10/31 「もしかしたら・・・(11/4あたりから)」 と思うと・・ 何だか寂しいです。でも、最後の抵抗?で、「もうちょっと、何とかならないか!」 と頑張ってみます。そして、切れる(消える)まで、更新を続けるつもりです。

 と思っていたら、11/4支払は、まだ8月末の支払分である。という事は、まだ一ヶ月は大丈夫という事になる。その間に何か対処しなければ・・・・



10/30 もしかしたら、来月から「元さんの山歩き」 が、ネットから消えちゃうかもしれません。(そうでなければ良いのですが・・・) 私は、現在ヤフーのジオシティ(ジオプラス)を利用しています。容量が1ギガなので重宝していました。

 ところが、今春、ネットを通じて買い物をしたのですが、その業者から、情報が流れたらしく、お詫びのメールが届きました。私は、銀行振り込みで商品を買ったのですが、何故か分かりませんが、私の利用してくるクレジット会社から、先の事で、問題が生じるといけないからと、新たなカードが送られてきました。

 私は、ジオプラスの料金をクレジット払い(確かその方法しかなかったかのように記憶しているが・・・)のため、その支払方法を変更しなければなりません。 昨年末より、プロバイダー変えておりますし、その手続きをして、その支払方法の変更を試みたのですが、パスワードの他に、暗証番号なるものが必要でした。

 その暗証番号を再発行してもらう手続きをしようとして、自分の登録事項を確認しなければならないのに、ずっと以前の事で、分からないまま、いい加減な登録をしていたらしく、(例えば生年月日)、思い出せないために、その先に進めない状態に陥っております。インスタントメールなど、いい加減に考えていた事が仇となっている次第です。

 料金が支払わなければ、当然HPがストップされると思います。猶予期間があるのかも分かりません。一度消えても、その手続きが行われれば復活するのでしょうが、どうも、本人確認(登録事項の確認)が出来ないと思いますのでダメかもしれません。

 そうなっても、何らかの方法で、再びUPしたいと思っていますが、その時は、アドレスも違うと思いますし、ご連絡も出来ないと思います。ちょっと、悄げています。



10/29 先日の中山山行は、山中滞在はが4時間。そして、夕刻からの懇親会で、美味しい物をたくさん食べた。身体を使わぬのに、たくさん食べたという事を、証明するかのように目方が増えた。

 食べる食べない、動く動かないは、正直に身体に出、内蔵機能にも現れる。食べ過ぎ飲み過ぎは、良くない事は分かっているのであるが、元来卑しい性格なので、どうしようもない。後々、都合が悪くなるのが、分かっているくせに・・・・

 あまり正確ではない我が家の秤であるが、毎日必ず乗るから、それなりに体重の変化がわかる。入浴の前後、就寝前と起床後などの差がわかる。ハードな山行と行程の短い山行、その間の食事の仕方などによって、物凄く体重の変化が分かる。

 しかし、体重が増える減ると、一喜一憂しないで、そのままで、鍛えられるのが、一番のような気がする。もっとも、多過ぎるのは、どうにかしなくてはいけないかも・・・



10/28 昨夜の懇親会(eiko女史個展打ち上げ)は、ゲスト3名を含めて行われた。歌もなければ、ショーもない。しかし、話題は尽きなく延々と語り続ける。同じ話題になろうが、貶す事がないから、いつも楽しい。もっと時間があればいいのに・・・

 個展は、ステキなパステル画が多く掲げられていた。合間を縫って一生懸命頑張られた様子が窺えた。前回訪れた方々より、それより以前の個展を鑑賞された方々の訪問が多かったと聞く。絵心のない私が言うのは可笑しいかもしれないが、一回り成熟された彼女の良さを、発見されたに違いない。



10/27 雨覚悟で午前10時・中山登山口に集った。予報と裏腹に、だんだんと雲間から青空が広がっていく様に、「どうなっているの?」 と集った6名皆にっこりである。周遊に2時間半~3時間、休憩が1時間余を見込み、午後2時頃、再び登山口に辿り着くスケジュールであった。

 落葉をサラサラと踏みしめながら、広がる視界は、昨日からの冷え込みで、やはり高所では雪になった様子を教えてくれた。赤谷山まで白くなっていたが、ブナクラ峠には、まだ雪が降りて来ていないようであった。しかし、それよりも低い細蔵山の上部は白くなっていた。

 雨の山頂では、ゆっくり食事をする事が出来ないと思っていたが、いざ、広げて見れば、普段と変わらない程の食材が用意されていた。剱岳のてっぺんは見えなくとも、マッチ箱ピークや大窓が仰げ、「こんなお天気になるなんて・・・」 の連発であった。  そして、心は、今夕行われるeiko女史個展の打ち上げ(懇親会)に傾き、その話題が尽きなかった。

 1時間余経過した頃であったろうか、「風雲急を告げる。」 とは、正しくこの事であろうかと思われるくらいに、黒い雲、そして、わき上がった雲が、風を伴って襲ってきて、少々怯んだが、最終的には、今日の山行の小さなアクセントとなっただけであった。

 周遊コースが初めてという北ちゃんに、「本当ですか?」 と問いながら、濡れた落葉を踏み締めて立山川側へ、それこそ、山の味を充分に満喫しながら降りた。登山口到着は、予定通り午後2時となり、今夕行われる懇親会まで、各々用事を消化するために散っていった。



10/26 午後から所用があるため、晴れれば、大猫山。曇りなら、中山周遊コース。雨なら、小佐波御前山。しかし、「明日は雨だ!」 でも、降水量は、少なめと踏んだ。少人数の時間限定山行となりそう。雨が止めば、先週楽しんだ紅葉の続きが楽しめるような気がする。



10/25 やっぱり諦めきれなかったであろうビデオカメラを紛失(置き忘れ)してきた北ちゃんが、月曜日に取りに行くと言っていたので、私もお伴したいと思っていた。

 ところが、北ちゃんの盟友・田村氏が、今朝そのビデオカメラを探索に出掛けたそうである。しかし、発見されず、落胆して戻った情報を入手したが、後に今度は、「マキちゃんとその師匠が回収した。」 とのホットなニュースが届いた。

 二組が、同じ日に、赤谷山へ出掛けてくれた事となったようであるが、実に嬉しい話である。そのカメラが上手く作動するのかも含めて、今度会う時の肴になるには打って付けである。 p.m.11:55



10/24 時折、自分のHPを読み返す毎に、随分生意気な綴り方をしていると思う事がある。特に当欄などは、自分の日記・記録的なものとは言え、公開しているのであるから、もうチョット、語尾に注意を払わないといけならないのであろうが、でも、ずっと、そのようにしてきているのであるから、今更変えるわけにもいかない。

 また、個人情報云々と言われる時代であるのに、実名を載せる事も多い。「仕方がない。」 と諦めて下さる方々が多いのであろうが、悪い事を載せるいるわけでもないし、私のHPを訪れて下さる方々に、わざわざ悪用する方もないと思っている。

 かえって、その事によって、山仲間の交流が生まれ、上手く回転しているようにさえ思えてならない。雰囲気さえ伝われば良い風に思えた画像でも、最近は、なるべくはっきりしたものになるよう心掛けている。ご一緒した方との共通の想い出としたいからである。

 長い事、HPをやっていると、時々問い合わせがある。私の分かる範囲以内でお答えしているが、時には寸足らずの事もあるやもしれない。「誠実に・・」 を心掛けているが、相手様の心は分からない。一番難儀なのは、「○○山の紅葉の見頃はいつ?」 である。私の年間山行日は、精々70~80日であるから、何処の山へも行けるわけでもなく、毎週同じ山へ行けるわけでもない。

 そんな中で、応援メッセージもある。病んだ心に、ホッとさせてくれるメールは特に有り難い。そして、私のHPを訪れて下さる方々に感謝し、何時の日か、一度でも良いから、お目にかかりたいものだと、淡い希望をもっている。そのためにも、もう少し、頑張り続けたい。



10/23 あと二週間すると、静脈瘤の手術をしてから3年になる。主治医に「元通りになる。」 「歩く事には関係がない。」 と言われたが、自分ではよく分からない。加齢の事もあるから、だんだん弱って行くのが当たり前で、強くなっていく事はないのでは・・・・・

 まだ、膝を深く曲げる事が辛い(出来ない)が、歩く事、特に持久力には問題がない。「まだ・・」 という言葉を使うくらい「若さ」 「元気さ」 に未練があり図々しい。

 手術痕は、だいぶん薄くなったが、きれいなものではない。最近は、その痕よりも生傷が絶え間ない。枝や岩に、擦ったり、ぶっつけたりするからである。その傷は、なかなか治らず、ズボンを履いているから良いようなものであるが、とても見苦しく感じる。

 長く歩きたいなら、鍛錬を惜しんではならない。週一の山歩きだけでは、心持たない。もう1~2回、家の内外を問わず、積極的に身体を動かさなくてはなるまい。そして、バランス感覚を養う運動も取り入れなくてはと思うのであるが・・・・

 お尻が小さくなり、太腿が細くなる姿を、いずれ迎えなければいけないのであろうが、想像すると寂しい。そのようになるのを、一日でも遅くするよう頑張らなくては・・・



10/22 秋晴れが長く続いたが、明日未明から傘マークが付き始めた。週末に、いろいろと計画されている方々には、頭の痛いところである。ずっと、雨に祟れっぱなしだった私であったが、今秋に入って好天に恵まれている。また少々の雨でも、後に止んだり晴れたりで、年間を通しての帳尻を合わせんとしているかのようである。

 いつも同じ事を綴る私であるが、本当に人生と同じである。良い思いをする時は、辛い事を通り抜けなければならないし、人への気配りが、いつかは自分に返って来るものである。「何で・・」 ばかりを担がないで、「いつかは広がる視界」 を信じて歩けばいい。生意気かもしれないが、「山登りは人生そのもの」 一つ一つ積み重ねて行きたい。



10/21 2日間たっぷり遊んだ。山ノ神の遠出への執念が、打ち消されてしまう程疲れたと思われる。「遊んだ後は、尚更しっかりしなくては・・」 と、反省会も程々にして、早く休む事を勧めた。その甲斐あってか、山ノ神は、通常通りの起床となった。(と言っても、決して早くはない。)

 見るからに、階段の上り下りは痛々しい。でも、自分から痛いと言わないのがいい。言えば次からの山行に、支障が伴うと思っているからであろう。岩やヤブがあるような所に行かないだけに、ちょっとハード気味なのが、「山に登った。」 「歩いた。」 になる。あまり関係ないと思うが、「元気になったような気がする。」 「長生き出来るような気がする。」

 キーワードが、「長寿」・「元気」 となると、寺口氏である。一週間ほど前、当欄に寺口氏が剱岳に登頂された事を載せたからでしょうか、同氏から長い長いお手紙を頂いた。メールでは、あまり長過ぎるのでとの文面は、山行報告と山への憧憬を淡々と綴ってあった。そして、私を持ち上げる事も忘れない優しい人柄も感じさせられた。

 86歳と記してあった。毎日4~5キロのフォーキングに、50回の腕立て伏せを怠らないとの事。これが元気の源なのであろう。食生活にも、きっと気を配っておられるのであろう。大猫山にもチャレンジしたとの事、私は、寺口氏や寺口さんと呼ばせてもらっても、寺口翁とは、なかなか言えない。



10/20 前日が前日だけに、健脚者ばかりの赤谷山行に、ぎりぎりまで悩んだらしかったが、「誘ってくれているのだから、誰も放っていかないよ!」 の言葉が、山ノ神への後押しした形になったのかもしれない。歩き始めると、「私の足が、どうかしたのかしら・・・・ 何ともないようだ。」 となった。

 昨日の山中は12時間、そして、今日のコースも決して楽なものではない。それが、歩けるのであるから・・・・、昨秋、雨の毛勝山の翌日、やはり白山に出向いている。

 しかし、二人で歩くのとは違い、休憩かと思っていたら先に行かれる。やっぱり甘くはないのである。体裁だけのリックにしておいたのと、仲間の忍耐と寛容が有り、まだ何とか、大幅なスケジュールを狂わす程にはならなかったのが救いであった。

 錦繍の語句が、そのまま当てはまるブナクラ谷の紅葉は最盛期。その光景を目の当たりにしながら、仲間とワイワイ出来るのであるから、こんな楽しい事はない。「行けるかしら?」 の不安が、「頑張れば、私も少しは・・」 になったかもしれない。でも、後々厄介とならなければいいのであるが・・・

 一瞬見えたかに思えた剱岳の頭であったが、隠れてしまえばそのままであった。赤谷山からの先は、4名だけが臨んだ。見印になる少々のテープに、らしき踏跡、そして、所々の枝切りに助けられて、白萩山の頂に立ったが、ヤブの中であり、ガスに覆われては致し方ない。

 時折、赤ハゲ・白ハゲが眼前に姿を現したが、それだけでは物足りなかった。私としては、二度目の山となったが、「わざわざ来る山でもない。」 「もう来ない。」 の仲間のコメント。しかし、残雪期になれば、また違ったものになるかもしれない。

 午後5時まで、取水口に戻らなければならないと言っていたが、山頂発が予定より30分遅れ、途中には、素晴らしき紅葉に、何度も足を止めた事もあり、またまた日没寸前の帰還となってしまった。



10/19 後々まで響くのがイヤだったから、もう一度だけ「本当に行かないのだな!」 と声を掛けた。「行かない。」 と布団の中から、小さな声で答えた。「良いお天気だ! では行って来る。」 と家を出ようとした途端に、「私も行く。」 と言い出した。

 「えぇ~、」 と声を出さずにはおられなかった。形式的に声掛けをしたものの、只でさえ、のんびりムードの山ノ神である。どれだけ待たねばならぬのかと思うと憂鬱であった。

 雨具やヘッドランプは用意するから、「すぐに出発!」 だと言ったものの、その後、スーパーで買い物、そして給油などに時間を費やさなければならない。何もかも担ぐと言っていたとしても、あれまで担がされるのでは、「何と申しましょうか。」 である。

 登山口発が午前6時25分であった。昨秋(10/1)は、出発が5時半であったから、1時間遅れであり、晴れであるが、日没を心配しながらのスタートとなった。ところが、「今日の山ノ神は、どうしたのだろう。」 かと思う程の元気ぶり。荷は無いに等しいにしても、2時間で750mの高度を稼いだのである。

 しかし、最後は元の木阿弥で、山頂まで6時間をチョット切れたくらいであった。毛勝山は、2年前まで登れない山にランクされていて、ようやくチャンスが巡って来た昨秋は、冷たい雨の中の登高であった。残雪期によく出掛ける僧ヶ岳・駒ヶ岳から眺めるだけの毛勝山・西北尾根であったが、好天、そして、大展望に恵まれ、それこそ、ブラボーだったに違いない。

 山頂には達し得ないと思っていただけに、少々のサービスは仕方がないのであったが、山頂滞在はやはり長過ぎた。「速く歩ければ・・」 何ともないのであるが、歩けないものは仕方がない。「陽が落ちる。」 と言えば、「わー、きれい。」 と立ち止まるのであるから・・・

 陽が落ちても、しばらくはその余韻がある。本当に暗くなれば、段差も方向も分からなくなる。そんな時に、悪い事は起こる。ヘッドランプの一ヶが故障。ストックが伸びなくなる。そうなると、最後の1時間は辛かった。

 帰路の車中、「明日の赤谷山へは行くのか?」 の問い掛けに、 山ノ神は、またまた返事をしなかった。

 

10/18 山ノ神が、どうであろうと、明日は、「毛勝山」 に行く事にした。もう振り回されるのは、止めにした。明後日は、仲間と赤谷山へ・・・・

 寝る前に、もう一度、山ノ神に問うた。「行かないか? 荷は全部、私が担ぐぜ!」 「行かない。」 の返答。これで決まりだ。 荷を少なくして、どれくらいで登れるか試してみよう。」



10/17 県内の行程の長い山にばかり目が向く私と、観光気分の遠出を希望する山ノ神と、ズレを生じている。どちらに出掛けるにしても、予報は良いようである。お天気が見込まれれば、尚更、自分の思いを貫けないかと思うから、バトルが始まる。

 遠出を希望する山ノ神であるが、特別温めている山もなく、結局は登っていない名山になる。そうなると、欲張りな私は、もう一座となり、辛い運転が付いて回る。経費が掛かり後々の山行に影響が出る事を思えば、どんなに長い行程であろうが、県内または近郊の山の方が良いとなる。そして、「車での遭難」のリスクも少なくなるではないか? 

 「もう時間がないから、遠出はダメ!」 と言っても、「山でなくてもいい。」 「今の内に・・」 「行ける内に・・」 の言葉が返って来る。「毛勝山西北尾根」 「大猫山~猫又山」 「赤谷山~白萩山」 を告げると、口を「への字」 にして、離れて行ってしまった。もう一日の猶予がある、どちらに軍配が上がるか?



10/16 寺口さんが、先月剱岳に登られたという話を、俵先輩から聞いた。別山尾根から2泊3日でという情報である。また、先頃、僧ヶ岳・駒ヶ岳も行かれたようである。昨秋、膝を痛められたらしく、「もう山には行けない。そんな私だから年賀状を遠慮したい。」 とお便りを頂いた事があった。

 山歩きを、ご一緒した事がないのであるが、「私とあなたは山の友、あなたがイヤでも、私は年賀状を出します。」 と言ってから、しばらくご無沙汰をしている。(でも、一度したかな?)

 その寺口さんは、大正生まれで、趣味が多才。小柄だが、誠実で信念があり凄い人。積雪期や残雪期でも、単独で山に行く方である。お手本となる方であるから、ずっと元気で、山に登り続けて欲しいと思う。

 14年前に、82歳で他界した私の父は、特別山に興味を持っていた人ではなかったが、その父に、70歳代後半から80歳頃までに、私は盛んに剱岳に誘った。父は、頭を立てに振る事なく、その夢は実現しなかったが、「私は、80歳で剱岳に登った人は、そんなに多くはない。それまで、元気な人が少ない。また、剱のガイド達も長生きはしていない。「剱岳点の記」 のあの新田次郎だって、60歳半ばでチャンスがあったが、途中断念している。少しは自慢出来るぜ!」 などと茶化したが、一向にその話には乗って来なかった。書道を嗜み、絵心も少し、お酒は大好き、人当たりも良かった優しい父と思ったのは、この世から去ってからであった。



10/15 「下駄箱の中にあっても・・・」 知り合いの老紳士が、一度は、自分もトレッキングにと思い買った登山靴が陽の目を見ないまま、ずっと家の片隅に眠っていたらしいが、山の好きな私なら、誰か履いてくれる人を探してくれるのではないかと、持ってきて下さったのである。

 サイズは25・5の軽登山靴で、一度も履いた事がなく、ソールは真新しい。でも、我々の仲間が履いているような高価のものではないと思える。ただ(無料)と言っても、飛び付いてもられるものか分からない。

 内容が違うが、私もハンワグの登山靴を買ったが、サイズが合わず、やはり、ずっと下駄箱に仕舞い込んだままになっていた事があった。履ける訳もないのに、もったいなく捨てる事が出来ず、無用の長物化していたが、山登りを始めようとしていた方に、履けるかどうかは分からないが、またダメだったら捨てても良いと言って上げた事があった。それほど、入れ込んで買った物は、なかなか自分の手ですてられないものなのであろう。



10/14 午後6時過ぎに、登山口の発電所を出ても、高速を使えば(糸魚川~魚津)、午後8時前には自宅に戻れる。そして、後片付けや入浴をしようが、9時過ぎには、食卓に着いているのであるから、充分に身体を休めれるハズである。なのに、山ノ神は起きない。(起きられない。)

 「休日の後(遊んだ後)は、「尚更、早く起きて頑張らなければ・・」 が、私の口癖である。しかし、トドと化した山ノ神には、「馬の耳に念仏」 で、ニッチモサッチモいかない。「ええっ~、次から来るな!」 と叫びたくなる。「寝るのも起きるのも、こちらと、2時間も違うだ。」 の捨て台詞が出てしまう。そうなると、こちらの負け!

 体力の差、行き先の選定などを考えると、配慮が足りないのかもしれない。「一緒に行けただけで幸せ!」 が、歩けなくなってから気付いても遅いのであろうし、まだまだ、人として、気遣いが足りないのである。



10/13 予想通り「黒岩山」 周辺の紅葉は素晴らしかった。中俣尾根上部、黒岩平、黒岩山からサワガニ山・犬ヶ岳にかけて・・・
 「10年に一度の紅葉」 を描いて歩いたが、なかなか、その域には達しなかった。しかし、中俣山付近を過ぎ、ぬかるんだ所やブナ林を過ぎて、風衝地帯に出た頃から、凄い紅葉が目に飛び込んで来た。

 「ワッ~」 「ワッ~」 と奇声を発しながら、前週出掛けた「金山・天狗原山と比べて・・」 となった。しかし、栂海新道上に達したら、そんな事は、どうでも良いと思った。「見渡す限り、山は萌えていた。」

 日が短い今回の山行であったが、展望が良いか悪いかは別にして、黒岩平の一番高い所から眺めるのも目的の一つであった。黒岩山から黒岩平は、逆光であったから尚更である。

 でも、山ノ神にしてみれば、5時間も堪え忍んできたのに、未だ長い先を歩かされる。ガスが次第に覆ってくる。しかも、日が短いのに、食事の時間が、だんだんと削られていく。

 何もかもが、脳天に集まってしまったのか、今にも爆発するような凄い顔に、さすがの私も、「これまでか・・」 と黒岩平で休む事を提案したが、山ノ神にしてみれば、少しでも登山口に近い所なのであろうか、黒岩山頂に戻りたい希望であった。

 何も逆らう理由もないから、それに従う事になったが、このような事が、我が家で、度々起こってしまう。妥協案として、「行ける所まで・・」 が、恒久化し、益々行動範囲を狭められていくような、歯痒い思いとなる。

 山頂発予定を、午後1時としていたのであるが、なし崩しで30分の延長となってしまった。「速く歩け!」 と言えばケンカになるし、ゆっくりすれば、日が暮れてしまうのである。それが分かっていて、ヤマブドウに、目がいってしまうのであるから、参ってしまう。それも、休憩術の一つなのかもしれないが・・・

 林道に出たのが午後4時を回っていた。車でデボ地点の発電所に辿り着いたのが、真っ暗になった午後5時40分であった。それでも、その暗闇でコーヒーを沸かして、12時間の山を振り返った。



10/12 明日は、栂海新道上の「黒岩山」に行く事にした。今年は、何処も素晴らしい紅葉と聞く。それこそ「10年に一度」 言い方である。ブナクラ周辺の山も良いし、立山の何処かも良かろう。

 栂海新道上部の素晴らしい紅葉を、未だ見た事がない。朝日岳にも行けないから、「黒岩山」 となったのである。「速く歩け!」 と言ったら、またケンカになると思うから、黒岩平の上部へは無理かもしれない。

 何度も黒岩山に行ったのではないかと、調べてみたら、僅か4回であった。中俣尾根から3回、栂海新道を、降った時に通過した事が1回である。中俣尾根からは、全て、日の長い6月であるから、秋の深まった今回は、チョット心配である。

 でも、朝(出発)は、早いが日の落ちるのも早いから、帰宅時間が、そう遅くはならない。(のつもり・・・) p.m.6:00



10/11 まだ寝ぼけ眼の頃、携帯が鳴った。kyuさんからである。境Pで、バッテリーが上がり、JAFに来てもらったと言うものであった。神戸から来た同行者と、車中泊だったらしく、「いざ!出発」 という矢先にエンジンが掛からなかったらしい。その事で、時間を大幅に費やし、しかも、新潟県境付近は雨だったようだ。(高岡のその頃は、既に上がっていた。)

 当初計画の親不知を諦め、坂田峠からに変更しようかと、その道順を尋ねてきたのである。「朝日ICで降りて・・」 を告げた事から、境Pにいる事が分かり、親不知ICから戻る事を、教え直さなければならなくなった。予報は回復であるが、降る雨と、2~3日放置する車のバッテリーが心配であろう。

 その心配もあり、山姥線最終地点ではなく、坂田峠からすぐ栂海新道上を勧めた。「君らに脚力では、白鳥小屋まで2時間で行くであろう。栂海山荘まででは、時間が余ってしまうね。」 と勇気付けた。一時も早く雨が上がり、素晴らしい紅葉を、目にして欲しいと願うものである。



10/10 雨になった。親不知から栂海新道を行くkyuさんの事を思った。午後から晴れると思うのであるが・・・ 好んで困難な道を行く彼女のやる気に参る。若いだけではあるまい。そして、素晴らしい紅葉は、「10年に一度の機会」 と知り、尚更のように喜んでいた。朝日小屋では、私の多くの友人・知人達と会うのであろう。



10/9 「次行く山は何処?」 いろんな情報が入って来る中で、その行き先に迷う。お天気さえ味方してくれたら、こんな贅沢はない。人生もお天気も、いつかは「帳尻が合う。」 を期待し、これからの山行に掛けたい。

 「休日は、山に・・」 であっても、お天気周りが悪いと、気勢が上がらないし、常連?以外の友は誘いにくい。「10年に一度」 と言われる今年の紅葉を、楽しく賑やかに過ごすか、それとも感傷にふけって、静かな山として味わうか、優劣を付けがたい。もちろん、山中で、一晩過ごすのが、一番良いに決まっているが、どちらにしても、お天気が欲しい。



10/8 金山の山頂で、笹ヶ峰近くの杉沢橋から、登って来たという男性と遭遇した。その男性の話によると、金山から焼山の笹狩りが、今日(10/7)で終わったと言われた。登山禁止が解かれたが、登山道が荒れていたに違いない。それを修復されたとの事。火打山からも通じたようである。

 確かに天狗原山から金山に向かう時、遠目に「凄い道が出来ている。」と思う程、立派なものに見えた。しかし、その男性曰く、「笹の切り方が半端で、滑りやすいとか!」  (私は歩いていないから分からない。)

 登山道の修復となると、私は、ブナクラ修復グループの宮村氏を思い出してしまう。「笹は短く、そして、斜めには切らない。転んだ時の事を想定して、平に切る。」 と聞いた事がある。斜めに切ってあったら、まるで竹槍かもしれない。

 その男性、「刈ってない方が良い。」 と言っていたが、また元の道を戻って行った。本当なのだろうか・・・ 
 昨秋、火打山の頂で、その焼山に、藪を漕いで、ピストンしたというグループと遭遇した。また、高岡HCの牧野氏からは、笹倉温泉から行く時は、資料(情報)を提供するとの嬉しいメールを頂いている。

 金山の頂で、山ノ神が、「行きたいのでしょう。」 と私の顔を覗いた。山やる者「行きたくないのはウソ。」 次また、行くか行かないかは別にして、「やっぱり一度は違った頂に立ってみたい。」 藪でなければ、私にもチャンス到来となる。いつかは・・・



10/7 金剛堂山に登りながら、「明日は、金山・天狗原山にしようか!」 と思っていた。ぬかるみと、早立ちが難であるが、晴れれば、素晴らしいに違いないのであろうが、降らなければいいくらいの気持ちであった。金剛堂山から帰って、日頃から誘いたい人があったが、お天気の保証がないし、高岡午前3時発では、なかなか誘いきれなかった。

 小谷温泉から笹ヶ峰への林道に、通行の支障がなく、午前6時過ぎには、登山口を発つ事が出来た。「降らなければいい。」 のつもりであったが、高度を上げるに連れて、黄色そして赤色が、目を見張らせ、時には、空の青までも見え隠れしていったのである。

 黄色のトンネルに魅せられ、崩壊地(ガレ場)辺りから、赤が混じった。天狗原山から、チングルマが主役になり、時折、焼山・火打山が顔を出し、その斜面の紅葉が素晴らしかった。それに負けじと、天狗原山から金山へは、「わっ~、」 の声の出しっぱなしであった。過去4度は、いずれも高山植物が目的の夏だっただけに、今回は、錦繍の絨毯に酔う 「錦秋」 そのものであった。

 山頂に達した頃から、ガスに覆われてしまったが、山頂滞在が1時間半近く、二人で撮った画像が、合わせて600枚、ケンカもせず、そして、明るい内に下山し、露天風呂にまで入れるという何もかも○であった。



10/6 降る雨に、「どうしようか?」 と思いながら時間だけが過ぎていった。「あの山に行きたい。」 という目的を失ってしまうと、こんなにも、ダラダラしてしまうのかと、今更のように気付く始末である。

 「県西部の方が、早く雨が上がりそう。」 の見通しと、もう一つは、今から県東部へ出掛けるには、ラッシュに引っ掛かるとの思いもあったからである。また、少々値が下がったとは言え、まだ高止まりのガソリンの消費を考えると、「牛岳」 も視野に入るのであるが、「歩き足らない。」 「何か事情がある時。」 になど、勝手な理由付けから、利賀の金剛堂山行きとなった。

 車中は、ずっと雨であったが、栃谷登山口で準備をしていると、気にならない雨に変わった。その後も、山頂の休憩時を除けば、雨具を纏わなくてもよかった。「ゆっくりで、いいよ。」 と言いながら、「3時間は切りたいね。」 など、山ノ神にしてみれば、「何よ!それ・・」 となるらしい。ゆっくりでも、「いろいろあるのだよ!」 と後は濁してしまった。

 栃谷登山口では、奥山の治山工事なのであろうか、百瀬川の橋が付け替えられており、3キロ地点から4キロ地点を中心に土嚢の道が施されていた。ちょっとの間に、こんなにも変わる様を見て、「工事を、された方々のご苦労は、わかるが・・・」 となる。

 色付き始めた樹木を眺めながら、山頂到着が午後0時50分。何とか2時間50分で登った事になる。雨と寒さを防ぐのにタープを張った。そのタープを張るのに、あまり適さない山頂であるが、以前に吉尾氏から、手製で4段からなるアルミの支柱を頂いていたので、それを試すためにも張ってみたのである。

 結果的には、イマイチだったのであるが、その問題点を告げ、新たな試作へと繋がればと思う。そんな山頂に、東京からいう男女4名の中高年登山者がやって来た。東俣登山口からのピストンらしいが、良くないお天気とはいえ、標識をバックに写真を撮って、すぐに引き返していった。

 何でも、今回は、富山の二百・三百名山を、幾つか登る予定で来ておられたらしいが、それはそれで良いとしても、あまりのあっけなさに、閉口してしまった。もうちょっと、一つ一つの頂を、味わってもらいたいものだと思ったのであるが、それこそ、余計なお世話になるかもしれないのだが・・・



10/5 予報通り降り出した雨に、いや予報より細かいが、チョット早めに降り出した雨に、気持ちが萎んでしまった。元々、明日・明後日は、杉原女史来富を予定していただけに、キャンセルが利いてきているのかもしれない。

 「遠くても良いから、雨の降らない所へ・・」 と山ノ神は言うが、そんなにまでして、行きたくはないし、それは、西へ向けて走らなくてはいけない事になるから・・

 紅葉は、既に2000mより下がって来ているようであるが、雨では期待できないし、久々に、近間の低山歩きでも良いと思っている。その行き先は、明朝起きてからになる。



10/4 最近私の周りにいる仲間達の凄さに、目を見張るものがある。彼らの友人達の影響もあるのだろうが、その呆れるような凄さに、ひがみも嫉妬も生まれず、「只、気を付けろよ! ケガをしたら、山に行けなくなるよ。」 だけしか言えない。

 そんな凄い彼らより、私の方が、少しでも上回るものがないのかと探してみたら、「まだあった。」 その一つは、年齢。尚かつ、私が元気でおれば、「この歳まで、あんたも歩けるかとなる。」 そして、もう一つ、自慢し難いが、山歴である。しかし、これは、歳について回るもので、重複的なものになってしまうかもしれない。

 意外であったのは、夫婦での山行回数であろう。内容は乏しいのであるが、年間60~80日を、共々で山中を歩かれる方は、富山には、そう多くはおいでまい。私の思い違いかもしれないが、もしそうであるならば、山ノ神を、蔑ろに出来なくなる。しかし、修行のように、雨の日や、雪の日に歩き、日にちや回数が多くなれば良いというものでもなかろう。

 ちょっと、身体の一部の都合が悪かろうが、まあまあ元気な内に、可能性のある所を目指すのも、今まで温めたロマンでもある。心の中で格闘をしながら、自分の山歩きを模索する事が、少しでも、若さを保つ秘訣なら、私も、もうチョットだけ欲を持ちたい。 p.m.11:50



10/3 「迷っているのなら、止めた方がいいよ。」 で、気が楽になったのか、杉原女史から、「今回はやめにします。」 の返事が申し訳なさそうに届いた。「また天気の良い日に、都合があえば、伺いたいと思っています。また是非声を掛けて下さいね!」 も忘れずに付け加えてあった。

 親子ほどの歳の差があるのに、また、僅かな時間しか話をしなかったのに、山に関する感性なのか、来富までの話になった事に、意義を感じてしまう。「出会いは財産!」 と私は言い切れる。「また会えるかもしれない。」 「もう会えないかもしれない。」 でも、彼女は、私の歴とした山の友である。 p.m.9:40



10/2 ”是非「好山病友の会岡山支部第一号」 にして頂けると嬉しいです!!” の杉原女史がやって来る。「好山病・・」メンバー大勢で迎える事は出来ないが、宿泊の場合、日帰りの場合と、いろいろ案を練ってきた。しかし、此処に来て、お天気周り(10/6~7)が悪くなり、彼女が悩み出した。

 今夏は、我々と出会った常念岳~蝶ヶ岳をはじめ、白馬岳、塩見岳~間ノ岳・北岳、燕岳~槍ヶ岳などに出掛け、山三昧の生活を送っておられたようである。しかし、燕~槍ヶ岳では、雨に祟られたらしく、その後遺症が、「費用を掛けて遠くまで行く事も・・」 になるのも当然であろう。

 「何もかも決めるのは貴女! こちらは、慢性好山病。どのような症状にも対応出来る。」 とメールを打ったが、山を嫌いになってもらっては困るから、「無理せぬよう。」 を付け加えた。



10/1 山から降りたら、だんだんとお天気が回復してきた。その翌日から、清々しい秋晴れとなり、過ごすには、もっとも良き気候となる。しかし、山中で雨、次回の山行予定日が、雨(傘マーク)となると、心中穏やかでなくなり、非常に精神衛生上は良くない。

 「必ず帳尻が合う。」 と言い続けているが、その兆しが伺えない。それでも、山に行き続けているのであるから、「充分に楽しんでいるではないか?」 の声が聞こえてきそう。

 3~5月が、もっとも好きな時期と言いながら、秋になれば、赤・黄・青のコントラストに心酔しながら、白を待ってしまう。欲には切りがなく、我を忘れ深追いする様が、危険を伴うのであろう。