10/31 明日は、完全に雨。なのに、「何処かへ行こう。」 と、しつこく言う 「山ノ神」。 そして、「私の行ける所・・」 と続ける。「雨では、手が濡れてしまう。」 「滑って転んだらどうするの・・」 と言ったら、「じゃ、山以外でも行ってくれる。」 と悲しそうな顔をするから困る。

 他から、「明日は何処に行くの?」 の問い合わせがあった。「いや、家内との調整があって、まだ決めていない。たぶん、行かないと思う。」 と返事しても、「行くのなら・・・」 と念を押された。

 「何が何でも山へは、止めよう。」 と思っているのに、身内やお天気の悪い時ならという人から崩されそうになっている。「が~ん」 と、はね飛ばすわけにもいかず、また夜が明けてから決める事になる。



10/30 台風14号は何の影響もなかった。風も雨も全く関係なかった。その代わり台風一過とはならず、しばらくはお天気は良くないようである。今度の連休(月・火)は、まともに雨の予報であるが、「何処かへ連れて行け。」 と、「山ノ神」 は、私を揺さぶる。 「何処か?」 と尋ねると、「山しかないのでしょう。」 と言う。「そんな身体(手の状態)で、何処に行けるというのか・・・」 と言い返しても埒があかない。

 今夏に、もう一台の車を手放したが、意見が違ったり、諍いをした時は、「離さなければ良かった。」 と思うのであるが、自分のかいしょの無さが、そうさせたのだからしょうがない。もうバブルなど期待出来ないし、「これから、ずっと一緒。」 が定番になって逃げ切れなくなる事必死である。

 でも、視点を変え、「オヤジは邪魔」 の家庭から比べれば、私は幸せ者となる。頼りにされる今を、当たり前と思わず、「よくぞ付き合ってもらえる。」 と考えなければいけないのかもしれない。



10/29 10月末に台風とは・・・ 本当に忘れた頃に何とかである。ずっと、右に旋回していくと思っていたら、南下している寒気の境に沿って進むとは、これまたどうした事か。 上陸せねば良いのだが・・・・ 前回の台風は、福井に上陸したと思ったら、急に右折して、おかしな方向に進んで行ってしまった。

 離れた所に、凄い雨を降らしたりするし、必ずしも台風一過の好天を期待する事が出来なくなってしまうような、この頃の気象に腹を立てても仕方がない。それこそ、「神のみが知る。」 のであろう。

 息も出来ないような強雨(豪雨かもしれないが・・)に遭った事がある。前も後も見えないほどであった。それこそ這いつくばって歩いた事を覚えている。今から思えば、鉄砲水や土砂崩れに遭わなかった事が不思議なくらいである。自然の脅威に逆らってはいけないのだが、それは、後から分かる事もあり、運としか言えない時もあるからややこしい。雨でも雪でもなどと自慢げに言っているヤツは、いつか痛い目に遭う可能性が高いかも・・・・



10/28 寒くなると、身が縮こまり碌な事を考えない。「山ノ神」 の手の故障に、埼玉の姉夫婦の気掛かりなど、自分の手でどうしようもない事にも気がしょげてしまう。一昨日から、「山ノ神」 の左目・白玉に血の塊が出来た。充血というのであろうか、素人考えだと、飲み過ぎ・血圧などを連想するが、「もしかしたら、あの転落で・・」 と思ってしまった。それは、頭のレントゲンは撮っていないと聞いているから・・・

 2週間以上経っているし、「そんな事はないよ!」 「あるハズがないよ!」 と思いたい。11/1が診察日であることから、一向に治らなければ主治医に相談してみたらと言っているが・・・  もしかしたら、内科かもしれないが・・・

 そんな事は、「私には、しょっちゅう起こっているし、心配はない。」 と思っているが、寒さで、じっとしていると余計な事を考えてしまう。「今日は、気分が悪いから・・・」 「今日は、ちょっと寒いから・・」 などと、床に入る 「山ノ神」 を見るに、付けそう考え込んでしまうのかもしれない。やっぱり諍いをしていても、一緒にいなければいけないのかもしれない。



10/27 「細蔵山」 「クズバ山」 に次いで、「大熊山」 が熱い。直近の1週間は、その大熊山に登山道が出来たというメールを各方面から頂いた。誰でもが登れる権利を頂いたわけだが、何だかちょっぴり寂しい気がするのは何故だろう。そしてもう一つ、あっちにもこっちにも出来た登山道のメンテナンスを、誰がするのだろうと思うのは考え過ぎなんだろうかと・・・・・

 「我々が、せっせと登り踏み固める?」 あるいは、「登る時に、カマやハサミを持って、ちょっぴり手入れをする。」 などをやらなければ、せっかく作ってもらった登山道の維持が難しくなるおそれを心配するは私だけではあるまい。 (でも、余計な事かな・・)

 実際、今まで手入れされていた登山道だったが、荒れたままになって来ている登山道を幾つか目の当たりにして、唯、登るだけではいけないように感じてきている。しかし、その手入れ法にも、いろいろあると思うから、唯、刈れば良いとばかりも言えないような気がするが・・・ (切り口の問題)

 そして、まだ汚れていない美しい山を何とか守りたいものである。ゴミを捨てる事はないだろうと思われるが、落とさないように気を付けなければいけない。そして、あちこちに白い花を咲かせない気配りをして欲しいのであるが・・・・(ペーパーを持ち帰る。埋めるなど・・)



10/26 夜明けと共に、昨日やり残したシャッターのペンキ塗りを開始したが、厚着をしなかった所為もあるが、鼻水が出るし背中がゾクゾクし出したので、途中で止め風呂に浸かった。日中も寒かった。夜になって、山でも用いないタイツの世話になった。

 山では、「あんた寒くないがけ・・」 と言われるほど意外と強がりを見せているが、下界ではホントダラしなく、ブルブル震えている事が多い。最も、今日の高岡は最高気温が10℃ほどで、立山室堂では、雪が積もり出したというニュースが流れていた。

 これからしばらくは、雪が落ち着くまで結構厄介である。滑ってケガせぬよう気を付けて歩かなければならない。家人に迷惑を掛けるより、長い間自分が面白くない日々を送らなければならなくなる。



10/25 朝起きると、雨は意外と細かい。そして、その後も大降りとならなかった。しかし、志気高まらず、シャッターのペンキ塗りを決め込んで始めたところへ、ミネ君から電話があった。「あれ~っ、 何処も行かなかったのか?」 から始まり、「何処かへ行かないか?」 に変わった。ならばと、「中山」 行きになり、車を「山ノ神」 に明け渡して出掛けた。

 ミネ君とは、高落場山と寺地山へ一緒に出掛けた記憶はある。後は、2~3回程、途中か出掛けに偶然会った事はあるが、30年間の付き合いの中で、それくらいしかない。もっとも、月一の会合で会う事はあるが、まさか電話をもらうとは思ってもみなかった。

 小雨の中、終始彼のペースで歩いた。歩いた事のないという東小糸谷方面への周遊コースも歩いた。ずっと彼の話を聞きながら歩いた。車の中もそうであった。私は喋らない方ではないが、その喋る間もないくらいに聞き役に回らなければならなかった。

 そんな彼が、「また機会があったら・・」 と別れ際に私に言った。「お天気の悪い時しか、そんな機会は訪れないよ。」 と答えたつもりであったが、それでも良いと彼は言った。「私と一緒しても面白くもないのに・・・」 

 あんなに良く喋るし、知識がある彼ではあるが、文章が苦手という。そして、PCは全くダメだという。その点では、彼を少し私の方が上回るかもしれないが大した事はない。 この年代友達を失うより得る方がどんなに良い事か・・・・



10/24 「明日は雨か・・・」 出掛けないチャンスである。他にする事がたくさんあるし、「山ノ神」 が、歯科医院に行くのに車を使いたいとも言っている。(事故以来2週間乗っていない。不安だから送り迎えして欲しいような・・) という事で環境としては良くない。

 「無理する事ない。」 「雨が降れば何が面白い・・」 「日頃やり残しているものがたくさんある。」 と、「一回サボると、後はなし崩しになる。」 「次回の歩きが辛くなる。」 「ライフスタイルが崩れてしまう。」 などが綱引き状態である。

 どちらにしても、無理する事はない。朝起きて、行きたくなれば行けばよいだけの事。人様のためにやっているのではない。  「ハハハ・・・」 せせら笑いが聞こえて来るような気がする。



10/23 真っ黒な画面に 「次のファイルが存在しないかまたは壊れているためWindowsを軌道出来ませんでした。system32\Drivers\Ntfs.sys オリジナルセットアップCD-ROMからWindowsセットアップを起動してファイルを修復できます。修復するには最初の画面でRキーを・・・・」 のような事が記され、「わーっ」 故障だと思った。

 このような画面を初めて経験した私は、近所のS先生にも連絡がとれず、パニック状態になったといっても過言ではなかった。「ついこの間まで、あれだけは、バックアップしなければならないと思っていただけに・・・」

 ずっとそのままにした画面に諦めを漂わせていたが、何の事はない。「長押しし、もう一度スイッチを入れ直してみれば・・・」 のアドバイスを受けた。「意外と大丈夫なものですよ!」 には、何で、そのような事を思い付かなかったのかと、ポーッとなっていた自分に呆れてしまった。

 起動しないPCに、HPの更新が滞る事は元より、住所録や帳簿などの大事なファイルが、取り返しがつかない事になったと勝手に思い込んでしまった自分は、本当に情けないくらいの顔をしていたらしい。「シャンとしなさいよ!」 と言われているようだ。



10/22 あんなに暑い暑いと言っていたのに、時期が来れば、ちゃんと涼しくなり寒くもなる。そして、年賀状の予約をせがまれる頃となり、残すところ今年も後2ヶ月余である。「今年は何をしたのであろうか・・」 と反省の時期でもある。それが、これからに繋がれば良いのであるが・・・

 思い通りにならないながら、週一好きな事をしても、年に52~3回、10年に520~30回である。たったこれだけ・・・・でも、たったこれだけでも、出来るかどうかは怪しいところ。365日で一つ歳を取る。それだけの日にちで、とても老けるとは思われないのであるが、何処かが可笑しくなっていくのであるからわからない。鍛えるとい付加は負荷にしかならないのだろうか・・・・



10/21 ここに来て「山ノ神」が、雨飾山での転落の原因は、ストックではなく、ザックではないかと言い出した。ザックが、何らかの拍子で岩に触り、押し出されたような感じで、落ちたのではないかと言うのである。 (何だか、私が押したようにも取れて、イヤだが・・・)

 現在使用されている多くのザックは縦長が多く、横をあまり気にする事がないが、上下でつかえて難儀する事がある。潜る時、階段や梯子などの大きな段差を降りる時である。

 かなり以前、キスリングというタイプの横長のザックが主流であった頃は、狭い所、あるいは、廊下などで擦れ違う所では、結構気を揉んだものである。どちらにも一長一短があって、軽率に良い悪いを述べる事が出来ないが、「何事においても慎重に・・」 と言うしかなく、どちらにしても、用具の所為にせず、使いこなすというのであろうか、身体と一体になっておらなければならないのであろう。



10/20 慣れない事を10日間もやっていると、お互いチグハグな事が起きて来る。「一生懸命やっているのに・・」 「もうちょっと分かってくれてもいいハズ。」 などで、これが溜まると、ストレスになっていくのだろうと思う。人前に出なければ、尚更口数が少なくなり、こもりがちになる。

 なるべく「山ノ神」に、負担を掛けないようにしているつもりであるが、タイミングが合わないというのか、仕事の関係上、どうしても出来ないような時などは、左手でこなしているようである。今日は、右手を使おうとしていたから、「もうちょっとだけ我慢せよ!」 と言わずにはいられなかった。

 でも、本当に辛いのは、固定を外されてからである。私は、その辛い歯痒い思いを何度もやっている。「山ノ神」 の整形外科での診察は明日であるが、そう大変わりする程の期待がないにしても、外を歩いて、ちょっとは憂さを晴らして来て欲しい。



10/19 クズバ山から早めに帰宅したら、いない(留守)と思っていた「山ノ神」が寝ていた。前日は、城端町の一人歩き、今日は、友人と何処かへ行くと言っていたのに・・・・・ 歩くと太腿が痛むと言っていたし、疲れかもしれない。声を掛けたが返事がないので、以前から、やりたいと思っていたトタン屋根部分のペンキ塗りに掛かった。

 しかし、養生もいい加減にしなければいけない程、日没との時間の戦いもあった。山行・ペンキ塗りが終わり、ようやく風呂から上がった頃、山ノ神が起きてきた。洗い物を済ませたら、早速、夕食の指揮を仰ぐ事となる。「楽しかったけ・・」 ポツリ 「山ノ神」の一言。

 「あんな所、良く登ったな・・」 と昨年の事を、褒めたつもりであったが、会話が続かなかった。「時間がなくなって、最後は何処を塗ったか分からなくなった。」 などと、ペンキ塗りの話題に変えたが、「日中、やれば良かったのでは・・」 と痛いところを突いてきた。

 この機会に、「いろいろ覚えると良い。」 と言われるのであるが、家事は本当に大変だ。特に食事の準備は、メニューを考えるところから始まるから尚更である。野菜・魚・豆腐など、いろいろ切ったり揚げたりしたが、すぐ忘れるから、歩留まりなんて当てにならない。(覚えられない。何度もやったら覚えられるのかな~。)

 テーブルに着いて、「歩けるところ」 となった。「これはまずい。」 「私の行ける所に付き合えるか・・」 という事であるから、候補を挙げても埒が明かない。「山ノ神」が、そっと、ズボンの裾をあげた。太腿だけだと思っていた鬱血が、足の甲まで降りて来ている。

 「太腿の色や状態はどうか?」 と問うたが、あまり変わらなく、触れると痛いと言う。そのような状態で、山に行けるわけがなく、車で行ける所か、街中歩きくらいしか考えられない。1~2週思い切って、山に行かないのも手である。果たして・・・

 

10/18 久々に 「北ちゃん」 「ねぎちゃん」 と一緒出来た。もちろん 「剱岳を狙って・・」 が、あっての事であるが、「簡単な所はイヤ・・」 な思いが、彼等にはあったからかもしれない。そして、もう一つ、「山ノ神」 が、登っていて、私が登っていない唯一の山であったから、その心遣いがあったようにもとれた。でも、それを材料に、ずっと、冷やかされ通しであった。

 昨年11月末の馬場島公園線冬季閉鎖直前に、北ちゃん・ねぎちゃんらのメンバーで、「山ノ神」は、このクズバ山に登っている。それも、新雪の中を3時間余(3時間半かもしれないが・・) で、登っているというから信じられない。私は同窓会で欠席。確か、その同窓会の参加前に牛岳に登っている。)

 クズバ山は、確かに急登であった。切り株が臑を結構傷付けたし、終始小枝類につかまる事から、鍛えていない腕が痛くなってしまった。しかし、山頂からの展望は、クズバ山でしか見られないステキなものであった。その山容は、大熊山から眺める形と似て、それを、ずっと手前で見る感じに、私には受け取れたのですが・・・・ 

 北方稜線は、ちょっと控え目で、早月尾根の長さが前面に出されているようにも感じた。それよりも、クズバ山頂から、西大谷山を経由して、奥大日岳へ延びる稜線に熱い視線が向けられていたのは、私だけではなかったハズ・・・・

 時間制限下のクズバ山であったが、下山に掛かった頃から、ガスが掛かり始め、「ラッキー」 の声は、皆満足の思いと受け取った。降りは、大丈夫なのかと思ったが、一度も転ぶこともなく、立山川側の登山口に、午後3時前に戻る事が出来た。



10/17 「山ノ神」 を置いて(許可を受けて)、一人で紅葉の白山を歩いて来ました。一人なので、ちょっとは速く歩けたので、大汝峰まで足を伸ばしました。途中、本当にご無沙汰していた3人の女性にお会いする事が出来たのですが、開口一番 「山ノ神の状態は・・・」 でした。

 ここでも大変心配して頂いているのだなと思った次第です。しかし、3人の女性達は、皆、大きなパーティーの中におられたものですから、あまりお話する事が出来なく、ちょっと寂しい感じでした。当の私も、洗い物の所為でもありませんが、いい加減に帰らなくてはと、午後3時には下山しております。



10/16 昨日・一昨日は、仕事のお客様より、「山ノ神は大丈夫ですか?」 と心配して訪ねて来て下さったお客様の方が多かった。日頃失礼ばかりしている私達に、これ程まで心配して頂けるなんて、本当に涙が出るくらいに嬉しかったです。

 「気に掛けてもらえる。」 これほど嬉しい事はないのですが、逆に私達は、他の人の事を、それだけ心配しているのであろうかと不安になってしまいます。メールのお返事も滞っております。遊んでばかりいないで、それに時間を掛ければいいのですが、「ありきたりのお返事では申し訳ないと考えているのだ。」 とご理解頂ければ嬉しいのですが・・・

 明日・明後日も、「山ノ神」 を置いて、山に行くのですから・・・ ちょっと可笑しいですね。



10/15 「行かないかもしれませんが・・」 と、「行かないわけがないだろう。」 の両極端でありましょうが、二つの誘いがありました。一つは、宿泊山行なので、「丸々2日間置いて留守する事は、ちょっと可愛そうな気がしますので諦めます。皆さんで楽しんで来てください。私はお天気を見ながら、白山やブナクラ周辺の山になると思います。日帰りなら仕方がないと家内も許してくれると思いますので・・・・ 」 と、残念でしたが、お断りの返事を出しました。

 そんな折、タイミング良く、クズバ山・細蔵山・大猫山などの馬場島周辺へ行く誘いが、「北ちゃん」 からありました。行き先は、まだ未定らしいですが、「忘れられては困るから・・」 と 「行きます。」 「落ちないように気を付けて歩きます。」 との返事を出した次第です。

 そのような事から、今度の連休は、平瀬からの白山と、馬場島周辺の山になる予定ですが、帰ったら、洗い物がいっぱい溜まっていたりするのでしょうね。また、このような事をしている間に、お見舞メールのお返事を出さねばならないのに、随分失礼をしています。すみません。



10/14 手指及び手のギブス包帯なるものによる固定が続くのですが、「山ノ神」 は意外と元気です。オーバーでないにしても、そのこと自体をHP上に載せて良かったのか、今度は私の方が考え込んでいます。私のHPに興味を持っている方々が見て下さるのだから、そんなに卑屈にならなくてもいいのかもしれませんが、あまりにも心配して頂き恐縮に思ってしまいます。

 他の方々を貶しているわけでもなく、自分達の事を自慢しているわけでもないのですから、自然に出た記述と思って頂きたい。「わ~っ」 「どうしよう。」 など、戸惑ったのは事実ですし、登山口まで上手く誘導出来るかも疑心暗鬼でした。怒らす事のないように言葉を選ばなくてはいけませんでしたし・・・・

 でも、もうちょっと酷い状態だったらどうしよう。どうだったろうか・・・ 思ってしまうのです。歩ける状態でなかったら・・ 途中で歩けなくなったら・・ 両手がダメだったら・・ 大量の出血をしていたら・・ そして、携帯が繋がらず他に登山者がなかったら・・ など背筋が寒くなってしまいます。

 怖がってばかりいたら何も出来ませんが、あるかないか分からないそのような時のための装備は欠かせないのです。ツエルトなどは、そんな時の事を考えても必需品であることは間違いありません。単独・少人数と、ある程度のパーティーでのリスクを比較するのは難しいのですが、シミュレーションだけはしていた方が良いかもしれません。



10/13 「絞る。」 「結ぶ。」 など、両手を使う事は、今の 「山ノ神」 には出来ない。だから、「山ノ神」 の言うがままに動かなければならない。まるでロボットである。でも仕方がない。今まで何度も私がケガをして、迷惑を掛けて来たのであるから・・・・ その命令のままに、動けばいいのであるが、これが介護だとそうはいかない。そんな事を思うと、自由に動ける今に感謝しなければいけない。

 「今度はどうするの? 行かないわけがないよね。」 と、牽制と思える言葉が、「山ノ神」 から発せられた。「あんたも行くかね・・」 と言うしかない。私の時は、足が大丈夫だったから、そのまま登山を続けた。でも、雨飾山 下山中の 「山ノ神」 の状態をみておれば、技量・雰囲気からして、とても勧められるものではない。

 次の休日まで、3日間がある。お天気・診断・雰囲気を考慮しながらの判断になるが、こんな時だけに、丸々2日間を自分だけで使えないであろう。「早立ちして、いい加減に戻る。」 「半日だけ・・」 など、如何にも 「山ノ神」 に合わせる類でなければ、後々に尾を引くような気がしてならない。

 でも、足は使えるのであるから、「お好きな所へ・・」 を勧めるのも妙案かもしれない。しかし、打撲の鬱血をみると、下界と言えども、「長い間歩けるのかな・・」 と思ってしまう。そして、私だけの世界でないから、「ライフスタイルを厳守」 を、貫き通せるかどうか分からない。残された手は一つ、精一杯尽くして、自然的に 「休日は山に押し出してもらう。」 のが理想的なのだが・・・



10/12 「どうして落ちたか分からない。でも、今日も落ちて行く様が頭から離れない。」 と言う 「山ノ神」 は、仕事も家事も出来ないからであろうか、元気がなく、半日は寝て過ごしていた。僅か1~2秒、いや、もっと短い時間であったかもしれないが、まるで谷底へ落ちて行く感じで、何も出来なかった自分のもどかしさだけが残っている。 宙に浮いた瞬間、周りの誰もが、固唾を飲んだに違いない。今は、「他人様を巻き込まなくて良かった。」 だけが救いであるし、「小谷からの雨飾山を望んだのは山ノ神であった。」 からと自分を慰めている。

 私は、ほんのちょっと前、「岩場の降りはストックを使わない方が良いのでは・・・」 のアドバイスをしていた。「山ノ神」 の転落は、たぶんストックでのトラブルが原因のように思えてならない。ストックの着地点である。「滑った。」 「抜けた。」 「重心を掛け過ぎた。」 など、身の確保を岩や草木でなくストックに頼り過ぎたように思えるのである。ストックは、あくまでもバランスを保つためのものであり、過信は禁物である。

 高岡の病院を選択したのであるが、担当医師からは、「何故、途中の病院へ行かなかったのかと叱られた。」 脱臼は、時間に関わる事を少しは知っていたのであるが、でも、登山口から病院まで2時間で来ているのである。地理不案内の所で、何処に病院があるのか分からないし、その症状の分析も出来ない。ましてや、保険証や所持金の不安もある。後々の事も考えてしまう。

 こちらが、整形外科医を差して電話しているのに、病院に駆け付けてから担当医の診断を仰ぐのに、1時間以上も経過しているのであるから、「そうとばかりも言えないのではないか・・」 とさえ思うのは不謹慎であろうか・・・ 「山ノ神」 は、その事を問われ、「休み(休日)だから・・」 と言った答えが、「ここも休みです。」 と言われてしまったらしい。

 手は、不自由であるが、痛みはないようである。下山時には、ちょっと触れるだけでも、奇声を発していたのが、ウソのようである。太腿の裏から膝に掛けて真っ黒(真っ青かも)で、その不気味な色に気が滅入っているのかもしれないが、ジワジワ(ズクズク)するようである。打撲なのであろうが、素人にはわからない、体内の何かに異常があるからそうなっているのしょう。

 明後日の診察で診断が確実のものになるのであろうが、今のところ頭や背に異常が見当たらないようである。今日から、私の人間としての真価が問われるスタートとなった。やらなかった事もやらなければならない。一生懸命やれば出来ると思っている。



10/11 楽しいハズの雨飾山行であったが、「山ノ神」 が、雨飾山頂直下で墜落してしまった。本当に墜落したとの言葉が合うように、バランスを崩し一回転して仰向けになって落ちた。更にバウンドしたかのように、もう一段下に落ちて行った。「死んだか・・」 と思ったくらいに衝撃を受けた。

 しかし、運の強い「山ノ神」 は、 ちょっと大きめのザックを担いでいた事が幸いしたのか、仰向けに落ちた際、頭や顔を打たなかったようであった。でも、右手親指が、昨年、私が薬師岳でスリップした時のように変な方向に向いてしまっていた。

 歩けるというので、救助を要請する事もせず、右手を全く使わずに降り出したのであるが、それはそれは可愛そうなくらいであった。そのうち、右足が痛いと言うようになった。右大腿部がズボンの上から見ても餅のように膨れ上がって来た。ずまぐろくである、5~6m位落ちたのであるから、何もないハズがないのである。

 3時間半を掛けてよくぞ降りたものである。それから、糸魚川まで1時間、高速を使っても高岡まで1時間は掛かるのである。私が同じような目に遭った時は、医師から何か 「4時間」と言われた事が耳に残っていた。高岡の友人に、緊急の整形外科医を捜しておいてくれと電話をしておいたのであるが・・・・

 今日は、高岡のT&Mさん(関口さん達)に初めてお遇い出来たし、砺波の棚田ご夫妻ともお話をする事が出来たというとてもハッピーな日であったハズであったが、「山ノ神」 が、こんな目に遭ってしまい心を暗くしてしまった。でも、結果的には、脱臼だけですんだと思っていなければこの先が辛い。



10/10 長い間ご無沙汰している黒部の能登氏から、久々にメールを頂いた。私より、一回り年上の同氏であるが、相変わらずスーパーマンのように飛び回っておられるようである。その中に、「テレビに出た。」 の一文があった。KNB放送の旬景とやまである。

 私も、時々見るのであるが、駒ヶ岳に登られたその時の能登氏を見逃してしまった。ネットで、「KNB→ ニュース→旬景とやま→ 9/22 立山連峰駒ヶ岳を行く。」 の順でやれば見られるのですから、この世はとても便利になっています。一番最後に登場する同氏の姿は、僅か1~2秒ほどであるが、元気な姿を確認出来、思わず 「ヤッホー」 と叫んでしまった。



10/9 明日行われる予定の住民運動会が雨のため明後日に順延となった。久し振りに、仕事の合間を縫って参加の意向を伝えていただけに、ちょっとがっかりである。そして、順延となる明後日は、私の休日に当たるだけに、不参加と告げてあったのも、ちょっと気が引けるところなのである。

 しかし、「山バカ」 が、町内にも浸透しているだけに、「山だもんね!」 と、暗黙の了承を勝ち取っている状態。 (イヤハヤ・・・) 校下の住民運動会だから、いろいろな情報を駆使して、大会本部の苦渋の決断であったろうが、当日になったら、「降らなかった。」 と、いう事が意外と多いのであるが、明日はどうなるやら・・・



10/8 こんな事を10年もやっていますと、思い当たる事がなくなったり(材料がなくなったり)、何も綴りたくない時だってあります。「誰のためにやっているのだ。」 と自己嫌悪になったりもします。人間とは本当に弱いものです。「認めて欲しいとは・・」 とは、一人で生きていけない証のようなものだと私は思っています。

 「山に拘る。」 から、開放的になれば、そんな窮地に陥る事もなくなるのではと思ったりするのですが、今度は無知さに悩む事になるのでしょうね。思い込まなくて気楽になどと言ってもらっても、性分だけはどうしようもないのかもしれません。来年から、「雨の日には山に行かない。」 が、私の一つのテーマにしようと思っています。「何か違った事をしたい。」 からの発想なのですが、果たして、そんな事に、またまた拘っていいものかと悩まなければいけなくなるのでしょうね。



10/7 体力の無さはHPの更新にも及んできた。「どうでもいいんだよ!」 などと言いながら、やっぱり続けたいのが本音。でも、身体が着いていかない。睡魔には勝てないのである。以前は、ちょっとぐらいお酒を飲んでも大丈夫だったのが、この頃は、飲まなくても怪しい。

 睡眠時間は、4-6時間であるから、そんなに多くはないかもしれない。もしかしたら、休日は、殆ど寝ていないのだから、それが応えているのかもしれない。疲れがすぐに取れないから・・・ でも、もうちょっと頑張らなくては・・・ 山歩きが出来なくなり、HPもなくなるなんて考えた事がなかったから・・・ (やっぱり、小さくてもよいから、目標を作らなくてはいけないようだ。)

 そう言いながら、次行く山を考える。月曜日(10/11)は、晴れるようである。候補がいっぱいある。「何処にしようか?」 雨の日の行き先と、また違った悩みとなる。



10/6 夜半・未明・早朝に家を出る日帰り登山は本当に辛くなってきた。帰宅が、まずまずの時間ならまだしも、夜半・未明にずれ込むと、もうダメである。いくら若い時に、やっていたと言っても、今では通用しないのである。山で遭難しなくても、車で遭難するかもしれないのであるから・・・・

 「出掛ける前に、ちょっと寝て、また、眠たくなったら車を止めて休めばいい。」 そのように、何処でも何時でも寝られる人はいい。それだけの体力・技量があるという事になる。同じ日帰りでも、目的地での前泊なら良いのであろうが、そのような条件に、そぐわないのだから仕方がない。

 そんな事までして行かなければ良いのであるが、行きたい者、また行きたい時は仕方がない。最近は、「山ノ神」 も少々運転してくれるからまだ良いが・・・・ でも、後々まで疲れが残ってしまう・・・



10/5 「富山は雨が残るが、長野には晴れマークがある。」 との「山ノ神」 の誘導に負けて 「燕岳」 になった。「山のお天気は分からない。」 と言いながら、山ノ神の 「私も運転する。」 に、後々の事も考えての決断だった。当初は、前日から出掛けてキャンプの予定もあっただけに、昨日の雨は、恨めしさがつまっていたのである。

 三大急登の一つと言われていても、「割と楽。」 の印象があり、今回も、そのイメージのまま臨んだ。3回目の燕岳であるが、前回は6年前で、大天井岳まで行っている。しかし、歳月は否応なしに衰えを加速し、燕山荘から燕岳山頂までは、またまた私の一人旅になってしまった。それも、「私は、ここで見ているから、30分もあれば行って来られるでしょう。」 などと高みの見物を決め込んでしまった 「山ノ神」 であった。

 「行って来られるわけがないでしょう。」 と言って先に向けて足を進めたが、山頂での写真の時間を除けば、意外や意外で 「山ノ神」 の言った時間と変わらぬ程で行けるものである。

 槍への展望は殆どなく、そして、陽が差さず、じっとしていれば震え上がらなければぬのに、よくもま~、ベンチに座って、ビールを飲んでおられるものである。 (山頂など、どうでもよい。これが楽しみで山に来ているのであるから・・・)  (ならば、こんな遠くに来なくても・・・) などと言いたいのだが・・・

 それでも車に戻ったのが午後5時過ぎ、冬場のゲートを確認し、25号線(県道なのか市道なのか分からないが・・)から、上高地公園線に出た。いつもの事ながら、古い地図にカーナビなしの装備?では、不安もあるのだが、これがまたスリリング。



10/4 お昼前、雨が小降りになったので牛岳に向かった。お腹が空いたと言う 「山ノ神」 に、カップ麺を作り、それを食べさせてからの出発となった。歩き始めると意外と草ボーボー。「この時期、大概草刈りが行われており問題ない。」 と言っていたのに、ちょっと恐縮となった。そして、「山ノ神」 に、「鎌を持って来たか?」 と問われたのである。

 「あれだけ登山道を整備しておられる方に申し訳ない。」 と言っていたくせに、「また、昨夜も鎌を常時持っておらなければ・・」 と言っていたくせにと、「山ノ神」 に、こっぴどくやられてしまった。その、「山ノ神」 は、植木鋏を持って来ていた。「それなら、言ってくれれば良いのに・・」 「あれだけ言っていたのだから、当然持って来るものと思っていた。」 などと、言い合いになったのであるが、「何度でも言ってもらわないと、しょうがなくなったのだよ!」 の言葉に、「山ノ神」 が、ようやく納得したようであった。

 所々、登山道に覆い被さるように伸びている草木を、はつっていたのであるが、6合目に辿り着いた途端に、「山頂に行くの?」 と、「山ノ神」 に再び問われ、その先の草木の生い茂りを見て、「今日は止めようか。」 となってしまったのである。

 「10mでも・・」 が、6合目から5合目に降る350mを、選定鋏一丁でかなりの整備となった。その先の250m程も粗々刈り払った。でも、二人で鋏が一丁であるから、その内容が分かるというもの・・・ でも、片道40分程の道程を、往復で3時間半余掛けたのであるから、まーまーとして欲しい。

 また来なければと思うのであるが、雨でなければその機会がない。やった事は粗雑であるかもしれないが、追々勉強をしていくつもりであるからお許しください。日頃あまり良い事をしていないからか、汗を掻いた後の気持ちの良い事・・・・・



10/3 まだ降っていないけれど、明日は、一日中雨の予報である。「何処か晴れる所はないの?」 と言われても、全国的に雨の模様。無理をして出掛けて、今時の豪雨に遭遇すれば ”泣き” である。近間の足慣らし程度に収めた方が良いと思うが・・・・ そして、こんな時こそ、「溜まっている。」 やらねばならぬ事に、時間を割かねばならぬのでは・・・

 明後日は、まだ、ちょっといいような・・・。(回復傾向) では、明日の後半から、いや、夕方から期待しようかな・・・



10/2 昨日から始まった万葉集4516首を3昼夜かけて歌い上げる 「第21回万葉集全20巻朗唱の会」を見学に高岡古城公園へ出掛けた。 明日まで、県内外の約2200人が、公園内の特設水上舞台で、万葉歌をリレー形式で詠み続ける催しだけに、高岡市民である私も、ちょっとぐらい協力しなければの気持ちが動いた事は確かである。

 水豪に浮かぶ水上舞台は、夜間は特に幻想的である。私も、ずっと前、町内会の有志と2回ばかり出場した事がある。上手く歌えなかったが、当時の写真を見る度に、良き想い出になったと思っている。

 以前と比べれば、当局の財政事情などからか、規模が縮小気味に受け取れるが、文化的催しとしては、その意味合いがあり、多くのボランティアの方々の手で守られているようである。私も来年から、市外や県外の友人・知人に、その機会を利用して、来高を呼びかけてみようと思う。

 静かなお祭りに参加しながら、万葉気分を味わうものである。3昼夜であるから、必ずお相手が出来るし、その合間、また、前後に酒を酌み交わしてもいいのである。



10/1 今度の連休(10/4~5)の予報はあまり良くない。「どうする?」 の声に、「旅行でもするか?」 「本当? そんなわけないよね。」 とすぐ打ち砕かれてしまう。頭から否定しなくても良いのではないかと思うが、ケチケチ旅行とて、行き先がすぐに浮かぶわけでもない。

 どんな旅でも、やっぱりお天気が良い。気分が良ければ妙案も出るというものである。これから、だんだんと気温が下がっていくが、寒さに雨を考えると、身が縮こまって、テントも黄金の御殿とはならない。

 世は思う通りにならないのが常。お天気などはその典型である。近間の山で、ぐっと我慢する。ちょっとでも行ける事。歩ける事に感謝しなければ・・・