3/31 親戚に不幸があった。親戚と言っても私から見れば、姉のダンナの兄で遠縁になる。その葬儀に「参る。」 「参らせない。」 のトラブルが起きそうになった。過去にいろいろな経緯があったのであろうが、故人の姪に当たる人が、「どうしても参りたい。」 と部外者の私に相談があった。「貴女の思うようにすればよいのでは・・・」 とアドバイスにならぬアドバイスをした。

 「村八分」 という言葉がある。残りの二分は、「火事」 と 「葬儀」 である。火事は、仲間外れとは言っておれないし、葬儀は、最後の別れとなるからであろう。ガード付きのお参りになったが、当事者には何も起こらなかった。以前の事が教訓となったのか、人の道を感じたのか・・・・ お互い一歩下がれば、揉める事もあまりない。被害妄想気味の君も改めて頂きたい。



3/30 習慣とは恐ろしいものである。月二回のキャンプ計画を立てて、お天気や所用などのハードルを越えられるのは、ようやく一回行けるかどうか。今年は、それどころか、今のところ皆無であるから、それも、「行かなければ・・」 の欠如が大のような気がする。今回行けなかったから、次回に期待するものだが、そんなもんだと妥協をしてしまう恐ろしさである。

 「何が何でも・・」 もバカげているが、「そんなにしなくても・・」 の方が、ダラダラとなるから怖い。いつ何時、娘から援軍を求められるか分からないし、行ける時に行っておかないと、なし崩しになりかけない。グレードの高低は別にして、次週は何としても行かなければの気持ちになっている。

 特別の目的がなければ、やはり一人では寂しい。同行の士を求めるとなると、やはり「山ノ神」 しか思い当たらない。「君の分まで担ぐから・・」 だけでは、首を縦に振るわけがないし、自ずと「好きなお酒・ビールを、たくさん持って行くから・・」 の条件を出さなければならなくなる。今のところ、晴れマークが並んでいる。



3/29 セットした目覚ましが午前4時になった。細かい雨が降っていたが、PCで雲の流れを見ると、次から次へと雲が流れてくるが、「悪天」 になる感じではなかった。しかし、昨日から志気が落ちている私は、また布団に潜り込んでしまった。うつらうつらしながら、ハッとして、時計に目をやった時には、北ちゃんとネコ君とで行く 「大地」 には間に合わない時間であった。

 山ノ神は、起きないながらも、「猿山の雪割草」 を念仏のように繰り返したが、私は行かないと頑として聞き入れなかった。「一人で行って来たら・・・」 と言ったが、一人ではあまり乗り気にないらしく沈黙となった。山ノ神が一人で出掛ければ、私なりの思うところがあったが、それでは山しかないとなってしまった。

 「行くぞ。」 となったのが、午前8時頃であったろうか、出発は午前9時になってしまった。また、「「何が何でもはない。」 を裏切ってしまったが、行くとなると、定番の牛岳や千石城山ではない所を求め、9年前に出掛けた尾洞山に矛先が向いた。

 登山口は、利賀の阿別当である。そうなると利賀街道でなく156号線を走りたくなり、山ノ神トンネルを経由となった。阿別当に至と、9年前の事はもう忘れており、登山口を見付けるのに右往左往したが、GPSと言うものを使えば、いとも簡単にそこに辿り着く。

 庄川小牧を過ぎたところから雪となり、阿別当に来た頃には積雪となった。前日、いや、もしかしたら、前々日からの積雪は、山頂を目指すに20~30㌢は確実にあった。吹き溜まりなどは、膝下にまで達し、流石豪雪地帯だと思わせるものであった。

 これでは、山ノ神共々、北ちゃんやネコ君に付いていったら、大変な迷惑を掛けたのではないかと、今回の選択に正当性をこじつけ、勝手に胸を撫で下ろしていた。降雪の中、山頂では、当然の如くシェルターを造るのであるが、前週の黄砂と思われる層が50㌢くらい下に現れた。

 展望も何もない山歩きであったが、それなりに静かな山を楽しんだ結果になってしまった。出来ればレベルをUPして、仲間に付いていける山行にしたいに決まっている。でも、叶わぬ時は仕方ないのであるから、自分達のレベルに合わせるしかない。

 尾洞山は、越中の百山である。今日は、一日中雪が降り続いていたが、お天気が良ければ差程問題もなく簡単に登れるような気がする。そのような山を登って、帰路は、いつものように利賀中央に出て、利賀街道から帰った。ドライブのような山行であった。



3/28 明日は、「何が何でも・・ にならない日となるのか?」 そんな雰囲気が漂っている。「山ノ神」 は、「そんな事はない。」 と信用しないが志気が上がらない。そんな折、仲間から誘いがあったが、最近の雪質からして、山ノ神には、ちょっと辛い感じに思え断りを入れた。

 お天気の事もあるが、とても猛者達と歩けそうもない。(特に下り。) とはいえ、先週も山に行っていない山ノ神を置き去りにするのも、「ちょっと可愛そうかな。」 と思ったりもしてしまった。それでいて、当の山ノ神は、猿山の雪割草を狙っているみたいであるから話はややこしい。

 でも、私は、猿山へは行くつもりはないから、やっぱり山へ行ってしまうのかもしれない。翌朝、目を覚ましてからの判断になるが、どうなるのか私にも分からない。



3/27 「趣味がない。」 「趣味を探さなくては・・」 という人が意外と多い。だから、「今度の休みをどうしようか・・」 「朝からテレビを見て・・」 をよく聞く。それが、「歳を重ねる毎に、友人が減り、外に出るのもおっくうになる。」 パターンのようである。

 「何をしようかなんて、もったいない。」 そのような時間があったら、譲って欲しいと思うくらいである。(お金も欲しいけれど・・) そんな事を思うと、周りにいる仲間達と共に、私達は本当に幸せ者である。何たって行きたい所、したい事が、いっぱいあるのだから・・・

 後は、そんな事が、いつまで続けられるかに掛かっている。外で遊んでいる者が、家中で静かに過ごしている方より、元気でいられるとは限らないが、少々のリスクを負っても、したい事(好きな事)が出来ればと思っている。

 元気な人には、元気な人達が集まって来る。私は、もうそのような枠組みから、外れていると思うが、「準元気者」 とでも言えばよいのか、その域に止まれるよう気力・体力を鍛えなければと思っている。であれば、まだまだ、声を掛けてもらえるような気がする。穏和で邪魔にならないように配慮しながら・・・ そして、そろそろ山以外の事にも、目を向けながら・・・・



3/26 友人・知人のHP、そして、比較的興味のあったHPの中に、ずっと更新していないもの、最近になって更新していないものがある。その事に、とやかくいう事など毛頭ないが、「どうされたのかな。」 と思ってしまう。

 「時間がなくなった。」 「体調を崩された。」 「嫌気がさした。」 など、その方の事情は様々だと思うが、同じHPを続けている者にとって些か心配である。そして、自分自身の事と対比してしまう。「飽きる。」 「詰まる。」 から、「何で・・」 とまでなったら厄介である。好きな事をしながら、「何でこんな事を続けなければならないのか・・・」 になるのであるから。

 山に限って申せば、始めは楽しくてならないのであるが、その内、HPのために登らなくてはならなくなる。「新しい事を探して・・」 「面白い事を求めて・・」 に、エスカレートしていくような気がする。気張らないで、「なるようになれば・・」 「適当でいいよ。」 になればいいのであるが・・・

 私も開設満10年を経過して、それが人生の1/6だと言われれば、「え~っ」 となる。充実していた時間か、それとも無駄に過ごした時間かはわからない。唯、何でも長く続けていると、記録的な価値はあるように思う。それが歴史というものであろうか。

 最近、ブログばやりである。ブログなら簡単に出来るのではないかなどと思ったら大間違い。コンテンツが少ないだけ、行き当たるような気がし、尚更大変のような気がする。他の人がやっているのは、何でも易しく思ってしまうが常。唯々、辛抱とか修行とかではないような、何かが見付かればいいのに。



3/25 「一年に一度は初雪山へ・・」 の気持ちは持ち続けているが、タイミングというものがあり、なかなか思うようにならない。適期は限られているし、天候・休日などを考えると、そう多くの機会はない。また雪質によっては苦戦を強いられるし、早い時期は日照時間が短い。遅い時期もあるのだろうが、美しくない初雪山を見たいとは思わない。

 ともあれ節目の10回目となった初雪山であるが、この先は分からない。節目を20回にUPしても、余程の事がない限り無理であろうが、大地までとなると、適期が広がり50回も夢ではない。こんなたわいもない事を考えている自分が可笑しくてしょうがない。



3/24 「雪目」 には参った。ずっと目を開けておれないのだから当然仕事も出来なかった。目薬をして気を休めるのが精一杯だった。夕方に少々落ち着かけたので、何とかちょっとばかり仕事が出来たのだが、山ノ神には、一日中、頭を下げっぱなしであった。

 昨夜は、片目を瞑りながら、HPの更新をしていたが、一眠りした今朝は、随分症状が良くなり、仕事への復帰が叶った。でもまだ、目は充血しており、少々コロ付きがある。左目より右目の方が大きいはずなのに、右目の方が小さくなって見えるのは、今回の事で、二重が奥二重になっているからなのかもしれない。どちらにしても、真っ黒の顔は仕方ないにしても、仕事が出来るようになって良かった。下山中、何度も転んだが、「膝などを含め痛みなどがない。」 のが救い。



3/23 昨夜は、少し目に違和感があったが、それ程でもないと思っていた。しかし、今朝は右目がコロコロし、真っ赤に充血、尚かつ目が開けづらくなってしまった。雪目である。晴天の大地・初雪山を歩いていて、日焼け止めクリームを忘れたり、サングラスを用意していなかったのであるから、ある程度は、「やられるな。」 とは思っていたが、しかし、これほどまでに辛くなるとは思ってもいなかった。何もかもが退化の一途であるのだから、より慎重にならなければと思いを新たにさせられた。



3/22 鉢巻山から戻ってから、「明日は用事が出来た。一人で山に行ってもよい。」 と山ノ神からのお達しがあった。年に一度は初雪山への思いが前々からあったが、なかなかタイミングが合わなかった。明日は大崩れしないと思うが、晴れの確信はないのである。でも、雲の流れからして、晴れるような気がして行く事に決めた。

 用件は違うが、岩城君からのメールの文末に 「初雪山に行く。」 とあったが、それを知ったのは、夜半過ぎであったし、勘違いからか、私がハレルヤに行くと思っていたらしく、彼の誘いも記せられていなかった。相当早く起床したのであるが、いろいろやる事があり、予定していた時刻から1時間も遅れてしまった。

 一人で行くとなると、食材から用意しなければならず、夢創塾発が午前7時になってしまった。朝日小川ダムからの合流点でトレースが現れたが、果たして、岩城君と文さんのものか分からない。単独行であるし、樹氷群と戯れながらでも、大地山頂10時には着く事が出来た。

 山頂からは、初雪山への途中のピーク(1223㍍萩ノ谷三角点)へ向かう二人を確認し後を追うが、なかなか差が縮まらなかった。山頂直下(白金ノ頭との分岐)でようやく追い着き岩城君と文さんである事が確認出来た。絶景の初雪山頂であったが、いつもの如く、ブリザードのような地吹雪に、いたたまれなくなったが、固い雪にシャベルを立ててしまった。小さくても寒さを凌ぐには充分であった。山頂での拘りは、一人では到底及ぶに至らなかったと思うと、実にハッピーだった。往路は沢山の話が出来て、これもハッピーであった。



3/21 起きて車を見てびっくり。(砂だらけ・・) 集合場所の砺波ICから、鉢巻山の登山口に行くまでは、まるで夕方を思わせるほどに霞んでいた。(ライトを点けての運転。) そして、雨である。こんな時でも山に行く仲間11名が集った。

 その雨が雪へと変わったが、このところの暖かさが続いたからであろうが、雪の着きが悪くヤブから始まった。視界が悪ければ当然の如く展望もない。黄砂の関係で山肌も美しくない。それなのに集うのは、月一度、皆の顔が見たいからに違いない。私自身、今回不参加の予定であったが、予定変更から、急遽前日になってから、参加を申し込んだくらいである。荒れるというのに・・・



3/20 都合が悪くなって、ほったらかしなっていたガソリンコンロ2台を、岩城君に直してもらったのであるが、それをまた、ほったらかしにしていた。それではいけないと思い、ちょっと取り出して、動かしてみようと思ったのであるが、「さて、順番(行程)はどうだったけ・・」 と考え込んでしまった。

 冬場は火力が一定で、使い勝手が良かったし、キャンプの時などは、とろ火の酒燗にはうってつけであった。しかし、扱い方に問題があったのであろうが、暴発を繰り返したので止めてしまっていたのであった。それにしても、PCであろうが、どのような機器であろうが、ちょっと使わないと、その扱い方を忘れてしま程のボケようである。本当に困った。

 今日は風が強く、それを理由に、またしまい込んでしまったが、もっと真剣にやらなければ、直してもらった岩城君に失礼に当たる。



3/19 ハレルヤ山行が明後日に迫った。前日が、晴天で高温、そして、当日が、一日中雨の予報であるから幹事も大変である。思案の上、砺波方面の山に標準を当てられたが、集合時点で判断されるようである。

 私は、早々にキャンプ山行のため不参加を申し入れていたのであるが、その予定と全く重なるように大阪の二男が来高するというので、そのキャンプ山行を諦めた。しかし、先週末に仕事の都合で、どうなるか分からないと伝えて来た二男の動向を見極めながら、ハレルヤ山行の参加不参加は、ギリギリの判断となる。そこに、当日夕方から、もう一つ外せない用事が出来てしまった。

 パーティーの規律を乱す事も出来ないし、かと言って、他の山に行くのもどうかと思う。どちらにしても、お天気を見ながらになると思うが、本当はこの機会が、「何が何でも・・」 を止めるに都合がいいのかもしれない。でも逆に、「あいつは、山に行かないわけがない。」 が頭に重くのし掛かっている。



3/18 来年7月から地上アナログ放送が地上デジタル放送に完全移行されるようである。我が家は現在、向かいのビルの共同アンテナを利用させてもらっているが、地デジ放送完全移行日からそのアンテナを使用出来ない情報が伝わって来ている。そうなれば、自宅の屋根にアンテナを立てるか、ケーブルテレビに加入しなければならない。それ程テレビを必要としない私であるが、現在の生活パターンではテレビがないわけにもいかない。

 一年掛けてどちらかの方法を選択しなければならないが、東京の娘から、「まだエリアは少ないけれど、フレッツ光でも地デジ放送を提供しているようだ。」 の情報があった。この一年の間に、富山まで広がればいいのだが・・・



3/17 先日の小白木峰行きで、10mであるがザイルを用意した。(北ちゃんに担いでもらったが・・) それは、あわよくば白木峰への縦走をも考慮していたからである。しかし、台風並みの強風に曝され、あえなくボツとなったが、ピッケルなどの滑り止めも用意していた。

 何の心配もなくルンルン気分で行ける時もあれば、恐怖のあまり尻込みしなければならない時もあるからである。昨年は、ホワイトアウトに見舞われ、重荷(キャンプ用具)を担いで法面を歩いてしまった。また、何年も前の事であるが、斜度のある固い雪の上を歩くに付け、生きた心地がしなかった事があった。

 その経験をしている山ノ神が、白木峰を極端に嫌ったからでもあるが、「大丈夫だよ!」 と言うには、それなりの装備が裏付けとして欲しかったわけである。どのような事にも対処出来るとはいかなくとも、「準備しておけば良かった。」 にならないように心掛けなくてはと思っている。実力の違う大勢で出掛ける時は、尚更・・・



3/16 昨日の強風は、富山で27・2㍍、上市で26・8㍍を観測したそうである。気温も魚津21・2℃、富山19・1℃、高岡18・4℃を観測、フェーン現象は春の嵐となって、多くの人達に影響を与えたようである。 「もしかして・・・」 留守にした我が家の被害を心配したのであるが、高岡は、それ程の強い風とならなかったようである。

 いつもの事であるが、山で酷い目に遭った事を話するに付け、「そんな所へ行かなければ・・」 の言葉が返って来る。「酷かったがいね。」 「大変だったがいね。」 の言葉を待っているのかもしれないが、冷静に考えれば正しくその通りである。

 「甘いと言われれば」 それまで・・ どのような気象でも経験したいと言うのも正直なところ。でも、大自然の驚異も心しておかなければ・・・・ 「警戒」・「注意」・「予測」 そのようなものでは、太刀打ち出来ないのであるから・・・



3/15 「こんな日に、山に行くものか・・・」 と思う程の強風に見舞われた。モナカ雪の苦戦は、北ちゃんの強靱な脚力に助けられたが、稜線に出てからの台風並みの強風には、為す術がなかった。吹き飛ばされそうになった山ノ神は、私のザックにしがみ付き、こちらの方がバランスを崩す程であった。

 山頂ではやっとの事で写真を撮り、すぐに窪地を見付けて食事処としたが、その時点で、白木峰の縦走を諦めなければならなかった。あの風は何処へ行ったのかと思うほど、白木峰や仁王山を眺めながら、静かな時間を過ごしたのであるが、下山に掛かった稜線は、往路の風に負けないほどの強さであった。雪は降っていないのに、巻き上げた雪が顔に叩き付けられるのには些か参った。

 それでも、雨は大降りする事なく、まずまずの山行となった。出発時に顔を合わせた仁王山へ向かった二人の方々の車はもう無かったが、山頂まで辿り着けたのであろうか、それとも途中断念されたのであろうか、大長谷温泉に立ち寄った「ねぎちゃん」 の情報からは、お昼過ぎには、温泉で昼寝をしておられたと伝わって来たが・・・・



3/14 明日は、18~20℃が予想されるとてつもない高温。自動車道でも雪崩を警戒しなければならない。私自身小さな雪崩の上に乗っかった事があるが、それほど衝撃的な経験はまだない。しかし、道路を塞がれた経験は2度ばかりある。一度は、ブルに助けられたが、もう一度は、自力(シャベル)で脱出しなければならなかった。

 予報は午後からが怪しい。雨降る前に下山したいが、そう大降りになる事もなかろう。でも、自然は牙を出したら、想像も付かぬほど恐ろしい。それだけは心しておきたい。



3/13 先週も行けなかったし(行かなかったが正しい。)来週(3/21~3/22)は、息子の来高の情報があり山には行けないだろうし、今度(3/15)は、何としても、何処でも良いから付いて行くと山ノ神の意気込みは強い。しかし、候補を提案すると、必ずと言っていいほど、「えぇ~」 のイヤな反応である。

 でも、あの晴れマークを何処まで信じて良いのやら、やはりギリギリまで待たなければなるまい。ただでさえ速く歩けないのに、非常に気温が高い予想、その上、雨に追いかけられては、堪ったものじゃないから・・・



3/12 確定申告を終えた。相変わらずの長期低落傾向が続き楽ではない。私の努力が足らない事もあるから、あまり悩まない事にした。真面目だけでは、世の中を渡っていけない事もあるが、特別の才能もなく、 その道を歩んで行くしかあるまい。「どうせ思い通りにはならないのだから・・・」 そう悲観する事もなかろう。

 お金がなければ、ないような生活をすればいいし、付き合いが出来なければ、その回数を減らせばいいだけの事。!「何とかなるさ・・」! 自分のための風は吹かなくても、神様は、そんなに差別はしないであろう。ちょっとは妬んだりしても、過度の嫉妬はいけない。人への悪口は、ちょっとなら許されるかもしれないが、限度というものがあるだろう。それを越えれば、自分に跳ね返って来ると思っておればいい。

 身体の危険シグナルを感じていないわけはないが、幸い見た目では何とか保っている。一ヶ月でも、一年でも長く、この状態を続けたいのが今の希望である。「嘆き(ボヤキ)の元さん」 は、ここで吐き出して元気をもらっているのかもしれない。



3/11 先日の池ノ山のスタート地点で、ねぎちゃんのスノーシューのつま先にかかるバンド(ベルト?)が切れた。切れた所が先っちょで、なんとか金具に掛かったから良かったものの山用具のトラブルは、山行の断念、また、山中では、ちょっと大袈裟かもしれないが命にも関わる。以前、山ノ神のスノーシューが、大事な所の輪っか(金具)が切れ、弱った事があった。しかし、仲間から代用品が提供され難を逃れたが、今一度事前の手入れや確認が必要である。

 私もなるべく多くの小物を持ち歩いているが、全てとはいかない。プライヤーとかドライバーが欲しくなる時もある。パーティーなら分担できるが、単独行になるとそうもいかない。これも前の話であるが、カンジキが壊れ、意気消沈した事があった。冷静に考えれば、何とでもなったのであるが、その時は、慌てふためいてしまった。

 車の故障の事例などもそうであるが、いろんな事を聞いていると、結構助かる時もある。イザという時の事を頭に入れて置くのも悪くない。そのために、何を心掛けておけば良いのか・・・一つ一つが経験であり、諸先輩方に教えを請うのも満更でもなかろう。



3/10 「横岳と髙幡山」 「髙幡山と池ノ山」 「洞山と西新山」 「洞山・西新山なら唐堀山も・・」 「それなら大高山も・・」 などなど候補に上げながら、結局はお天気と突き合わせ、前回は 「池ノ山」 だけに終わった。猛者達は、とんでもない事を考え、いつも自分との限界に挑戦しているのではないのかと思ってしまう。そんなのに付いて行くのであるから、こちらはヨタヨタでいつも迷惑を掛けてしまう。それが、山ノ神にすれば尚更で、「私が行くと・・・」 となってしまう。

 こちらとて行きたい所はある。今年は、まだ初雪山に行っていない。その話題になると、山ノ神が顔を顰める。日帰りの長い歩きには、「一杯飲む時間がない。」 「また、暗くなってしまう。」 など不安がいっぱいのようで、もう少し、楽な所への誘導に懸命である。そのくせ、皆と一緒に歩きたいのであるから・・・

 自らの辞退はさておき、「それなら、行かなければ・・」 の言葉だけは絶対に言ってはいけない。肝に銘じている。



3/9 寒いのは敵わないが、3月の雪は歓迎である。下界は降ってもすぐに溶けるから、寒さだけであるし、そう長続きもしないのが常。願わくば、時々山にだけ降って欲しい。そして、自分の山行日でない時になどと、戯けながら充分を願う。

 先の金剛堂山の上部でも雪が無い所、少ない所が何カ所かあった。この時期としては、珍しい事のように思ったが、長い期間、降雪が無かった上に、高温・雨・風で溶けてしまったかのようであった。 これからが、山の最も楽しめる時期、快適に歩けるほどとは言わないが、程々に降って欲しいものだ。



3/8 幾つかの候補はあったけれど、結局は「池ノ山」 になった。私としては、「とやま山歩き118座」 の最後に登った山で、それなりに想い出の山でもあった。それ以来、ずっと登っていなかったわけだし、ましてや、今度は雪の山だけに興味深いものであった。

 これに、百戦錬磨の「北ちゃん」 が、どのようなルートを辿るのかも興味深かった。でも、東茂住からの林道を、すぐに離れて斜面を取り付くには、ちょっと雪量が足らず、私は、思わず 「これは、ヤブ漕ぎだ!」 と言ってしまった。

 池ノ山の標高は1,368㍍、取り付きが標高300㍍くらいであるから、標高差にして、やがて1,000㍍あるが、高度をあげてしまえば、感じの良いブナ林の中を歩くもので、そんなに辛いものではなかった。しかし、従来の固まった雪上に、新たな雪が25~30㌢積もったわけだから、急登場面では、スリップし手こずった所もあった。

 でも、冷え込んだ事もあり、樹氷が凄くきれいで、何度も立ち止まって、その雰囲気を楽しんだ。「赤谷ノ頭」 の時もそうであったが、そんな場面では、足を止めて「コーヒータイム」 として洒落込むようになった。ここに来て、ようやく大人の山歩きが出来るようになったのではとは、自分よがりであろうか・・・・

 最後まで期待した青空が顔を出す事はなかったが、あまり風もなく穏やかな山を味わったような気がした。下山時に、もう一度コーヒータイムを目論んだが、いっぱいのお腹に、小雪が止まなかった事も手伝いその機会を逃したが、それだけ早く車に戻った事となった。



3/7 今日の山沿いでは雪になったそうである。山中はどうだったんだろう。提案された山行計画に、「山ノ神」 が怯んで明日は不参加。もっとも、少し風邪気があるのだから、養生した方がいいのでは・・・

 明日の候補はまだ決まっていない。41号線のとある場所に集まって、天候を加味して決まる事になったらしい。果たして、お天気は味方するだろうか・・・



3/6 「今度の休みはどうしようか・・・・」 相変わらずの不安定な、そして、あまり良くないような予報であるが、月曜日だけが「曇り」になった。でも流動的は変わらない。本当は、「始めから荒れ狂うお天気にならないか・・」 などと心の底では思っているのかもしれない。そうでなければ、自分を納得させる事が出来ない 「弱~い人間」 なのだろう。

 暖かい日はそうでもないが、寒い風がヒューヒュー吹き始めると、「あまり行きたくない。」 となる。「ウソ、そんなわけないじゃない。」 の言葉も邪魔しているのだろうか・・・



3/5 「何が何でも・・」 を止めようと言ったくせに、依然と何らかの方法で山歩きは続いている。「雨はイヤ。」 特に雪山の雨はイヤである。でも、この山歩きは、スポーツジムに通っているようなもので、行かないとなると、何か他の運動をしなければならない。それを、ある一定時間続けなければとなると、それなら、少々濡れようが、山を歩いて来た方が良い(楽)となる。

 良いか悪いかは別にして、そのようなライフワークとなってしまい、そのスタイルを変更する方が、エネルギーを必要とするから厄介である。そのような悩み?を持つ人は私だけではないようで、正しく慢性好山病なのかもしれない。



3/4 先日、東北の船形山で70歳前後の男女3人の遭難騒ぎがあったが、登った事があるだけにそのニュースに目がいった。雪洞を掘って2日間を過ごしたらしいが、日帰り予定故に、食料は乏しかったようである。最後は耐える知識が奏功し生還に達したが、何もなければルンルン気分、一つ間違えれば地獄である。何事も慎重にそして、「備えあれば憂いなし。」 である。いつもの装備、もう一度点検しなければなるまい。



3/3 悪い予感はしていた。「私ダメ・・」 には、驚かなかったが、一番イヤなパターンだけに面白くなかった。何度も述べてしまうが、「遊んだ後は・・・ いつもより余計に頑張らなくてはいけないのに・・・・」 あの人の山歩きは、修行など頭中なく、喜びも悲しみも、そして、楽しみもいっぺんに使い果たしてしまうタイプである。「ずっと先の事を考えてどうする。」 「どうせ思い通りにならないのだから・・今が・・」 の様。もしかしたら、私達は、「アリとキリギリス」 なのかもしれない。

 土倉山・金剛堂山で思い切りシャッターを切ったのであるが、「これ・・」 と思うような画像がない。「白くて、飛んでしまった。」 感じである。今まで、ここぞと思った所で撮った写真で上手くいった事が一回もない。もちろん、その技量がない事は承知しているのであるが、「何とか・・」 と思ってしまう。撮れば撮る程、やはり勉強しなくては、その成果が出ない事を痛感している。でも、時たまの「偶然」 だけが拠り所となるから止められない。



3/2 昨夜の雨では行き先を決めないで寝てしまったが致し方ないところ。起きてからあまり多くは降らないだろうと、金剛堂山に決めたが、相変わらず山ノ神のスタートが遅い。しかし、湯谷からの利賀街道は午後8時から午前7時まで通行止あった事から、遅れも30分だけだと、妙に自分を慰めていた。

 長い間高温や雨が続いたが、流石に利賀村百瀬には車の高さ以上の積雪があった。午前8時半スタートでは、山頂に届くのだろうかとの心配があったが、結果的には4時間余を要して辿り着く事が出来た。

 ちょっと行ってはストップ。そして、休憩が長い。挙げ句の果てには、部分的にではあるが、山ノ神の荷まで担がなければならぬ羽目となる。しかし、片折山(一服金剛)から、雲の上に出て、少しは元気が出たようであった。

 でも、何度となく、「ここで止めようか・・」 「あんただけ行って来られ・・」 を発したが、私のイヤな顔を見てか、それとも、期待出来る展望のためか、最後まで歩き続けた。山頂に届けば、天国に来たようなもので、控え目であったのかもしれないが、ビールにチューハイ各1本を拠り所に、はしゃぎまくり、シャッターを切りまくっていた。

 あまり良くない予報の中で、二日連続に山頂からの展望を得たのであるが、キャンプを中止にして良かったのかと悩むところ。「日中はともかく、二晩とも雨なのだから、何も冷たいテントの中で過ごさなくて良かった。」 は、若くはない証拠。でも、風呂に入り、お酒を飲んで、暖かい布団で寝られるのを当たり前と思う心を戒めるためにも、夏だけでなく、晴れた時だけでなく、いろんな時を体験しなければ、その有り難さは分からないように、また忘れてしまうような気がする。

 

3/1 雨予報に嫌気してキャンプを中止。「北ちゃん」 と 「ねぎちゃん」 の提案する土倉山に2人の同行をお願いする。その際、仲間内と言えども、「山ノ神」 が下りに難儀する旨の了承を取り付けての参加となる。 (その願いが奏功してか、「山ノ神」 は、お姫様扱いを受け、苦難を乗り越える事が出来た具合。)

 伊折橋詰からの歩き始めは、剱岳が望めるラッキーな天候にルンルン気分であった。林道を離れ土倉山に取り付いたのであるが、標高600m超まで雪を拾いながらの登高となる。その先は、赤谷の頭から大熊山・大日岳を眺めながら、そして、剱岳の登場となった。歩きながらの4人の会話は楽しく面白くあったが、土倉山と大倉山への稜線直下で、山ノ神が突然歩けなくなってしまった。

 急登場面で先陣を切っていたのであるが、疲労・水分不足・あるいは、低温によってか分からないが、突然両足に痙攣を起こし歩けなくなってしまった。

 スノーシューを外して、平面な所まで降ろし、上下の雨具を着させ、水分補給、そして、マッサージを施した。どの行為が奏功したのか分からないが、先日の大高山で同じような場面に接した際、玉ちゃん先生から、温めた方が良いと聞かされた事もあり、寒くはないという山ノ神を説得させてのものとなった。(後、山頂の食事時には、ホッカイロを貼り付けた。)

 時間を掛け、荷を担ぎ上げ、至り尽くせりの処置により、山頂では剱岳を眺めながら、大好きなビールを飲んでいるのであるから・・・・ (如何なものかと思うが仕方がないか・・・) その山頂は、いつの間にか雲上となり、とても神秘的であった。大事なカメラを忘れて来た「ねぎちゃん」 が地団駄を踏んだくらいであったから・・・・

 ガスが掛かり視界のなくなった山頂を後にしての下りは、雑木・杉林になってから、山ノ神は四苦八苦したが、申し合わせ?通りとはあつかましいが、手厚い保護を受けて、余計な時間を掛けたようであるが、無事林道まで降りる事が出来た。約束したようにその頃から雨が降り出した。