3/31 今日は、何故か身体中が重苦しい。それは、明日のイベントが、重しになっているのかもしれない。こんな時期だけに、やっぱり、中止が妥当なところかもしれない。



3/30 MSRエボアッセントの不良箇所は、画像を添付したら、すぐに分かってもらえ、その時点で、交換商品を手配され、今朝の内に届いた。そして、そのまま返品出来る手筈になっており、スムーズに交換してもらえた。これで、スノーシューが二つになり、「山ノ神」の物を借りなければならぬ事もない。

 欲しい物は沢山あるが、今度は、とりあえず靴底の張替である。2足の登山靴を持っているが(いや、3足だ!)、毎年のように張り替えなければならない。林道や自動車道を歩く事に、抵抗があまりないのが、アダになっているのかもしれない。



3/29 一週間前の千石城山で、スノーシューのトラブルに見舞われた。3度目の事だけに、新しいスノーシューに、買い換えようかと思ったのであるが、買うとなると、やっぱり3倍の費用が掛かる。やむなし部品(台座)の注文をするが、Ⅰランク上の物とする。 (7,150円也)

 3回にもなると、「新品が買えるのに・・・」 と思いながら、自宅に戻り、スノーシュー見詰めていると、本体自体の故障に気が付いた。これでは、次行く山に支障が出るとの思いから、ネットショップでスノーシューを注文してしまう。

 本体の欠陥を、ホームセンターの部品で間に合わせたが、どれだけの耐久力があるか分からない。注文の部品の連絡がない内に、ネットの商品が届き、山行きに間に合ったと思ったが、リフターの収める穴の位置が違っている事に気が付く。返品しても(交換してもらっても) 山行に間に合わないのであるから、山行前夜に、富山まで注文品を取りに行かなければならなかった。

  イザ取り付ける段階になって、注文した物と右左反対の商品(部品)である事が分かる。時間がないし、内側で擦れないように、その調整さえすれば良いのである。スパッツの右左を反対に取り付けた時と同じ感じである。最も、違ったグレードの物を取り付け、見てくれも良くないのであるから・・・・

 大地山から帰って、修理したスノーシューを点検したら、本体の故障箇所を、ネジとナットで止めていた所が、ちょっと緩み掛けていた以外は問題がなかった。緩んだナットを締め直して、余っているネジ部分を、もう1ヶナットを足してみた。

 その煽りの関係か、反対のビーズ部分の綻びを感じたので、同じ仕法を試みてみたが、今度は、どのような反応が出るか楽しみであるが、心配して工具を持参せねばならないのが辛いところ。行程の短い所で試してみようか・・・・

 グレードの高い台座部分は快適である。両足とも、レフト用(左)を使用している感じであるが、やはり、綻び掛けているもう一つのスノーシュー(直していない方)に、右用を付ければ、丁度になるが、こんな事で費用が嵩むのもやりきれない。



3/28 「ゆっくり楽しんで行こうよ!」 と申し合わせた大地山行は、これ以上ないという程の好天に恵まれた。そして、気温が低めでクラストしていた事もあり歩き易かった。前日のものであろうか、それとも、前々日のものであろうか、あまりにも立派なトレースがあり、そして、山頂にも多くの踏み固められた跡があった。ちょっと拍子抜けの感があったが、お天気は、そのような事をも払拭してくれるように、いつまでも絶景を保っていてくれた。

 「登れないのではと思っていたのに、山頂まで来られてハッピー・・・」 の声があれば、「いつもと違うペースなので、かえって疲れてしまった。」 などと戯ける様も・・・・ 少人数ならではの山行だけに、歩く様子や顔色まで分かるのであるから・・・・ そして、お互いの心遣いがあるのだから楽しくてならない。

 余勢を駆って、黒菱山を経由する案が浮上したが、浮かれ過ぎを戒めた。でも、夢創塾ルートでなく小川朝日ダムへ変更してアクセントを付けた。その分、車を回収に、自動車道を歩かなければならぬ羽目になったが、それも楽しであった。

 「元さんと北ちゃんでないがけ・・・」 発電所の橋付近で軽トラが止まった。昨年の10/17に、白山でお目に掛かった方々らしかった。「送ろうか・・・」 と声を掛けてくださっただけでも嬉しかったのであるが、我々の車は、その目の先の発電所だった。



3/27 予報からして、今日は好天のように思っていたが、意外にも雪がちらつき、どうしたのだろうと思ってしまった。明日もバンバンの予報であるが、行ってみなければ分からないかもしれない。

 仲間から、「一眼レフ持参」 というコメントを聞くと、「雨や雪が降るかもしれない。」 と、やじらなければならなくなる。初雪山や白金ノ頭への絶好日々であるが、明日は、その手前までで、ゆっくり楽しみながら歩きたいと思っている。



3/26 世の中は、いろんな事があるし、いろんな事が起こる。人の一生も、山あり谷ありで順風満帆など無いに等しい。目標を達成すれば、それ以上を望むし、これで善しと言うことはない。欲を小さくし、調和(協調)だけを意識すれば良いような気もするが、そう上手くもいくまい。

 自慢をし、人(他人)が転ければ、面白いであろうが、いつかは、災いとなって、跳ね返って来るような気がする。何事も程々に・・・、そして、仲良くしている方が楽しい。



3/25 東日本大地震発生した当日、長い間ご無沙汰していた盛岡のロコちゃんの事がちょっと心配になっていた。ロコちゃんは、3番目の伯父の三女で私にとっては、いとこである。何年か前にアドレスを変えたのを連絡をしていなかったから、年賀状だけの付き合いになっていた。地震発生時に届くかどうか分からないけれど、「心配です。」 の内容の短いメールを送っておいたが連絡がなかった。

 今晩、ようやくPCが復活したのでとのメールが届き一安心である。4日間の停電があったが、家には被害がなかったそうだ。仙台に住む娘さん家族が避難しに来ておられたようだが、明日戻られるとの事。 (良かった!)

 我々は、テレビを通じて、毎日悲惨な現状を目の当たりにしているが、同じ被災した県に住みながら、停電のため情報が入らず、その凄まじい光景を、何日もして知ったとは・・・・

 

3/24 東日本大地震から明日で2週間になる。報道などで知る限りでは、日本の良さもあるが、日本人として、もうちょっと、考えても良いのではと思うところもある。どちらにしても、一日も早く原発が落ち着いて欲しいものである。

 今度の休日のお天気ばかりを気にしているのは、不心得なのかもしれないが、国民として、きちんとやる事をしておれば、体裁だけでなく、自身への納得も出来るのではなかろうか・・・

 元気は、あげたりもらったりである。



3/23 スノーシューが、今度の休日前に直るのだろうか? (部品が届くのだろうか?) と、ちょっと不安。直らないのなら、新しいのを買おうかとも思ってしまう。それとも、カンジキに切り替えて登るのも選択肢の一つ。



3/22 毎日、それなりの体力作り運動が出来れば良いのであるが、なかなかそうはいかない。クラブやジムに通えないし、週1の山歩きだけが私の運動である。何の根拠もないが、週1だと衰えていくのを、ちょっと遅らせるだけ、週2だと、そんなに上手くはいかないだろうが、食い止める気分になる。

 私の場合は、その週2が、月2回。その補充として、毎日簡単な運動をしているが、果たして、どれだけの効果があるのか分からない。身体の調子を保つくらいにしかなっていないような気がする。

 大食いの消費にしかならない運動では、「貯筋」にはならないだろうし、気休めくらいかもしれない。やはり、摂生しながら、適度に身体をいじめなければ、「貯筋」どころか維持も難しいのではなかろうか。何時までも若く、元気でいたいのであるから、そのためにも、心しなければならないのだが・・・・



3/21 お互いに牽制しながら、「雨でも何処かへ行こう。」 という気持ちは変わらなかった。予報では、「午後3時頃でなければ雨があがらない。」 ようであったし、気温は低くないにしても、昨日の事を思うと、何だか肌寒く感じていた。

 外の雨を見ながら、お昼の食事時になってしまったが、どんな山でも、タイムリミットというものがあり、届くかどうか分からないが、「千石城山」 行きとなった。低いけれど雨の雪山、そして、午後1時半の遅い出発となった事から、一応二人分のヘッドランプを用意した。

 途中から雨が止んだが、ガスで見通しが悪くなってしまった。盛んに雪崩を心配した 「山ノ神」 であったが、「大丈夫」 という言葉に安堵したのか、歩く事に専念出来たようであった。湖畔から1時間半強で、山頂に達したのであるから、まずは、褒めてやらなければなるまい。

 ガスの中の山頂で、心細くなったのか 「山ノ神」 は、「暗くなるし、すぐに戻ろう。」 と、何時でもない言葉を発したが、折角来たのだし、「簡単な食事とコーヒーぐらい頂いていこうよ。」 と説得した程であった。

 午後4時頃の下山開始であったが、何もなく順調と思いきや、私のスノーシューのトラブルが起きた。またまた台座が外れたのである。修理に出さなければならないが、3度目になると、その修理代の合計で、新しい物が買えそうな金額になる。(困った。) 昨日の牛岳では、シャベルの取っ手が欠落してしまったし、今日はスノーシューである。やっぱり、こんな時期、そして、お天気の悪い時に出掛ける私(達)に、神か仏か分からないが、お灸を据えたのかもしれない。



3/20 午前中は、お天気が持ちそうだ。でも、こんな時に、山に行っても良いのかと、自問自答を繰り返す。先週は、自宅から歩いて我慢したし、牛岳なら、そんなにガソリンを使わないだろうと自分を納得させた。(利賀街道沿いに止めるから往復50キロである。)

 そして、「牛岳は、元来私のトレーニングの場所なんだ。トレーニングジムに行ったと思えばいいんだ。それがダメなら、修行のため・・・」 いろいろ材料を出して心を静めた。食料も残り御飯のおにぎりと、カップ麺1個ずつに、コーヒーだけである。 (「山ノ神」 には、特別の物が付いているが・・・)

 本調子でない 「山ノ神」とゆっくり歩いた。もしかしたら、これ以上力が出ない 「山ノ神」と共に歩いた。少々イヤミを言ったかもしれないが、労って歩いたつもりである。雪の状態によっても費やす時間など、随分と違うのであるが、三角点まで3時間弱で辿り着いた。

 三角点で、雪洞とまでいかないが、半横穴を作り食事処とした。20~30分程がタイムリミットであったから、粗雑な簡単なものになってしまったが、それなりの雰囲気は兼ね備え、外部からの雑音など一切届かなかった。

 カップ麺とコーヒーくらいを食するには、このような洞窟がいらなかったのであるが、「作りたかったのでしょう。」 と「山ノ神」 に言われてしまった。降るのではないかと思われた空模様も、車に戻るまで持ちこたえてもらったのに感謝であるが、予報(予想)通りと胸を撫で下ろした。



3/19 明日の事は分からない。気運が乗らないというのか、志気が上がらないというのか、折角の連休なのに何の計画もないし、山仲間に 「どうする?」 と、問う気持ちにもならない。そして、天気予報と、地震関連のニュースばかり見入っている。どちらにしても、明日起きてから・・・・



3/18 東日本大地震で、流石の猛者達も、ちょっとばかし萎んでいる。それに、私は、人間らしくて良いと感じている。そして、申し訳なさそうに登っている人達にも、それなりに人間臭さが伝わって来るから、私の頭はどうなっているのだろう。どうにもならないもどかしさが、そう思わせているのかもしれない。

 他人の事など気にしないで、自分の思うようにやればいいのであるが、人の心はそれ程強くない。それが義理や人情となって、強い繋がりを生んでいるような気もする。打てば響くし、思いはいつか届くものである。



3/17 娘のところに支援物資?を送ろうと思って、宅配事業所に行ったら、「いつ届くか分からないのを覚悟して頂いて承っている。」 と言われた。どうしようもないから、それを呑んでお願いしてきたが、1~2日前は、そのように言われてもスムーズに届いていたようである。私達のような親バカが多くいて混乱しているのかもしれない。首都圏の倉庫には、荷が多く滞っているようで、スーパーやコンビニの売り切れと同じで、異常な状態になっているようだ。



3/16 「東京のスーパーや、コンビニから物が消えた。」 との映像が、テレビだけでなく、娘や姪、そして、知人から送られてくる。そんな影響からだろうか、富山でも、懐中電灯や電池などが無くなって来ている。姪のマコちゃんからは、スポーツ用品店にも長い列が出来ていて、マットやシュラフ、調理用具が飛ぶように売れていたとの報告を受けた。

 でも、避難するのなら、買い溜めた食料品やアウトドア用品が有効に使われるかもしれないが、被害を受けてしまったら(潰れたり流されたりしたら)、何にもならないのにと思う。実際、私(達)も、山用品を持っており災害に強いと思っているが、間接被害のように、その物が身の回りに留まっていてくれれば効力を発生するが、イザ、潰されたり流されたりして、手の届かぬ状態になればどうしようもない。ヘルメットも、常に手の届く所になければならない事になる。一日二日食べなくても、そう簡単に死ぬことはない。



3/15 今日は、何時もと違い、ちょっとばかし臑(スネ)が痛い。「山ノ神」 に至っては、足を引き摺っている。それは、20キロ近くを、5時間半程掛けて、歩いたからに違いない。いつもなら、坂を登るから太腿に来るのであるが、今回は、標高180~270mの山に登っただけだし、そんなにアップダウンがあったわけでもない。やっぱり歩き方によって、使う筋肉が違うものだと実感した事になる。



3/14 こんな時、私も優等生になろうと思ったわけでもないが、ちょっとでも省エネ・節電に協力をしようと思った。家の片付けや風呂掃除などに時間を割いてから、家にいて暖房機のそばにいるより、身体を動かそうと、山歩きとはいかないまでも、車を使わないで二上山辺りを歩いて来た。我が家から、ぐるっと回ったから、5時間半も掛かってしまったが、いつもと違った充実感が漂った。

 自宅で食事を済ませてから出掛けたから、コンロ・がす・コッフェル・水・コーヒーに手袋、念のために雨具などの簡単な装備。小一時間歩いた伏木の十間道路に差し掛かった頃、お互い喉が渇いてしまった。「今日は我慢!お金を使わない。」 などと誓っていたのであるが、139円の「のどごし4本」を買ってしまったのである。(他に、つまみ少々)

 いつもなら、ダメと言うのに決まっているのであるが、「車ではない。」 との安易な気持ちになり、無駄なお金を使ってしまった。使ったお金は、700~800円程度なのであるが、「使わないで、義援金に回せば良かったね。」とちょっぴり反省の心となった。

 殆ど自動車道を歩いた感は歪めないが、カーショップ・コンビニ・気多神社・鐘撞き堂・仏舎利塔・二上射水神社・スーパーなどと、山に登って観光まではいかないまでも、将来のミニチュア版だと思った。家に戻れば、違った意味の疲れを感じ、時計を見れば、午後7時を回っており、すっかり暗くなってしまっていた。



3/13 明日の午前中は、バンバンのお天気だから、この際早めに出掛けて、早々に降りて来れればと、大地行きを考えていた。(夕方になって、もっと予報が良くなってしまったが・・・) しかし、テレビ報道によれば、富山には薄いかもしれないが、3日以内に起こるM7以上の地震の確率が70%以上と報じられているし、東京・東北電力管内では、輪番停電の可能性があるというのでは、私も何かの協力をしなければと、山行を取りやめる事にした。

 朝日町小川までの距離は、往復130~40キロ程であるから、おおよそ12~15Lのガソリンを節約する事が出来る。また、家の中にばかりいないで、身体を動かし、暖房に頼らないようにしようと思っている。仮に家の中にいても、なるべく節電に心掛けるつもりである。私は、僅かな事しか出来ないが、「今年は、何が何でも山に行く事を見直そう。」 という課題があっただけに、この際準ずる事にした。



3/12 東日本大地震の被害の凄さ・酷さは、何と表現したら良いのだろうか? そっと胸で手を合わせるしかないのだろうか・・・・ 今度は、新潟県中越・長野県北部でも地震があった。地震が近付いて来たわけでもないのだろうが、心境が穏やかでないのは私だけでないだろう。

 流石の私も、「次行く山が考えられない。」 でも、「喉元過ぎれば・・・」 もあるので、状況を見ながらの判断となるだろう。



3/11 午後から、ずっとテレビの地震報道に釘付けになってしまった。その間、東京の娘から、棚の物が全部落ちたとの電話があった。同じ東京の姪や埼玉の姉などには連絡が取れていないが、むやみに電話する事で尚更通じにくくなるのだと自粛している。

 娘のダンナの事に付いては、「この分じゃ帰れないのじゃない。」 と半ば諦めていたが、ずっと続く余震に不安がいっぱいのようであった。大阪の息子からは、休日には、「また山に行くのか?」 と心配してくれる電話があったが、心配してくれるだけでも有り難いと受け止めた。

 地震と言えば、中越地震の余震を、頸城の駒ヶ岳山頂で体験した。仲間と共に身を伏せたが、「山ノ神」だけが、「何かあったの?」 と平然としていたのが、今では仲間との語りぐさとなっている。

 被災された方々には、お見舞を申しあげなければならないが、次行く山も気になるところ。でも、これだけ余震が続けば、身が縮込んでしまう。その点からしても、早く終息して欲しいと思わずにはいられない。



3/10 今月の休日はあと4回。でも、大地・初雪山への機会は4回あるとは言えない。所用を含めた時間的な事を考えると、1~2回となりそうである。でも、大地だけに限定すれば、2~3回は大丈夫かなと思わないでもないが、世は自分だけのために動いているわけでもないし、ちょっと引っ掛かって来るかもしれない。

 また、「休日とお天気がマッチしないとその思いが叶わない。」 となれば、やっぱり行けるかどうか分からなくなる。お天気が悪ければ、我が家から遠いし、そんなにしてまで行く山でもないし、あとは、「天に任せるしかない。」 のである。



3/9 「どうしてもあの山に行きたい。」 とか、「あと何回あの山に登りたい。」 という気持ちがだんだんと薄らいでゆき、「何処でもいいや・・」 となる事が多くなって来ているように思う。

 まだ、「何処でも良いから行きたい。」 と出掛けるから良いようなものの、「めんどくさくなって来た。」 とか、「無理してまで行かなくても・・」 となれば、自分にとっての黄・赤信号のような気がしてならない。どうしようかと思っても、「やっぱり行かなくては・・」 と腰を上げているし、周りも、そのような雰囲気にしてくれているから、何とかやっているのかもしれない。

 何かで、プッツンすれば、人生そのものがダメになってしまうような気がする。何か代わりになるような物を、今からでは見つけ出す事も難しいし、何が何でも山にしがみついていかなければならないのであろう。

 大事にしてくれる山仲間に感謝しながら、自分自身も、その意識をきっちりと持ち続かなければ、楽な誘惑に負けてしまうのがオチである。平生文句を言いながらも、付き合ってくれる「山ノ神」 も大事にしなければ、そのような事が続かないような気がする。

 衰えを認識しながら、「まだまだ」 の気持ちで、常に前向きで行かなければと思っています。「まだ登れるのだから・・・・」 どんな形でもずっと登り続け、中身はどうであれ、「あの人のように・・・」 と目標になれるよう頑張らなければ・・・



3/8 「山ノ神」に、所用があったとしても、2日間、自分だけの山行とする事が、だんだん難しくなってきた。「山ノ神」 との山行も、やぶさかではないが、「長いのはダメ!」 「ダヤイのはダメ!」 そして、特別の希望がないのであるから困ったものである。

 なかなか起きて来ないのも、「お天気が悪いと思ったから・・・」 などを、理由にするのであるから、企画する者として、些か 力が抜けるというもの・・・ 思案した結果、尖山・来拝山・大辻山のある立山方面行きとしたが、その決定権が、「山ノ神」にあるのであるから困ったものである。

 「尖山はちょっと・・・」 「大辻山には時間が足りない。」 との消去法で、日頃から、「山ノ神」が、あまり行きたがらない「来拝山」になってしまった。立山少年の家発午前10時頃となったが、トレースに新雪が10cmくらい積もっているという比較的登りやすい感じであった。

 何故か知らねど、予報とは裏腹に青空が広がり、青と白のコントラストが、まばゆい程であった。2人だけの食事は、カップ麺とコーヒーだけの質素なものであるが、それでも、お天気がその代用となったような気がした。(山ノ神の点滴は、ないはずがないが・・・)

 風もなく、何も羽織らなくても暖かいお山のてっぺんであったが、予報とは、やはり調べ尽くして出されているようで、車に乗ってからは、チラチラ雪が舞うようになった。お山のてっぺんにいた時だけが、好天だったとは、私にもようやく運が巡って来たと思ってしまったが・・・・

 

3/7 お天気が悪いのに、またまた出掛けてしまった。上路の神社付近から、標高差にして1000mくらい登る白鳥山で、山スキーなどで使われる雪山コースである。雨がミゾレに変わって、そして、雪になり、視界は殆どなく、唯々、耐え忍ぶ修行のような山行であった。

 稜線に出てからは、全くのホワイトアウトとなり、GPSがなければ、それこそ、どうなったか分からない程であったが、「北ちゃん」 の誘導により、難無く山頂小屋に辿り着く事が出来、温かくて美味しい料理に有り付けた。

 天国のような山小屋から一歩外に出ると、ホワイトアウトだけでなく、横殴りの風雪に見舞われたり、クラストした雪面に足を取られる事もあったが、登り時間の半分で車デボ地点に戻る事が出来た。

 如何に好山病重症患者達であろうが、今日もケガなく戻れた事に感謝である。



3/6 今日は、降ると言っておいて降らなかった。明日は、先週に続いてお天気が良くない。でも、先週よりは気温が低いので、降ってもミゾレまたは雪かもしれない。一日中降っている事などないのであるが、すっきりしたお天気に越した事はない。

 お天気が良くないとしても出掛けなければならない。次の機会を逸したくない為である。一週間に一度、トレーニングジムに行くと思えば何ともない。気心の知れた山仲間と歩けるのであるから、こんなに楽しく恵まれている事に感謝しなければならない。



3/5 昨夏、朝日平(朝日小屋)でお会いして、一杯飲みながらお話ししていた大阪の先生から、「あの時・この時の画像を削除して欲しい。」 とのメールを頂いた。あの時、HPの事は、お話したような気がしていますが、私のHPを探し当てたのに、あまりステキな画像でないから、お叱りを受けたのか、それとも、誰かが、たまたま私のHPから、その画像を見付け冷やかされたのか分からないのですが、「申し訳ない。ご迷惑をお掛けしたようです。」 と完全に削除・訂正をしてからメールを送ってみれば、「迷惑などとんでもありません。あなたのHPを楽しんでいますよ。」 との返事をもらった。勝手に載せたからイヤだったのか、公的な立場だから、万が一のためなのか、分からないのですが、このコーナーも考えなければいけないのかもしれないね。

 プライバシー云々と言われるこの頃ですが、写真一枚やほんのちょっとの文章が、そんなに、その方々を脅かす事になるのでしょうか・・・・ 一日200~400人の方々が、それも同じような方々に見て楽しんでもらっているだけじゃないかと思うのですが、今載せられている方々も、もう少し我慢しとって・・・



3/4 一ヶ月以上ご無沙汰していたブログに、ちょっとばかり書き込んだ。「何で、こんな事ぐらい。」 と思ったのであるが、ダメな時は本当にダメなのである。見て欲しい時と見て欲しくない時、そして、そっと自分だけの領域の確保?が欲しいと思う事もある。無いもの強請りなのかもしれないが、干渉されたくない時もあれば、人恋しくて、たまらない時があるのと同じかもしれない。

 このところ、ポストに行く事が多くなっている。バースデーカードを含めた書簡なるものの投函のためである。手書きなら良いのであるが、どうしてもキーボードを叩いてしまうから、ちょっと味気ないかもしれないが、自分のその時の感情を、そのまま紙上に載せたいからである。

 この時代メールがあるが、これも文化と思っている。一方通行的な私の思いは、それ以上を望まないが、返信されたものは、宝としてファイルされている。整理していかなければならないのに、この種のものは、ドンドン溜まっていく。



3/3 やっぱり、スムーズにHPに書き込めない。自然体で臨めないのは事実であるが、こんなにまで、自分が小さい男(人間)だとは思っていなかった。ちょっと考え込むと胃が痛くなる。酒などで、ごまかす事も出来ない。山歩きをしている時はどうかと言われても、何もかもを、忘れる事など出来ないものである。

 どうしたら良いのだろう。「ワッハハ・・・」 と笑うのが一番なのであろう。忘れるが得、笑うが大得なのだから・・・・ 怒ると損。



3/2 「山ノ神とのバトルがなければ・・・」 とか、「愚痴りを楽しみにしているのに・・・」 と、こんな激励?が寄せられた。近年は、山の情報的価値が薄らぎ、赤裸々に綴る私生活に興味を持たれているのかもしれない。

 どちらにしても、応援や親しみとして感じ、有り難い事に変わりはない。書きっぱなし(綴りっぱなし)で、過去の出来事や、その時の思い付きなど覚えているハズがないのに、元さんファン(自惚れ的表現で申し訳ない。)は、 私の事を覚えておられたり、知っておられたりするのであるから、参ってしまうし恥ずかしい事さえある。

 なかには、「誤字脱字など問題ないよ。その雰囲気さえ分かれば良いのだよ。」 などとまで言ってくださる方まで現れ、恥ずかしいと思えば良いのか、自信にすれば良いのか、よく分からなくなって来ている。

 「惚けてまんねぇ~。」 と言うには、ちょっと早過ぎる気もするし、またまた、リニューアルを考えなければいけないのであろうか? 私の直近の目標は、アクセス回数が100万回である。それをクリアすれば、65歳までHPを続ける事である。

 二つとも、すぐそこに見えるような目標であるが、なかなかである。過ぎた事は早いが、これからの事は、そう上手く行くとは限らない。本当に明日の事は分からない。そんな事を思う歳になったのかもしれない。



3/1 午後5時半頃、猿倉スキー駐車場に戻った。午前8時半に集合して、雨の中、何処を彷徨していたのかと思われるかもしれないが、それは歩いた者・参加した者しか分からない特別な時間である。

 「雨の雪山だから、メーンルートしかないだろう。」 と言いながら、猿倉山を経由しなかった。食事を終えた午後2時半頃には、予想通り雨が上がった事もあったが、体調不良と言っていた「北ちゃん」が、突然元気印になってしまった。

 既存ルートや同じ所はイヤとみえて、次から次へと、登ったり降りたりを繰り返すのであった。でも、辛い顔をしても、イヤな顔をする者はおらず、久し振りに歩いた者にしてみれば、「一ヶ月分歩かせてもらった。」 と思ったに違いない。

 ちょっと疲れた感じで駐車場に戻れば、ねぎちゃんの車に、何だか怪しげな荷が貼り付けてあった。「不審物?」 と誰かが言ったが、そっと開けてみると、「温かい缶コーヒーに、これまた温かくて美味しい今川焼き(大判焼き?)」 が入っていた。

 名はなくても、マキちゃんの差し入れである事は、すぐに分かってしまう。10人分程用意されていたが、その心遣いに、皆が身も心も温かくなり、大きな声で、「マキちゃん有難う。」 と叫んだ。