3/31 昨日は、大倉山から戻って、富山に出掛けた。好山病富山支部の懇親会に出席するためである。「街中は苦手」 ましてや、「歓楽街など私には似つかない。」 と決め込んでいたが、行けば美味しい物を食べて、ワイワイガヤガヤと、とても楽しかった。山中同姓としか扱っていない女性の山仲間が美しくも見えた。

 こんな天国は、癖になるから、一年に一度くらいでいいのかもしれない。私には、重荷を担いだあの汗臭いのが似合っているような気がする。狭いテントの中で、耐え忍んでいるのが気楽でいいのかもしれない。

 そんな思いのロートルも、富山駅まで送ってもらうビック待遇を受け電車に乗った。一瞬、眠ったのであろうか「ハッ」 と思ったら、電車が高岡で止まっていた。金沢まで行かなくてもよかった。



3/30 お互い時間制限の中で、大倉山に臨んだ。前日からの降雪で、山頂付近では、膝くらいに達する新たな積雪に、歓喜の雄叫びを上げた。トレースが無く(無傷)大展望である。山頂に届いた頃には、剱岳が雲に覆われるパターンが多いだけに、見えたり隠れたり、その刻々変わる様に一喜一憂も楽しいものである。

 先週掘ったシェルターも新雪に 「らしき・・」 ぐらいにしか留めず降雪量を実感しながら、隣に新たなシェルターを掘り、 ワイワイ言いながら、限られた時間で眺望を楽しんだ。  時間制限下でも、山頂滞在は、やがて1時間40~50分と少なくなく、もちろん、速く降りれば(歩かなければ)のリスクが伴った事は言うまでもない。

 その山頂に、一人の登山者がやって来た。俵先輩である。しかも壺足。(スノーシューを車の中に忘れて来たとか・・・・)我々は驚いた。華奢な身体でよくも登って来られたと思った。しかも、要した時間は、後追いとはいえ、我々とそんなにも違わない。「山が好き!」 が、そうさせたのかもしれない。時間の関係上、俵先輩と記念の写真を撮って別れたが、下山には苦労されたに違いない。



3/29 好天の予報に、明日はコット谷を経由して・・・の思いがあったが、寄せられた情報では、小又川も林道も、あまり状態が良くないとの事、夕方からのイベントに参加せねばならぬので、冒険をしてまで行きたくなくなった。

 そのイベントの関係上、車に午後2時半までに戻らなくては、高岡に4時まで戻れなくなってしまう。そんな事を考えている時、「剱を眺めたい。」 「お天気が良いから・・」 のいつもの仲間が3名集う事になり、またまた大倉山に行く事になった。

 「本当に剱を拝めるか?」 「今回の積雪で、桑首林道に車が入るか?」 の心配があるが、行ってみなければ分からない。行くまでの心配! 行けば何とかなるし、それなりの楽しみを模索する事は容易い。



3/28 娘が戻っては、山ノ神にしてみれば、出にくいらしい。だんだんと慣れればそうでもないかもしれないが、今度は、出産予定日が近づく事になり、尚更出にくくなるのかもしれない。「何にもなかった・・・」 に悔いが残るかもしれないが、「何かあったら・・・」 それこそ、大変なのだから、穏便に過ごせる事を感謝しなければならないのかも・・・・・・・・・

 その点、男は何する事もないだけに、「極楽とんぼ」 を決め込めばいい。もちろん、イザという時は、「万難を排して・・・」 の言葉は忘れていない。しかし、山ノ神のストレスも考慮しなければ、我が家は上手く回らない。

 「今度(3/30)は、行くかね!」 と聞いてみるが、返事は出しにくいらしい。当日の夕方からイベントがあるだけに、山ノ神の運転代行を頼りにするも、充てにするわけにいかないようである。お天気なら早立ちで、約束に間に合うような山行になる。



3/27 もうこの歳になると、「山・山・山・やま・ヤマ」 と言っていられなくなるのだろうか・・・・ 山好きな人達には理解出来ても、他の人達には、「何をさておいても・・・」 が、分かるはずもなかろう。もしかして、山好きな方達でも、「そこまでは・・・」 となるかもしれない。

 仕事でもないし、世に認められる記録を作るわけでもない。「自分のエゴ」 に見られるだけであろう。最近は、私の休日に合わせてまでも、「旅行をしよう。」 「同窓会をしないか。」 などの声が掛かる。結婚式・葬儀・法事・総会・会合・飲み会など、中には、楽しみなものもあるが、山行には結構障害であった。しかし、いつまでも元気に登れる事がないのであるから、「何が何でも・・」 だけは、外した方がいいのではないかと思うようになって来た。

 「休んだら、登れなくなる。」 「行かなければ、なし崩しになる。」 が怖くて、ず~っと出掛けていたが、いつかは思うようにならなくなる日が必ず来る。その時まで頑張ればいいのであろうが、人生を考えるにあたって、本当にそれでいいのかと思うようになって来た。

 あれもこれもやって、山にも行けたらいい。そのために、山に行く事が出来なくてもいいのではないかである。自分だけの世ではない。気の合う人、仲の良い人と、もっと交流があってもいいのかもしれない。

 寂しがり屋だが、やっぱり山がいい。スタイルが違っても、ず~っと、山と関わり合っていきたい。そのためには、健康でなければいけない。生活基盤も、しっかりしなければならない。周りとの協調も不可欠。全てが上手くいく事はないが、それにも努力を惜しんではいけないのであろう。



3/26 人は、プライドで生きているような気がする。それが、何かの拘りであったり、何でもいいから輝いていたいものである。それが、ほんのちょっとであっても、当人にすれば大切な事!

 だから、それを認めてくれる人、応援してくれる人が大好きになる。何かのグループも、そんなところがある。癒しであっても、慰め合いでないから、まだまだ発展はするような気がする。

 「もうこれでいい。」 というのもあるが、美しい欲や楽しい欲はあってもいい。それが、人様の迷惑にならず、喜んでもらえたり、人のためになるのなら素晴らしい。それは、幾つになっても・・・・



3/25 一昨日の大倉山に、宮ちゃんとご一緒された村中女史は、山を始めて3年、そして、昨秋から宮ちゃんに同行されるようになったらしい。また、富山の山は初めてのようであった。私は、戸籍係ではないので、あまり他人様のプライバシーに関する事を聞かないから、他は、名と性別を知っているくらいである。

 その村中女史は、私を野獣のようにでも思われたのか、口数も少なく、黙々と歩く方のように見受けられた。今年は残雪が少なく、大倉山の良さを堪能して頂くわけにはいかなかったが、それでも、福井の山と比べられて、何かを感じられたかのように受け取れた。

 食事を済ませてからの下山時、この野獣に少しは心を開かれたのか、山を登り始めた初期の頃のエピソードを話して下された。ある山の会に参加した時、装備の中に、地図とコンパスを持参するように指示され、本当のコンパスを持参されたとの事、そのコンパスをいつ出すのか、どのようにするのか分からず、出さずじまいになってしまったとか・・・・・

 その喋り口調が、私にはとても面白く、大声を出して笑ってしまった。まるで、パソコンを始めた時に、「立ち上がっていますか?」 「ゴミ箱に捨てましたか?」 などの意味の取違とよく似ており、可笑しくてたまらなかった。もう一つ、おかしな間違いを言われたが、すぐに忘れてしまう私だけに、頭の中に止める事が出来なかった。 「また、富山に来たい。」 と言っておられたが、社交辞令かもしれない。



3/24 ハレルヤ山行(3/15 春木山)に特別参加した橋ちゃんとマキちゃんを除けば、好山病本隊と一ヶ月間山行がない。たまたま、スケジュールが合わなかっただけで、他意はないのであるが何だか寂しい。

 今回も、前日になって、ようやく、北ちゃんに、「雪不足の折、夏道のある大倉山 or 大地・初雪山」 を提案したのであるが、彼も私に対して、「今、田村氏と肉蔵山・七姫山を決め、連絡しようと思っていたところ」 となったのであった。

 下山後、上市の湯神子温泉でも、北ちゃん達とニアミス。(福井の淑女達は会ったらしい。) これからは、環境や体力の違いで、益々顕著になるような気がする。今までが良す過ぎたのかもしれない。でも、たまにしか会えなくとも、すぐに心が通じるから嬉しい。

 

3/23 「え~っ、雪がないの?」 桑首林道入口での彼女らの第一声であった。標高700mくらいから雪がない。それに先週の高温続きで、もしかしたら、稜線(1000m)まで、雪がないかもしれないと思っていたが、林道への車の乗り入れが出来るとは思っていなかった。そのお陰で、往復1時間半は助かった?事になった。

 やはり標高800mくらいから、少し雪が現れ、カンジキやスノーシューを必要としたのは、稜線(1000m超)からであった。トーレスが高温で崩れ、それに昨夜来の降雪が乗った感じで、あまり美しい雪の状態ではなかったが、「冬のなごり」、そして、「春への息吹」 をマッチした、それなりの雰囲気を漂わせるものであった。

 予報に「晴れマーク」 が出ていただけに、もしかしたら、「剱岳が望めるかもしれない。」 の淡い希望があったが、降雪によって打ち砕かれてしまった。「剱岳どころか、毛勝の山々」 も全く望む事が出来ず「静かな山」 を味わっただけであった。山頂でのシェルターは、初めてお会いした村中女史にしてみれば、「へぇ~」 というものであったかもしれないが、「富山へ・・・」 の心を繋ぎ止める材料になったかもしれない。



3/22 明日は、本当に晴れるのであろうか・・・・ 「元さん元気? 久し振りにお顔が見たくなった。」 などと声が掛かれば、何が何でも奮い立たなくてはならぬ。それが、一年ぶりであるから尚更である。

 何の取り柄もない私なのに、ちょっぴりでも頼られれば嬉しい。福井から友を連れての来富である。「元さんをお借りします。」 との山ノ神への心遣いも忘れない心情に感服。



3/21 「何か写真を用意しておきなさい。」 と親交のるY氏から告げられた。美術展への作品である。数多く撮っている画像であっても、私の場合は記録的なものが多く、とてもじゃないが作品としての自信がない。それも、小さく撮っているものであって、大伸ばしには適さない。

 一年に何千枚の画像を撮っても、歩きながらが多く、それに応募出来るようなものはない。遡って何枚の画像からしても、見つからない。それは、私の良いとするもの(好きなもの)と、写真の神髄を究めようとする方と本質に違うからである。

 しかし、山ノ神は乗り気である。「二匹のどじょう」 がおるかどうかは別にして、人生前向きでなければならぬのかもしれない。「10年先の事より、1年先の事の方が大事」 という山ノ神。「ちょっと・・・」 と言いたくなるけれど、それが本当なのかもしれない。



3/20 窮屈な私の財布では、テントもカメラ(一眼レフ)もパソコンも買えなかった。先日のパソコン修理には、6万円ほど掛かったけれど、S先生の計らいで、ディスプレーを除けば性能の良いものに変わった。でも、10年前に購入したパソコンを没にして、もう一台欲しいというのが正直なところ。いざという時のために、また山ノ神ためにも・・・・・・・・・

 定額給付金を土台にして、再考のチャンスがあるかもしれないが、一眼レフを買っても、差ほどいい写真も撮れないし、今冬のキャンプが1回しかなかった事を思えば、テントも無理して買う事がないのかもしれない。

 しかし、「あれも欲しい。」 「これも欲しい。」 という事は、まだまだ、それらの事に、「チャレンジしたい。」 「まだ出来る。」 という事に繋がっている。「なし崩しに止める。」 「止めさせられる。」 のが一番よくないように思う。

 車の運転を、家族に止められ、仕方なく従った殆どの方は、極端に元気を失っていかれたように思う。行動範囲が狭まり視野・交際範囲も狭くなったからに他ならない。運転だけでなく山行もそうであるが、自分なりのスタイルを持って、対処していけば良いような気がしてならない。



3/19 お彼岸とは言え、20℃を超える日が続くと、いっぺんに雪解けが進むような気がする。風(南風)が、ついて回ると尚更である。まだ雪降る可能性のある高所ならいいが、低山では、もうお終いかもしれない。

 こんな日は、ご多分に漏れず、私も、目が痒く、鼻がムズムズである。とても辛い。山に行けば治るのであるが、降りて来ると悲惨である。



3/18 今日は、嬉しいメールや電話をもらったのであるが、HPへの士気が上がらない。長い間には、こんな事は、何度となく繰り返されるのであるが、近頃は、何でも、歳の所為にしてしまう。(歳の事を言われるのが、イヤなくせに・・・・・・)

 人はプライドで生きているような気がする。各々のプライドである。「頼られる。」 「認めてもらう。」 そのものである。特に男はそれが強い。「俺が俺が・・・」 と言いたくなる。他人を押しのけても、自分の主張を通したくなる。応対してくれる人の殆どが、あまり良い気分ではない。だからであろう。「聞き上手」 が持てるのは・・・・



3/17 過日、スノーシューの足の乗せる箇所の故障で、そっくりその部品を取り替えた事があった。使用頻度からか、それとも、私の使い方の悪さなのか分からないが、これで2回目であった。(右左両方ともとなった。)その2回の修理?代金を合わせると、スノーシュー購入金額の半額くらいになってしまった。でも、新しいもの、あるいは、もっとグレードの高い物を購入する技量がないのだから致し方ない。

 以前から、その部品(足を乗せる所)の金具が、リフターを上げている時に、「カツン」 と触れる事から、お店の方と相談して、リフターの位置(三段階ある)を移動してもらったのであるが、今度は、角度が悪く、そのリフターがすぐに落ちてしまい戸惑っていた。

 千石城山の帰りに、その事を、豊田にあるK店に再び持ち込み相談した結果、元に戻し、尚かつ、そのリフターを左右を反対にしてみたのである。見た目は、今のところGOOである。でも、今一度、雪上で試して見なければならない。



3/16 「友達との付き合いもあろうが、夕食がダメなら、朝食ぐらい一緒に食べようぜ!」 の私の口癖が利いてきたのか、眠い目を擦りながら起きて来る息子が、ちょっぴり大人になったのかと思えた。

 昨夜は、私が山から戻った頃から、やはり友達の所に出掛けたのであるが、2時間程で戻って来たのには驚いた。久しぶりの夕食に、次々と缶ビールの栓が抜かれ一箱がなくなった。(正確には22本) 親子とは、差ほど話などないのであるが、久しぶりとなると、何でも新鮮である。

 「子供の頃、一緒に登った山の想い出は?」 とか、「職場や取引先などの方々と、山の話など出ないものかね・・・」 とたわいのない事も・・・・・・・  そして、「法事などやらないと集まらないね。」 となった。でも、法事などにあまり拘りのない家族だけに、森行さん(私の父=平成6年没)の生誕100年に、皆で集まるかと盛り上がった。

 時間が過ぎ、「私の人生が、後20年として、一年に一度なら20回、2年に一度だったら、後10回しか会えないのだね!」 の言葉には、さすがの息子も考え込んでしまったようであった。
 「私の休日には帰ってくるな!」 など、日頃からいい加減な事を言っているのに、ちょっと酷だったかもしれない。


 そんな息子を高岡駅に送ったのが、午後1時半頃であった。それからの山行である。時間もあまりなく、お天気もイマイチだっただけに、千石城山に出掛けた。登り始めが午後3時。少しだけ雪のある山頂で、50分ぐらい山の雰囲気を味わった。ちょっと歩き足りない故、伊折・千石線の林道歩きを加えたら、登山口に戻ったのが午後5時半くらいになった。



3/15 くるくる変わった予報であったが、ハレルヤ山行当日は、晴れ男の筏井氏が幹事だったからかもしれないが、これ以上ないという好天に恵まれた。そして、「奥大勘場からの春木山」 へは、後発隊を含め13名に膨れ上がっていた。

 今日は、山ノ神が息子と一緒に過ごしたいという事で、私だけの参加となった。山ノ神は、2月も不参加であったし、特別ゲストに心を動かされたであろうが、致し方ないとはいえ、このお天気では、心中穏やかではなかったかもしれない。

 大勘場からの春木山は素晴らしいと聞いていたが、前日の降雪もあり、それに、輪を掛けたようなステキなルートであった。頑張れば、人形山や三ヶ辻山へも届きそうな感じであったが、団体行動だけにその 「サワリ」 を得ただけで充分であった。

 また、富山HCの辻野氏にお遭い出来たのも、偶然とはいえ、とてもハッピーで、春木山行の想い出をより印象的になったような気がする。



3/14 息子の昨夜(今未明)の帰宅は、午前2時半頃になったと言う。我々は、我慢出来ず午前1時頃に床に入ってしまった。せっかく勢いを付けて帰ってきたのに、あのお天気では致し方ないところか・・・

 息子の顔を見た山ノ神は、何処へ行かなくとも、何もしなくても、息子のそばに、いてやりたいのであろうか、明日のハレルヤ山行の不参加を決めた。帰省しても友達との付き合いだと言って、夜遅く帰ってきて、翌日は、何もしないで、只、寝ているだけなのに、それでも親・母でいなければと思うのが必然的であろう。



3/13 友人の結婚式に出席するために帰省すると言っていた長男が、25時になってもまだ来ない。折からの荒天で列車がストップらしい。鯖江・大聖寺・小松などから、「また止まった。」 「動かない。」 などの電話やメールが届いたが、25時になってもまだ金沢だという。

 到着予定時間から4~5時間経ってしまった。2年ぶりに、一緒に食事を出来ると思っていたが、もう待ちきれなくなってしまった。それにしても、今度の私の連休(日・月)が、彼の帰省期間(金~月)にすっぽり入るだけに、全休日山行の危機を感じている。明朝、彼のスケジュールを聞いてから、ハレルヤ・好山病山行に、参加かするか否かの判断となる。



3/12 昨年、そして一昨年、あれだけ大地に出掛けていたのに、今年は、まだ2回だけと思っていたが、その前は、ほとんど2回であったから、大地通いは、例年並みという事になるらしく、思い込みとはおかしなものである。

 その大地行きは20回となり、出掛けた回数では、牛岳116・大辻山33・医王山32・千石城山31・剱岳28・白木峰28・大猫山27・金剛堂山24・小佐波御前山24・白山20の仲間入りをした。(19回を数える人形山・中山・僧ヶ岳も、今年中に肩を並べられるような気がする。)

 1年に一度はと思っていた初雪山へは、もう一つ、その回数が伸びない。季節が限定されているのと、行ける環境が整わなければならず、思うようにならないのが理由である。20回の目標は難しいと思うが、大平川側から、あるいは、白金ノ頭側からを含め、まだまだチャレンジしたいという気持ちで満ちている。それだけ通わなければ、その山の事を、言い尽くせないような気がするから・・・



3/11 暖冬・雪不足・高温などから、あまり良いイメージで望まなかった今回の大地・初雪山行であったが、行ってみればオーライの良き山行となった。すっきりしたお天気ではなかったが眺望は良かった。写真を撮る側になれば、もっと青空が欲しかったが、風もあまりなく、雪面はクラストして歩き易かったし、予想を遙かに上回るコンディションで申し分なかった。

 夢創塾発の638m付近まで雪が現れなかったが、1/6の大地の雑木林のような山頂を思えば、今回は、誠にGOODであった。毎年初雪山への思いはあるのだが、諸条件がかみ合わず大地止まりが多い。それでも、「大地から眺める初雪山」 は、私の心を充分に満足させてくれる。

 初雪山の名は美しい。始めは名に惚れ込んだが、何度も通う内に、標高の割には、アルペン的なあの山容に惚れ込んでしまった。雪が少なくヒゲが生えたような山容、また黄砂で汚れた山容は頂けず、やはり真っ白な山肌がいい。出来れば自分(達)だけのトレースが美しく思えるのである。

 近年、全国区になりつつある初雪山であるが、県人でも、まだあまり知られておらず、山を少々やり始めた方でも知らぬ程である。「心の中の独り占め」 は、誰にでも芽生えるステキな山である。



3/10 昨日の初雪山行を振り返ると、ちょっと無茶だったかなと思ったりもする。非常時に対応する装備は怠らなかったが、それだけの体力を備えていたかという事になる。

 よくあるように、「せっかく来たのだから・・ の無理はなかった。」 かはウソになるし、「もう一緒に来る事は、余程の事がない限りないであろう。」 が、脳裏を過ぎった事は間違いない。「大きくお天気が崩れる事はないであろう。」 とか「暗くなっても帰還出来る自信があった。」 から、慌てさせず体力の消耗を、なるべく少なくするようにした。

 つまずいたり、滑ったりするケガだけが心配であった。普通の方で、条件さえ整っておれば、差ほど難しいコースでもないが、歳を重ねるに連れ、1回1回が勝負のようなもに感じる。「自分が行けても・・・」 である。

 大した技量のない自分であっても、それよりも力のない者と行く時は、あらゆる事を想定しなければなるまい。「歩けなくなる。」 「滑落する事もある。」 など・・・ 当然装備も過剰になる。より重くなる。相手方を速く歩かせたければ、自分が担う事になる。

 「簡単だよ!」 「あんたも行けるよ!」 は、どれだけ自己責任と言えども、その責任とは別に、ある程度のリスクを負わなければいけなくなる。私の場合、夫婦と言えども、同行者はゲストである。

 使うか使わないピッケルを2本を担ぎ、アイゼンも片隅に忍ばせた。ヘッドランプ使用の事まで考えなければならない。もちろんビバークの装備もである。「万が一」 のためにである。「何で、そんなに・・」 それは、自分が可愛いからである。この先、そんなに多くは登れない。でも、出来れば、ずっと登り続けたい。何かが、起こってはいけないし、自分への訓練(修行)のようなものである。



3/9 「大地まで3時間半で達すれば、初雪山への挑戦権あり。」 をギリギリで達成。しかし、当の山ノ神は、何処で止めようかと考えていたらしい。それを、「もう少し先へ、もうちょっと、行ってみよう。」 と言う私の意見に、仕方なく応じた感があった。

 それなのに、一番危惧した最大の核心部(1223m付近)を、山ノ神は、スイスイと渡って行ってしまった。また、雪庇に亀裂が入った片斜面を、何の躊躇いもなく、登って行く様子に、私の方が、大丈夫かと思う程であった。

 しかし、ロングコースであるだけに、標高1400m辺りから、「頂上に行けるだろうか? 私は途中で止めてもいい。」 と言い出した山ノ神に、「時間が掛かっても良いから・・・」 を、何度も繰り返した。

 午後1時、ようやく山頂に達した。山ノ神、二度目の初雪山登頂である。(過去にキャンプをしながら登った事がある。) 日没など、復路の事を思うと、すぐにでも、下山をしなくてはいけないのであったが、何せ雄大な景色である。苦労して登って来たのであるから、タッチして戻るのは惜しく、広い山頂を駆け回った。写真を撮りまくり、先の計画であった大平川側からのルートを覗き込んだりもした。時間がなかったが、山ノ神へのご褒美も忘れなかった。

 それからが大変であった。おおよそ2時間で大地に戻ったのであるが、ゆっくり休んで食していないせいであろうか、山ノ神の疲れが見え始めた。悩んだが簡単なテーブルを造り、湯を沸かし腹ごしらえに掛かった。山ノ神は、座ると、もっと元気になるものがあると、そちらに手を付けた。

 大地発が午後4時10分になってしまい、またまた日没との戦いとなった。急斜面の下りに少々時間を費やしてしまったが、それでも、鍋倉山へは1時間内で収まった。日が暮れて、ヘッドランプを灯さなければならなくなったのは、赤松の500m地点を、もう少し降った所からであった。「もう、こんな事は、最後かもしれない。」 と山ノ神。山中12時間に、ちょっと反省をしながら、よく頑張った山ノ神に、勲章を上げたいような気持ちとなった。



3/8 このところのPCトラブルや所用が重なり、次行く山の事があまり思い浮かばなかった。でも行かないわけがない。明日は、高温ながら、まずまずのお天気なので、初雪山を目指す事になった。

 大平川を遡るルートを考えていたが、先週のように、山ノ神がダウンすれば、中途半端になる。ならば、ルートを変え小川からならば、少なくとも大地は踏めるのではないかと考える。

 少雪だから、夏道のある夢創塾からになるが、大平川と比べれば落石などのリスクもない。人形山で足が攣りかけたという山ノ神であるから、また待機場所の設定も考えなければならず、当然荷も余計になる。(もっともである。待機中に、何をしておるかとなれば、あれしかないから・・・)タープ・シャベル・三脚・ピッケル・アイゼン・ヘッドランプ。何を削ろうか、やっぱり、何もかも担いで行くのが常套。 p.m.7:50



3/7 昨夏の剱沢キャンプの折に出遭ったスペイン人のアイトール君に、メールを送ってみた。ずっと気になっていたのだが、英語が分からないし、どうしたものかと思っている内に、随分と時間が経ってしまった。

この際、日本語で送り、アイトール君自身が、どのようにするかは、彼次第だと思い切ったのである。しかし、彼の手に届くかどうか分からない。文字化けなどと勘違いされ、ゴミ箱行きになれば、縁がなかったと諦められる。

 隣のテントにいたアイトール君に、ビールをあげようかとしたら、逆に、もらう羽目になってしまったり、大きな声を張り上げ、身振り手振りで話したが、彼は首を傾げるばかりであった。

 単独で上高地から剱岳に来るのであるから、なかなかのしっかり者であった。そして、愛嬌があり好感が持てた。ピレネー山脈の近くに住むという彼から、果たして返事が来るかな来ないかな・・・



3/6 「はるちゃん」 と「清志君」 との3人で、急遽飲み会をする事になった。「三人会」 と称し、年4回(シーズン毎)親交を温める約束であったが、いつの間にか、その機会を失っていて、久しぶりの顔合わせとなった。

 私の休日と、その前日がダメだから、平日に集う形になったが、氷見と砺波から珍味を持参してくれ、愉快に楽しく騒いだ。この時ばかりは、青春時代に戻る事が出来る。



3/5 またまたS先生のお世話になった。2日夕にクラッシュしたPCだったが、S先生不眠不休のご尽力により、外見は変わらぬが物凄くパワーアップして戻ってきた。CPU・HDD・メモリーの取り替えはもちろん、データーの移転などの手間は、根気のいる作業であり、唯々感謝である。



3/4 「手袋しながら、作業が出来るのも技術の内。」 細かい作業をする時、どうしても手袋を外してしまうが、高所であれば、そのような事が許されない。日頃から、そのような事に対応出来るよう心掛けなければならないのであるが、ついついである。

 先日の山行の折、シェルター造りに気をとられ、いい加減に外して放っておいたスノーシューを、いざ装着しようとした際、バンドが堅くなってしまい苦労をした。ストックやシャベルも、やはり整理整頓しておくと、その後の使い勝手がいい。



3/3 午後から雨の予報、そして、昨夕から、ウンともスンとも言わなくなったPCの事で、S先生に相談しなくては(お願いしなくては)などがあり、行き先を牛岳とした。山ノ神は、「また牛岳か・・」 と思ったのか、それとも、他の事を企んでの事か、分からないが、「あんただけ、行って来られ!」 となったのである。

 登山口から、利賀側に少し行ったいつもの車デボ地点で、出立の準備をしていると、木場氏に声を掛けられる。(午前8時頃) 金剛堂山に行かれるとの事、「やっぱり好きな方が、おられるのだなぁ~。」 と感心する。

 この時期に、残雪という表現が、適当かどうかは分からないが、五合目くらいまで、雪がないのである。(実際は少しあるが・・・) 五合目の杉林を抜けてから、ようやくスノーシューを着けた。

 今日も冷え込み、クラストとした雪面を歩く事になる。6合目付近になると、牛岳にも降雪があったのであろうか、トレースがなくなっていて、気持ちの良い雪上歩きとなり、歩きも加速した。(六合目から三角点まで40分)  狛犬が隠れているが、祠は丸出しの山頂で、カップ麺を食べコーヒーを楽しんだ。差程お腹が空いていたわけでもなかったが、何となく、そうでもしないと、時間を持てあます感じから、そのようになったのかもしれない。

 復路は、山頂から登山口まで、1時間余で降りられたのであるから、山ノ神に述べた 「午前中の内に・・」 の表現が満更でもなかった事になる。
 家に戻ってから、PCをS先生に見てもらった結果、やはり「ノー」 の診断を下された。頭脳・心臓部をやられていては仕方がない。データーの復元を願いながら、祈るような気持ちでお願いする事となった。

 

3/2 旧城端町・大鋸屋から五箇山トンネルへの長い坂道では、除雪車が出動していた。予想していたとは言え、田向・五箇山荘下駐車場からの長い長い林道歩きが始まった。「林道歩きは、苦にならない。」 という山ノ神の言葉を信じていたが、登山口に着いた頃には、疲労が現れてきたようであった。(3時間を要した。)

 クラストした雪面に、新たな雪が20cm程積もり、樹木の間を縫って行くのは、実に気持ちがいい。しかし、山ノ神のペースがだんだんと落ちていった。一旦、歩き始めると、食する事が出来ない山ノ神であるが、車中の1時間内に、予定の食事が出来なかったのである。

 これでは、確実に4時間で息絶えてしまう。山頂がダメなら、春木山までの思いがあったが、またまた、リタイヤとなってしまった。1288m付近で、シェルターを造り山ノ神を待機させる事とし、私が、「その後の持ち時間で、何処まで行けるやら!」 となったのであるが、無理する事もなく、宮屋敷跡までとした。

 標高1600mの宮屋敷跡であったが、あまり視界が良くなかった。一目散でシェルターのある待機場所に降る際、時折、雲間から青空がパーッと覗く様に、後ろ髪を引かれる思いであった。

 宮屋敷跡から15分程、その待機場所から、更に、40~50分程で登山口に到達するのであるから、下りは早い。林道も往路の半分程の時間であった。雪解けの始まった所では、フキノトウが顔を出し始めていた。

 家に戻って、デジカメ画像をPCに取り込もうとした途端に、PCがプッツンとクラッシュしてしまった。ウンともスンとも言わず、暗い気持ちの始まりとなった。



3/1 明日・明後日の今年2回目となる雪上キャンプを中止とする事にした。明後日の予報がイマイチなのと、雪不足がムードを壊した事は間違いない。例年の大地から、もうちょっと標高のある人形山方面へと行き先を変えて待ったのだが、士気が今日になっても上がらなかった。

 「明日は、午後から晴れ、明後日も、午前中は曇り、そして、最高気温も高くないから、高所での雨はない。」 と山ノ神に進言しても、なかなか返事を貰えなかった。仕方なく、早々の出立を約束して、日帰り(人形山)に切り替える事としたが、田向からの歩きであれば、過去の実績からして、春木山までも危ないかもしれない。