12/31 今年は、パッとした山行が出来なかったような感じであるが、私としては、それなりの環境下で、帳尻を合わせた形にはなっている。そして、山行意欲は決して衰えているわけではない。

 これからも、そのスタイルが変わろうと、「常に、もうちょっと・・」 という前向きな気持ちで望みたい。止めるのも、また諦めるのも簡単であるが、努力や鍛錬の積み重ねただけに、早々と逃げ出すなどもったいないのだ。

 今年は、多くの方々に、大変お世話になりました。来年も、どうか宜しくお願い致します。

 

12/30 「正月三が日の山行は、どうしようか?」 過去の記録を見ると、「牛岳」 と 「千石城山」 が定番であるが、今年は特別の状態であるから直前まで何とも言えない。二人の息子は帰って来ないが、明日から、ムコ殿がやって来る。

 「午前中、いや、お昼過ぎには、帰って来るから・・」 などと、言っているものの、「そんな時間に、戻れるハズがない。」 と「山ノ神」は、手厳しい。ムコ殿がいる時こそ、安心して出掛けられると思うのであるが、一台の車の奪い合いのようである。でも、「ちょっと、お腹が痛い。」 と言う娘の一言で、何もかもが変わってしまうのは仕方がないところ。



12/29 ズルしてしまったら、そのままズルズルいきそうである。「毎日に拘らなくても、いいじゃないの?」 と言われていた時は、「毎日に意義があるのです。」 と粋がっていたが、拘らないとなると、何て楽なんだと思ってしまった。でも、これが一番危険なような気がする。

 また、拘束されているのが、若くおれる一つの方法かもしれない。唯でさえ、交友関係が減少していく年齢だけに、何事も積極的にいかなければ・・・・ これもカタカナを使わなくてはいけないのかな? (ポジティブ)

 娘と孫が来高(帰省)してから、完全にライフスタイルが変わった。それが、嬉しいような困ったような複雑な気持ちである。好きなようにさせてくれて、娘も孫もいてくれれば最高なのであるが、そうも行くまい。桜の咲く頃まで、「山ノ神」だけでなく、娘の顔色を伺いながらのライフワークとなる。






12/25 降らないと思っていたら、今日になって、本格的に降って来た。これでは、午前中だけ(明日の予定)の歩きと思っていても、起きてからの判断になりそう。雪量次第では、かなり下方修正となるかもしれない。



12/24 4日間の暴風雪の予報も、今のところ大した事がなく、除雪などのアルバイトをしなくて済んでいる。今の環境下では、非常に出にくいのであるが、今度は、こちらが参ってしまう。吹雪や大雨でない限り、半日だけでも解放させてもらいたい。



12/23 何もありません。唯、ズルしているだけなのでご心配なく・・・・。  年賀状、残り200枚まで来た。25日までと思っていたのですが・・・  でも、もうちょっとです。






12/17 明日のハレルヤ山行は不参加である。だけど、いろいろと心配してもらった。私が行けなくなった明後日の山行も、ナシになったようである。「何が何でも・・」 の山行と、パーティーを組む山行とは異質である。

 私が単独で出掛ける時や、「山ノ神」 と、二人で出掛ける時は、自分や自分達だけの事を考えれば良いのであるが、パーティーとなれば、そのようなわけにはいかない。今回は、僅かな時間を割いて出掛ける事も止めにした。

 所用もあり、お天気も悪い。そして、娘や孫もいるのでは、如何に、キチガイジジイと言えども、出掛けるわけにはいかなくなった。それが、本当の姿であると思うが、そうして、だんだんと山から遠ざかっていくのかもしれない。だから、どうしても歯止めというものが必要になってくる。

 それは、各人違うのであろうが、心して対処しなければ、普通の人となり、次第に落ちて行くことになりかねない。心身とも常に鍛えておかなければ、ちょっと元気なおじさん(いや、じいさん)になれないのだろう。



12/16 「世の中は、本当に思い通りにいかないものだ。」 日・月の連休を、どのようにやり繰りしようかと思い悩んでいたところに、「義兄の実家の当主が亡くなった。」 という訃報が飛び込んで来た。その当主たるや、先日の埼玉の法要でも一緒になっているし、時々ではあるが、私のところに顔を出してくれる人の良い方であった。最も学校は違うが、私と同い年であった。

 こうなると、姉や姉の子供達がやって来るだろうし、まともに、日・月が掛かるだけに、私が山などに出掛けるわけにいかなくなった。日曜日のハレルヤは事前に断ってあったが、これから練ろうとしていた月曜日の山行もオジャンになりそうだ。仕事を休んでくれた仲間には本当に申し訳ない気持ちだ。

 でも、後のメンバーで、何処かへ行って欲しいものである。その後の忘年会を参画しているだけに、葬儀の後に、姉や甥・姪が泊まる事になろうとも、出掛けなければなるまいが、その負担を、「山ノ神」 に押し付けなければならなくなる。



12/15 ようやく昨日から、年賀状の作成に入った。「今年こそは・・」 と、意気込んでいたものの、押し迫られなければ出来ないのは、意志が弱いというのか、計画性がないと言えばいいのか・・・ それとも、ルーズなだけなのかもしれない。

 「他人様と違ったものを・・・」 と、模索していたものの、結局は、アイディアも浮かばず、時間切れを口実に、今年もまた、在り来たりのものになってしまう。「苦労しても、悩んでも、受け取る方に伝わるかどうか分からない。」 などにもなってしまう。それなら、賀状など出さなければいいのに・・・

 「年賀状を出さない。いらない。」 などという人もある。私は、それを否定はしないが、「年に一度の挨拶。また、存在感を表す。また近況報告、生きているとの証。」 などいろいろな意味があると思う。そしてまた、一つのパホーマンスと考えても良いような気がする。

 自分が面倒なのを、他人に押し付けてはならないような気がする。また、私より高齢の方から、時々、賀状のやり取りを、終わりにしようと連絡を受ける事があるが、その考え方を、尊重するにしても、私は無視して送り続けている。なぜならば、その方は、私にとって、存在感のある方だからです。



12/14 「冬至10日前・・」 この頃が、実質一番日が短いと聞いているが、人によって感覚が違うから何とも言えない。昨日は、「好山病・・」7周年、今日は、赤穂浪士の討ち入りなどと、勝手に盛り上がって、一杯飲もうとするのだが、なかなか入っていかない。

 この夜長に、読書をしたり、調べ物したり、また、日頃出来ない片付けなど、やる事はいっぱいあるのだが、寒くなったら寒くなったで、なかなか手を付けられないでいる。相変わらず、暖房機のない(冷房機もないのであるが・・) 開けっ広げの部屋で寝ている私であるから、布団の中に入って本を読むなど出来ない。潜り込んでしまえば終わりである。でも、湯たんぽ代わりになるペットボトルのお世話にはまだなっていない。



12/13 二人暮らしに、娘と孫が加わり、いっぺんに賑やかになった。2歳半の孫が言う事を聞いてくれたら、それは可愛いものである。このような生活が、桜の咲く頃まで続きそうである。

 山の事になると、話はややこしくなる。娘に、早産の可能性があるとなれば、今まで通り、二人で出掛けるのは、如何かと言う事になる。いても仕方のない私は、出掛けて良いのかというと、そうでもないらしい。一台しかない車を持って行かれて、一人で浮かれさせてなるものか、でもないのだろうが、不安は付きまとうものである。

 「恒例の同窓会的山行を企画する事は難しい・・」 と、かなり前から、山仲間に伝えてあるが、そうなるとまた寂しいものである。大丈夫となれば、急遽対応してくれる仲間と軽く歩ければ最高であるが、「車を置いていけ・・」 と言われれば諦めるしかないのであろう。



12/12 目が覚めても、すこし雨音がした。「こんな日に行かなくても・・」 と、「時間がないのだから、早く起きて・・・」 が、床の中で綱引きしていたが、なかなか暖かい所から這い出せなかった。もっとも、昨夜から、「起きてから・・・」 と行き先を決めきれぬままであった。

 午後2時に富山空港の出迎え、午後6時半から忘年会、その間に掛かり付けとなった医院へ行かなければ、また、豊田の山用品店に行って買い物がしたかった。また山から帰ったら、お風呂にも入って、汗を流したかった。その中で、山用品店の前まで来たが、空港への時間が迫り、入店せず立ち去ったのが心残りであったが、8割方予定通りの一日となった。

 来高した娘が、すぐに病院へ出向いたら、早産の可能性があると言われ、またまた心配の種が増えた。来週の忘年会や、後々の山行に支障が出るのは間違いないが、新しい命誕生を優先せざるを得なくなるのは当たり前であろう。



12/11 明日は予定がぎっしり。娘を空港に迎えに行かなければならない。忘年会もある。そして近くの医院にも・・・ 出来れば山用具店も行きたい。そんな中で、雨の山に行きたいのだから困ったものだ。どのように計画を立てればよいのやら・・・



12/10 今日も、どうしたのかと思う程に青空が広がった。山に出掛けた人達は、さぞかし良い思いをした事であろう。ところが、私が所用のため出掛けようとした時、それこそ、風雲急を告げるように、凄い雨風になった。何事も思い通りにならない私を、嘲笑っているようにさえ感じてしまった。

 「世の中、思い通りに行くはずがない。」 が、当たり前で、コツコツ地道にやっていくしかないのである。「壁にぶち当たれば、何度も挑戦すれば・・」 立て前はそうなのであろが、なかなかそうもいかない。そうして、挫折を繰り返してきた。

 最近は、それが「経験」 という財産のような気がしてきた。若い衆に、くどく言うと嫌がられるが、聞き役に徹すれば、意外と頼りにされるいうもの。しかし、「じっと、堪えるのもなかなか辛いもの。」  我慢すれば、きっと良いことがあるというのであろうか。



12/9 「雪になるかもしれない。」 との予報であったが、高岡は降らなかった。それどころか、一時的には青空まで覗いていた。我が人生も思うようにならないが、自然はもっと厳しい。でも、雪が降ろうが雨になろうが、何処かを歩いて来なければ、気がすまない自分であるから、あまり気にならない。 (ウソ)

 今年は、あと残すところ、4日間の休日となった。12日(月)は、娘を空港に迎えに行かなければならない。午前中だけの空き時間に、何処へ行けるかである。18日(日)・19日(月)も、どうなるか分からない。「行かないわけがない。」 と思われている時が花のような気がする。



12/8 昨夕・今夕と、頭がちょっとだけ痛い。しかし、お酒を飲んだら痛くなくなる。山中を歩いている時も何ともなかった。疲れなのかもしれないが、また、血圧なのかと思うと憂鬱になる。以前はよく、「山に登れなくなったら・・・(山に行けなくなったら・・・) 半分死んだようなものだ。」 と言っていた事を思い出した。そして、「這ってでも行く。」 と言っていた。

 それに比べ、膵臓を患っている姉は、糖尿病や膝痛もあり、思うがままに行動が出来ない。まだ車の運転が出来るからいいのであるが、でも、乗り降りに、相当苦慮しているようだった。ちょっと、わがままかもしれないが、私の事を、とても気に掛けてくれる。

 中2の時、キャラバンシューズや登山シャツなどを、買ってくれたのは姉であって、山に没頭するきっかけを作ってくれたようなものだ。「私の休日の来てくれるな!」 などと言っていたが、こうなると、「いつでもおいでよ。」 それがダメで、何かして欲しいのなら、「いつでも行くよ。」 と言わざるを得ない。



12/7 帰宅したのは、昨夜の午前0時ちょっと前であった。今までなら、何処かのSAかPで待機し、0時を回ってから魚津ICを降りたであろうに、今回は、ちょっとでも早く家に戻りたかった。戻っても、差程ビールなど欲しくはなく、風呂に入って、寝るのが希望であった。

 日中も眠たかった。もうこのような事は止めようと思っているのに、何故か欲が出てしまう。「山と旅」 と言っても、所詮、山がメーンとなる。そして、日照時間の短いこの時期に観光など出来るハズがない。かといって、美味しい物を食べる事も出来ない。そして、宿もそうである。



12/6 12/1から、区間は限られているが、東北地方の高速無料の恩恵に肖り、必ずしも、効率の良いやり方ではなかったが、八溝山行きに、常磐道(那珂~高萩)を利用した。しかし、高萩ICから八溝山まで90キロ余もあったが、山中の道だけに、信号が少なく2時間程で行けたような感じであった。

 地図とインターネットの情報だけでは、要領を得ていなかったが、8キロの林道を6キロばかり車で上がり、そこから歩く事にした。麓から歩けば4時間程掛かるらしいし、実際歩かれているのかも分からなかった。また、山頂付近まで車を乗り入れるのもどうかと思い、「八溝川命水群コース」 と 「日輪寺コース」 を周遊するものとした。標高差は250mくらいで、所謂ハイキングコースである。命水コースの水は、勢いよく流れているところは少なく、ちょっとがっかりであった。

 山頂には、お城のような展望台があった。入館料なるものが必要であるとの事前情報を得ていたが、「12月の平日に、そのような係員がいるだろうか?」 と恐る恐る近付いてみたが、人気はなく、入場料などの記述もなかった。三角点のある山頂からは、展望が望めないだけに、無人の展望台に足を入れた。建物でいうと3~4階建程の高さだけに360度視界があった。でも、馴染みのない山だけに、特別有名な山々しか分からなかった。

 その内、掃除をしているような人の気配がした。階段を降りて挨拶をし、入館料の事を尋ねると、3年前から徴収していないようであった。(良かった!) この展望台が出来た頃は、一番多い時で、一日15,000人が押しかけたとか・・・ 今では、ぐっと減り人件費の方が高いので、係員を置かなくなったようでした。

 登山道では誰とも出遭わず、僅かに展望台の清掃していた人と、日輪寺参拝のご夫婦だけであった。3時間程のハイキングであったが、やっぱり来てみなければ、登ってみなければ分からない。そして、三百名山の一座をゲットしただけでも良かったのでした。

 「山と旅」 と題しての今回の企画で、前日は何処へも行けなかった。事前では、会津近くの「大内宿」 を候補に上げていたが、時間的に難しいとなり、「袋田の滝」 に行く事になった。私は知らなかったが、全国区の有名な滝らしかった。ここでも、ずっと離れた無料駐車場から歩いた。

 何処から帰れば近いかとなったが、当初の計画通り、車を白河に走らせた。(白河~西会津間は無料) そんな事も手伝って、1、276キロを走ってしまった。



12/5 朝6時出発の予定であったが、身内(姉)の家からでは、何かと用事や持てなしが着いて回り、45分ほどの遅れとなった。それが、後々ラッシュに遭遇する事になるし、慣れないカーナビの 「左方向」 と 「左折」 などに惑わされたりしたが、想定内に収まった。

 幾つもある筑波山のコースに、「山ノ神」が、テレビなどで放送されるコースを望んだため、往路を「御幸ヶ原コース」、復路に「白雲橋コース」を選んだ。最も、無料駐車場からのスタートだっただけに、20分(標高で60mくらい)ほど、下から歩かなければならなかったが、我が家では当たり前の事である。

 筑波山の最高点は876mであるが、私の駐めた駐車場からは、おおよそ700mの標高差があった。「低い山のイメージ」 の「山ノ神」であったが、次第に遅れだし、汗びっしょりになっていた。「富山の山より楽だよ!」 と応援してみても、一向に足が着いていかないようであった。

 地図上では、ケーブルカーに沿っている御幸ヶ原コースが一番きついとの評であったが、1時間半程でパッと開けた所が、ケーブルの山頂駅やトイレやお土産屋などの構築物があり、想像してはいたが、都会に近い山という感じがした。

 お城のような祠がある男体山からは、はっきりではなかったが、富士山とスカイツリーが望めた。今度は、最高点である女体山に向かう途中、電球の付いた電線を張り巡らしていた方に尋ねると、元旦登山の為のライトアップの作業だとか・・・・

 女体山にも祠があるが、その後は、ちょっと岩があり、山の雰囲気があった。日本百名山の標柱があり、その横で、記念写真を撮らないわけにはいかない。白雲橋コースの始めは、大きな岩がゴロゴロしており、中高年には、スイスイいかないようであったが、それを過ぎれば、コースは長いが、何の問題もなかった。

 下山して、着替えて出発したのが、午後3時であった。時間に余裕があれば、水戸市内観光(偕楽園・弘道館・水戸城址・徳川美術館など)を目論んでいたが、市内に入った頃は、既に陽が落ち、ラッシュに遭ってしまった。何度も、道を間違え、行ったり来たりを繰り返した末、観光や街中歩きを諦め宿に直行となった。

 本来なら、キャンプで過ごすのであるが、探し当てる事が出来なかったので、2日前に宿を予約していた。(水戸市大洗に・・) 食材とビールを大量に買い込んだが、前日からの運転と寝不足が祟り、程々で眠りに着いてしまった。



12/4 「ちょっと眠ってから・・」 と思っていたが、結果的には、殆どそれが出来なく、午前1時過ぎの出発となった。雨よりも、15~20mの強風に、ハンドルを取られないような運転となったが、長野県湯ノ丸辺りから、夜空に星が輝くようになり、楽になった反面、睡魔との戦いになった。

 何回も姉宅に訪れるようになると、「富山県は魚津から、埼玉県では圏央道に入らず、東松山まで・・」 と、高速代を節約するようになってきた。でも、その節約分は、駐車料金に化けてしまうのであるが・・・

 法要は寺院で行われ、お墓参り、会食を終えて、姉宅に戻った。その後は、飲むしかなく、明日は早立ちなのに、たくさん飲んでしまった。



12/3 今夜半から、義兄の一周忌法要のため埼玉に出掛ける。どんでん返しや、悪天にならない限り、その足で、「筑波山」と「八溝山」に登って来ようかと思っている。どの山も、山頂に大きな構築物があり、乗り物や車で山頂付近まで行けるらしい。

 「そんな山であっても、登って来なければ、行ってみなければ、何も分からない。」 だから登ってみる。そして、ある程度歩いてみたい。12月初旬で知らない土地の山であるから、876mと(筑波山・百名山)1,022m(八溝山・三百名山)を選んでみた。「山と旅」なる観光気分である。だんだんと、そのようなスタイルが似合ってくるような気がする。



12/2 山口の涼子さんと久し振りに電話でお話をした。小柄で頑張り屋の彼女の年齢は知らないが、「山に燃えていた。」 高い山がない同県だけに、沢登りやクライミングに傾倒せざるを得ない。」 との事。ハイキング中心に、なりつつある所属クラブから、活発に活動するクラブに移るとも言っていた。

 「アルプスには遠い。」 と言いながらでも、一年に、2~3回やって来るのであるから、「何処からあの情熱が湧いて来るのか・・」 と、感心するばかりである。「それに比べ、私などは・・」、となるのであるが、「山の楽しみ方などいろいろである。」 と、ごまかすしかないのである。



12/1 月一回集まる会がある。毎月4日から、第1木曜日に移行されたというものの45年間続いているのだから、我ながら凄いと思う。希望に燃えていた頃に比べれば、自我が強くなったり、慰め合いの様相がないでもないが、何となくであろうと、歴史があるから凄いと言い切れる。

 今夜は、久し振りに豪快な話が飛び出した。財力を投資し、コンビニをやろうという話である。その氏は、酒・タバコやらないし、ギャンブルもやらない。これという趣味もないし、仕事だけという感じの男であるが、それに掛けようという意気込みに圧倒された。

 同い年でありながら、山の事しか考えず、この先も「何とかなるや。」 と、いい加減な自分が、「これで良いのかと・・」 と思ってしまった。能力・財力、そして、勇気もないのであるから、やっぱり、「元気で長生きする事。」 を、目標とするしかないのであろうか・・・