6/30 ずーっと眠い日が続いた。ちょっと座れば、「こっくり」 となりそうな日が続いたのである。W杯・日本敗退が決まり、これでちょっぴり楽になるかもしれないが、まだまだイベントが続くから、そうもいっておれない。知らず知らずの内に疲労が蓄積されているのだろうから、「あれ~っ、 こんなハズではなかったのに・・」 になってしまう。それは、たくさん餅を食べたから仕方がない事なのである。

 まだまだ蒸し暑い日が続く。だからと言って、じっとしていると尚更暑いような気がする。動いて動いて、汗を掻いた方がすっきりするし、力が湧いて来るような気がする。それは、若くても、歳を取っても、同じじゃないかしら・・・

 今年も一年の半分が過ぎた。山に登っているが、何にもしないで、また半年が過ぎた感じでいる。この歳になっても、「何かしなくては・・・」 「何とかしなくちゃ・・」 の思いは常にある。時間は限られているから、まずHP更新にかける時間を短くする。(効率良くする。) 酒量を減らす。(減らせば、酔いがなくなるから何でも出来るような気がする。) 

 酒類は好き! だから、だらだら飲むのは止め、メリハリを付けて飲めばよい。親交を温めるには、やはり、飲まなくちゃ始まらないから・・・・  そして、未知の分野にも興味はある。少しでも・・・



6/29 昨夜は、またまた喋ってしまったようである。我らの他に、顔馴染みのゲストが4人。飲んでも飲んでも出て来る酒とビール。食べ尽くせない程の豪華な料理が、テーブル狭しと並べられるのであるから気分が高揚。このような楽しい場を設けて頂いた池田夫妻に、唯々感謝! また、雰囲気を盛り上げて下さったゲストの方々にも、お礼を申し上げねばならない。その中で、「山ノ神」 だけが意気消沈!



6/28 「山に行けなくなった。」 などと当欄に綴ったからであろうが、池田氏が、「美味しいお酒が入ったから、飲みに来ませんか・・・」 と誘って下さった。「慰め」 ともとれる温情に、今晩出掛ける事にした。「ゲストもある。」 との事。今宵は、喋り過ぎに注意し、聞き手に回ろうと思う。



6/27 6/10から来高していた娘と孫が、ムコ殿と共に明日帰京する。「ちょっと、孫に冷たいのじゃないの?」 と言われながらも、自分としては、それなりに楽しんでいたと思う。唯、自分のライフスタイルを崩さなかったのが、そのように取られるのかもしれない。

 賑やかなのが、一変に寂しくなるのであるから、これはどうしたものだ。機嫌が悪くとも、娘と言えども客人が来れば、蔑ろにも出来ず それなりに振る舞わなければならない。それが、明日からなくなるのであるから、台風が去った後のようなものになる。もうちょっと、仲の良い夫婦にならなければ・・・



6/26 人様から見れば笑われる程の金額であるが配当?があった。昨年来クマの写真での賞金をがっちり貯めて一眼レフと思っていたが、やっぱり生活費に消えてしまった。年間賞だけは手渡しだったので、これこそ大事にと思っていたが、それも、結局二人の山岳保険となってしまった。

 頑として離さなければ、生活にしわ寄せが来るのは必至である。後は、「山に行きたければ・・・」 人様と同じようなレベルの生活に甘んじない事となる。それは、決して辛い事ではない。好きな事をするのが目標・目的であるから・・・・・・。

 でも、一眼レフを買っても良い写真が撮れるとは限らない。ましてや買えたとしても、かなり低額のもので、もしかしたら、上質のコンパクトカメラより劣るくらいの物になるからである。今使っているコンパクトカメラの使い勝手もあまりよくない。以前使用していたメーカーの方が使いよかった。そのような事を考えると、なけなしのお金を使うのも迷ってしまう。

 「今が大事。」 なのは分かっているが、どん欲だけでは生きていけない。いろいろな人達に助けられて生きているのであるから、その付き合いも大事である。本当に一人では生きられない。大好きな山を一人歩きしている時などは、人恋しくなるのは歴然としている。



6/25 明朝ムコ殿がやって来る。2週間前からやって来ている妻子(娘と孫)を迎えに来るのであるが、明後日が娘の大イベントがあるための子守的意味合なのかもしれない。どちらにしても、ムコ殿は優しい。 (今の若い人達は皆そうなのかもしれないが・・・)  そして、「帰京が、月曜日になってしまった。」 と言われれば、ダメだと言えない。富山空港だけに、尚更見送らなければなるまい。

 当初は、「私が送るから・・」 と言っていた「山ノ神」 であるが、私が本気で山に行かず、空港まで送る事を考えていると分かると、「北関東遠征以来(6/7~8)、山に出掛けておらず、身体がなまっている。盛夏に向けてトレーニングをしなければいけないから、見送った後、何処か軽い山に出掛けたい。」 と言う。

 ならば、「重荷を背負うか、高低差がある山を速く登らなければ、訓練にならない。」 と言い返すと、むくれ上がってしまった。「私は、辛い思いをしなければならない山に登りたくない。」 の「山ノ神」 である。この調子では、今夏に企てている幾多の計画も、日の目を見ることなく、「没」 になる可能性が高い。しばらく我が胸に温めておいて、直前に明かす方が、実現しやすいかもしれない。



6/24 まだ山仲間というには早いかもしれないが、若い女性Yさん・Kさんコンビに、尖山の他に何処かいい山がないかと尋ねられた。この時期何処へ行っても「虫」に悩まされるだけに、なかなか候補が浮かばない。かといって、高い山には、まだ多くの残雪がある。2時間程度の山となると、うんうんと考え込んだ。称名から大日岳へは、5時間を要するから、まだまだであろうが、途中の大日平を勧めてみた。

 行く行かないは、彼女らが決めればいい事で、私が云々いう事もなかろう。晴れて、そよ風が吹けば、高原気分が味わえて良いし、称名滝見物もいいのであるが・・・・  親子ほど歳の差があるが、若いパワーが伝わって来るだけで、何故か楽しい。ご一緒出来る機会があるかどうかは分からないが、「そんな事が叶えばいいな。」 と思うのであれば、ずっと元気でいなければならない。



6/23 ちょっと前までは、沖縄・普天間基地と宮崎・口蹄疫のニュースが連日伝えられ、「どうしたものか・・・」 と日本中がその対応を見守っていた。今はその話題もW杯・サッカーに取って代わられ、サッカーに興味のない人でも、勝つのか負けるのかと興味津々である。それも、今日・明日がピークであろう。

 そんな事を思うと、明けても暮れても、そして、何があろうと 「山・山・やま・やま・ヤマ・ヤマ・・」 と言い続けているのであるから、人様からみれば、可笑しくてたまらないのではないかと思ってしまう。 実際、可笑しいと自分でも思っているのであるから・・・ 「好山病」 なのだから・・・



6/22 20・21日の連休は、蒸し風呂のような中を歩いた。一人歩きであったが、後半は雨具まで着る羽目になったから尚更であった。一日目は馬場島から、二日目は糸魚川から、「早く風呂に入ってビールを飲みたい。」 一心で運転をして帰った。行きも帰りも相変わらずのように目を擦りながらの運転であったが、私にとっては比較的早めの運転であったから、下道であっても、それ程苦ではなかった。

 家には、ビールのストック(第3のビールであるが・・) ないと思い2日間とも6本入りのカートンを買って帰った。もちろん、同行しなかった「山ノ神」 の分も考慮したつもりであった。ところが、山ノ神は、在宅している娘や孫のために、「山を断念している。」 と思い込んでいたが、体調を崩していたらしく、あの大好きなビールを、一滴も口にしなかったのである。(2日間とも・・)

 それに引き替え、風呂に入れば尚更であるが、私の身体は水分を欲しがっていたのであろうが(ビールは水分とは言えないが・・)、喉越しが良いのか、入るは入るは・・・・・・ 買ってきた分を全て飲んでも、酔った感じはなかった。「もったいないだけだから・・」 と二人に、それ以上飲むなと叱られてしまった。身体に悪いからよりも、もったいないからである。

 いつも、「早く帰って、ビールを飲みたい。」 と思って車を走らせて来るのであるが、実際 家に帰って、1~2本を飲めば、「もういらないよ。」 思うのが常。でも、今回は体調が良かったのかもしれないが、飲み過ぎという事もなく、気分だけが良かった。でも、山にも行けず、ビールも飲めない山ノ神は渋い顔の毎日であった。(今日も、その顔は続いている・・・・)



6/21 このところの寝苦しい夜の所為であろうか、雨飾山登山口(梶山)まで3時間を要してしまった。午前8時半であったが、駐車場には他の車がなかった。百名山と言えども、平日で予報も悪いとくれば当たり前であろう。今日は、ちょっとだけ荷を軽くして、「2時間半のタイム」 を切るため、身体に鞭打って登るつもりであったが、「山菜はないか・・」 「花があればシャッターを・・」 となり、なかなか思うにならなかった。

 中ノ池からは、びっしり雪が着いており近道となったが、登り切れば疲労困憊となってしまった。笹平のシラネアオイは終焉を迎えようとしていたが、ハクサンイチゲやハクサンチドリは、可憐なまでの表情を醸し出していたように感じられた。

 小さなピンクの花を見付けた。群落ではなかったが、ハクサンコザクラのような気がしたが、今日は図鑑(山ノ神)の同行がなく、よく分からなかった。山頂から降りてきた5人パーティー(ツアーのような感じ)が、「虫」 に嘆いておられたので、特製のハッカ油を霧吹きに入れて持参していたものを、サービスをすると 「何と気持ちがいい。」 「虫がいなくなった。」などと、中年のおばさん達は喜んだ。

 山頂には、もう一組の中高年パーティーがおられた。それこそ「虫にも負けず。」 である。長居しない私と下山が同じなったが、笹平で急激な雨となった。その10人くらいのパーティーは、縦走なのであろうか、私の下山路と同じになったのである。降りが苦手などと言っておられた方々であったが、急勾配の雪渓は大丈夫だったのだろうかと、ちょっと心配しながら先を急いでしまった。

 私も降りが苦手なのであるが、今日は時計があまり早く進まなかったのではなかろうかと思う程のタイム。(久々・・・) でも、やっぱり濡れた石や根っこは苦手。帰路も下道であったが、午後5時頃には自宅に戻った。山の滞在時間より、道中の方が長いとは、やっぱりおかしいのかもしれない。



6/20 大猫山でも良かったのであるが、何故か山菜のイメージで、ブナクラ谷に引き込まれた。取水口の堰堤を駆け上がると、すぐに、で~んと構えた雪渓となっていた。小ブナクラ谷の雪渓を渡るにも、おっかなびっくりとなる。(帰路は徒渉したが・・) 大ブナクラ谷は水量が多かった。

 そうこう言いながら、戸倉谷の滝付近まで行ったのであるが、節穴付きの私の目は、ウドを見付ける事が出来なかった。(お情け的に7~8本) 全く雪のない所と、雪だらけの所の差が大きく感じたが、その雪渓の状態も一日一日変わっていくので、注意して渡らなければならないようである。

 降るかもしれないと思っていたのに、それどころか、時々青空が覗いた。しかし、一旦曇り出すと急激にガスに覆われる谷筋の怖さもある。早々に馬場島に戻ったが、何故か不完全燃焼で、そのままの荷を担いで中山に登った。「50分で・・」 「一時間で・・」 とタイムを意識して登ったが、全然ダメであった。強者達が去ってしまっていた山頂には、「虫」 と、その後の 「雨」 だけが、私への贈り物となった。



6/19 少し雨が降ったが、一日を通しては殆ど降らなかった。それどころか青空が広がり、夕刻には月まで出たのである。仲間達との明日の予定は、悉く分かれてしまったが、自分の一番行きたい所へ行けば良いのであって、無理して合わせる事もない。自分もどうしたら良いか迷ってしまったのであるが、明朝、馬場島まで出掛けてから行き先を決定しようと思っている。明日も一人になりそうである。



6/18 行けぬと思うけれど、「朝日連峰」・「飯豊連峰」・「木曽駒ヶ岳」・「大山」・「南アの一角」 の五つを遠出の候補にあげてみた。一つでも二つでも行ければ良いのであるが、もしかしたら全滅になるかもしれない。でも、計画段階が実に楽しいのである。

 出来れば一座でも多く、そして、なるべく安上がりであるから、乗り物や有料道路を割愛するのが基本。そして、野営である。カーナビもなければ、地図も古い。であるから、尚更のように下調べが重要というもの。

 遠出というものは、山だけでなく、薄っぺらであるが、言葉や情景などの風土・土地柄を知る事が出来、ちょっとは物知りになる。温泉に浸かりお土産を買う事が出来、土地の美味しい物が食べられれば最高なのであるが、まだその域に達していない。何時かはなってみたい。生活に余裕がなければ、何かを削らなければならない事になる。



6/17 からっとしたお天気が、梅雨入りしてからは、一変に、じと~っとした日々になってしまった。そして、「雲の上に、傘マーク」 が並んでしまった。 6月は、梅雨のイメージが強いが、意外と晴れて何処へでも出掛けていたように思っていたが、過去の記録を見てみると、特別の事をしているわけでなく、結構その行き先に苦労をしていた跡が伺える。最も、雨でも何でも出掛けていたのであるから、あまり参考にはならぬはず。

 「今度はどうする?」 の声が、どこからともなく聞こえて来そうな予報に、じと~っとする身体の切れもイマイチである。この時だからこそ、汗を気にせず鍛えておかなければ、盛夏に思うような行動が出来ないというもの。



6/16 昨日は、久し振りに遅れずして、このコーナーの事を認めたのであるが、如何せんサーバーへUP出来なかった。何度も何度もチャレンジしたのであったが、根が尽きてしまった。後から思うと、混み合っていたのかもしれないし、サーバー側のメンテナスがあったのかもしれない。

 カウンターも作動しなかった。そう言えば、過日、HP開設以来続けていたカウンターが表示されなくなってしまった。(以前のプロバイダーのもの) これも、もうちょっと我慢しておれば、何ともなかったかもしれないが、思い込んでしまったら、もう何を言われてもダメな性格で、現在のものに交換してしまった。

 そんな事は、どうでもいいんだけれど、やっぱり何かを意識していなければ前に進まない。それが目標なのであろうが・・・・



6/15 1月初旬、落雷によってテレビが故障し映らなくなった。修理費用が保険で賄われるというので申請書類を取り寄せたら、「隣の証明」 が必要との事で、修理費が高額でなかった事も相俟って、 申請しないで今日まで来てしまっていた。その間、小型ではあるが、地デジ対応のテレビを買うに至った。(でもアンテナは、まだアナログなのです。)

 最近になって、保険会社から再度申請要請が届いた。こちらは、申請しないつもりであったから、のんびりしていたのであるが、二度も続けてくると、やっぱり放って置くわけにもいくまい。この時節、電話やメールでも良いのであろうが、今までの経緯を認めて郵便として送った。

 そんなつもりで、いつの間にか萎んでしまっていたから、必要書類不整備で、今更申請する程のものではない。なのに、「ちょっとでも、可能性があるのなら連絡してください。」 と付け加えておいた。

 私は、「まめ」 と 「ずぼら」 が同居しているような性格。若い頃は、好き嫌いも激しかった。今の自分から想像も出来ない程である。「丸くなった。」 「角が取れた。」 程ダメになった事に間違いない。今更昔に戻る事など出来ないが、一つのハードルを越えたら、新しい事にチャレンジしてみたい。若くありたいからでもある。



6/14 「雨降ってないよ!」 とは、私に山へ行けという事かなどと、勝手に解釈して出掛ける事にした。なるべく遠くない山、そして、お金を掛けない山から 「人形山」 となった。人形山は、コシアブラの事が、ちょっと気になっていたし、丁度よいと思った。結局雨は降らなかった。下山時、石川から来たというご夫婦と話し込んでしまった。そして、収穫した物を、お裾分けをしてあげた事から、下山後、尚もファミレスで山の話をする事となった。



6/13 明日の予想される天候からして、あまり出掛ける気になれない。「ウソをつけ・・」 という言葉を投げ掛けられそうであるが、志気が下がっている事は間違いない。でも、明日の事は分からない。それは、下界(家)にいて、「何をしているのか・・」 になるからである。

 本当は、する事(やらなければならない事)が山ほどある。でも・・・・・



6/12 用事がないとメールを出さないから、自ずと私に来るメールも少なくなっている。そんな折、富山の池田氏からメールを頂いた。6月に入ってから、立山縦走・クズバ山・ススダケ採りの入山が3回、そして、今日は細蔵山に登って来られたとの事だった。また来週は、朝日岳との事であるから、凄いエネルギーである。

 同氏を 「身近なお手本・目標」 として、私も頑張らなくてはの思いが高まった事は言うまでもない。細蔵山の同行者として、辰口氏とD夫妻の名があった。また、西村女史との遭遇も記せられていた。馴染みの名を見るに付け、何だか楽しくなって来るものである。

 「雪が降る頃まで、ご一緒機会はないのでしょうかね?」 のお返事を出したが、同氏のご活躍は、他の人達のHPやブログで伺っている故、そのギャップはあまりない。また同氏を目標とするが、大事な山仲間に変わりはない。



6/11 中5日だと、すぐに休日がやって来る。それこそ、疲れが取れぬ間に休日になるのであるが、週休2日、そして、祝日も休みになる方々などは、休日が有り過ぎとはならないのかと心配になる。

 「次行く山は何処?」 「山菜も採りたいが、お山のてっぺんにも登りたい。」 予報を気にしながらになるが、長女・孫の母娘が、またまた来高し、「山ノ神」 が出にくくなった。「何処へ行ってもよい。」 には、ならないようになりつつある。



6/10 やっぱり長い間運転をすると疲れる。ましてや深夜の運転となると尚更である。ハードな山行も疲れが残るようになった。酒量も同じであるのに、すぐ眠たくなる。こんなのは鍛える事が出来るのであろうか・・・・

 口では、「歳を取った。」 などと言っているが、やっぱりイヤである。「疲れる。」 だけならまだ良いが、「疲れが取れない。残る。」 になると、いよいよである。そんな事にならないように、まずは、「張りのある生活」 に心掛けよう。そして摂生・鍛錬であろう。それは、思うようにならない事ばかり・・・・・・・・・



6/9 矢板から日光・沼田経由、でも、沼田~湯沢間だけを高速の乗った。(通勤時間帯割引 半額の700円) 湯沢・塩沢・中里・十日町~253号線~上越・糸魚川・朝日・魚津の道を辿って9時間であった。

 当初の計画では、沼田から高速利用であった。しかし、半額利用をするとなると、深夜0時を過ぎるまで、最寄りのPかSAで待機をしなくてはならないし、家に着いてからは、冷たいビールを飲む時間がなくなるのではないかとの心配があったからであった。

 我々は、通常8号線に近い魚津ICを利用する事が多い。そこから家まで45分である。(小杉IC利用の場合は15~20分) 午前1時近くに到着では、入浴そして、明日の仕事の事を考慮すると、飲む時間がなくなるので、下道は、それより早く着けるのではないかとの目算からであった。

 そして、以前通った三国峠越えも考えたが、後々の時間と睡魔も考え、関越トンネル部分だけは高速としたのであった。自宅着が午後11時であったから、何とかビールに有り付けたが、飲みたいと思う程飲めないものであった。



6/8 夜中は、いろいろな動物の鳴き声に、時々目を覚ましたが、眠たくて起き上がる事もなかった。でも、魔除けとして、食事の時から立てていたろうそくと、テントの中で、懐中電灯を点けたままにしていたから、ちょっとは、心を休める事が出来たのではなかろうか・・・・

 私達は、八方ヶ原・大間々台の矢板市側から登ったのであるが、高原山の最高峰・釈迦ヶ岳は、同市に位置しないからか、案内板には、そのルートなど表示されていなく、自然遊歩道なるものだけが載っていた。またカシミール地図にも、そのルートの登山道がなく、他人様のHPを頼りとなってしまった。

 そのような状態であったが、登山道はしっかり整備され歩き易かった。大間々・小間々は、レンゲツツジが見頃時期を迎え、平日であったが、それなりの観光客が詰めかけていたが、我々が歩いた登山道では、二人の方と擦れ違っただけであった。

 八海神社付近までは、シロヤシオとアカヤシオ(もしかしたら、ミツバツツジかも・・) が、ずっと咲いており、「山ノ神」 が、この時とばかりに、シャッターを切り続けており、なかなか上がって来ない状態が続いた。

 前日の好天と違い今日は曇りがちであった。もしかしたら、降るのではないかと思わせる雲行きもあったが、それでも、風がその雲を吹き飛ばしてくれたかのように、遠くの山並みまで望めるのであった。しかし、我々の知る山などはなく、ちょっぴり寂しさを感じてしまった。

 剣が峰付近を経由して、釈迦ヶ岳に至のであるが、その距離なるものは、相当離れて感じた。本当に行けるのかと思うほどであったが、人の足は凄いものであって、足さえ前に出しておれば、それなりの時間で行けるのである。

 釈迦ヶ岳から、もう少し行くと鶏頂山というピークがある。当初は計画に入っていたのであるが、「山ノ神」 が、全く興味を示さず、私だけに 「行って来られ・・」 と勧めたのであるが、往復で1時間半から2時間も放って置くわけにもいかず、また、お互い何かがあっては、取り返しのつかない事になるだけに、早めの昼食を済ませて、下山の途に着いた。八海神社から林間コースで大間々に向かったが、平凡なコースであった。大間々に着いてから、しばらく、レンゲツツジを楽しんだ後、日光経由の下道で高岡に向かった。



6/7 「那須まで500キロ」 なるべく早く出発しよう思っていたが、それでも小杉ICに入ったのが、午後9時半頃であった。午前0時まで入れば、一応「高速1,000円」 の恩恵を確保する事が出来一安心であった。最近は、睡魔との戦いも遠出の障壁となっており、先行きに不安があったが、「山ノ神」 の助けもあり、予定通りに目的地に到達する事が出来た。

 那須岳は百名山であるから選んだ事には違いないが、「とにかく登ってみたい。」 のが本音。良い悪いの評価は、登ってからと言うのが我々の考えである。そして、出来れば一日一座の目標があり、二日間の休日であるから二座とまたまた欲張ってしまった。

 ロープウェー奥の峠茶屋下駐車場は1,460mで、那須岳最高峰の三本槍岳との標高差は450m程しかない。しかし、歩行距離は約13キロ。我々の所要時間は7時間であった。如何にも岩稜の山と思える朝日岳、湿地状の平坦地を経ての最高峰・三本槍岳、そして戻って、活火山の様相を呈している茶臼岳の火口を一周するなど、那須岳の代表させる所を歩いた。

 特別に危険な所もないが、いろいろ変化があって、それなりの趣がある那須岳は、久弥が登った頃は、どのような感じであったのであろうかと思いながら、次の山である高原山へと向かった。

 カーナビもなく、古い地図一冊を持っての移動であるから、助手席のアドバイスがなくては、なかなか思うようにいかない。その夜も、1250mの最奥駐車場でのテント泊であった。いろいろな動物が出て来て、ちょっぴり不安であったが、睡眠不足もあり一杯飲んで寝てしまった。



6/6 思い切って那須方面に行く事にしました。昨日よりは、少しだけ予報は良い方に・・・・ 昨年来、何回となく企画して流しているだけに、「降ったら降った・・」 です。でも、車の運転が長いのです。



6/5 遠出を希望していたのですが、「曇り」、そして、目的地に、「時々雨」 の予報が出た。そうなると60%の確率で行くのを止めようかと思っています。



6/4
「×」




6/3
「×」




6/2
「×」




6/1
「昨日の大日岳を反省。」