11/30 厳しい台所事情にも関わらず、富士山を見に行く事となった。夜半から、目を擦り擦り行く事になる。候補は、「天城山」 「愛鷹山」 「金時山」 「箱根山」 今から準備しなければならない。 p.m.9:45



11/29 雨が降り出し、雷も鳴る。しかし、月火の私の連休には晴れマークがある。どこまで信用して良いのかわからないが、ちょっと明るい気持ちになっている。私の行ける山でのお泊まりは、雪量が少々足りないから、ムードがイマイチ! そして、この時期は何と言っても日が短いのが難! 夜が長いという事は、ずっと飲んでばかりいなければならなくなる。

 「思い切って富士山の見える所へ・・・」 が浮上となる。でも、最近は夜の運転がイヤになって来ている。ましてや、雨や雪が付いて回ると尚更である。しかし、そうでもしないと、なかなか行けないではないかと、私は煽られている。(山ノ神に・・)



11/28 「ネタがない時」 と、「こんな事を・・」 と思う時は、PCの前に座っても、手が動かない。一行だって進まない。こんな時は、自分の山歩きを整理する事にした。一座一座、「誰と出掛けたのだろう。」 「どのように歩いたのであろうか?」 などを思い出しながら・・・

 デジカメにはファイル情報があるし、GPSにも、ルートやトラックなどの記録が残っている。最近はこの機器に頼っているが、以前のメモもある。振り返ると何故か楽しい。振り返れば振り返るほど、自分の若さと元気さが懐かしくなる。

 ガイドとしては、用を足さないかもしれないが、何か他に、ちょっぴりでもいいから、足しになれば良いし、何よりも自分が楽しい。もしかしたら、自分のためにHPを続けているのかもしれない。(その方が正しいかもしれない。)



11/27 すり減った靴は、ちょっとの水溜まりにも、気を遣わなければならないし、後からも、その変形は見窄らしく映るらしい。そんな靴の買い換えも、登山靴と時期を同じくすれば、当然のように登山靴に心が傾いてしまう。それは、上着もズボンもである。

 情けないと言われれば、それまでであるが、選択せねばならぬとなれば、致し方ないところ。誰も彼もが、何もかも満たされるのなら、それに越したことはないが、そう思い通りには行くまい。

 つましくして、なるべく見ないようにしていても、必要とならば、買わねばなるまい。しかし、何かを削らなければならぬとは、自分に力がないだけの事。何をしたいかの優先順に「山歩き」 をあげるのであるから、何もかも覚悟である。

 しかし、このような事が、いつまで続くか計り知れない。「キリギリス」 は、「アリ」 に馬鹿にされるかもしれないが、それに負けないくらいの想い出作りに精出したい。



11/26 今夏、蝶ヶ岳・常念岳を縦走した際に擦れ違った岡山の杉原女史から、「実は最近、私も相当重度の「好山病」 にかかっていまして・・・。次の仕事を早く探さないといけないのですが、それをそっちのけで、山に心を奪われてしまって困っています・・・。そのようなことなので、是非「好山病友の会岡山支部第一号」 にして頂けると嬉しいです!!」 の文章を紹介した事がある。

 その杉原女史から、久々にメールをもらった。文中の一節に、「先日、本間さんのホームページを見させて頂きました。山の仲間のページに、私も加えて下さって有り難うございます。感激しました。」 があった。彼女は、PCを持たないからか、或いは、やらないからか分からないが、あまりPCに接する事がないようである。

 メールは全て携帯であるが、親子ほどの年齢差にも関わらず、よくぞ付き合ってくれている。今秋、富山の山に招聘したが、悪天予想と、もしかしたら、萎縮されたのかもしれないが、その希望は実現しなかった。そんな事もあり、「好山病の認定?」 がお預けになっている。

 山中でお遭いした時は、華奢に見受けられたが、地元のマラソン大会で入賞し、表彰台に立ったとあった。また、カンボジアに走りに行くとまであった。そして、週末には六甲連山を縦走の予定だそうだ。

 もし、こんな元気な彼女と、一緒に歩くとなると、ロートルには辛いかもしれない。やっぱり 「雪の山においでよ!」 と言った方が良いのかもしれない。



11/25 その後の左膝は重たく深く曲げられないが、痛さはしばらく忘れている。だからではないのだろうが、今度は、右膝が時折痛くなる。我慢出来ないものではないが、何だか可笑しい。山歩きに支障はないと思っているが、昨日今日の階段を降りる時は、手摺りに繋がっている。

 まさか、「もう山を止めなさい。」 の引導を示唆ものでもあるまい。「あれもこれも欲しい。彼処も此処も行きたい。」 と思っているのに・・・ やはり不摂生が祟っているのであろう。食べ過ぎ飲み過ぎに加え、身体のメンテナンスをしっかりやっていないからなのであろう。

 私の毎日繰り返している小運動ぐらいでは足りないのかもしれない。「本当に、ずっと山に行きたければ、もうちょっと、しっかりしなさい。」 というメッセージ並びに警告と取った。



11/24 いつ降るか、わからないお天気であったが、意外と好天? 小さく剱岳まで望めた。2・5キロ地点まで、スキーのトレースがあったが、朝方は、最中雪とも重なって、それが逆に歩き難かった。

 過日、ぬかるみで、長靴使用の仲間を見ながら、なかなか良いものかもしれないと思っていたが、いざ雪中で、初めての使用となったが、ダブダブサイズの災いも手伝ったのかもしれないが、私としては、その使用感は散々であった。 少しは予想していたが 、厚手の靴下に、穴を開けてしまい大きな損失となったのである。

 スノーシューを着けても、目印となる1キロ毎の標識まで、各1時間を要し、山ノ神に、「どうしたの?」 と問われる始末であった。午前中に事を終えるつもりであったから、到底山頂まで届くハズもなかった。2・5キロや一服金剛の標識を過ぎて、樹木の間から、大日連山の上に、小さく黒い剱岳を遠望出来る場所でテーブルを造った。

 今日は、これだけで満足? 二人だけの食事は、カップ麺とコーヒーだけの簡単なもの。(山ノ神は、その合間に点滴!) さーっと、風が通り抜けたと思ったら黒い雲が現れた。しかし、登山口に辿り着くまで、雨は強く降らなかった。



11/23 明日の予報は良くない。でも、「午前中は、あまり大きく崩れない。」 を拠り所に、利賀へ行こうかと思っている。降雨・積雪など、如何様にも対処出来るように準備していくつもりである。しかし、この時期一番嫌らしいだけに、てっぺんには拘らないでおこうと思っている。通常の登山靴を欠いているだけに、長靴とプラブーツを見極めながらの使用となりそうである。

 せねばならないことが、山ほどある。こんな時ほど、早めに帰宅して、その事に対処しなければいけないのではと思う。でも、明るい内に下山、もしくは帰宅すると、何だか思う存分歩いていないのではないかという錯覚に陥るから不思議である。 p.m.11:00



11/22 ずっと、傘マークが付いていたが、今日は、その合間を縫って、陽が差していた。このような日に、山へ出掛けられた人達は幸せである。12/24(月・振替休日)の予報は、あまり良くない。どうしようかな? また、ギリギリにならなければ行き先がきまらないのであろう。

 新聞を覗くと、「美の祭典 越中アートフェスタ2008」 の記事があった。入選者を調べていると、友人の名を二つ見付けた。写真部門のY氏と、絵画部門のeiko女史である。嬉しくてお祝いのメールを送った。26日まで県民会館で開催される。



11/21 一年で、登山靴のソールを張り替えなくてはいけなくなった。もう少し我慢も考えたのであるが、「リスク回避」 で張り替えを選択した。80回の山行機会を、殆ど一足の登山靴で賄ったのであるから仕方がないところか・・・

 長い林道歩き(特に舗装道路)にも問題がある事は歪めない。以前は、その林道歩きに、違った履き物を用意した事もあったが、ルート変更に、支障が出た事もあり、それ以降 「止め」 にしている。

 タイヤ交換でも言える事であるが、どのタイヤも減るのである。数多く歩くのであるから仕方がない。歩ける事を良しとしなければ・・ それにしても、欲しい山用具がいっぱいある。「どうしよう?」



11/20 高岡にも雪が積もった。11月中に、雪が降るのは珍しくないが、5~6cmくらい(所によっては10cm)積もるのは、最近としては記憶がない。しかし、一週間前にタイヤ交換を済ませているから、慌てる事はない。

 今日は、結婚記念日。女性は記念日を大事にする。山ノ神も同様?  しかし、当世不景気で外食もままならない。しかも、今日は降雪・低温である。また、夜には会合があった。「明日への延期」 を提案したが、山ノ神の執念は凄く「NO」 を突き付けられた。

 「夕飯の準備はしていない。」 「何処でも良いから、連れて行け!」 である。結局は、私の苦手なカラオケになった。全て持ち込みである。私が、会合前に山ノ神をカラオケ店に送り、会合が終わってから、私が歩いて行くというものであった。

 しかし、その会合が延び終了したのが9時半過ぎ、スーパーで買い物をして、家に戻り、それから歩いて出掛けたのである。山ノ神が一人で歌い始めて2時間半を過ぎていた。それでも、止めようとしない。 「明日の事もあるから帰ろうよ!」 と腰を上げたのが、何と午前1時半を過ぎてしまっていた。山ノ神からしてみれば、やがて6時間である。

 暖かい部屋で、冷たいビールを飲み、古い曲を音程外して歌っても、恥ずかしい事がなかっただけ、まだ良しだったのか・・



11/19 雪が降り出した。福井県勝山市で、除雪車が出動している様子が、全国ニュースとして映し出された。ご当地のkyuさんに、「早くも雪の中に埋もれているのでは・・・」 と、ちょっと、からかったメールを送ったら、「タイや交換しなければいけないけど、寒いからやるきなし」 の返事が来た。「こんなに早く近場に降るなんて・・」 と嘆きが綴られていたが、山スキーが楽しみの彼女だけに、心中は意外と、しめしめと思っているのではなかろうか・・・



11/18 夕食前に所用で車を走らせたら、雨に雪が混じった。すぐに「山は雪か?」 と思ったが、灯油の消費など下界の生活苦が頭を過ぎった。また、山中では、意外と寒さに強いが、下界では、てんで弱い。

 低山でも、これから雪になるのだろうが、しばらくは、中途半端で尚更厄介である。でも、何だか嬉しくなるのだから、子供と同じである。「冒険とままごと」 が始まる。



11/17 誰もが雨の予想。ならばお馴染みの白鳥小屋であったが、降るどころか青空まで覗き、「もっと行きたかった所があったのに・・・」 の言葉が飛び出したが、すぐに小学校の遠足気分、いや幼稚園と言った方が良いのか、ほんわかムードになり、ずーっと笑いっぱなしになってしまった。

 それでいて、坂田峠から白鳥山(白鳥小屋)まで、2時間を費やしてはいけなとなり、話ながらアクセルを噴かさなければならなくなった。お互い大きな荷物を担ぎながら・・・

 小屋に早く着けば、当然小屋滞在が長くなる。日頃喋らぬ事まで・・(ありゃ!) でも、楽しくて可笑しくてならなかった。下山時には、風が強くなったが、最後まで雨は降らなかった。気温も高く、本当に冬型になり、高所では雪になるのであろうかと思うくらいであった。しかし、皆は雪を待ち望んでいるのである。



11/16 雪が無くとも、冬期閉鎖が頭を過ぎり管理棟からの歩きを想定していたが、難なく通過には拍子抜けになってしまった。雨でも歩きたい我々は、ちょっと細いが、ブナも良いし、1300m手前の登山口?からの入山とした。

 雨といえども、白木峰まで来たからには、浮島までは行かなくてはなるまい。滑らないように木道歩きに気を配り、再び山頂に立つ。白木小屋もあるが、山頂で雨凌ぎタープを張って、山を満喫する思いもあったのである。

 そこへ、思いも寄らぬ「好山病・・」 の橋ちゃんが現れる。山とは不思議なものである。2週間前に会っているのに、本当に久しぶりに会ったような気がするのであるから・・・ 多くを語らなくとも、何だか嬉しくてたまらない。

 出掛ければ、サプライズがある。「犬も歩けば棒に当たる。」 ではないが、やっぱり行動しなければ何も起こらない。私の場合は、非日常との言葉が当てはまらないかもしれないが、何かを求めたい。 p.m.11:59



11/15 今度の私の連休は、予想通り思わしくないお天気だ!冬型になる前の状態であるから、何処もかもお天気が悪い。気温の低下には、まだ時間があるようだし、何処か近間の屋根のある所へ出掛けるとしようか?でも、案外降らなかったりして・・・



11/14 eiko女史から、「病気を克服した友人と、山歩きを楽しんだ。」 という嬉しくてたまらない雰囲気のメールをもらった。そして、来年は、その友人と、「北アへ出掛けられるかもしれない。」 と喜びいっぱいが伝わって来た。

 私にも、一緒によく出掛けた友人がいた。今もいるのであるが、とんと山行機会がない。休日・妻君・孫などの要因を含め、意欲や憧憬の違いから、一緒する機会がないのであろう。もっとも、山歩きだけが人生ではないから、私の方が偏った風に思われているかもしれない。

 でも、彼は、山が好きなのである。それを私は充分に知っている。だから誘いたいのであるが、彼からしたら、最早私の歩き方を、承知の沙汰でないと思っているのかもしれない。

 「あと何回、山に行けると思う。」 「週に、一回行けたとしても・・」 などを言い過ぎるのかもしれない。彼には、彼の人生があり、それを認めるのであるが、時々寂しさを覚える。  でも、私が山を愛する事を、彼が一番知っててくれるし、一緒しなくても、一番の山の友でもある。



11/13 定期購読していた「山と渓谷」を止めて2~3年になる。(いや、もうちょっとになるかな?) 以前は持っているだけで(積ん読だけでも)結構良い気分になっていた。でも、もう読み返す事もないだろうと、思い切って処分をした。

 また、今は使わない古い山用具もそうである。なけなしのお金で買った物などは、例え壊れていようと破れていようと、なかなか捨てられない。それは、自分の青春(青春の想い出)との決別を意味するようでもあるからだ。

 しかし、もう、いる物といらない物とを、選別しなければならない年齢になったような気がする。でも、捨てられない。広げて、ちょっとだけ処分をし、また仕舞い込んでしまう。この繰り返し・・・

 これから、一度でも使う可能性のある物、想い出として大事な物、誰から見ても価値のある物以外、処分しようと、常々口にしている癖に、いざとなると、思うようにならない。

 パソコンがクラッシュした時に、バックアップの話題になる。その時、どうしても必要な物、大事な物となると、そうはないような事になる。それと同じようなものなのかもしれない。



11/12 現在続いている好天も、週明けから崩れそうである。遠出の可能性が低くなり、早速冬タイヤに換えてしまった。昨年の11/18の白鳥行きでは、予想通り雪になり、下山時には坂田峠にも積雪を見た。翌日(11/19)の白木峰行きでは、タイヤを交換して臨んだのであるが、大長谷では、除雪車が動いており、白木峰はもちろん管理棟から歩いた。

 山登る者として、晩秋から初冬の端境期は厄介な時期である。雪になってしまえばそれほどでもないのであろうが、雪が混じる冷たい雨には閉口してしまう。「身体を濡らさないように・・・」 が、キーワードになる。

 手袋も厄介である。昨年から背抜きの園芸用の手袋を使用しているが、細かい作業も出来るし、ちょっと濡れてもいいし、安価である。しかし、種類が多いから選択には慎重をきした方がよい。また、「濃い色の物の方が、汚れが目立たない。」という事も考慮すると、後々都合がよい。



11/11 「今の大辻山や小佐波御前山なら、ヘッドランプはいらないだろう。」 の考え方はやはり甘かった。「備えあれば憂いなし。」 である。私などは、始めから、メンバーの中には、わざわざ外して、車に置いてきた方もあったようだが、山は、やはりどんな事が起こるかわからない。ましてや、我がチームは、予想外の所へ行きたがる習性があるからに・・・・

 私は、ちょっと遅れて、午後1時頃、小佐波御前山開通記念碑にある山頂に、辿り着いたのであるが、メンバーの半分は、小佐波御前小屋で食事を終えたと思われる10~20人程(確認人数は12人)の中高年軍団を見掛けたという。

 その軍団の全員かどうかはわからないが、ピッケルやカンジキなどの装備を持参していたという。何処か違った山から縦走? そんな事はないであろう。重荷を担いでの訓練? それとも、装備の点検に持参? そんな事を思えば、私の方が装備不足になる。反省しなければ・・・



11/10 「アルペン村午前9時集合。」 今日は、「ねぎちゃん」が苦労してくれた企画であったのに、雨のため大辻山から小佐波御前山に、急遽変更となる。小佐波御前山になると、同山に精通した「北ちゃん」が、ハッスルしてくれる。

 舟倉用水からのルートは、神通峡を眺めながら、後に今生津からのルートに合流。最盛期?の紅葉を楽しみながら、「まだかよ!」 「お腹が空いた。」 「こんなに時間が掛かるのか・・」 の言葉が飛び交っていた。

 3時間余掛けて山頂に到着。小屋で1時間半余掛けて、お腹が一杯になるまで食べた。その後は、マキちゃん携帯推奨の新しい展望台を楽しむ。

 「好山病・・」 は、ここだけで終わらない。獅子ヶ鼻を巻く周遊コースに挑戦となる。「所要時間は、15~20分程・・」 との北ちゃんの口車に乗せられたが、結局は、メンバーの楽しみながらが興じて、何と1時間余費やし、日没寸前。

 「○○君のナタを拾得」 のハッピー事項があったが、またまた暗い道を歩く羽目になってしまった。でも、とても楽しくハッピーな一日であった。



11/9 何だか無性に高い所へ行きたかった。しかし、山ノ神は、遠い所。なかなか噛み合わない。いつぞや、当欄に、「もう山ノ神のいう通りにはならない。自分の思った通りにする。」 と綴った事があったやに思うが、その事が、どのように伝わったか分からないが、山ノ神の意見を出にくくしたようである。

 それは、それで良いので、行きたいところが合致すれば、一緒に行けば良いし、イヤならば、別々、または、来なければいいのである。 しかし、人の心(私の心)は弱いもので、人が恋しくなった。明日は、好山病メンバーの企画に乗せてもらう事にした。正に、「 山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」 そのものである。 p.m.10:35



11/8 結局、今年は、新たな名山歩きは4座に留まりそう。お天気が良くその気になれば、もうちょっと行けるかもしれないが、どうしてもという気にもなれない。しかし、「その内に・・」 などと言っておれば、なかなか、その機会は訪れないような気がする。

 「登ってみなければ、良さも悪さもわからない。」 「行ってみなければ、語る事も出来ない。」 それは、県内の山も近郷の山々も同じ事であり、何処に目を向けるかの違いだけであろう。

 「同じ山を、何回も登るのもよい。」 「岩や、ヤブなど、他の人が行かない所に拘るのもいい。」 「山頂に拘らないのもいいでしょう。」 など、自分なりの山歩きがあれば、他の人の考えに、心を揺るがされなくてもすむ。

 でも、やっぱり、北海道の山にも、九州の山にも登ってみたい。時は流れたかもしれないが、「久弥」 が選んだ山々にも足を運んでみたいし、深田クラブや日本山岳会が列挙した山々にも・・・

 一年に何度か、そんな気持ちになって、士気の高揚のいうのであろうか、「まだまだ・・」 と奮起する機会を持ちたい。どちらにしても、穏和な気持ちの良い山歩きを続けたい思いがいっぱいである。



11/7 10日程前から、「ねぎちゃん」の素晴らしい山岳写真を、2点借りて掲げている。1点は、池の平からの「彩色裏剱」、もう1点は、エビのしっぽを、モチーフした「別山からの剱岳」 である。2点とも入賞・入選した作品だけに、鑑賞した人の評判は良く、「素晴らしい。」 の連発である。

 「あんたも撮ったらどうけ・・」 と唆されるが、行く場所が違うし機材も違う。それよりも、まず感性が違うのである。これだけは、「持って生まれたものがあるのではないか・・・」 と思う。

 数々の発表の場で、その優秀さが、認知されて行く様を見るに付け、只、天性のものばかりではなく、かなりの努力や苦労をしておられる事を察知する。
 そして、年上の我々を、持ち上げてくれる優しさを、持ち備えた彼女だけに、きっと、その作品にも、わからずとも、温かい人間性が滲み込んでいるのではないかと、勝手に思ったりしている。 p.m.0:15



11/6 今年の山行日が70日となった。残りの休日が10日間あり、無事こなす事が出来れば、目標とする80日になる。その中に、連休となるものが3回含まれるが、山中で泊まるかどうかは、まだ分からない。雪量とムード(家中の雰囲気)次第だと思っている。

 振り返っても、またこの先も、ただ普通の登山道を歩いているだけで、特別変わった事をやっているわけでもない。山の空気を肴に、親交を深めたり、静かな山に思いを寄せている。山三昧は、今の私にとって、最高の贅沢。それは、春夏秋冬どの山とも拘らない。しかし、好きな山、相性のよい山などと、必然的に決まってくる。

 「何が何でも行かなくては・・」 の気構えさえあれば、まだまだ贅沢?な生活を送る事が出来るのではないかと思っている。何年か前までは、「這ってでも行く。」 と言っていた事を思い出す。



11/5 担ぐとなると、スノーシューよりもカンジキが軽い。でも、深雪や斜面を駆け上がるには、スノーシューが断然便利である。 (トラバースや急斜面の降りは、ちょっと辛いものがあるが・・) 

 もうそろそろ雪山である。キャンプをするとなると、登山口から雪があれば良いが、無ければ、履き物を担がなければならない。それも二人分になる可能性が高いから、一年一年辛くなる。低山で歩行距離が短ければ、差ほどでもないが、陽がだんだんと長くなり、より高く、より長くなって行く頃は、それに、ピッケルやアイゼンも加わって来る。アルコールも含め、何もかも二人分になると、これからも耐えられるかと心配になる。

 でも、それが楽しみなのであるから、頑張らなくてはいけない。「何が楽しくて・・・」 と思われがちであるが、「こんな楽しい事はない。」 (荒れなければ!) もっと、鍛えなければ・・・



11/4 高岡から白山公園線に入るまで、ずっと雨。時折強く降る雨に、昨夕、急遽誘った近所の茂ちゃんの表情から、何となく不安が滲み出ていた。せめて、出立準備中だけでも雨が止んで欲しいものだとの思いは、不思議にも、156号線から離れると、路面が乾き、素晴らしい紅葉が迎えてくれた。

 標高1950mから積雪を観測。しかし、昨夜来の降雪は僅かで、それ以前のトレースがあり、結構固まっていた。「アイゼン使用しなければならない山には行かない。」 が口癖の山ノ神であったが、フカフカの雪を連想していただけに、思惑が外れては、「アイゼン出して・・」 と私に迫った。

 気温や風の関係で、高所の雪の状態は、平地のようではなく、「アイゼンやピッケルは、車のチェーンのようなものであり、使用する使用しないとは関係なく用意するものである。」 と、今更のように感じとったようであった。

 そのような状態(考え方)では、天候や雪の状態如何で、潔く退却するつもりであったから、万能?という点で、カンジキを選択してきたのであった。また、今日は、賽の河原手前から、視界が悪くなり、GPSが重宝した。

 結局、室堂まで5時間掛かり、とても、山頂への意欲はなく、閉ざされたセンター前での食事となった。茂ちゃんは、寒さと空腹で、かなり参っていたようであったが、温かいカップ麺を食べてから、元気を取り戻してくれてホッとした。

 午後1時、室堂を離れようとした頃から、パーッと青空が現れたと思ったら、一挙に視界が広がった。一転、別世界になっては、「ワーッ」 と興奮しないわけなく、タイムリミットをずらしても、シャッターを、切り続けなければならない心境であった。

 

11/3 約束の午前5時発に、7~8分遅れたが、まずは順調にスタートを切れた。しかし、三角点を経由したとは故、山頂まで1時間50分も掛けてしまった。久しぶりの牛岳に、ゆっくりをモットーとしたが、あまりに時間を費やした事が祟り、簡単な食事・お茶時間を、削らなくてはいけない羽目になった。

 娘夫婦への書き置きの約束に少々遅れたが、食事や見送りに支障とならず、ホッとする事が出来た。後は、明日のお天気を気にしながら、行き先の選定となった。今日の南風が、明日は北風に変わり、ちょっと寒そうな予報である。 p.m.6:45



11/2 娘達の明日の帰京は、午後4時台の飛行機だそうだ。今度の帰省は、彼らの意味あるものであるから、やっぱり見送らなければなるまい。昼食も、久しぶりに外食という話もある。そうなると、明日の山行は、早朝となり、午前10時頃まで帰還せねばなるまい。久しぶりに、「牛岳」とするか・・・ p.m.11:55



11/1 同じメンバーでありながら、休会状態であった「きくちゃん」から、「昨夜、男の子を出産した。」 とのメールをもらった。メールをもらった時は、まだ床の中だっただけに、目が開かず、なかなか読み取れなかった。「27時間もかかり、死ぬかと思うくらいしんどかった。声が枯れるほど、わめきちらしました。」 「ホー、やったか! 俺たちを忘れずにいたか!」 と、出産された事と共に嬉しかった。

 一番機で、娘夫婦がやって来た。これで3日(月)の山行は変則になる。