3/31 CLUB NTT WESTのポイントから新しいデジカメが届いた。その動作確認に娘が何気なしに動画を撮った。それを見て驚いた。髪の毛が薄いのは仕方がないにしても、背の曲がり具合、俊敏さの欠如、身体の切れの無さなどに、これが本当に自分かと思ったのである。

 どれだけ歳を取りたくないと言っていても、これではダメだと思った。トレーニングをしても成果が上がらないし、山を歩いていてもバランスが悪いわけである。「修行」の語句の如く、気力だけでやっているようなものである。

 これからは、膝・腰だけでなく、脳・心臓にも注意を払わなくてはいけないのであるから、ほんまに弱ったものである。でも、気力は大事なもの。その精神力を失わない限り、まだまだ山歩きは続く。



3/30 午後から、ティッシューを抱えて撃沈!



3/29 イザという時の為にロープを携行しているが、元々ロープワークの勉強をしていないので下手くそである。それではいけないと、いろいろな手本を参考に、勉強?しているのであるが、なかなか覚えられない。

 「何も岩に登るわけではないので・・」 と言っても、「山ノ神」や、ちょっと不安がある人達と出掛ける時などは、必要に迫られる事があり、やはりロープがあると重宝する。いろいろな技法をマスターするに越したことはないが、「これは・・」 と思う事だけは知っておきたい。

 最近、仲間内では、同行する者の必須として、シュリンゲ1本、カナビラ1個の携行を呼びかけられている。シュリンゲ10本を繋げれば10mにもなるし、応用も利く。



3/28 自分で若くないと思いながら、年寄り扱いされるのが、やっぱりイヤである。「若いねぇ。」 とお世辞であっても、そう言われる方が嬉しいに決まっている。そうである為には、体力だけでなく格好も気にせねばならない。

 いわゆる努力である。そして、センスなのであろう。お金が付いて回る事には限度があり、思うようにならないが、言葉というのか愛想もありそうな気がする。しかし、楽しくさせる嬉しくさせるセンスが、イマイチだけにどうにもならない。

 「どうしようもないか?」 ならば、これ以上歳を取らないようにすればいい。「365日で一年なのなら、730日で一年にすれば・・・」 老け方を遅くするのであるが、なかなか思うようにはいかない。トレーニングのやり方の問題もあるのかもしれないが、あちこちに歪みが出て来る。弱ったな!



3/27 今度の週末の予報も良くない。このところ、そのようなパターンが続き、月曜日がもっと悪かった。今度は、久々に月曜日だけに晴れマークが付いた。しかし、次の火曜日(休日)に、また傘マークだ。そして、気温は高いようだ。本当に思い通りにはいかないものだ。

 「山ばかりが人生でない。」 と引導を渡され掛けているのかもしれないが、ここで怯めば、何もかもパーになる事間違いなし。それなりに山と関われば良し。



3/26 雪は覚悟していた。しかし、砺波市に入ってから雪量が増え、利賀街道に入ってからは、「おおっ」 と声を上げなければならない程になった。スノーバレー利賀の駐車場は除雪されておらず(どうも昨日で営業を終えたようであった。) 一瞬どうしたものかと思ってしまった。それでも、雪を掻き分け、栃谷からの合流点に達した頃は、まだまだ山頂への意欲があった。

 しかし、膝上のラッセルは、急斜面では太腿までに達し、次第に足の上がりを悪くしていった。「9時・10時には、雪が止む。」 を信じ、一念に託す思いであった。ブナの原生林を過ぎれば、これといった急登場面がないのであるが、それでもすぐに息が上がってしまった。一服金剛でさえ遠くに感じた程。

 一服金剛に着いたのは、4時間余過ぎた午後0時10分過ぎであった。この先は、とてもとても、行ける感じがしなく深い雪穴を掘った。時々陽が差し、また、雪も舞った。暖かくもなり、身震いする事もあり極端な天候となった。

 でも、金剛堂山の頂きを眺める事も、五箇山の山々、そして、スキー場の様子も分かり、何も見えない事を思えば、それなりに意義のある山行となった。



3/25 明日も予報が良くない中、近所の「茂ちゃん」 がやって来た。「山に行きたい。」 という希望である。「お天気が悪いが・・・」 も承知という事であるから、とりあえず、利賀の金剛堂山に行く事にした。今度は、「山ノ神」 が、「お天気が悪いから・・」 を理由に行かないと言い出した。それはそれでいい。無理する事などない。行きたいという希望を押さえることはないが、行きたくないのに無理する事などない。

 今日は、S氏が、「月曜日を休んでもいいから・・」 と言ってくれた。一度機会をと思っていたが、彼の力量が分からない。失礼な言い方かもしれないが、ハードな計画をして辛い思いをさせてはいけないし、かといって、私を上回る脚力の持ち主かもしれない。やっぱり一緒してみるしかないのであろう。



3/24 この頃何だか悲しい事ばかり。そんな中、「俺は100歳まで生きる。」 という知人がやって来た。その知人は、「人間は120歳まで生きられる。そして、あとは減点方式なのだ!」 との持論である。

 そんな知人に、「後、35年ほどになってしまったね!」 と言ったら、彼は悄げたように感じられた。90歳代の両親の面倒をみながら・・・・ イヤイヤ、何年か前に、折り合いが悪くなり、親元から出たのであるが、問題があるにせよ、実の親を看なければならず、少々ぼやいていた。そんな話を聞いてあげるだけでも、人の為になるという事が、この歳になってようやく分かったような気がする。

 老々介護という事が囁かれるようになって久しいが、残念ながら、その域に達しない内に4人の親を亡くしてしまった。今は、先の知人等と共に、我が子の負担にならないような生き方をしたいと思うようになっている。

 願わくは、「患わずにして・・・・」 であるが、もうちょっと欲が深い。今は、「この状態で、もう何年元気でおられるか・・・」 が、最大の話題である。人の手を煩わせず、自分の好きな事が出来る時間が、どれほどかである。

 とても、自信がない。でも、「出来る範囲で努力をせねば。」 と思っている。その努力の貯金は出来ないかもしれないが、何らかの蓄積にはなるのではないかと思っている。でも、2~3日怠れば、その貯めた物はあっという間に、パーになるようである。継続は、それ程大事なようである。



3/23 「雪マークが出た。」 この時期の降雪は、必ずしも珍しくもないのであるが、都合の悪い時に降る予報である。「さて、何処に行こうか?」 降雪となれば、大地・初雪山、大倉山・土倉山、細蔵山、金剛堂山などへも、トーンダウンしてしまいそうである。

 でも、何処かへ行かなければ、益々ダメになってしまう。近間であろうが、低山であろうが、必ず出掛けなければ、自分から見ても、他人様から見られても、くすんでいくのみのような気がする。



3/22 インフルエンザや原発、そして、花粉症の影響なのであろうが、通行人・運転手・店員に限らず、マスクをしている人が多い。感染・予防の見地から、当たり前の事かもしれないが、何だか変な情景である。これでは、美人もイケメンも分からないではないか?

 そんな事を感じている私であるが、3日前から鼻がムズムズしだした。マスクをしてみると、その症状が軽くなった。やっぱり効果があるのだろう。風が強くなると、それに比例するように、憂鬱になるが、花粉症かどうかは分からない。推測に過ぎないが、いろいろの物が混ざり合った鼻炎なのではないかと思っている。でも、山中にいる時は、ほとんど何も感じず、車に乗った途端に、クシャミ鼻水に悩まされる。やっぱり花粉症?



3/21 4日間滞在していたムコ殿が帰京し、5人の生活に戻った。はっきりと言わないが娘達は、まだ一ヶ月余滞在するような雰囲気である。いわゆる100日くらいまでという事なのであろう。「来て嬉しい、帰って尚嬉しい。」 という事を聞いているが、その通りのようである。

 大型連休頃まで、孫に囲まれて幸せととるか、窮屈ととるかは、その時の気分次第なのであろうが、増えるのは楽しく、減るのは寂しいに決まっている。山ばかりに現を抜かさないで、人として、もう一度考え直す時なのかもしれない。



3/20 一週間抜きで、二日間の山行だったからであろうか、久し振りに、太腿がちょっとばかし痛かった。また、ムコ殿が来高しているので、前日も今夜も深酒をしてしまった事もあり少々眠たかった。

 お天気がイマイチだったのと、ハレルヤの皆さんに不義理をした事を除けば、肉体的には満足のいく二日間であったように感じている。それにしても、お天気周りが良くない。来週が最後の大地・初雪山へのチャンスと思っているのであるが、またまたピーカンは望めないようだ。



3/19 体調がまだ快復していない「山ノ神」に何処かへ連れて行けと言われて思案した。北ちゃん・田村氏とで大杉山行きの計画があると聞いたが、「山ノ神」は、迷惑を掛けるから、出来れば私だけの方が良いと言う。しかし、私は、午後からお天気が回復するという予報に大地行きを外す気にはなれなかった。

 「途中まででもいいから・・・」と言われては、一緒するしかない。朝日小川ダムから6時間を設定し、ゆっくりゆっくり歩くつもりでいた。荷はあまり担がせずに、小刻みに休息を取るという作戦である。相変わらず食は細いが故でもあった。

 我が家を出発した時は、小雨であったが、次第に雪になり、ダムに着く頃には、新雪が10~15㎝になっていた。予定より30分くらい遅れたのと、この雪にラッセルを考えるとちょっぴり不安になったが、発電所まで除雪がしてあり、デブリの通過を回避出来その分は助かったと思った。

 次第に降雪が収まると思っていたが、なかなか止まなかった。そして、急斜面では、クラストしたところに新雪であるから、結構歩き辛かった。相ノ又トンネル横から取り付いたが、「山ノ神」が一番嫌っていた621m手前の赤松がある急登場所では、予想通り手こずり、持参していた3本のシュリンゲと10mの細引きを繋いで、手掛かりとした。

 でも、水分を取るだけで殆ど食しない「山ノ神」 であったが、意外なほどの頑張りを見せたかのように感じられた。それは、滑って登りづらい所もあったが、雪量の多さから、逆に恐怖感がなかったのかもしれない。しかし、ダムサイトから歩き出して6時間を経過したのは975m(シュンちゃんの言葉を借りれば通称・鍋平)であった。

 「山ノ神」は、「もう歩けない。」 と言い出した。雪が降ったり止んだりで、一向にお天気が回復しなかったのであるが、一瞬パーッと青空が覗いた時であった。「あんただけ行って来られ・・」 と「山ノ神」は言ったが、そんなわけにもいかず、食事処を造る事にした。その作業を終えたのが、午後1時半を過ぎてしまっていた。

 簡単な食事をして、やっぱりちょっとだけとなり私が、上を目指したが、天候は回復せず、それどころか、ホワイトアウト状態になってしまった。以前、雪庇を踏み抜いた事もあり、また、疲労困憊の「山ノ神」の状態を考え、1095mで退却を決めた。もう少しであったが、潔く諦めた。

 下山時は、殊の外順調に進み、700m付近でたじろいだ「山ノ神」に、今一度ロープを出した。そして、赤松の急斜面を避け、杉林の中に入った。



3/18 そっと起きて車を走らせた。どうしようかと思いながら、スタンドとコンビニに寄っていたら、いつの間にか上市に入っていた。そうなると大倉山しかない。桑首林道は荒れていたが想定内。でも雪量は、林道だけでなく、山自体も多かった。

 標高800mくらいまで、対岸の山々を楽しめていたのであるが、それ以降は、霧雨に見舞われ、時には、雷鳴が轟き、修行の山とかした。ハレルヤを蹴って出掛けた山であるから、罰当たりだったのかもしれない。

 途中、足に異変を感じたが、予定より早く山頂に届いた。何にもない、誰もいない、そして、何にも見えないのだから、自分の可笑しさを嘲笑うしかないであろう。でも、何かを得た気もするから可笑しいのか・・・・

 降りは、山頂から林道まで、1時間ちょっとだったから、「おおっと・・」と思った。でも、何度も転けたし、危ない目にも遭った。「歳を考えなさい。」 とも思った。明日こそは、大地に行きたい。



3/17 お天気が良くない。起きて来たが不調の「山ノ神」、そして、東京からムコ殿がやって来た。無理する事はないが、やっぱり出掛けたい。でも、ハレルヤを追いかけられない。明朝、起きてから行き先を決めたい。



3/16 依然、「山ノ神」不調。食をしない。点滴もなし。天候不順もあり、キャンプの公算は薄いが準備に入る。しかし、「山ノ神」の状態がこのままだと、放って出掛けるわけにもいくまい。どちらにしてもダメか! でも、まだ諦めきれない。



3/15 18日(日)は、ハレルヤ山行である。臨時幹事になった筏井氏が、私を見据えて「大地に行きたいのだろう・・ 無理しないでいいよ!」 と声を掛けてくれた。しかし、週末からの予報が良くない。動く高気圧と言われる程の筏井氏を持って来てでも、些か危うい予報である。

 ギリギリまで、大地・初雪山方面を模索し、キャンプするかしないかは別にして、今度の連休(18・19日)には、必ずや大地方面に出掛けたい。このところ、ハレルヤに対して、ドタサンが続いているだけに、もうそれに甘んじるのは辛い。18日の天気が悪いのなら、別の事を考えたい。



3/14 「山ノ神」に異変! 何だか機嫌が悪いと思っていたら、「食欲がない。」 と言う。すぐに医者に行かないのが難! 唯、寝ているだけ・・・・ こんな事を思うと、健康の有り難さが、しみじみと分かる。



3/13 起きてみると雪だった。5cmくらい積もっていた。前々から、古城公園の梅の咲き具合が気になっていたので、思い切って出掛けて見た。雪の中に赤い花が可愛く見えたが、見方次第では、縮み上がっているのかもしれない。

 家に戻って、私の小さな朝トレをやった。一週間前からの5割アップに、それこそ、アップアップしていたが、(腕立て伏せ75回 腹筋30回 スクワット30回) ようやく、馴染むことが出来た。無理する事はないが、山行機会を失うと、どうしても焦ってしまう。



3/12 何度となく、僅かであったが、青空が広がった時があった。「行こうか・・・」 と思ったが、日頃の溜まった片付けの最中であったので、「後から・・」 となってしまった。その晴れ間は、長続きせず、雪・アラレが吹き荒れた。

 コーヒータイムでは、「つい、この間まで、こんな事はなかったのに・・」 と呟いてしまった。娘や孫がいるからだけではなく、もうそろそろ、いろんな事を考えるようになってしまったのであろう。

 何時かは、やらなくてはと思っていた片付けに時間を割いた。書籍・手紙ハガキ類・想い出の品・収集品・昔は大事な物であったが、今は使わない物など、その他に両親の遺品がある。

 手紙・ハガキ類は、ずっと前の物から残してあり、これを整理するのが大変である。ついつい読み耽ってしまい整理がつかなくなるのである。写真・アルバム類も同じである。でも、もう見ない物は捨てる事にした。また、子供達に残す物は、更に、ぐっと凝縮しなければならない。もう、そんな歳になった。



3/11 暴風雪警報が出て、しかも、明朝まで積雪があるかもしれない予報に、怯んだわけでもないが、「北ちゃん」や「eiko女史」らと出掛ける予定であった山行を中止とした。「警報が出ているから・・」 「そんなにしてまで出掛けたくない。」 「皆が行かないなら・・」 など、各自の思いがあっただろうが、数年前には考えられなかったスタイルである。「好山病には、変更があっても中止はない。」 と暗黙の了解となっていたが、歳取っただけではなく、各々の事情も、かなり加味されているのではないかと思うようになった。

 近年、警報が出て、その通りになったことなどあまり記憶にない。もしかしたら、明日のお天気も、どんでん返しにならないでもない。しかし、昨年の東日本大震災のように、とんでもない事が起こらないとも断言出来ないのである。100年に一度として、その度の警報に騙されても、それはそれとして、謙虚に向き合わなければいけないと思う。病気やケガをすれば、山に行けなくなる代償があるのであるから、危険と知らされれば、耳を傾けなければならないのである。中止となっても、明日の事は分からない。起きてからの勝負である。私は、まだまだ「好山病」という病から解放されたわけではない。



3/10 明日のお天気が、上方修正?された。これでは、先週と同じで、午後からお天気が崩れ、月曜日が最も悪くなるようである。唯、先週は、雨だったのに比べ、今度は、雪であるから、まだ良しとせねば?なるまい。

 でも、このままでは、行き先を変更せねばならなくなる。「またまた、1000m未満になるのか?」 もうちょっと、様子を、みなければならないが・・・



3/9 確定申告を終えホッと一息。今日も、朝早かった事もあるが、何だかいっぺんに疲れが出た感じである。それよりも、一向に良くならない天気予報に志気が落ちてくる。



3/8 2月中に確定申告を済まそうと思っていたのに、今日になっても終えていない。ちょっと書類に書き込めばいいのに、所用に託けたり、飲んでしまってオジャンである。「それでは、朝早く起きて・・」 となるが、やっぱり時間が足りない。明日中にとの決心も怪しいものである。

 怪しいお天気でも、休日には山へ行かなければいけない。その後は、予定がぎっしりだから、何としても、今夜中に、いや、明朝までに仕上げなければならない。このところ、毎朝5時半起きだから、もう眠くなってきた。あらあら・・・・



3/7 今度の週初めも予報が悪い。このところ、本当に巡り合わせが悪い。一年を通せば帳尻が合うのであろうが、3~5月の一番良い時期?に悪いお天気が続くと、ストレスが溜まるというものである。「行いが悪いから・・」 だけで済まされない。



3/6 雨の止むのを見計らって牛岳に出掛けた。夜明け前に起きてみたものの、小雨とはいえ、雨中を出掛ける気にはなかなかなれなかった。PCで雲の流れを見て、車に乗り込んだのは、午前9時をかなり回っていた。 (登山口スタートは、午前10時15分)

 二日間の雨は、腐った雪となり、重く歩きにくかった。それでも、この時期は、深く沈む事もないので、トレースを外し、なるべく西側(庄川)寄り歩いた。でも、「山ノ神」の歩きは、極端に悪く、何度もうずくまっていた。

 歩き終われば、「無理矢理に連れて行かれた。」 とのイヤミなったが、稜線歩きは、時々陽が差し、視界を広げていた。次々と流れる雲も、アクセントとなるくらいで、イヤなものではなかった。

 三角点到着は、午後2時近くになったので、斜面を利用して簡単なテーブル・ベンチ、そして、風除けの壁を作り、暫しの間を寛いだ。1時間ばかり、いつもと違い、近くではっきり見える山々と、上昇する雲の流れを楽しんだ。「雨は近い。」を感じ取ってからは、暗雲が立ち込めて来たが、雨が落ちる前に、車へ辿り着く事が出来た。



3/5 結局、山歩きも小さな旅もしなかった。それでも、ふらっと富山に出て、自分に似付かぬ時間を過ごした。富山郊外の小さな時間であったが、もしかしたら、それも小さな旅の一つになるのかもしれない。歩かなくとも、遠出しなくともであり、定義など、どうでもよいような気がしてきた。

 月初めから、夕方になると後頭部が痛くなるようになってきた。流石に、今日は酒を止める事にした。でも、やっぱり、ちょっとだけ・・・・・ 血圧だけなのだろうか・・・ 気持ち悪くならないように願いたい。戻したら、頭に決まっているから・・・・



3/4 二日間とも雨になりそうである。一日目は、「山ノ神」が、カニ三昧で、留守という好条件だと思っていたが、なかなか上手いわけにはいかないようである。「雨の止む間」 を見付けるか、いっその事、諦めて小旅行にでもしようか・・・・



3/3 月曜日は、雨が確定したようなものだ。全国的に雨なので諦めるしかない。その雨の中を、歩くか歩かないかだけである。雨の中の雪山を歩いても面白くもない。でも、出掛けないと、ライフスタイルを壊す事になり、今までの人生を否定する事にも繋がる。やっぱり、ちょっとでも歩くしかないか・・・・



3/2 3月は年度末も手伝って、いろいろ行事が多い。町内会だけでも、総会・監査会・事務引継ぎなどある。しかし、差程負担のない役なので、特別の苦労はない。でも、来週の平日は、有志の会の例会や趣味の会などがあり、全部詰まってしまった。暇よりはいいかもしれない。

 当たり前の事であるが、山行日(休日)は、絶対と言っていいくらい予定は入れない。長い間そのようにやっていると、先方から伺いがあり、それを外してくれるから有り難い。でも、お天気だけはどうしようもない。



3/1 相変わらず今度の連休6日(月)・7日(火)の予報が良くなく心は沈んでいる。大地・初雪山は、毎週、また、何度行っても飽きない山である。過去は1~3月までしか行った事がなく、私にとっての賞味期間が迫ってきている。

 私の3月の休日は、6・7日を入れて6日間、全日行ける事もなく思案のしどころでもある。今年は雪量が多いから、4月に入っても行けるであろうが、唯、行けさえすれば良いというものではない。きれいな初雪山が見えなければいけないのである。この予報では、中止にする公算は大であるが、準備だけはしておこう。