1/31 やっぱり明日は、あまり良くない予報だ。単独だけれど、県東部の山に行ってみようと思っている。行ける所まで・・・



1/30 曇りに雪が入ったり雨が入ったりの予報で、次の休日はお天気に恵まれそうにない。山ノ神は、娘と最後の休日になるであろうから、山には行かないという。行くと言えば厄介な面もあるが、行かないとなると、ちょっと気勢を削がれる面もある。 夫婦とは、こんなものか・・・

 まだ誰とも連絡を取っていない。ふらりと一人で歩いてみようか・・・・



1/29 雪が無くなったが、日が随分長くなってきた。「何処に行こうか・・・」 距離が延びるし、これからが楽しみである。お天気に恵まれれば良いが、来週からは、ずらっと雪マークが並んだ。雨よりは良いが、冒険する事もなかろう。じっと近間の山で我慢して、程よい時に狙った山に行くのがよい。



1/28 今年に入って、当コーナーのタイトルを、「山つれづれ・・」 から、「元さんの戯言・呟き」 に換えたのであるが、何だか本当にボヤキになって来ている。何もかもが思うようにならず、その憂さ晴らしの場になってしまったかのようである。 いけないね。・・・

 そんな中、アクセスカウンターの777,777や800,000などのパッピー番号や切りの良い番号をゲットしてくださる方がある。今回だけでなく、ず~っとであるから唯々感謝である。山が好きだとも聞いた事がないし、山に登られる事もない高岡のK氏であるが、私の好きそうな山の番組(BS放送)を録画して頂いた事まである。

 このように、私を応援してくださる方々がある限り、形式・形態を変えようが、もう少し奮起しなければいけないと決意を新たにしている。そして、2/6で、HP開設満10年になり、一つのハードルを越える事になる。



1/27 牛岳山行を終えての車中で、山ノ神が、「口には出さないけれど、佐和子(娘)が、お父さんと何処かへ一緒したがっているみたよ!」 と私に投げ掛けた。「小さな子(ヒメ)がいるし何処に行ける? 私の出来る事は、酒を飲めるだけじゃないか・・」 と言ったものの 実家に帰って45日の間に、家電量販店へほんのちょっと一緒に出掛けただけで、何処へも行っていないし、何もしてやっていない。

 休日は正月と言えども山に行っているのであるから、父親らしい事は、何一つやっていない感じである。「汚い・臭いだけのオヤジと、一緒にいたいものか・・・ 改まって話す事もあるまい。」 でも、来月の第一週末には、帰京するというのであるから、もう今度の休日(月・火)しかない。

 「一日だけ山に行かない日を作ろうか・・・」 「いや、山から帰ってからでも良いのではないか・・・」  「身も心もブサイクなオヤジと、想い出なんか出来るのであろうか・・・」



1/26 例のクマの写真が昨年の5月・6月に次いで、昨日も北日本新聞に載った。「高岡の元ちゃん」から、「高岡の元さん」 と呼ばれているが、これからは、「クマの元さん」 になりそうである。しかし、我が「好山病・・」 には、クマに噛まれたネコ君(長勢君)がいるから、彼を出し抜くわけにはいくまい。

 私はクマを8回見た事がある。福井の経ヶ岳、鍬崎山、そして、笹川から雁谷峯・二王峯経由で南保富士に行った時は、遠目に見ただけで、その危険は全く感じなかった。でも、間近での経験は、5回もある。ご存じ牛岳で2回、大平山では、下山して車に乗り込んだ際、ドアの横にやって来た。水無では、何だかちょっとやばいぞと、車に戻った途端に小熊が現れた。

 そして、不謹慎なのは、有峰林道で山の村側に降りた時、林道にクマが現れた。これはチャンスとクマに寄って行ったのであるが、クマは後退りした。それを撮ろうと思ったのであるが、車から降りる事はもちろん、車を止める事も出来なかった。もちろん、窓を開ける事も出来なかった。何時かはクマを撮ってやろうと思っていたのであるが、今から思うとやっぱり恐ろしい。もう近付かない。この一枚の写真で、3回も賞金を頂いたのであるが、生活費に回ってしまい、一眼レフにはなかなか届かない。

 やっぱり 「クマの元さん」 には、なれそうにない。「高岡の元じい」 が待っているようである。でも、そのように呼ばれるようになった頃には、このHPも無くなっている事でしょう。



1/25 「こんな時に行かなくてもいいのでは・・」 と娘。「止めてもいいのに・・」 は山ノ神。今年は、「何が何でも・・」 を止めようかと思っているのであるが、牛岳は、私のホームグランドのようなもの。時間が無い時、お天気の悪い時などに登らせてもらっているが、振り返ってみると、何か心につかえている時や、考え事をしながら登った事もあったように思う。

 今回は、低山とはいえ、体調が悪い時に、雪山に登るのであるから、常識的には考えられないところかもしれない。もし何かあったらいろいろな人に迷惑を掛けるのであるから・・・・

 今日の牛岳は123回目であるが、何回登っても、違った顔をしているように思う。そして、私の知らない所がまだいっぱいある。昨日に登られたものであろうか、トレースがしっかり着いていた。それを辿れば良い事を、わざわざ外して、スキーで良く滑られる庄川側のルートを歩いた。「大丈夫!大丈夫なの?」 と気遣ってくれていた山ノ神であったが、どうかすると、私を先に歩かせようとした。(ラッセル)

 稜線に出ると風が強く、背中がゾクゾクしたが、その先を進まぬわけがない。その辺から、いつの間にか私が先に立つようになっていた。三角点までトレースがあったが、その先は、真っ白な雪の中で、尚更楽しいパラダイスのように感じたが・・・

 ちらつく雪の中で、食事処を三角点に求めた。「もっと、下がって風のない所を・・」 と山ノ神が言うのであるが、三角点の斜面に穴を掘った。お天気が崩れる事が分かっているから、そうそう時間を掛けるわけにはいかないので、雪洞の紛い物になってしまったが、それでも風雪を凌ぐには何とかなった。(いや、結局はその上にタープを張らざるを得なかったが・・・・)

 不思議な事に、今のところ、頭の痛いのが治った感じ・・・ そんな事も手伝って、帰りに酒店に寄ろうかという気持ちになった。でも、寒い感じは取れない。

 家に帰ったら、身体を気遣うメールと、今朝の新聞(北日本新聞)フォトコンテストの事でのメールを頂いていた。赤裸々に綴る同コーナーと、私には似付かぬフォトコンテストの入賞には、頭を掻かずにはおられない。(ちょっと恥ずかしいが、やっぱり嬉しいです。)



1/24 明日の山行に誘いがあったが、体調不良だし、いろいろな事で迷惑を掛けてはいけないと思い断った。でも、「牛岳」 に行く事だけは告げておいた。こんな時なのに、小矢部の「岩ちゃん」 を誘ってみた。たまたま近所に不幸があって、お手伝いしなければいけないとの事で、ご一緒出来なく残念だったが、一年に一回しか声を掛けない私の方こそ恐縮してしまった。



1/23    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ 頭が痛い。もしもの事を考えてしまう。早く病院に行けばよいのに・・・



1/22 絶不調。身体中が何だか可笑しい。まるでやる気が起こらない。風やインフルではない。でも、負けるわけにはいかない。摂生・休養につとめなければ・・・・



1/21 一眼レフのカメラが欲しい。コンパクトデジカメは、記録やスナップを撮るには本当に便利である。しかし、ここぞと思う時には、ちょっと物足りないのは言うまでもない。でも、そんな機会は年に何回あるだろうか・・・  そして、保管に気を配らなければならないのには閉口する。

 お天気の悪い時には出番がないし、重荷になるだけとなる。雨の日も雪の日も撮り続けるには、コンパクトデジカメがあれば充分。でも、気取って撮って見たい時がある。欲しいなぁ~。もうちょっとで買える機会が、何度かあったが、その度に他の物の方に向けられてしまい。未だに買えない状態である。

 余程の事がない限り買えないであろうと思っていたが、少しだけ希望があった。それはプレゼントである。でも、その選から漏れて没。(当たり前であるが・・・ でも、もう、一寸だったんだ! 本当に残念でした。)



1/20 先日の小佐波御前山の山頂で、後からやって来た 「ヤブのまっちゃん」 に、「元さん、HPのマンネリ化はダメだよ・・」 と言われた。突然の提言に 「えぇ~っ」 とか、「長くやっているもので・・」 などの言葉で濁してしまったが、その意味は何だったのかと考えてみた。ちょっと前、誰かからも 「元さん、最近弱きだね・・」 とも言われた事があるが、同じ意味なのだろうかとも思ってみた。

 更新が遅れている事は確かであり、同じ事を、くどくど綴っているのも確か。でも、同じ山に登っていて、「そうそう真新しい事も書けないじゃない。」 というのは、自爆的過ぎるかな。・・・・・ 当欄は、「戯言・呟き」 で、紀行文ではなく、言わば私の憂さ晴らし的なコーナー。それを他人様に見て頂いているのであるから可笑しいのかもしれない

 他コーナーにある紀行文の中身にしても 貧弱で情報の意味をなさない。それは重々承知している。でも、今や他のHP(私の山仲間)に充分すぎる程の情報があり、私が気張る事などあまりないように思っている。何か違った事を思っても、この頭では良い案など浮かぶわけなどない。 面白い事も綴れないし・・・

 「力まないで気楽にやるさ!」 「継続に力点を置いている。」 などが、「弱き!」 に映るのかもしれない。「情報が遅い。」 や 「写真中心」 がマンネリ化に取られているのかもしれない。「この歳になって・・」、という言葉はあまり使ってはいけないと承知しながら述べるが、今更自分を褒めてどうなる。他人様を褒めて自分を貶しておけば、大体上手くいく。  その程度に思って頂きたい。 

 そうだ!ボヤキのコーナーに模様替えしようか・・・



1/19 私は寒がり屋のくせに、山では意外と薄着である。降っておれば別であるが、夏と比べて、半袖の下着が長袖になり、ポリエステルのズボンがフリースになるだけ・・・ それが家に戻ると、タイツやフリースの上着など、考えられないほど身に纏うのである。

 昨日の黒菱山・焼山・大鷲山に際しても、汗を掻くのがイヤで、いつもと同じものを纏っていた。風が強くなった稜線で、ジャケットを纏ったが、ズボンはそのままであった。焼山との分岐から黒菱山に向かう途中に、突然太腿が攣ってしまった。まるで丸太にでもなったように、カチカチになったのである。

 スノーシューの締め直しが、複線となったようであるが、恐らく強風で冷えてしまったから、攣ったものと想像している。それが両足に至っては、どうしようもなくなってしまった。脹ら脛が攣れば 「前屈」、太腿が攣れば、「座って後に反り返る。」 方法を用いていたが、先に行く仲間に遅れをとってはいけないし、あの寒い中、スノーシューを外して、先のような解決法を取るわけにいかなかった。

 温めるためと、攣りを和らげるために、足を高く上げながら前進していると、意外にも痛みが和らいだ。「歳を取ると・・」 と頭を掻いて、その症状を悟られまいとしたが、あの状態では、オーバーズボンを纏わなかった自分の落ち度だと後悔している。「どこで何を着る。付ける。」 の判断を誤って、重大な事故に繋がらないとも限らない。反省しきり・・・  (若くない。今までは、何ともなかったでは、もうダメなのである。



1/18 最近は、「好山病・・」 の企画や連絡を北ちゃんにお願いする事が多い。今回は、予報と睨み合いながら、ギリギリまで行き先を模索する事もあって、私がその役を受ける事になった。しかし、ハレルヤ山行から戻って、PCを開くと、「明日は?」 のメールが届いていた。午後6時になっても、連絡がないのであるから、せっかく休暇を取った人からみれば、それはそれは不安であったであろう。

 前日は予報が外れ、思わぬ晴れ。今日も午前中は晴れ。のち曇りで、いつから雨になるかであった。一昨日、長勢・岩城君達が黒菱山を選択した際、「大鷲山は好山病・・にとっておく。」 と嬉しい話を耳にしてしまった事もあり、今回の候補の一座にも上げていただけに、即大鷲山行きとなった。

 そこまでは私の役で、ルートは若い衆に任せておけばと思っていたら、「大鷲山」 に 「黒菱山・焼山」 がプラスされた。いっぺんに三座を登る事が出来れば最高であるが、一昨日のトレースがあるというものの この時期であるから、一抹の不安がなかったわけでもなかった。

 でも、私さえしっかりしておれば、後のメンバーは健脚揃いであるし、各々に皮算用はあったようである。黒菱山への稜線は素晴らしい。風が強くても、疲れが出てでも吸い寄せられていくのであるから・・・・ この時期、流石に大地までは無理であろうが、高ぶる気持ちを、「また出直して行きたい。」 に換えなければいけなかった。

 焼山も風が強く食事処には適さず大鷲山との鞍部付近にそれを求めた。風がないところと思っても、風がすぐに舞う。あっという間に、背丈ほどのシェルターを掘ってくれたので、それ程の寒さを感じなかったが、でも、ヒューとくれば、身が縮こまる。温かい鍋が三つもあり、これでもかと食べた。食べられるから、皆は強いのかもしれない。

 食事処(鞍部)発が午後2時。大鷲山への登りを見上げると、「えぇ~っ」 となるが、焼山に戻るとなると、それどころではない。でも、長勢・岩城君達は凄かった。あっという間に大鷲山に到達したのである。心配した大平集落(車デボ地点)には、余裕をもって降りる事が出来た。(午後4時)

 

1/17 積雪量や駐車スペースを考えられて、ハレルヤ山行に小佐波御前山を選択されたのは誠に賢明であった。初お目見えのお二方を含め12名の参加で相変わらずの大所帯である。猿倉山を過ぎると、しばらくして、カンジキ・スノーシューのトレースが消えた。また御前山近くで、スキーのトレースも消えた。

 それからが楽しいところ。代わる代わるのラッセルに、激励とヤジが飛ぶ。体力に見合った程に頑張れば良いものを、我々の世代、あるいは、ちょっと近い者達は、良いところを見せたい、いや、限界に挑戦と頑張ってしまう。でも、笑われるかもしれないが、日頃の老廃物が、いっぺんに何処かへ吹っ飛んでしまう程に、気持ちが良いのであるから・・・

 と言っても、若い者に道を譲り、口だけが達者。それがチームワークとなっているのかもしれない。4時間ほど掛かって求めた食事処は、最近展望台と言われる所。そして、食事の中身が凄かった。堀シェフの 「寄せ鍋中華風」 である。お椀と箸だけを持ってこれば、それで良いくらいにお腹を満タンにしてくれた。



1/16 今日は、とても良いお天気だった。明日や明後日に、変わっておれば良いのにと思う程であった。大雪は峠を越え、気温は少しずつ高くなり、雪は来週末までないような感じである。しかし、このところ、騙されている予報だけに、必ずしも、そのようになるとは思っていないが・・・

 本当の北陸の冬は、雪が降るか降らないかであって、雨が降るなどなかったような気がする。だから、この程度の雪に驚く事などないのであるが、慣れとは本当に恐ろしいものである。最も、極若い人達は、最近の冬が、当たり前になっているのかもしれないが・・・・

 さて、明日のハレルヤ山行(小佐波御前山)は、14名の参加と聞いている。私にとっては、初対面の方もあるらしい。ロートルは、そっと、後から着いて行くのが一番良いような気がする。



1/15 明後日(1/17)は、定例のハレルヤ山行である。このような大雪では、幹事が大変である。行き先を決めるにあたって、お天気と共に駐車スペースを考えなければいけないからである。それにしても、参加メンバーが増えれば増える程楽しいが、全体を掌握しなければならず、苦労が着いて回る。

 大雪が一段落するらしいが、通常ならラッセルが待っている。前日に猛者がおれば、楽だがちょっぴり寂しくなる。どちらにしても、歓声が大空に、こだまする事は間違いない。



1/14 良しと思ってやった事や、良いと思って言った事が受け入れられなかったら、ショックでなかなか立ち上がれない。でも、世の中にはそんな事が多くあり、本当に面白くない。面白い事と、昼間のお化けには、なかなか会えないと、親からよく聞かせられた事を思い出してしまう。

 小心者には、そのダメージを引き摺ってしまうが、大物は、それを肥やしにして、大きくなっていくようである。しかし、それを羨んでも、出来ないものはしょうがない。時たま、そのような者にも、光が当たる事や、物好きな方が現れたり、人生は面白くなる。

 「人生帳尻が合う。」 などは、この辺から来たのではないかと思う程である。やはり、「辛抱」 とか 「継続」 とかが大事なのかもしれない。でも、耐えられない。「人生不可解なり。」 などと悟れる人間とは程遠い。



1/13 雪は、しんしんと降り続いている。まだ降るようである。昔は、このような事は当たり前で、今更驚くような事ではないハズなのに、慣れとは恐ろしいものである。その慣れも楽の味(除雪しなくてもよい。)を覚えてしまっているのであるから、歳を重ねた現在、辛いものがある。

 山はこれでよい。今まで暖冬・少雪の所為で、日照時間の短い1月には行けなかった奥深い山にも届いた。最も、装備の充実や山仲間の増員などの要素がなかったわけでもないが、これだけ降れば、ちょっとやそっとで行けなくなる。駐車するにも苦労するのであるから・・・・

 でも、止んでしまえば元の木阿弥。やはり少しずつ降って、”聖域”なるものがあれば、夢が保たれて良いような気がするが、私だけの戯れかもしれない。



1/12 PCの前に座っていないわけでもないのに更新が遅れる。そして、誤字脱字は言うまでもないが、消し忘れやコピーのしぞこないなど、自分ながら目を覆わなくてはならない時がある。時たまならいいのであるが、ちょいちょいでは本当に困る。最近は眠くなったら寝るように努めているが、それでもと思ってやっている時が一番危ない。

 こんなのでは、人様に公開していても良いのかと思うのであるが、覗いて下さる方々は、日常茶番時だから、「またか・・」 「ハハハ・・」 で終わっているようである。(「指摘しても始まらない。」と思っておられるようである。) そんな事で、腹を括ればまだ延命の余地はあるような気がする。



1/11 昨年末に吉峰山へ一緒に出掛けたというものの、久々のeiko女史の登場とあって、北ちゃんは 「大双嶺山」 を選んでくれた。祝日を兼ねるから、どこからか声が掛かるような気がしていたら、BOWさんの計らいで、金沢から4名の依頼があった。

 「物足りない歩きになるかもしれないが・・」 を承知して頂いての参加であったが、雪山デビューの女性もおられ、ちょうど良かったかもしれなかった。志向を凝らしたルートで、一日中歓声がこだましていたような気がする。登りに2時間。設営も含めて山頂滞在が2時間。下りが1時間半だった大双嶺山は、また想い出に残る登山になった。



1/10 明日は祝日だから・・ 合同パーティーになりそうだ。お正月休みもそうであったが、私の休日に祝日が重なると、日頃考えられないような方々と、ご一緒出来る事がある。小心者の私は、戸惑いがないわけもないが、その出会を大切にしたいと思っている。

 会々気合いであるから、何とも言えないが、一度だけの出会でも、ずっと友達でおれる事もある。明日は、お三方が初対面となるが、何だかワクワクしているような気がする。ちょっとは、若返られるかもしれない。



1/9 ムコ殿がやって来た。「富山の友達が自分が高岡に来る事を知っていた。」 と漏らした。今度は娘が 「長期滞在なの?」 とのメールが、友人から届いたとも言った。「どうして・・」 と今度は私が尋ねたら、どうも私のHPからの情報のようである。

 「どうして、私のHPなのだろうか・・・」 の問いには、「学生時代に、父がHPをやっている。」 と言った事があるという。それにしても、随分時間が経っているのに、よくも見て頂いているものだと感心してしまった。ましてや、山に興味がない方だとすれば、面白くないハズなのに・・・



1/8 「元さん 元気がないのでは・・」 「ちょっと、しょぼくれいるのでは・・」 のコメントが届けば、「イヤイヤ、それは立て前で・・」 と、言いたいところであるが、「歳だもの。」 が口から出てしまう。本当は一番イヤな言葉のハズなのに・ ・ ・ ・ ・ ・

 「歩けなくなる。」 不安がいつも付きまとう。経済的・時間的に行けなくなるのはまだしも、身体が可笑しくなればどうしようもなくなる。自ずと無理・過剰・突進・自慢(傲慢)の言葉が遠のき、自重・謙虚・冷静が頭を持ち上げて来る。

 いろいろな事に感謝しながら、自惚れずに徹してみたいが・・・ でも、明日の事など分からないし、思い通りになった事などない。



1/7 「志気が上がらない。」 「何が何でもを改めよう。」 と言いながら、今年も休日は相変わらす山に出掛けている。でも、きっと、これから内容が変わって行くであろう。お正月のムコ殿は、実家の諏訪に寄ってから、来高する予定であったが、生憎の大雪で大糸線・信越線が不通になり、離れて暮らしている妻子(娘とヒメ)に会う事が出来なかった。

 そのムコ殿が、今度の三連休にやって来る。ほぼ一ヶ月ぶりである。しかし、帰京日が私の休日(11日)に重なるので、意義を唱え、金土日月の予定を、土日月火に変更してもらった。充分に 「山に行けなくなるから・・」 を理解してもらったと思っているが、今度は、やっぱり、「夕食は一緒に・・」 を外すわけにはいかない。外食をするわけではないが、気持ちだけは伝えたいからである。

 子達に、「私の休日に帰って来るな!」 と言って来たが、これも段々と崩れていく事も、私の山行事情となっていくに違いない。「いつまでも若くない。」 と分かっていても、「もう少し・・」 とおかしな先延ばしとなっているようである。



1/6 You Tubu から画像はいらないが、音楽だけ取り入れる事が出来ないかと思っていたが、なかなかその手解きを得る機会がなかった。それはそうであろう。何度聞いても理解できず、挙げ句の果ては忘れてしまうのだから、誰がこんな厄介者に時間を割いてくれよう。

 「車の中で聞きたい。」 「仕事中のバックミュージックにしたい。」 が初期の目的であったが、車のプレーヤが壊れ、家中のプレーヤーも、時々ストを起こす状態に、「まあ~、いいや!」 になっていた。

 そんな折、帰省中(家中)の娘から、「You Tubu 音声保存法」 の件名で、「URL を送ります。 明日、インストールしましょう。」 なるメールが送られて来た。この気を逃してはと、早速手解きを請うたのであるが、intunes や MP3 などの横文字が出て来て私を悩ませた。また手順もすぐには覚えられず、「今日は、そこまででいい。」 と言ってしまった。私の問い方に、「意味不明」 などと言われると、悲しくなるが、今回は今までと違って、ちょっと優しく教えてくれたような気がする。  が・・・・・

 親子で、教える教えられるのはとても難しい。他人には優しく出来ても、親や子には冷たく声も荒くなってしまうのは、「頼る。」 「甘える。」 があるからかもしれない。「あの時もっと・・」 「どうして、あんな言葉で言ったのだろう。」 と後悔しているのは私だけではあるまい。

 とにかく、多くの曲がフォルダーに入って、順次私の選んだ曲が流れているのだから気分がいい。でも、フォークを始め古い曲ばかり・・・、でも、好きなんだからしょうがない。



1/5 ねぎちゃんが素晴らしい写真を持って来てくれた。昨年の県展入選作 「一縷の光」 は、冬の上高地・田代池を撮ったものである。私の小さなデジカメで撮るものと違い本格的なものだけに、ずっと眺めていても飽きる事がない。

 最も、何度も通い、また、技量が伴っているのであるから、当たり前と言えばそれまでなのだが、写真を撮る意気込みや姿勢が、並々ならぬものを日頃から感じている。時折、冗談じみて、「元ちゃん、本格的にやったら・・・」 とか 「一眼レフを買ったら・・」 などと、けしかけてくれるが、道を究めるという事は、どれだけ大変かという事を、少しは知っているつもり・・・     私は、山をこよなく愛し、それを見事に撮るステキな仲間を持っているだけで、自慢出来るし嬉しく思っている。



1/4 「まだ行かんがけ・・」 と山ノ神に言われるほど、今日はゆっくりしていた。「お天気がいいのに・・・」 の思いがあったのだが、 毎日毎日ジムでも通うように出掛けるのであるから、ちょっとは出にくかった。また、HP更新を怠っているし、賀状の返事など、やる事はたくさんあったハズ。

 山ノ神は、娘からの一撃を受けて、やっぱり出にくいらしいが、私の方は、「男が家にいて何をする。」 を口実に、車へ乗り込んだ。本当は、もっと行きたい所があったが、後々の事を考えて、理解されやすい?無難な山行となった。

 猿倉スキー場発が午前11時20分であったから、今日も遅い出発である。トレースがあった所為もあるが、カンジキ組2パーティー3人、スキーヤーを1人を抜いて、御前山頂に着いたのが1時間20分後の午後0時40分頃。午後2時過ぎまでなら、先に進んでも大丈夫と思っていたが、トレースなしの林道歩きもあるし、いい加減に家に戻りたい気持ちもあったので、お天気の良い御前山で、ゆっくりする事にした。

 カップ麺を食べたり、コーヒーを沸かしたりしていると、あっという間に1時間が過ぎてしまった。時間も体力も余力を残して家に戻りたかったので、それなりの歩きをして、猿倉山に戻れば、「え~っ、何で・・」 「どうして・・」 と思った程に、橋ちゃんとマキちゃんがスキーでやって来た。

 2人とも、仕事や所用で午前中がダメだったとか、ちょっとでもいいから、山に、そして、滑りたかったのであろう。」 彼らは、私以上に好山病に掛かっている重症患者のよう。でも、それは、何だか嬉しい事に思えるのであるから、私も可笑しいのかもしれない。今日は、3時間程度の山中であったけれど、私には、これくらいが、ちょうどいいのかもしれない。



1/3 滑川集合が午前8時、意外と身体が楽な時間であった。ちょっと夜更かししても、早めに起きても何かが出来るからである。虎谷山は標高が700m足らずである事から、ヒョイヒョイ行けると高を括っていたが、意外と骨を折った。

 ネコ君の企画に10名、そして、後発隊が4名の計14名が集った。噂の岸君、今売り出し中の浜ちゃんの参加で、ラッセル隊の両輪が揃った。そこに、ネコ君と岩城君が加われば、四輪駆動という感じであった。もう一人の実力者・北ちゃんは、カメラマンに徹してもいいくらいであったから・・・残りの方々は、来賓扱いというところだったかな!

 山頂近くで、顔見知りの別パーティーのトレースに肖り、ちょっぴり楽ちんが出来たとの四輪駆動車達の弁があったが、本当かどうかは分からない。14名が揃ったところで、山頂直下の東側で4枚のタープを連結しての食事処は圧巻。そして、ちょっと控え目であったのであろうが、宴が催されたのである。

 そして、その後が凄い。力の余っている若い力が、2mの積雪を物ともせず掘り下げて、三角点を見付け出したのであるからたまげてしまった。その後の記念写真が面白い。まるで温泉にでも浸かっているかのようであるから・・・



1/2 やっぱり志気が落ちている。大糸線・信越線が不通になったためムコ殿の来高がなくなってしまったが、キャンセルしていた虎谷山へも足が向かないし、恒例の牛岳にも、「それ~っ」 と身体が動かなかった。

 でも、「休日は家に・・」 など近年ないだけに、所用を済ませてから牛岳に向かった。この時期の登り始めにしては、ちょっと遅い午前10時。山頂まで届かなくても良いから、ゆっくり登ろうと思った。スノーシューのトレースがあり、雪量の割には沈まなかった。

 5合目付近で、颯爽と滑り込んでくるスキーヤーがあった。4年前大品山で、「元さん」 と声を掛けて下さった Dr・sinokawa(高岡カラコルムクラブ所属)であり、僅かな時間であったけれど、その再会に顔がほころんだような気がした。

 スノーシューとカンジキの男性が、同じ頃降りて来られたが、それからはそのトレースを辿るが、ヨタヨタしている割には、意外と時間が掛からないような気がしてならなかった。ところが、午前11時半頃から、風が強くなり雪が伴ってきた。当初は、午後1時をメドとして登り始めたが、悪天が足を速めたような気もしないでもなかった。

 飲み食いもなし・・唯、黙々と歩いた。「こんな事をしていていいのか・・」 「いつまでこんな事をやっているのだ・・」 「まだやる事があるのでは・・」 が頭を過ぎる。「何も考えないで登る。」 などは私にはない。疲れ果てて、何も考える事が出来ない状態にでもなれば、いいのかもしれないが、それもつらいなぁ~。

 他愛のない事を考えていたわけでないが、小さな雪庇を踏み抜いた。大地の事を思えば1~2mくらいだから何でもなかったが、山頂近くでまた裂けた。まるで私の前途を象徴しているかのようであったが思い過ごしならよいのだが・・・・

 山頂で手袋を外して、数枚シャッターを切っていたら、手が、かねころ(つらら)のようになってしまった。20分程過ごして午後1時に山頂を発ったが、何も口にする事などなかった。ザックの中に、いろいろな食材が入っているのに、全く食せず持って帰ったが、それは非常食であり、健康には一番良いのかもしれない。

 家に帰れば除雪作業が待っていた。終えた後入浴しようと思っていたら、北ちゃんから、虎谷山は大雪で中止となり、明日に変更となった旨の連絡あった。万難を排して参加するとした。



1/1 新年おめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。「今年の目標は・・」 と聞かれれば、とりあえず、2月までHPを続ける事。(開設満10年になるから・・) その先は、その時点で考える事にした。当たり前の事なのに、「人生思い通りにいかない事を改めて痛感した。」 から・・・

 新年から悲壮感が漂っているように感じられるかもしれないが、差程今までと変わらない。「自分の好きな事を・・」 「自分の思いのままに・・」 を、「邪魔にならないように・・」 や、「控え目に・・」 と、ちょっと大人になろうとしているだけ・・・

 二上山に登った。元日登山を始めてまだ7年目。親戚への挨拶もあったが、昭和42年から続いている新年会(高校時代の同級生の会=管鮑会)があるため、どうしても、山に行けなかったのである。時は流れ、母が亡くなってから親戚への挨拶を省くようになって、近くの二上山に出掛けられるようになった。そして、4年前から新年会の開始時間が、少し遅くなった事で、低山ながら少し足を伸ばせる事になってきたが、今回のドカ雪では、二上山が適当と判断したのであった。

 二上山も冬に登れば冬山。雪がある時に登れば雪山。標高274mであるが、四季を通じて登れば結構楽しく、ステキな山である。