11/30 朝方は、そうでもなかったが、だんだんと冷え込んできた。明日は、またいっぺんに寒くなるのであろう。北陸特有のどんよりした日が続くのは致し方ないとしても、日が短くなるに連れて、身体が縮こまっていきそうな気がする。

 雨や雪の日ほど、車の有り難さが分かるのであるが、雨雪の夜の運転は気が滅入る。今度も、土曜の夜半か、日曜の未明から埼玉に向かって運転しなければならない。まだ、運転出来るから元気なのか、それとも、身体を壊しているのか、そんな事は分からない。夢や目標があれば、「やらなければ・・」 があり、ハッスルするのかもしれないね。

 イヤだイヤだと言いながら、ハンドルを握ってしまえば、気持ちが変わるというもの。しかし、睡魔だけには叶わない。車で、ド~ンとやれば、やっぱり 「遭難」。山も車もない。何事も慎重でなければいけない。



11/29 今度の日曜日(12/4)は、義兄の一周忌法要のため、店を閉め埼玉に出掛けなければならない。その後の2日間は、私達の定休日なので、姉のための何かお手伝いをしてこられたらいいのであるが、バカな私は、12月でも行ける山はないかと探してしまう。(本当は、こっそり決めてしまっているのであるが・・・) それにつけ、せっかくであるから、「ちょっと観光など・・」 と、サービス心から、ネットに向かっていた。

 そんなところに、「茂ちゃん」が、大根と柿を持ってやって来てくれた。当然、昨日の話になる。「良かった。」 「行って良かった。」 となった。「ちょっぴり足が痛いが、それこそ許容範囲以内・・・ 」 とか。「大丈夫かと心配していたのに、私の方がダメになってしまった。」 と、「山ノ神」は、頭を掻きながら、「こんなハズではなかったのに・・」 と、ちょっと悔しさを滲ませていたがしょうがない。

 「一年に、4~5回ぐらい一緒に・・」 と言っていた事を思い出したが、「1/16馬鬣山、1/24牛岳、2/21牛岳と、今回の大熊山で4回になった。ノルマを果たした。」 と笑いながらホッとした感じである。「この先の山行は、あなた次第・・」 などと、かいしょもないのに、ちょっと威張った感じになった自分が可笑しかった。



11/28 小又川左岸に来ると積雪を見た。担がなくてはならぬ時間が長いとみて、スノーシューではなく、カンジキを準備した事は正解であった。1250~1300m付近で、そのカンジキを装着したのであるが、結構小枝が煩く、「半ヤブ漕ぎだ。」 と言ってしまった。

 事前に「合わせてくれる?」 と、「北ちゃん」にお願いしてあったが、「茂ちゃん」の健闘が、「山ノ神」を上回り、想定の4時間を、ちょっとオーバーしただけに留まった。その「山ノ神」は、やはり4時間を過ぎると、サイドブレーキを引いたように足が止まってしまった。

 ピーカンの予想が、日差しのない曇りがちになったが、視界は頗る良かった。そして、全くという程風がなく、山頂では快適に過ごす事が出来た。眼前に剱岳の雄姿を仰ぎ、この時期に、大熊山のてっぺんに立てた事が、ハッピーと心の中で手を合わせた。 途中、コーヒータイムを取りながら、午後4時前に、車に戻る事が出来て、何もかも順調であった。



11/27 明日も良いお天気になると確信し、剱岳を仰ぎに行く事になった。どのような雪の状態か分からないが、一応何もかも準備だけはしなければなるまい。夕方になって、「茂ちゃん」がゲスト参加となった。ちょっと、山に遠ざかっている彼を、山頂に導けるかも技量の一つである。果たして・・・・  そんな事も、山に対する楽しみでもあるし、フォローが出来るか試しでもある。



11/26 今日は良いお天気だった。明日も良いらしい。そして、明後日も・・・・ 来月は、いろいろと行事が立て込んでいて、思うような山行が出来ないだけに、お天気ならば、「山ノ神」の意見など、少々はね付けてでも、自分の思いを通したいと思っている。 と言っていてでも・・・・・・



11/25 凄い事をしている人達から見れば、私の山行スタイルなどは、「何しているのか?」 とか、「それは山登りではない。」 と思えるかもしれない。でも、私は、山にはいろいろなスタイルや趣向があって構わないと思っている。また、如何に長く、その山に関われるかだとも思っている。

 若い人には叶わない。岩や沢などの怖い所はイヤ。景色やお花などを楽しめば良いし、山独特の雰囲気を味わうだけでも良いと思っている。しかし、私世代の中にも、超人と思われる人がいる。凄いと褒め称えるが、真似は出来ない。だから、前日に記したような事しか出来ない。でも、それとて結構楽しいのである。



11/24 今更でもないが、やはり人生には目標がなければ、張り合いがないし面白くもない。それは幾つになってものようである。私などは山以外に、これというものを持ち合わせていないので、どうしても山の事になる。

 でも、これからは、ハードな事や危険を伴う事などは出来ない。そうなると、回数しかないようである。同じ山に、何回となく登るのも良いが、余程の忍耐がないと飽きてしまう。私は、新しい目標を作ってみた。それは、誰にでも出来るようなもので、自慢出来るものでもないが、それなりに時間が掛かりそうである。

 おかしな目標であるが、10回以上登った山を、50座以上作るというものである。その延長線上に、100座があるというもの・・・  出来れば、20回以上、30回以上の山となっていけば、尚更楽しいというものである。

 幸い私には、10回以上登った山が28座ある。そして、5~9回登った山が36座あった。健康であって、根気があれば、難しい事もないような気がする。他に、剱岳の50回は難しいような気がするが、大好きな大地山や大猫山へは、50回は行けそうな気がする。

 大辻山や金剛堂山・人形山なども、健康であれば、そう難しくない。でも、一年で登れる回数が決まっているし、登った事のない山にも行きたい。そして、山旅として、一年に2~3回は遠征もしたいのであるから、これからは、パズルのように行く山を決めなければならなくなる。

 でも、あくまでも遊びであって、遊びの目標である。気心の合った仲間と行く山が、一番楽しいのは紛れもない事実であるし、近間の低山であろうが、雪山でキャンプするのも楽しみの一つである。何もかもは無理に決まっているが、例え、そのように数字の遊びであろうが、子供のようにワクワクしてくるようでなければ楽しくない。



11/23 昨日・今日は、予想に反してお天気が良かったが、この時期の冷たい雨、ミゾレ模様、また、水気の含んだ雪には往生する。雨具もそうであるが、手袋に難儀する方が多いのではなかろうか?

 軍手などは濡れれば冷たいし、フリースの手袋も、少しは大丈夫かもしれないが、通ってしまえば冷たい思いをしなければならない。近年、私は、園芸用のゴム引きの手袋に、意外と重宝している。300円前後の値段もいい。

 しかし、これでも濡れてしまえば、やっぱり辛い思いをしなければならない。幾つも用意し、取り替えるのがいいようです。先日の人形山・三ヶ辻山でも、その手の物を着用したのであるが、如何せん劣化してしまっていて、惨めな思いをしてしまった。

 もう一つ、高所の雪山で、手袋を飛ばされてしまった事がある。風を充分に考慮しなかった事が原因であったが、命に関わる事である、幸い予備を持っていたから難を免れたが、細心の注意を払わなければいけないと今でも思っている。



11/22 今年は今のところ、58回(62日)の山行機会を得た。でも、昨年までと違い10回(10日)程度蹴った事になった。どうしても行けなかった事もあったが、その日を違った事に向けた事もあった。また、あまり行きたくなかった日もあったように思う。

 「何が何でも・・」 は止めようと、「違った事にも目を向けよう。」 という事では、納得のいくものであるが、意志の弱い自分であるから、なし崩しにならなければと思っている。

 今年も残すところ僅かになって来たが、私には、まだ7日間の休日がある。行事があり、全休日を山に費やす事が出来ないが、可能な限り山に行ってみたい。そのためにも、やはり目標があるといいようだ。



11/21 山に行かなかった。今度の連休は、差程意味がなくても山から離れたかった。幸いというのであろうか、雨予報と相俟って、傘と集英社新書一冊をポケットに入れて列車に乗った。普通乗車券で1,200円くらいであるから、近間ではないが遠方でもない。

 復路は通勤・通学時間帯になって込んでいたが、往路は、非日常に世界を味わうに至った。本を読みながら、時折車窓の眺めに見入ったり、私にとっては贅沢な時間であった。特別上手い物を食べなくとも、名所旧跡を尋ねなくてもいいのである。身も心も久し振りの電車に任せた感じであった。

 目的地には特別の思いもなかったが、自分の歩んだ道を重ね合わせる事は出来ないでもない。陽が差したと思ったら、ザ~っと降る雨に、何事も思い通りにいかない事の象徴のような気がしてならなかった。

 私の山行スタイルは、否応なしに山と旅に、ゆくゆくは、山里を歩くのに、変わっていくのであろうが、今回は、その予兆に過ぎなかったのかもしれない。所用がある時は別にして、リックを担がないで出掛ける事などなかっただけに、身体が宙に浮いたようで何故か可笑しかった。

 自分が若かったからかもしれないが、座席に着けば、必ずと言っていいくらいに、声を掛けてもらった気がする。林道を歩いていたら、せがまなくとも、車によく乗せてもらったものであるが、今の世では、余計なお節介となるのかもしれない。

 この小旅行の中味はさておいて、ちょっとだけ良い事をした思いでいる。K駅で、エスカレーターに倒れたままで、上がって来た二人のお年寄りが、そのままで動けなかったのを見て、手を差しのべた。なかなか立ち上がれなかったが、私の手を支えに、何とか立ち上がる事が出来た。

 その老女(90歳くらいに伺えたが・・)は、「ありがとう。」 と言って私の手を強く握った。日頃、あまり世の為に良い事をしていない私でも、何だか晴れ晴れとした気持ちになった。これだけでも、私の小旅行は良い想い出になったような気がする。

 

11/20 「山ノ神」の出発が相手方の都合で2時間半程遅れた。見送らないで出掛けても良かったのであるが、雨で志気が落ちているのと、「それくらいしても良いのかな。」 とが重なってしまった。それから出掛けるのでは、日没の事を考えると限られたところになってしまった。

 自ずと五箇山方面に車を走らせてしまったが、少々暗くなっても大丈夫だと思っていたが、長い林道の方が、雨量との兼ね合いで心配であったが・・・ でも、歩き始めてしまうと、そのような心配は、吹っ飛んでしまい何処まで行こうかだけとなった。

 登山道は川になった。凄い所は、田んぼの中を歩いているような感じだった。水溜まりが出来て膨ら脛まで浸かった所まであった。「止めようか?」 とちょっぴり怯んだ時もあったが、やっぱりてっぺんを踏みたかった。「視界がないし、何度も登っているのにね!!」

 人形山に着いた頃には、雨が雪と変わって、一面真っ白になった。この時期としては当たり前の事であるが、今日の予報からして、「冷え込みは明日から・・・」 と思っていただけに、急激な冷え込みに手が縮こまってしまった。

 「三ヶ辻山もついでに・・・」 と日没を天秤に掛けたが、傘を差して来た往路だっただけに、傘をしまえば、何とかそれまでに降れるだろうと思ったので、またまた予定にない行動になってしまった。もちろんヘッデンを用意したが、それも必要なく6時間の行程は、食事もしないで、昔の歩くスタイルを思い出したような気がした。



11/19 日月の連休の事もあり、早めに医者に行って来た。「110-90 血圧が高くない。」 との事。2錠の薬を1錠にするとか・・・ でも、私は、薬を飲み始めてから、心なしか心臓の周りに違和感がある。なんか変だな・・・・
 やっぱり明日は雨予想。何処へ行こうか・・・  雨の中を、ゆっくり歩こうかな。



11/18 今度の連休に、「山ノ神」は、友人と河口湖辺りにドライブ旅行に出掛ける。従って、私はその間無罪放免になる。何も悪い事をしていないから、その用語自体用いる事はないのであるが、解放気分に浸る事が出来る。唯、その条件が厳しい。「食事の準備はしなくていいよ。」 と私から言った事もあるが、一日1,000円の手当である。でも、タンクに半分のガソリンが入っている車をもらえるのであるから、良しとしなければ・・・・

 その二日間のお天気予報は、誠に良くない。「何をしても良い。」 のお墨付きをもらったのであるが、これでは、テントを担いでの山歩きは出来ないというもの。山以外、何処へも、何も出来ないと思っている「山ノ神」の鼻をあかしてやろうと思うのであるが、なかなか妙案が浮かばない。

 カップ麺と酒・ビールは事欠かない。一日目のおにぎりだけは、作ってもらえる事になっているから、お天気さえ回復すれば、何処へだって行ける。いやいや、山に限る事もない。60過ぎの男の冒険を楽しもう。



11/17 暖かい(雨の降らない)内に、タイヤ交換をしようと思い早朝からやり始めたが、慣れないジャッキーに戸惑った。時間的制約もあったから、今まで使っていたジャッキーをまた使ってしまった。

 その方が、早く出来たのであるが、如何せん4本目になって、タイヤが持ち上がらなくなった。持ち上がらない事もないが、ボルトに差し込む体勢を維持出来なくなるのである。一発で入ればそうでもないが、何度もやり直すとそういう事になってしまう。

 215/70R16サイズのタイヤは重い。アウトドア用の小さなイスに座るとか、気合いを入れてやらないと、とんでもない事になる。後何年出来るのであろうか、小さなタイヤになれば、そんな事はないのだろうが・・・



11/16 今、乗っている車は、来春(H.24,03)で満11年になり、走行距離も、やがて15万キロになる。通勤距離がゼロなのだから、よく走っていると思う。そのパジェロイオに付いていたジャッキーが、不運にも、購入して3~4年で故障し、修理が利かないという事で、その前に乗っていた車(普通乗用車)のジャッキーを使っていた。

 ところが、そのジャッキーは、四駆の車には短く、重量的にもどうなのかと思いながら、長きに渡って、ジャッキーの下に分厚い板をかませ使用していたが、何かのついでの2ヶ月前に、カー用品店を訪れた際、油圧式ジャッキーという物を購入していた。

 ところが、いざ使用するとなると、説明書を読んでも、てんで伝わって来なかった。ジャッキーを降下させる要領などは全く分からず、恥ずかしながら、そのカー用品店に、ジャッキーを持ち込んで使用法を教えてもらった。説明を聞けば、「何だ・・」 になってしまったであるが、分からない時は、本当にわからないもんだ。



11/15 この一ヶ月に、3足の登山靴のソールを張り替えた。その内の1足は、「山ノ神」の物であるが、他は私の物である。そして、その内の1足は、2回目の張替であるが、張り替えたソールは、余計に減るような気がしてならず、お店の方に尋ねてみると、ウレタンよりもゴムの方が余計に減るとの事であった。

 早い時は、1年で張り替える事があっただけに、金欠病の私には応える。歩き方もあるのだろうが、きっと林道歩きが多いからだろうと思っている。山によっては、スニーカーや長靴を履いたりされている方もあるが、私の考えは、余程の事がない限り、ハイカットの登山靴を履く事にしている。

 それは、知らず知らずの内に、動きが鈍くなっているに違いないから、捻ったり躓いたりした時のリスクを少なくしたいからで、後悔しないための方策の一つである。いろいろな方々から、知恵を授かるのであるが、これだけは、ぶれないでおこうと思っている。



11/14 「さおりさん」と「浜ちゃん」が、参加の小佐波御前山。二回り以上の歳の差に、上手く喋れるだろうかと心配したが、相手方が合わせてくれたお陰もあって、気まずい思いをしなくてもよかった。それどころか、なかなか楽しく、趣味での繋がりがあるという事の素晴らしさを感じてしまった。

 二人の気遣いと、「北ちゃん」の感極まる「よいしょ」に助けられ、往路が3時間、復路が2時間の里山歩きであったが楽しくてしょうがなかった。むろん山頂での2時間は、あっという間に過ぎた事はいうまでもない。

 鉄塔・猪谷線を降り、舟倉用水に至るかと思いきや、「行って来い。」の標識通り引き返さなければならない事になってしまったが、後の閉鎖になってしまったスキー場から、車デボ地点に戻るやいなや、駆け寄って来たランナーは、「ねぎちゃん」であった。

 そして、「ご苦労様!」 とコーヒーとお菓子の差し入れをしてもらったのである。これは、何物にも代え難いホットな喜びを感じてしまう。「マキちゃんに、メールするのを忘れた。」 との会話の後の事だけに、「好山病・・」は、素晴らしいと思わずにはいられなかった。



11/13 他のところはどうだかしらないが、お天気はあまり良くないらしい。そんなわけで、「北ちゃん」 企画の舟倉用水経由の小佐波御前山に参加する事にした。さおりさんと浜ちゃんが参加すると言うのだから、是が気でも行かなければなるまい。 今晩は、「山ノ神」が外出、ちょっと飲み過ぎたかもしれない。帰って来ない内に寝てしまおう。



11/12 今朝、職場の友人2人を連れて息子(長男)がやって来た。何年か前から、必ず我が家で食事をするようになったから、実に楽しい。毎年のように、次から次へと違ったメンバーでやって来る。高岡が、保養施設のように思われているのなら嬉しい事である。

 さすがに、年齢のギャップが、気になるところであるが、ずっと、一緒にいるわけでもないのであるから、そうは疲れない。大阪に出向いて歓迎してもらった事もあり、時にはメールも来る。若い人達との交流はエネルギーがいるが、逆にパワーをもらえるような気がする。でも、明日には、また帰ってしまう。



11/11 来週は、ぐ~っと気温が下がるようである。暖かいと言っていても、時期がくれば、ちゃんと、そのようになるのかもしれない。降水量が多い少ないとか、気温が高い低いなどと騒いでいても、大きなスタンスで考えると、大した事でないような気がする。

 今度の休日は大丈夫だろうが、第3週になると、高い所を走る林道には雪が現れるかもしれず、その前にタイヤ交換となろう。一週二週早くタイヤを交換しても、どうって事はない。早めの交換が良い。夏タイヤだって減るのだから・・・



11/10 もう忘年会の話が三つ、悄げていてもしょうがないから、大いに騒いで、はちきる事にした。山も、今まで通りに行く事にする。何かあったら、その時はその時、あまり深く考えない事にしたい。結局は、ストレスが一番悪いように思う。



11/9 昨夜は、白山の帰路、「シュンちゃん」 を見舞った。ちょっと遅い時間になってしまったが、彼は、快く迎えてくれた。大変な事故を起こし、不自由な身体になってしまったが、日一日、回復していると聞き胸を撫で下ろした。

 「こんなのだから、今年は忘年会に誘わないよ!」 と告げると、「ちょうど、その頃には治りそうだ。」 と言う 「シュンちゃん」の心意気に、やっぱり凄いと思った。一つの症状を告げられて、悄げている自分が恥ずかしかった。



11/8 牛岳から戻って所用を済ませたら、もう薄暗くなっていた。総合病院に行くには遅すぎたし、気休め程度に近くの町医者に行く事にした。血圧・X線・心電図・採血など検査を終えたら、動脈硬化・高血圧と診断された。「え、えっ」と発してしまったが、「今日は、山の帰り、明日も山に行く。」 と付け加えたら医師・看護師とも苦笑いをしていた。最も診察を受けた医師は、高齢だが、私の山好きを知っているし、「這っても行く。」 と言うのでは仕方がないと思ったに違いない。

 健康診断はおろか、血圧測定も何年か前で、公民館に備え付けてあるもので測った事があるくらいであるから、「異常」など他人事のように思っていた。「気の持ちよう。」などと言う事があるが、今日の白山では、指先が冷たくてしょうがなかった。また、賽の河原付近から、急に足が重たくなり、ついには攣ってしまった。

 最も、「山ノ神」の荷を、次から次と背負い込んだ事もあるが、「血圧を降下する薬を飲んだから、圧が弱くなり、先まで血液が回らないのでは・・」 と訳の分からぬ素人の言い草になってしまったが、原因は寒さであった。雪はなかったが、水溜まりには氷が張り、霜柱が凄く、風がある日陰は身が縮まる思いをしてしまった。

 今冬も風の強い稜線歩きで足が攣った事があった。フリースのズボンに下着のパンツ一枚では、もう対応出来なくなってしまったのかと思っていた。晴れていても、タイツやオーバーズボンを欠かせなくなるのであろうが、もしかしたら、そのような所へ行けなくなるのではないかと心配になってしまった。



11/7 午前7時半に牛岳登山口に集った。久し振りに、「好山病・・」 の5名が顔を合わせた感じであった。それも、私の時間制限の条件を、呑んでもらっての山行であったから、重苦しさを感じそうなものであるが、それが相反して、楽しくて楽しくてならなかった。その証拠に、登山口から山頂まで4時間も要してしまったのであるから・・・・

 「何をしていたの?」 になるが、「三歩進んで二歩下がる。」 的なもので、落ち葉を拾っては、ワッハハ。朽ちた樹木のキノコを見付けては、「ああでもない こうでもない。」 との うんちくが飛び出し、腹を抱えなければならなかった。

 収穫はさておいて、今日一日は、キノコ採りの気分は充分に味わった。途中で出会った賢者に、「これはダメ、あれもダメ。捨てようとしたものは良い。」 と言われては、何が何だか分からなくなってしまった。

 元々、キノコには縁がなく、そして、それほど興味がなかったのであるが、今日は、いくつかの名を覚えた。でも、「誰かが、食べてからでないと食べない。」 と、また笑いの材料を得て帰ってきた。



11/6 関東甲信地方では晴れるのではないかと、「山ノ神」は、遠征の提案をしたが、所用が出来たのと、やっぱり病院へ行った方が良いのではとの思いもあり、それを没にした。最もこのような状態では、夜中の運転は怖い。でも、もしかしたら、「山ノ神」は、私の症状を病気とみていないのかもしれない。

 それでも、明日は、その所用の合間を見て、仲間が合わせてくれた事もあり、近間の低山行く事になった。その翌日のお天気が悪くなければ、最後の白山を目論んだりする。では、いつ病院に行くのだとなる。ちょっぴり不安が、病気の前兆なのか、関係がないのかは私には分からない。やっぱり専門家に診てもらうしかないのかもしれない。



11/5 周りでいろいろな事が起こる。自分のやっている事、やって来た事を照らし合わせてみるが、大した差がなく、えらい顔をしてみても、遠慮がちな態度をしても、それがどうだったと思ってしまう。ちょっとの差がお金持ちや地位の違いとなっているのかもしれないが、幸福度の尺度はその人その人によって、大きく違うような気がする。

 「自慢しない。」 「他人様の悪口は言わない。」 「約束を守る。」 誰でも出来る事があるが、なかなかそのように行かないのが人間の世界である。「ちょっと聞いて・・・」 「それからね・・・」 などと余計な事を言ってしまう。それが私の住む普通の世界なのかもしれないが、言い争いが起こる。頑として相手方のいう事を聞かなくなり、歳取ると、それが当たり前のようになっていくから困ったものである。「欲」 は手放されないが、もうちょっと穏和のなりたいと思っている。そんな私も、鏡で自分の顔を見詰めてみれば、仏様には程遠く仁王様のようであった。



11/4 今日も頭痛が襲って来なかった。でも、ちょっとだけ気になる事がある。それでも、お酒を飲んでしまった。完璧に治ったと言えないのに・・・・



11/3 身体の一部に、ちょっぴり違和感を覚えるが、この2日間頭痛が治まっている。あの後頭部の痛さは、堪えようがなく、どうしようもなかった。それから解放されるわけだから、清々しく感じる。でも、またあの痛みが襲ってくるのかと思うと憂鬱になる。

 そんな折、連日綴る私の嘆きに、「どうなんだ!」 と心配して筏井夫妻が訪ねて下さった。もしかしたら、ハレルヤの仲間から、「ちょっと様子を見て来い。」 などと言われているのかもしれないと思ったが、どちらにしても、私の事を心配しての事だから、有り難いと思わずにはいられない気持ちである。

 「一杯やるか?」 との彼らしい気遣いに、心が和らいだが、生憎会合があって、それには応えられなかった。(結果的には、その会合が休会となって、戻って来てしまい、ちょっと後悔・・) ではと、家に戻って、お酒を飲んだら、動悸凄い。でも、頭は痛くない。やはり可笑しいのかもしれない。



11/2 友人の母様の通夜・葬儀は、町内の方にも、職場の方々にも遠慮願って、親族と少数の友人だけで行われた。門前のお知らせもせず新聞にも載せなかった。会社では、地位ある立場であるから、本当は大勢の方々の弔いがあっても、可笑しくないのであるが頑なに拒んだ。

 我々仲間にも、その旨を伝えて来たのであるが、私などは、中2の時から50年の付き合いであるから、何が何でもと列席させてもらった。それこそ、出られなかったら、私の青春が打ち消されるような思いになったからである。振り返って50年、あっという間の50年であったが、笑った事も、涙した事も、母様に重ね合わせて合掌してきた。そして、数だけでなく、本当の身内と親友と言われる仲間だけでのお別れも良いように思えた。



11/1 昨日は、雨でさっぱりだったが、歩けて良かったという感じだけが残った。ブナオ峠から上は、落葉が激しく紅葉はなかった。晴れておれば、その落葉を踏む音を聞きながら歩くのも乙なのであるが、今回は、時雨れて視界も悪く、下山時は、夕闇を歩いている感じであった。

 西赤尾からブナオ峠間の紅葉は、赤が良いに決まっているが、何せ雨ではしょうがなかった。それでも、雨の止み間にはその一角が伺えた。 「山に登って、頭痛が治った。」 と思われたが、今日の午後からまた痛くなった。身体を動かしている時は、そうではないような気がするが、よく分からない。もしかしたら血圧?ぷっつり切れない内に医者へ行かなければいけないような気がしてきた。

 今、友人の母様の通夜から戻った。「頭が痛いと言ったら・・」 皆が、「何をしている。医者に行かなきゃどうする・・」 と言われてしまった。ちょっと飲んだからか、今は頭が痛くない。