9/30 もう少ししたら、山ばっかしでなく、旅行もしてみたいと思っている。それは、必ずしも遠くを差すものでなく、魅力のあるところなら何処でも良いのである。出来たら公共の乗り物で行き、時間を掛けてゆっくり見て回りたい。もしかしたら、北陸だけであっても良いし、富山県内であっても構わない。

 ゆっくりという事は、時間とお金が付いて回る。元気であれば、時間は何とかなるとしても、やはり経済的な窮地に陥る。何も贅沢をしたいと思っていないから、詰められるところがあれば、我慢すればよいのであるが・・・・

 でも、ゆっくりという事は、「贅沢」 なのかもしれない。船旅や鈍行の旅は、その典型であろう。今更、自転車や歩きの旅は頭にないが、電車やバスなどを組み合わせれば、結構面白いのではと胸が弾む。「そんなの出来るわけがない。」 などと諦めるには未だ早過ぎる。黄門様のようには行かなくとも、見たいところがいっぱい。

 その節目を、いつにするかと考えるのも楽しい。「元じいの山歩き」 になる前に、「元さんの山旅」 とか、「元さんの山と旅」 に、タイトルを変更しなくてはと思っている。でも、ちょっと、息を入れると、「お前さんは、いつまでも、リックを担いで歩いているしかないだろう。」 と囁きが聞こえて来そう。



9/29 今日も、「北ちゃん」に、GPSの事を教えてもらった。簡単な事なのに手を煩わせている。PCでも、デジカメでも、何とか使う事が出来たら、ついつい、学ばなければならぬ事を、「後から・・」 となってしまう。後から勉強したことが殆どなく、いろんな方々に迷惑を掛ける羽目になってしまう。

 「山が好きなら、もっと勉強しろ!」 と、この機会に心を入れ替えようと思う。そしたら、また、皆の手を煩わす事になるか・・・・ でも、意欲だけは伝わるかもしれない。宿命と言えるかどうか分からないが、「すぐ忘れる。」 「覚えておれない。」 「何度も同じ事を・・」 が、日常茶飯である。しかし、やらないより良いであろう。歩留まりは必ずあるハズ。



9/28 今年は何処の山で紅葉を楽しもうかと考えているのですが、お天気周りがどうかに掛かっています。低山なら、いっぺんに楽しめるかもしれませんが、ある程度の高さのある山ですと、全山というわけにもいきません。逆にいうと、何処かで楽しむ事が出来るかもしれません。

 近年の記録を振り返ってみますと、やはりブナクラに関わります大猫山・猫又山・赤谷山が多いようでした。そして、毛勝山にも足を運んでいるようでした。その他には、ちょっと離れた火打山や妙高山、そして、天蓋山などにも出掛けたように思っております。白山も、しかりだったような気がします。

 でも、2年前の金山・天狗原山、そして、黒岩山が凄く印象に残っているのは何故でしょう。紅葉を楽しむためには、お天気の他に雰囲気(気分)が、結構左右されるような気がしております。楽しければ、皆良しなのでしょう・・・・・



9/27 午前5時に起きたのに、出発は6時20分になってしまった。もっとも、前夜には何処へ行こうとか、何時に起きようとかを、決めていなかったから、仕方がないと言えば、それまでであるが、「必ず何処かへ行く事は分かっているのに・・」 と、今日は私が、ずっとだんまりを決め込んでしまった。

 ラッシュになる。「もう30分早く出れば、1時間は早く着くのに・・」 である。なってしまったものは仕方がないと諦めればいいものを、「私も大人げない。」 とちょっと反省。車の中で2時間半も喋らなければ、今度は喋らないのが辛くなる。

 朝起きて空を見上げれば、かなり良い天気。夜はどうか分からないが、日中は、何とか持ちこたえるのではないかと、僧ヶ岳・駒ヶ岳を選択した。「山ノ神」 は、北駒ヶ岳まで何度か行っているが、まだ駒ヶ岳の山頂を踏んでいない。「このような時に是非」 と思ったのに、何をしているのかと思う程準備が遅いから・・・

 月曜日だし特別お天気でもないから登山者などいないと思っていたが、烏帽子口には予想を上回る車があった。私は、工事関係者の車かと思っていたが、仏ヶ平や山頂、あるいは、途中で遭った人を数えれば、18人であったから、あれは全て登山者の車であったのかもしれない。

 往路は、鉱山道を進み、僧ヶ岳山頂には、11時40分頃に着いたのであるから、駒ヶ岳へは射程圏内と思っていた。もっとも、急かさず 「山ノ神」 のペースで歩いたのである。山頂におられた方々と、ちょっとだけお喋りをしてから、北駒ヶ岳に向かったが、「まだ~。まだけ。」 と、「山ノ神」 の表情が険しくなっていった。

 北駒ヶ岳到着が午後1時であった。「もう限界。」 の言葉が、「山ノ神」 の口から飛び出した。「3時半まで僧ヶ岳に戻りたい。」 と言っていたからであろうか、それとも、駒ヶ岳まで行けば、食事時間がなくなってしまうからであろうか・・・ でも、「山ノ神」 は、「2週間ぶりだから・・」 を強調したが・・・・・・

 「それなら、ここで諦めよう。」 となったが、さて、食事する適当な場所がなく、ならば、「もうちょっと、駒ヶ岳方面に行こう。」 となった。しかし、なかなか見当たらず、「ここまで来たら、あんただけ頂上へ行って来られ・・」 である。「私は、北駒ヶ岳まで戻るから、2時まで戻って来られ・・」 と、私のザックからビールだけ取り出して、サッサと戻って行ってしまった。

 私に与えられた時間は40分強であり、駒ヶ岳山頂で三脚を立てて証拠写真を2枚撮っただけである。お腹が空いたが、我慢して、ちょうど2時に北駒ヶ岳に戻る事が出来た。早速、火を点けて、カップ麺を食べた。急激に食べると腹痛を催すので、半分をゆっくり食べた。「飲み過ぎると帰りの登りがきついぜ!」 と、「山ノ神」 に、釘を打っていたが、それでも、1時間で僧ヶ岳に戻れ、コーヒーを入れた。

 時計は3時50分になっていたが、疲れ果てるより、充分な休息を取った方が、後々良いと判断したからである。帰路は前僧コースを辿り、烏帽子口登山口到着は、午後5時40分であった。6時前の出発となれば、林道は当然の如く、真っ暗道を行かなければいけなくなる。でも、高岡へは下道を通しても、8時前に着く事が出来た。



9/26 「先週の月曜日に金剛堂山に行く予定だったのですが、 雨のため中止になり今日行ってきました!! 登頂した感想は…今まで登った山の中で一番疲れました(汗) でも、登頂してからの昼ごはんと、下山してからのお風呂は最高でした☆」 こんなメールを、昨秋 「中山」 でお会いした吉国女史から頂いた。

 お父様やお母様が、私と同じくらいか、もうちょっと下と言っておられたから、若い元気な女性である。「山はステキです。」 「とてもいいです。」 と言っておられたが、「尖山」 でも疲れるという程、まだ初心者の域であるが、「星が見たい。」 「あの稜線を歩きたい。」 など、夢をいっぱい持っておられるから、話をお聞きしていても楽しい。幸い職場でも山好きの先輩達を見付けられたもようで今後が楽しみである。そして、私のような者にまで、時々メールを下さるのであるから、私も頑張らなくてはと思ってしまう。



9/25 大猫平のちょっと手前で、「ブナクラ修復・・」 と書かれたザックを見付けた。その先で、コツコツと整備をされている方が目に入り、思わず 「ご苦労様です。」 「ありがとうございます。」 が口から出た。「お陰様で・・」 まで自然に出た。その方は、ニコニコしながら、私の荷を見てか「お泊まりですか?」 と言われたもので、これもまた、咄嗟に、「汚しませんから・・」 と言ってしまった。

 そんな会話がしばらく続いた後、お互いに 「あ~っ」 「あっ~」 と、顔をほころばせ手を取り合った。「しばらくぶりです。」 お互いに、「風の便りで伺っていますが・・・」 となった。その人こそ、登山道作った後も、整備を続けておられる宮村氏である。「高齢化が進んだ所為もあり、なかなか人が集まらないのですよ。 (ブナクラは、森川氏がやっておられる様子。)」 との事。

 荒れた登山道を見る度に、「鎌やハサミを持参して、10mでも20mでもいいから刈ればいいのに・・・」 と思いながら、まだ実行していない自分が情けないと思う。今回、宮村氏のその姿を目の当たりにして、「今度から・・」 を忘れないように肝に銘じた。

 平成9年4月、大熊山でお会いしてからは、1~2度小佐波御前山でお会いしただけだと思っている。後は、賀状のやり取りだけになっているが、新しい登山道の整備された毎に、お便りは頂いていた。また、友人・知人が、「宮村さんに会ったよ! 宜しく言っておいでたよ!」 などと、何度となく近況を知らせてもらった事があった。お会いする機会は少ないが、私の事を理解して、また大事にして下さる同氏も、私の山友である。



9/24 この度の大猫・猫又山行で、手が攣って困ってしまったが、その原因を考えて見ると、重荷を背負っての歩きであっただけに、バランスを保つため、枝木や草の根、そして、つかまれる物なら何でも掴んだり引っ張ったりした為の後遺症(筋肉痛)であったような気がする。家に戻っても、太腿の痛みより腕の痛みがずっと残った。

 一日目など、毎日やっている腕立て伏せをこなすのがとても辛かった。今も、その痛みが少しであるが残っている状態である。この筋肉は、あまり鍛えていなかった事になるから、今後考えなくてはならぬ事になってしまった。



9/23 前夜は、珍しくお酒を飲まなかったが、夜更かしをしてしまったので一日が辛かった。しかし、仕事をしていると緊張感があり、何とかなるのであるが、一旦休むと、いっぺんに睡魔が襲って来る。歯磨きをしながらでも眠ってしまい、ブラシが床に落ちている。ハッとして、「今、何時・・」 「ここは、何処・・」 などとなる。こんなところにも、体力の無さを感じるようになった。急な寒気襲来に、布団にくるまり眠れる喜びに浸った。



9/22 剱岳を眺めるには、「細蔵山」が、一番の展望台と思っていた時期がある。(もっとも、無雪期、また、最近出来た夏道を歩いた事は、まだないが・・・) 大猫山に登るようになって、そのスケールの大きさに心が奪われ虜になってしまった。

 でも、私の心は移り気である。「剱が一番きれいなのは、別山から眺めるのに尽きる。」 と、今でも思っている。三角で如何にも剱と思われる大日岳から眺めるのもいい。他に、赤谷山・中山・早乙女岳・大熊山・赤谷ノ頭・千石城山・ハゲ山・城ヶ平山・大平山・濁谷山・大倉山・土倉山・駒ヶ岳・大辻山・高峰山・毛勝山・大明神山・初雪山など、あげれば切りがない。

 好みは、人それぞれであるが、でも、やっぱり私は、剱岳の山容が一番きれいに見え、剱岳らしい雰囲気を醸し出しているのは、やはり別山からだと思っている。そして、長い間滞在するのに良いのは剱沢だと思っている。でも、最近、猫又山からの眺める剱岳に心を奪われている。赤谷山より離れているが、毛勝山より近く、猫又山のカールと剣岳北方稜線の雰囲気が気に入るところである。

 しかし、40年以上、仙人や池ノ平に足を運んでおらず、若かった頃の思いや目が、現在の自分と乖離している事は充分に考えられ、あくまでも今の自分の思いを述べているだけの事である。また、高校時代の先輩に、「ハシゴ段乗越からの剱岳もいいぞ! マイナピークが、でんと見えるんだ。」 と言われた事が、40余年経った今も脳裏にある。その間、2回機会があって、ハシゴ段乗越に足を運んだのであるが、2回ともガスに覆われ、その姿を見ることが出来なかった。

 でも、その視点は常に変わるし、変わっても良いと思う。そう言いながら、それを肴にして一杯やるのも楽しいものだ!



9/21 18日の当欄で、「誰か来ないかな・・」 に、反応して下さった方々があった。遅い出発であったし、往路では出会う方々がいないと思っていたが、皆が周遊コースを辿られる事などないと思っていた。そして、まずまずのお天気であっただけに、魚津のお二人だけしかお会い出来なかったのは意外であった。

 ところが、今日の午後、この度日本百名山完踏を果たされた関本さんから、「9/18のHPを見ると連休は大猫と猫又山と書いてあり、ならば・・・・・・・(中略)  私達は6:50から登ったのですが、登られた時間が元ちゃんは遅かったようですね。お会い出来なくてとても残念でした。」 のメールを頂いた。

 「わ~っ、とても残念だった。」 と思ったが、3人とも健脚であるだけに、「みっともないところをお見せしなくて良かった。(笑)」 と妙な納得をさせた。関本さんのHPによると、ブナクラ谷を経由して、猫又山に来られた団体さんがあったようだが、黄昏時に、猫又山に辿り着いた私は、誰ともお会い出来なかった。



9/20 結局、夜半から少々風を伴った雨が降り出した。何が悪かったのか知らないが、お腹の調子も悪くなってしまった。眠れなかった。何度も何度も時計を見るが、針は進まず長い長い夜であった。夜が明けても視界がなかったが、細かい雨だったので山頂だけは踏んできた。(約5分)

 お天気が良くないので、釜谷山は諦めた。そして、今回、またまた主食を自宅のテーブルに忘れて来た事と、ブナクラ峠へ降りる登山道の状態を把握していなかった上(結果的には整備されていたのかもしれないが・・・)、お腹の調子がイマイチだったので、復路を昨日登ってきた大猫山経由にする事にした。

 それには、昨日撮り損ねた写真を、もう一度撮れないものだろうかの思いもあったからである。2~3時間経てば、雲の流れが変わる事もあるから・・ でも、その願いは届かず、2~3度剱のてっぺんを見せるかと思いきや、すぐに隠れ、その後は一度も姿を現さなかった。大猫山頂上でも、大猫平でも、少しは待ってみたが残念ながらである。

 今日は敬老の日で、お天気なら誰かが登ってきても良いと思うのだが、如何せん雨。そして、ガスであるから誰一人上がって来なかった。1550m地点で、滑って四つん這いになって倒れた。荷が背に覆いかかり、臑を打ち、枝が目尻に当たった。(目に入らなかって良かった。) そして、なかなか立ち上がられなかった。



9/19 「山ノ神」を、高岡駅まで送ってから馬場島に向かった。馬場島では車が溢れ、至る所に駐車されていた。ブナクラ取水口でも、かなりの車が押し寄せており、遅い到着の私は、辛うじて車を止める事が出来た。22キロの荷は、快適に過ごしたい理由から、水とアルコール類だけで5キロを占めていた。遅い出発であれど、ゆっくり楽しみながら歩く事に務めた。

 途中、大猫山が初めてだと言われる魚津の鹿熊氏と浜田氏出会、何となくご一緒する事になる。あちら様は、私の事を何となく、何処かで見たような気がすると言われ、こちらもあの方々は、何処かで見たような気がするとなる。

 私の事をPCで見たとなった。私からは、鹿熊氏は俳優の阿部寛、浜田氏は巨人軍の阿部慎之助に似ているのである。お二人も、時々、そのような事を言われるそうでした。そのような事もあり、荷を担いだ割にしては、4時間半で大猫山山頂に達する事が出来た。今の私の状態では、息も上がらずスムーズによく来たものであった。

 コーヒーを飲み記念写真を撮って、お二人と別れ、猫又山に向かった。パラパラと何度となく雨が落ちたが、視界は良く、ずっと剱岳を撮りながら歩いた。時には座って、また寝転んだりしながら・・・

 テン場はなるべく自然を壊さないように努めたが、3~4人用のテントを張るのに、風が伴いちょっと戸惑った。張り終わって担いで来たビールを、グッと飲んだのであるが、実に美味しかった。しかし、黄昏が迫り食事の準備を始めた途端に手が攣り始めた。その手を揉み始めたら、今度は両手とも攣りだし何も出来なくなった。足を動かしたら、そちらも攣りそうになったので、しばらく動かずにいた。(梗塞まで疑ってしまった。)

   もしかしたら、今日は汗を掻いた割には、話し込んだり写真を撮ったりばかりしていて、水分補給を殆どしていなかったから、(一日で、200mlくらいしか飲んでいなかった。)このようになったのではなかろうか思い急いで水を飲んだ。すぐには収まらなかったが、時間が経つに連れ良くなったが、今度は、酒の肴にとハムを食べたが、全然美味しくなく悪くなっているのではないかと思った。(残して家に帰ってから食べたが何ともなかった。)

 そして、主食を忘れて来た事に気が付く。(カップ麺や焼きそば)でも、辛うじて、芝寿司を買ってきていたので何とかなると思った。しかし、あまり食べられず、持って来たビールや清酒も残す羽目となってしまった。カップ麺や焼きそばの為もあって余計に担いで来た水も、正しく水の泡であった。長い長い夜が始まった。



9/18 明日からの連休は、遠出は止め、ブナクラ周辺の山々に決めた。大猫山・猫又山・赤谷山である。今のところテントを担いで行くつもりであるが、事情によっては、馬場島泊も有りゆる。どちらにしても、ゆっくり歩き、何か新しい発見に努めたい。今のところ一人である。ちょっと寂しいな。誰か来ないかな・・・・



9/17 山ノ神の上京は、日曜日(9/19)の早朝、そして、町内の事も段取りが着き、山行への支障はなくなった。後は、お天気と自分の志気であるが、あまり盛り上がっていない。重い荷を担いで降られたり、ずっと奥まで入って降られるのも辛い。行かない訳がないが、「日帰りの2日間も有り。」 になって来た。もう一日、お天気を確かめたい。



9/16 シルバーウィークの予報があまり良くない。と言っても、それは北陸・東北に限られそうではあるが・・・ 私の休日(9/19~9/20)は、まともに雨や曇りである。ちょっとだけ、エリアを外せば、まずまずの予報であるが、我が家には、「山ノ神」 を、出し抜いてはいけないという不文律がある。

 「山ノ神 の留守中に、彼女にも行けそうな所には行ってはいけない。」 という事である。ならば、行けそうでない所になるのであるが、やはりお天気が良くないと面白くないし、恐い所には行きたくない。そんなところに、町内の同じ班の方に不幸が発生した。その関わり如何によっては、私の行動にも支障・制限が出来てくる。



9/15 杉原女史から、マスカット(アレキサンドリア)が贈られて来た。一ヶ月前の北ア来訪の際、特別な事をしたわけでなく申し訳ないと思いながら、「岡山は、マスカットの名産地なんだ。」 と一粒口に入れた。テント泊への変更、バスからマイカーへの変更ぐらいしか心当たりがなく、それも予定の範囲以内であったが、ここは素直に頂く事にした。

 それよりも過日、写真同封のお便りを頂きながら、お返事を出していない事がずっと気になっていた。メールさえしていないのであるから、私とした事が恥ずかしい。「山ノ神」 が、メールしていた事に免じて許してもらうしかない。その事も含めて、今日は、長いメールを送っておいた。もちろん、後日お便りをする約束を込めて・・・・

 こんな粗雑な私(達)であるが、「富山が気に入ったら、またおいでよ!」 と述べておいたが、それは、あちらの感じ方次第であるから、後々の事は分からない。こんな事は、もう少し時間が経ってから、何かを感じるものである。娘のような年齢だし・・・ 口数が少なくても、何となく楽しい。



9/14 食事を終えほろ酔い気分の時、「今が最高。」 と言っていた父を思い出す。「もうちょっと何とか・・」 よりも、「こんなに幸せで良いのか・・」 である。欲を捨て妬まなければ、本当にそうかもしれないと思う。家族中が健康で、ワイワイ言っておれば、それ以上の事はないのである。当時は7人家族、今は、「山ノ神」 と、たった二人である。少しの欲と、ちょっとの妬みを持ち合わせても罰は当たるまい。それでも、家族の他に、親戚・友人・知人が、皆幸せならどんなに良いかと思う。

 この世は、思うようになるのが不思議で、ならないのが当たり前。少々あちこちが痛かろうが、毎週のように山歩きが出来、多くの山仲間と語る事が出来る。少々借金があろうが、まだ仕事が出来る。あれも欲しいこれも欲しいなど小さな事、もうちょっと、小遣いが欲しいなどは修行が足りないだけ。そして、人様にして欲しいと望まず、少しでも人様のために役にたつ事を と思えば、何もかも解決するような気がする。

 一杯飲んで、気が紛れるなどは、まだ人間が出来ていない証拠かもしれない。60年使った身体は、少々痛みが生じているが、未だこれからでも、世の中のために尽くせる事があるかもしれない。でも、飲んでワイワイ言っておるのが楽なんだよ・・・ その仲良しの延長線上に、平和があるなどは、”こじつけ” でしかないか。



9/13 雨の予報は、何処に行こうかと悩む反面、「近場で朝起きてから決めればよい。」 などと、意外とホッとする時もある。「夜更かしをしても良い。」 「朝寝も、ある程度許される。」 からであるが、元々就寝は遅く、起床も早い。「休日の朝寝など、何ともったいない。」 が頭にあるだけに、布団の中にいつまでもおられない。

 北ちゃん達の白木峰行きの予定を聞いていたが、私達はあえて、「時間を気にせず、行き先は明日に・・」 を選んだ。でも、そのお天気は、降ったりやんだりで、時々強く降るものであった。午後から雨が上がりそうな予報であるが、お天気を約束してくれるものではない。

 雨の日のレパートリーは、屋根のある(避難小屋がある。)山や、お花を楽しめる山、そして、ぬかるみの少ない山など、幾つか持ち合わせているが、同じ所ばかりでなく、たまには違った所へと心が動くものである。結果的には、今年未だ出掛けていない 「大辻山」 としたが、ちょっとでも、ぬかるみの少ない北尾根コースを選択した。もっとも、鳥越峠からは、高峰山にも登れるとのバリエーションもあったからであるが・・・ (2座共登るという下心がないではなかったが・・)

 しかし、登り始めは午後0時半である。その頃は陽が差し始めたが、高度を上げる毎に、今にも降りそうな空模様になっていった。でも、結果的には雨は落ちなかった。始めから、「サブザックよ!」 と言っていた 「山ノ神」 であったが、しっかり ”点滴” だけは用意してあった。しかも、それは私が担ぐのであるから質が悪いというものである。まあ~、こんな時に付き合ってくれるのは、女房殿だけであるから、サービスというしかないであろう。

 鳥越峠に戻ったのは、ゆっくりとはいえ、午後4時45分頃、いつもなら、同峠から千石・早乙女湖方面は、通行止となっているのであるが、そのゲートが、片隅に撤去されているのを見た 「山ノ神」 は、千石城山行きを提案したのであった。城山には何か思惑があったようであるが、登り始めは何と午後5時半である。「暗くなってしまうよ!」 と急かしたが、「山ノ神」 は、杉林から外れて何かを探し始めたのである。

 しかし、それは ミョウガ? だったのであろうが、全く思惑が外れたようであった。もっと、思惑が外れたのは、その後引き返すつもりであったのが、ドンドン上に登って行く私に、着いて行かなければならなかった事であったようである。片方向は、夕陽があり青空が覗こうとしていたが、反対方向は、厚い雲の覆われ、今にも降りそうであった。それでも、何とか薄明るい内に山頂に達したのであるが、口に入るものは、水 だけ・・・

 下山途中から、ヘッドランプを点けての歩きとなったが、久し振りに何故か新鮮な山歩きに感じた。それでも、車を吹っ飛ばせれば、家に辿り着いたのは、午後8時過ぎ、なんだかんだと言っても、今日も10時間家を離れた事になる。



9/12 明日の予報は良くない。無理して出掛ける事もないであろう。でも、ちょっとだけ歩きたいから、「起きてから・・」 「空を見ながら・・」 になるであろう。今夜は、起床時間を気にしないで寝られる。だからと言って、それが身体に良いとも限らない。やはり自分のライフスタイルに沿った方が調子が良いに決まっている。



9/11 山の友人から、一定の年齢に達したから、年賀状を辞退したいという、私にしてみれば、「絶縁状」 のようなものをもらった事がある。一人は、大正生まれの寺口氏である。同氏は、昨年単独で剱岳に登られた程の健脚者、「あなたが、どう思われようと構わないが、私は出し続けます。」 が通じてか、今も楽しい年賀状が届いている。最近は、メールのやり取りも滞っているだけに、お元気なのだろうかの思いもあるが、年賀状に、その近況を認めてあるのが楽しみである。

 もう一人は、県東部にお住まいのYさん。ちょっとショックであったが、同様に出し続けている。確か一度しかお会いしていないと記憶しているが、何故か気になるお方。年賀状以外にも、時々、山の便りを出している。そんな私に、「懐かしい懐かしいお便りをありがとうございました。」 の返事が届いた。もちろん飛び上がって喜んだ。もう、お会いする事もないと思っているが、私の 「山の便り」 を、素直に受け取って頂ければそれだけでいい。



9/10 私に届くメールは決して多くはないが、殆どが女性である。仲間内の山行についての連絡を除けば、お便りもメールも本当にそうなのである。最近は、「山女子」「山ガール」 と称される方々の関係か、年齢からして私の子供のような方が多い。

 「それは、あんたが、むやみに若い女性に声を掛けるからでは・・」 と、「山ノ神」 に詰られないではないが、嬉しい反面、文章に結構気を使う。失語(失言)を、さっと流してくれるような年齢ではないし、世への失望と繋がらせてはいけないと思うからである。その点、仲間内であれば、気楽なものだし、同年代や目上の方などには、頼れるという利点もある。でも、誰から頂いても嬉しい事に変わりはない。

 私から知らない人に、あるいは、HPを通じて、一方的にメールを送った事は殆どない。この10年余で、1~2回、いや、2~3回あるかないかである。最近、ちょっとだけ知り合いのブログにコメントを書いた事があるが、やっぱり、それでも何だか恥ずかしい。だから、メールを下さる方は、本当に勇気があると思っている。

 そんな折、高岡の関本夫妻(HPは、T&Mの山歩き)が、日本百名山に踏破された事を知り、お祝いのメッセージを送った。お名前は伺っていたが面識もなく、「どのように・・」 と思ったのであるが、「おめでたい事はおめでたいのであるから・・」 それ以上の事はない。

 世間には、山歩きをする方が大勢おられるが、夫婦であれだけ登られる方々そんなにない。特筆するに値すると思う。この後、二百名山・三百名山を目指されるのも良いし、もう一度百名山を登り返す(二回り)のも良いのでは・・・ 

 「家族が健康だったこと、快く送り出して くれたこと、分家だったこと、比較的時間の融通がきく職業だったこと、など環境に も恵まれました。あとは二人が協力し合えた事」 などとの感想のお返事を頂き、そして、お二人の共有・共感を述べておられた。

 登りやすい所、簡単な所、行きやすい所ばかりの私達の山行スタイルでは、とてもあのような山歴を残す事は出来ないが、「いつでも行く。」「ともかく行く。」 だけでも拘るしかないであろう。前に足さえ出しておれば、何時かは着く。それも、そんなに時間的には大差はない。長い人生からして、ちょっとの事。「何かをした・・」 を自分の胸に刻む事が重要なのかもしれない。

 

9/9 娘がSOSを発しているように感じ、「山ノ神」 が上京する事になりそうだ。あまり長いと困るが、ちょうど良い4~5日程度であるし、第3日曜・月曜日が含まれるから、私自身の被害は少ないのではないかと思う。その連休が晴れれば最高なのであるが、その行き先は定まっていない。

 今から、はっきり行き先が決まっておれば、「山ノ神」 のやっかみで、「雨降れコール」 が連日聞かされてはたまらない。「日帰りになるかもしれないし、もしかしたら山に行かないかもしれない。」 と、うそぶいている方が、我が家は平和である。

 ガソリン代や食料などの費用は、「一人で行くのであるから・・」 と出してくれないだろうし、一日の食費も500円か1000円しかくれないであろうから、ニッチモサッチモいかなくなる。これからの一週間、何とかゴマをすり、ちょっとでも歳費を捻出しなければ、行き先にも支障が出かねない。家にある物を食材にしても、どうしてもいるものはある。それでもダメなら、乗り物に一切乗らず、また有料道路を通らない。駐車料も払わない所に行くしかない。



9/8 私は、手紙やハガキなど便りを出すのは意外と好きである。そして、頂くのは、とてもハッピーな気分である。しかし、その返事となると、萎んでしまう悪い癖がある。もちろん出さないわけがないが、あれやこれやと思うからであろうが、すぐに出せないで困ってしまう。最近は、山の写真に、ちょっとのコメントを書き、近況を知らせる事の方が何かしら多くなってしまった。

 メールもそうである。長文だと、「そうですね。」 などと簡単に片付けるのは失礼ではないかと、これまた遅れがちになる。そんな事を気にせず、思いのままにすれば、何ともなく上手く行くのに・・・ね。  「これからは、そうしなくては・・・」 そんな事で宿題がたくさん残っている。HPもそのような事が言えるのかもね。



9/7 良さそうなお天気でもないし、外壁工事の始まるのを見届けてから、家を出たいと思っていただけに、遠出や時間の掛かる所を始めから除外していた。久し振りに 「医王山」 を頭に浮かべたが、「山ノ神」 には、嬉しいものではなかったようだ。国見ヒュッテに着いた頃から雨が降り出し、「止めよう」 という言葉を 「山ノ神」 は、待っていたかのようであった。

 「ヤバイと思った時点で引き返すから・・」 を条件に突入したが、身体に群がるブヨだけで止めるわけにはいかず、ドンドン梯子坂を降った。久し振りの医王山は、見た目にも感じ方も随分違ったように思えた。加齢は随分と意地悪で「こんなハズではない。」 ではなく、「こんなに酷い所だったのか。」 と思わせてしまった。小川(沢)に出て、「直接、白兀頂上に行くルートがあったろうか!」 とまずは驚く。

 雨が強くなって、「山ノ神」 は雨具を着る。「始めから鳶岩に行きたくない。」 と言っていただけに、降れば尚更の様に言う。ならば 「三蛇ノ滝まで・・」 となったが、鎖があっても「山ノ神」 には、へつりは難問。唯でさえイヤなのに、雨で岩場が濡れれば動きが止まってしまう。若い頃に辿った記憶も遠いものになって、またまた 「あんただけ行って来られ・・」である。

 では、ちょっと様子を見てからと思ってみても、嫌がる「山ノ神」 に無理強いする事もなかろうと私だけが行く事になるが、長い間放って置くわけにもいかず、走るように行かなければならない。滝に着いてもゆっくりする間もなく、証拠写真のためにもセルフタイマーにする台を見付けなければならない。少々手間取ったが、すぐにUターンして、「山ノ神」 の元に返ったが、その言い草が可笑しい。「鳶岩まで行ってきたのか・・」 である。「あんたが待っているかもしれないと思って、早く帰って来たのではないか・・・」

 せっかくコンビニで買ってきたおにぎりやカップ麺も食べる事なく、早々に梯子坂を登り始めたのであるが、「山頂に行かなかったので、せめて三千坊展望台まで行かないか・・」 とのアピールに乗ったのがまずかったのか、土砂降りに見舞われてしまった。それでも、展望台を雨宿りとして、”点滴” だけは忘れていなかったようである。車に乗っての林道は、前も見えないくらいの雨となってしまった。



9/6 昨夜は、「燕岳」と「雪倉岳」で話が流れた。今朝は、「唐松岳」と「大猫山」で、またまた話がこじれそうになったが、私が折れる事になる。「それ行くぞ!」 となっても、何がどうしてそうなるのか分からないが、「山ノ神」にかなりの準備の時間が必要となり、いつもの事だが、私がイライラする事になる。

 黒菱平で準備を終えたのが、午前8時。リフト運転まで10分あったが、私達には関係なくゲレンデを歩く。今日の「山ノ神」 は、意外と好調で、リフト終点の八方山荘までに45分程度で到着する事が出来た。

 「おだてれば、何とかで・・・」 八方池までも同じような時間で行く事が出来、「この調子なら、唐松まで・・意外と時間が掛からない。」 と言っていたが、同じような言葉では効力がないのか、最後は失速をしてしまった。でも、大幅な休憩時間を入れても、黒菱平から4時間、八方山荘から3時間であるから、最近にない頑張りようであった。(人様と比べるようなものではない事は重々承知の上での話です。)

 何時かは降られる覚悟の山行であったが、最後まで降らず、一時は剱岳・立山の展望を楽しむ事が出来たのであるから、山の天気は分からない。山頂の長居が祟り、またまた八方尾根を降る 「最後の人」 になってしまった。「リフトが止まり、本当に静かな山歩きをした。」 のであるが、黒菱平に戻ったのは、当初の計画に、5分遅れの午後5時5分であるから、そんなに無謀な山歩きではありません。

 二人のリフト代往復で、2,000円を浮かしたのであるが、「山ノ神」 に、またまた、車中で飲む「のどごし」 をせがまれてしまった。



9/5 家の事情もあったが、明日の山行の行き先が決まらず、お互い気まずい思いをして分かれた。これじゃ誰にも声をかけられない。発端は、家の工事に何もしないでよいと言われているが、施主として、留守にするのがちょいと気に掛かる。それに、「いつ何処で降るか分からないのに、遠出もなかろう。」 が、「山ノ神」 にカチンと来てしまったようだ。明日起きてからになる。



9/4 「私も、山に登ろうと思い登山靴を買ったが登る機会がなかった。これからも登る機会がないと思うので、私が持っていても仕方がない。あなたなら、使ってもらえる人に接する機会が多いと思うので・・・」 と託され続けていたが、今日、やっともらってもらえる人を探し当てた。

 その方は、先日企業からの行事として、家族揃って立山に登られたそうである。小2・小1の子供さん達が、今度は、富士山に登りたいと言いだしたという話を伺ったので、もし、サイズが合えばもらってもらえないかとなったのである。

 しかし、一度も元の持ち主が使用されていない新品状態であるが、私が預かって1年以上経っているし、元の持ち主も買ってどれだけかの期間を悩んでおられたであろうから、見た目は良くても、劣化などにより耐久性を損なっている可能性が充分に考えられる。

 念のため、使用にあたっての心構えを充分に伝えておいた。出来るなら、地面に叩き付けたり、何かに挟んで引っ張り付けたりして確認してから履いて欲しいとまで言った。もちろん何度も近くを歩いて欲しいし、本番になったら、イザという時に備えて、針金やテープを持参してくれとまで頼んでおいた。

 登山靴の寿命は一概に言えないが、100回5年、ハードな使い方なら、60回3年と業者の方から聞いた事がある。もちろん10年過ぎても、何ともないという方もあろうが、目安として認識しておきたいところである。私などは、1~2年でダメになった事もあれば、いくつかの靴を時期的に履き替えたり、あるいは、交互に履き替えたりして寿命を長引かせたりしているが、今のような歩き方をしていれば、靴底の減りだけはどうしようもなく、1年くらいで張り替えを余儀なくされている。

 どちらにしても、常時手入れをしておれば、具合の悪い所が、分かるというもの・・・ それは、靴だけに限らず何においても言えるのですが・・・・ 「そう思っていても忘れてしまう。」 などは、口実にならず、それならば、すぐに準備を開始しなくてはの癖をつけるしかなかろう。



9/3 先日、埼玉に出向いた折、道案内を買って出てくれた東京の姪(姉の長女)から、お礼の気持ちだと、エビスビールが一箱贈られて来た。「エビスはうまさで百二十年」 「ノドを潤す円熟の香味」 のキャッチコピーは、最近第3のビールしか飲む機会のない私達にしてみれば高級ビールである。我々のビールなら2箱分だと下世話な語りになりかねない。そして、「こちらこそ世話になったのに、これまた弱ったぞ!」 になる。

 「私と徳さん(姪のダンナ)のお礼の気持ちを送ります。押しつけで申し訳ないのですが、わがやには、点滴を必要とする者が、今はまだおりませんので、どうぞ!」 の手紙が添えてあった。

 ”今、エビスビール届きました。「わぁ~」 こんな高価なビールは、何年も飲んだ事ないんです。ありがとう。先日は、唯、行っただけで、何にもしていないのに・・・本当に申し訳ありません。” とメールを送れば・・・

 「喜んで頂けて嬉しいです。 箱にも記載されていたと思いますが、懸賞で当たってしまい、ビールを飲まない私たち夫婦にとっては、「誰にもらってもらう?」 と、悩みのたねでした。 ビールの味も値段も分かりませんが、お二人の元気の素になれば幸いです。 徳さん(姪のダンナ)に配送手配をお願いしましたが、 送り状の品物名の記入欄に「点滴」 と書きたかった気持ちを押さえたそうですよ。 遠い埼玉まで来てくださったお礼を込めて。」 の返事が来た。

 流石、慶応ボーイの徳さん、”懸賞”などと我々の心を和らげ、そして、記入欄に 「点滴」 を思い付きそれを堪えたというから、ウイットが利いて面白い。まさか彼等も、「元さんの山歩き」 を見ているのではなかろうね。



9/2 先週(8/30)は、山に行かないと言いながら、結局は時間を割いて登ってしまった。今度は、古びた外装(トタン)を張り替える工事が始まる。(9/6~9/11の予定) 「家にいなくてもよい。」 の確認をとっての工事なのであるが、「施主が、そんなのでいいのか・・」 と自問に接している。幸い?火曜日( 9/7)に小さな傘マークが付き、少しは山行意欲を沈静化出来そうであるが、まだまだ決定的ではない。

 幾つになっても、遊ぶ時は、「子供のように・・」 を心掛けているが、何も恥ずかしがる事はなく、どちらかというと自慢しても良いと思っている。「歩ける。」 「担げる。」 を持続させなければ、遊ばれなくなるのであるから、そう考えると、「修行」 なのかもしれない。



9/1 我が「万葉のふるさと高岡」 には、二上山(274m)があります。国定公園内にあり、高岡の街並みの他、富山湾が眺められ、遠くは立山連峰に目をやる事が出来ます。その二上山のピークの他に、大師ヶ岳・摩頂山・城山・鉢伏山があり、総称として二上山があるようです。

 たかおか市民と市政9月号に、「二上山探求講座 ~摩頂山コースを歩く~」 が載っていました。摩頂山から二上山に登り、植物や鳥について解説してくれるようです。 9/26(日)午前7時45分~午後3時 定員は40名 会費は500円 問い合わせは、9/17(金)まで。二上山調査研究会事務局(高岡市末広町1-7 生涯学習課内)  申込は、はがきかファックスで。電話申込不可。FAX⑳1808