7/31 行く行かないは別にして、山行プランを練るというのは、こんなに楽しいものかと改めて思った。山ノ神の同行がないという事は、独身に返ったようなもので、自分だけの体力・気力だけを考えれば良い事となる。しかし、どれだけ「水を得た魚のように・・」 と思っても、若い時のようにはいかない。目一杯の計画ではなく、八分目くらいに考えておかないと、偉い目に遭う事間違いなし・・・

 「何処から入るにしても、読売新道の赤牛岳へは絶好の機会である。」 また、「薬師岳から立山もいい。」 「いやいや剱沢や雲の平周辺で、のんびり(複数日)しているのもいい。」 と言うものの恒例の東北遠征も捨てがたい。本当にどうなる事やら・・・ それより3日後に迫った(連休)の行き先が、まだ決まっていない。



7/30 今度の連休はともかく、盆休までも、「まだ高岡にいる娘や孫に申し訳ないから、泊まるのは・・・」 の理由で、山ノ神との山行は流れそうである。東北の朝日岳か飯豊山、そして、その関連している山々を温めていたのであるが、一人では効率が悪い。勝手気ままに行動が出来る利点もあるが、費用と時間を、一人で全部使って良いのかという問題が生じて来る。まだ時間があるから、ゆっくりと考えてみる事にしよう。

 北アで、まだ行っていない所、また、同じ所でゆっくり過ごすのも良いかもしれない。テント持参なら、時間はともかく、費用という面を考えれば、山ノ神も納得してくれるかもしれない。



7/29 今日で、あの事故(左手薬指負傷)から1ヶ月。不都合が無いわけでもないが、ほぼ普通の生活に戻った。本当はリハビリに医院へ行かなければいけないのであろうが、ちょっと具合が良くなると、ご無沙汰になってしまう。完全に治しておかなければ、後々具合が悪くなるのは自分なのだから・・・ と言われるのだが・・・

 富山アルペン球場で行われた夏の高校野球準決勝第1試合を見ていると雨が降っていた。しかし、我が高岡は降っていない。本当におかしなお天気である。いつまで続くのだろう。来週には回復する。その可能性が高まってきた。



7/28 一向に梅雨明けの気配がない。じっとりした日が続き洗濯物の乾きも悪い。「8/3~8/4のキャンプはどうなるのだろう?」 と思ったら、ようやく週間天気予報にお日様マークが顔を出した。「本当だろうか・・・・・・」 まだ疑わずにはいられない。

 もう一つの懸念材料がある。山ノ神が参加・不参加の意思表示をしていない。その理由は、「娘・孫がいる間は、泊まるという事がどうしても引っ掛かる。」 と言うのである。それはそれで、自分の思い通りにやれば良いのであるが、行かないとなると、「雨降れコール」 が凄まじい。そして、「本当に行くの?」 である。



7/27 2週続けて山は大荒れのようであった。富山はそれ程でもないが、平地でも凄い被害に遭っておられる方々があり胸が痛む。そんな中、北ちゃんと田村氏の小佐波御前山計画に便乗した。我々二人が参加した事で、ヤブ道を避け普通の登山道になったのかもしれないが、雨の中、傘を差し、話をしながらゆっくりと歩いた。

 北ちゃんとは、6/29の薬師岳以来1ヶ月ぶり、田村氏とは、5/25の大倉山以来2ヶ月ぶりであった。元来、夏山は、一緒する機会が少なかったのであるが、山仲間との再来は、多すぎると言うことはない。

 強い雨の中、小佐波御前小屋で2時間ほど過ごしたが、北ちゃん・本職の三華ラーメンをご馳走になる事もあり、ハッピーそのものであった。席上 「月見の会」 の提案もあり、今後煮詰める事となる。

 留守の娘に、「近くの低山だから、意外と早く帰って来る。」 と言って出掛けたのであるが、家を出て帰って来るまでの時間は、一人前の9時間を要した。当の娘も、そんなに早く帰って来るハズがないと思っていたようであったが・・・



7/26 明日は計画変更。雨の日に無理する事もなかろうとなる。なるべくと言えども危険回避を口にする事は、歳が薬となって来ている証拠なのかもしれない。このところの雨で、気が滅入っている所為もあるが、「白馬岳や白山は、お天気の良い日に・・・」 となった。当たり前の事である。これが正常なのである。明日は近くの山に、「久し振りに仲間とも会えそうだ!」

 平成6年に父を、平成14年に母を亡くしているが、その両親の物を、殆どと言っていいくらいに、そのままにしていた。最近、少しは整理をしなければと思い、手をつけだしたのであるが、なかなか思うようにいかない。何も見ないで、そっと捨てればいいのであろうが、ちょっと中身を覗くと、数々の想い出が浮かび簡単に処分しきれない。以前より尚更ワヤワヤになってしまっている。たまには休日の一部を、その事に費やしてみたいと思っている。まさか天候が良いように変わる事がないと思うのであるが・・・・・・

 

7/25 相変わらずおかしなお天気が続き予報もあまり良くない。そうしている間に、また休日がやって来る。7月末は蓮華温泉からの白馬岳が恒例化しているし、それが当然と思っているから、少々の雨でも出掛けるつもり・・・・・・ だったが、「雨降ってまで・・・」 と、トーンダウン。

 「寝る時間も少ないし、食事の時間もあまり取れない。」 「帰りの運転も眠たい。」 次から次へとマイナス面ばかりが強調されてくる。そして、「最近疲れているんだ。」 「無理する事ないよ!」 と慰めになってくる。かと言って 、近くの低山の名も浮かばない。では、ゲートが閉まらないような雨なら、近年 「雨の山」 のレパートリーに追加された白山が有力。「また白山。」 の声が聞こえて来そうである。



7/24 「梅雨明けは何時なのだろうか・・・」 明日から、あるいは、明後日から山行を計画している仲間が多い。北アに限らず南ア、あるいは、上越の山など、いろいろのようである。この時と決めて休暇をとっているのか、また、余裕があるのか分からないが羨ましい限りである。

 ガツガツ登るのだけが山登りではない。ゆっくりお花を楽しんだり、写真を撮ったりするのも優雅で良い。テントを担いでの縦走も良いが、ベースキャンプを張り、ちょいとそこらに出歩くのも実に楽しくて良い。旅と同じで、プランを立てるのが楽しく思うのであるが、世は様々で、これが良いとは言い切れない。

 どちらにしても、早く真っ青な空を見せて欲しい。「雨の山」 のレパートリーが底をつきそうだ。



7/23 左手薬指の固定具を、もう外しても良いようで、今日からリハビリである。そのリハビリのやり方に、あまり納得がいかないのであるが、素人の私であるから、しばらくは、その指示通りに従うしかなかろう。

 ちょっとぐらい不都合でも仕事は100%近く出来るようになった。しかし、起きがけは手が固まっている。ジャンケンのグーにはならず、パーの状態である。徐々に動かせば、グーに近い状態になる。そして、まだタオルが充分に絞れない。患部(直接痛めたところ)を触ればちょっと痛いのが現状!

 でも、精神的にも随分楽になった。直接左薬指に負荷を掛ける事さえしなければ、元通りになった感じである。



7/22 二日間続けて歩いても、足や肩に疲れや痛みを感じない。でも、「ちょっと座れば眠くなる。」 「ちょっと飲めば眠くなる。」 やはり体力の衰えなのであろう。缶ビール2本も飲めばテーブルの前でこっくりとなる。「寝たら・・・」 と言われれば、決まって 「考え事をしている。」 と返すらしい。「これではいかん。」 とPCの前に行くのであるが、思うようにならず、あやふやになるに決まっている。それでは、目覚ましを掛けて早起きを心掛けるのであるが、なかなか身体が着いていかない。

 私の今やっている事は、無茶なのだろうか・・・ 「もうちょっと・・・」 なのであろうね! 他人様に負けてもいいのであるが、今は自分に負けているから許せないのであるが、その自分の身体が思うようにならなくなっていくのであるから仕方がないと、諦めきれないからしょうがないのである。



7/21 ムコ殿が、土・日・月の三連休にやって来たのであるが、我々夫婦は、日曜日に金剛堂山、月曜日には白山と出掛けた。朝早くから夜遅くまで出歩いているから、夕食を共にするのがやっとであった。(夕食と言っても、他の家からみたら相当遅いハズ。) 申し訳ないと思うのであるが、これが私達のライフスタイルで、我が家では我々に合わせてもらうしかない。

 もっとも、この日・月(7/19~7/20)は、以前から「剱岳に行く。恒例行事である。」 と言っていたのであるから、仕方がないところである。山ノ神は、泊まるとなると、ムコ殿(それとも娘)に遠慮したのか、それとも大きな荷を担ぐのがイヤかったのか分からないが、「剱岳に行かない。」 と言っていたから、雨になったこの二日間の山行には、ちょっと、後ろめたいところがあったかもしれない。

 「長生きの秘訣! は、わがままである事。」 らしいが、私には、そのような要素があるにしても、ちょっと足りないであろう。人様の事が気に掛かる小心者が私。どうみても、長生きは出来ないような気がするが、我が家では、充分わがままを通したい。しかし、山ノ神も最近力を増して来ており、なかなか思うようにはならず、覇者に至らない。



7/20 筏井夫妻と協議の結果、白山の観光新道を目指す事になった。私は交通規制のある日曜日や祝日に、市ノ瀬側から登った事がなく、初めてシャトルバスに乗った。 (車の持たない30数年前に、幾多の乗り物を乗り継いで行った事はあったが・・・)

 2週間前と違いお花畑の様相で、このコースは初めてという筏井夫妻は大喜び。晴天の好条件に二人のピッチは益々あがる。疲れ切ったこちらはヨロヨロと付いて行くだけ・・・ でも楽しかった。

 「お腹が空いた。」 と山頂に向かう前に、室堂で店を広げる事になる。「冷たい0.00%ビールを持ってきたか・・・」 と山ノ神に尋ねると、「持って来なかった。」 と言う。がっかりすると、「今日は絹子さんが運転してくれるから、飲める日です。」 と・・・「あっ~、そうか」 解凍されてちょうど飲み頃のビールは、天にも昇る気持ちとさせてくれた。

 飲んでも山頂に登る。帰りのバス時間を気にしながら登る。健脚の筏井氏に、なかなか着いていけない。飲んでも機関車のように登る彼にはとても適わない。こちらは、「転ばないようにの方が大事だから・・・」 と妙な言い訳を探す。今日は何をしても愉快で楽しかった。



7/19 剱岳山行を中止にしても何処かに行かなければならない。しかし、中止にしたくらいであるから、容易に行き先が決まらなかった。雨覚悟して、金剛堂山に決めたのが午前6時半を少し回っていた。それから準備であるから、当然の如く1時間を要してしまった。

 「あまり降らないね。」 剱岳山行を中止にした事が正解であったのかと引き摺ってしまうのであった。当然降ればイヤなのであるが、降らなければ納得出来ない。そんな心境で歩き出したのが午前9時20分であった。車中で食べたもの以外は、カップ麺とコーヒーだけの簡単なものしか持参しなかったが、雨に対する備えだけは厳重すぎるくらいにした。

 空を見渡せば暗雲が立ちこめていたが、パラパラと降ったと思えば、すぐに止むというおかしなお天気が続いた。相変わらず立山方面に目が行き気味であったが、「お天気が悪い。降っている。」 などと心を納得させていた。山頂は、あまり降らないとはいえ、かなり風が強かった。その代わり虫がいなくて助かった。正午を過ぎていたが、食事処を、もう少し先に求めた。

 カップ麺を食べてから、お湯を沸かし、「さて、コーヒーは?」 となったが、お互い「あんたが用意したのではないの?」 と、アルコールを飲まない私にしてみれば、さみしいものとなった。益々雲行きが怪しくなり、とうとう雨具を纏ったが、今度は蒸し暑くてたまらなかった。

 当初は、この辺で戻る予定であったが、ニッコウキスゲを求めて奥金剛まで・・・ そして、一番悪いパターンであるが、ここまで来たら東俣まで行こうとなった。雨が強くなり登山道がぬかるむようになってきたが、もう歩き通すしかなかった。結果的に雨は差程強くならなかったが、想像を絶するような土砂降りになった時の林道歩きで土石流を警戒してしまった。何ともなくて良かった。



7/18 明日からの剱岳山行を中止とした。明後日にお日様マークがあるが、明日の設営する頃に強雨・強風が予想され、軟弱者の私が気を削いでしまった。今までの経験から、「行かなければ晴れる。(降らない。)」 事が数多くあったが、今回は予報が当たるような気がしたもので・・・・・・

 決めてしまうと、「降ってもいい。」 「降った方がいい。」 になるのであるが、何故か嘲笑うように雲が消えて行くように思えて仕方がない。もし、「降らなかったら・・・」 楽しみにしてくれていた彼に申し訳なくなる。賭け・くじ運の弱い私だけに、その可能性も大いにあり、なかなか眠れそうにない。そうして、山を逃がすのであろう・・・・・・



7/17 今度の連休(7/19~7/20)は、一年ぶりの剱沢(剱岳)の予定であるが、あまりすっきりした予報ではない。2日間とも傘マークが付けば、中止としたいのであるが、2日目に、ちょっぴり晴れマークが付いているから悩ましい。もっとも、前線が、もう少し北上したり南下する事により、大幅に予報も変わるのであろうから、ギリギリまで決行か否かの判断を待ちたい。

 2日目が雨なら、中止が出しやすいのであるが、1日目は移動日に当たるわけであるから、少々の雨でも行く事もあり得る。しかし、その日も雨で良いわけがない。大体私は、テントの中で、火をおこす(コンロを使う)事が好きではない。やっぱり外に出て、雄大な剱岳を眺めながらの食事でなければ、その魅力が半減してしまう。

 相棒は、「長次郎谷の雰囲気だけでも良い。」 と言ってくれるが、視界が広がらなくては、その雰囲気を味わう事が出来ないであろうし、リスクも重くなってしまう。どちらにしても、明日まで待つしかないのであるが、今度の相棒(筏井氏)と、このような機会は、なかなか訪れないであろうから、軽々に結論を出しにくい。それは、何かに付け語り合える共通の想い出(財産)になるかもしれないからである。



7/16 ようやく「剱岳・点の記」 を鑑賞。慌て者の私は、放映時間を1時間間違えて行ったためショッピングモールを彷徨う羽目になってしまった。映画の内容の評価は、人それぞれであるから何とも言えないが、あれだけの資材を運んで撮ったその事の方に目を注いでしまった。私自身、小島烏水(中村トオル)の滑落シーンを見ているだけに尚更であった。

 「原作と、ちょっと違うところがある。」 と指摘される方もあるが、史実をもとにであっても、そこは小説である。割り引いても良い気がする。と言う私も感動のラストシーンを見ながら、日本山岳会は2年遅れて登頂しているハズと思ってしまった。それよりも出不精である私が、映画館に足を運んだ事の方が、自分史の特筆となるかもしれない。



7/15 「この半月、手を洗っていない。顔も充分に洗えない。縫った傷口も治ったような気がするし、第1関節を動かさないから、包帯を外してもらえないだろうか・・・ 固定具も取り外し出来るようにしてもらえないだろうか・・・ そしたら仕事も出来るし・・・」 と医師に嘆願してみた。

 すると金属の脱着出来る装具を用意してもらった。これなら、手も顔も洗える。仕事も出来そうだ。第2関節は充分とは言えないが、曲げる事が出来る。岩や鎖を掴む事が出来そうだ。でも、一ヶ月ぐらいは固定をして欲しいそうだ。それから、リハビリが始まるのだとも言われた。でも、今度の診察が一週間後と聞き、気分的には随分楽になった。

 明日は、山ノ神が歯科の予約の日である。長い時間(半日)掛かると言っていたから、私の包帯が取れなければ、半日休業しなければならないところであった。これからは順調に事が運ぶと思うが、でも、傷を負った手(指)である。本来の自分の手とは何となく違う。これも焦らずゆっくりとやらなければならない。「ず~っと、元気でいたい。」 「ず~っと、山に登りたい。」 のであるから、ちょっとの事で、取り返しの付かない事になるわけにはいかない。



7/14 ひょんな事から、syunさん・yamanoutaさん・youちゃん・yonたんの来訪あり、何かしら盛り上がった。全てが山の話。そして、その関連話となり、県内の有名人の話に及ぶ。褒めても貶す事などなく、穏和な集いであった。多大な持ち込みで、またまた我が家の命が繋がった感じであった。



7/13 「そんなにしてまで、行かなければならないのか・・・」 「ケガをして、仕事もしていないのに・・・」 「しかも、雨の中・・・」 自分でも病気(好山病)だと思っている。 儲かるわけでもないし、記録を作っているわけでもない。唯、平凡な山歩きを繰り返しているだけであるから、「何が面白くて・・・」 「危険を冒してまで・・・」 となるのであろう。

 それでも、「なるべく危険を伴わないところ」 として「白木峰」 を選んだ。大きな雨だったり、滑りそうであれば、林道歩きも出来るのが選んだ理由。なるべく木道を歩かない。歩く時も注意深くを考慮しての出発となる。と言うものの、差程ぬかるんでおらず、やっぱり普通の登山道を歩いてしまう。

 先週よりは、ちょっとばかりニッコウキスゲの盛りが過ぎたかに思えたが、まだまだ例年より数多く咲いている状態であった。白木小屋周辺、そして、山頂から、今も真っ黄色な風衝草原を眺めたが、今日は木道の続く浮島へ行くのを止めた。

 小降りから大粒の雨と変わった山頂で、雨具を着込み、差程ぬかるんでいない小白木峰へ足を向けた。先週より何倍かのササユリが咲き誇っていたが、もう1~2日で、終焉を迎えそうなものが多かった。それを楽しめるのも、歩きにして20分ほどであるから、その後は単調なアップダウンを繰り返しとなる。

 小白木峰の先に、二つの地塘があるが、そこの方が、小白木峰の山頂の雰囲気を持っている。雨がザーッと降ったり、ヒューッと風が吹いたりするものの、時たま何もなかったように止んだりする。「午後から強雨」 の予報もあったが、ここまで来たら、小白木峰の登山口まで行ってやろうと思った。滑らないようにと思ったが、やはり一度だけ変な転び方をした。でも、機転を利かせた転び方だったので、傷もせず、着衣も汚さなかった?

 大長谷川の県境近くにある県営のダム?が小白木峰の登山口である。今日は、山ノ神が用意してくれたものは、おにぎり2個だけ。他に私が用意したものは、水500ml2本とラーメン1袋とコーヒーだけである。車中の2個分だったおにぎりを1個だけ食し、後は山中分として残し、山用品の買い物に充てるため、コンビニには寄らなかった。小白木峰登山口に着いた時は、流石にお腹が空いて、残りの1個のおにぎりをほおばった。

 一週間前、大沢野のM師匠が白木峰・小白木峰を縦走しているが、あのような小型バイクを持ち合わせていないし、途中からどのように白木峰の登山口に行けるのかの裏技も知らない私は、やはり今来た道を登り返すしかなかった。しかし、距離は長いが、高低差は600m余であるから、始めから参る事はない。足さえ前に出しておれば、必然的に目的地に着くというもの。

 雨具の帽子をかぶったり、脱いだりしながら、コツコツ歩くのであるが、小白木峰から白木峰間で、時たま広がる視界を利用して、今冬(2/2~2/3)視界の利かない同ルートを難儀しながら歩いた事を思い出していた。お腹を満たすため、もう一度白木峰山頂に寄った。少々の雨も気にせず、店を広げた。味の濃い薄いなどと言う前に胃袋に流し込んでしまった。残りの水でコーヒーを湧かしたのであるが、コーヒーの粉末が強風の為に散乱、リックもコーヒーだらけになってしまった。

 家に戻って、メールを開いてみると、宮ちゃん達が白木峰に来たようであった。「車はあったが、姿はなし、長い間待ったけれど、帰ってしまった。」 との内容であった。「美味しいものがたくさんあったのに・・・」 が付け加えてあった。「残念!」 と 「申し訳なかった。」 との気持ちでいっぱいであった。



7/12 明日も「好山病・・」 のメンバーと離れる。転ばぬようゆっくり歩く為にである。雨の予報が出ておれば尚更である。「同じところ」 そして、「雨の予報」 との二つの言い訳を理由に山ノ神の同行もなくなった。さすがに、直近の一ヶ月に、3回も白木峰の名を上げれば、イヤになるのも当然であろう。

 お天気は必ずしも当たらないかもしれないが、当たる事もあるし、それ以上に悪くなる事もある。不徳の事態も頭の隅に入れての駆け足山行になるかもしれない。



7/11 7月の第3日曜・月曜日は剱沢キャンプ(剱岳)が恒例と言いながら、雨や所用でその機会を数多く逸していた。でも10年で3~4回も行っているのであるから、その語句を借りても差程可笑しくないような気もする。山ノ神も至って剱沢が好きで、特別の事をしないでも、好天であれば避暑には最高の所と思っている。天狗や室堂から歩いても4時間。水も豊富で雰囲気が良い。しかもビールを冷やす残雪が、しっかりあるからかもしれない。

 そんな我々にも、今年はちょっとまずい事が生じている。梅雨が明けるかどうかの他に、私のケガが回復するかがある。そして、私の知らぬ間に、ヒメの宮参りが企画されているらしい。「何もそんな日に・・・」 「そんな事をしなくても・・・」 と言いかねない私を蚊帳の外にして、山ノ神を口説いているようなのである。そのために連休中やって来るムコ殿を放りっぱなしで、出掛ける訳にはいけないと渋い顔の山ノ神を見ないようにしている。

 私は、それがどうであれ、お天気が悪くなければ剱沢へ出掛ける事にしている。例え剱岳に登れなくとも、それはそれで良いと思っている。しかし、筏井氏の昨年からの願望である「長次郎谷からの剱岳」 に、何とか力になれないものかと、グルグル巻きにされている左手を見詰めている。(ようやく、装具を短くしてもらった。しかし、自由にはならない。)



7/10 じーっと手を見ながら歯痒い思いが続く。何故か明日はお天気だという。そのためか、あれこれ山の情報を問われる。私は休日ではないが、ついつい夢中になる。そして、ため息をつく。今日でようやく抜糸が終わった。でも装具(固定具)は、そのまま・・・・・・

 たまらず腕立て伏せをやってみた。(出来る。) 竿を握ってみた。(出来る。) でも、細かい事が出来ない。設営に関する事は時間が掛かっても良いが、イザという時(鎖を握る。ピッケルを握る。)に、対応出来るのであろうか・・・と心配である。もう少し時間の経過を待とう。



7/9 昨日も今日も、近所・友人宅と不幸が重なり出掛けていた。仕事の出来ない私は、そのような役を担うしかない。店内では、もっぱら「口」を働かす事しか出来ず、歯痒い思いをしている。そんな中、「たっちゃん」 ・ 「高岡HC・煮豆のK氏」 が相次いで陣中見舞に訪れてくださった。

 「どのようにケガをしたのか・・・」 「今どうしているのか・・・」 に興味があったのであろうが、手(指)以外至って元気。「歳だから・・・」 の我が態度に、「まだまだ・・・」 と煽っていかれたが、もしかしたら、その言葉を望んでいたのかもしれないし、常に弱気(不安)と強気(野望や意欲)が、心中で格闘している小心者の私は、ちょっと背を押して欲しいのかもしれない。

 今日は、傷口(手術)の抜糸予定であったが、何故か、もう1本残され明日に延ばすと言われた。(意味がわからない。) たまらず、薬指を固定している装具を、「小さく、または、薄くしてもらえないか・・・」 と談判した。「このままでは仕事が出来ず干上がってしまいます。その指を動かしませんから・・・、濡らしませんから・・・」 とである。医師の回答は、「今週いっぱい待て・・・」 であった。まだトンネルは続く。



7/8 「ニッコウキスゲの咲くところ」 今年は何処も良いらしい。ネットの時代でもあるし、そしてまた、新聞に載ると、わんさと人が押し寄せて来る。何処も彼処も出掛けてはいないが、おそらく北陸では白木峰が一番であろう。山頂付近が風衝草原であり、その周辺に咲くのが何とも言えないのである。

 「雨は降るが・・・」 一日中降っている事もない。その合間を縫って行けば、まだまだ楽しめる。白木峰は、三百名山に名を連ねているからであろうか、石川・福井をはじめ他県ナンバーの車が近年目立つような気がする。せっかくおいでになるのであるから、良いお天気でお花が綺麗な時であって欲しいと思うのである。



7/7 「降るような降らないような・・・・・・」 そんなお天気に翻弄されているこの頃。昨夜の内に行き先が決まらず、また、山ノ神自身も 「あまり山には行きたくない。」 ようであった。早めに起きた今朝も雲行きが必ずしも良くなく、県東部の山沿いでは、かなりの雨が降っているようであった。

 しかし、時間の経過と共に、「もしかしたら、あまり降らないのでは・・・」 、「もしかしたら、陽が差すかもしれない。」 と思うようになり、白山行きを決断した。いざ出発と思いきや、山ノ神が、「私も行く。」 と寝床から起きてきた。この後はいつものパターンで出遅れ・・・、給油や金沢市内(山側環状)のスーパーに寄った事もあり、別当出合発が午前8時50分となってしまった。

 山ノ神は、「観光新道がご希望!」 それに従ったが、ちょっと行っては立ち止まり、あまりペースが上がらない。そして、「心臓がバクバクする。」 という。「そうか、ゆっくり行くしかないなぁ~。」 と、今の立場の私にはそう言うしかない。最も、私自身も転んだりして手を着くと大変な事になるから、ちょうど良かったのかもしれない。

 時々青空が顔を出し、風もあった事から、心配していた「虫」も気にならず快適?な歩きが出来た。火曜日なのに意外と上り下り共登山者があり、結構声掛けを楽しんだ。「ゆっくり歩く」 は、これからの私達に与えられた課題でもあるが、その先の時間が迫って来て窮屈さも感じる。「もっと朝立ちを早くする。」 「宿泊をする。」 でなければ、その思いは達せられなくなる。しかし、「私は途中まででも良い。」 という山ノ神とは、どうしても一線を画してしまう。

 今回も、「私の白山は室堂まで・・・」 の山ノ神を置いて私だけが山頂に向かった。(午後1時半であった。) 風が強く、しかも霧雨。「行ったって・・・」 の気持ちも分からないではないが、それを除くと私には達成感が欠如するような気がしてならない。かと言って、包帯を濡らし、転ぼうものなら深手となるリスクを負っての歩きであるから、これも困ったものかもしれない。

 山頂に向かってすぐの所で、降って来られた福井の黒川女史と遭遇。あまりにの突然でお互い声(名前)が出なかった。「室堂センター前のベンチに家内がいるよ。」 と告げると、単独行の彼女は、ニコニコしながら飛んで行った。(黒川女史は、別当出合を午前10時15分に出て、エコーラインがら登って来たと言うから速い。)

 ちょっと、濡れながら山頂から戻った後、3人で砂防新道経由して、下山する事となったが、その黒川女史の歩きにつられたのか、喋りながらの歩きが奏功したのか、別人のようになった山ノ神は快調で、予想を遙かに上回る歩きで別当出合に着く事が出来た。



7/6 幾つかの事前情報があったが、その通り近年にない素晴らしいくらいに、ニッコウキスゲが咲き乱れていた。青空があればもっと良かったが、それは充分というもの。お天気が悪いからやって来たのであるから仕方がない。私が滞在した午前中にはガスが掛かり、風衝草原に咲くニッコウキスゲを充分にとらえる事が出来なかったが、例の虫が殆どいなく、その点ではラッキーであった。

 雨の予報で午後から用事を作ったため、小白木峰のピークには行けなかったが、その方面のササユリだけは拝んで来た。「明日は、もう一度・・・」 などと言い放ってはいたが、下山と共にトーンが落ちてきた。その代わりに、車で471号線・472号線を岐阜県境まで行き、金剛堂山と小白木峰の登山口を確認してきた。山ノ神曰く、「これを歩く・・・ とんでもない。」 と、いっぺんに明日の計画は吹っ飛んだ。



7/5 明日は、「晴れ間が出ないまでも雨が降らない。」 と思っていただけに、「白山か大日岳へ行こう。」 と心の準備をしていた。山の空気を吸いたい私は、ゆっくり歩いても許容範囲内の山。また、仕事をさせた山ノ神には、ストレスの解消にと思っていた。このような行動は、他の方々には可笑しいと映るかもしれないが、我が家では、「山へ行く事自体が普通の事。」 なので、差程違和感はない。

 しかし、多くは降らないかもしれないが、傘マークが並んだ事から、一日前倒しにして、白木峰へ行く事にした。これも小白木峰まで行かないで、目的は、「ニッコウキスゲを見に行く。」 だけにした。雨になれば、小白木峰も白木峰も景色は変わらないだろうというもの。

 今回は、「転ばない事。」 「山の空気を吸いに行く。」 を重点的に考え、早々に帰宅したいと考えている。でも今、外に出たらまん丸いお月様が出ており、周りに雲もない。(午後11時) もしかしたら、読みが外れたかもしれない。このような身体故、例えそうであろうと仕方がないと諦めるしかない。



7/4 ムコ殿の両親が初孫の顔を見にやって来られた。クマの話は、まだであったが、指のケガは、既に届いており面目がなかった。しかし、仕事の出来ない私は、その接待には都合が良く、僅かな時間であったが、お互い初孫故に話題が途切れる事はなかった。諏訪を経由して車で一緒にやって来たムコ殿は、明晩夜行バスで帰る事になっているので、今日は 「禁酒令」 を解ぎ久し振りにグラスを傾けた。

 飲んだ勢いではないが、若夫婦に「剱岳・点の記」 の映画を薦めた。土曜日は遅くまで上映している事もあり、ならばと二人は出掛けて行った。そうなると、我々はヒメのお守りをせねばならず、四苦八苦・・・ でも、PCの前に座っても、ひとりでに目が閉じてしまう私は、先に床に着いてしまう事になった。



7/3 もう4日間も仕事をしていない。肩身が狭いだけでなく、やはり面白くない。「仕事をして休日は山に・・・」 が私の定番となるライフスタイルなのであろう。私ほどの年齢になると、経済的に問題がなく、思うような毎日が過ごせたら最高であるが、誰もがそういう風になれない。でも、元気で仕事が出来、何とかやっていければ、それ以上の事は望まない。

 私の願いなどは、「もう一日、休日が欲しい。」 「あと1万円があれば・・・」 「もう少し我慢して、あの山用品を買いたい。」 ぐらいなもの。そして、その全ては、元気・健康を勝らない。

 さて、次の休日は、やはり心のリハビリに出掛けなければなるまい。プロフィールでも述べているように私の好きなものに、「山の空気」 がある。「距離が長く、速く歩かなければならない。」 とか 「両手を使わなければならない。」 ようなところを外せば大丈夫であろう。但しお天気が条件。雨ならば、もっと、グレードダウンとなるのは仕方がない。

 

7/2 PCの前で眠くなるのは、アルコールだけの所為ではなかったのか・・・ あの人にもこの人にも、今度の事で返事をしなくてはいけないのに、ついつい睡魔に負けてしまう。飲むから (といっても、そんなに多くはない。) と思っていたのが、そうではないとなると、「歳」 の所為になるのか・・・・・・

 「今度の休日は、私を置いて皆と一緒に行ってもいいよ!」 と私が山ノ神に言うと、やはり強力メンバーの中では、「迷惑」 が先に立ってしまうようである。「私が行くのなら行くのか・・・」 と問い直すと、そのようである。すなわち、「私が山に・・・・・」 は容認されたようである。

 でも、北ノ俣岳・黒部五郎岳へは、長い行程故に、速く歩かなければならないだろうし、当然の如く 「転ぶリスク」 が増してしまう。そして、「転んだらどうなるかは、あなたが、一番分かっているハズ・・・」 と言われては、「コロブゴロウダケ」 に聞こえてしまい見送る公算強い。



7/1 「クマに噛まれたのですか?」 と言われるほど、私の周りでは 「クマの人」 になっている。大袈裟な包帯は、現在、薬指1本だけだが、それでも、固定しているため2倍ほどの太さだけに、その異常はすぐに気付かれる。縫合口を消毒するだけの治療は、早く治りたい患者側からすると、ちょっと歯痒いが致し方ない。

 手(指)以外は何処も悪くない。「歩けるのに・・・」 と思っても、禁酒しているぐらいでは許されないだろう。でも、覇気のない私を見ていたら、「行って来たら・・・」 と言ってくれるような気がしないでもない。と言っても、「私 (山ノ神) を置いて、あんただけ・・・」 はないであろう。厳しい監視が付く事は間違いない。