5/31 まだ迷っている。ちょっと腰が痛い。股関節にも違和感を覚える。「でも行きたい。」 「歩きたい。」 「長いところ、ガスに巻かれると困るところ。」 を外すと、やっぱり大猫山あたりが無難か・・・・   「でも、欲が出る。」 鬼場倉ノ頭・猫又山・ブナクラ谷、明朝起きてみてからにしよう。



5/30 今朝、またムコ殿がやって来た。なんと言えばいいのか分からない。きっと「優しい」 という言葉が当てはまるのであろうが、我々の世代には考えられなかった事。明日の夜行バスで帰るというのであるから、今月31日あるが、延べ日数にして18日間高岡にいる事になるから、驚きとしか言えない。それだけ、娘を愛してくれている事になるから、感謝しなければいけないのかもしれない。

 「30年経ったら、このようになるのであるから・・・・・」 と、山ノ神を指さし、「今から、このようなら、30年先は、それは恐ろしい・・・・」 とムコ殿に促しても、唯ニコニコしているだけで、埒があかないようである。

 そんなムコ殿に感謝しながら、「末永く娘と孫を宜しくお願いします。」 と心の中で手を合わす思いである。



5/29 泊まり掛けは無理にしても、今度の連休(6/1~6/2)から、通常通り山に行けるのではと思っていた矢先、山ノ神は、娘達の病院に付き合わされる事になったようである。(6/1だけ) ならば、このところの山ノ神との薬師岳日帰りが、途中撤退を余儀なくさせられていただけに、この機会を利用して、私だけがの思いで情報を集めてみたら、小口川線だけでなく、小見線もしばらくの間通行止であった。(有峰ダムから亀谷側1・5キロ下流の路肩崩壊による復旧工事のため。岐阜県側からは、5/23より通行可能になっている。)

 そうなると、6/2の行き先も考慮しなければいけないが、差し当たって、大日岳・大猫山・北ノ俣岳あたりが候補かもしれない。「あ~っ、腰痛も考えなくては・・・」



5/28 ブナクラ谷へ出掛けた吉尾氏から電話をもらった。今年は少雪・暖冬の影響で、山菜収穫が早めであった事から、偵察に出掛けて見たところ、ブナクラ谷上部の残雪状況は、「例年とあまりかわらないように思えた。」 との感想を告げられた。

 4月末に寒気が流れ込んだ事もあり、上部では降雪、また雪解けが遅れたようである。そういえば、我々が、唐堀山や大倉山に出掛けた時も、上部のススダケは、まだ の状態で、例年とあまり変わらないように思えた。そんな事を思うと、「山は大きい。」 「山は広い。」 と思わざるを得ない。

 どうしたことか、2~3日前から腰が痛い。生活に支障はないのであるが、何だか長い間座っていると腰が重くなる。身体を傾げると、ちょっとピリピリする。でも、休日までは必ず元に戻したいと思っている。その為に働いているのであるから・・・・

 もう少し高い所へ行きたくなった。スタンダードなところでも良いが、雪が残っている山がいい。山菜は帰り道に採ればいい。山ノ神との調整が残っているが・・・



5/27 「山に興味のない人が、私のHPを見ても面白くないよ。」 と言い続けてきた。でも、最近は、「山のHPとしても、新鮮味が欠け魅力低下は歪めないところ。」 なのに、PCの普及からだろうか、「えぇ~」 と思うようなところからの反応がある。思いも寄らぬ近所・親戚・同級生などから・・・・

 その時の思い付きを綴っているだけで、意味のない事も多い。赤裸々にとは言えないまでも、ちょっと恥ずかしい事も、何気なしに綴っていたのに、これでは 「あぁぁ~どうしよう!」 になってしまう。「根は真面目で面白くない男が、精一杯茶目っ気を・・・」 だったハズであったが、「何だか、これで良いのか・・・」 になってしまう。

 山から戻って、すぐにPCに向かっていた頃が、今は懐かしい。「人は燃えている時が一番輝いている。」 のであろう。体力・気力が、だんだんと失われ、マンネリ化が脳裏を過ぎれば、後先が短いような気がする。「ならば、何か生き残り掛けて・・・」 と思っても、妙案はない。

 「今流行のブログなるものに・・・」 挑戦を始めた。山を題材にすれば重複するし、他に求めれば、奥深くならず、とても長く続けられるとは思えない。しかし、非公開で自分の思いを綴るには良いかもしれない。



5/26 新GPS(etrex VISTA HGX)の購入は、「ちょっと値が張ったが、なかなか調子がいい。」 といっても、まだ北ちゃんのアドバイスを受けており、本当に自分の物にするには、もう少し時間が掛かりそう。地図入り、しかもカラー、高度や誤差も瞬時に分かるなどなど、今まで無かった機能がたくさん付いている。果たして全部使えるか、使うかは別にして、もっと意欲的に勉強すれば、きっと面白く、必須アイテムとなる事間違いない。

 でも、これでまた、テント・パソコン・一眼レフが遠のいた。GPS自体そのアイテムの1/2にもならないのであるが、展覧会の諸費用や慶弔関係での出費が嵩み、ちょっと辛い。しかし、後々では有効利用とは言えず、「すぐに・・・」 でないと、尚更後悔をする事となる。何処にもお金が落ちていないとなれば、埋蔵金でも探しに行かねばならなくなる。山菜さえ、思うように採れぬのに、夢のような話では埒が明かない。



5/25 北ちゃん・田村氏が企画した 「ススダケ採りに興じる大倉山」 へ、もしかしたら、「好山病・・・」は、2/9細蔵山以来の山ノ神と共に参加する事にした。私も無雪期の大倉山には登った事がなかったので少々興味があった。(山頂付近にはちょっぴり残雪があったが・・・・) 三角点・標識・鐘などは、どのように設置されているのか? また、どのように刈り上げてあるのか? など・・・

 夜遅くまで起きていても、上市町午前7時集合は意外と楽である。「好山病・・」6名以上の参加は、今年に入って3回目。(但し私の山行として・・・ 1/19赤谷ノ頭(9名)、1/26大倉山(7名))

 他に、1/6大地山(3名)、1/12小白木峰(5名)、2/9細蔵山(5名)、2/23小佐波御前山(4名)、3/30大倉山(3名)、4/13前大日岳・早乙女岳(5名)、5/18唐堀山(4名) と以外に少なく、こぢんまりしたパーティーの機会が多かった。

 桑首林道の上部(交差点より上)が少し荒れていたが、最終駐車場まで車を乗り入れる事が出来たので、少々の急登があっても、「ススダケがないか?」 と探しながらでも、3時間で山頂に辿り着いた。

 なだらかな山頂付近には、まだ少しの残雪があり、準備周到の北ちゃんとネコ君で、それなりのベンチとテーブルが造り上げられた。「晴れはまだか・・・」 と午後からの晴れ間を期待していた者にしてみれば、楽しい食事の中でも、それなりのアクセントを望んだのも当たり前かもしれない。草木の露でビショビショになった着衣が乾いた頃に、一瞬であったが毛勝山方面が見え隠れした時は、歓声がこだまし、大いに盛り上がった。

 2時間20~30分程山頂での語らいは、目的のススダケの収穫が少なかったにしても、各々が楽しい一日であったに違いない。



5/24 午後11時頃の夜行バスで、ムコ殿が帰って行った。今月3往復もしているのであるから、ギリギリまで妻子と一緒にいたかった事もあろうが、安価な交通手段の選択に繋がったに違いない。産気付いた当日購入の飛行機運賃だと22,000~23,000円で、夜行バスは4,000~5000円程度だそうだ。(いずれも片道運賃。飛行機も事前に予約しておけばそうでもないようであるが・・・) これからも、何度となく、やって来るのであろうから、体力さえあれば、バス利用も多くなるのようである。

 私の行くところは、そのような乗り物を利用する事などはない。あるとすれば、高速の1000円乗り放題である。しかし、通常の休日だと、その恩恵に肖る事など少ない。なれば前日の内に、(午前0時前に) 乗ってしまえば、片道利用が可能なのであるが、娘孫が高岡滞在中は、早々遠方に出掛ける訳にはいかないであろう。でも、安定してこれば、ちょっとだけでも・・・・、1~2回ぐらいは・・・・、 ちょっと甘いか!



5/23 このところ、飲み過ぎ食べ過ぎが続く。ムコ殿高岡滞在が、16日間ともなれば当然かもしれない。5/24夜ムコ殿帰京、5/26娘と孫(まだ名がない。)が退院の予定。その狭間の5/25(休日)には、何としても山に出掛けなければ身体が壊れてしまう。しかし、その山行にも少々懸念がある。山菜採りを兼ねているから、運動の割には美食が伴う。こうなれば、たくさん採って荷を重くし鍛えるしかない。



5/22 孫が生まれて三日目になるが、まだ名はない。いくつかの候補があるようだが、なかなか決まらないようである。実のところ、30年前私も迷った。何とか山に関する物を名の一部に入れようとしたのであるが、総スカンを食ってしまった経緯がある。そんな時、現代生命学?(文字にすると何とも可笑しいが・・・・) 「真面目に考える。」 「呼びやすい。(読みやすい。)」 「出来れば濁点を付けない。(女の子)」 のアドバイスを義兄から受けた。真剣に考えるという事であったのだろうと今は考えられる。

 名は、一種の符号くらいに考えればいいのであるが、なかなかそうはいかない。そうでなければ、世に、博士・大臣ばかりになる。「自分の子が可愛い。」 のスタートになる。 (嗚呼、可愛そう・・・)



5/21 孫がいなくてもいても 「じい」、嫌でも 「じい」 だそうだ。そして、からかいながら 「元じい」 と名乗る事を楽しみにしている山仲間が多い。凄い事をしないでも、「何としてでも山に行く。」 事へのやっかみと、「いい加減に落ち着け!」 との助言ようである。

 このところ、「市展」・「クマ」・「爺」 など話題になる事が多い。でも、本当は 「目立たなくてもいいから輝いていたい。」 が私の願うところ。しかし、実際は、なかなかそれが伴わない。心だけでも輝いていたいのであるが、それは、世のために働いたり、人に優しくしてあげたりする穏和な心でなければ、そうはいかないようである。まだまだ、心の(人としての)余裕がないという事なのであろう。

  

5/20 未明に入院したが、生まれたのは午後5時23分だったようだ。予定日より一週間遅れたのに2530g。(女の子) 小さいのに、なかなか出て来ないので、看護婦さん(助産婦さん?)が、お腹を可愛そうなくらいに押さえて(押して)いたそうである。(ムコ殿の談話)

 ちょっと小さいけれど元気そうなので一安心。情けないオヤジは、すぐに退院の日が気になった。26日(火)で、胸を撫で下ろした。もう一日早かったら、退院の日に山は行けない。(行かない訳がなかろうと言う人もいるが・・・) 後は、ムコ殿の親御さん達が私の休日に来高しない事を祈るだけ。

 5/2~5/10、5/16~5/17に次いで、今朝また呼び出されて、東京からやって来たムコ殿と、とりあえず祝杯をあげなければなるまい。



5/19 男(父)のする事など何もないと言いながら、昨日は、午前5時過ぎに家を出て、帰ったのが午後9時頃であるから、ちょっといけないオヤジだったかもしれない。しかし、当の娘に差ほど変化はみられず、いろいろ出掛けたり、食事の用意をしたり、結構動き回っている。「まだ~」 とか 「どうもないか・・・」 などと何度も言われる方が、労りよりもプレッシャーになるかのようである。

 頼りのない、そして、いい加減なオヤジであるが、男女、あるいは、器量が良い悪いなどと言うよりは、唯々、元気な子が生まれて来て欲しいと願うだけである。



5/18 「唐堀山のススダケ採りと新規購入のGPSの使い方」 また 下山後 「GPSとカシミール講座」 の企画に是非とも参加したかったが、それも娘の身体次第で、返事は相変わらずギリギリのものであった。今朝も、そっと起き 「何ともないようだ・・・」 と午前5時過ぎ我が家を出た。

 平成16年10月20日の台風23号がもたらした集中豪雨で、高山線の鉄橋が4ヶ所も流されたのを始め、道路もズタズタにされた事を聞き及んでいたが、それを目の当たりにして、自然災害の恐ろしさを改めて実感した。さて、過去に登った事のある唐堀トンネル番号46付近の登山口に、どうしたら行けるかとなった。

 加賀澤トンネル手前から宮川左岸がダメなら、同じトンネル手前から山側(トンネル上に)に延びている道も考えたが、地図上では上手く繋がらないように思い、飛越トンエルを抜け、再び旧360号線に入ったが、やはり、こちらも崖崩れ(道が流れで抉れている。)で通行不能であった。

 ルール違反(JR鉄橋を渡る事)もイヤだし、いやはや途方に暮れた。ちょっと戻った所の石垣に長い鉄製の梯子が架かっていた。地図を広げると、境界の点検道のように思われた。そこは、ヤブの得意な北ちゃんの出番となる。「何とか行けるような気がする。」 のGOサイン。イザという時は引き返すの条件付きでの出発となる。もう午前8時になっていた。

 始めは踏跡らしきものがあったが、だんだんとヤブ化していき、急登で滑りやすくなっていった。しかし、30~60分ほど我慢をすると、ブナ林になり穏やかな傾斜となっていった。所々で、ススダケを採りながら・・・・

 1時間半で鉄塔に出た。ここからは通常の登山道になり、皆の顔がホッとした表情になった。「鉄塔とススダケの山」 と表される唐堀山であるが、まだ収穫には早過ぎるようであった。高度を上げるとだんだんとその姿がなくなり、この時点でのコシアブラやタラの芽は伸び過ぎであり、ちょっぴり残念!

 遠くに毛勝山から黒部五郎岳を眺めながら、汗を流して新緑の中を歩く。時々、す~っと冷気が流れ気持ちが良い。

 標高1100m辺りのもう少しで山頂という所で、見出し表があったかどうかは分からないが、整備された登山道から外れ、またまた境界線上を歩く羽目になる。(何故かわからない。おそらく新型のGPSの精度を試す為と思われる。) まだ顔を出していないが、おそらくススダケの宝庫と思われるヤブの中の彷徨である。時たま、コシアブラの大きな樹木を見付けては、歓声が上がり、どっと群がるにこやかな顔がいい。

 そのヤブを抜けた所(山頂とされている所)で、偶然にも池原氏と出遭う。そのまま、へりーポートで食事となる。採った山菜を食すのであるから、これは美味しい。「北ちゃん」は、ススダケを焼く。「ねぎちゃん」は、コシアブラやウドなどを、天ぷらにしてくれた。(正午から1時間半程楽しんだ。)

 へりーポートから、山頂直下まで、コシアブラを見付けては採った。「全部採らないで、てっぺんは残す。」 を守りながら、ワイワイ言いながら袋に入れるの様は、子供の頃の姿とちっとも変わらないような気がする。

 下山路は、最初の鉄塔から、従来の登山道を辿った。「今朝登って来た所には、大きなススダケがあった。」 と言っても、「あのルートに戻りたくない。」 が本音のようであった。46番のトンネル登山口に辿り着いてから、池原氏の後に続いた。飛越トンネルの非常口からトンネル内を歩くものであった。尚かつ、我々の車デボ地点まで送って頂いたのである。

 何もかもを終えて、富山に向けて出発したのが、午後4時を大幅に超えていた。「ゆーとりあ越中」 で汗を流し、「GPSとカシミール講座=講師北ちゃん」 を受講して家に戻ったら、もう午後9時近くになっていた。途中電話をした時、山ノ神の声の響きが良くなかったように感じていたが、家に戻ってみると、角は出ていなくホッとした。

 

5/17 午前5時前にアラームで目を覚ました。どうしようかなと思いつつも、娘達の部屋を覗いて見ないが特別変わった様子もなく、ならばハレルヤの後を追おうかと思ってしまった。しかし何も準備をしていないし、山用具は娘達の部屋を通らなければいけない。靴・スパッツ・ストック・リック・リックカバー・雨具・手袋だけは、車の中に入れて置いたので、それだけあれば大丈夫であった。

 「今から30分後に追います。」 とメールを打ったが、給油・コンビニに寄ったのはともかく、先週靴紐を買ってきていたのに、その取り替えをしていなかったばかりに忘れて来てしまい、応急的な閉め方をするのに手間が掛かり出発が遅れてしまった。また残雪期以外、大平山や濁谷山へ登った事がなく、自宅で地図の印刷やトラックデータのUPなどに時間を費やしたのも遅れの要因である。

 始めから雨であったが、登山道はしっかりしていて、「コシアブラがないかな・・・」 と探しながらでも、40分くらいで大平山頂に着いた。虎谷との分岐までは、何だかクマが棲みそうな所が何カ所もあり、一人ではあまり気持ちが良くなくさっと抜けた。虎谷との分岐の標柱が、クマの引っかけ傷なのであろうか、文字が見にくくなっていた。その先20~30mくらい進んで、左へ上がらなければならないのに、まっすぐ行ってしまった。だんだんと降りて行くので、「これは可笑しい・・」 と引き返してよく見ると、小さな赤いテープの見落としであった。

 その先2~3分後に、濁谷山登頂を終えたハレルヤ本隊と対面。「よう来たのう・・」 「頂上に行くの?」 「行くに決まっているじゃない・・・」 「ここは山頂から降って20分の所・・・」 「大平山三角点で待つ。」 などの言葉・激励に送られ山頂に向かった。残雪が現れたと思ったら、雪のない山頂に達した。濁谷山は一等三角点の山である。何も準備をしてこなかったから、三角点にカメラを置いて証拠写真とした。

 大平山に戻ったら、雨の中にタープを張って、それなりの宴が催されていた。雨の中でも、皆さん本当にいい顔をしておられた。運転手の伸子さんだけが寒い寒いと言って、宇宙服を着ておられた。ラーメンと山菜料理にコーヒーを頂いて、「やはり早めに帰らなくては・・・」 と後片付けもしないで、先に登山口へ向かわせてもらった。

 魚津市街地に近付いてから、家に電話をしたが、「まだ何ともない。」 の返事であった。私は親になる訳でもないが、山に行っている時に生まれようものなら、何かに付け一生言われそうなので、出来れば、私が家にいる時に生んで欲しいと思っている。「何はさておき、今日はそれで良かった。」



5/16 娘は、いろいろ用事をしたり、たくさん歩いたりしているのであるが、まだ生まれない。なかなか生まれない。ムコ殿も心配になってやって来たのに、赤ちゃんの顔を見ずに、また東京へ戻らなくなったら可愛そうである。夕食時には飲まないというムコ殿にこちらも合わせようと思ったのであるが、それでは申し訳ないと、0.00%のノンアルコールビールを買ってきた。山ノ神が飲まなく(待機役)で、ムコ殿と私が飲むのは、娘としては、どうも面白くないらしい。飲む事がイヤなのではなく、二人の子供であるから、二人で何もかも分かち合いたいのかもしれない。それはそれでいいのであるが、早く孫ちゃん出て来なさい。

 明日のハレルヤは、雨予想のため、僧ヶ岳から大平山・濁谷山に変更になったようだ。今回は県東部からの参加がなく、私達もこのような状態なので、6名のこぢんまりしたパーティになるようである。生まれないようなら、私は何もする事がないのだから、もしかしたら行けるかもしれない!!



5/15 娘の予定日が2日過ぎても、まだ生まれない。ムコ殿は、夜行(能登)に乗って、明朝またやって来るようである。17日(日)・18日(月)の休日に誘われているのであるが、はっきりと返事を出来ないでいる。行かないのが普通であろう。でも、また「何とか・・・」 になるかもしれない。



5/14 このところ、諸事情で代わり映えしない山行のため、メーンページに載せる画像に苦慮する毎日である。「黄昏の惜別」 は、5年前「元ちゃんの山歩き」に別れを告げる時に掲載した想い出深い画像である。

 平成16年5月17日~22日の間当欄を休んでいる。正確には止めたのである。理由は綴られていないが、その悩み抜いた様は、自分の事だからよく分かるし覚えている。誰にも明かさず、今も心の中に閉まっているが、よく5年間我慢していると思う。でも、その後遺症がないわけでもない。

 赤裸々の公開は、恥ずかしいのであるが、「もう、そんなもんだ!」 になってしまったようである。HP開設10年になる来年の2月まで、何とか続けなければの思いでいっぱい。その先の事は、その時点で・・・・



5/13 いとこの通夜・葬儀・七日法要が終わったと思ったら、同じ会場で、仲人さんの通夜・葬儀になった。礼服の着っぱなしと財布に支障が出ないかと心配になってきた。そんな昨日から、多くのメールと電話で私の事を気遣って頂いた。何通かのお便りも届いた。でも、そんな心配よりも、「クマと、どのような位置に・・」 とか 「どんな気持ちだったのか・・」 などの方に興味があったようである。

 そんな中、「朝外出中に妹から、メールがありましたが・・・・大仏の件もあり嘘じゃと思ったら、マジだったのですねぇ~。双方牛岳の主を主張してのにらめっこかなぁ?」 の携帯メールがあり、今度はこっちが笑ってしまった。「あれだけ てっぺんに拘っているのに、山菜採りではなかろうに・・・」 の電話があれば、「山菜を採りそこなったのであろうから、今日採って持参した。」 と訪問してくださった方まであった。

 いい気になって、クマに近付いてシャッターを切ったが、多くの方々に、ご心配をお掛けした事に間違いない。「口では若くはない。」 と言っているが、どうも、心と行動は違っているようである。もう一度自分を見つめ直さなければいけないらしい。



5/12 本当はサプライズを求めたわけでもないが、撮ったクマの画像を、「ニュースにならないかもしれませんが・・・」 と新聞社に送ってみた。問い合わせがあったものの、特別の事でもないし、差ほど期待をしていなかったのであるが、いとこの通夜会場に再び電話があった時、もしかしたら、「記事になるのかな・・・・」 と思った。「記事として載るのですか・・・」 と尋ねても、そんな好感触の響きとは感じなかったのですが・・・

 今朝新聞を手にして、「ワ~ッ」 意外と大きな記事に驚いた。「もうちょっと、角度を考えて撮れば良かったとかは無理です。」 



5/11 我慢出来ず困った時の「牛岳」 に出掛けた。いとこの葬儀は明日だから、「今日は午前9時過ぎに戻れば問題ない。」 と思い牛岳を選んだのであった。昨夕くらいまでは、何も起こらなければ 「大日岳」か 「北ノ俣岳」 を候補に挙げていたのに、いっぺんに吹っ飛んでしまった。早立ちが苦手な山ノ神は、娘の事もあり不参加。

 「どうしてもお山のてっぺんに登りたい。」 と、「出来ればもう少し、山菜が採れれば・・・・」 の気持ちの登山である。しかし、欲張って、山頂から林道鍋谷線を降り、スキー場ゲレンデへの思惑は外れてしまった。

 あの黒いお方がおられたのである。5年ぶり(H.16.9.27)であるから、同じ方ではないかもしれない。今回は、不思議な力?が動いてしまった。あの方(クマ)に寄って行ってしまったのである。5年前の牛岳だけでなく、大平山でもカメラを出す事が出来なかったし、有峰林道では、車の中から近距離のクマを撮ろうとしたが失敗。また鍬崎山や南保富士では、遠すぎて撮る事が出来なかったからであろうか、カメラを構えて撮りに・・・・・・ でも、結果オーライだったが、無謀だったような気し反省している。

 駆け上がったクマと少々 (と言っても僅かな時間) 睨み合いになったが、5枚のシャッターを切った。切り終わったら、何だかいっぺんに弱気になり、小走りに山頂に向かった。持論であるが、出会い頭の遭遇とクマの領域にさえ入らなければ、そうそうクマは襲って来ないと思っている。もう一つ、クマが目的があった場合の遭遇も怖いかも知れない。後は、人様が歩く所では、あちらから逃げて行くと思っている。

 でも、思わぬ場所で山菜の収穫もあり、5枚の写真を持ち帰れば、「エ~ッ」 と驚くと思ったのにそんなでもなかった。ではと違ったところに、サプライズを求めてしまったが・・・・



5/10 私より四つ年上の母方のいとこが亡くなった。近くにいながらあまり付き合いがなかったが、やはり身近な親戚がなくなるとぐっと来る。90歳の叔母が残されるのであるから、この先が思いやられそうである。

 2日前に危篤だと知らされて見舞に行ったが、その事と娘の予定日が近く、出発前に、「何かがあったら山は中止だ。」 と思っていたところに、訃報が飛び込んで来た。全休日山行のまたまた危機である。



5/9 膝痛よりもこの頃は、股関節に違和感を覚えるようになって来た。開脚というのであろうか、胡座のように広げれないのである。また、足を組む事も出来なくなって来ている。唯、足を前に進めるには差ほどの支障がない。またその点の持久力は健在である。でも、バランス感覚や咄嗟の行動には黄色のランプが点りそうな気がする。もう危ない所には行けないのかもしれない。それはそれでいいのかもしれない。



5/8 いつも、おれおれサギのような目に遭わされている二男(大阪在住)から、私宛に宅配便が届いた。荷を開けると和歌山産の地酒と梅酒が出て来た。さて、何のプレゼントかと問い合わせると、母の日と父の日のプレゼントだと言う。何と大雑把なプレゼントんなんだろうと思ったし、「エビでタイを釣る。」 ようなニュアンスがあるのか、また、よからぬ陰謀が込められているのではないかと勘ぐったが、でも、こんな事は初めてなので素直に喜ぶ事にした。

 「いい加減に大人になって欲しい。」 の願いが、少しずつ実を結びつつあるのであれば、そんな嬉しい事はないのであるが、まだまだ余談を許されない。最近は、「頑張れ!」 「しっかりせよ!」 の励まし的メッセージに変えて、「元気にしているか?」 「焦るな!」 を連発している。

 また、「稼いだお金を、部屋代や携帯に取られてしまうような生活では、面白くないよ。何か楽しい事を見付けよ。打ち込めるものを探せ! 苦しい時にきっと救われるぜ!」 と言っている。本当に 「何のために働いているのか・・・」 「何をするために生きているのか・・・」 どら息子だけでなく、私にも当てはまる課題である。



5/7 青の次は赤・白・黒と続く。青春→朱夏→白秋→玄冬である。(赤は朱、黒は玄) 昔なら、当然の如く私の年齢は黒(玄)冬である。孫・爺・シワ・膝痛・脱毛・老眼などの語句が忍び寄り、気力を削ごうとする。そして、出来た事が出来なくなり妥協ばかりが多くなっていく。

 でも、「ここで頑張らなくては・・・」 「ここから頑張らなくては・・・」 何もかもがパーになってしまう。ダメな事・出来ない事切り捨て、自分なりの新しい道を切り開いて行かなければしなびれてしまう。「さて、何を・・・」



5/6 昨日の僧ヶ岳は、午前10時前に山頂へ届いた事もあり、駒ヶ岳まで足を伸ばしても構わない雰囲気であったが、あまり愛想の良くない女性が先行しており、その後を追随するのも如何なものかと思ってしまった。もっとも、早く家に帰らなければの心があった事も歪めなかった。

 それよりも、以前山頂より三ツ倉山に降った事があったが、その時の天候が良くなく、出来れば好天のこの日に行きたいと心が動いたのである。しかし、その辺りの地図を準備していなく、しかも、標高もうろ覚えであったため、如何にGPSを持っていようが、身体を前に出そうという気になれなかった。

 でも、それが正解であったように思った。もうガツガツ登れるような身体ではないと自覚しているし、真に山と親しみたいという気になってきているのも事実である。時には汗を流しながら一生懸命に歩き、たまには、ボーッと山を眺めていたいと思うのであるから・・・ 仲間と一緒の時は、愉快に語り合い、ひとりの時は、そっと感傷に耽ってもいい。



5/5 このところ、4月の僧ヶ岳に拘っていたのであるが、3年ぶりに5月にも登る機会を得た。真っ白な雪の僧ヶ岳でなくとも、小さな高山植物や桜(花吹雪)も乙なものである。そして、標高1300mからは、しっかり雪が残っているのであるから・・・・・ その雪は、黄砂で汚れても、また新たな雪に覆われて、そしてまた溶けて、そのコントラストがまた絵になる?ような気もする。

 早く家に戻るには、「北ノ俣岳」 を蹴って「僧ヶ岳」 としたのが、山ノ神には気に入ってもらえず、今日の僧ヶ岳も単独行となったが、「曇り」の予報が、いつの間にか「晴れ」 になる幸運もあり、ルンルンの気分で雪上を歩いた。

 ヒューッと通り抜けるような凄い女性?が駒ヶ岳に行ったようであるが、私は私の歩きに徹した。予定よりちょっとだけ早く歩けたから、伊折山上部で、どっしり腰を下ろして、毛勝山や駒ヶ岳と対峙した。久々に0.00%のノンアルコールビール登場で、コーヒータイムを外した。今日は、本当に美味しく頂いた。



5/4 山菜中心の山行として牛岳を選んだのであるが、出来れば、ず~っと歩きたい。庄川側からだと、三段の滝手前で通行止になっている事から、林道登山口から山頂へ、そして、林道鍋谷線を経由して、牛岳トンネルを潜り、林道登山口に戻るものとした。

 山菜がメーンの事もあり、ゆっくりと歩いた。他の人達にしてみれば「面白くもない。」 のであろうが、私にしてみれば、まあ~まあ~の山行であった。30分の食事時間を含め、やがて8時間の行程である。家からの時間を加算すると10時間になろうとする。多い収穫とは言えないにしても、コゴミ・ワラビ・タラの芽・コシアブラ・フキノトウ・カンゾウが採れた。



5/3 山ノ神も山に行くと言う。ならばと候補をあげると、「歩けない。」 とか、「もうちょっとお天気の時」 にとかの理由を付けて、頭を立てに振らない。私は、二日の内の一日は、「歩いたな!」 と思える山行。もう一日は、山菜採りを兼ねた低山歩きでもいいと言っているのであるが、纏まらず、明日は、とりあえず困った時の「牛岳」に行く事にした。



5/2 今日も良い天気であった。暑いくらいであった。明日の午前中までは、バンバンの高気圧の影響でGOO!のようである。「皆 いいところに行くようである。」 私の休日の4・5日だけが、「曇りで降水確率40%」 雨よりは良いが、何だか腹立たしい。かといって、特別の所への許しもでないし、志気も上がらない。今回は山ノ神の顔色を伺いながら、許容範囲の行動をとるしかないようである。

 そんな中、今夕、ムコ殿がやって来た。(東京から)  こうなると、娘をムコ殿に託せる?と思うのであるが、果たしてどうなる事やら・・・・
 どんなどんでん返しが待ち構えているか分からないから、あまり多くは語れない。



5/1 「見て来た。」 「これから見に行く。」 という 「市展」 の話、「いつ生まれるの?」 「孫とは可愛いもの・・・」 「山よりは孫になるよ!」 などと「孫」の事、「連休中は、何処へ行くの?」 「キャンプするの?」 と 「次行く山」 などの話題が多かった。

 今日は高岡の御車山祭。久し振りに好天に恵まれた事もあったが、今秋開町400年の行事との話題性からか、大勢の人出があったようである。でも、私は、常に空を見上げる。「こんな時、山に出掛けられる人達はいいな~。」 と・・・・・・