1/31 お腹が痛くなった時、既に連絡をしていたのであろうが、産まれる寸前にムコ殿がやって来た。そのムコ殿、交通機関の運行を気にしながら、今日帰って行った。仕事は大丈夫なのであろうかと思う程、今時のムコ殿は優しさが溢れている。

 明日、娘と新たな孫が退院して来る。また違った賑やかさと気苦労が着いて回るのであろうが、それは、買う事の出来ない喜びかもしれない。「父は、喜んでいないのかも・・・」 との娘のコメントが伝わってきたが、行きたくても時間的に許されなかっただけではないか・・・

 それは、「休日に山を取った。」 という事なのであろうが、「あなたのために元気でいなければいけないから・・・」 などは、通じるハズがない。チャンスの時は、誰でもやって来る。ピンチの時に顔を出したり、支えたりするのが男だと思っているが、ペラペラしたり弁明などしたくもない。唯々、「元気でいて欲しい。」 だけなのである。



1/30 「こんなに青空が広がるとは思わなかった。」 が、思わず口から出た3人の言葉。トレースがあったから、小佐波御前山まで行けたのであろうが、ちょっぴり抵抗して外れたりもした。即席のパーティー(茂ちゃんと池田氏、そして、私) であったが、それなりにチームワークも良く、中高年の味を出しながら、楽しい山行となった。

 山頂付近にある立派な避難小屋を利用するには、あまりにもったいないお天気だった事もあり、池田氏秘密のてっぺんに案内して頂いた。マキちゃん・師匠の展望台からは、ちょっと距離があったが、なかなかの場所であった。「池田山」 と称しても良いのかもしれないが、私達は、「展望台IKEDA」 と呼ぶ事にしたい。



1/29 体調もどうかと思っていたら、パソコンの調子も可笑しい。もし、しばらく、更新が出来ていなかったら、故障と思って下さい。なるべく早く治療をしてもらわなくてはと思っていますが・・・・

 明日は、「北ちゃん」が都合が悪いので、「茂ちゃん」 と出掛ける事になった。大雪の事もあり、何処まで行けるか分からないのですが・・・



1/28 一度にたくさん降ったわけでもないが、毎日の雪掻きには、いよいよ疲れてきた。サラサラのように見えるのであるが、水分を含んでいて結構重たい。駐車場は、前・横・後を含めて50坪、それに道路がある。向かい側は、前も後も除雪に関わらないので、その面積を含めると100坪近くになる。

 それだけならよいが捨てる所がないから、積み上げなければならない。一年経つ毎に、パワーがなくなっていくような気がする。今朝、どうしたのかと思う程に左足首に異変を感じている。

 昨夜祝杯をあげたから、痛くなるわけもないし、疲労から来るのかと思ってしまう。餅をたくさん食べたから・・(歳を重ねたから・・)仕方がないが、あちこちの異常現象は、若々しく生きる気持ちに水を差されてしまう。



1/27 お昼頃、「ようやく産まれました。」 予定日より2日間遅れただけなのに、本当に長く感じていた。でも、元気な女の子と連絡を受けて(対面は、夜になるでしょう。)、今はホッとしています。また女の子などと言いません。女の子は可愛いから・・・・

 不謹慎なジジ様は、「次の休日は、山に行けるだろうか?」 などと、気は早くも、そちらの方に向いています。「車が必要」 と言われては、従うしかありません。でも、「車を用意しましょうか?」 の援軍が現れるかもしれませんから、まだ諦めてはいません。

 退院の日になれば、運転手にならなけれいけませんが、他の事は何も出来ないのですから、行けないわけがないとは、自分勝手かな。



1/26 娘は、まだ平然としている。こっちは、何となく落ち着かない。「大丈夫か?」 「転ぶな?」 とか、余計な心配をしてしまう。早く元気な子を産んで欲しい。



1/25 今夜は、町内会の新年会であった。娘の出産予定日と重なったが、どうなるか分からないし、参加するしかなかった。まあ~、会場が自宅の向かいのビルであるし、気分的には、何となく楽ではあったが・・・・

 でも、まだ産まれていないし、その兆候もない。かといって、私が焦っても仕方がない。唯、義兄関係の法要があり、明日には姉がやって来る。体調が万全とは言えない姉だけに、出迎えを含む雑務が重なる事が、ちょっと心配である。

 大雪・除雪・出産に伴う孫の世話などと気忙しいが、世の人達は、それをこなしているのだから、「私だけが・・」 という事はない。お酒が入り、ちょっとほろ酔い気分であるが、明日以降、何事もなく、「良かった。」 という気分になる事を祈るしかない。



1/24 私は、平成9年からの山行記録を載せているが、その回数が、毎週とはいかないまでも、徐々に増えてきたのは、その2~3年前からである。それは、今まで気にもしていなかった、「越中の百山」を、意識しだした頃からのように思える。

 その「越中の百山」を購入したのは、はっきり覚えていないが、30歳前後だったような気がする。その山名を見て、「知らない。」 「読めない。」 ものだから、しばらくは、本棚の中に埋もれていたようにも思う。

 車を持っていなかったから、余計にそう思ったのかもしれないが、その事を思うと、もう少し、先に買ったのかもしれない。そして、立山・剱岳などの高い山だけでなく、里山と言われる低山歩きに、興味が注がれていった事は間違いない。きっかけとは面白いもので、ドンドンと、おかしなくらいに嵌っていってしまったような気がする。

 私は、自動車免許を、他人様と差程変わらない時期に取っているのであるが、その頃は、自動車なんて、我が家で、買えるとは思ってもみなかった。過疎化が進み、路線バスが、その目的地まで行かなくなった頃から、「やはり車がなくては・・」 となっていったのである。

 車を取得して人生観が変わると言われていたが、山行スタイルが完全に変わった。医王山や、牛岳を登るにも、完全に一日を費やさなくてはならなかったのが、「ちょっと、時間をみて・・」 に変わったのであるから・・・・

 また、隣県の山にも、日帰り出来るようになったのも特筆出来るのであるが、簡単に雪山へ行けるようになったのが、一番変わったような気がする。私などは、高校時代、残雪期の牛岳に、2泊3日で出掛けた事があるくらいだから・・・

 特別の人達しか雪山に行かなかったのが、低山とは言え、多くの人達が山に入るようになった。そのようにパーティーを組めるようになった事や、カンジキからスノーシューに変わって来た事も、奥へ奥へ、そして、もう少し高い所へと行けるようになってきたような気がしてならない。また、GPSの出現も大きくスタイルを変えている。昔は、考えもしなかった事が起きているのだから・・・

 でも、いろいろな事が変わったけれど、林道が延びたくらいで、山そのものは変わらない。だから、いつになっても、侮らないで、念には念を入れて行動しなくてはなるまい。



1/23 今年初めての休日山行を中止した。昨年は、年間80日程の休日の中で10日間程、山歩きをしなかった所為もあり、今日は、娘の為という事で、明け方の雨音を聞いて決断した。「何が何でもにならないように・・」 が定着したわけでもないが、すんなりと自主判断した事になった。

 かといって、イザという時であったも、私の出来るのは、運転手か第一子の面倒をみるくらいである。したがって、車を使わなければ、後は何も用がない形になる。私の山行とは、特別なものではなく、ジムに行く代わりのようなもので、その代わりに何をすればよいかになる。

 下界におれば、スポーツ用品店か書店、そして、家電店かカメラ店くらいしか行き場がない。それを歩き通せば、かなりの時間を要すかと思っても、今日ばかりは、天候が悪く、あまり気乗りがしなかった。 ならばと、万葉ロードと整備された橋上駅となった高岡駅周辺を探ろうと出掛けて見た。南口(瑞龍寺口)は整備され変身したが、北口(古城公園口)は、これから駅ビルが壊され、ターミナル自体を整備するというのであるから、どのようになるのか一度見ておこうと思っていた。

 ローターリー閉鎖に変わって、移動された場所は、どのようになっているのかも、高岡市民として、興味のあるところであった。北陸新幹線、仮称・新高岡駅と現駅(高岡駅)との兼ね合いもあるが、新しく生まれ変わる事に間違いないのであるから、利用者としては、少々の不便も我慢するしかないのであろう。

 いつも、後々から、「写真を撮っておけば良かった。」 との思いもあり、カメラを持って出掛けたのであるが、ステーションデパートや、ロータリーの工事は、まだ準備段階で、真新しい写真を撮る事が出来なかった。そんな折、旧友との遭遇があり、ちょっとだけ思い出話に花を咲かせ、楽しい一時を過ごす事が出来た。

 平場を歩いても、エネルギー発散・消耗にはあまり繋がらず、これはどうしたものかと悩まざるを得ない。今日食べた分、飲んだ分を消すためにも、翌朝のトレーニングを、倍にしなければならないようだが、最近は、過分な除雪には閉口するようになって来ている。



1/22 明日の事を思うと何だかショボン! 家人に、よく思われたいわけではないが、「1日や2日(1回や2回)、我慢出来ないでどうする・・・」 と言う気持ちになっている。潔く諦め、家中でゆっくり、もしくは街中で、ふらり・・ となら、許されるような気もする。何もかも、起きてからになる。



1/21 いろいろな事に精出していると、あまり考えないのであるが、ボーッとしている時に、「俺は何しているのか?」 と思う事がある。天下国家を論ずる事はなくとも、山やHPだけに、現を抜かしていて良いのだろうかとなる。これは幾つになっても同じで、変わらないかもしれない。

 「かと言って何が出来る?」 所詮、ごまめの歯ぎしりに過ぎないのかもしれない。でも、見方を変えれば、やる事があって幸せなのかもしれない。



1/20 HPやブログをやっている人で、「ネタがない。」 と困っている様子を伺う事がある。もちろん吾輩もそんな事がないわけでもない。日本語はとても面白い。このネタも、タネをひっくり返したもので、こういう語源はアウトローと言われた人達が作った事が多いようだ。

 ひっくり返したり、上だけ取ったり、下だけを取ったり、また、縮めたりしたものが多いように思う。警察→サツ、ドヤ街のドヤは→ヤド(宿)、ダフ屋のダフは→フダ(札)、卒業論文→卒論、池袋→ブクロ、新宿→ジュク、ポリス→ポリなどなど・・・ 探せばいくらでもある。

 話がそれますが、お笑いを一つ。「天ぷらやへ泥棒が入った。」 「で、どうした。」 「あげられちゃった。」・・・・・・ →→ 「天ぷらやの細君は尼になってしまった。」 「どうして?」 「とかく ころもをつけたがる。」  やっぱり、山の話以外は疲れてしまう。



1/19 2日前から、今年も、2Lのペットボトルにお湯を入れ、湯たんぽ代わりに利用する事にした。暖冷房どころか、戸も開けぴろげの部屋に、一人で寝ているのであるから、これぐらいの贅沢?は許されたい。熱々のペットボトルは、湿った布団を、フワフワにしてくれ、実に快適な睡眠を約束してくれる。

 2年ほど前、このコーナーを見て知って、哀れと思ってくれたのか、「元ちゃん、湯たんぽをプレゼントしようか・・・」 と言ってくれた仲間がいた。「これで、充分満足しているから・・」 と、丁寧に断ったが、それこそ、ペットボトルは、なかなかのものなのである。熱さが直に伝わってくるから、足でちょいっと転がすなど、重宝しているのである。

 雪山では、、飲料水(時には、雪を溶かしたもの)を温めて、シュラフの中に入れる事もあるのだから、山生活そのものと思えば何ともないのである。私には、贅沢など似付かない。自分相応の生活でよい。「私は、ケチだ。」 と言ったら、「違う。ケチとはお金を持っている者が言える。」 ので、「お前は貧乏なだけ。」 と言われてしまった事がある。「それでもいい。」 結構満足しているのだから・・・



1/18 このところ、facebook たるものに翻弄されている。知人が無理矢理?登録してしまったのが発端であるが、興味がなかったわけでもない。何が何だか分からないままのスタートだけに、いろいろアクションを起こされては、反応しないわけにもいかない。

 「迷惑を掛けてはいけないから・・・」 と控え目にしていたのであるが、黒船やPPTではないが、刻々と時間が経っていくというのだろうか、時代が変わっていくようである。実際、アナログ人間だと決め込んでいた多くの友人達も、PCや携帯などの機器を無視できないようになって来ているのと同じで、一歩先にならば嬉しいのであるが・・・

 まだまだ生きたい人間として、知らないより知っていた方が得と言うより、便利だし話が通じ輪が広がっていくというものである。しかし、分からない事を問うのも実に難しい。「相手様に、こんな事ぐらい。」 と思われぬかとなったら、アウトのような気がする。何もかも下手でお願いするしかなかろう。

 こんな私にも、何人かの新たな友人(ネット上の友人)が出来た。良いか悪いかではなく、未知の世界が広がって行く。でも、カタカナ用語にはイヤハヤ参ってしまう。覚えるのが早いか、忘れるのが早いのか分からないくらいである。でも、存在感を求めるにあたって仕方がない事である。



1/17 黒部の鉄人・能登善徳氏から、CD付きのお便りを頂いた。小黒部鉱山(池ノ平・Mo)探訪記なる物で、モリブデンの物性・小黒部鉱山の歴史・Mo原石定性分析結果・坑道見学・剱岳周辺点描から始まり、Mo鉱山探訪記・小黒部鉱山発表などが綴られていた。

 今でも、鉄人ぶりを如何なく発揮されている同氏は、私より一回りも年上の方であるが、昨年も、この事で、2度も池ノ平に足を運んでおられたようである。多分、一緒に歩いても、私などは負けてしまう程の脚力の持ち主であり、鉄人と言うより、仙人と言った方が当て嵌まるのではないかと思うくらいである。

 能登氏とは、不思議なもので、毛勝山に始まり、剱岳・千石城山・駒ヶ岳・雨飾山など、全てが、お山のてっぺんでお会いしているのである。しかし、ここ2~3年程は、その機会を失っているが、今年こそはと思わずにはいられない。

 また、能登氏は、県東部の方ならご存じかもしれないが、マラソンランナーとして有名、そして、「僕の山ある記」を、自費出版されている程の岳人でもある。海外まで出掛けておられる程で、私などは足下にも及ばない。それなのに、何かと声を掛けてもらえるなんて喜ばしい限りです。



1/16 誰とも約束をしなかったし、我が家の車をどうするかも纏まらない内に休んでしまった。「待機と言っても、何もしないで家にいるのなら、思い切って出掛け、お昼まで戻れば問題ないだろう。娘の予定日まで、まだ一週間以上あるのだから・・・・」などと、自分の勝手な言い分で出掛けてしまった。

 「困った時や時間のない時は牛岳」 と日頃から言っているが、コンディションによっては、なかなか思うようにいかない時もある。何せ、冬場は、標高差が770mもあるのだから・・・

 どれだけ慣れていると言っても、雪の時の暗がりから歩くとなると、やっぱり構えてしまうが、予定より、ちょっぴりスタートが遅れただけに、すぐに明るくなった。

 土日に多くの登山者で賑わったのであろうか、至る所にクチャクチャのトレースがあり、かえって歩きにくく、前半はそれを避けてしまった。それのためであろうか、かなり時間を食ってしまい、これでは、お昼まで高岡に戻る事が出来るのだろうかと不安になった。

 トレースを半分利用したりしてから、ペースが上がったが、やっぱり稜線に出ると、トレースが無くなっていた。でも、前回よりあまり風雪は強くなく、臑以上潜る事もなく、ブナの写真を撮りながらゆっくり歩いた。

 三角点に着いたところで、恐る恐る「山ノ神」に電話をしてみた。「何ともないか? このまま戻れば、高岡にはお昼前に着く事が出来るが、何ともないのなら頂上まで行って来たい。そしたら、お昼まで戻れないのだが・・・」

 「お好きなようにされたら・・・」 「山ノ神」の返事は短く、冷たさが伝わって来たが、その先の新雪の上を歩く気持ちよさの誘惑に勝てなかった。山頂は寒かった。冷たかった。コンロの火が点かなかった。肌で温めてようやく点いたが、弱々しく、ボンベに何度かお湯を掛けた。カップ麺にお湯を注いだ残りの湯がすぐに凍った。指先が痛く背筋がゾクゾクしたが、記念の写真だけは撮らなくては・・・



1/15 今日は、ゲストを含めて14名のハレルヤ山行となった。八乙女山スタート地点の閑乗寺スキー場まで、まだ山歩きの出来ないシュンちゃんのお見送りまであり(出迎えも・・)、始めから賑やかであった。

 下界では少量でも、流石に豪雪地帯一角の八乙女山に入ると、雪量がグンと増え、しかも、サラサラの雪質に気分が良かった。そして、小枝などに邪魔される事無く、トレースに導かれるままであった。

 食事処を予定していた八乙女峠の東屋、そして、三角点を踏み、山頂と呼ばれている最高点に達しても、まだ午前11時前であった。お天気が予想より好転し、展望も、まずまずとくれば、食事処は自ずと決まってしまった。

 フワフワの雪質にテーブル・ベンチは、ちょっと歪になったかもしれないが、それは愛嬌というもので、早速、出された食材にワッと歓声が上がった。昨日・今日と、我が地元高岡で、鍋祭りが行われていたが、その数といい、内容といい、八乙女山頂での鍋は、決して見劣りする物ではなかった。

 その証拠に、後からやって来られた井波の「もりちゃん?」「まゆみさん」が目を丸くしておられた。無理矢理の感もあったが、それでも、お二人は喜んでおられたような気がした。下山時は、 峠の東屋で、堀シェフ・ユキコちゃん提供のデザートを見込んで、コーヒータイムとなったが、これも結構好評であった。



1/14 「行く行かない。」 と、幹事に迷惑を掛けてしまったが、今のところ、我が家は平穏であり、明日のハレルヤ山行に参加させてもらう事にした。参加者は大勢になるのであろうが、実のところ、あまり知らないのである。

 そんな事はどうでも良く、各々が山を楽しめば良いのである。大勢での山行は、全ての方と語り得ぬもどかしさが生まれるが、仕方がないと割り切るしかないから、その雰囲気を楽しむとした方が良いような気がする。この調子で、明後日も行けないかな・・・・・



1/13 ドタキャンは、世話する者にとって、あまり好ましいものではない。私は、そのような事を重々承知しているつもりで、不確定要素が大の時のイベントには、早々に不参加を表明する事にしている。それは、お世話されている方への心遣いのつもりでいた。

 今度のハレルヤ山行も、そのような要素があり、不参加を申し出たのであるが、幹事の筏井氏から、「ドタサンでもいいから参加を待つ。」 との連絡を受けた。土壇場でのキャンセルがドタキャンで、ドタサンとは、土壇場の参加なのであろうか、ドサクサに紛れての参加なのであろうか、そのような言葉を、目にも耳にもした事が、なかっただけに、彼の優しい造語なのだろうか、それとも、私だけが知らない言語なのだろうかと思っているところに、「ドタサン、ワッハハ・・ 元ちゃん参加待ってるよ!」 と老子から突っ込みがあった。

 「嬉しい事である。」 「その好意を無駄にしたくない。」 とは、私だけの事であり、「いい目に会うのはあんただけ・・・」 なのである。そんなところへ、「山ノ神」に所用が出来た。これはマズイ。車を置いて行くにしても、「緊急事態の時、2歳7ヶ月の孫を、誰が見るのか?」 という問題が出て来る。「行かなければ・・」 いいのである。そうすれば、何もかも解決するのである。また、ギリギリまでの攻防になる。



1/12 今度の連休15日(日)・16日(月)をどうするか悩んでいる。普通なら、山に行かなければ、何ら問題がないのであるが、何事もなく穏和に事が運ばないものかと考えるから可笑しくなる。遠慮してお伺いを立てれば、「行って来るこっちゃ!」 となる。こちらは、「まだ大丈夫だから・・」 の文言を期待しているが、なかなか思い通りにはいかない。

 この事は、「山に行かないか?」 と言ってくれる仲間には、伝えようがないし、分かってもらおうとも思わない。私の判断しかない。1~2回、山に行かなければ、それで事が済むし、どうって事がない。ましてや、特別の山に行くわけでもないのであるから・・・

 これは、「やはり病気?」 なのかもしれない。「どんなところであろうと、行かなければ、クシュンとしてしまう病気なのかもしれない。(好山病)」 自分達で付けた病名なのに、それにかかってしまうなんて・・・ 大馬鹿者である。



1/11 一昨日の「麻谷山・隠土山」山行に、大事なカメラを忘れてしまった。そんな事もあり、出足から悄げていたのであるが、仲間達は、入れ替わり立ち替わり写真を撮ってくれたお陰で、こうした後でも、思い返し楽しむ事が出来ている。

 私にとっては、「忘れてはいけない物を忘れた。」 のであるが、これからは念には念を入れてとなる。しかし、手順が違えると、(システムが変わると)応用が利かなくなっているようで、これも心しておかなくてはいけないようである。

 何処かの運転手さんのように、一つ一つ、指先確認をした方がいいのかもしれないね。でも、箇条書きにしたメモを、何処にやったかとなる可能性もある。「イヤだね。」 とばかりも言っておれない。今から、何か対策を考えておかないといけないようだ。



1/10 好きな事が出来る喜びは何事にも代え難い。「あの山は?」 と思っていても、行ってみると、その山の魅力がある。「何で・・」 と問われても、それは行った者にしか分からない。もし行っていなかったら、共有する想い出を失ってしまう。それは、一人でどんな険しい山に登ろうが、叶うものではないような気がする。

 無いもの強請りで、大勢で出掛ければ、少人数や単独行の良さを思い出し、その反対に、寂しさを感じる時は、大勢でワイワイやりたくもなる。でも、話が届く距離、お酌が出来る距離の人数となると、やっぱり4~6人くらいがベーターであろう。

 私のタープ内に入れる人数が4人程度となると、その中味も濃くなるのだが、根掘り葉掘り聞かれるなど好まない人などは、逆にいたたまれないかもしれない。でも、人のイヤな事を言わなかったり自慢を自粛すれば、結構上手い事いくものである。

 一日中行動を共にするのであるから、ましてや、食事も一緒である。気心が知れないと、とても一緒出来ない。時には、運命共同体なのであるから、信頼も生まれてくる。中味も濃いと信じている。



1/9 パターンを狂わすと、やっぱり対応出来ない頭になってしまったのかもしれない。アルペン村7時半集合であったから、出発前に食事をした。そして、「茂ちゃん」の車に便乗させてもらった。8号線の神通川を渡った頃に、時計を忘れた事に気付くと共に、大事なカメラも無い事に気付く。それでいて、三脚をリックに括り付けていて、最後まで担ぎ上げている。

 麻谷山・隠土山などの企画は、私の頭では覚束ない。また、ルートの設定に至っても、山筋がファージーなだけに、なかなかその気になれないし、ヤブ山を連想するから尚更であった。でも、行ってみれば、「百の山頂に百の喜びがある。」 が如く、きっと想い出深い山行になったと思っている。

 「北ちゃん」に、日頃、なかなか一緒出来ない「岩城君」と、その盟友である「カズパパ」の参加は、3機のラッセル車が、我々の前を走っているようなもので、「eiko女史」と「茂ちゃん」、そして、私の3人は、最後まで楽ちんを決め込んでしまった。

 GPSだけが頼りのファージーな山頂での三角点探しでは、何度も1m以上堀込んでは、大笑いをしてしまった。「あの人もクシャミをしているに違いない。」と、あの人を肴にしてしまったのであるが、何かに付け、これからは、ずっと共通の想い出となる事でしょう。

 

1/8 これからしばらくは、山に行けるか行けないかは、直近にならなければ分からない。少なくとも、「車を置いていけ。」 となる。それもそのハズ、普通のジイジイ様なら、娘がお産間近なのだから、でんと家にいるのが当たり前か・・・

 そんな中、近所に住む「茂ちゃん」が、一緒したいと言ってくれた。そして、「車を用意する。」 とまで言ってくれたのであるから、「山ノ神」も反対は出来ないというもの。ちょうど「北ちゃん」からお誘いのメールが届いた。

 それに乗っかるつもりでいたら、「未踏のヤブ山?」 「北ちゃん」 と 「岩城君」 となれば、ヤブが無いわけがないか・・・・ ちょっと甘かった。強者揃いと「茂ちゃん」、そして、ちょっと腰に不安がある私であるから、参加するかしないか迷ったが、優しい彼らの顔を思い出し、置いては行かないだろうと一緒させてもらう事になった。



1/7 一昨年の秋、「山ノ神」が、雨飾山での転落事故を起こした際、いろいろと気遣ってくれた若いカップルが、昨秋ゴールインした事を賀状で知らしてくれた。三重と埼玉の方であったから、何となく、そのような雰囲気を感じないわけがなかったが、「何かの縁」 という事から、何だか自分の事のように嬉しくなった。

 それも、立山・雄山神社に参拝してから、入籍したというのであるから尚更である。私は、その方々の住所と名前しか知らないが(メールアドレスも・・)、何だかロマンチックに感じてならない。邪魔しないように、陰ながら、ちょっとだけでも応援出来ればと思っているが、それは、年寄りが勝手に思う余計な事かもしれない。



1/6 やがて一ヶ月ぶりに近くの内科医院に出掛けた。4回目なのに看護師さん達が、何やら私の事を知っていた。「仕事の途中、抜けて来たのですか?」 とか、「○○さんの情報から・・・」 などと、そして、医師から、「やっぱり山に行っているのですか?」 とも尋ねられた。

 「えぇ~、でも、私の山は、皆さんが想像されるような、高くて険しい山でなく、簡単な山ですから・・」 と言っても、分からないらしく、彼らからしたら、冬山・雪山は、全くの未知の世界であるらしかった。

 「何ともないですか?」 から始まって、「おぉ~、低いじゃないですか・・・」 に、「どれだけですか?」 と問い掛けると、「110ー80」 の答えが返ってきた。「薬を一つ、減らしましょう。」 だったが、ずっと飲み続けなければならないという噂も聞くし、イヤだなと思いながら家に戻った。それよりも、腰の状態が気になるところである。



1/5 年末が忙しかったのか、いつもなら元日に届くハズの賀状が、今年は、今頃なって届くのが結構あった。それでも、コメントが付け加えてある賀状には、何度も読み返してしまう。賀状無用論もあるが、一年に一度の挨拶、また自己アピールの機会、そして、元気でいる証など、人様々の思いが込められているような気がする。

 今朝の積雪は20cmくらい。除雪に精出したからか、ちょっと腰に違和感を覚える。無理しちゃいけないと思っているが、ついつい真剣になってしまうのがいけないようだ。

 午後から所用で、向かいにある商工ビル6階に出掛けた。いつもなら階段を駆け上がるのであるが、この日は、ATMを利用した事もあり、エレベーターに乗ってしまった。エレベーターを降りた途端に滑って転んだ。床が濡れていたのもあるが、長靴だったからであろうか、みっともないくらいの転倒であった。右手首が痛かった。「しまった。」「やってしまった。」 と思った。私くらいの年齢より上の人達が転ぶとよく骨折するからであるが、結果的には何ともなかった。

 日頃から、老化現象の表れは、「廊下で転ぶ頃から・・・」(ロウカゲンショウ)などと言っている自分が転んでしまったのである。とうとう、その域に入ってしまったのであろうか・・・・



1/4 「お正月の2日間は箱根駅伝を見る。」 と言っていた「山ノ神」であったが、ストレスが溜まっては、こちらが困る。今夕、ムコ殿が帰京する事もあり、出るのもどうかと思ったが、御身が大切と判断し、「1~2時間だから・・」 と地元の二上山へ誘った。

 まなび交流館(旧二上青少年の家)から、山頂を往復する簡単なものであったが、歩けば、やっぱり違うようであった。山から降りて来たら、急に降雪が激しくなった。山には、もうちょっと欲しい雪量であるが、里ではあまり降って欲しくないのが本音。除雪で腰が痛くなる年齢になったという事であろう。

 ムコ殿がいなくなった分、孫の相手をしなくてはいけなくなる。娘の第2子出産予定日まで、あと20日程である。どちらにしても(何もしなくても)、気が急いてしまう。そんな中、何とか山に行けないだろうかと考えるのは、やっぱり不謹慎なのだろうか・・・・



1/3 「今日も行くの?」 と言われそうな感じであったが、「やる事はやる。」 からして、「やぱっし行かなければ・・・・」 早乙女湖畔の道路には、高いわだちになるくらいの積雪があったが、千石城山へは、先行者のトレースのお陰で1時間余で山頂に辿り着いた。

 その先行者の方々は、立山会の11名であった。長居せず反対側(笠尻山?)に降りて行かれた。お天気は良かったのですが、剱岳・大日岳方面の展望が開ける様子もなく、食べる物もあまりなく、一人でいるのもあまり楽しくなかったので、「ちょっとでも早く帰ろうか。」 となった。

 別斜面を降ったりしたが、往路と重なり合った所で、土井夫妻や辰口氏とお会いする事が出来た。これは、ラッキーと思いシャッターを切ったが、帰って来てみれば、全くのピンボケ。(弱ったな!) 「池田氏も登って来られるハズ。」 だと思って、コースをあまり外さずにして降っていたら、やっぱりお会いする事が出来た。

 「今日は、早く帰ってやりたいから・・」 と、後ろ髪を引かれる思いもあったが、仕方がない事であった。でも、正午過ぎに家に戻っても、「そんなに慌てて帰って来なくてもよかったのに・・・」 の答えには、些か悄げてしまった。



1/2 夜遅くまでたくさん飲んでしまったのですが、午前4時頃に起床し、出しそびれた年賀状を書き、HPを更新し、雨の中に車を走らせた。庄川町から雪に変わったが、牛岳の前日のものと思われるトレースは歩きづらかった。

 そして、ペースが上がらなかった。風雪が強くなる中、「何も見えないし引き返そうか・・」 と、「時間ある限り歩き通さなければ・・」 の綱引きが始まった。手が、悴かんで来るし凹凸が見分け難くくなり、今日は早く切り上げる気持ちから、ツエルトもタープも持参しなかった心の不安も加速したようだった。でも、「ここまで来たら・・」 が、最後まで強く持てたのは、年始めとしては大きな収穫だったような気がした。

 通常は、2時間も掛からず下山出来るのであるが、「午後1時半頃までに帰宅する。」 と言って来た立て前があるだけに、ほんのもう少しであったのに、撤退を決め込んでしまった。車に戻ったら、「後10~15分歩けたのに・・」 との計算式がなりたったが、そんな事は、どうでもいい事なのである。



1/1 時間制限下の中、初登山は、「二上山」でも良かったのであるが、思い切って、「尖山」とした。アルペン村の駐車場は、凍ってツルツルであったが、程良く締まった雪上を伝い林道に出た。ちょっと長かったが、立山公園線を歩くより気分が良かった。

 通った事のない夏椿峠を経由したが、久し振りの「山ノ神」は息が上がっていたようだ。時間がなく、コーヒータイムの30分ぐらいで山頂を後にしたが、本ルートでは、大勢の登山者と擦れ違った。

 のち、45年間続いている有志が集う新年会に臨んだ。家に戻った後、また、ムコ殿と飲みお腹が破れそうになった。