10/31 「山ノ神」が、2番目の孫を負ぶって、猿倉山を登る写真を載せた。「山に行かなかった?」 から苦肉の策であったが、「お孫さん、可愛いね!」 のメールをもらった。そのメールの送り主が、始めは誰なのか良く分からなかった。

 アドレスは、登録されているものであったが、送信者名が過去のものと違っていたので困ってしまった。その上、4年以前のメールは、送受信ともメールソフトから外し、HDに保管していた事が仇となり、検索機能を駆使する事が出来なかった。

 恐る恐るお返事をしてみると、友達の友達であるY女史であった。何度となく、「HPを見て楽しんでいます。」 とメールを頂いた事を思い出した。高校時代Y女史は秀才で近寄り難き存在であったが、いっぺんに親近感を抱いたものであった。何十年とお会いしていなくとも、当時のお顔を思い出してしまうとは、日が経つのは早いというものの、ついこの間まで、私達も若かったのだ。



10/30 「孫は、親と一緒にならば何処でも良いハズ。何も遠くへ行かなくてもいいじゃない。」 と言っても、自分の行きたい所なのか、「山ノ神」は、有峰を提案していた。しかし、常願寺公園の遊具で戯れ、アルペン村にやって来た頃には、雲行きが怪しくなり、急遽その暗雲に逆らい猿倉山へと行き先を変えた。「高岡の古城公園や、おとぎの森でも良かったのに・・」 と言いながら、持参したカップ麺やコーヒーを嗜んだ。

 今日の一日は、高い山を幾つも登ったかのように疲れた。でも、「山ばっかしの私には、こんな日があっても良いのかもしれない。」 子供達に世間並みの事をしてやれなかったのだから、孫には何かしてやらなければならないのかもしれない。



10/29 「山に行けぬ。」 を思い続けたからなのであろうか、何度も夢になりその度に目が覚めた。それならと思い、夜明けと共に、一人二上山(274m)に向かった。「試し」「リハビリ」 などと、何とでも理由付けが出来る。

 標高差約220mを、片道20分くらいで登る事が出来たから、まずまずであった。降りのまっすぐに降りるのは、やっぱり何となく、ぎこちなかったように感じたが、これなら、県西部の山は何とか登れそうだと思った。でも、長く続く急な降りは、ちょっと厳しいかもしれない。

 そんな折、「山ノ神」 から、「何処にいるのか。」 と電話が鳴った。昨夜は、全般に渡って、「ちょっと調子が悪い。」 などと言っていたからだろうか、「2階に行っても、裏に行ってもいないし、何処かで倒れているのかと思って・・」 らしいが、「逃がさない。」 の意味合いの方が強かったのではとの勘ぐりが私からは強い。



10/28 どちらにしても、明日は山に行けない。ショボン!



10/27 まだ一週間も経たないのに膝痛が不安で仕方がない。「もう歩けないかもしれない。」 「歩けたとしても、仲間と一緒する事が出来ないかもしれない。」 などと、次から次へと悪い事ばかり連想してしまう。「いつかは歩けなくなるのだから、ちょっとばかり早くなっただけ・・」 なのかもしれないが、当人としては、そんな穏やかな事ではない。

 それでも、「そっと歩いて見たい。」 「どれだけ歩けるか試して見たい。」 「降りは心配だが・・」 など、歩く事なしでは、我が人生が成り立たないから、いや否定しているようなものだから。明後日は、車も時間も思うようにならないが、それでも何とか坂道を歩く工夫をしなくては・・・



10/26 今日はムコ殿もやって来た。(2泊3日の予定)2人暮らしが、3倍の6人になるのであるから、俄然賑やかになった。そして、たくさん飲んでしまった。



10/25 2日前から、娘と孫がやって来ている。賑やかで大変結構なのであるが、休日の使い方になるとあまり面白くない。だから、「娘や孫がやって来ている時ぐらい・・」 などと言う「山ノ神」の顔をまともに見られない。

 「まだ寝ている間に、行って来るというのはダメ?」 と小さな声でお伺いを立てると、「そんな足で何を言っているのか・・」 と一喝である。「でも、歩けるのだけれどなぁ~。」 しかし、蹲踞(座る姿勢)は、確かに辛いし、停止からの動きはぎこちない。そして、咄嗟の動きには不安が残る事は間違いない。ならば、その次の休日に焦点を合わせるしかないか・・・



10/24 「眠れた。」 気持ち良く眠れた。膝の痛みも半減したように思う。元々筋肉痛はなかったので膝が治ればどうって事はない。膝の骨が尖っているから、長く歩くと可笑しくなるのかもしれない。壊れるかもしれない私の膝を、「ガラスの膝」 と称し、警戒しながら悩んでいた。

 若い頃は、降る一方の山がないものかと思っていたが、今では反対に、登るだけの山がないものかと思ってしまう。飛んだり跳ねたり出来なくなってしまったのだから、自分の体力に合った山歩きをしなければならないと改めて思っている。悔しいけれど、「速く歩くだけが山歩きではない。」 と言い聞かせながら・・・  まだ膝は完全に壊れていない。(素人判断ながら・・)



10/23 一昨日に続き昨夜も眠れなかった。仰向きになっても横になってもダメだった。「痛い。」 「痛い。」の合間に眠っているのであろうが、自分の感覚では眠れていないのである。普通に歩いているつもりでも、引き摺っているのが歪めないようであるし、一旦動きを止めると、次の動きがぎこちない。横への動きに違和感もある。

 「使い過ぎたから・・」 などと言われても、何処へでも連れて行ってくれたこの足と、別れるわけにはいかない。「歳を重ねると衰えていくもの。」 だと思っていても、「まだ、こんなハズでない。」 としか思えない。「疲れだった。」 と、笑えるようになりたい。



10/22 夜中も何となく可笑しく、夢なのか、それとも寝られなかったのか、よく分からない床の中となった。「もう山歩きが出来ないのか?」 と思うくらい足を引き摺っていたが、「山の事は山で・・・」 などと勝手な言い分で、金剛堂山に向かった。

 「今一度確かめに・・」 そして、「リハビリなんだ!」 などと自分に言い聞かせての歩きであった。のぼりくだり3時間10分、2時間20分なのであるから、一般登山者と、そんなに遜色はない。ましてや、写真を撮るのに何度も立ち止まっているのだから・・・

 でも、それは、皆自分よりの思いであり、前途は暗い。同行してくれた「山ノ神」には、どう映ったのであろうか? 「山に登れなかったら、半分死んだようなもの・・・」 などと、言い続けて来ただけに、「山ノ神」 も、そうそう引導を渡さないと思うのであるが・・・・



10/21 ピーカンを予想していた大猫山は、剱岳は雲の中。でも、久し振りだっただけに3時間余のタイムに頗る満足。猫又山への稜線歩きになると、だんだんと剱岳の雄姿が拝む事が出来、周さん感激の連続。

 どれだけいても飽きる事のない猫又山頂周辺に別れを告げ、ブナクラ峠への降りとなったが、段々となる急降下に、以前から不安視していた右膝がダウンとなる。周さんに迷惑を掛けたが、ブナクラ谷の歩きは何とかなり、明るい内に車へ到達する事が出来た。



10/20 明日は、周さんと大猫山・猫又山に行く事になり、久し振りに「山ノ神」から解放?される。お天気は本当に大丈夫なのだろうかとの心配があるが、そんな事を思っていたら山などへ行っていられない。それなりに頑張って、明るい内に車に戻りたいと思っている。



10/19 「山ノ神」と行き先の選定に苦慮しているところへ、周さんから声が掛かった。大猫山・猫又山を候補にあげると、「山ノ神」の声が萎んできた。でも、車を明け渡せば、久し振りの山に行ける事になる。もう少し話を詰めてみよう。



10/18 明日から、eiko女史の個展(パステル画展)が吉峰で始まる。「癒しのアートボックス:悠久」 と題しての力作が並ぶようである。個人的にも楽しみなのであるが、山に出掛けたら、時間的に間に合うのだろうかと、ちょっと心配でもある。

 初めて立山町・吉峰に行かれる方は、ちょっと分かりにくいかもしれないが、当HP 「山の情報」 を、参考にされるといいかもしれない。



10/17 黒岩山の帰路、ヒスイ峡を経由して、148号線に出るところを、高浪の池方面に向かってしまった。真っ暗な夜道で、そこまで来てしまったら、148号線には、どちらから行っても差程変わらぬ距離であった。

 戻るのもなんだと思い周遊するコースとしたのであるが、これがなんと、サファリーパークにでも行ったかのようになってしまったのである。ライトの先に、キツネやタヌキなどの小動物には差程驚きもしなかったのであるが、熊を照らし出した時は一瞬ドキリとした。それも3頭であるから尚更である。

 この時は、流石に車を駐めて写真などとは思わなかった。でも、安全な所まで行ってしまうと、「ありゃ、撮ればよかった。」 といい加減な事を思ってしまう。これで、熊との遭遇は10回目となったが、車だから良かったのである。



10/16 このところ何だか変だ! 「落石があった!」 中俣新道の最初は急登である。その鎖場の所。特別難しい所でもなく、私が先頭で、茂ちゃんが続いた。その後方に「山ノ神」である。茂ちゃんが、「落石!」 と叫んだ。後を振り返ると、バレーボールかバスケットボールのような石(岩)が、バウンドして落ちていくが、「山ノ神」が真下にいたのである。

 瞬時の事であるから、「ありゃ!」 と言ったのか、「逃げろ!」 と言ったのか覚えていない。大きなブナの木があったから、「隠れろ!」 と言ったかもしれないし、もしかしたら、言葉になっていなかったかもしれない。実際、「山ノ神」は、ブナの木を楯にしたかに見えたが、左腕を襲ってしまった。

 「大丈夫か?」 と駆け寄ってみたが、二の腕に2ヶ所の傷があった。「山ノ神」は、「大丈夫だ。」 と言ったので登高を続けた。「山ノ神」曰く、「かすっていった。」のだそうだ。今は、その打撲痕は痛々しいが、生活に支障はない。

 でも、あの石は、何処から落ちたのであろうか? 自然発生的に起こったのであろうか? それとも、私が歩いた事で、何かが作用したのであろうか分からない。ぐらっとした事などなかったのに・・・ でも、私から見て、前方からではなく、後方から落下した事には違いない。

 急登・岩場・鎖場などが嫌いな「山ノ神」は、最初から嫌がっていた事は事実である。私は、簡単なルートだとしか思っていなかったが、歳を重ねる毎に、その思いや感じ方が変わっていくのかもしれない。



10/15 小滝川沿いの林道歩き、そして、中俣新道からの黒岩山は遠かったようである。ましてや、紅葉の時期だけに、夜が明けるのが遅ければ、日が暮れるのも早いのであるから・・・・

 新潟県下越地方より北の方に、前線の影響があるかと思っていたが、こちらは、お天気が約束されたように臨んだ黒岩山である。しかし、山頂に近付くにつれて雲行きが怪しくなっていった。

 「夏はね、稜線に出てから、どっと流れる水に、ミズバショウの群落があり、雲上の楽園と言われているんだ。紅葉も何処にも負けないくらいに素晴らしい。」 などと、近所の茂ちゃんを辛い目に遭わせてまで、山頂まで導いたのに、何も見えない真っ白な山頂であった。

 「山の天気は分からないから、そう落胆する事もない。」 と言った途端に、さ~っと、ガスが切れた。陽も差した。と歓声を上げていたら、またガスに覆われてしまった。そんな模様が何回となく繰り返されたが、時間にして20分もあったであろうか、後は戻らなかった。

 しかし、その展開に、茂ちゃんは、身震いしているかのように感激していたようであった。こちらも、「良かった!」である。簡単な食事の後、私は、空身で黒岩平まで足を延ばしたが、「行って来た。」 だけの行程となったが、私としては、それなりの満ちた物になったように思っている。

 午前6時に歩き始め、暗くなった午後6時10分前、ゲートに戻って来たのであるから、12時間充分に遊んだ事になり、達成感も重なった。そんな事が出来るだけで私は幸せものである。

 

10/14 お天気の予報であったが、何だか一日中、「曇りがち」 のようであった。明日は、大丈夫なのかと思うのであるが、予報はバッチリである。それを信じて、4年ぶりに栂海新道の一点を狙って見る。



10/13 近所の茂ちゃんから、「山に行きたい。」 とのリクエストあり。今のところ、明後日のお天気は良いようである。ならば、ご一緒しようとなったのですが、「何せ、○○○心と秋の空」 の例えがあり、その日になって見なければ何とも言えない。少々の雨でも出掛ける私達と違うから、「お天気だったら行こう。」 とした。



10/12 特別な事はない。10日後ほどに娘達がやって来るという事くらいである。2週間の滞在予定であるから、何回山行が潰れるのかを心配している可笑しな親である。

 今夕、親友の細君を見舞った。術後4日目であったが、意外と元気であった。腹痛の症状で近くの医院の診断では盲腸ではなく、胃炎ではとの事。何日か後、回復せず、胃腸科の医院に行ったそうだ。どうも盲腸のようだから、すぐに総合病院の外科へ行くよう指示されたようであった。必ずしも診断が正しくなかったようであったが、閉塞が伴っており、時間的な幸運も手伝い結果オーライらしかった。

 彼女は、以前、帯状疱疹を患った事があった。身体の異常を感じ、何度も同じ総合病院を訪れていたが、その疱疹が耳の中であったために、なかなか、その病を見付けてもらえず、大きな後遺症に悩まされる結果になった。でも、今度はラッキーだったようだから、早く快復して元の姿になって欲しいものだ。



10/11 次行く山を模索する中、「山ノ神」との駆け引きが続いている。無言ながらでも、長年の経験則からである。山友に進んで声掛けをしていなければ、声も掛からない状態を良い事にして、「山ノ神」のペースで我が家は進んでいる。「それもいいかな!」の思いはないではないが、やはり何だか寂しくなってくる。

 大猫山へは、簡単に50回くらい行けるかと思っていたら、昨年は1回だけ、今年に至ってはゼロで、通算32回で止まっている。ブナクラ周辺の山々で、大猫山と猫又山は私のお気に入りの山でもある。

 今年は、何としてでも行かなければ、それが当たり前になってしまうような気がする。まだまだ、その辺の山には行けるという事を明らかにしておかないと、この先が危うい。とりあえず、ここ1~2週間の内に行かなければ・・・



10/10 電気温水器・乾燥機・電子レンジ・電気ポット・トイレの便座など、次から次へと起こる故障に頭を悩ませている。そう言えば、我が家も、あと3~4年で築50年になる。何とか大修理にならず、私の寿命まで持って欲しいと願うしかない。

 ネタがなくなると、話題はどうしても暗くなるような気がする。鏡平・弓折岳から戻った一昨日、親友の細君が大腸ガンだという連絡が入った。「10歳も若いのに・・」 と思ったが、こればかりは年齢と関係ないようだ。昨日、手術が行われているハズなのだが、祈るような気持でいる。

 そんな事を思えば、「ああやこうや」 と言いながらも、山歩きを出来る私達は幸せなのかもしれない。他人様の事を妬まず、今こうして元気でいる事に感謝しなければいけない。



10/9 昨日の快調さが今日も続いているのか、「山ノ神」は、いつもほど身体の異常を訴えなかった。歩き易い小池新道は、少々割り引かなければいけないが、「山ノ神」としては、ちょっとハードな山行が続いていた。それが奏功し、そのような足腰になったのなら、そんなによい事などない。

 しかし、それは、高い段差や、切れ落ちている登山道、また、岩場とは言われないようであっても、大きな岩や石がある所などの恐怖心は変わらないようである。臆病であっても、山嫌いとは別ものらしく、「そんなのが無い所へ行こう。」 と言うが、そんな山は殆ど無い。

 「あんたの邪魔をしに来ている。」と言っていたが、この頃は、「ちょっぴり自由にしてあげようか・・」 とまで言ってくれるようになってきたが、「2週間も続いたらイヤだ。」 とか、「車を置いていけ!」 などと、ハードルは高く、まだまだ解放とまでいかない。

 そしてまた、そういう雰囲気・感じに慣れてしまった身体が、元に戻すには、相当の時間が掛かるし、私だって怖いのはダメになってしまった。無理も利かなくなった事は事実である。



10/8 意外な程 「山ノ神」が快調で、4時間余で鏡平に着く事が出来た。「ならば弓折岳まで・・」 と言うと「山ノ神」が、サイドブレーキを引いたかのように動きが悪くなった。「ビールの飲む時間がなくなる。」 というのであろうか、仕方なく別行動となる。

 稜線は稜線で、山頂は山頂の味がある。すーっと、通り抜ける風も心地よい。一層高い所から眺める槍ヶ岳も、それなりの風格を感じるものである。丁度、正午に槍の穂先に雲が掛かった。

 鏡平に戻るタイムリミットとしては絶妙のタイミングであった。小走りに登山道を駈け降りたら、予想通り、持参した缶ビールを飲み終え、ジョッキーを片手に頗る満足顔で私を迎えてくれた。これも山の喜びなのかもしれない。

 「山ノ神」は、下山時も好調であった。時々、シャッターを切るなどの動作をしていると、追いつけないほどであった。小池新道は、普通の山道と違い、整いすぎるくらいに登山道が整備されているからに他ならない。

 「他の登山者を抜くとは気持ちの良いものだね。」 思いも寄らぬ「山ノ神」の弁。夜道を歩くどころか、神岡周辺に至るまで陽は落ちなかった。



10/7 何だかお天気が優れないが、どうも北陸の海沿いにだけ雲が掛かっているような気がする。でも、明日の予報を信じての行動となるが、「山ノ神」は、相変わらずブナクラ周辺の山に拒否反応を示す。

 では、「何処へ・・」 と尋ねると、白馬大池だという。本人は、この時期に出掛けた事がないからの理由付けをしたが、私は、山頂まで行くのなら、(蓮華温泉から)と言ってはみたが、この時期の二人では、到底山頂まで行くことが出来ず、行けても、またまた暗い夜道を長く歩かなければならなくなるのがオチだ。

 そこで、鏡平を提案す。この提案も不安を残すが、暗くなっても、最後は林道歩きだから、何とかなるような気がする。「山ノ神」の荷を、なるべく少なくして臨むが、「弓折岳まで行きたい。」 と、また欲の皮が突っ張りだした。



10/6 今週は、アクシデントの関係上、一日余計に山に関わった事になった。従って、次行く山の予定がすぐに来る。(中4日になった。) 晴れて、ある程度の標高があれば、何処だって萌えているような気がする。そんな中で、一日を過ごされれば、GOODなのだが・・・・



10/5 一般に使われているのは、屋根型のツエルトですが、私のは、箱形というのか四角くて古いものでした。二度ほど使った事があったのですが、使い勝手は、あまり良いとは言えず、まあ~、非常時は頭から被って、風雨や寒さを凌げば良いと思っていました。

 今までは、昼食時に、雨や雪を凌ぐ程度の使い方であったわけで、イザ長い夜を過ごすにあたっては、いろいろと考えさせられました。頭から被ってしまえば、温かくていいのですが、結露が発生しました。また、背もたれもない所で、座っているわけですから、背中や腰が痛く(だるく)なりました。

 寝るにあたっては、幸い、時々小雨程度であったし、水しぶきくらいでしたから、地面が冷たいだけで、グチャグチャになる事はなく、リックをマット代わりにしました。元々、日帰りでも、大きめのリックを担いでいるものですから、60~70㎝位の長さがあります。

 でも、私の身長では、お尻がリックから、はみ出てしまいます。雨具を着ているといっても、時間の経過と共に冷たくなっていきました。 そこで、枕にしていた雨蓋も、マット代わりにすれば、はみ出る事が解消出来ました。後は、枕ですが、それは、いろいろな持ち物で考えられるでしょう。

 今度は、リックの中に入っている物をどう調節するかでした。燃料のガスやコンロのようにゴツゴツして痛い物、食材やペットボトルなど潰れたら困る物、そして、カメラや通信機器のような外に出して濡れたら困る物などを、水を通さない袋に入れておかなければなりませぬ。

 そうすることにおいて(頭・背中・尻が落ち着く)、休む事が出来るような気がします。でも、私は、眠る事が出来ず、半分以上の時間をツエルトの外にいました。元来、非常時のツエルト使用とは、命を救うもので、快適とか眠れないとかはどうでもいいのです。少々寒くても眠れなくても、死ぬ事はありませんから・・・

 そして、「平でない。」 「張り綱も張れない。」 「虫だっている。」 というような事の方が多いと思いますが・・・ でも、こんな事にならないように、慎重すぎるくらいになるよう心掛ける。そして、昨日も述べましたように、「訓練以上の事は出来ない。」 を肝に銘じておかなければいけないようです。それは、ロートルも若き者など、関係ないような気がしてなりません。



10/4 昨日は、一睡も出来なかったが、何とか午前10時過ぎに店を開ける事が出来た。2~3人のの方に迷惑を掛けたようであったが、「帰れなかった。」 「ちょっとハプニングがあって・・」 などと、平謝りをするしかなかった。一日中睡魔との戦いであったが、座らないで何かをする事で紛らわした。

 「今日は、一杯飲んで早めに寝よう。」 と思っていたのだが、それこそ、ちょっと余計に飲んだからなのだろうか、そのまま寝てしまったようであった。午後8時過ぎの夕食だったのに、目を覚ましたら、午前0時を回っていた。後から、「山ノ神」に聞いてみると、椅子にすわったまま、反り返って寝てしまったようである。

 失敗が幾つも重なった。今振り返って見ると、平静を装っていてもかなりパニックになっていたように思う。地図を読み違えているのに、GPSを頼りにして、往路の軌跡へ辿り着こうとした事である。木々・笹にしがみつきながら、50分60m登った軌跡がある。戻るのに40分。急勾配である。

 そこから、もし計画通りに進んで、長いトラバースを凌いでおれば、麻平~天狗堂への登山道に出たのであるが、「山ノ神」はもうヘトヘトであった。「戻ろうか?」 も、真っ暗で大変であったが、少し安堵した感じであった。 正規の登山道でさえ見失うのであるから、急斜面のヤブ中なんか、行けるハズがなかったかもしれない。それこそ滑落し、遭難の烙印を押されていたかもしれない。

 今回の騒動で一つだけ勉強になった事があった。沢を渡る時、「山ノ神」は、石から石を飛ぶ事を拒んだため、私が流れの中に入って確保した。その事もあり靴・靴下が濡れてしまった。寒い夜を過ごさなければならないのである。「山ノ神」は、余分に軍手を持参していた。軍手を靴下代わりにして履いた。これが結構良かった。

 以前靴下を忘れた事があった。その時、福井の宮ちゃんから、軍手を履く事を教わっていた。登山を中止にする事を免れたのである。そのような事を「山ノ神」は、想像していたかどうかは分からないが、たぶん自分の為の予備であったのであろう。

 今回は、秋口の急な冷え込みの備えはしておいたが、まさか、あんな所でビバークをするとは思ってもみなかった。facebookを通じて大和氏から、積極的なビバークの訓練の助言を受けた。その通りかもしれない、以前、何処かの首長が、「訓練以上の事は出来ない。」 と言われた事が、心の何処かに残っているが間違いない。



10/3 「一睡も出来なかった。」 が正直なところ。雨具を着、リックを敷き、ゴミ袋巻きをしても寒かった。私は、殆どツエルトの外にいた。食は万が一の為になるべく控えたが、電池などの予備は充分すぎるくらい持参していたから、元に戻る事も視野にいれていた。

 明るくなったら、地図を読み返し、GPSを確かめる。また偵察に出掛けなければだけを考えていた。何もかもは明るくなってからであった。  よくみれば、川沿いに大きな標識があり、矢印もはっきり付いている。「良かった。」 と胸を撫で下ろしたが、もし、前日に見付ける事が出来、ヘッデンを頼りに歩いていたら、どうなっていたかである。

 眠い目をしての運転は大変であったが、「仕事の穴」 を、半日だけで食い止められて良かったである。20数年前、子供達を連れて黄金清水まで来た事があったが、記憶が覚束ないのか、様変わりしたのか、自分の想像と全く違っていた。



10/2 妙高山は雨であった。と言っても、小雨で、後は曇りがちであった。このようなお天気であったからか、新潟山岳会の若い4名パーティーだけであった。一年一年、体力が落ちていくとは言え、「山ノ神」のペースが上がらない。コースタイムのやがて1時間オーバーである。「休憩時間を足せば、それくらいは当たり前。」 なのであるが・・・・

 段差のある登りや鎖場には特に難儀している。それなのに、下山路を予定していなかった燕新道にしたものでハプニングを起こしてしまった。元々、登山口発が遅かった。そして、山頂発も遅かった。大倉沢を徒渉した時点で、日没になってしまったのである。

 そして、その辺の地形を掌握していなかった事もあり、尚更窮地に追い込まれてしまったのである。道がないのである。(大きな標識があったのに・・)そして、とんでもないところを登ろうとしたのである。標高差300mの切り立った壁である。でも、登り切れず河原に戻った。

 ビバークする事にしたが、いつもより食材を少なく楽しむ事が出来なかった。「山ノ神」は、インナー用のダウン、私はウインドブレーカーを持っていた。もちろんツエルトはあったが、ボックス調のものであって、使い勝手があまりよくない。そして、時々小雨。

 ヘッドランプを灯して、急斜面のヤブ壁でも、熊の事が気になった。河原に降りても落石と熊が気になった。私達は初めてのビバークであったが、時間がとても長かった。唯、時間が経つのを待つだけであったが、なかなか時計は進まなかった。



10/1 10月1回目の連休は、「紅葉を見ながら、ゆっくりキャンプ。」 と白馬大池・雷鳥沢辺りを候補に上げていたのであるが、折からの台風でいっぺんに志気が落ち、危うい事に、歩く事さえボツになりそうな雰囲気であった。

 しかし、ならばと、我が高岡の二上山行きとなったのであるが、ぬかるみはイヤで万葉ラインを歩く事とした。そして、車を使わずスニーカー履きであったが、やはり、コーヒーぐらいはから始まって、腹の足しになる物などと、お互いのサブザックは一杯になった。

 我が家から我が家に戻って来る距離は、19・2キ。内、お昼を過ぎていた事もあり、広小路~新守山間はバスを利用。それでも15キロくらい歩いた事になる。城山で1時間を食事にあてた事を含め5時間半の行程であった。