4/30 山口の涼子さんが仲間(山岳会)と富山にやって来る。今晩、山口を発ち、明朝コット谷から大日連山を縦走のようである。5/3に室堂で設営となっていたから(私は雷鳥平ではないかと思うのですが)無理すれば会えない事もない。

 「花じい」 と会えるかもしれないと記してあったから、それならちょっと気が休まるというもの。一昨年は、毛勝山から猫又山までの縦走と聞いて、猫又谷で待ち受けた。でも、お話出来たのは10分程だけ。下山路を一緒すれば、その間お話出来るが、相手様のパーティーに割ってまでする事も出来ない。

 まあ~、そう言って、メールをしたり電話をしたりしているだけでも、意義があり楽しいのであるから、それはそれで良いのかもしれない。そして、どうなる事やら。



4/29 片貝のゲートはまだのようであるが、早月のゲートが開き、称名のゲートも開いたらしい。いよいよ春山本番である。雪稜を求めて行く人もあれば、山菜採りに精出す人達もある。清流に絆される事もあれば、新緑に心の安らぎを求める事もあるかもしれない。

 そんな中、予報は良いのに予定が定まらない。大阪の息子(長男)が、友人達を連れやって来るという事情もあって、彼らの予定を聞かなければ動けない 「山ノ神」。でも、「まあ~、何処にも行かない事などない。」 今年もギリギリになっての行動となる事だけは確実。



4/28 まだ公表するには恥ずかしいが、今月から二つのブログを立ち上げた。一つは、我が家の通信欄的なもので、いずれ親戚縁者にも知らせたいと思っている。それは、我が家の出来事、そして高岡や県内の行事などを紹介しようとするものであるが、そのネタ探しに苦慮する毎日である。休日は、どうしても山に行き、「その点では視野が狭い。」 のであるから・・・・

 日頃、音信不通になりがちな息子達に、我が家を始めとする 「ふるさとの情報」 を知らせる事が目的であるから、返事がなく一方通行であっても、元々納得済みである。そして、その範囲を県外に住む従兄弟連中に広めたいと胸を膨らませている。 早速、3人の子供達にメールを送ってみたが、返事は一つだけ。でも、カウントは増えた。

 「もう一人の元さん」 は、設定が悪いのか、検索に掛けてもヒットしない。まあ~、内々のブログであるから、ちょうどいい。でも、HPと重複しないように綴るには、アンテナを張ったり、自分をもっとさらけださなくてはならず、「何処まで・・」 と悩みの種を増やした感じである。それこそ、ファンがいるわけでもなく、周りを気にせずゆっくり焦らず本当の自分を描いて見たいと思っています。

 「序でに・・」 と言ったら叱られるかもしれないが、山ノ神のブログに関しては、私の手を離れている事であり、興味ある方は、タイトル名を含め、本人に問い合わせてください。そのブログに関しては、「上手く教えてくれない。」 「思うようにならない。」 などまた諍いの種が増えてしまった。



4/27 コゴミを、天ぷらと炒めものにした他に、お浸しにしてもらったが、醤油が良かったのか、とても美味しかった。カタクリの葉を、ちょっとばかり間引きさせてもらって、これもお浸しにしたが、旬の味がした。つくしにはあまり興味がなかったのであるが、酢に漬ければ、これも酒の肴としては乙な物となった。フキノトウは天ぷらが一番であるが、芯をきんぴら、葉は細かくして味噌汁の具もよい。 


 私は、食べる専門。料理は 「山ノ神」 にお任せで偉い事は言えないが、斜面の上り下りや荷を担ぐ時には少々頼りになる。山に行かなくては採れないのであるから、その点でも価値があるかもしれない。10年以上前までは、全く興味がなかった山菜採りであるが、少しでも分かって来ると面白くなる。これからが本番。



4/26 「人形山に行くんだけれど・・」 そして、「もしかしたら、長い林道歩きがあるかもしれないんだけれど・・」 の急な誘いに私を含め5名が集った。「好山病・・」 のメンバーなら、いつもの事であるが、茂ちゃんと和佳ちゃんも、「あの人達ならあんなもん。」 と思っていたのかもしれない。

 私としては、林道歩きが伴っても、山頂に行ける時間にセットしたつもりであったが、なかなか型通りにはいかないものである。それもそのはず、林道歩き2時間に宮屋敷跡まで3時間を要すれば、一人前の山行である。もっと速く歩けばの見方があるかもしれないが、「皆が気分良く歩ける。」 が、主宰する者の務めであろう。

 行き先を人形山の頂から、展望の良い春木山に移したのであるが、最近は、何だかこのようなパターンが増えてきたような気がする。「気分が良ければいい。」 「楽しければ良い。」 「皆が納得ならいい。」 頼られるのも頼るのも、良い人間関係が存在するから、「良し」 になる。なければ構築すれば良いのである。もっとも、始めから相性の悪い人とは行くハズがないし、お互い謙虚にしておれば、摩擦など起こるハズがない。

 山頂のシェルター造りは、怪力の橋ちゃんに任せた。天ぷらの提案に、あまり気乗りのしなかった 「山ノ神」 であったが、作り始めれば、注目され悪い気分でもなかったであろう。設営・食事・装備等々山行回数が増えていけば、分からぬ人でも自ずと覚えていくものである。後は、どれだけ入れ込むだけの事ではなかろうか・・・・

 高温に風もなく、時々尻餅を付きながらでも、降りの歩きは快適そのもの。林道に出てからも、フキノトウを採りながら、あれやこれやと話ながら、そして、往路で見付けたコゴミあった斜面は、何処であったかと言いながら、ずっと喋りながら歩き通した。

 近所の茂ちゃんとは、ハレルヤ山行の2回を含め今年3回目の機会。和佳ちゃんとは、通算3回目の山行機会であったが、彼女自身は、今年初めての山行でありながら、よく頑張られたような気がする。山ノ神は、相変わらずの4時間過ぎが壁。橋ちゃんには、いつもの事ながら何かと頼ってしまった。



4/25 異色の顔合わせになるが、人形山に行く事になった。林道の情報はない。例年なら、この時期登山口まで入れるのであるが、全く分からない。始めから歩くつもりでいるが、奥まで入れたらラッキーである。



4/24 殊更、山の事に拘らなくても良いのかもしれないが、あまり綴る事がなくなってきた。「山のHP」 としては、ちょっと寂しい。これからは、尚更そのような事に直面していくのであろうが、なるようにしかならない。

 「疲れたら止まる。休む。」 それでも良いのでは・・・・



4/23 寒い日が続いている。北の方では、また、高所では雪が降っているようである。であるから暖房も欠かせない。最近、やたらと山菜採りの話題が多くなった。それだけ多くの方々が興味を抱くようになったのか、それとも私自身が採るようになったからかもしれない。

 「山菜採りだけの為に山には行かない。」 「山菜採りは帰り道に・・ あるいは途中に・・」 のスタンスは変えてはいないのであるが、昨年の池ノ谷やブナクラ谷へは、ピークに達しなくても、とても意義があり、とても楽しかった。今年も、そんな時期が待ち遠しい。残雪でベンチ・テーブルを造り、天ぷらを揚げるなんて最高である。



4/22 「もうあのような山行は終わりだ。」 「もう一緒に行かない。」 の認識に違いはあれど、一時期は過ぎた事に間違いはない。決して無理をしたわけでもないが、身体が付いていかないようになっているのは確かである。でも、「どうしても行きたい。」 と、「何となく行ってみようか?」 とのギャップが、そのような事態を作り出すのであって、熱意・情熱のあれば、ある程度の事は出来ると私は思っている。

 最も、それなりの努力(鍛錬・知識の集積)も必要で、私の行けるような所と言えども、リスクは充分にある。「ある程度フォローが出来る。」 がなければ私は誘わない。もう今度の事で、一緒に行こうと誘うのを止めようと思っている。「山ノ神」 にしてみれば、「もっと簡単な所なら・・」 などの思いがあるのであろうが、自然界では、何が起こるか分からないし、同じ事はないのである。

 この機会に毅然としていなければ、なし崩しに「簡単な所」 に誘導されかねない。リスクの多い所・恐い所へは行きたくないが、「山ノ神」 が望む所ばかりでは、私がイヤになってしまう。メリハリを付けながら、自分の思いを貫きながら、山を楽しんでいきたいと思う。



4/21 僧ヶ岳登山口~片貝山荘間のデブリを、明るい内に渡りたかった。普通の感覚では何でもないのであるが、荷を背負っては、滑落の不安が付きまとう「山ノ神」、私は落石がイヤであった。重荷を背負っての登山口までの急な降りは、前日、そして、早朝からの歩きで、相当足にきていたようだった。また精神的にも参っていたように見受けられた。目一杯という感じであった。

 「暗くなるぞ・・」と言ったのであろうか、それとも、「予定時刻を経過した。」 とでも言ったのだろうか、「山ノ神」 は切れてしまった。明るい内に、あのデブリを渡りたいと言っていたのは、「山ノ神自身」 であったのに・・・・ それでも、明るい内に渡る事が出来た。私が「山ノ神」 の荷を担ぐため2往復しても、まだ明るかった。

 真っ暗になってしまうと、感覚が麻痺してしまうのであろうか、林道と河原、林道と法面の見境が時々分からなくなった事があった。その時はGPSが役にたった。片貝第4発電所からの舗装道路に出た時に、ようやくあと1時間半だと思った。肩が痛くても、眠たくても、唯、歩かなくてはいけないのであるから・・・・ ゲートがライトに照らされて見えた時は、「もう歩かなくて良い。」 と本当によなよなとしてしまった。

 私達にしてみれば、そんな過酷な2日間を過ごしたわけであるが、遊びは遊びである。起きて来ない「山ノ神」 に腹が立った。「ケガをした。」 「病気になった。」 なら、それはそれで頭の中を整理できるのであるが、黙って起きて来ないのであるから、夕方になって、私の方が切れたしまった。「もう一緒に行かない。」 とまた余計な事を言ってしまった。せっかく、ずっと我慢してきたのに、それで、何もかもがパーになってしまった。



4/20 昨夜、車デボ地点に戻ったのが午後9時過ぎ、二人とも疲労困憊で、もう歩かなくてもいいと思ったら、身体中が、なよなよしてしまった。1日目は出発が遅れてしまったが、11時間半、2日目は14時間半も歩いているから当然と言えば当然の事。(もちろん、休憩も入れて・・) テントの中での睡眠は4時間半。(寝れた、目が覚めたなどは別にして・・)なのだから・・・・

 「何もかもするのがイヤだから・・」 と言う山ノ神の要望を聞き入れ、魚津市内で簡単な食事をして(喉が渇いていたからだろうか、コップ5杯の水を飲んでしまった。)、家に帰ったのが午後11時半頃。片付けをして、風呂から上がれば、とっくに午前0時を回っていた。

 やはりHPの事が気に掛かり、チョッピリ更新して休んだのが2時。5時過ぎに起きても足の裏が痛くて、本来の自分の歩きには戻れなかった。タープやテント類を乾かしに外に出したが、細かな雨が時々落ちるので、仕方なく、また家の中に取り入れなくてはいけなかった。

 後は、睡魔との戦いである。動いておれば何ともないのであるが、ちょっと座ると、こっくりとなってしまった。山ノ神は全休である。「遊んだ後は、尚更早く起きて頑張らなくては・・」 の主義であったが、私の山行スタイル自体を考え直さなくてはいけない時期になったようだ。



4/19 「もうそろそろ準備しないと・・・」 とシュラフなどの寝具を片付けに掛かると、「えぇ~、もう行くの?」 いつもの通りなかなか起きようとしない。午前6時には出発したいと思い5時前から準備をし始めたが、軽い食事・後々の事などに時間がいたずらに過ぎ、出発は6時半になってしまった。

 「山ノ神」 は、嗜好品などが入った小さなサブザック、私は一通りの物を考えれば、普段の重さになってしまった。ピッケル・アイゼン何もかもが二人分に、三脚やシャベルなどもある。そんな事を思えば、寝具類がないだけで、普段の私のザックより重たかったかもしれない。

 冷え込んだから、「山ノ神」 は、スノーシューを履いてスイスイ行く。その後は、体重や荷の事もあるから、ずぶっと沈む、いわゆるモナカ状態である。それでも、上がフワフワで、下が固くなった状態より遙かに歩き易く、急斜面では安全であった。

 「山ノ神」 の元気だったのは、約1時間。やはり燃料切れではなかろうか・・・ 食べられないのであるから、「山行きには不向き!」 を証明したかのようであった。それでも、成谷山到着が午前8時過ぎであったから、その先の事を考えられずにはおれなかった。「僧ヶ岳山頂まで3時間」 の もくろみ通りの可能性が残されていた。しかし、前方を眺めると、「4月寒波の贈り物・白い山」 であったが、トレースのない稜線は、眩しさと不安が同居する何とも言い表せない心境であった。

 何でもない所でも、凹凸が分からず、から足を踏む状態になったり、吹き溜まりは膝までの新雪でもあった。距離は長く感じたが、ピッケル・アイゼンを使用する事もなく、山頂に辿り着く事が出来た。この時点(タイムオーバー)で、この先に行く事を諦めたが、食事処を求めなければならなかった。もう少し戻ってと思ったのであるが、「山ノ神」 にしてみれば、とにかく休みたいの一心であったに違いない。

 山頂には、宇奈月方面からのトレースがあった。今日のものか昨日のものか分からないが、単独行のようで、すぐに戻って行ったような感じられ、山頂をウロウロした様子などはなかった。山頂に長くいればいるほど、後々に応えるのであるが、1時間半以上滞在してしまった。

 2時間掛からずして、キャンプサイトに戻ったが、撤収に時間を費やしてしまい午後3時半の下山開始となってしまった。登山口に戻ったのが5時50分頃。片貝山荘までのデブリでも、また2往復しなければならず、ドンドン暗くなっていった。その後にも幾つもの大きなデブリを乗り越えなければならない。どれだけヘッデンを点けていても、真っ暗の中では、上も下も注意しなければならず、方向感覚も鈍ってしまいがちで、第四発電所の舗装道路に出てようやく一安心となった。でも、その後も長く、車に辿り着く頃は、足の裏に大きな水ぶくれが出来たのではなかろうかと思う程に足が痛くなっていた。



4/18 最近体調が優れず、また、食が細くなって来ている「山ノ神」 を誘った事にも、かなり問題があったようであった。我が家の荷の計量では、私は25キロ、「山ノ神」 が13キロであったが、イザ出発となると、スノーシューも担がなければならない。 デブリや急登斜面では、「山ノ神」 の荷を担ぎ2往復をするなどしても、車をデボしてから、僧ヶ岳登山口までに4時間半近く掛かってしまったのは誤算であった。

 それでも、「慌てなくてもいい、ゆっくりでもいい。」 と言いながら登ったのであるが、登山口発が正午であったから、成谷山まではとても行けないと思い始めていた。キャンプサイトを伊折山に修正したが、それでも届くはずがなく、その手前の1330~1350m付近に着いたのが午後6時であった。それからの設営であるから、食事に有り付けたのが8時である。

 「もう歩けない。」 と言った「山ノ神」であったが、そこまでは、テントを張れるような所はなかったし、もう展望の良い所などの贅沢な事は何処かへ飛んでしまった。深く掘って高い壁を造る予定であったが、唯々時間だけが過ぎて行き日が落ちようとしてしまったので、緩やかな傾斜を補うように整地しテントを張った。幸い風があまりなくスムーズに設営でき、先に造った食事用シェルターに転がり込んだ。

 荷を降ろし、作業中に飲んだコップ一杯のビール。そして、席に着いたなりのビールは流石に美味しかった。お酒は、あまり飲めないだろうと2㍑から1㍑に変更して良かった。時間がなかった所為もあるが全部飲みきれなかったのだから・・・  これから寝なくてはならないのに、コーヒーを飲んだり、空いたペットボトル全部にお湯を沸かして詰め込んだ。湯たんぽ代わりにするためだが、表面の新雪部分だけを溶かしてみたら、ろ過せずとも、予想を上回る程の水が出来た。

 そんな食事用シェルターに3~4時間も滞在してしまい、針綱の補強・点検をして、テントに入ったのは午前0時であった。



4/17 体調がほぼ戻った。片貝の情報がないままで、第2発電所から歩くつもりで出掛ける。後は、「山ノ神」 が同行するかどうかになるが、それによって、荷の中身が随分と変わってくる。優柔不断にはいつも参るが、食事の時を含め長い夜は、誰かがいると心が和らぐのは事実。

 もっとも、同行者を求めるわけには、自然の山だけを撮る技術を持ち合わせておらず、被写体として、「人」 が欲しいのである。ポーズを作る格好はいらないのであるが、一人で先に行かせるわけにもいかず、不安と同居したものになる。

 「林道歩きは良いが、登山口からの急登箇所を考えると、今の体力で登れるのだろうか・・」 との「山ノ神」 であるが、どうも独り歩きする私も心配のようである。単独行になるのか、それとも 「山ノ神」 が同行するのかは、今夜までずれ込みそうである。



4/16 山岳保険の更新をした。オールラウンド遭難捜索費用保険である。遭難捜索費用・遭難追加費用・救援者費用・個人賠償責任、そして、ちょっぴり障害医療費用と死亡・後遺障害が付いていている。 この時期、二人分の保険料を支払わなくてはならず、ちょっと辛いが、山登る者としては、当たり前のように思う。

 ご多分に漏れず、小さな文字で、保険内容を事細かく記載されているが、分かるようで分からない所が多い。まあ~、お守りのようなもので、入っていなければ、有事の時はどうしようもない。

 本来なら、地元の保険屋さんに入りたいのであるが、この種の保険は、あまり好まれない所為か、今のところ、引き受けて頂ける所がない。仕方なくネットで探し当てた代理店にお世話頂いているが、もう何年になるのだろうか・・・・

 その間、二度ばかり、保険利用をさせて頂いているが、昨夏の薬師岳での転倒事故でも、病院での自己負担分を保険で賄う事が出来た。払う時は辛いが、イザという時は助かるものだ。



4/15 このところの低温で身体が変になっている。家にいると、とても寒がりで、山にいる自分と比べて、同じ人間なのかと思うほどである。エコとか節約だと言われる時代であるから、沢山着込んで対応しているが、「自然に負けた。」 ようである。

 そんな折、ハレルヤの山行計画の案内があった。この日は当初から僧ヶ岳キャンプを企てていただけに、心苦しいが「不参加」 を伝えなければならない。しかし、この体調からして、「行けるのか?」 となる。山ノ神は、もう「自信がない。」 と匙を投げ始めている。



4/14 今月17日から始まる第16回高岡市民美術展に応募していたが、今日、「入選」 の知らせが届いた。プリントしようかしまいか思い悩んでいたし、どうでもいいや的の考えだったのに、いつも世話してくださるY氏の好意で、ギリギリで我が家に飾ってあった写真を出品するに至っていた。

 「入選」は、「入賞」 と違い、展示されるだけであるが、「選外」 で、日の目を見ない作品の事を思えば有り難い事である。「山ノ神」3度目、私が2度目の入選であるが、会場で多くの力作を見るに付け、コンパクトカメラの弱点を感じてしまう。

 でも、ついついカメラの所為にしてしまうが、やはりセンスである。私が、これぞと思って撮ったものに、良かったためしがない。動きながら偶然に撮ったものしか、それに値していないように思われる。誰でも入りやすいが、奥は結構深い。私の撮ったものは、記念・記録写真の延長にしか過ぎないようである。



4/13 昨日は何事もなく一日が過ぎた。今朝は、いつもより1時間程早く起きて(5時過ぎ)、昨夜の睡魔に負けた分を取り戻しに掛かった。しかし、効率が悪く、思うようにならない。そんな時、「焦る事などないのであるから、マイペースでいいのだ。」 と自分に言い聞かせている。「歩くのが遅くなるくらいだから、何事においてもそうなるんだ。まあ~、弱気と取られれば致し方ないとしても、まだ健闘しているんだよね。」


 夕食の準備を終えた山ノ神が、「食欲がない。そして、何だか変・・ だから休む。」 と言って2階へ上がって行ってしまった。もっとも、「9時から見たいテレビがあるから、1時間ほど横になって来る。」 と言っていたが、起きられるハズがない。後は、いつものだんまりであるからお手上げである。

 都合が悪くても医者に行かない。何処が悪いとも言わない。そして、起きて来ない。こんな事が、一時に比べて多くなったような気がする。身体は退化の一途であるから、致し方ないところであるが、自愛するしかないのだろうか・・・・

 人とは欲深く卑しいもので、連れ合いが倒れれば、その連れ合いの心配より、真っ先に自分の心配をしてしまう。「私はどうなるんだろう。」 と、自分があっての相手なのである。遭難しても自分の事が優先で、それから相手の身を考えるであろう。「我が身を捨ててまで・・・」 は余程の人でないと出来ない事。もしくは、頭で考えなければ(いわゆる咄嗟になら)出来るのかもしれないが・・・

 きっと、明日になれば、「気に入らない一言」 を、やり玉にあげるに決まっている。そして、「優しい言葉をかけてくれない。」 などを言うが、私は、誰よりも優しい言葉を掛けているハズなのに・・・ 女房・女の人の心は、永遠に分からないかもしれない。



4/12 「雨100% 中止にしよう。」 の声が掛かるのを期待していたに違いないのに、今日も4人が集ってしまった。お互いに 「まだ続いているね。」 を確認し合うかのように苦笑いに終始した。そして、猿倉スキー場の桜を見て、「来年の花見会場は、ここがいいね。」 と、早くも飲む話が始まった。 (しかし、今日も、山ノ神以外飲んでおりませんのでご安心を・・・)

 「サッサと登って帰って来られれば、一日有効に活用出来る。」 であったが、雨が降っていても獅子ヶ鼻を覗いて見たり、山頂の小屋では、「こんな早くから食べられるわけがない。」 と言いながら、2時間くらいゆっくり過ごす有り様。猿倉山に戻れば、カタクリの開花状況偵察となって、結局、展望レストラン前の駐車場に戻ったのが午後2時半前。集合が午前7時半であったから、今日も山中滞在は7時間。そして、自宅からの往復時間を考えれば、9時間であるから、当たり前(一人前)の山行であった。



4/11 寒く感じたが温度計はそんなに下がっていなかったようである。そして、一日中雨を予想していたが、それ程降った感じがしなかった。そんなお天気が明日も続くようで、山行としては良い時期なのに「止めようか・・」 と思わせてしまう。でも、やっぱりちょっとでも歩きたく、いじける気持ちを奮い立たせてくれるのは、仲間であり約束でもある。

 明日は、雨の日の定番になるかもしれないが、歩ける事に喜びがあるし、日頃溜めた用件を片付けるに丁度良い日になるかもしれない。



4/10  昨夜は、「山ノ神」 にせがまれて、古城公園へ夜桜見物に出掛けた。日中の気温は、富山に比べてかなり低かったが、厚着をして出掛けてみれば、風もなく絶好のお花見日和であった。小竹藪は、大勢の見物客でとても賑やかであった。大勢のグループが、あっちでもこっちでも大騒ぎしていたが、何故か煩く感じず、高岡にも、こんなに沢山の人がいるんだと思うだけであった。

 防災グッズではないが、コンロ・コッフェル・マットをザックに入れて公園に持ち込めば、すぐに宴会場に早変わりである。満開の桜の下で、御神酒を酌み交わすのも乙なものであるが、時間経過と共に、「もうちょっと誰かがいたら・・」 などと思ったが、とても無理な話であるから、「山ノ神」 と二人しんみりと語るだけであった。

 お天気と休日がピッタリあえば、「来年の花見は、外でやりたい。」 と思う程の雰囲気であった。山用具を使用すれば、何処のパーティーにも負けない装備になると思うが、そこまでエスカレートするものではないかも・・・

 スイスイ喉越し良く入るのはいいが、ちょっと飲み過ぎだったかも・・・ いやいや、もっと飲めるのにと思った程であるから、ちょうど良い酒であったかもしれない。



4/9 一日遅れの記述が、ようやく回復し軌道に乗ったかと思ったのであるが、二日連続の山行や宴会、そして、会合が続くと、気力があっても体力が持たないようである。直近の3日間は、食事中(飲食中)に眠ってしまった。気が付きPCの前に座っても、元の木阿弥である。また、こういう類のものは、気分が乗らないと、とてもじゃないが綴られない。

 最近、マンネリから抜け出すため、ブログというものをやり始めた。それも、同コーナー遅れの原因の一つかもしれない。まだ公開というには気恥ずかしいが、もうちょっと経ったら「もう一人の元さん」 を表に出して見たいと思っている。



4/8 8年前の臼越山は、今回登った尾根の東側にある谷筋を辿った。砂防ダムがたくさんある谷である。今回より雪が少なく、ダムと雪渓の間が、まるでシュルンドと表現してもいいように結構苦労した事を覚えている、また、雪塊や小さな岩(石)が落ちて来て、度肝を抜かれた事もあったっけ・・・

 ファージーな谷だけに、読図知識もいい加減、ましてやGPSもないのであるから、視界がままならぬ中、よくも行ったものであった。最近の私の山行は、仲間の後を付いていくだけで、体力さえあれば、そのような苦労はない。だから必然とその印象・感動が薄く、紀行文を綴るモチベーションが高まらないのかもしれない。

 でも、そんな事は、どうでも良いような気がするこの頃で、「気分が良ければ・・」、また、「楽しければ・・」 になっている。人様に自慢出来る山行でもないし、安全に心掛け、ちょっとでも長く歩ける事を重視するようになっている。 そんな私でも、チョッピリ冒険したい心は限りない。僅かな機会を大事にしたし、飲む度に、「あの時はどうだった。」 「あの山は良かったね。」 などと共通の想い出作りにムチを打ち続けたい。



4/7 朝早くから山に出掛けて、そして、夜遅くまで騒いでいたのに、それでも、翌日山に行くなんて・・「何が何でも・・ を止めるなんて事はウソだろう。」 と思われても仕方がない。「スポーツジムに行っているのと同じ感覚。」 のような気がする。行かなければ衰える。だから行く。衰えるのがイヤだから行く。

 でも、衰えている。イヤでも衰えている。昨日も一昨日も、急斜面の降りは怖かった。何故か急に怖くなった。「歳」 だけではないような気がする。まだまだと思っているが、何処かが可笑しくなっているのかもしれない。「無理しない。安全に・・」 が、何処までが無理でなく、安全なのかの線引きは難しい。

 花見の席上、「元さんまだ行けるよ。」 と檄を飛ばしてくれた若い衆に応えなければと思っているが、だんだんと 「おしゃか」 になっていくような気がする。心の問題なのだろうか、それともやっぱり、鍛錬なのだろうか。でも痛んでいる所はどうしようもない。どちらにしても、まだ修行がたりないのであろう。



4/6 昨日のお花見で「山ノ神」はダウン。はしゃいだだけオーバーペースだったのかもしれない。皆から、「本当にご懐妊か?」 と、からかわれていた。そんな「山ノ神」 に、「今日も行くか・・」 と問うてみたが、首を縦に振るどころか、頭から布団を被っていた。

 遅い出発になれば、ラッシュに掛かる。昨日も朝が早かった。夜も遅かった。瞬間睡魔が襲って来る。「こりゃ行かん。」 と何度か車を止める。桑首林道入口を発ったのは、午前9時を過ぎていた。

 昨日の話では、「大倉山で、土曜日に遭難した人は、雪庇を踏み抜いた。100㍍以上滑落して滝壺に落ちた。」 と聞いていたので、(家に帰って新聞を見たら、「視界が悪く道に迷った。」 とあった。) その場所とは何処であろうかと、キョロキョロして歩いたが、本当は昨日の疲れがあって、ゆっくり歩いたというのが本当のところかもしれない。

 しかし、稜線に出ても、それらしき所は全くなかった。カクレ山、また土倉山方面に行っての事故なのかと思う程、踏み抜きや滑落跡はなかった。(いつも雪庇になる所は、細尾根に違いないが、現在は雪庇という程の事はない。)

 「可笑しいかな。」 と思った所を、あえて言うなら、稜線上の1,127㍍地点から、北西側の谷に向かってトレースがあった。もう一つ、1,164㍍から南側に、20~30㍍の滑落跡があったくらいで、後は何もそれらしきものはなかった。(記録はいずれもGPSとカシミールを利用した記録) だから、きっと違うであろう。

 広い山頂で、昨日の花見の弁当を食べ、コーヒーを沸かして飲み、早々に引き返した。登山口から稜線までの半分は、雪解けが進み歩きにくく、スノーシューを外してしまった。林道に出てから、今日もフキノトウ採りに没頭。



4/5 お花見のための妥協の産物ではないが一転して「臼越山」になった。「そのお花見の準備のため午後3時~3時半まで家に戻る。」 が条件であったが、急遽招集にも関わらず、そのお花見の参加者が10名となっては、山ノ神も不安になったのか、山行を辞退してしまった。もっとも、唯でさえ歩きに不安があるのに、健脚揃いの中で、時間に追われるのも辛いと判断したのであろう。

 その計画は、藤橋のゲートから歩き始め、クムジュン横から人津谷に入り、人津谷本谷から分かれた砂防ダムが沢山ある谷の西側の尾根を登り、臼越山を目指すというもの。そして、人津谷乗越にある文登研を経由し人津谷を降るというものである。尚かつ、午後2時台に車へ戻るのである。

 どうしたわけか、お日様は顔を出さず、まだポツリと雨が降るのではないかと思わせるお天気であったが、最後まで降らず、高温での雪崩にも遭わず、花見の肴(天ぷら)にするのだと、雪の間にあるフキノトウを摘む余裕もあった。

 拙宅が会場となった花見に10名が集った。私と山ノ神以外は、皆県東部に住む人達である。仕事を終えて、尚かつ、明日も仕事が待ち構えているのであるから、何と凄いパワーの持ち主達であろうか・・・・ いつもの通り山談義であるから、実に楽しい。
 余韻をかって、古城公園に足を運んだのも、もしかして、「飲むだけじゃないんだ・・・ 風情も楽しむ集団なんだ。」 とアピールをしていたかもしれない。



4/4 明日・明後日の連休は、当初の晴れから曇り・曇り雨になって来て、どうしたものかと思っていたら、明日だけは晴れに変わった。重荷を担いでの大地・初雪山へは、山ノ神の反応が鈍く、林道歩きを伴っても人形山へと心を移し、ある程度の妥協が実りつつあった。しかし、日帰りの初雪山にも、心がそそり、「雪質次第だが、陽が長くなっただけ余裕が出るよ。」 と、明後日の曇り雨を配慮したかのように、「山ノ神」 に選択を迫っていた。

 そこへ 「お花見の話」 が飛び込んで来た。お天気が良ければ、一日中歩いていたいし、最近ご無沙汰している人達にも会ってみたいし、苦渋?の決断を迫られたが、「人恋しい」 の心の方が勝ってしまった。前日に提案するのであるから、ましてや、今日のこのお天気の中を歩いている方もあるというもの、どれだけの仲間と顔を合わせる事が出来るか分からないが、俄然楽しみになってきた。



4/3 エイプリルフールの事は、殆どの方々が分かっておられ、面白い返事を期待していたわけだが、それでも、「ウソ」 なんだから、その事に関してメールをもらった方々に、「ごめんなさい。」 と短い返事を送り、「何でもコーナー」 にも謝りを入れた。でも、もっと楽しい返事がやって来た。

 「何?誤診だったの? 受胎告知かと思ったのに!残念!!」

 「いやはや、流石の先輩で、久々のホームランかと思いきや、初夢として喝采したかったのに〓次回には正夢に為らんことを〓」

 「いやいや楽しかったです。大仏の時は見事にだまされましたので、今年は少々警戒してたんですよね… 件名見た時は、お孫さんの話かと思ってめでたいナァと… 本文読んで大笑いしながら、一生懸命返信考えましたよ~。 近い内に遊びに行きます。」



 でも、若い女性だけは、そっと謝りを入れてもなかなか理解してくれず、長い長い文章で「唯々、おめでとうを。」 重ね続けてくれるのであった。その内、HPを覗いてくれたらしく、「あ~っ」 から、「あら~」 に変わった。良かった。

 こんな話もあった。当日40数年続いている高校時代のグループの会合で、今回の話題が出た。そして、昨年の大仏からの水漏れに話が移り、「え~っ、 あれウソだったの? 傾いたのが本当かと思って、沢山の人に言っていたのに・・・イヤだ。」 と同級生の女性が・・・

   私は罪深い人間なんだろうか・・・・



4/2 山ノ神が体調の異変を感じ婦人科で受診したところ、妊娠5ヶ月と診断されました。何分にも突然の事であり、慌てふためいております。
 先日の尾洞山で転倒した事が原因ではと思っていたところ、意外な展開になってしまいました。

 先日まで、不況の煽りを受けて経営が思わしくなく、児童手当を受けるために「養子を迎えるか・・」 などと山ノ神と、冗談とも言えぬ相談をしていたところでした。それが現実となり、苦笑いになっています。

 床を同じにしていなかったわけですが、何処でどうなったか、過去の事を振り返るのは難しいです。でも、第4子が誕生したら、すぐにでも山に連れて行こうと思っています。


 上記の文面を、我がHPの何でもコーナーに、「第4子誕生へ」 とのタイトルで載せ、10名余の方々の携帯にメールを送った。今年は、なかなか迷文が思い浮かばず悩んだのでしたが、何とか間に合った。でも申し訳ありませんでした。傷付けず迷惑を掛けず笑いをモットーとしているつもりですが、軽蔑の眼差しの方もあったかもしれません。来年まで、もっと柔軟な頭にしておきたいと思っています。
 それは、さておき面白い返事を待っていたのでしたが・・・・  二つだけ紹介します。



 やぁ~!申し訳ありませんねぇ…。事後承諾の形になりましたが、その子の父親は、誰あろうこの私であります!! 身に覚えありますので!  ワッハッハァ~! 近い内に認知の手続きがてら遊びに行きます。(^_^)v

 おはようさんです。これって本当に エイプリルフールじゃないでしよね。 マジ? だとしたらニュースだよ。 全国発信しないと本当に本当なの?




 今年は、昨年の事もあり、待ち構えていてくれた人達の方が多かったように思います。でも、20代後半の独身女性は、ビックリしながら本当に喜んでくれたのでした。今から本当の事を言わなければと思っていますが、彼女は、エイプリルフールを知っているのだろうか・・・・

 もう一人の被害者?は「山ノ神」 であった。「おめでとう。」 「ホント?」 「ウソでしょう。」 「本当なら・・」 のメールが数多く飛び込んで来たようである。我が家では、もう風前の灯火とでも言えばいいのか、口先だけの遊びとなってしまっている。



4/1 今度の月・火はキャンプ山行と思っていたが、いつの間にか、良くない方に変わった。やっぱり一週間先の事はわからない。「始めから雨だと行かない。」 でも、雨でも確実に後から晴れるのなら、やぶさかではない。

 そんな折、「雨なら(お天気が良くないなら・・)、お花見はどう?」 の意見が出て来た。「雨なら・・」 と言うのは、積極的に山には行かないという意味なのである。あるいは、「簡単な山行にして・・」 と取ってもらってもいい。お天気が、このままなら「お花見もいい。」