7/31 悩んだ挙げ句、剱沢キャンプを中止とした。このお天気だから致し方がないが、行かないと案外晴れるものである。中止としても、諦めきれず、明日、一日中、何らかの模索をする事でしょう。



7/30 8/1~8/2の予報が下方修正されていくような気がする。せっかく久し振りの仲間と、剱沢キャンプとまで決まっているのであるが、その他の行動としての予定が立てにくい。また 「♪ 雨が降ったら濡れればいいさ・・」 とか 「♪ 俺たちゃ そんなもの恐れはせぬぞ・・」 などと、歌にはあるが、風雨に晒されるテントの中は、そんな悠長なものではない。もう一日、予報と、にらめっこになるようだ。



7/29 それにしても、すっきりしたお天気が戻って来ない。今夏は、一体全体どうなっているのだろうか? 暑い暑い夏から始まり、吹っ飛んだはずの梅雨が、戻って来たような感じである。山中で、新潟・福島のような豪雨に見舞われたりしたらと思うと、ぞっとしてしまう。

 

7/28 恒例となった「好山病・・夏山キャンプ」の行き先がほぼ決まった。4回目である今回は、「何が何でも・・」 の声が小さく、「まったり」 が、テーマになりそうである。どんな付加価値が付く山行(キャンプ)となるかは分からないが、お天気次第となりそうである。

 そして、どんなハプニングが起こるか分からない。それは、そんな年齢になったからでもあるし、幅広い付き合いとなっているからでもある。だから、一回一回を大事な機会として、胸に刻み付けたいと思っている。



7/27 今年も東京の武鹿野氏からお便りを頂いた。毎年、自分で撮った写真を貼り付けて送ってくださるハガキを、私は、夏の風物詩として受け止めている。「南アルプスの夜明け 千枚岳にて・・ 荒川岳にかかる雲に朝日が差し込む 西の空にはお月さま」 とのタイトル・サブタイトルを読みながら、1年に一度彼の顔を思い出す。

 11年前、針ノ木岳でお会いしたのであるが、会話はほんのちょっとだけ、写真も一枚しかない。同じ針ノ木岳でお会いし、結構行動を共にした東京のジョナサン君とのメールは一年で途切れた。また、「大山の事は何でも問うてくれ!」 「大山に来たら尋ねてくれ!」 と言ってくれた岡山の高田氏は、大山の主的存在であったが、昨年、その大山に散ってしまった。

 あまり喋らず、印象の薄い武鹿野氏だけと長い付き合いになっているが、顔はあまり思い出せないでいる。それでも、事細かに山に対する思いや、記録を綴ってくれる彼は、やはり私の山友である。

 

7/26 孫のために借りていたチャイルドシートの返還と、印鑑証明を取りに行くために役所へ出掛けたのであるが、駐車場に着いた途端に、土砂降りの雨に遭遇した。雷鳴が轟き、視界がない程の降り方に、風が伴ない車が凄く揺れた。そして、雹まで降ったのであった。何十分車に留まっていたのか、あまり時間を気にしていなかったのであるが、正しく、ミニ台風の様相であったような気がする。その留守の間、我が家でも、ドアの隙間から雨が吹き込んだようである。こんな事は初めて? のような気がする。

 昨日の白山でも、雨に見舞われたが、雨具を来て傘を差したのは、一時であった。時たま、パラパラとしたが、予報ほどでもなかった。それは結果オーライであって、前が見えないくらいに降られてしまうと、川の中を歩くようになり、仕舞いには、ニッチモサッチモいかなくなる時がある。

 天が裂けたような稲妻が走ると、それこそ生きた心地がしないが、じっとしているわけにもいかないので、祈るような気持ちで歩くしかない。岩場の縦走時に遭遇した時などは、怯む事など出来ず「落ちたら落ちただ。」 と思うしかない。沢はイヤである。早々に逃げるしかないであろう。



7/25 お昼前に発てば、午後3~4時には自宅に戻れ、日頃、蓄積された所用がこなせるのではないかとの皮算用は、「山ノ神」の一言で、吹っ飛んでしまった。空荷に近いような「山ノ神」は、まずまずの状態で、白山・室堂に到着(午前10時半頃)したのであるが、始めから山頂には行かないと決め込んで、お店を広げてしまった。

 いつものように、「あんただけ行ってきたら・・・」 であったが、今にも降りそうな空模様に、いつ出発しようかとタイミングを見計らっていたところに、「南竜ヶ馬場方面に行ってみたい。」 などと言い出した。

 私は、今まで20数回白山に登る機会を得ているが、5月の残雪時に甚ノ助小屋から南竜ヶ馬場を経由して、トンビコースなる所から室堂に出た事はあるが、無雪期には、一度も行った事がなかったのである。

 そしてまた、GPSがあるものの、地図も持参していなかった事もあり、概念はあるものの詳細を把握しておらず、ちょっぴり不安があった。でも、時間的に余裕があったので、もしもの事があれば、引き返せばよいくらいのつもりで弥陀ヶ原に向かった。

 そして、とうとう雨が降り出し、視界がなくなってしまった。「登山道に雪渓が残っていたら、ヤバイかな・・」 との思いが脳裏を過ぎったが、山荘に立ち寄って情報を確認その心配はなかった。

 南竜ヶ馬場から、展望コースを選択したが、晴れていたら、さぞかし展望が良いのだろうと思うようなコースであった。室堂から標高にして400m位降りて、また登り返したのであるが、ずっと大雨に悩まされる事もなく、山頂は踏まなくとも、お花の白山を満喫のである。

 登山口に戻ったのは、出発して12時間後となり、余裕をもって我が家に戻る計画は、パーになってしまったが、またまた丸一日遊んでしまった。



7/24 娘とヒメ(孫)が帰った。25日間もいたから、台風が去った感じである。大阪の息子の所に、行かなければならないかもしれないと思っていたが、それもなくなり、やっぱり 「休日は山に・・」 になった。

 「山ノ神」に希望を尋ねると、「唐松岳」か「白山」だと言う。「明日は、午後からの予報が芳しくないのでは・・」 と告げると、「止めても良い。」 と言ったが、やっぱり出掛けなければなるまい。黒菱まで車が入らない情報を得たので、行き先は「白山」となった。さっと行って、さっと戻る事になると思うが・・・・



7/23 完全に生活リズムが狂ってしまった。それは、娘や孫がいるからではなく、自分の体力がなくなってきたという事であろう。一日4~5時間の睡眠時間が、6~7時間になってしまったのである。だから、身体が楽になったかというとそうではなく、だるいものはだるい。

 酒(アルコール)にも、暑さにも弱くなったと実感するのであるから、ちょっぴり寂しいが、その事実を認識しなければならないようになっていく。「歳だから・・」 などと、控え目に言っていた事が、それが現実になっていく事に、だんだんと寂しさを感じていく。



7/22 私にも行きたい山がたくさんある。その一つに、今夏に行けるかどうか分からないが、双六岳とその周辺。黒部五郎岳・三俣蓮華岳や鷲羽岳・水晶岳には、その機会があったが、双六岳のピークはまだ踏んでいない。小池新道も、鏡平・弓折岳までしか行っていないので、タイミングを伺ってみたい。しかし、テント泊となると、「山ノ神」との一泊では、双六小屋前で泊まるだけになりそうである。二泊三泊の行程となると、ぐっと機会が狭まってしまいそうだ。

 飯豊連峰もそうである。テント泊や小屋泊でも違うが、飯豊山だけにするか、最高峰の大日岳にも行くかによっても変わってくる。また登山口に泊まって、日帰りというのもあるが、そんなに無理する事もない。しかし、どの登山口に行くまでにしてもアプローチが長い。

 もう一つは、木曽駒ヶ岳である。千畳敷までロープウェーを使うのであれば、いつでも、幾つになってもの思いがあったが、反対側から登るとなると、またエネルギーがいる。行けるかどうか分からないが、候補にあげて置きたい思いがある。

 そして、やっぱり剱沢に行きたい。剱岳に登る登らないは別にして、「一年に一度は行きたい。」 という思いが、より強くなって来た。そして、お天気の良い時に出掛けたいのであるから、本当に欲張りである。山に踏ん張れるか、だんだんと山が薄らいでゆくかは、今年のこれからが正念場のような気がする。



7/21 山の情報としてでなく、ダラダラと、くだらない事ばかり述べているからであろか、「元ちゃん元気ないね。」 「元気なくなって来たね。」 などと巷で囁かれているようである。

 身体中の故障に脚力の衰えは、どれだけ地団駄を踏んでも蘇るものではない。最近は、震災・原発・エネルギー・政局・安保・地方分権などの国内問題や、紛争・金融・人種問題などの世界的な事まで、心配しているもので(ウソ)、時間もなければ、身体も着いていかない。

 極身近な友人・親戚・身内の事や、我が人生の先行きに思案をめぐらせても、一向にパッと光が差さないが、それを思い悩む事などないようである。「過去、60年思い通りになったか?」 と言われてみれば、「NO」 としか言えない。「この先も、恐らく思い通りにはならない。」 ならば、思い悩む事などないかもしれない。



7/20 娘か「山ノ神」のどちらの発案だったのか分からないが、一ヶ月前倒しにして、私の誕生日を祝ってくれた。いつもより、ちょっとだけ、おかずを張り込んでくれて、小さなケーキが用意されていた。ちょっと照れくさかったが、悪い気はしない。でも、いつもより、缶ビールを1本余計に飲んだだけ・・・

 前倒しのバースデーとしてくれたのは、週末に帰京する娘が企画したのか、それとも、その娘の事を思って、「山ノ神」が考えたのかは、分からないし尋ねなかった。そんな事は、ファージーでよいと思っている。

 娘と孫がやって来てから、3週5回の休日があったが、その内3回(3日間)山に行かなかった。「山ノ神」は全休であった。ライフスタイルのなし崩しに繋がらなければ良いのにと思う反面、こんな時が、あっても良いのかなと思ったりもする。



7/19 剱岳から戻って、もう辛い山行は止めようと改めて思った。「ケガや病気になって、登れなくなったら、それこそ、もうお終いだから・・」 だけじゃなく、やっぱり楽しくなくちゃって事だからです。

 「辛い事は、たくさんやってきたから、もういいです。危険な事や、難しい事はやらない事にします。」 でも、山を止めるのではなく、楽しく、気持ち良く山歩きをするのですから、ご心配なく。



7/18 「連休の一日は山に行くな!」 と、「山ノ神」言われていたので、眠い目を擦りながら女子サッカーを見てしまった。一日空けたのであるが、あれこれと、特別行く所もないようだったので、立山家族旅行村に出掛けテントを張った。

 体力の限界を感じている今日この頃であるから、否応なしに、このような事が、私に似付くようになるのであろうが、もうちょっと違ったスタイルになるよう考えなければなるまい。先月30日から、やって来た娘と孫も、今週中には帰京のようである。



7/17 30回目の剱岳は、ゆっくり楽しみながら登ろうと思っていた。しかし、そのように考えても、その日が、いつになるか分からないし、幸い独りになったし、思い切って早月尾根から登ってやろうと思ったのでした。

 一週間前に痛めた脇から肋骨辺りに不安があったけれど、「ダメなら戻ればよい。」ほどの考えで臨む事にした。それよりも最近、不都合の股関節と膝、そして、暑さであった。暑さは、多くの方々が挑んでいるわけで、私だけがハンディーを負っているわけではない。

 早月尾根日帰りは面白くもないから、もう止めた。などとずっと思っていたのに、今回このような挑戦になってしまったのですが、ボランティアの方の計らいで、土嚢が積まれ随分楽になったように感じた。

 この調子では、10年前とそんなに遜色のないタイムで歩けるのではと思ったのがいけなかったのか、標高2000m辺りから太腿が攣ってしまい高く足を上げる事が出来なくなってしまった。それが両足となってはどうしようもない。それでも、早月小屋まで、3時間余で行けたのだから、まあまあかと思ったのがいけなかったのであろう。

 それで止めれば良かったのに、歩きを続けてしまった。何度も歩けなくなり立ち止まってしまった。鎖場では、硬直した足の移動に、イヤな時もあった。早月小屋から山頂まで4時間半程要してしまったのである。山頂で、空腹を満たす為に、腰を降ろして足を伸ばすと、またまた、のたうち回ってしまうほどであった。

 下山では、私よりも、もっと遅い人達がいて、ちょっと救われた感じであった。下山時間を気にしないでゆっくりゆっくり降りた。それでも、抜かなければならぬ事態になってしまった頃には、ちょっぴり快復したように思えるようになったのである。とにかく、早月小屋までは遠かった。

 少し休んで、早月小屋を出発したのが、午後4時半少し前頃で、日没との戦いであったが、何とか明るい内に、車に戻る事が出来た。出発直前になって、送迎がなくなっていたので、その点だけは心配なかったのであるが、上市の市街地に入ってから携帯が鳴った。



7/16 一日だけ私の時間が与えられた。送迎をすると言うのであるから、そうそう遠い所へも行けない。馬場島辺りが限界であろう。でも2往復するのであるから、5~6時間、距離も250キロくらいになる。そんなのなら、私に車をくれればいいのにと思うのであるが、ダメと言うのであるから仕方がない。いっその事、限界に挑戦してみようか?



7/15 親しい山仲間とのレベル差が生じたり、思考の違いから、どうしても同行してもらう機会が減っていくような気がする。休日の違いもあり尚更かもしれない。それが、私と「山ノ神」との間でも、顕著になりつつあり、行き先選定に苦慮せねばならないようになっている。

 海の日の連休は怪しくなりつつあるが、8月の連休は、盆休を含めて3回もある。それを全部というわけにはいかないだろうが、有効活用出来れば、この上ないハッピーという事になる。お天気と所用が重ならなければいいのであるが、健康であっての話でもある。

 「体力が無くなった。」 「元気がなくなった。」 と言いながらでも、まだ行きたい所がいっぱいある。そして、また行きたい所もたくさんある。一座一座を感謝しながら登り続けたい。



7/14 「いつまで滞在か?」 と聞くのも恐ろしく、海の日の連休(18・19日)の予定が立てられないでいる。と言っても、特別な事を企画する予定もなく、空くとならばすぐにでも準備は出来る。しかし、大猫山の転倒が尾を引き、重荷を担げるかはまだ分からない。

 「無理しなくても・・」 と、なし崩しになる事が一番怖い。まだ二日あるし、キャンプ出来なければ日帰りがある。何も遠くへ行かなければならない事もないし、何処ででも良いのであるが、独りだけというのが、だんだんつまらなくなってきた。



7/13 地獄のような我が部屋で、もう試練が始まっている。二階に上がるだけでも、汗が滴り落ちる状態であるが、私は、ひたすら我慢を続けている。「暑くて、寝られないのは、年に何日で、そう長くはない。」 また、「寝るのにも体力がいる。」 が持論であった。

 体力が無くなったというのがイヤで、頑張り続けてきたが、昨年の今頃だったか、誰かに言われた「元さん、もう歳なんだから、気を付けないと・・・」 に、「まだまだ・・」 と思っていた。でも、今年は、早々にギブアップである。

 四方が駐車場に囲まれていて、アスファルト上で温められた熱風が、トタン張りの二階に押し寄せて来る。片方の網戸が壊れているため、締め切ったままだから、もう1カ所の網戸だけが頼りであるが、風が殆ど通り抜けない。もちろんエアコンなどの空調機はなく、扇風機にも頼らなかった。

 特に寝ながらの扇風機が嫌いで、汗を掻きながら、10畳の部屋を転がりながら寝ていたが、我慢の限界が来たようである。扇風機を降ろしてきて、「弱」をリズム(メーカーによってはランダム)にして、タイマーを1~2時間の設定にするようになって4日目である。

 「一階の方が、少しは涼しいよ!」 の声があるが、暑くても、「これが夏」 と、まだ白旗を揚げていない。真冬は、ペットボトルに熱湯を注いで暖をとっているが、今度は、氷を入れてみようか・・・



7/12 下界では、どうだったか分からないが、大猫山は午後1時前から土砂降りであった。雷を伴なっては、あまり気持ちの良いものではなかった。降りが、だんだんと苦手になって来ている私にとっては、グチョグチョだけならまだ良いのであるが、何の上にも、足を乗せれば滑るような気がして、怖い感じが付きまとうのであるから厄介である。

 実際、ズルッといったのが何度となくあった。その内の一回は、尻餅を着くに及ばなかったのであるが、左腕が倒木に挟まるように着地したため脇を強打してしまった。帰ってから鏡に映して見てみると赤く打撲痕があった。

 しかし、痛いのはその打撲痕よりもその周りで、咳をしてもクシャミをしても響くのである。もしかしたら、肋骨に何か支障が生じたのかもしれないが、気のせいか、起きがけよりも、今夕の方が痛みが和らいだような気もする。あちこちの擦過傷も、時間と共に消えて行くのだろうが、本当にチョロい身体になってしまった。



7/11 「北ちゃん」 と 「ねぎちゃん」 とで行く大猫山に、「山ノ神」から了承をもらった。と言っても、車を渡さなければならず、上市までの送迎付きであった。その後は、「北ちゃん」の車に便乗させてもらい大猫山登山が始まった。

 まずまずのお天気で、始めから剱岳や大日連山を眺めながらの登高となったが暑さには参った。風もなく、高温に汗が噴き出し、シャツやズボンだけでなく、パンツまで、びっしょりになる始末であった。

 それでも、久し振りの大猫山、そして、お気に入りの山仲間と一緒だけに、何もかもが笑いの材料になり、楽しさがいっぱいであった。大猫平を過ぎた辺りから、湧き出す雲に視界が遮られていき、山頂に到達した頃には、何も見えなくなってしまった。

 山頂での店開きは、例え剱岳が見えなくとも、お互いのイメージがあり、「あの辺が、○○で・・」 などと、話が途切れなかった。そして、8月上旬に企画されている「好山病・・」での夏山キャンプにまで及んだ。

 食事の締めとしてのコーヒーを入れにかかった頃にポツリとやって来た。「私が雨具を着れば、雨が止むよ。」 の祈りとも言える願いも空しく、雷鳴が轟きスコールのような雨になってしまった。その雨足は、時には小降りとなったが、登山口まで止む事は無かった。



7/10 profileに、10回以上登った山を50座が目標と記してある。今一度調べてみたら28座しかなかった。しかし、その予備軍の7~9回が10座あった。これでも足りないと、5~6回を数えてみたら26座あった。唯々、数字の遊びにしかならないが、思うようにならないものである。

 10回以上というのも何の基準もなく、10回程登れば、その山の事が、少しは分かるのではないかという、私の勝手な希望的観測だけの事である。10回登っても20回登っても、分からない事は分からない。一般的なルートを歩いていても、それは同じ事で、自然の事を分かるなんて偉そうな事など言えるハズもない。

 数字遊びだけで、中味を問われては、返答に困るのであるが、剱岳は、もう1回で30回になる。大地と大猫山へは、50回のハードルを掲げているが、どうなるか分からない。その山だけに、標準を合わせれば、まだまだ望みを持つ事が出来るのであろうが、いろいろな所へも出掛けて行きたいだけに、そう甘くはないようである。

 毎日山に行けるような、またお天気の日を選んで行けるような立場であったら、それなりの数字を残す事が出来るのであろうが、ある程度拘束されているから、また闘志が湧くような気がしないでもない。



7/9 今日も白木峰に出掛けた人が多かったようです。明日もまた、たくさんの方々が計画しておられるようです。「私も行きたいな~。」 と思うのですが、お天気なら、もうちょっと歩ける所、そして、もうちょっと高い所へと心が動くのです。

 実のところ、今年は、2,000mを超した山には、まだ出掛けていないのですから、どうしても、心がそちらの方に動いてしまいますし、お誘いもあります。お天気なら、自ずとそちらの方になるのでしょうが、最近は軟弱なだけに、「予報次第では、白木峰への線も充分有り。」 というところでしょうか・・・・



7/8 メールを下さった方も、そうでない方でも、ご心配をお掛けしました。ちょっと、おかしな感じなのですが、まあまあ、何とかやっていますからご安心下さい。簡単に述べますと、能力以上のいろんな事がいっぺんに重なり、パンクしたような感じです。

 人生は山だけでないのですが、そこへ掛ける情熱が、萎んだり無くなったらどうなるのでしょうね。「恐ろしいです。」 「怖いです。」 小さくても、やっぱり目標を掲げていきたいと思います。



7/7 町内の「dat50さん」のブログや、「北ちゃん」のHPによると、今年の白木峰のニッコウキスゲが良いようです。10年一度とか、100年に一度ではないかと言われた、一昨年とまでもいかないかもしれませんが、不作?の昨年に比べれば、雲泥の差如く素晴らしいと述べてありました。

 「見頃は今週末?」 なのかどうかは、行ってみなければ分かりません。お天気が悪ければ、白木峰だね。 (可笑しいですか?)



7/6 「疲れた。」 重荷を担いで歩くよりも疲れました。でも、そんな事が長く続くわけがないのですから、自我を通すより、それが、例え肉親であっても、輪を大切にしなければならないのでしょう。自分としては、結構気遣いをしているつもりなのですが、それが届いているかは分かりません。

 そんな事を思うと、大切な山の仲間に対しても、果たして、自分の気持ちが届いているのであろうかと、疑心暗鬼になってしまうのです。良かれと思って発した一言であっても、もしかしたら、相手方を傷付け最悪のシナリオになっているのではと心配になってしまいます。

 人間が出来ていないからに尽きるのですが、今からでも遅くないと思い直して、いろいろな事を勉強しなければと思っています。体力が落ちていくから、尚更そう思えるのでしょうか・・・・



7/5 ぐっすりと眠れなかったと思うのですが、「イヤイヤお父さんは眠っていたよ。」 とは、イビキが、眠る眠れないの尺度に用いられているのかもしれません。早く起きても、「それっ」 と車を運転し目的地に行くのではなく、お風呂に入ったり、お部屋でゆっくりしたり、好きなものを食べたりするのですから、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

 今日は、能登島水族館が目的地となったのですが、北陸道・金沢東まで高速を使っても、意外と遠かった様に感じました。イルカやアザラシ、また、ペンギンの行進など、ヒメ(孫)の為にと思ったのですが、当人は、そんな事はどうでも良く、思い通りになるならないだけが、悲鳴(泣く)として表せていたようでした。

 夕暮れの帰路で、小境海岸の砂浜に足を入れたのが、一番お気に入りだったのかもしれません。大人の決めた遠出よりも、近くで一緒にいた方が良いに決まっているのですが、後々、「あそこへ行った時・・」 というように想い出となるのでしょう。

 娘が結婚前に、北海道へ連れて行ってくれた時(息子も含めて4人で・・)や、2~3ヶ月前、姉を埼玉まで送ってあげた時も、一つ一つが楽しい想い出となって脳裏にしまいこんであるのですから・・・・



7/4 結構早く目が覚めたのですが、あまり気分が良くなく、どうしても山に行きたいという思いに駆られませんでした。ちょっと歩いて来るという思いも、牛岳から二上山に、トーンを落としたのですが、それも最終的には止めてしまいました。「あらっ、行かないの?」 「行かなかったの?」 と、「山ノ神」や娘に言われてしまったのですが、返す言葉もありませんでした。

 やはり、気が滅入っていたのでしょうか、それとも、娘や孫に何もしてやっていないという事が、頭から離れなかったのかもしれませんが、「ちょっと一っ走り」の気持ちが、全く起きませんでした。

 娘が東京に出てから8~9年ですが、引越の手伝いもしていなければ、行った事もなく、4~5年前の結婚式に上京した際、無理矢理に住まいに連れて行かれたくらいでした。子供が生まれるからと、住まいを転居しているのに、それさえも未だ出向いていないのですから、親としての価値がないかもしれません。

 娘と孫の来高以来、孫の喜びそうな所へ、または、想い出になる所には行かなければと思っていたのですが、それが何処なのかも、まるっきり分からず途方にくれていたのです。

 「山を捨てるからには、ちょっとした所に・・」 の思いから、「温泉にでも行くか?」 「ウソ?」 「ホント!」 の疑惑とも思える言葉が飛び交う間に、当日ながら手配が出来たので、一路、加賀温泉となったのでした。

 高級な温泉とはいかないのですが、テントや、それに準じたような所にしか泊まった事がない私だけに、何もかもがビックリしたのでしょうか、金沢から、そして、宿に着いてからも、車から出られないくらいの豪雨に見舞われてしまったのでした。

 食事の準備も後片付けもしなくても良く、好きなだけお風呂に入って、気の向くまま飲んでおれば良かったのですが、非日常のスタイルは戸惑いが多く、疲れが抜けるというより溜まるようでした。そんな所でも、知り合いに会ってしまったのですが、「どうしたの? 山は?」 と問われてしまいました。

 

7/3 「明日は何処へ行くの?」 「暇なんですが・・・」 などと声が掛かったが、「予報が悪そうだよ!」 「無理する事ないよ。」 と返した。今まで、こんな事はなかったのであるが、気分が上向きではない。もしかしたら、何もかもが複合的に作用しているのかもしれない。

 お天気だけでなく、「山ノ神」と一緒でない時の車の使い方や、娘・孫の来高も、多分に影響しているのであろうが、ついつい、「明朝、早々に出掛け、いい加減に戻れば・・」 と言ってしまった。



7/2 「まだ、こんな事やっているのか?」 「毎日に、拘らなくてもいいのでは・・」 「何でもいいから続けてよ。」 などと、我がHPへの寸評は様々である。唯、人生の1/6~1/5もやっていると、生活の一部となっていて、止めたくても止められなくなり、「止めたらどうなるのだろう。」 と自分の一部が、欠落するかのように怖くなってしまうのである。

 そんな中、9月下旬から10月上旬辺りに、カウンターが100万件を記録しそうである。「それがどうした!」 と言われれば、その通りで特別の事でもない。唯々、積み重ねと、暖かいファンからの温情の記録でもある。

 小さくとも、自分なりの目標があると、励みになるし楽しみもある。日本百名山・二百名山・三百名山や、越中の百山など、目標になるお手本はたくさんある。それは、四国八十八カ所を巡るお遍路さんのように、一つ一つ塗り潰していくようなものかもしれない。

 これが良く、あれが良くないようなものではなく、その考えが、しっかりしていて、ぶれなければ良いのではないかと考えたい。「満願成就」は、祝福に値しても、その行程が、もっと大事であることは承知しておきたい。

 私などは、その全ての的に標準を合わす事など出来るわけはないが、それでも、少しの可能性に託さないでもない。否定すれば、我が山人生そのものの否定するような気がするからである。

 しかし、嘆く事などない。自分なりの新しい目標を持てばいいのであるから、そんなに難しい事などないと思う。 同じ山を何回も登るのも良いではないか・・・ それは、二上山であってもよいし、尖山でも、立山でもよいと思う。



7/1 遠出する度に、北アの良さが分かる。特に雪が遅くまで残る北部がいい。「富山には、あんなにいい山がたくさんあるのに・・・」 の答えとして、「年に一度や二度、登った事のない山に出掛け、富山の山の良さを、再認識しているのですよ!」 を述べている。

 富山には、その北アの山々を眺める山がたくさんあるが、盛夏には、やはり本陣に行かなければ魅了する事も出来なければ、気分も良くならない。何も飛び跳ねるように登らなければならない事もないし、争って登る事もないから、お天気に配慮しながら思うように過ごせば良いのである。

 でも、そのような事が出来るのは、山登り人生の中で、どれだけの期間があるのだろうか? 自分を含めた周り中が、健康でなければいけないし、どれだけケチケチしても、経済的にも裏付けがなければならない。また、体力の合ったパートナーに恵まれなければいけないであろう。

 そして、時間もなければならない。そのような事が合致して、初めてゆっくりと楽しめるのであって、そうそう条件が揃うものではないようである。どれだけ健康で体力があっても、親や子供を含め親族の事や諸行事、或いは、町内会や校下の事など、次から次へと出て来るようである。ずっと元気でおられるハズがないのであるから、思い立ったら実現への道を、躊躇なく歩まなければ、遠い山となってしまうようである。