでもない。しかし、テレビを如何に見ないかが、文化的な生活を送る所以だと思っている。見たいものを見るのはいいのであるが、差程見たいとも思っていない番組を、ダラダラ見てしまう事をカットする事である。

 「何かが出来る。そんな時間にしたい。」 しかし、飲んでしまうと、またダメなのである。思考力を失わない程度に止める事も、意志や抑止力の戦いである。



6/4 あの予報は何だったのだろう? 「行けば降る。」 「行かねば降らない。」 そんな訳でもなかろうが、ヤキモキさせられたのは周知の事実。でも、それくらい、この時期の予想は難しいのかもしれない。

 ならば、二日間不完全燃焼だったかと言われてみると、そうではなく 「疲れた。」 の言葉が似合う。それよりも、 「お腹がすいた。」 「食べずに歩いた。」 の実感が強い。しかし、いつも食べ過ぎの内蔵的には、きっと良かったのであろう。

 この二日間で2キロの減量となったが、家に戻って、食べなければ、飲み過ぎなければ、もっと落ちたに違いない。でも、差程太っている訳でもないし、これ以上減量すれば、持久力が心配になる。速く歩くには、もう少し落とした方がいいのかも・・で も、そんなに速く歩かなければならぬ事もないか・・・



6/3 昨夜の段階で、降水量予測は多くないものの、降水確率はかなり高かった。「晴れれば有峰・薬師岳方面、雨量が多くなければ、人形山での山菜採り、凄い雨になれば、何処か適当に1~2時間歩いて来る。」 と大日岳下山後、仲間と交わした会話。「どちらにしても、家に戻って予報を見てから・・」 とも言って別れた。

 反省会開始が午後10時を回っていた。牛首からの下山時に、「もっと、早く歩け・・」 「歩けないのか・・」 「ゲートが閉まってしまう。」 を、じ~っと我慢して、言わなかったのが奏功したのか、山の神は上機嫌であった。「明日は雨。」 の予報に、のんびりムードが漂ったのも一因だったかもしれないが、穏やかな一時を過ごす事が出来た。 そして、PCの前に座ったのが、夜半。しかし、睡魔には勝てず、翌朝へ・・・・

 午前4時台に起床! HPの更新に手間取り、「雨は、大した事はない。行くぞ・・ 」 と、山の神に声を掛けたが、一向に起きて来ない。「疲れているのに、また、翌日出掛けるなんて・・」 と思っているに違いない。しかし、これが、我が家のスタイルなのだから仕方がない。

 ちょっぴり、ワイパーを回しながら、我が家を出発したのが、午前7時半。人形山登山口を出発したのが、午前9時半。ところが、20分もしない内に、山の神がワラビを見付け、杉林の中へ・・・ 私のリックの半分以上の重みが、ワラビとなって再出発となる。第1休憩所午前11時。

 今度は、コシアブラ採りになって、宮屋敷跡に着いたのが午後0時40分。さすがにお腹がすいて、遅い昼食となる。(冷やしうどん) 「山頂に行くの?」 と山の神。「何が何でも行く。」 と私。(午後1時を、とっくに回っていた。)

 登山口辺りでは、お化けのように伸びてしまっていたが、上部では、所々に残雪があるように、ちょっと早かったのかもしれない。でも、「あそこにある。」 「あの高いところにも・・」 などと、私を使い回すのである。

 三ヶ辻山との分岐に着いたのが午後3時。「行くの?」 改めて山の神。
 「行く?」 元さん。
 「行かない。20分もあれば、行って来られるでしょう。」 と山の神。
 「そんな速くは行けない。往き15分。写真等5分。戻り10分。の時間が欲しい。」 元さん。

 この時ばかりは荷を置いて行った。始めは50分の猶予が欲しいと言っていたからであろうが、その時間内で戻ったものだから、山の神は慌てた。密かに隠し持っていた飲み物が、中途半端になってしまったのだからたまらない・・・ 「飲む・・」 などと極まりが悪そうであったが、それよりも、こちらは、「腹減った。」 であった。

 欲張りばあさんと、欲張りじいさんは、益々荷を重くし、宮屋敷跡を出たのが、午後4時40分。採り残した太いワラビを採らなくてはならぬと、山の神のピッチが上がる。では、昨日の大日岳からの下りは何だったのか・・・

 「ちょっとだけ!」 だったのに、手に握れぬようなるまで、採るものだから、またしても、午後6時半を回ってしまった。丸々二日間を遊んでしまったが、「疲れ」 「満足感」 どちらが、どれだけ上回ったのかよく分からない。



6/2 楽しみにしていた「ねぎちゃん」と3人での蝶ヶ岳キャンプは、予報が悪く中止として、日帰りの大日岳とした。急遽、橋ちゃんが参加してくれ、またまた賑やかで楽しいものとなった。
 しかし、うかつにも、称名道路が、6月から夏時間に変わったと思い込んでいた事から、集合時間を1時間間違えてしまった。でも、その分、新緑に映える桂台の駐車場で、コーヒーを飲みながら、今までの山行などを振り返りる有意義な?山談義となった。

 予定行動時間が、13時間から11時間に短縮されては、気になるお天気もあったが、「登り切れるかな・・」 「食事時間が、なくなるのでは・・」 が脳裏を過ぎってしまった。
 しかも、この頃、「好山病・・」も山菜採りが人気で、いつの間にかペースダウン。猿ヶ馬場まで1時間を費やしてしまい、大日平まで2時間であった。

 しかし、その後が良かった。お荷物と思われていた「山の神」の頑張りもあり、昨春を上回るペースで 稜線に辿り着いたのである。好天とは、言えないまでも、剱・立山を含め展望は良し、まるで墨絵世界へのお招きであった。   山頂を踏み、風当たりの少ないコルに戻っての食事は、剣岳を屏風にした贅沢そのもの。

 早めに降りようと言っていたのに、下山開始は、やっぱり午後3時を回ってしまった。余裕の残り時間であったが、登りで検討をした山の神が、降りではブレーキとなってしまった。(雪が緩んでいるのに・・)

 それでも、旧大日平山荘辺りで、午後4時、木道が顔を出した辺りで、アイゼンを脱いだのが午後4時半くらいであったから、まだ余裕と思っていたのが、その後、またまた「山の神」がブレーキとなり、「橋ちゃん」と「ねぎちゃん」に、気を揉ませてしまった。慌て不為気ながら、ゲートを抜けたのが、丁度タイムリミットの午後6時となったが、無事戻れて良かった・・・。



6/1 昨日から、くるくる変わる天気予報に、翻弄されたような気がする。結局は、北ア南部の山は中止とし、日帰りで富山の山にする事になった。決行となれば、それなりの不安があり、中止となれば、ちょっと寂しく、「もしかしたら晴れるので・・」 はとなる。 p.m.11:59