9/30 今まで登った山を振り返って見た。デジカメで撮った画像をPCでみる。ずっと前のものはアルバムで、そして我がHPも覗いて見た。PCの画像は、物凄い数で、まるでビデオを見ているようであった。アルバムは、数こそ少ないが、事細かに説明が付き、その頃の思いが綴ってあった。フイルムカメラから、デジカメに変わる端境期に、2~3年ほどの写真が、アルバムに貼られる事なく箱の中に入ったままになっていたのがちょっと残念!

 どれもこれもが懐かしく、「私にも若い時があったのだ!」 と叫びたかった。また、子供達と登った山があったが、無理矢理誘った感が歪めない。でも、一つ一つが想い出である。ちっちゃな恋もあったような気がする。涙しなければならない時もあったし、気付かなかった事もあった。若さは戻って来ないけれど、「明日よりも今日の方が、来年よりも今年の方が若いんだ!」 の気持ちで歩んで行きたいと思っている。



9/29 当HPのカウンターが100万件をヒットしました。「それがどうした・・」 なのですが、私としては、一つの区切りなので、何だかホッとしています。山・HP・飲酒だけのような人生に、「これで本当にいいのか?」 と思う時もあるのですが、趣味のない人達から比べたら、私はまだ増しの方かもしれません。

 目標を失うと、その先が失墜してしまうような小心者の私ですから、山に行ける間は、HPを続けようと思っています。先の事は分かりませんし、今までが思う通りになった事もありません。だから、地道に小さな目標を立てて邁進していきたいと思っています。出来れば自然体で・・・



9/28 今度の連休(10/3~10/4)は、「北ちゃん」とキャンプの予定をしています。8月はお天気が崩れ、一緒出来なかっただけに(その時は、雷鳥沢キャンプ)、今度こそはと思っているのですが、必ずしも予報はよくないのです。しかも低温予想なので、降れば雪が混じるような気がしてなりません。でも、もうちょっと先の事なので、天候の推移を見極めようと思っています。

 「北ちゃん」の捻挫が治ったら、「復帰山行を計画したい。」 と皆に連絡をしておきながら、私だけが独り占めをしている感じで、申し訳ないと思っているのですが、月一回の連休が出来た「北ちゃん」とのキャンプの方が、優先度が高いなどと、言い逃れをしているように取られているかもしれません。



9/27 三俣小屋から双六小屋への巻道で、雨の中、ご一緒した大阪の稲田さんからお便りを頂いた。彼女ら4人パーティーは、薬師沢小屋から一気に双六小屋まで行く途中で、三俣蓮華岳・双六岳の稜線へのルートを予定しておられたらしいのですが、三俣峠から巻道にて双六小屋に向かう私達に、同行したいとのお願いをされたのです。

 リーダーから離れて、見ず知らずの私達に着いて行こうと思われたのは、長時間歩いて来られただけに、もしかしたら、ダメージがあったのかもしれません。でも、私達と歩かれても、遜色がないどころか、もしかしたら、体力をセーブされているような気さえ伺えた程でした。結果的にリーダー達よりも、かなり早く目的地に着き感謝された次第です。

 このようなお便りを頂くと実に嬉しいものです。今は、メールの時代なのですが、お便りには人柄と共に温かいものを感じてしまいます。私は、ちょっとの出会でも大事にしたいと思っています。優しい言葉を掛けてもらったり、助けてもらう事もあります。そこで、お返しが出来なくても、何処かで、誰かにしてあげればよいと思っています。そのように繋がれば、世の中が上手くいくのになぁ。

 でも、何事も自分の思うようにならぬもので、よく話し気が合ったと思っていても、プッツンと切れてしまい、どんな人だったかなと思う人から、ずっと便りがあったりするものです。でも、長く付き合っていたら(お会いする事がなくても)、その人の良さが分かって来て、便りを待つようになるものです。

 私は、そんな事から、PCを使い簡単なものが多いのですが、なるべく(述べる程ではないのですが・・)お便りをする事に努めています。もらった人は、迷惑かどうかは分かりませんが、「私は元気だよ。生きているよ。」 の気持ちを込めています。伝わっているという確信はありませんが・・・



9/26 クズバ山から福井の宮ちゃん御一行が手を振っていてくれたらしいのですが、私達が大日岳山頂に辿り着いたのは午後0時半くらいでした。ちょっと足を痛めている「北ちゃん」の点検?に便乗した「必ずしも山頂に拘らない。」の条件付きで、「山ノ神」との三人での山行となったのですが、意外とも思える「山ノ神」の頑張りで山頂に辿り着けたのです。

 「今日は速いでしょう。」 と言う「山ノ神」の問いに、足が痛いとは言え、強者の「北ちゃん」にでありますから、苦笑いしかありませんでした。でも、「頑張っているね。この調子なら・・」 との巧みな持ち上げが奏功し、山頂が踏めたようです。

 岩もイヤ、大きな石もイヤ、急登はもっとイヤで、クズバ山や大猫・猫又山を蹴ったハズの「山ノ神」でしたが、「こんな急だったけ・・」 「こんなに岩があったけ・・」 には、返す言葉がありませんでした。残雪期も含め4~5回以上来ているハズなのに・・・

 そのご褒美だったのでしょうか、夏ならこの時間には、上昇気流に邪魔されて、剱岳の顔を見る事が少ないのですが、ずっと、すっきりと眺める事が出来ました。そして、冬支度を始めたのでしょうか、お腹の辺りが白くなり始めた雷鳥(雄)が、我々の周りから離れませんでした。

 そんな所に、山ガールが現れました。私達とっては、子供のような年格好の彼女は、気後れする事もなく、凜とした可愛い女の子でしたが、時間が迫り名残惜しくも一足先に下山する事になりました。

 大日平で、コーヒータイムとしたのですが、そこへ、山ガールである沙和さんがやって来たのです。無理矢理だったかもしれませんが、快く彼女が我々の持てなし?を受けてくれ、それより一緒する事になりました。大日山荘前では、コーヒータイム中を通り過ぎて行かれた、もう一人の山ガール(けいさん)も巻き込んで、楽しい下山となりました。

 「好山病友の会」を、宣伝してみましたが果たして・・・



9/25 好天予想なのに、行き先を決めかけるとは思ってもみなかった。「ブナクラ周辺の山には行きたくない。」 との「山ノ神」言い分で、「行ってきても良いよ。」 だったのであるが、せっかくこのところのハードな山行に慣れたばかりなのに、ここで休ませてしまえば、来週のテント泊で偉い目に遭うのは私であるから、何としても連れて行かなくてはと思ってしまった。

 クズバ山や大猫山・猫又山のお誘いを蹴らなければならなくなったが、それに匹敵するような山を希望に出すのであるから、何を勘違いしているのかと思ってしまう。岩や大きな石、そして、急登がイヤだという「山ノ神」であるが、その感じ方はそれぞれであるから、どうしようもない。



9/24 「う~ん、弱った。」 本当に思うようにいかないものだ。それが当たり前だと思えば、それで良いのかもしれないが、まだまだ修行が足りないようだ。そんな中、思いも寄らぬ嬉しい便りが届いた。メールとまた違った味わいがある。何度も読み返した。



9/23 私は、あまりテレビや映画を見る方ではないのですが、人情物を見ると恥ずかしいくらいに涙が零れてきます。若い頃は必死に堪えたのですが、今は、その制御が利かず出る物は仕方がないと諦めています。また、いい話を聞いても目頭が熱くなりますし、悲しい話を聞いてもらい泣きをする事があります。

 どんな光景か忘れてしまいましたが、感極まって涙が出た事があります。何十年も山に登っていると、「そんな事もあったかな・・」 程度にしか覚えていない。何もかもが混ざり合った時に起きたのでしょうが、また同じ所へ出掛けても、必ずしも感激するとは限らないものです。

 最近は、単独の機会があまりなく、感傷に耽る事が少なくなったからかもしれません。そんな事を思うと、やっぱり自分を振り返ったり、自分を取り戻すための時間が必要なのかもしれません。楽しさを求め、共通の想い出作りに励むのも良いのですが、時にはと思ってしまいます。

 きっと、「無い物ねだり」 なのでしょうね。それにしても、山などの大自然はいいものです。山を知らない人達からみれば、バカげた事かもしれませんが、非日常の舞台を好きなように歩けるのですから、こんなステキな事はありません。



9/22 同級生から「老人会に入った。入れられた。」 と言う話を聞いた。最も名だけ(会費を払って活動はしていない。)らしいし、○○会と称して、老人という名は付いていないらしい。でも、他人様に、その事を話す場合は、どうしても老人会というものを出さないと分からないから厄介である。

 「未だ若い。」 「まだ働いている。」 などの言い訳は、その土地柄にもよるが通用しないらしい。私の町内では、もちろん任意であるから、70歳になっても入会していない人達を何人も確認しているが、時々勧誘されて苦笑いしている様子を伺う事がある。特に女性の抵抗が大である。会費を払えば良いというものでないらしい。名簿に名を連ねる事自体イヤなようである。

 以前、他の町内に住む先輩からこんな事を聞いた事があった。その老人会からの勧誘に「野球部があるのか? サッカー部があるのか?」 と何度も尋ねたら、相手様が呆れて帰って行かれたというのである。もちろん断る為の言いがかりのようなものであるが、私も、「その手でいこう。」と思った事があった。

 でも、知人に「元さん止めとき・・」 と言われた。「もし、お前が、登山クラブあるけ? 山岳部あるがけ? などと言って、それなら、あんたが、責任者となって作ってください。と言われたらどうするのだ。」 である。やっぱり余計な事を言わないのが一番なのかもしれない。

 以前、町内会長を受けなければならなくなった時、「休日は家(町内)にいないのですが、それでもいいですか?」 と言った事があった。忙しくしていて、ずば抜けた体力・行動力があれば、勧誘の手も薄くなるような気がするのであるが、どうかわからない。

 どちらにしても、私には、まだまだ○○会など、脳裏にないのであるが、他人様からは、それなりの年格好に見えるのだろうが弱ったものだ。山仲間からも、「元さん」から「元じい」に、何時なるのかと催促されそうな気がしてならない。



9/21 同じ年代の友人知人が集まると、「いつまで元気でおれるか?」 とか、「このままの状態で10年はいたい。」 などという話題になる。そして、それは、お金・体力・時間の三つが揃わなければ、何事も上手く行かない。

 お金で幸せを買う事など出来ないが、幸せの土台は買う事は出来る。お金がなければ、それなりの事をすれば良いのであろうが、やはり最低限というものがあろう。ケチケチだけで世の中は渡れないだろうし、やりたい事が出来なければ、張りがなくなってしまうかもしれない。

 身体が丈夫でなければ、何も出来ない。これ以上の事は望まないにしても、少しでも衰えないように努力しなければならない。鍛えても、ちょっとサボれば、元の木阿弥であるから体力維持は本当に難しい。でも、少しでも元気でいたければ、何もしないわけにはいかない。そして、自分だけでなく、家族も健康でなければ、その夢は叶わない。出来れば、親戚・友人知人、周り中の人々が元気であって欲しいと願わなければいけないようである。

 そして、時間である。「時間があればお金がない。お金がある時は時間がない。」 と言われて来たが、時間なんて作らなければ出来ない。忙しい時に、ちょっとの暇を見付けて出掛けるのが一番いいのであるが、仕事が出来なくなる頃には、身体が動かなくなるようである。

 後は、気力である。モチベーションが下がらないように目標があるといいようである。また、仲間があるといいように思う。励ましてもらって、話を聞いてもらって、次の元気が出るというもの。やっぱり、一人では生きていけないのである。



9/20 一昨日登った飯縄山は、前々から思っていたのですが、飯縄なのか、それとも飯綱なのか? 高原地図の山名は、両方とも書いてあり、スキー場や町名は飯綱になっています。以前登った時は、やはり(かっこ)を使い、両方とも書いてあったように記憶していますが、今回は、塗り潰すかのように、飯縄としてありました。

 山名と神社は飯縄が使われており、他は飯綱のような気がしております。いつも述べていますが、「頂上と最高点・三角点は必ずしも同じではない。」 のですから、頂上は何か歴史的な匂いがします。そのような事はどうでも良く、今度登る時は失敗せず、またお天気の良い時にと思わずにはおれません。

 下記のような記述を読んでおれば、辛い思いをしなくても良かったのに・・・・ 知ったか振りをしたための代償は大きかった事になります。戸隠スキー場に降りておれば、西登山道のピストンより時間も短く、「山ノ神」希望の山旅なるものを楽しめもしたハズでした。それなのに、登山道がない、反対側のリゾートスキー場なのですから・・・・・ ずっと言われそうです。

  飯縄山頂からは、霊仙寺山に向って直ぐ左手、瑪瑙山に続く尾根の鞍部に向かって下り降りる。この尾根の景色もなかなかのものである。鞍部からは急登が始まりつらい所ではあるが、ひと頑張りで瑪瑙山頂に着く。ここはスキーリフトの終点で、左手が毛無山に向かう尾根、右手にスキー場の駐車場に直接降りる尾根で、どちらを選んでも大差ない。後はのんびりスキー場内を駐車場まで下ろう。駐車場ら中社宮前バス停まで徒歩20分。



9/19 飯縄山の帰路、満天の星を見上げながら、「本当に、明日は雨が降るのだろうか?」 と思った。キャンプを諦め、日帰り山行とした事に、「失敗であったか・・」 とか、「テントを持参すれば良かった!」 などと、戸隠から鬼無里を経由して白馬に至る信濃信州新線・鬼無里街道(406号)を走っていましたが、糸魚川から高速に乗って、富山県に入ると、星空が消え、やっぱりと思ってしまいました。

 「点滴」を棚上げしてしまう程疲れてしまった「山ノ神」は、「もうちょと寝かせて・・」 と言いながら、なかなか起きて来ませんでした。朝方は、ちょっと風があったものの、雨はそれ程でもなかったような気がしましたが、以前と違い「どうしても山に行きたい。」 という気持ちは起こリませんでした。「山ノ神」が、「行きたい所があったら、行ってもいいよ。」 と言ってくれましたが、展望がない雨の山に、わざわざガソリンを使って、遠くまで行く事もないだろうと、身の回りの雑用に取り組んでいました。

 ところが、そう言いながらも、足なのでしょうか、それとも心なのでしょうか、「何処かへ・・」 「ちょっとだけでも・・」 になってしまいました。結果的には、雨の一番強く降った時に、家を出たような感じでありましたが、「二上山なら・・」 と、家から雨具を着込んで登山靴も履いてしまいました。

 二上山系5座の内、まだ摩頂山(254m)周辺に行った事がなかったので、偵察も兼ねる事にしました。山頂に至るには、「ちょっと、ヤブを掻き分けなければならない。」 という情報は得ていたのですが、らしき所(取り付き点らしきところ)では、「こんな雨なのに、ヌルヌルの所を登る事もないだろう。」 となり引き返えしたのですが、今度は反対側の状況を見ている内に、「あんたなら登れるのでない。」 との「山ノ神」からの励まし?を受けて、竹藪を登る羽目になってしまいました。

 GPSではその山頂に届いているのですが、本当に山頂なのか分からないので、またいつか機会があれば挑戦してみたいと思っていますが、ヤブはやっぱり好きではありません。まなび交流館(車デボ地点)に戻った頃は、お天気が良くない事もあり、暗くなりかけていました。



9/18 どのようなお天気になるか分からないから、より晴れの可能性が高い飯縄山に出掛ける事になりました。ずっと以前に登っている記憶では(山ノ神は2回)、簡単な山であった事から、少々お天気が崩れても「山旅」と称して、最寄りの観光スポットを歩いても良いと思っていました。

 西登山道に取り付いたのですが、日曜日であるのに閑散としていたもので、やっぱり予報で多くの方々が、二の足を踏まれたのかと思っていたら、南登山道との合流点から、ドンドンと登山者が増え出しました。

 飯縄神社のある南峰から10分ほどで、最高点である北峰に立つと、戸隠山・高妻山方面はガスに覆われていましたが、北から東側は、何とか山並みが見えた感じでした。いつも目にする山々と違い、何処がどの山か、はっきり分かりませんでしたが、ある程度の展望が望め、気持ちの良い山頂には満足のいくものでした。

 標柱の後の平ぺったい石に、赤ペンキでリゾートの矢印を発見し、同じ所へ戻るより、ちょっと時間が掛かるかもしれないが、違った所へ降りてみようかとなったのです。しかし、そのリゾートとは、私が目指す戸隠スキー場でなく、飯綱リゾートスキー場の事であったのです。名称から考えても分かりそうなものなのですが、何を勘違いしたものか分かりませんが、全く反対の所へ降りてしまったのです。

 降り始めてすぐに笹藪になり、足下が分からなくなりました。でも、何となく踏み跡らしきものがあり、ドンドン降りていきました。「分からなくなったら引き返そう。」と言っていたのですが、何とかなると思ってしまったのです。それは、らしき道に赤いマーキングが現れたからです。

 しかし、地図にはそのルートはなく、境界線だったのかもしれません。GPSに、沢の名が出て来て、何だか可笑しいなと思い始め、ゲレンデに出たのが、2時間も経ってからでした。もう900m位山頂から降り午後2時では登り返すわけにはいけませんでした。

 ゲレンデの下の方には、ロッジや管理棟らしき物が見えるのですが、背丈より、はるかに高いすすきが生えており、足下や目に絡む草木を気にしながらの歩きでは、どれだけの時間を要するのか不安でいっぱいでした。「わ~っ、今日はヘッデンが一つしかない。」までもが脳裏を過ぎってしまいました。しかし、右往左往していると、自然遊歩道の関係からでしょうか、一部刈り取ってあり、助かったと思ったのでした。

 幹線道路に出て、とにかく歩きました。戸隠駐車まで15キロの標識を見た時、また暗くなると思いました。連休で、ひっきりなし通る車を尻目に、斜度が10%なる道のアップダウンを繰り返すのですから、そうそう距離を稼げるものではありませんでした。また、急勾配の斜面を降りてきた「山ノ神」ですから、だんだんと足の回転が遅くなるのも仕方がありませんでした。

 バードラインに入ってから、路線バスがある事が分かったのですが、タイミングが悪く、なかなか乗る事が出来ませんでした。バス停を尋ねた方に、そのバス停まで車に乗せてもらったのですが、未だ時間があるとまた歩き出し、結局はバスに乗る機会を失ってしまいました。

 戸隠神社・中社に着いた途端、「山ノ神」は、「もう歩けない。」と言って座り込んでしまったので、私一人で車を取りに行った次第でした。 暗い道を鬼無里経由で白馬に出、糸魚川から魚津まで高速を使ったのですが、帰宅は10時くらいになってしまいました。家に戻った「山ノ神」は、点滴をする気力もなく眠ってしまいました。



9/17 18・19日の連休は、一般の方々と同じだったのに、このような予報では全く志気が上がらないでいました。でも、「曇り時々雨」ながらも、「日中は、陽の差す時間帯あり・・」では、何処へも行かないわけにはいきません。また、最高気温が35℃の予想では、高い所に行かなくてはの気持ちになってしまいました。

 でも、実際には、期待を裏切られる事も数多くあるため、ちょっと遠出の簡単な山(長野県の飯綱山)に「山ノ神」と妥協した感じです。「降られれば、小さな旅に切り替えればいいだけの事。」  ちょっと、大人になったいうのか、余裕が出来た? ではなく、軟弱になっただけの事かもしれません。



9/16 白馬岳へもそうでした。「急行きたぐに」に乗って、糸魚川で乗り換え、尚かつ、南小谷で乗り換えて信濃四ツ谷(現在は白馬です。)が最寄りの駅でした。谷川岳へは、上越線経由の上野行きの夜行列車に乗り、水上で降り、普通列車を待ち、土合まで行ったものです。土合駅は、トンネル中にあり、100段ほどあった階段を登って出札したものです。白山も鶴来から白山下まで電車に乗りました。皆、大昔の話になってしまいましたが、何故か懐かしいです。

 目指す山の該当する駅は何というのだろうと、調べたり先輩に聞いたりしていたものですが、今は、分かり易いそのままの駅名に変更されているものが多いようです。行った者でなければ、調べた者しか分からなかったものですが、その点からしても、「山旅の味」が薄らいだような気がします。でも、今は、車がそれに変わって、その味・魅力が変わった形となっているのでしょう。



9/15 先日の金剛堂山は29回目となりました。その回数など、どうでもいいのですが、五箇山の山に行くとなると、マイカーでないと日帰りなど出来るわけがありません。それは、もしかしたら、五箇山の山々に関わらず、その周辺まで交通手段がない所へは、同じようにいけないかもしれません。今は、雨や雪が降っても、少々出遅れても、大概の所へは出掛ける事が出来ます。だから、毎週のように出掛ける機会が増えたのだと思います。

 私が初めて医王山に登ったのは昭和38年9月です。福光まで汽車に乗って、祖谷とか広瀬館までバスに乗って出掛けたものです。高校生でしたから、お金も余りなく、バス時刻まで随分と時間がある下山時は、福光駅まで歩いたものでした。在学中は、テント泊を含めて、月に3度も出掛けた時があったと思います。

 牛岳の初登山は、39年3月でした。3日間の荷を担いで加越線庄川駅から歩きました。その後も、お金を節約する為に、井波駅や福野駅まで歩いた事がありました。馬場島へもそうでした。上市から始発のバスに乗るため(2本ほどしかなかったが・・)に、相当高岡からは無理をしたように記憶しています。夜中に馬場島から上市駅まで歩いた事もありました。

 今から思えば、何もかも想い出です。その時は何も考えなかったのですが、何かテーマを掲げて企画すると、後々、同行の仲間と語らえる多くの想い出となるような気がします。



9/14 酒飲み(酒好き)という者は、飲む量が多い少ないは別にして、「もうちょっとだけ・・」を飲みたいものである。私は、「そのもうちょっとだけ・・」を飲んでしまうと、当HPが、メチャクチャになってしまう。飲んだら止めればいいものを、誰かが読んでくれる(見てもらえる)を拠り所に、PCを触ってしまうからである。

 誤字脱字は、大目に見て頂いているとしても、消し忘れや更新(サーバーへの転送)の怠りなど、目に余る状態が、益々増えているような気がしてならない。歳の所為にするのもシャクであるし、飲んだらPCを触らないくらいの覚悟でやらないといけないようだ。

 このところ続いているお天気が、日曜日くらいから崩れそうである。せっかくシルバーウイークの日・月が、私達の連休と重なり、ちょっとばかり胸を膨らませていたのであるが、しょんぼりに格好が変わりそうである。まだ日にちがあると言えるかもしれないが、このような時だけ、予報通りになる事が多いからイヤになる。

9/13 昨日の金剛堂山行きは、自宅発が午前8時で、帰宅が午後4時半過ぎであったから、まだ一仕事が出来た。そんな事から小屋根のペンキ塗りをやった。しかし、その場しのぎであったから、準備不足と相成って塗料が足りなくなってしまった。

 まだしなければならない事が山ほどある。一日延ばしどころか、休日は、そんな事を段取りするなど頭からないだけに、ドンドン溜まっていく。「今は何が大切か?」 になるが、その答えは出しにくい。

 2週間長い距離を歩かせただけに、「ここで休んでは身も蓋もない。」が、脳裏を過ぎった。諍いが次週まで続けば、「山ノ神」と一緒にキャンプもないであろうが、実行するにあたって、少しは長い距離を、そして、もうちょっと荷を担いでもらわないといけないからである。

 「喋らない。」 という事で意思疎通がなく、私は、自分の物しか準備をしなかった。そうなると、「山ノ神」も、自分の物は自分となり、嗜好品も自分のザックへとなる。そして、重複も出て来る。その結果が私より荷が膨らみ、鍛錬からすれば、災いが転じて福となったような気がする。



9/12 「山ノ神」と口を利かない日が続き、せっかくの山行日和をどうしようかと思っていた。車を独り占めにすれば、後々の生活リズムに響くし、かといって、出掛けないのもシャクであった。「山に行くなら、今から20分で準備せよ。」 とだけ言って待ってみた。私の顔を見るだけでもイヤなハズなのに車に乗って来た。「何処へ行くとも言わずに・・・」

 156号線を走っていたから、牛岳辺りを予想したからか、庄川の道の駅でトイレ休憩を催促された。車の中で交わした会話はそれだけ。栃谷の登山口で、「あっ、北ちゃんの車だ。」と、山ノ神が喋るまで、全くお互いに喋らず。

 山に入っても喋らなかった。「山ノ神」が、1キロ毎に休憩をしようが、私は喋らなかった。その所為か、休憩時間がいつもより短くなり、結果的には、早く山頂に着いた感じとなった。それでも2時間半だから普通のタイムである。

 「北ちゃん」・田村氏を、ちょっと驚かせてやろうと山頂に着いた時は、彼らが、もう2時間の休憩を過ごして、下山するところであった。彼らが、金剛堂山に行くという情報は聞き及んでいたが、それが、何時集合・何時スタートとは知らないでいた。そして、二人とも病上がりであった事から、手軽な山という事であったらしいが、そんな事は関係ないというような歩きであったらしい。

 「山ノ神」は、そのような事は全く知らず、登山口での「北ちゃん」の車を見るや、連絡済みが当然の事のように思っていたに違いない。そんな不仲の夫婦を、山中に放って置くわけにはいかないと、彼らは、早く降りて天竺の湯に浸かるのを先延ばしにしてくれた。ワイワイ話しておれば、黙っている・喋らないわけにもいかず、何処から何処まで無視するという事も出来ず、諍いはウヤウヤにされてしまった。



9/11 イヤな事ばかり起きる。自分の思う通りにばかりにいかない事は承知しているが、それでは、だんだん元気が無くなっていくような気がする。
 ムードとしては、明日は何処へも行きたくない感じである。でも、目が覚めたら、何処かへ行っているかもしれないが、こんなのが自分の一番恐れていた事なのかもしれない。



9/10   ある山小屋のHPを覗いていたら、へぇ~と思った事が載っていた。次はその山小屋の管理人の投稿(日記)である。

 朝起きたら雨 (-_-;)
 昨日の快晴は何処へやら。雨の朝を迎えた○○です。この雨も今日一杯で夕方頃から回復すると思います。(長年の小屋住まい経験者の見解ですが・・) 気温10℃ 西の風  微風  視界約50m
 ご褒美が待っているかも   (そして、虹の写真が記載されていました。)
 雨の日は歩き方も慎重に、滑らず、転ばず、気をつけて!


 この何でもない記事に、読者から次のような投稿(意見)があったのです。

 ○○に登りたくて、毎日管理人の山小屋日記を楽しみに拝読させて頂いております。
読めば読むほど早く○○に行きたくなります。でも、今日のはーーー経営者としては多くの登山者が望ましいのでしょうが、悪天時の経験が必要か?やはりあまり勧めては欲しくないなあ、ちょっと山登りをする年寄りとしては。 偉そうなメールですみません。


 様式はブログ形式なのですが、掲示板を含めて、「難しいものだな~。」 と、今更ながらに思ってしまった。



9/9 飛んだり跳ねたりする知人のスポーツマンが、「本間さん、山ちゃ、なんちゅう、いいところながいね。」 と言って来た。ちょっとした事から、山に誘われる機会(立山三山縦走・内蔵助山荘泊)があり、嵌りそうだと言うのである。

 私は、山に触れられた事に嬉しくなり、「良かったね。楽勝だったでしょう。」 と言うと、「なかなか、わけにいかんだちゃ・・、山の歩きは別ものだちゃ・・」 と、彼は繰り返し、「もうちょっと、慣れたら、あんたに連れて行ってもろちゃ・・」 などと、私の心を擽るような事まで言い出した。

 その頃には、私は歩けないようになっているかもしれないと言っても、「山は、ちごちゃ・・」 と、別人のように扱ってくれた。一時でも気分を良くしてくれたが、私も彼ほどの時(10年前)は、まだ元気だったのにと思わずにはいられなかった。



9/8 山に登り始めた頃、「山で死んだら本望だ!」 などと粋がっていたが、だんだんと歳を重ねる内に、「死ぬなんて、とんでもない。」 また、「人様に迷惑をかけてはいけない。」 などに変わって来た。死んだ後、山に葬られるのなら良しかもしれないが、やっぱり、死んだらお終いだと思っている。

 日本百名山で有名な深田久弥は、昭和46年3月21日、山梨県の茅ヶ岳で亡くなっている。68歳であった。同日の午前11時半頃、頂上近くの女坂の上で倒れ、こん睡状態となり、午後1時過ぎ息を引き取ったらしいが、死因は脳卒中。

 彼は、当時、作家の他、日本山学会副会長であった。当日は、7人パーティーで、麓の宿を出発しての日帰り予定だったらしい。近くに住む老母と実家の墓参りに出掛けようと帯を締めていた深田夫人(志げ子)に、山仲間から、「ご主人が山で倒れられました。」の連絡を受け、「まさか」という気持ちを打ち消していたが、警察からの電話に、深田の死は決定的だと思ったらしい。

 その時の気持ちを夫人は後に次のように綴っている。「私から遠く離れた山で私の知らないうちに死んでしまったのだ。身体中が寒くガクガクとしてきた。山で死んだのだから、その場にそっと埋めてあげたい。一番喜んでくれるだろう。でも、許されることではない。早く遺体を引き取らなくては・・・」

  人には、それぞれの思いがある。「山の仲間に囲まれて亡くなったのですから、大往生です。皆さん、本当に有難うございました。」 と深く頭を下げながら、遺体と対面して、「やっぱり、あなただったのですね。」 の志げ子夫人の言葉が印象的であった。



9/7 「遊んだ後は・・・」 が利いたのか、「山ノ神」は起きて来た。でも、その後がいけない。空いた時間に、そっと横になっていたようである。「山ノ神」にしてみれば、2週続けてのハードな山行であったわけで、負けるのが悔しくて頑張ったのであろうが、身の丈以上のように感じていたのかもしれない。

 「無理はしない。」 「頑張りすぎない。」 などと言っていても、それは同じ山仲間達と比べてであり、「山ノ神」にしてみれば、一向にレベルを落としているとは思えないのかもしれない。でも、私にしてみれば、登山道を歩いているのであり、コースタイムを無視したような歩きをしているわけでもない。

 だんだんと落ちて行く体力に、ストップを掛けられるわけでもないし、ちょっとの無理は薬的なものであって、「山ノ神」に合わせてばかりいては、やってられない気持ちである。今回も、「山頂まで行って欲しい。」 と言ってしまった。それを、「山ノ神」は、どう取ったかは分からないが、私は良い方向にいったと思っている。

 「楽」は、何時でも出来る。苦しんでこそ、達成感が増すというもので、私が言い続けて来た「だやいのがいい。」 という山の良さが分かるというものである。何時まで続くかは分からないが、より多くの共通の話題を求めて歩き続けたものである。

 

9/6 ピーカンとなれば別であるが、夏から秋への端境期には、何処へ行こうかと迷ってしまう。高岡は一日中晴れ、富山は午前6時頃から晴れ、雲の流れを見るからには、午前8時~9時頃には、富山県から一掃されると思い、薬師岳に行く事にした。

 なのに有峰林道に入ってから本格的な雨になってしまい、準備をするにも雨の中となった。「その内晴れるよ。」 と言ってはみたものの、三角点辺りから雨が上がったが、一向に青い空が戻って来なかった。午後になっても、パーッと青空が広がらず、ワッと歓声を上げようとしても、すぐにガスに覆われ展望はまるで無かった。

 下山時に、薬師岳山荘の「堀井夫妻に、コーヒーでも飲んでいけ。」 と、持てなしを受けたが、「日が暮れちゃうよ。」 と言いながら、暫しの歓談が出来たのが、唯一の慰めとなったかもしれない。

 午後4時過ぎ、薬師峠のキャンプ場から太郞平小屋向かう途中に、東(南東)側の視界が広がり、水晶岳・鷲羽岳辺りが顔を出した。西側は全くダメであったが、この時とばかりと、立ち止まってはシャッターを切り続けた。

 「山ノ神」の足からして、「ゲートが閉まる時間に間に合うか?」 「何処で、ライトを点けなければならないか?」 を気にしながらであったが、太郞平小屋を出発したのが午後4時25分くらいであった。

 先週の北ノ俣岳では、午後6時半に真っ暗になった。今日は、一週間程(8日間)経ったので、8分は違うだろうとの認識をしながらの歩きになったが、1分でも明るい内に、少しでも足下が分かり易い内にの思いで、怒らず、急かさずして、それなりの歩行に努めた。

 暗闇の歩行が30分程度であったろうか、午後7時過ぎに折立に辿り着いた。過去に、ヘッドランプが一つしかなく、時間が掛かった事や、スイッチが入っており使用時の電池切れで、苦汁をなめた事など、一つ一つの想い出を語りながら降りた所為か、「まだかまだか・・」 を、せがませず(諍いをせず)に済んだような気がした。

 車に乗ってから、「山ノ神」の意外な言い草に耳を疑った。「薬師岳日帰りは今日が初めて。キャンプや山小屋泊では、何度も薬師岳の頂上を踏んでいるが、日帰りになると、いつも薬師岳山荘止まりになっている。」 のだそうだ。今回も頂上に行くのを嫌がっていた。

 それでも、2週間連続の12時間超え、そして、ヘッドランプ使用に、どのように思っているのであろうか? 「ちょっとは自信が付いた。」 と思うのであろうか? 「イヤ、荷が余りないからと控え目を貫くのだろうか?」 どちらにしても、もう何回も繰り返す事はないであろう。

 

9/5 今日は、夕方の買い物に出掛けた1時間半を除けば、一日中家にいた。何をしていたかと言えば、PCの前にいたのと、ナデシコのサッカーを見ていただけであった。「山ノ神」に、「好きな事をしても良いよ。」 と言っていたし、今日も言い続けたのであるが、最後の最後まで信じられなかったようであった。

 今日までの私の山行回数は、44回(47日)である。今年の私に残された休日は24日間で、一年52週であるから、どないしても週一以上にはなると思う。私の休日は、年間80日くらいであるが、山に行かなかった日は、まだ9日間である。(2月は二日間、4月が一日、7月は3日間、8月は2日間、9月は今のところ一日) 何回も何日も、行かなかった日があったように思っていたけれど、そんなでもなかったような気がする。

 行かない事に慣れてしまう事と、トレーニングジム代わりの山行だけに、ちょっとの甘えが悪い方向に行かなければと思っている。そんな事からも目標なるものは、これからの人生にも不可欠のような気がしてならない。



9/4 「なってみなければ分からない。」 と言っても明日の予報は良くない。台風の影響が全くなかったのだから、まだ良しとしなければいけないのかもしれない。そんな事もあって、「明日はあまり山に行きたくない。」 と言ったら、「山ノ神」が、「そんな事ないだろう。」 と私の言った事を信じようとしない。

 「近くの低山は、手入れがなされているかどうか分からないし、どうしても山に行きたいとは思わない。仮に馬場島まで行ったとしても往復120キロ、五箇山へ行っても、それなりに掛かるから、展望もない山に行きたくないし、もったいない。でも、何処かで身体を動かしたいから、それは、二上山でもいい。」

 そして、「他に何かしたい事があるか?」 と尋ねたら、「山しか行かないと思っているのに、急に言われても見当がつかない。」 と、「山ノ神」に戸惑った顔をされた。下界での趣向が全く違うため、別行動をすれば一番良いのであろうが、なかなかそのようにさせてはもらえない。もしかしたら、結局は山歩きをしてしまうかもしれない。



9/3 このところ、紙上で、「百名山踏破」 「百名山完踏」など、おめでたい記事を拝見する事が珍しくなくなったような気がします。山人生の集大成とする方もあれば、一つの通過点とする方もあるようです。それにしても、短期間に登ってしまれる方には、ビックリするし、その情熱が伝わって来ます。やっぱり、「人生に目標がなければ・・・」 という事なのでしょうか・・・・

 「百名山ばかりが、山ではない。」 と言われる方がありますが、それはその通りです。でも、貶す事なく祝ってあげようではありませんか? 目標に向かってのエネルギーたるや相当のものです。費用や時間、もしかしたら、何かを犠牲にしてまでの執念であるから立派なものです。

 山に登らない方には、「四国の八十八ヶ所巡りのようなものですよ。」 と私は言っていますが、その私は、まだまだ執着が足らず、未だ7割くらいしか登っていません。登られれば越した事はないのですが、私には、ハードルが高いようです。でも、心の底では、長生きして、何時かは登ってやろうという気持ちを持ち続けて行きたいと思っています。出来れば、駆け足でなく、ゆっくりと、そして、深田久弥が歩いたルートを登ってみたいと思っています。それこそ、同じ山を一回でなく2回も3回も登ってみたいものです。

 私の山仲間に凄い方々がたくさんいます。私の行けない所を、いとも簡単に登ってしまう超人達です。今は、岩や雪壁を突破する事に、山人生を掛けているようですが、「ゆとりが出来たら、全国の山にも目を向けてみたら・・」 と助言をしてみようと思っています。いろいろと違った山に登ってこそ、富山の山・北アの山々の良さが、尚一層分かるというものです。



9/2 先日の北ノ俣岳行きでの私の荷は13キロであった。「山ノ神」の分まで担いだにしても、「どうして、そのような重さになるの?」 となる。元々私の性格からして、装備には慎重な面があるから、普段必要ない物まで持ち込んでしまっている。

 また、予備なるものがあるから尚更かもしれない。ちょっとでも軽くしたい人もいるが、私の場合は、「ちょっとぐらいなら・・」 と担いでしまう大まかなところがあるのかもしれない。でも、そのお陰で、靴底が剥がれて困っている人に、ビニールテープを巻き付けてあげたり、電池切れの人に喜ばれたりした事がある。スノーシューやカンジキの部品があり奏功した事もある。

 しかし、我が家には、特別の事情があるからかもしれない。キャンプとなると、寒がり屋の「山ノ神」は、夏でも冬のような物を準備してしまう。それを一つ一つ点検しなければ、私が重い目に遭うという事になる。

 もう一つは、「山ノ神」の食が細いという事である。まず出発前に、何か(朝食を)食べていないと、その日の力がでない。(登山口に着くまでの車中で・・) 途中の休憩におにぎり一個、また菓子パン一つを食べる事が出来ないのである。元々、家の食事であっても、本当に食べたのかと思う程であるから、そのおにぎり一個を食べるのに、オーバーかもしれないが、30分ほど掛かってしまうのであるから、「急かされてまで食べたくないという。」

 したがって、持ち物(行動食)として、水の他に、果物が多く持つ事になる。それでも、多く、早く食べられないのであるから、4時間を過ぎると、ペースダウンが起きるのは当たり前かもしれない。その「山ノ神」は、何を食べなくとも「点滴」だけは、必需品なのでる。もしかしたら、それを頂くために山に行くのではなく、それで命を繋いでいるのかもしれない。



9/1 台風一過を期待して、次の連休もキャンプを希望していたが、意外に速度がゆっくりだけに、連休のお天気は予断を許さない感じである。簡単な所で、ゆっくりとの思惑もダメになりそうである。

 「病気やケガで、登れなくなった。」 がないように、危険な所へは行かないし、大荒れのお天気の中へは、行かないようにしなければいけないと思っている。唯、一週間に一回のトレーニングなだけに、出掛けないと、身体がなまってしまいそうである。

 如何に、「何が何でも・・」を、なくそうとしても、応じられない時もあり、雨や風とは言っておれない時もある。そんな事がないように、晴れマークを期待したい。