8/31 「雨が降っても暑い。」 これじゃ寿命というものが、縮まるような気がして仕方がない。では、私の体力に即応しない山行はどうなのだろうか? 修行とも言えるが、身体を虐めている。睡眠不足の他に、帰ってからの暴飲・暴食など、悪い事ばかり、スーッと気持ちが和らぐのは、ほんの一時である。それは、また次の物を求める人生だって同じではないか? 良い時なんて、一瞬・一時なんだよ!



8/30 今朝の北日本新聞朝刊に今井女史が、「日本百高山を踏破」 の記事があった。北ア・南真砂岳が最後の一座になったようだ。前々から、狙っているような事は聞き及んでいたが、いろいろな困難を乗り越えての達成だけに、「本当におめでとう。」 と言ってあげたい。

 8年前には、日本百名山を踏破しておられるし、相当の信念がある方なのであろう。最近は、親子で山歩きを楽しむ団体 「キッズお山歩クラブ」 を主宰しておられるし、違った意味での岳人のような気がする。「そんな方を、友人に持てて誇りに思う。」 とメッセージを送らなければ・・・・



8/29 ずっと、お日様マークが続いていると思っていたら、突然雨が降ってきた。明日も何処かで何となく降りそうな感じである。「少しばかし雨が欲しい。」 という思いは、短時間であって、しかも、自分に都合のよい具合に降って欲しいというものである。

 次行く山に、「傘マーク」 が付くと、計画段階から志気が落ちる。それが、行った事のない県外の山であったり、泊まり掛けとなると尚更である。でも、今回(9/3~9/4)は、今のところ、その雨から逃れられそうである。

 いつでも行けると思っていた木曽駒ヶ岳に、なかなか行けないでいるが、同じ行くなら、ロープウェーに乗らないで行きたいと思っている。ならば、木曽福島からはどうだろう。当初は、避難小屋に泊まるのが一番楽ではないかと思っていたのあるが、展望が望めるのなら、山頂周辺のキャンプが良いと欲張りな考えが浮かんできた。

 晴れたら、それが一番なのであるが、前日の睡眠がなくなってしまう懸念がある。そして、欲は重なり、「聖職の碑」 がある将棊頭山に足を延ばしたくなる。考えが纏まらず、そして、貧脚の「山ノ神」 同行故、なかなか仲間を誘えないでいる。



8/28 立山から帰って、すぐにK氏宅へ向かった。「アユをご馳走する。」 と言うからである。「すぐに来い。」 と言われたが、「シャワーぐらいしなくては・・・」 そして、「自分達が飲むビールくらい買って行かなくては・・・」

 K氏は、何事にも拘り、アユ釣りはもちろんの事、それに伴う焼き方や、その設備は一級品である。何度かお招きを頂いた事はあったが、昨日は、浄土山で偶然にもお会いし、その時、鮎パーティーに誘われたのである。

 我々は、三山縦走の計画であったが、彼は、どちらかというと、山頂には拘らず、ゆっくり山を楽しむようであった。最終バスで、山を降りる我々とは、当然のように帰宅時間が違い、到着が遅く感じられたのであろう。

 「たくさん飲んだ!」 「たくさん食べた。」 そして、40分ほど歩いて帰るのであるから、またまた日を跨いでしまう。「丸々、一日遊んでしまった。」 これでこそ、充実感が漂うのであるが、もしかしたら、自分の身体を潰しているのかもしれない。



8/27 午前8時半室堂発では、今の「山ノ神」の脚力では、浄土山から剱御前小屋(別山乗越)経由する三山縦走は難しいのではないかと思っていた。それは、最盛期から比べて、山中滞在時間が、ダイヤの関係上1時間程短いからである。

 同ルートは、神奈川の由利香女史に同行してから5年振り、高原バスに乗るのも2年振りであったが(奥大日岳以来)、好天にも恵まれたし、如何なる場合にも、対応出来る装備を担いでいるし、時計を見ながら判断すればよいと、まずは室堂山展望台を目指した。

 浄土山では、俵氏とK氏に出会った。会えばやっぱり話が弾む。そこに、T君が転倒するというアクシデントが重なった。「雄山まで・・」 と歩調を合わせたが、K氏は、三ノ越手前で退却を決め込んだ。俵氏も時間の関係上、雄山止まりとなった。

 山頂には、ヨネちゃんがいた。また、石川の吉井女史と福井の辻本女史から声を掛けられた。何年か前の白山・室堂以来である。その先、雄山登頂を目指していた女性二人が、四苦八苦していたのを放ってはいられなくなり、ちょっぴりお手伝いした事も時間を費やした事になった。雄山山頂で簡単な食事をしたつもりであったが、喋り通しで、何を食べたか分からぬという感じであった。

 雄山発は、とっくに午後1時を回っていたから、「大走り」 経由を頭に描かざるを得なかった。大汝山に向かう途中、大沢野の松田師匠とバッタリ。人のやらぬ事をやる相変わらずの超人であった。富士ノ折立を降っていたところに、落石に見舞われて、足を挫いたがその後の歩行に支障はなかった。

 午後2時を回ったところで、とても、終バスに間に合わないと判断し、別山・剱御前を諦めた。「大走りである。」 「山ノ神」にしてみれば、初めてのルート、私も中学時代からであるから、50年振りになった。必ずしも歩き易いとは言えないが、静かで新鮮であった。

 大走りを選択したお陰で、雷鳥平キャンプ場でコーヒーを沸かす事が出来た。地獄谷から湧く硫化水素の影響で、雷鳥荘からみくりが池温泉辺りのハイマツがまるで紅葉しているかのように枯れていた。自然現象でどうしようもないのかもしれない。



8/26 明日は、久々に立山に行く事になりました。もちろん、お天気次第ですが、浄土山から別山までのつもりです。でも、それに拘らず、ゆっくり歩くつもりです。どんなに遅くとも立山駅到着が、午後6時過ぎですから、帰って、ゆっくりビールが飲めるというものです。



8/25 沖縄方面に凄い台風が来ているらしい。太平洋高気圧の勢力が強いせいなのか、東に旋回してくるケースが少なく、今のところ、何事もなく安堵している。でも、本格的な台風シーズンはこれからである。それにしても、今年のお天気は何だか変だ。局所的に豪雨に見舞われる事が多い。そして、この暑さである。いやはや参っている。

 エアコンのない部屋での耐暑訓練?にも限界が来ている。昨年から、扇風機を、ちょっとだけ利用し始めたが、今年は、汗タラタラの毎日に、否応なしの状態である。異常な暑さだけなのか、それとも、やはり体力が落ちたからか・・・・ はがやしい(悔しい)が仕方がない。



8/24 先日のバースデーカードに、こんなのがあった。(嬉しく拝見しました。)
 はるちゃんから、
「祝誕生日 65歳いよいよ高齢者の仲間入りです。お互い高齢者だと感じていないと思いますが、現実は現実で認識していきましょう。 雲の流れに秋を感じます。」

 由利香さんから、
「お誕生日おめでとうございます。 10年先を行く元さんを見習って行きます! 元さんが山をやっていたお陰、HPをやっていたお陰で、こんな素敵な出会に巡り会いました。これからも、素敵な出会が、たくさん待っていると思います。」 そして、「65×0.8=52 まだまだ、いけます!」 とあった。

 月日の過ぎるのは本当に早いものです。それは、周りの移り変わりだけではなく、鏡に移る顔を見てでも感じます。そして、どれだけ粋がっても足腰にも響いてきます。流れに逆らう事は出来ませんが、でも、「もうちょっと、元気でいたい。」 が本音です。

 

8/23 この一ヶ月、白馬岳・唐松岳・白山は、一時的にせよ全ての山で雨に遭った。留守をした8/19の高岡では、日中に30分程雨が降ったらしい。そんな事を思えば、ポツリと雨を感じたとはいえ、大朝日岳山行は、晴天に恵まれとてもラッキーであった。

 まだお天気は続く予報の中で、次行く山を模索している。翌々週は、木曽福島からの木曽駒ヶ岳が控えているだけに、なるべく経済的な山への気持ちが強い。しかし、もうしばらくは、低山をご勘弁して頂くとして、3割引の県民の日を利用した立山、乗り物に乗らない白馬岳などがあるが、称名からの大日岳が一番経済的かもしれない。そして、車一台の我が家故、「山ノ神」の動向次第で、ころりと変わるのは言うまでもない。



8/22 大朝日岳山頂避難小屋で一緒になった井上君を、facebookで検索してみたが、なかなか見付からなかった。過日、雨飾山で一緒した東京の佐々木君を検索するにも手間取った経緯がある。しかし、佐々木君の場合は、姓名とも教えてもらっていたから、何度も探している内に辿り着いたのですが、今回の井上君の場合は、姓だけしか分からなく、(他には居住地)結構難儀してしまった。

 若い人達からみれば、ロートルから得る事など何にもなく、親のように煩いだけであろうが、まだ、「山の事に関しては、ちょっとだけ経験がある。」 を、拠り所にしての付き合い(友達)が出来ればである。

 こちらとて、若い人達と付き合うには、エネルギーがいる。でも、これが発憤というものであろう。逆に、若い人達も、年寄りと付き合うには、それ相当の忍耐が必要になってくるような気がする。どちらにしても、若い人達に迷惑を掛けないように、出しゃばらず、修行の域で頑張ってみようと思っている。「では、あの日のはしゃぎは何だったの?」 と言われそうだ!



8/21 昨日は、朝日鉱泉から自宅に戻るまで、7時間半程掛かった。ちょっとだけ、片付けてお風呂に入って、ビールを飲んだ。”ツマミ” などなくてもグイグイと入った。山中で飲まなかったが、登る前と登ってからで、一体全体何本飲んだ事になるのだろう。

 そんな事もあって、今日は、一日中眠たかった。当初は、この日に戻れない可能性があるとして、半日休業のお知らせを、貼り付けておいたのであるが、それはクリア出来て営業に支障なし。

 昨日が私の誕生日とあって、携帯メール・PCメール・facebook・バースデーカードを頂いた。本当に有り難く嬉しい限りです。しかし、運転中・帰宅後の飲食中、そして、睡魔に負けて、なかなかお返事が出来なかった。今日もお返事をと思いつつ、座ればコックリである。

 「いつまで、そんな事をやっているんだ!」 の声が聞こえて来そうですが、「もうちょっとだけ・・」 だって、目標がないと人生つまらないじゃない。



8/20 昨夜は何人で騒いだのであろうか? 15人くらいではなかったか? 「あんなに楽しいのなら、もうちょっと、お酒を担いで来れば良かった。」 と思う程であった。管理人の阿部氏には、コンロの他に天ぷら鍋まで借りてしまった。おまけに最後は、彼の焼酎まで飲ませてもらった。そして、例のトンビマエタケまで頂いた。

 これは、皆屋外での事で、8時を過ぎた頃には、小さな声で・・・・という具合に。何故か、虫までたくさんやって来て払いながらの宴会。終いには、雨がポツリポツリでお開きとなった。

 シュラフは暑く、時々手や足を出したりしていた。そんな中、「寒かった!」 と言う声を聞いた。「寝具はナシで、そのまま寝ていた。」 という豪傑御夫妻。コンロもなしなのだから、凄いだけではないような気がした。

 御来光を拝むために、もう一度大朝日岳山頂に立った。影大朝日岳と言うのであろうか、西側の山々に大朝日岳の影が写れた。また、今回、残念ながら登る事が出来なかった以東岳が遠くに端正な山容を見せていてくれた。

 東京農大生6名と藤島親娘さん達は、山頂から御影森山方面へ、井上君は何処へ行ったのだろうか?神戸のご夫婦と小松からの女性、そして、地元の吉田氏としばらくは一緒したが、皆さんは私達と違い古寺鉱泉へ降りられるとの事で、小朝日岳手前の分岐でお別れをした。小朝日岳からお世話になった避難小屋を眺めた。

 鳥原山々頂手前の展望の利く所で、コーヒータイムして、ガスがあるかないか分からないコンロを出して見たが、ウンともスンとも言わず、仕方なく、アイスコーヒー紛いとして飲んだ。朝食時は、避難小屋のカセットコンロでお湯を沸かして頂き、カップ麺を食べて来た事が、今のところ奏功しているようである。

 幸いこのルートは、水場が多く、火がなくても喉を潤す事が出来、その点では恵まれていた。しかし、カンカン照りの天候に、少々参ってしまったが、雨に降られる事を思えば、贅沢を言っておれなかった。

 朝日鉱泉に着いてからは、唯々、ビールが飲みたくて風呂にも入らず、車を走らせた。午後10時前、高岡に着いてホッとした。今回の走行距離は873キロであった。



8/19 改めてパッキングをすると、真新しいガスが見当たらない。家に忘れて来たのか、それとも、車から降ろす時、外れて転がっていったものか分からない。登る前のキャンプ用として、わざわざ残り少なくなった(昨夜使用した)物しかない。

 せっかく買い込んだ食材が、使用出来ないばかりか、車に残しても悪くなる物もあり悩んだが、山小屋(避難小屋)で何とかなるかもしれないという気持ちと、あげても良い(もらってもらおう。)と思って、殆どの物をザックに詰めた。しかし、調理が出来ないかもという事で、フライパンだけは車に残した。

 登山口の朝日鉱泉へは、当初大江町からのつもりであったが、よく調べると、287号線・宮宿からが近くて便利だと分かっていた。「ハチミツの森キャンドル」 以降は、案内板に従えばよく、差程難しい道ではなかった。しかし、百名山の日曜日だけに、小さい駐車場に止められなかったらの心配があったが、少し手前に止めれば問題はなかった。

 一番近いと思って、中ツル尾根を選んだが、「出合」 と言われる所まで、ずっと川に沿っての歩きは、2時間半を費やしても、高度は100mしか稼げなかった。「雨が降ったらイヤなところだね。」 と言いながら、じっと我慢の登高となった。

 5つの吊り橋を渡った。「百名山なのに人と会わないね。」 は、追い越された一人と、擦れ違った二人だけで、静かな山であった。中ツル尾根2合目辺りで、キノコ採りのお二人と出会った。何でも、トンビマエタケ狙いだと言われたが、見せてもらうと大きな籠に1ヶだけ入っていた。でも、そのキノコはとても大きい物であった。(宴会時に、調子に乗られた管理人から、その種のキノコを提供してもらうとは思いもよらなかったが・・・)

 そのキノコ採りの名人?から、「水はないよ。」 「急登だよ!」 との労いでもない言葉に激励を受けて?先を急いだ。しかし、昨夜は全く眠れなかった私と、二日酔いの「山ノ神」のピッチが上がる訳がなかった。

 いつも、「富山の山より、急登を強いられる山はそうそうない。」 と言い続けている私であるが、実際、この中ツル尾根でも、そのように感じられた。重荷と言っても、いつもほどでないハズ。敵は二日酔いだけ。

 「それにしても、お花のない山。」 だと思っていたら、七合目(1,500m)を過ぎた辺りから、一気にそのお花が現れた。特にマツムシソウが多かった。標高からして当たり前の事かと我に返った。お花が現れても、「山ノ神」のピッチが一向に上がらない。お花にカメラを向ける事でが休息となっていく。

 ガスに覆われ展望がなくなった大朝日岳山頂に辿り着いたのは、午後4時であった。8時間半を経過していた。大朝日岳山頂避難小屋には、15分程反対方向に降ればいいのである。

 大朝日岳山頂避難小屋は有料だけあって、かなり整備されていたし、管理人阿部氏も愉快で親切な方であった。水場は、金命水と称し、往復には25~30分程要するが、4℃の水温は気持ちが良く美味しい。

 お腹が空き、2Lの清酒と大量の食材を持って外に出たが、一気に盛り上がってしまった。名も知らぬ老若男女が、思い思いを語り合う事になる。



8/18 午後から臨時休業として、朝日岳(山形県)に出掛けた。スーパーで食材を買い付けるのはよいが、そんなに食べられないと言っても、「山ノ神」は買った。魚津から高速に乗った。胎内荒川まで高速区間は259キロ。高岡から4時間は想定内であった。

 夜は、何処で泊まるか決めていなかった。我が家の車の中では寝る事は出来ない。夜遅く知らない山道を走るのもイヤであったし、そのような適地があるかどうかも分からなかったので、午後7時前、「飯豊道の駅」 で泊まる事とした。

 皆が寝静まってから、何処か隅っこで、テントを張ればよいのでは、ダメなら、そのまま外で寝ればいいとした。早速5キロ離れたコンビニで、ビールを買って来てミニミニ宴会となった。結果的に、家から持参した物を含めて10本も飲んでしまった。

 蚊取り線香を点け、良い気分でテントに潜り込んだが、車の出入りが多く、隅っこでも、その騒音で眠られなかった。翌朝に分かった事だが、「山ノ神」は、二日酔いになってしまった。



8/17 今度の日・月は、バンバンのお天気だと思っていたのに、何だかだんだん怪しくなって来た。でも、朝日連峰の一角に出掛ける事にした。以東岳への道も通行止め解除となったが、今回は、その全く反対側から大朝日岳を目指す事にした。登山口からの日帰りも可能かもしれないが、山頂付近の避難小屋(有料)を利用する事になる。



8/16 盆休の出足のお天気が悪かった事と、息子の帰省が重なった事あって、当初の盆休を短くした。不完全燃焼気味であったが、結果的には、それが奏功して、第二弾の連休が楽しめそうだ。何事もなければいいが・・・

 「北ちゃん」が、日帰りの槍ヶ岳を目指したらしい。でも、いろいろあって、途中断念したらしいが、その企画が出来るとは素晴らしいし羨ましい。我が家では、そんな企画を立てるムードさえない。一人で楽しんでも、帰ってからが面白くないような状態になっては仕方がない。もっとも、自慢する事もなくなっては、共通の想い出があった方が良いに決まっている。友人にも言える事だが・・・・



8/15 禁足令で、今日も山行はナシ。と言っても特別の事はなし。息子と連れだって、両親(両祖父母)と、昨年末急逝された縁戚の方の墓参りくらいであった。ならばと、余った時間を、屋根トタンの二度塗りと、駐車場の白線引きを行ったが、この灼熱下での屋根作業は不的確であった。

 でも、一つの事が出来て、山行ナシと言えども、充実感はあった。当然、ご褒美として、冷たい物をたくさん飲んだ。あっという間の盆休3日間は過ぎてしまった。そして、息子も帰っていった。



8/14 昨夜の内に、今日の山行(大日岳)を中止にした事もあって、士気は低下。お昼から陽が差したりしたが、午前中は雨が降ったり止んだりだったし、その上、息子が帰省しているのに、わざわざ出掛ける気にもなれなかった。

 雨具や靴下を洗ったり、山用具の手入れをした。耐水性や撥水性が衰えた雨具を復活させるものだが、なかなか思った通りにいかない。でも、もう少し頑張ってもらわないと・・・・、何もかもが手に入る訳でもないから。



8/13 雨の予報に「白山」を選んだ。短時間に大量の雨さえ降らなければ、どうって事はない。白山は、「雨の山」 のレパートリーに入っているのだから・・・

 傘を差しながらの登高となったが、大倉山避難小屋で雨具を纏った。樹木が低くなると風当たりが強くなるからである。夏から秋に変わろうとする高山植物であるが、雪がまだ残っているからであろうか、少々遅れているように私には感じられた。そして、各々のお花たちは、日頃見られないような群落を醸し出していたようにも思えたのである。

 「雨でもお花を楽しめた。」 のであるが、カメラに収めようとするとなかなかであった。「カメラが濡れる。」 「風が吹く。」 などに妨げられては致し方なかった。傘を用いられる時は、良いのであるが、なかなか思うようにならず、今日の目論見は、必ずしも上手くいかなかった。

 白山・室堂の気温は13℃であった。濡れた状態で、じっとしていると、ちょっと寒かった。視界はなく展望など望める訳もなかった。息子が自宅に待機?している事を思うと、ちょっとでも早く帰ってやるのが親心かと思い、11時半過ぎ下山開始した。

 途中、横浜からやって来たという青年・河合君と一緒になった。親御さんの年齢を聞くと、私より若いのであるから、相手様から見れば、私達は、歴とした中高年登山者である。「お父さん、しっかりした歩きですね。」 などと言われても、喜んで良いのかどうか分からないが、「有難う。」 と言うしかなかった。



8/12 杉原女史といろいろと調整したが、結局折り合わず再会を断念した。残念だが仕方がない。大阪から長男がやって来た。でも、友達との約束があるとの事で、すぐに出掛けて行った。今では、山に興味がなくなった息子と一緒に行動する事もなく、明日からの休日は、出来る範囲以内の日帰り山行となる。



8/11 遠見尾根から白馬岳・朝日岳経由で蓮華温泉予定の杉原女史が、諸事情で八方尾根から下山されたようである。同女史と日程が合わず、お会いする事を諦めていたのであるが、そうなると、何とかならないものかと思ってしまう。しかし、私なりの予定があるだけに、少々調整をしなければならない。



8/10 こうなったら、盆休は13~15日に変更である。そして、19・20日の連休を利用して、何処かに出掛ける事になる。それも、お天気次第であるが、良い方向に向かえば、前後に休日を加える事になる。山も静かになる頃だからいいのであるが。事は、そう上手くいくとばかりならないのが常。



8/9 13~16日を盆休として山行計画を検討中に、息子が12~16日の間、帰省するとの連絡が入った。しかも、12日と15日は、約束があると言う。そして、私達の山行の妨げになりたくないとの注釈まで付いていた。

 「どうぞ、山に行って下さい。」 との事であるが、一年に1~2回しか会えないのに、山に行っている場合ではなかろうとなった。そして、14日の晩(夕食)だけは、約束を取り付けた。お天気なら、13~14日、または、日帰りでもいいではないか・・・  (でも、お天気はあまり良くないようだ。) 岡山の杉原女史が、10~15日の予定で、後立山に入るとの連絡があった。



8/8 コンロが点火しなかった。予備のライターも点かなかった。非常時の為にと買ってあったマッチもダメであった。前回使用時に、コンロの自動点火が可笑しかった。しかし、二重三重の備えがあると思っていたのに、その確認を怠っていた事になる。ライターはガス不足だったようだ。マッチは数年前、山用品店で買った高額な品とは言え、湿ってしまっていたような気がする。

 食事は山行の楽しみの一つであるのに参ってしまった。隣のテントに火を借りるとしても、離れているし何度も借りなければいけないわけだから、やっぱり言い出せなかった。そこで、10数分歩いて山荘にライターかマッチの購入を申し出たのであるが、「売っていない。」と言われた。

 事情を説明して、何とかわけてもらえないかと食い下がったところ、貸してもらえる事となった。「使ったらすぐ返すように・・」 と言われたが、そんなわけにはいかないので、下山時に返す約束をして事なきを得た。

 札束(私は持たないけれど・・) 解決するような事はしなかったし、山小屋の対応も決して悪くなかった。一生懸命お願いすれば、気持ちは通ずると信じている。そう言えば、八方池付近で登山靴のソールを剥がしていた方に、私の常備している小物で修理してあげた事があったから、今度は助けてもらったような気がする。



8/7 山の夜は、すぐに眠りに着く。また寝るしかない。雨で濡れたズボンは乾いていたが、ドロが跳ねて結構汚れていた。そのズボンを脱いで、シュラフに入っても、全く寒くなかった。我がテントはゴアであり、余程の事がない限り結露せず快適である。ましてや、3~4人用であるから、居住空間がよい。

 夜中に目を覚まし外に目をやると、ガスの中で真っ白であった。予報は良くなかったが、「夕方、もしくは、夜半から晴れだし、星が輝く。」 ようにイメージしていたが、その目論見が外れてしまった。その内パタパタと雨が降り出したので、再びシュラフの中に潜り込んでしまった。

 好天なら、五龍岳方面に足を延ばそうかと思っていたが、雨では、その考えが吹っ飛んでしまい朝寝と決め込んだ。ようやく7時半頃になって雨が止んだが、後にする事となると、山頂に出掛ける事くらいである。

 昨夜は、飲み過ぎた事もあり、朝食は味噌汁と芝寿司、それにコーヒーの簡単な物として、テントを撤収し山荘まで上がってしまった。何にも見えない山頂に長居も出来ず、午前11時前下山に掛かった。



8/6 いつもの通り、ちょっと出遅れた事もあり、黒菱平のリフトは動いていた。私は23キロ、「山ノ神」は13キロを担いで、そのリフトに目もくれず、予定通り歩く事になった。黒菱第3リフトと、グラードクワットの分を歩くのは、我が家の定番であるが、テン泊用の荷を担いででは初めてであった。

 (270×2+100×2)+(270×2+100×2)=1,480円を稼ぐのに1時間掛かったが、1,850mに達したのであるから気分は良かった。八方山荘からは、トレッキングコースである木道を歩いた。いろいろと高山植物が咲いているが、大勢のハイカーの為混雑していた。特別早く行かなければならない事もなく、その流れに従った。

 大きい荷を担いでいるので、どうしても目立ち、あちこちから声が掛かる。「重いでしょう。」 「何キロあるんですか?」 「何処まで行かれるのですか?」 などと言われ満更でもなかったような気がする。

 八方池手前で突然の雨となり、目の前を歩くハイカー達は騒然となった。「山ノ神」も、雨具を着込んだが、私は、風がなかったので傘だけで凌いだ。「その内、雨は上がるだろうし、気温が低くないから、ちゃんと乾いてくれるだろう。」 というのが、ずぼらな私の考えである。

 「山ノ神」は結構頑張っていたが、丸山ケルンの手前の雪渓付近から、急激に元気を失ってしまった。やはり、「4時間足」なのかもしれない。黒菱平から唐松山荘まで、6時間余かかってしまったが、「ゆっくり歩き、涼が目的」 であったから、何の問題もなかった。

 唐松岳では初めてのキャンプだったが、山荘から、かなり降りなければならなかった。大きめのテントとなると、その場所を探すのも結構大変で、一番下まで下がった感じであった。そうなるとトイレが大変である。山荘まで戻らなければならないので、飲んだ後は息が上がってしまうのであるから・・・ (キャンプ代500円+トイレの使用料200円なので、遠慮なく使えるのは好都合であるが・・)

 一番下だから、静かそのもの。雪渓の水を求める一組だけが、テント前を横切っただけである。視界はないが、お酒は充分にある。 (途中、丸山ケルンで足の止まった「山ノ神」を勇気付けるために、一本のビールを分けて飲んでは来たが・・)

 でも、する事がなく。○本のビールと、2Lの清酒は空になってしまった。「夕方から、もしくは、夜間から晴れる。」 との私の予想は、無残にも外れ雨となってしまった。



8/5 明日は雨の可能性はかなりある。(ずれてくれればいいが・・) アルコール類4キロ・水2キロ、水類だけで6キロである。キャンプでも、10キロや12~3キロしか担がないという人達が信じられない気持ちである。

 「山ノ神」に、その事を伝えると、「人は人、楽しく、美味しくやる時は、仕方がないのじゃない。」 である。また20キロを、どれだけ超えるやら、人の気も知らないで・・・



8/4 あれこれ提案していたが、もうどうでも良くなってきた。涼しければよい。目的地を先にすれば、しんどいのが長く、涼しいのが短くなるのであるから・・・

 剱沢・雷鳥沢・白馬大池・蓮華温泉など比較的楽な所を提案したのであるが、「山ノ神」は、唐松岳と言い出した。私の提案を、そこには留まらないだろうと感じたのかもしれない。そんな事もないのであるが、「黒菱平からリフトも乗らないで歩く安上がりで行こうという。」 とも言った。

 でも、「キャンプ用具を担ぐのだよ。」 と言えば、「あんたが担げばいいじゃない。」 である。そしてまた、「リフトが動く前に歩き出そう。」 と言うのは良いが、朝寝坊の言う事だけに果たしてどうなる事やらまだ分からない。



8/3 「好山病夏山キャンプ」 を中止としたら、予報が上方修正された。まだ降水確率は高いが傘マークは消えた。でも、それは平地の事で山は分からない。一日(一晩)だけであるが、何としても涼しい所に行かなければ・・・・

 それよりも今は、盆休スケジュールに思案中。思い切って、一週間程休もうか?それとも細切れに休みをとろうか? なのである。年齢的にも体力的にも、また身の回りの環境からしても、最後の機会かもしれないから思い悩むのであるが、それを実現させようとするには、またそれなりの付帯条件が付く。

 それを、はね飛ばす程のエネルギーがなければ、到底物事など実現させる事が出来ないのは分かっているが、「質素な旅」 に堪えられるかも条件となってくる。目的を達成するには、我慢が必要は分かっているが、「山ノ神」 の考えとすり合わせる難題もある。まだ時間はある。



8/2 押し迫ってきていた「好山病夏山キャンプ」 が2年続けて中止になった。この歳になると、仕事や家族の事、また、体調などなかなか揃わない。休日の違いもあるし、一緒に行ける事の方が珍しいのかもしれない。とは言え、昨年も、そうだったように、私が、何処へも行かないわけがない。

 お天気を見ながらになるが、涼を中心とする定住型にするか、それとも、クタクタになるまで歩くかは、直近になるまで分からない。雨は、辛いし面白くないが、「一日中降らない。」 と確信している。



8/1 12年前、金峰山に登った事がある。その頃の紀行文は、今の記述と違い意外と細かく記していたように思う。その後、いつだったか忘れてしまったが、神奈川の由利香女史から, その記述に関してコメント(メール)を頂いた。

 それが縁で、時折メールのやり取りを交わしていたが、6年前、丹沢山に登る連絡をしたら、山頂近くで落ち合う事になった。11月で雨に見舞われた筈である。最高点にある山小屋に、お酒・肴(富山ならではの物)を担いで行ったら、「こんなに担いで来なくても・・」 と言われたが、管理人と他の客人も交えて、殆どたいらげてしまったような記憶がある。もちろん、「山ノ神」 も同行でしたが・・・

 5年前は、由利香女史が「高岡合宿」と言うように、立山・白山に行く為もあり、我が家で3泊をしてもらった。「朝早く発ち、そして、遅く帰って来て、尚かつ、たくさん飲まされて、二日酔いで歩いていたようなものだった。」 と後日聞かされた。

 その彼女が、剱沢で2泊、大日岳で1泊、そして、今夕高岡へやって来てくれた。夜行バスで帰るまでの4~5時間、ゆっくり山の話を聞いた。水も刺身もソーメンも美味しいと言ってくれた。5年の間に、随分お酒(ビール)が強くなったような気がした。