4/30 上市市街地を抜け、何だか見たような車だと、お互いに止まって確認すると、「はるちゃん」ではないか? しかも、やはり大熊山へ行くという。久々に同行する事になって、何だか嬉しくなった。「はるちゃん」は、新しい登山道の事を知らないでいたが、ならばとなり、一番安心したのが「山ノ神」であった。

 少なくとも午前中は晴れを確信していたが、青空が広がる事もお日様が顔を出す事もなかった。でも、剱岳は元より、大日岳も毛勝の山々も、一日中、すっきりと見え、とても気持ちの良いものであった。

 15年前、「はるちゃん」と二人で、早乙女岳の帰りに大熊山に登り、下山路を大熊谷とした事を思い出した。「はるちゃん」は、それ以来の大熊山だと言い、当時のイメージ(剱岳を眼前にして・・)と随分と違うと、しきりに同調を求めていたが、「素晴らしい・素晴らしい」を連発していた。

 連休の最中、振替休日であったから、何人かの登山者があるかと思っていたが、小又川経由の早乙女岳方面へはあっても、こちらへは全くなく、我々だけで絶景を楽しんだ。降りの苦手なハズの「山ノ神」であったが、今日ばかりは、いつもと様子が違い頑張りを見せていたような気がしたが・・・



4/29 皆が帰ったから、いっぺんに寂しくなってしまった。というより暗くなってしまう。明日は、誰もから声が掛からなかったから、「山ノ神」と二人になりそう。ブナクラの山々にはとても行けないが、大熊山なら行けるのではないかとなった。でも、「山ノ神」は、そんなに乗り気でもない。

 今まで、妥協に妥協を重ねて来ただけに、これ以上「山ノ神」のペースでいってしまうと、山から離れていってしまうような感じだから、何としても、それ相当の所に行かなくてはならない。途中で休もうが、後続者に追い抜かれようが、自分達のペースに終始し、楽しみながら登ろうと思っている。



4/28 続々と山の情報が入って来る。「いいな!」 と思わず叫んでしまう。何処もかもいいようで、お天気もしばらく続くようである。明後日(4/30)も、今のところお天気は大丈夫のようである。「山ノ神」に、「まだ山菜はないから・・」 などと、県東部の山に上方修正?を呼びかけている。

 二人だけになる出発の日でもあるから、反対もしないであろうが、私以上に、「山ノ神」の脚力が心配である。ゆっくり行くのも山であるし、美味しい物を食べに行くのだっていい。



4/27 娘の次女(孫)が、今日で生後3ヶ月になった。その子達を連れて帰るのに、ムコ殿がレンタカーでやって来た。それに合わせるように、大阪から長男がやって来てくれた。久し振りに7人になり賑やかになった。

 その長男も明日午後には帰阪するし、5ヶ月間もいた娘達一行も、明後日には帰京する。私達の休日を潰さない配慮があるのかもしれないが、いっぺんに寂しくなる事には間違いなさそうだ。



4/26 最近、腰や膝を痛めた方々を多く見掛けるようになった。「マッサージに行っている。」 「水を抜きに行っている。」 「手術をしなければならない。」 などいろいろであるが、かなり生活に支障をきたしているようである。

 私は、正座が辛い。胡座(あぐら)が全くダメであるが、幸い歩く事には殆ど支障がない。今のところ、何時間歩いても大丈夫である。でも、「足の甲が痛くなる。」 とか、「股関節に不安。」 とか、別の問題を抱えるようになった。

 そんな私は、どれだけもやらないスクワットを、トレーニングから外した。膝を前に出さない事を意識してやっていたから、問題がないと思っていたのであるが、やっぱり何処か可笑しかったのかもしれない。膝の調子が良くなったのである。

 スーパーマンになれないのであるから、身体を調整する程々の運動が良いのかもしれない。でも、先日の休日は、林道歩きに終わったしまったが、やはり運動量が少なかったようである。食べ過ぎもあるが、体重計に乗ったらビックリしてしまった。週に1回は、身体をかなりいじめないといけないようである。



4/25 夕方のテレビ(KNBエブリィ)で、「76歳現役ランナー」 として、黒部の能登善徳氏が紹介されていた。その凄さは素晴らしく、そんじょそこらの人達と違い、正しく、鉄人・スーパーマンの域に達している人だと思った。

 その姿は、私より若く、あの体力も問題なく私より凄いと思った。一回りも年上の良き目標とする人物がいるというのに、私は、一体全体何をしているのかと思ってしまう。走るだけでなく、いろいろな運動をなされ、バランスのとれた筋肉が、みなぎっているように見受けられたのでした。

 能登氏は、当然の如く、山を通じての友人であるが、まだ、一度も一緒に山に登った事がない。しかし、同氏とは、剱岳や毛勝岳など、何度となくお山のてっぺんでお会いするのであるから、これまた不思議な間柄としか言えない。

 能登氏は私を大事にして下さる。そんな大先輩を私が敬わないわけがない。ここ1~2年ほど、お会いした事がない。今年こそは、何処かの山でお会いしたいもだと願わずにはおられない。す~っと、風の如く現れるのであるから、何処に行くと伝えなくてもいいのかもしれない。



4/24 もう一度 「山ノ神」に、「僧ヶ岳に行くかね?」 と問うてみた。そしたら、意外にも 「行く?」 という返事で逆に戸惑っている。片貝第2発電所からでは、今の「山ノ神」 の歩きからして、ちょっと無理だからである。せめて成谷堰堤辺りまで車が入らないと、途中で断念という事になりかねない。

 となると、県西部の山しかなくなる。高さを求めると、長い林道歩きが伴うし、それこそ、山頂まで辿り着く事が難しくなる。山菜採りに目がない「山ノ神」にすれば、「林道歩きだけでもいい。」 と言うに決まっているから、そのような提案は出来ない。

 そんな折、小矢部水系・赤堂山の先にある「月ヶ原山」 「多子津山」を思い出した。横谷から長い林道歩きをしたが、赤堂山で諦めてしまったことがある。帰路は、真っ暗になった雪の林道歩き、そして、雨でびしょ濡れになったのであるが、頑張り通して車に戻ったのである。もう、そんな勇気も元気もない。



4/23 午前11時まで戻ると言い残して家を出たが、またまた出遅れ6時を回ってしまった。車を走らせながら、「さて、何処へ行くか?」 となったが、車の時間を入れて5時間では、何処でも良いと言うわけにはいかなかった。

 最も、最初からお山のてっぺんを諦めていたから、山菜の偵察の意味合いが強かっただけに、「車が何処まで入るか?」 また、「雪の状態がどの程度か?」 に関心がいっていた。牛岳林道・庄川側は、予想通り200~300mくらい入った所で、いつもの事ながらデブリで通せんぼだった。

 雨具を着ながら、また傘を差しながらとなったが、やっぱり例年より雪量が多く、これでは、フキノトウ以外は、全くダメ。という感じであった。というものの、ちょっと危うい所に、細く小さなコゴミを見付け、採りに斜面を降ったが、雨が強くなり、早々に林道へ駆け上がらなければならなかった。



4/22 明日の予報はあまり芳しくない。山に行くも人生だが、行かぬも人生と思うようになって来た。怯んで来た証拠かもしれない。降れば、てっぺんに拘らないが、やっぱり山里を歩かなくては、今までの人生を否定する事になりかねない。

 でも、「娘・孫と遊べる最後の休日だよ。」 と言われては、心が揺らぐ。どうしよう。暗がりに出掛けるのが一番で、何もかも解決するような気がする。と言いながら、また、日を跨ぐ時間になってしまった。



4/21 この2~3日、睡眠時間が6時間を超えた。普通なんであろうが、かえって身体が重い。熟睡しているか疑わしくなる。以前、「死んでいるのかと思った。」 と、 「山ノ神」 が言っていた事があるから、たぶん睡眠時無呼吸症候群なのであろう。

 イビキが煩いからなのか、相性が合わないからなのか、別居生活?になってから、どのような状態なのか分からないが、「ハッ」 と、目が覚めたり、苦しくなって目が覚めたりする事があるから、その症状が続いているのであろう。

 睡眠時間が、一日の1/4、長い人で1/3、短い人で1/6くらいである。睡眠時間がもったいないと思った事があったが、すっきり眠る事が出来れば、この時間こそ、一番心休まる時なのかもしれない。

 何事も程々がいい。出し抜く事もあまり感心しないし、置いてきぼりされるのも嬉しくない。アハハオホホで過ごし、並の生活が出来ればそれでいい。でも、元気な身体は欲しい。時たま、「凄いね!」 などと言われたいが、それは贅沢というもの。「神様・仏様」 などと、叫びたくなるのは、こんなところから、弱点を見付けられ、吸い込まれていくのかもしれないね!



4/20 今日は、二十四節気の一つ 「穀雨=百穀を潤し、芽を出させる雨ということ。」 だそうだ。馴染みがなくとも、毎年のように、テレビや新聞で報道されれば、何となく覚えていくというもの。

 30数年間続けた切手の世界では、切手趣味週間で記念切手が発売の日である。それも遠い昔で、今は、それとなく収集した切手を使っている。もったいない気がしないでもないが、残したって、どうしようもない気持ちになっている。

 私は、のめり込んでしまう事があるが、一つイヤだと思えば、すぐにでも止めてしまうおかしな性格の持ち主である。そして、今はそうでもないが、好き嫌いが激しかったように思う。でも、長続きした事も多く、友人は元より、年賀状に限らず、年に何回となくやり取りする便りも結構続いているのである。

 人の心とは、浮き沈みが多く、一時の感情だけで、到底判断する事など出来ないからかもしれない。自分が卑劣に考えれば、その倍返しがあると思うようになった事も、少しは進歩したのだろうと思うようになっている。

 せっかく得た友人を、自ら蹴るハズがないのであるが、それは自分の思いだけである。相手様は、それなりの受け取り方があるわけで、それを心しないわけにはいかない。本当に人との繋がりは難しい。でも、だから、味があり笑ったり涙する事があるのであろう。



4/19 ようやく冬タイヤから夏タイヤの交換を終えた。4月第3日曜日を過ぎてからを、一つの基準としていたが、近年、GWにずれ込んでいただけに、今年はちょっと早めという事になった。最も、今年の第3日曜日は、一番早い15日だっただけに、特別早かったわけでもない。

 「昨年行けなかった僧ヶ岳に行かないか?」 と「山ノ神」の顔を覗いたが、あっちを向いて返事がない。長い林道歩きがあるし、決して楽ではないのであるが、「成谷堰堤くらいまで車が入る頃なら・・」 と言ってもダメである。こうして、山がだんだんと遠くなっていくのかもしれない。



4/18 10日後に帰京予定の娘が、散歩を兼ねた所用に出掛けた帰り道に転倒したらしい。両手を擦り剥き左肩が上がらないと言う。念の為に病院に行かせたが、骨には異常がなかったようで一安心。その煽りを食ったのが我々年寄り。まずは上の孫の入浴であったが、「山ノ神」は、満更でもなかったようである。下の孫の入浴に、不器用な私も手伝わなくてはならなくような気がする。



4/17 グループの連絡にはFB(facebook)が便利である。イベントの際は、単刀直入に記述が出来るし、集計も楽、そして、主催側も連絡しやすい。しかし、メンバーがFBに入ってくれなければ連絡のしようがない。

 「FBは実名が原則」 という事に、引っ掛かりを感じておられる事が多いようであるが、それは何とでも出来るし、必要事項も未記入のままでも構わない。必要以上の方とコミュニケーションを取らなくてもいいし、非表示などの選択だって出来るのであるが、なかなか分かってもらえない。

 「FBを使わない人とは付き合わない。」 などと、強引な手法を用いて、一気に仲間内を誘い込んだ方もあると聞き及んでいるが、私にはそのような事が出来ない。分からない時は、何もかも面倒なのであるが、分かって使い勝手が良ければgoodである。

 「私だって分からない。」 のであるが、赤恥を掻きながら、推し進めていきたいと思っている。新しい物に対してのチャレンジは、幾つになっても必要のように思う。何かをやれば、何処からとなく、助け船も現れるものである。その事によって輪が広がるのも楽しいし、喜びとか新しい未来はじっとしていてはやって来ない様な気がする。



4/16 娘は何も言わないのだけれど、「山ノ神」は、「娘・孫が帰るまで、後2回しか休日がない。一緒に何処かへ行きたいとは思わないのかね? 少なくとも、一日ぐらいは・・」 と言われては、出掛けにくくなってしまった。

 久々の大明神山や長い林道歩きが伴うが恒例の僧ヶ岳へのテンションが低下し、お昼前に帰宅出来る山を考えなくてはならなくなった。最近出掛けている山を外すと、どうも計算が合わず、暗がりから出掛ける気も起こらなくなってしまった。そして、「もう、何が何でもは、止めたんでしょう。」 と、何処からなく聞こえて来るようになってはもうお終いである。

 「では、福寿草でも見てくるか?」 と言えば、あの「山ノ神」 が、「私も行く・・」 となる。「山に行かなくても・・」 と言っていたのであるから、どうも理解が出来ない。林道のゲートはなかったが、少し余計に車を進める事は出来たものの、残雪に阻まれ、予定通りの林道歩きが伴った。

 取り付き付近は、デブリでかなり荒れていたが、雪量からして、「まだ早いか?」 と思いながら急な杉林を登ったが、上部は咲き始めており、雪解け最中の所は、これからである。福寿草に特別の思いはないのであるが、じっと眺めていると、名の通り、何だか 「福」が湧いて来るような気がしてきた。何か良いことがあるかもしれないと念じる他ないであろう。

 午後から、娘や孫達と共に、5人で古城公園の花見に出掛けた。遠出よりも近くのきれいな桜を楽しむのも良いのではないかと思ったからである。大きなザックに食材・飲み物をぎっしり詰め込み、ブルーシートや銀マット、そして、折りたたみのイスまで担いだ。我が家から5~10分程度の距離にある公園であるから、格好など言っておれない。

 結果的には、知人が多く訪れ、家族の会話が少なくなってしまったかもしれないが、後日には、「何かした。」 という証拠写真が生きるのだと思う。まだ今週中は大丈夫だろうが、今日の日のような暖かい日があるのかは分からない。



4/15 ハレルヤ山行(舟倉用水経由の小佐波御前山)が決定される前に、「山ノ神」との車を明け渡す約束をしていた事もあり、便乗できる周さんとの山行が浮上していた。そのハレルヤの皆さんに不義理をしてしまったが、素晴らしいお天気に恵まれた山行となった。

 雪山に慣れていない周さんであったが、最後まで頑張られた!そして、ご褒美が与えられたかのように、素晴らしい光景を満喫された事と思う。(病み付きになられても、ちょっと困るのであるが・・・)

 山頂では、富山から来た若い衆?UさんとKさんを、無理矢理ベンチに引っ張り込み、ご馳走してしまうというハプニングもあったが、楽しく快適な時間を過ごす事が出来た。桑首林道では、ようやく顔を出したフキノトウをお土産とした。



4/14 私の写真の師匠Y氏が市展(高岡市美術展)で大賞を受賞された。Y氏は書道家であるが、写真は独学で(だと思うが)、これで2回目の大賞受賞である。もちろん県展入選の常連でもある。

 日頃の行動をお聞きしていると、何事にも熱心であり元気である。とても私より10歳年上の方には感じられない。そんな同氏のアドバイスもあり、過去に2~3回、「山ノ神」 共々、市展に応募した事がある。(いずれも入選)

 「普通の人達が行けないような所の写真だから・・」 入選したのではと、自分達が思っているが、コンパクトカメラでも、アングル、そして、ぶれておらなければ、大伸ばしをしても、そんなに遜色がないように思ったが・・・  でも、行き詰まり、大それた事は考えていない。

 あくまでも記録写真であって、その中に、「おおっ」 と思うような物があれば、大伸ばしし、飾って楽しめれば良いと思っている。しかし、最近は、そのような ”作品?” が撮れないでいる。

 

4/13 最近、ネタに苦労する記述を目にする事がある。ちょっと何処かに目を向けたり、ほんの些細な事を感じとれば、結構ネタ (タネ=アウトローの人達がひっくり返して使ったと言われている。)

 しかし、何かに拘ったり、ましてや、HP、ブログ、FBなどと、幾つもの発信器??を扱うとなると、それはそれは大変である。長続きする為には、力まない事が大切。そして、ぶれない事であるが、人の心は弱いもので、時には、手を引っ張ってもらったり、背中を押してもらったりしなければ、くじけそうになるものである。

 傲慢にさえならなければ、必ずと言ってもいいくらいに、共感してくださる人達が現れ、心の支えになる事受け合いで、鏡を見ているようなものである。心優しくしておれば、そのような人達が、元気者には、元気な人達が、ひねくれておれば、また、そのような人達が集まって来るような気がする。



4/12 何が原因か分からないが、左足の甲が痛い。スノーシューのベルトの締め付けが、きついからかと思っていたがそうではなかった。少し前からそうであったが、前回の金剛堂山では、たまらないくらいに痛かった。

 家に戻ってからでも痛く、スリッパや靴を履いても痛かった。甲は腫れているかのように少し盛り上がっていたが、4日目の今日は痛みが和らいでいる。骨・皮膚・筋肉の何処が悪いのか分からない。唯、摩っただけでも痛かったのが、それほどでもなくなったような気がしている。

 次から次へと痛いところ、都合の悪い所が出て来るものである。もう登山靴が履けないのではと思ったくらいであるから、相当のショックを受けていた事になる。同輩の勤め人達は、定年や再雇用と言った年齢である。自分には定年などないと思っていたが、上手い事にはならないようだ。

 山歩きにも、第一次の定年が迫って来たのかもしれない。となれば、あの元気な人達は、スーパーマンのような人達だ。例え肖れなくとも、それなりに、山とずっと関わりたい。



4/11 最近、自分の周りでは、FB(facebook) が大流行である。何もかも知り尽くしている方もあるが、大方は手探り状態のようである。もちろん、新しい事を、やるかやらないかは自由であるし、情報がいるいらないもあるであろう。新しい友を求める方があれば、そんな煩わしい事を望まない人もある。

 携帯から始まり、PCとその周辺機器、そして、今は、スマホやアイパットなど、その数だけでなく、目まぐるしく変わる様に着いていけるはずがない。でも、興味がなければそれまでであるが、「何もしないで、何も知らないで、終わって逝くのも、何だか寂しいから・・」 が合い言葉のような気がする。

 私は、メカには弱い。でも、その気になれば、何とかなるものである。「やるかやらないかだけ・・」 そして、時間が過ぎて行く。「どうせ言ってもわからないだろう。」 となるのが、やっぱり寂しい。

 実際5人で集まる会合がある。その内3人がゴルフ好き。集まる度に、ゴルフの話になる。私は、ゴルフに興味がないから良いのであるが、「その集まりは何なんだ!」 となる。「しない。」 「出来ない。」 では、ニュアンスが違うかもしれないが、そんなのにはなりたくない。山が好きだけでも、誰かと集えば、それ以外の話もなる。やっぱり、何でも知っていた方が、面白いし楽しいに違いない。



4/10 左膝が可笑しくなってから、何年にもなるが、今は、股関節痛にも往生している。普通の生活には困らないが、座ったり広げたりすると、その歪みが出て来る。山でも、おとなしい登り方をしておれば何ともないが、飛んだり跳ねたりすると痛みが伴う事がある。

 ところがである。最近、大事にしている右膝に違和感を覚えるようになって来た。それは、時々であるが、山歩きだけではなく、平常の歩きにも感じるようになってきた。 歩けないわけでもなく、特別の痛さでもない。車でいうギアを、上手く切り替えられれば、何と言うことはない。

 膝を前に出す動きが、いけないような気がする。それをしないわけにはいかないから、どうしたもんだとなる。昨年、I氏宅の宴で、「花じい」が、「元さん、痛いだろう。」 と私の膝を見て言ってくれた事がある。「何故?」 と問うと、「膝の骨が、つくつくだもの・・」 と、ちょっと見ただけで、そのように言ってくれたのを思い出す。

 山を止めるわけにはいかない。どのような形でもあろうとも関わり続けたいと言うのが正直なところ。まだ、「そんじょそ、こらの方々には負けない。」 そんな気持ちを持ち続けていく事に変わりはない。



4/9 「お天気なら何処へでも行けるのに・・・」 を下方修正して、「お昼までに山から降りる。」を考えていた。そこへ、行かないと言っていた「山ノ神」が、行くと言い出したから、またややこしくなった。ならば、金剛堂山として、「なるべく早く出発をしよう。」 と念を押したが、やっぱり遅れてしまった。

 それでも、スノーバレー利賀スキー場発が7時20分。だが、大息やあくびを繰り返す 「山ノ神」は不調であった。「何か食べるか?」 と言っても 「いらない。」 を繰り返すし、喋りもせず、ピッチも上がらなかった。

 風はあったが、まだ晴れていたお天気も、午前9時頃から雨になった。無理矢理着いて来た感があったからであろう、「まだ行くの?」 を口にしなかった。遅れて来る「山ノ神」 を、その都度待ち構えていたが、その言葉を聞かないようにしていた。

 一服金剛(片折岳)に到達した頃に、ちょっと、雨が強くなったが、休息する事も出来ず、先に進んだ。この頃に、「山ノ神」は、中止・撤退などはないと思ったらしい。雨具の上下を纏ったが、風が強くなり、雨がミゾレになった。

 どんなに歩くのが遅くても、足を前にさえ出しておれば、それなりに歩ける事を証明したかのように、真っ白になった山頂には3時間半程で届いた。無理矢理三脚を立てて写真を撮ったが、その三脚が風で飛ばされた程であった。

 休憩する事もなく、すぐに引き返したが、「山ノ神」の手袋が、びしょ濡れとなっていた。風のない所まで我慢するように言ったのであるが、悴んだ手の為に、「不徳の事態になったら・・」 が脳裏を過ぎり、荷物を飛ばされないように手袋の交換をした。

 高度を下げれば、また身体が楽になる事は分かっていたし、風も雨も弱くなった。そのまま下山すれば、午後1時~1時半頃には、車に戻れると思っていたが、一服金剛を少し過ぎた頃に、流石の「山ノ神」 も、お腹が空いたのか、「何か食べよう。」 となった。小雨が降っていたが、簡単なテーブル・ベンチを造った。急にアラレに見舞われたが仕方なく濡れる事にした。



4/8 今日は絶好の山行日和で、私が愛読しているブログやHP、そして、facebookによると、あちこちの山が賑わったようである。私の知る限りでは、大半が山スキーで山頂を極められたようである。

 その中で、「小又川の徒渉がない。」 「トレースが充分に着いている。」 などの情報を送ってくれたのが、大日岳へ出掛けた岩城君である。有り難い情報である。しかし、私一人で出掛けなければならず、予報では、午後から崩れると聞かされているから、無理する事はないだろうと諦めた。

 コット谷も毎年行きたい所であるが、なかなか思うようにならない。長い賞味期間でないだけに、諸条件が整わない内に終わってしまうのである。明日は、お昼過ぎに終了となる山に出掛ける事になろう。



4/7 今日は、おかしなお天気であった。陽が差したと思ったら、雪が舞い、降ったと思ったら、また、陽が差すという、一日中荒れたお天気であった。明日は、お天気だという予報であるが、なってみなければ分からない。

 実際、今日も、9時過ぎから「お日様マーク」が羅列されていたが、必ずしも正解とも言えなかったような気がする。だから、明日も、「お日様マーク」が並んでいるが、どうなるか分からない。如何せん、月曜日まで、晴れマークに、傘マークがちょっぴり引っ付いて来た。イヤ~な感じ! 気温が高くなく、お天気なら、何処へでも行けるのであるが・・・ 



4/6 「またやってしまった。」 誤字脱字は元より、間違った記述、そして、更新の忘れが益々酷くなっていくようである。全てが、体力の無さと飲酒である。眠気が我慢出来なくなったとは、それだけの体力が無くなってきたという事。また、他人様に比べれば、差程飲み過ぎとは思わない酒量であるから、これも弱くなったのかもしれない。

 「寝る時間がもったいない。」 と思っていたが、「寝るのが楽しみ」 として、寝る時間を増やさなければならないようだ。でも、一日の1/3も寝るのはもったいない。1/4程度にもっていかなければ・・・、それにしても、休日の睡眠が少ないというのを改めなければいけないようだ。だぶん、3時間くらいしか寝ていないのであろう。



4/5 アルバムを見て振り返ると、「若いとは・・いいね!」 となる。何で、もっと撮っておかなかったのだろうと思う。最近は、デジカメ画像をPCで見る事が多い。何年前のものでなくとも、1年・2年前のものであっても、現在と随分違うと思ってしまう。

 ふとした事から、動画を撮ってみた。簡単ではなかったが、動くという事は素晴らしい。今まで、ビデオ関係は、見せてもらうだけだったが、ちょっと挑戦してみたくなった。要領も分からなければ、対応ソフトもないが、これからは、山行に限らず、とりあえず撮って見る事にしよう。



4/4 今年の1/4を振り返れば不満足な山行。悪天続きや身の回りの環境などに惑わされた感が強いが、それだけモチベーションが上がらなかったという事なのであろう。方向転換せねばならぬ年齢・体力になった事を自覚しなければいけないと思いつつも、なかなか気持ちが着いていかない。

 「山ノ神に合わせた山行」 「これから山に興味をもたれる方々との山行」 など、いろいろなケースでの山との関わりを持てば良いと思っても、なかなか下方修正?を一変に受け入れる事は出来ないでいる。

 3~5月の山は、一番楽しくステキな時期。でも、近年は、山菜採りの機会が多い。それはそれで楽しいのであるが、終わってみると何だか寂しい。お山のてっぺんを踏んで、下山時に山菜の収穫となれば最高なのであるが、なかなか思う通りにはならない。



4/3 出掛けるのを止めて正解であった。「午前中だけ・・」 「降る前に・・」 などと思っていたが、「フキノトウ採りくらいなら・・」 のトーンダウンに、それならば、山積みになっている片付けをしようと思った。

 結果的には思っただけで、昼食には、娘や孫と共にファミレスに出掛けた。「それなら、行くよ。」 と言ったら、娘と「山ノ神」が顔を見合わせ、「本当・・」 「そう言っている内に出掛けなければ・・」 と嬉しいより戸惑ったようであった。

 家に戻ってからは、揺れる家に「怖い!怖い!」の連発で、何だか、そのような言動と仕草に、一日を使い切った感じであった。「台風より凄い風」 であったが、元々我が家は、向かいのビル風の影響から、まともに南風を受ける。

 前側の二階(私の寝ている所)などは、年中揺れ動いているから、「怖くない。」 と言えばウソであるが、慣れが少しあり、他の人ほどではない。風にも地震にも弱い我が家であるが、修理など出来ないだけに、何とか、後15年くらいは持ってくれないかと祈らずにはおれない。



4/2 土倉山に「山ノ神」も行くというので、かねてからの思いもあった「周さん」 を誘った。久し振りの山行、そして、スノーシューが初めてという「周さん」を、少々心配をしていたのであるが、何の事はなく、杉林をスイスイと登って行かれる様子に安堵。 しかし、後半は、その頑張り過ぎが祟ってか、ブレーキが掛かってしまったが、最後まで歩き通された。

 最初から最後まで、先頭に立ってラッセルしてくれた「北ちゃん」のお陰で、また、1300m付近の壁?でも、「山ノ神」 をロープで確保してくれ、何事もなかったように山頂に立たせてもらった。

 樹木の間から、赤谷ノ頭・大熊山・大日岳・奥大日岳、そして、剱岳と、次々と広がる大パノラマに、今度こそは、山頂から格好の良い剱岳を撮りたいと思っていたのであるが、稜線に出て、僧ヶ岳・駒ヶ岳、手前の大明神山・釜谷山・猫又山と順に目を追って、主役の剱岳となるや、全貌は拝めても、白っぽく、そして、うっすらでは、またまた、らしい剱岳と対峙する事が出来なかったのである。

 それでも、一日中、好天に恵まれ、山頂では、風もなく防寒着に頼る事もなかった。「大倉山との周遊、また、苅安山まで行きたかった。」 を肴に、あれやこれやと笑いを誘い、お腹をいっぱいにして、山頂を後にした。最後の雪が少なくなった杉林の急斜面では、スノーシューを外して、東側(鍋増谷側)に沿って降りてくれた「北ちゃん」のファインプレーが奏功して、何事もなく林道に着地出来た。



4/1 この度、予備自衛官に応募し採用されました。かねてから、その意志はあったのですが、如何せん、年齢制限があり希望は叶いませんでした。
 熱意が伝わったというのでしょうか、この程、特別枠で採用されましたのでお知らせいたします。

 有事の時、瓦礫処理などが出番ですが、その他に、山岳訓練のスタッフになるかもしれません。
 でも、それ程、生活に支障が出る事はないようです。だから、皆さんと山には普通通り行けると思います。



 これに対する反応はイマイチでした。面白くなかったからか、見透かされていたからでしょうか、それとも、考える頭がなくなったからかもしれませんね。そして、今年も4月1日が過ぎていきます。今度は、花見というイベントがあります。何事も上向き前向きに考えれば、人生楽しいものです。