12/31 ようやく、まともに息子と顔を合わせる事が出来た。昨年末は、娘家族が一緒であったから、息子と大晦日からお正月を迎えるのは何年ぶりなのだろうか? しかし、何だか飲み疲れたのであろうか元気が無いように思える。それでも、二人だけで迎える年末より嬉しいのは間違いない。今年もこうして終わった。欲を掲げてもしょうがない。良しとしよう。



12/30 昨夕、帰省するハズの息子は、高岡駅に着いたと思ったら、友人に連れられて富山に行ってしまったらしい。今夕、大きな荷を持ってやって来たと思ったら、またもや、何処かへ行ってしまった。今夜も、我が家へ戻るのかどうか疑わしい。

 あの頃の自分はどうだったか、年末年始は、毎日のように、何処かへ出掛けていたような気がする。また、修行のため京都に出掛けていた頃も、帰省時には、親の気も知らないで、息子と同じように跳び回っていたのかもしれない。

 最も、「私の休日には、戻ってくるな!」 と親らしくない事を言っているのだから、子供達の行動に文句が言えないような気がする。ましてや、日頃から他人様には、「子供は、親戚の人のようなもの。」 と呟いているだけに、しっぺ返しなのかもしれない。でも、明日は、一緒に飲めるらしい。



12/29 懇意にしてもらっているN氏に、「新しいカメラを買ったから、古いカメラを使ってみないか?」 と言われた。もちろんデジカメであるが、レンズは旧一眼レフの物である。私の日頃の発言もあって、「まだ買っていないのなら・・」 からの思いやりである。

 でも、ようやく、一眼レフを諦めて、最近も安価なコンパクトデジカメを買ったところであった。今年に入って2台もである。今回のN氏の心遣いは、私の心を、またしても擽るようなものである。何事においても奥を深めるという事は難しく、それを悟ったところであったし、しかも重たい、そして、歩きながら撮れない。など私の山行には向かないのかもしれない。

 でもである。何でもやってみたいのは確か。コンパクトフラッシュを買って試してだけみるか? しかし、譲ってもらうとしても、金欠病の私にしてみればちょっと辛い。山用具を、まだまだ買い揃えなければならないだけに・・・



12/28 また若き命を失った。中学時代からの友人H君の妻君(61歳)である。5年前から発症していたというから正に寝耳に水であった。でも、例え知っていたとしても、何もしてあげられなかったのだろうが、彼の心中を察するに忍び難かった。冥福を祈りたい。

 ようやく年賀状を書き上げて、夕方にポストに投函してきた。やっと重荷を下ろした感じである。年賀状にはいろいろな意見があるが、私はそれなりの意義があると思っている。「自己ピーアール の一枚」 「消息の確認」 「願を認めた一枚」 「作品発表の場」 など人様々である。一枚50円、一年50円である。纏まれば、それなりの金額になるが、惜しまないでと思う。



12/27 シンクの止水栓が壊れた。ちょっとグラグラしていると思ってのに、「部品がない。」「裏側の土台がボロボロだ。」 と言われて取り替えとなった。ここ2~3ヶ月洗濯機・電子レンジ、電気ポット・トイレの便座など次から次である。

 昨年のIHヒーター・エアコンなどからの続きであるだけに、人に例えれば動脈硬化のようなもの。でも、まだまだある。家本体も危ういし温水器もである。末期ガン的なのかもしれない。憂鬱であるが。そう思い悩んでいても何の解決にもならない。

 忘れるが得。笑うは大徳である。怒っても何にもならない。抗癌剤などいらない。動脈硬化やガンのような家の状態と仲良く暮らし、多臓器不全となろうが、生きる道は無いこともなかろう。。



12/26 今日も早めに起きて年賀状をやろうと思っていたが、外に出てみると雪が積もっており、予定外の除雪作業となる。我が家は、前も横も後も、いわゆる周り中、除雪せねばならず、半日を要する事もある。しかし、今回の雪質は軽く、思ったより捗り胸を撫で下ろした。でも、一日中降っていたので、3回も除雪しなければならなかった。

 450枚の年賀状は、以前停滞気味で、あと40%である。「考えてみれば、あまり意味のない事をしているのかもしれない。」 と思うようになった時が危ない。



12/25 毎度の事ながら、年末に来てドタバタしている。ワンパターンとした年賀状であるが、コメント付きにしているため、進捗率は現在40%。早起きしてやっているのであるが、晩酌をすると、夜の部が些か手ぬるい。28日まで出来るのであろうか・・・



12/24 大荒れを覚悟していたのですが、起きてみれば積雪0cm。ちょっと拍子抜けの感があったのですが、小杉町青井谷、359号線、八尾町、笹津に行くに従い雪量が増え、猿倉の駐車場に辿り着くには相当の覚悟がいった次第です。

 盟友の北ちゃんが急用、また田村氏は除雪のために不参加と、次々と戦線から離脱され、どうしたものかと思っていたのですが、岩城君が決死覚悟で参加、しかも、強力な助っ人を連れて来てくれたのでした。その人は堀君。

 1mを超える深雪に、2人には疲れというものを感じないのでしょうか、「待って!」 というまで、ドンドンと進んで行くのです。最も彼らは、私より20歳以上若いのですから当たり前と言えば当たり前です。

 今日は振替休日ですから、我々のラッセルを辿って、誰か登って来るかと思ったのですが、このような大雪にくるような変人は見当たらず、山頂避難小屋は我々だけの別天地となったのでした。

 氷点下の避難小屋でも、山談義で盛り上がり、2時間があっという間に過ぎてしまったのでした。若手の2人は、唯の下山路では物足りず、トレースを避け、次から次へと深雪を掻き分けて行くのですから脱帽しきりでした。



12/23 明日は間違いなく雪。それも大雪との予報。しかし、今日も雪予報であったが、全く降らなかった。西高東低の強い冬型なのだそうだが、明日にならなければ分からない。そんな中、先週行けなかった小佐波御前山に行く事になった。雪予報、そして、時間的にも妥当な選択である。

 明日は、私にとって、今年最後の山行である。そして、「好山病・・」有志との山行となるが、本当に久し振りなのである。降ろうが降らまいが、楽しみである。振替休日でもあるし、違った顔が見られるかもしれない。



12/22 「愉快な仲間」の今年度中の更新は、ちょっと無理のようです。未だに年賀状には、全く手が着いておらず、これからなのですから・・・ 勝手に「仲間」にして、無許可(でも暗黙の了承)で載せていたのですから、これからは、ちょっと考えなくとはと思っています。

 でもね!独り善がりですが、コラム欄(戯言・呟き・・)を含め、喜んでもらった事もあるし、「まだ載っていない。」 「物足りない。」 と言われた事も事実でした。クレームを付けられた事はないのですが、「勝手に載せられた。」 「しょうがないや!」と思われていた方もあったのではないかと思っています。でもね!画像では、結構 「気を使っていたのですよ。」 一番良いと思われる画像を選んで載せているつもりでしたから・・・

 年賀状作業が終われば年度内にでも、ダメなら、来春からなのですが、やっぱり何か少しでも変わっていないと面白くないし、「弱った!」 老化している頭で考えつくのでしょうか?



12/21 我が家の小さなDK横(前)に小さな庭がある。庭と言っても、1~2坪の箱庭のようなものであるが、バラともみじと南天が植えられている。その南天の実を食べに来るのか、小鳥が結構やって来る。小さな生き物は、何となく可愛いもので、すぐにエサをやりたくなる。でも、あちら様は、ちょっとの音にも敏感で、すぐにでも逃げて行く。

 何でも可愛がれば良いというものでもないらしい。過去の話であるが、縁の下からネコの鳴き声が聞こえてきた。どこから来たのか3匹の子猫が生まれていた。可愛さから、ねぐらを作ってやったりしたが、家の中には入れなかった。でも、すぐに大きくなるし、よそ様の家に迷惑を掛ける事が生じ始め、ネコ好きの方にあげてしまった。生き物は本当に難しい。「山ノ神」も、私の事を、そう思っているのかもしれない。



12/20 ネットの世界になっても、手紙・ハガキの類はいいものである。と言っても私は、PCを頼っての文章になってしまうが・・・・ しかし、もらうとなると、手書きの文字から人間性を感じる事が多い。「あんたも、そうすればいいのに・・・」 であるが、ゆっくりと書かない所為もあるが、最後になると踊ったような文字になってしまうから、今はそれをやっていない。

 そんな中、自分の書き損じと言うのであろうか、途中で止めた手紙やハガキ、そして、未投函のものまで出て来た。正義や改革を論じたもの、熱く燃えた青春や悲しい恋の物語的なものなど、読み返すと、再び熱くなったり、苦笑せざるものまである。もちろん、もらった便りは殆ど残している。

 そのような事を思うと、やっぱり年賀状も、その類にしなければとなる。手書きにならなくとも、せめて「何か一言コメントを・・」である。全て、独り善がりであるが、「ぶれない。」というのか、信念とでも言わなければならないのか、拘りをもってやり通さなければ・・・



12/19 今年も残り少なくなった。山行日も後一日である。来年の抱負・計画などと言われても応えようがない。行きたい山は、なんぼでもある。何度でも行きたい山もたくさんある。しかし、遠い話は出来ない。来月とか、再来月とかは何とかなっても、その先の事は全く分からない。

 だから、何年先に事を、心配しなくてもよいという事を、最近ようやく自覚する事が出来るようになって来た。過ごしてきた人生が、思う通りになったかという事を重ね合わせたなら、この先の事も恐らく思い通りにいかないという事なのであろう。ならば、思い悩む事などない。という方程式になるのか、それは分からないが、他人様のイヤな事をせず言わずにおれば大体上手くいくような気がする。



12/18 「なんぼなんでも、そろそろ年賀状の作成に掛からなくては・・・」 まだ図案も出来ていないのであるが、残量が乏しくなったプリンターのインクを買いに、家電量販店に出掛けてみたが、2軒とも私のプリンターに対応するインクがなかった。DIYに行っても、あるかないか分からないと思って行かなかった。

 今のプリンターは5年前に買ったもの。店員の勧めで5年保証に入ったが、後から、「5年など持つはずがない。」 そして、「プリンターはインクの方が高い。」 などと後悔していた。ところが保証が切れる寸前に、ペーパーの根詰まりを起こした事があり、その修理代が掛からず良かったと思った事もあったが・・・。

 もう少し、丁寧に探せば何処かの店にあるのかもしれないが、何となく切れてしまい、ネットで探してしまった。互換性インクと称するものに出くわしてしまったが価格は半値。でも、過去にその類のインクを買って、苦い思いをした事もあり、慎重にならざるを得なかった。

 しかし、ここで何も手招いてばかりもおれないから、注文をしてしまった。安いか高いかは分からないし、上手くいくかどうかも分からないが、取りあえずやるしかない。今年も、こうして、ギリギリの作業になってしまった。



12/17 今日は、Tさんの葬儀のため「好山病・・」有志との山行をキャンセルした。私とは、血は繋がっていないとは言え、義理の叔母にあたる姉、そして、甥や姪がやって来ているのであるから、葬儀の前、また、葬儀後に、簡単な山であっても行けるものではない。

 Tさんは、定年まで大手運輸会社に勤め、信望が厚かったからであろうが大勢の参列者を見た。私の姉や甥・姪(従兄弟)が来高する度に、いろいろ面倒をみてくれた人であった。また、お互い独身時代であったが、一度だけデート?をした事があっただけに、尚更悲しく感じられた。

 金剛堂山から下山して、姉達(埼玉と東京)を送るまでの24時間は、結構忙しかった。でも、山に行かぬ日としては、充実した一日であったように感じている。そして、なかなか会えない姉と直近の2週間で、二度も会った事になった。でも、姪夫婦と、もう少し時間を持って接してやりたかったと悔いが残っている。



12/16 始めから雨。それどころか、道中から雨であった。我々は当然のように準備を進めていたが、山を知り尽くしておられるタキ親分らは、「後から行くよ・・」 と静観の構えであった。また、「奴らは雨の中・・・などと、小佐波御前山を目指すハレルヤ一行に笑われているかもしれないね。」 と言いながら、今回は、雪に覆われた林道を歩き栃谷登山口から取り付いた。

 この時期特有のブッシュが煩かったが、1キロ1時間弱程のペース、そして、休憩を加味し、笑いを入れながら楽しく歩いた。何時間経った頃だろうか、後続に大部隊が現れた。高岡ハイキングクラブ20数名であった。その中に、何人かの知り合いもあったが、我々は、当初からの目的地である栃谷から4キロ地点で食事処を構えた。

 アルコールは、「山ノ神」の点滴一本だけであるが、暖かくなった部屋?の中では、何を食しても美味しい。また会話も弾む。私などは、口が出せないほどであった。山頂から降りて来られた高岡ハイキングクラブの中には、このような事が珍しく思えたのか、それとも、山頂でゆっくりする事が出来なかったのか、結構声を掛けてもらった。

 下山は、時々陽が差し、ガスが晴れる時があった。「きれいだね!」 と足を止めては声を上げた。そして、栃谷登山口に降りず、直接スキー場駐車場を目指した。本格的にスノーシューを履くのは初めてとあって、所々に大きな穴をあけてしまったが、それも愛嬌というものであろう。

 山から降りてしまえば、後は、通夜が行われるセレモニーホールを目指して車を走らせた。



12/15 午後10時半。まだ雨が降り続いている。明日はハレルヤ山行の日。それを外して、他の有志と金剛堂山に臨む。雪量が多くなければ、この時期でも何ら問題もないのであるが、一度降ると、日照時間が短いだけに、なかなか山頂に届かない。

 それでも、可能性を求めて奮い立たせようとしている。それが、途中で終わっても何の文句もない。青空の中に樹氷などの構図は望めないのであろうか?いつも、山から降りる頃に晴れてくる。明日も、その可能性の方が高い。でも、登らなくては・・・・



12/14 訃報が届いた。胃がんと聞いて、術後に見舞に行って間もないのに、命を落とされたTさんは、私より2歳若いステキな女性であった。義兄の姪に当たる人で、私の姉を、とても大事にしてくれた人である。そのTさんの兄(私と同い年)も、丁度一年前に急死されている。私と直接血の繋がりがない人達であったが、結構ウマが合い仲良くさせてもらっていた。

 それにしても、私の周りにガンになる人が多い。ガン・脳卒中・心臓病の三大病が死因の大方を締めているらしいが、ガンがとても目立つように思う。医者嫌いの私も、もしかしたら、ガンという恐ろしい病気に、侵されているのかもしれないが考えたくもない。これで、日曜・月曜の山行も見直しを迫られそうである。



12/13 今日は、とても良いお天気で、山がすっきりと見えたらしい。こんな日に、山へ行けたらどんなにかいいのであるが・・・ ここ2~3日、県内ではないが、遭難のニュースが大きく報道されていた。私の行ける山は、それ程難度の高いところではないが、充分に気を付けなければいけないと思っている。

 過日、中国の万里の長城でも遭難事故が起きた。その時、助かったのは射水市の女性と伺っている。助かるのは、若い人→女性→雪国の人(北国の人)のような気がする。雪山に登る時は、ツエルトの他にシャベルは必須アイテム。



12/12 最近の当欄の欠如、また、その内容からか、元気がないように見えるらしい。「それはそうだよ!」 先週は、山に行けなかったし、今週は、標高274mの二上山なのだから、山しかない私は、落ち込んでいるのは確か。

 でも、私には、たくさんの目標があり夢がある。病んでいられないし、萎んだ心でいられない。「あれもしたい。」 「あの人に会いたい。」 「もっと親交を深めたい。」 など、それは、言い尽くせないほどである。私は欲張り。まだまだくたばらない。



12/11 これも歳の所為なのか、相槌を求められる事が多くなった。相談を持ち込まれるという大袈裟なものでなく、「そうだね!」 を求められているようである。人の気持ち(心)など本当に弱いもので、どんなに信念を持ってしても、常に揺れてしまう。

 「決めたのなら・・」 「それでいいと思うなら・・」 その通りにやればよい。でも、”ぶれない事” の注文を付けるが、お互い心中穏やかでない。でも、それ以上の言葉が見付からない。過去に、相談を何度となく受けた事がある。しかし、大概の場合、アドバイスと反対の道を進んで行くケースが多かった。「何だったのか・・」 と思った時もあったが、今となって、他人様の心が少しは読めるようになったのだろうか・・・



12/10 いつも起きるのが遅い「山ノ神」を知っていて掛けた言葉がいけなかったのであるが、またまた不穏な空気が流れた。「あんただけ行って来られ!」 の言葉に、以前だったら、何の戸惑いもなく出掛けたのであろうが、「起きろよ!」 とか、「後から後悔するよ!」 また、「何を、いちいち気にしているのか・・」 と辛抱強く言葉を放った。

 何せ、我が家では「山ノ神」が、一番偉いのであるから・・・ もう一つは、「共有の想い出」が、今となっては大事である。それが、例え「山ノ神」 でなくても、同じ想い出を語り合えない事の方が私としては寂しいのである。

 そんな我らは、「少しでも歩きたい。」 と、スノーシューデビューを兼ねて、二上万葉ライン伏木地区八十八箇所からのスタートとなった。積雪は、思ったより少なく30~40cm程度で、ラッセルに苦労する事はなかった。

 雪が舞ったり、陽が差したりしたが、鐘撞き堂・仏舎利塔・大師ヶ岳頂上・二上山頂上を、ぐるりと回った5時間は、乾麺の食事とコーヒーだけであったが、意外と満足するものであった。自宅に戻って、残りの除雪に精出して、またまた忘年会で街に向かった。

 

12/9 高岡市赤祖父21cm、富山市安野屋27cm、八尾町上田池42cm、宇奈月町内山45cm、朝日町蛭谷29cm、魚津市六郎丸29cm、立山町芦峅寺72cm、氷見市朝日丘10cm、砺波市鷹栖17cm、南砺市梨谷80cm、南砺市西赤尾53cm(午後11時現在)

 明日は、何処へ行こうか? 起きてから雪の状態を見て出掛けよう。夕方から忘年会がある事だし、いい加減に戻らなければいけない。無理しないのであるが、やっぱり歩かなければいけない。先週は歩いていないのだから・・・・



12/8 今晩から明後日に掛けて大雪だと言っているが、本当に降る(積もる)のだろうか? でも、今日は、一日中強風が吹き荒れて、外に出るのもイヤになるくらいであった。それとは関係ないのであろうが、何だか身体の様子が変だ!早く寝よう。



12/7 今日も寒かった。この後も雪マークが続くようである。下界(平地)に積もらなく、山だけに降るのなら、そんな結構な事はないのであるが、そんな上手い具合にはならない。あちこちから、雪上で戯れの画像や、雪上山行の計画が届く。もちろん、私のような者にもお誘はある。でも、以前からの独自計画もあるので、それをすり合わせしなくてはならない。



12/6 何もかもが終わった。山にも行かなかった。当欄もサボった。facebookも最近はイヤになって来た。そして、楽だった。でも、こんなのが続くと、ただのジジイになるような気がする。やっぱり山に行かなくては・・・



12/1 今晩から埼玉へ出掛けるので、明日は休業。法要を終えてから、「富山に戻ってすぐ山へ」、また、「東京近郊の山へ」 と思ってみたが、必ずしもお天気と言えないし、姉が、帰りの車に便乗して、「高岡へ来たい。」 と言っているからして、山はほぼ絶望的。仮に、姉が一緒しないとしても、今回は、山ナシにしようかと思っている。

 上信越道にしようか、関越道にしようかと迷うのであるが、30キロ余、時間にして、15分程余計に掛かるかもしれないが、雪の事を思うと、関越道の方が走りやすいかな。でも、すぐに眠たくなる私であるから、どちらもも一緒かもしれない。気を付けて行かなくちゃ!