1/31 「暖か~い。」 明日は、もっと気温が上がるようだ。暖かくお天気なのは良いが、自分の休日に崩れるとなると心は穏やかでない。2月になると陽も長くなるし、これから好きな山に入れると思っていただけに、何だか残念である。一人で、お天気の悪いのに、テントの中で過ごす気にはなれない。どうしたものか・・・・



1/30 PCの調子が戻った。S先生が、どのような魔法を掛けられたのか分からないが、とにかくフリーズしなくなった。何十回どころか分からないくらいに強制終了を繰り返していただけに、寿命を感じていたが、調子が戻ってしまうと、「XPのバックアップが終了するまで。」 と欲が出る。そして、精神的にも楽になった感じがする。



1/29 「山から降りる頃に、お天気が回復してきた。」 「家路に着いてから、お天気になった。」 こんなのは、いつものパターンであるが、あまり気分のいいものではない。そして、その翌日(今日)がお天気で、「山がきれいに見えますな~。」 と聞かされると本当に精神衛生上良くない。

 今月は、お正月休みを入れて10日間の休日があったが、お天気の良かったのは二日だけであった。冬だから仕方がないのであるが、それにしても、巡り合わせが良くないという事なのであろう。一年を通じれば、大体帳尻が合うのであるが、出来れば自分の好きな季節に晴れて欲しものである。

 

1/28 昨夜は、差程良くない予報に、尖山・城ヶ平山・千石城山辺りを候補に上げて床に着いた。目が覚めると余り降っていないし、時々、陽が差したりしていた。どうしようかと思いながら、唯、時間が過ぎて行った。

 今更、高い所や遠い所に行けないし、ガソリンの節約などを理由に、「八乙女山」を提案したが、「山ノ神」は、あまりいい顔をしなかった。「そんなに展望が良くない。」 が、その理由であったが、「降っておれば、何処へ行っても展望もないし、近くだから、早く帰れるじゃない。」 などと説得に掛かった。

 そんなわけで、食事をしながら、「朝の連続ドラマ・純と愛」 を見て、それから出掛けたのであるから、午前9時ちょっと前になった。閑乗寺まで行くと雪量がいっぺんに増えた。林道から、すぐに杉林の登山道に入ったら、杉の枝打ち作業が行われていた。珍しい光景に、邪魔にならない距離にて、その作業に見入ってしまった。

 登山道にトレースがあって歩き易かったが、新雪が20cm程度積もっていた。時々、陽が差したかと思っても、すぐにガスに覆われ風雪となった。そのような空模様が、ずっと続いた感じであったが、「まだまし」 と思うようにした。

 穏やかな稜線に出てから、トレースが風雪に消されたのかファージーになった。八乙女峠の東屋付近では全くなくなっていた。その先は、もちろん膝上ラッセルになってしまった。それ程の距離でもないし、高度差もないから、「せめて三角点まで行かなくちゃ!」 となったが、「山ノ神」 は、「行くがけ・・」 と渋々の感があった。

 「イヤければ・・」 などと言えば、その先は見えているので、「せっかくなのだから・・」 とか、「そこまで行かなくては、来た感じがしないでしょう。もう少しだよ!」 と続けた。もっとも、「山ノ神用」に、少量だがビールやお酒を担いで来ているので、「汗を掻かなければ、美味しくないよ。」 も続けた。

 山歩きというものは、不思議なもので、ブツブツ言いながらでも、行ってしまえば、達成感を感じる。それが、例え展望がなくとも、「やった!」 「来た。」 と思うのであるから・・・・・

 のち、急斜面を降って、東屋に戻った。本来なら牛岳を望める所で、シェルター造って、食事をしたかったのであるが、何も見えないのであるから、八乙女別荘にお邪魔する事にした。その東屋は、周りが囲まれており風が入らない。ましてや大量の雪でも囲まれており、まるで二重構造というところかもしれない。それでも-2℃。

 下山時に、少し、三角の形をした牛岳を伺えたが、やっぱりちょっぴり不満。「まだまし」を忘れてしまう。木々の間から、砺波の散居村を眺めて帳尻を合わせた感じになった。



1/27 今日は町内会の新年会があった。我が町内の行事は、全てが夜なので随分助かっている。そして、新年会会場は、我が家の向かいのレストランであったから、これまた好都合であった。前々夜には、この日の為に、予行として、お酒を少々頂いていたのが奏功してか、本番になると、卑しいのも手伝ってスイスイ入っていった。

 しかし、最後の挨拶をしてくれと言われていた事もあって、少々緊張気味であった。その反動からか、家に戻ってから、どっと疲れがでたような感じである。HPの更新、そして、明日の山行の事も考えなければいけないのに・・・・



1/26 先日、誰かのブログを拝見していて、山頂や避難小屋で騒いでいる人達を見るに付け、あまり良い意味での記述が書かれていなかった。私も時々、そのような事に関する加害者なのかもしれないと思ったが、殆どが平日であるし、あまり他人様と会うような山に行かないから、そうでもないような気もしたが・・・

 それでも、月一であるが、日曜日の山行があるだけに、「そうなのか・・」 などと思ってみたが、記述された方も、そのような山、そのような所へ行かなければ良いのにと思ったりもする。山にはいろいろな楽しみ方があり、速く登ったり、競って登る楽しみ方ばかりではないはず。

 美味しいケーキを食べるのが楽しみの方もあろうし、山で交友を深める方もあろう。ハンドルを握らない方などは、ちょっとお酒を舐める方があるかもしれない。煩いとか騒がしいとか思われるのなら、離れておればいいし、それがイヤなら、近付かなければいいのではないでしょうかね。

 暴言を吐いたり、器物を損壊するような事がない限り、大目に見て上げたら如何でしょうかね。何かを言ったり書いたりすると、狭い世の中ですから、いろいろと伝わって行き、仲違いが起きる危険性があると思います。何事も、そっと優しくしておれば上手く行くものです。



1/25 久し振りのお酒を飲んだ。間違っていなかったら13日振りである。明後日ある町内の新年会予行と題して、一杯だけである。同じ一杯でも、「コップが大きいのでは・・」 と「山ノ神」 に言われてしまったが、これだけ我慢したのだから、良いではないかという事にしてもらった。

 飲まなければ、もっと良いのであろうが、美味しく感じた! 「身体の調子が悪い時は、美味しくないものだ。」 などと、勝手な理由を言っていたが、これからはメリハリをつけて飲もうと思っている。「毎日飲まない。」 「欲しい時だけ飲む。」 「ダラダラと飲まない。」 「イベントの時だけにする。」 など、おかしな口実を並べたが、もうちょっと、身体の事を考えなければなるまい。好きな山の登り続けたいなら尚更である。



1/24 未だ若い頃、問い掛けてもあまり返事をしてくれず、そして、自分から積極的に意見を言わなかった友人がいたが、私は頼りなく思った事があったし、本当に心を許し合える仲なのかと疑った事があった。でも、その友人は、聞き上手だったのではと、今は振り返っている。

 言わなくていい一言は、諍いの種。そして、言葉尻の掴み合いは、何と次元の低い事と思わずにはいられないが、時が過ぎてからでないと気付かない。人を傷付け、どれだけ別れを作ったか分からない。それだけ自分が不幸になったという事であろう。

 最近は、出来るだけ、「焦らず」・「妬まず」に心掛けているが、まだ修行が足らないらしく、なかなかその域に達し得ない。ならば、「笑う」 しかあるまい。笑いは、どことなく心を和らげてくれる。それでもダメなら「忘れる」 しかあるまい。何もかも忘れれば、邪悪な心を一掃してくれる。



1/23 「健康が一番」 何事も失ってからその事が分かるようである。「お金で何でも買えるわけがないが、幸せの土台は買える。お金がもう少しあったらいいな!」 と思ったのも事実。今も叶わぬけれど、その欲望は消える事はない。

 しかし、歳を重ねる毎に、失われていく健康に、何がなくても、その健康・元気に執着するようになっていく。膝や肩が痛いと言うのはまだ良いのかもしれない。目で見えぬ(どうなっているのか分からない)内蔵の疾患は四六時中、頭を悩まさなければいけない。

 家族・友人を失って、また病に倒れていくのを見るに付け、次は自分なのかと思うようになってくる。「山に行ける自分は未だ良い。」 「山と戯れる事の出来る幸せ」 を、もっと噛みしめなくてはいけないのかもしれない。身の回りの事は、「何も当たり前」 と思っていては、それこそ罰が当たるような気がする。

 昨日、友人の母様の通夜式に参列した。若い住職が、合掌の意味を説くにつけ、何もない手のひらを合わせるが、手のシワとシワを合わせて 「幸せ」などと、洒落とも取れる面白い話をなされたが、その手法と共に、故人が皆様を、この席に会わせて下さったのだとも。興味深く聞き入った。



1/22 昨日の牛岳は、三角点までびっしりとトレースがあった。いつものように利賀街道の雪捨て場(庄川沿い)で出発の準備をしたのであるが、気温は-5℃、そして、その場所は風があったので、いたたまれないほど寒かった。

 トレースに乗ってしまえば、風を感じる事はなかったが、それを嫌ったら、結構歩きにくかった。六合目手前から、突然のように、「山ノ神」が快走(快歩かな?)しだした。気分が悪いと(頭に来ると)、時々、そのような行動に出る事があるから可笑しい。何に憤慨したのか、未だに分からないのであるが、何かの言葉尻に感じたのであろう。ならば、時々、この手を使わなくてはいけないかもしれない。

 2日前まで傘マークが入っていた今日のお天気であったが、昨日の予報より、またまた上方修正されたかのようにピーカンとなった。青い空と踏まれていない白い雪、そして、木陰とのコントラストが私は好き。もちろん、久し振りに見た北アの山々の雄姿にも感激しないわけがない。

 私は、牛岳では、そのような光景に遭遇する事は数少ない。それは、お天気の良くない時に登る事が多いからなのであるが、これからは歳を重ねるが毎に、そのような山行スタイルに変わっていくに違いない。

 お天気の関係上、始めから、「午前中が勝負」との思いで出掛けたから、三角点止まりのつもりであった。牛岳権現様のある頂上までは、見掛けは距離がありそうであるが、時間にすれば10分ほどで行ってしまう。トレースが無くても、倍の時間を掛ければ問題ないのであるが、この一番高い所で、シェルターを造るのが楽しみの一つでもあったからである。

 しかし、お天気の良いのに横穴を掘る事もなかろうし、待っている者の気持も考えなければならないとなり、本来のものと違った物となったが、展望台的シェルターにはそれ程の不満もなかった。今回、後続者一人(小矢部の高橋氏)があった。



1/21 昨日の「アンリの頂上」に続き、今日は牛岳を歩いた。好天に恵まれ至福の一時を過ごしたのであるが、それよりも、山仲間のイマイチ女史が新聞に載った。もう何回も新聞に載っているから驚く事もないのであるが、凡人の私から見ればビッグニュースである。事後承諾になるが許してもらえるだろう。

 富山の元保育士親子を先導 自然に学ぶ 子育て登山

   あふれる笑顔 生きがい

富山市笹津の今井典子さん(62)は、登山と保育士の経験を生かし、山歩きを通じた子育て支援に取り組んでいる。昨年四月に始めた「キッズお山歩(さんぽ)クラブ」は、多い時には五十人の親子連れが集まる。

水遊びを楽しむ子どもたちと今井さん
(左から4人目)=2012年8月19日
立山山麓の龍神の滝・百間滑で・・

 「山では気取らず、自然体になれる」。立山でアルバイトに励んだ二十歳の時、仲間と見上げた夜空の流れ星に魅せられた。病魔に倒れ、四十三歳で亡くなった夫孝春さんも大の登山好き。十三回忌までに日本百名山の制覇を誓い、二〇〇四年に達成。日本百高山の踏破も昨年八月に成し遂げた。

 富山県立保育専門学院を卒業後、保育士として長年活躍した子育てのプロ。「子どもは丁寧に説明すれば理解できるんです」。〇三年に立ち上げた「メープルシロップ」は富山の子育てサークルの草分け的存在で、毎週火曜にはゼロ~三歳児とその母親が集まる。

 キッズお山歩クラブは、メープルシロップの参加者に山歩きの手ほどきを頼まれたのを機に誕生。これまで八回にわたり、猿倉山(標高三四五メートル)や極楽坂山(一、〇四三メートル)を訪れた。

 子どもたちはホウノキの葉をお面にして遊んだり、珍しいキノコをまじまじと観察したりと大喜び。今井さんは「草花や不思議なことに出合えるので、山歩きはゆっくりがいい」と笑う。「小さな時の自然体験はずっと残る。子どもと一緒に自然へ飛び込んでほしい」

 九月には孝春さんとも訪れた金剛堂山(一、六五〇メートル)に登る予定。「夫も喜んでいると思います」。一人でも多くの子どもの笑顔を見ることが新たな目標だ。 (北陸中日新聞から)



1/20 アンリの頂上は賑やかだった。鍋だけでも6つ、他におでんまである。そして、各自が持ち寄ったご馳走が、次から次へと並ぶ。圧巻は、堀シェフの指導の下に、ユキちゃんとあやちゃんが手伝ったスイーツは、正に一つ一つが手作りであった。

 Doiコーヒーも美味しかった。とてつもない人気があり、制作者自身が頂く間がないという盛況ぶりであった。またオリジナルケイキも美味しかったよ。ドンドン目の前に出されるご馳走を口に入れ、シェルターに飛び交う面白い話に、お腹を抱えて笑っていたため、どんなご馳走名だったかよく分からないでいる。でも、とにかく美味しかったし、よく山頂まで持ち込んだもんだと関心していた。

 そして、「アンリの頂上」 の命名式が執り行われた。当の安里夫人が、知るか知らないかは定かでないが、山頂は、その事で大いに盛り上がった。お祝いのダンスまでしたのであるから・・・



1/19 明日のハレルヤ山行の参加者は17名のようである。もしかしたら、メンバーよりゲストの方が多いのかもしれない。そんな事はどうでも良い事で、アクシデントがなく皆が楽しめればそれでいい。昨年2月のような好天とはいかなくとも、大降りしなければいいのにと願うだけ。



1/18 お酒(アルコール類全て)というものはおかしなもので、ちょっとしか飲まない人でも、たくさん飲む人でも、もうちょっとだけ飲みたいのである。その「もうちょっと」 がいけなく、だんだんと酒量が増えていく。「もう一軒!」 というのと同じで、増えていって良い事など毛頭ない。

 私もお酒が好き。飲んでいる時などは、飲めない人に、「こんな上手い物を飲めないなんて可哀想!」 などと余計な事を言ってしまう。口は災いの元なのであるが、飲めば本音が出るからなどと肯定する事が多いようである。でも、私は、酔っぱらいが嫌い。飲むくせに可笑しい事をいうと思われるかもしれないが、「凜としていなければ・・・・」 の思いであるから・・・

 飲んだら、余計に同じ事を何度も繰り返す。同じ事を繰り返しても、許されるのは、同窓会と趣味の会ぐらいなもの。それは、共通の想い出や同じ価値観を持っているからであろう。それも、相手様のイヤな事を言わないで、自分の気持を少々控え目である事が好ましいというところかな!

 そんな私が、ちょっと体調に変化を感じている。何はともあれ、お酒を止めてみようかと思ってやがて一週間である。ちょっぴり寂しいが、飲まなければ、そのようなものかと思い始めた。そして、「毒」 を飲まないのだから、何だか元気になっていくような気がしている。でも、「毒」 に負けていたのなら、やっぱり弱って来たのかなと複雑な気持ちである。

 

1/17 今度の日曜日はハレルヤ山行である。予報はあまり良くないが、私と「山ノ神」を含め5名で申し込んだ。昨年は、1月と2月の2回しか参加していないし、今冬も先月(12月)は参加していない。あまり参加していないので、存在感などないかもしれないが、久し振りに顔を合わせるのを楽しみにしている。

 行き先は、昨年の2月と同様、大倉山に至る尾根上の無名峰908mであるが、剱岳も望め展望はなかなかであり、ここから眺める大倉山もステキである。今回リーダーを務める堀シェフの思い出の地であるらしく、黒部の仲間達は、「アンリの頂上」と称しているらしい。奥様の名から取ったものらしいが、登ってみれば、何故かピッタリの名のような気がする。でも晴れなければ、その良さが分からない。



1/16 世の中は難しい。人との繋がりは尚更のような気がする。「身分相応」 という文言があるが、その通りかもしれない。やっぱり背伸びすると叩かれるし、笑いを取ろうと思っていても、ブーイングとなる。フライングしているわけでもないが、多分、自分には相応しくないと思われているに違いない。

 「面白くない。」 「マジメすぎる。」 からの脱却でもないが、何かウィットに飛んだ面白い事を意識し過ぎなのかもしれない。上品な下ネタなら大受けなのだろうが、そのような話術も知恵もないとくれば何だか寂しい。

 でも、面白くない人達が集まれば、こんな私でも、「きっと独壇場になるのに・・」 と思うのは、独り善がりに過ぎないかもしれないが、「ごまめの歯ぎしり」 としておこう。「私のレベルが高いのか・・・」 「あれをジョークとして取れないのか!」 などと勝手に思い込ませても、何だか可笑しくむなしい。



1/15 昨夜、小白木峰から戻って、射水神社の左義長に出掛けた。傘を持って出ようと思ったら、何と星空ではないか! 未明からの雨、そして、山中での強風・低温は何だったのかと思てしまった。今朝も陽が差していたから、尚更そのように思ったのかもしれない。

 それにしても、PCの状態が良くない。昨夜、当欄を書き綴っていて、書き上げる寸前にクラッシュしてしまった。調子の悪いのを承知しているのであるから、「上書き」を随時行っていなければならないのに、怠っていたからであるが、すーっと力が抜けてしまった。

 「改めて・・」 となるのだろうが、力が入らなかった。また、唯でさえ、物覚えが悪いのであるから、なかなか文章が繋がらないのは当たり前。本当に困った。この3~4日お酒を口にしていない。理由は体調不良であるが、飲まないという事は、何でも出来るという利点がある。「運転が出来る。」 「眠たくならない。」 「思考力がある。」 でも、最後のだけは当てにならない。

 

1/14 目が覚めたら雨。集合場所の八尾に行っても雨。大長谷に入ってから雪となった。「雨でなくて良かった。」「ミゾレでなく良かった。」 と胸を撫で下ろした。こんな日でもやって来るのであるから、皆のモチベーションが高いく、降りしきる雪の中での準備も賑やかであった。

 岩城君の友人堀君の参戦が急遽決まり、悪条件下の小白木峰行きであっても、山頂到達が約束されたようなものであったが、私の役目は、皆に合わせて、どう手綱を締めるかだけであった。でも、私が心配する事もなく、先頭の二人が導いてくれるトレースに従って、足を前に出しておれば、冗談が飛び交う程の余裕さえ感じられた。

 山の雪量からして、ヤブを警戒していた。しかし、それは差程気にならなかったが、最も気にしていた稜線上の強風が待ち受けていたのである。しかも視界が殆どないのであるから・・・・

 地吹雪の山頂を踏んだ後は、窪地で深いシェルターを掘って逃げ込んだ。しかし、その作業をやっている者はいいとしても、見守っている者の体感は、身を切る思いであっただろう。何もかもがバリバリで、細かい作業をしようと思って、グローブから手を出せば、元に収まらないのであるから・・・

 しかし、シェルターの中に入れば、そこは別天地。強ばった顔も、動かなかった手も、何よりも滑らかになったのは口。コンロは6つ。高岡の日本海鍋祭りに負けない?程の豪華版。ぜんざいまであるのだから・・・

 2時間ほどシェルターの中にいたのであろうか?暖まって下山準備に掛かろうと外に出たら、これまた、もやった上に、降雪が続いていた。バリバリで、「パッキングが上手くいかない。」 「チャックが上手くいかない。」 などの障害が出た。それでも降るしかない。

 山頂からの広い主稜線を巻くような感じでトラバースを始めた瞬間、斜面に亀裂が入った。喘げば喘ぐほどである。大きな崩れにならなったが、一瞬緊張が走った。そして、遮るものがない広い尾根に出ると、視界がない上に地吹雪であるから、登りのトレースなどは消されてしまっており、このような時にこそ、GPSの効力を遺憾なく発揮出来たかのようであった。

 思い思いのペースで来た道を降ったが、トレースの上にかなりの積雪を見た。車に戻れば、20cm以上の積雪を記録しており、除雪されていない大長谷の道路に、腹を擦りながらの車の運転となった。今日は、「静寂な山」・「厳冬期の体感」・「山仲間の親交を温める」 を同時に楽しめたのであるが、これも岩城・堀両君の率先してやってくれたラッセルのお陰であった事は言うまでもない。

 

1/13 明日は、好山病1月例会山行日。しかし、予報は全く良くない。雨・ミゾレ・風・ヤブなどのイヤな連想をしてしまう。メンバーは4名、ゲストは3名の計7名であるが、「変更があっても中止がない。」 が浸透しているせいか、その種の問い合わせが全くない。それどころか、「頑張ります。」 である。イヤハヤ、私の方がびびっている。

 昨年末に行われた忘年会の席上、「山行日を決めていてくれたら、参加しやすい。」 の意見に沿っての、今年度第1回目の例会山行となるわけだが、仕事や所用などで、なかなか思うように揃わなかった。

 最も、好山病は、「月曜日の会」であって、それでいて、月曜日が休日のメンバーが少ないという特殊事情がある。だから、怯まず尚更続けなければならない。そのためにも、明日の予報が良い方に違ってくれないかと願うものなり。



1/12 戯けてしまった昨日の写真は、情報にもならず独り善がりのものでしたが、私としては、それなりの意義があったような気持です。それは、知人・友人、昔の山友、そして、同級生から嬉しくなるようなコメントを頂いたからです。お陰様で、一日だけでも、少年に戻った気分になれました。

 同時に、「自分のHP,何ら遠慮する事などない。イヤければ見なければいいんだ。」 改めてそんな気持になれました。でも、続けなければいけない。そんなプレッシャーにも陥ります。難しい事など考えず、なるようになればいいこと。



1/11 戯けた事ですが、ネタがなくなったとは言え、突然、大昔の写真を載せてしまいました。以前、別コーナーの片隅に、一日だけ載せた事があるのですが、懐かしいとは言え、大馬鹿者かもしれません。

 しかし、バカスカ撮れる今と違って、私にとっては貴重な一枚である事に違いはありません。そして、その一枚が、いろいろな事を関連付けて思い浮かべれるのですから不思議です。それがまた、現在のボケボケと違い鮮明なのですから、余計な事をいつも語る事になるのでしょう。

 中2・中3は、まだ弥陀ヶ原から歩きました。初めての単独登山は、医王山で下山路を湯涌にし歩いたのですから・・・初めてのキャンプは、何処を歩いたか分かりませんが、姫川上流でヒスイをゲットしたような気がします。初めての雪山は2泊3日の牛岳で加越線・庄川町駅から歩きました。

 本格的なアルプスは、今日のメーページの写真の荷を担いで、7泊8日の剱沢合宿でした。高3の夏休みは、アルバイトで旧剣山荘にこもったものです。その一枚一枚は、私の青春が凝縮されているようなもので、何物にも代え難いものなのかもしれません。



1/10 相変わらず綱渡りの更新が続いています。でも、今日はまだ順調?いや上手くいっている感じです。(今日は、動かなくなったのが3回だけだから・・・) いい加減に、S先生の手を借りなければいけないのですが、ちょっとでも、何とかならないかの他に、なるべくなら、先生の手を煩わせたくないからでもあります。でも、「取り返しのつかない事になったらどうしよう。」 の気持も同居しているから複雑です。

 「PCが使えなくなったらどうしよう。」 「HPがなくなったら(HPを止めたら)どうなるのだろう。」 「楽になるのだろうか?」 「いやいや、寂しくなってしまうのではなかろうか?」 山をやっている限りは、HPを続けているだろうし、HPを止めるという事は、山を止めるという事になるような気がしてなりません。

 いつから、「元じい」 になるのか?という話もあります。「元ちゃん」から「元さん」に、そして、いつかは、「元じい」と言っていただけに、まだ、それもクリアしていないのですから、まだまだの気持があるという事になるのでしょう。

 「止めたら終わり。」 「続けているからやれている。」 のが本当のところ。騙し騙しであろうが、何であろうが、やらなければである。その為にも、友人・知人の力は大きい。励ましてもらったり、煽ててもらったりする事が結構力になるのです。もちろん、家族の理解も必要ですが、当人の意識の高揚が一番のような気がしています。



1/9 大雪・低温の今冬であるが、意外と山中の積雪は多くないように思えてなりません。年明け後、来拝山・千石城山・大辻山・大双嶺山に足を運んだのですが、何処もそのように思われます。まだ、これからなのかもしれませんが、快適に歩けるような適度の雪量を願ったりしております。それも、下界で降らず山だけが降って欲しいなどと、戯けた男でございます。

 日一日毎に、夜明けが早く、陽の落ちるのが延びて行きます。晴れたら、大地や大倉山に行きたいです。それは毎週であっても構いません。もっと陽が延びたら、初雪山や細蔵山にも行きたい。あっそうそう、早乙女岳や大日岳もあるな! 「ごまめの歯ぎしり」 に聞こえるかもしれませんが、私の精一杯の叫びです。



1/8 雨雪予報の中、簡単な山行を描いていた。尖山・千石城山・来拝山に大双嶺山を加えた。「何処でも良い。」 との「山ノ神」の発言から、まだ3回しか行っていない大双嶺山を選んだ。旧大山町小坂からのスタートが午前10時頃となった。

 2時間もあれば山頂に届くと高を括っていたが、山中は思った程の積雪がなく、枝木に行く手を阻まれた。杉林からのルートを選べば良かったものを、一つ山側を辿った分だけ偉い目にあった。ヤブ好きの方々からみれば、大したヤブでもなかろうが、嫌いと思えば、足下が固まらずそれは難儀である。

 「山ノ神」の顔を見るのが辛かった。怒った顔から泣き顔に変わろうとしていたからである。その顔を見ないように、「もうすぐだよ!」 と当初想定していた尾根筋を指さし激励するしかなかった。

 そのルートに乗っかると、前日のものか、前々日のものか分からないが、トレースがあった。そのトレースの主も、ルート選定に苦慮していた後が伺えた。しかし、高度を上げれば、少しは煩い枝木から軽減されていった。

 「まだけ!」 と、何度も「山ノ神」から問い掛けられた。そして、何度も何度も遅れて来る「山ノ神」を待った。二子山や小佐波御前山、薄波山など以外、地図を広げなければ分からない山ばかりが鎮座しているだけで、それも木々の間からだけであるから、尚更元気が出なかったのかもしれない。

 最後は、遅れて来る「山ノ神」を待たず、先に行って穴を掘り、ベンチ・テーブルを造りお湯を沸かす事にした。お腹が空いていた事もあるが、復路の時間や雨の心配もあったからである。

 食事は昨日とほぼ同じで、冷凍のラーメンとコーヒーだけ、あっそうそう、息子がお土産にと、持って来てくれた小さなチーズケーキがあったか。「山ノ神」は、言わずと承知の100円の点滴が1本。そう長居はせず下山に掛かったが、なるべく枝木を避けて歩けば、それ程苦にならなかった。もちろん、登って来たルートには降らずである。



1/7 城前峠まで圧雪、そして、奥長尾山までのトレースに助けられ、「大辻山頂まで届くのか?」 との心配が吹っ飛んだ形であった。でも、その先の雪が重たく、ラッセルが意外と捗らなかった。

 この時期はまだ、「山頂を極めず、途中敗退は未だなし!」 を豪語していたが、寄る年波、いや、そんな事より、「山頂に届く頃には、剱岳を拝む事が出来るのだろうか?」 の方が心配であった。それでも、立山少年の家から、コーヒータイムを入れても、4時間半程で山頂に辿り着いたのでした。

 「さて、剱岳は?」 剱岳だけでなく、大日岳も立山も、毛勝の山々も望めたのでしたが、あの青空が無くなり、ボヤッとした感じになってしまっていたのです。シェルターで食事をしている内にガスが出て来て、仕舞いには、全てを隠してしまいました。「もっと、速く歩かなければ・・」 が口からでそうであったが、思わず堪えたほどでした。

 如何に「山ノ神」であっても、降りは、それとなく速いもの。奥長尾山で再びコーヒータイムとしてでも、また長尾山の登りで息を上げてもである。そして、林道に出ればしめたも、後は、いつもの通り日没との競争である。

 夕日が、鍬崎山のてっぺんに、そして、真っ白な立山方面を赤く染めるのを見れば足が止まってしまう。碌な写真が撮れないのに、バシャバシャ撮っているのであるから、益々時が過ぎていく。予報が反転して好天となったが、始めからそのような予報であったら、山頂でテントを張っていたと思う。



1/6 相棒の「北ちゃん」が、いろいろと忙しく、なかなか時間が出来ないようである。明日も来週もダメなようである。山に関しては、もしかしたら、半年以上一緒していないかもしれない。

 こんな時こそ、「好山病・・」の名を絶やさないためにも、歩かなければいけないような気がする。元々、月曜日の会であるから、皆が揃うのは難しいのは承知なわけで、せめて私のようなものが、歩いて存在感を示さなければいけないのかもしれない。

 そんな私でも、イヤな時があるし、「何で・・」 と思う事もないではない。特別の事をしているわけでもないし、回数とか、「継続は力なり。」 だけを拠り所にしているだけである。旗を降ろすのは簡単。降ろしてしまえばお終いだ。相性が良く、仲良しのグループだけに絶やすわけにはいかない。明日も登るから・・・・・



1/5 年末から、極度にPCが可笑しい。立ち上がったと思ったらパツンと消える。またカーソルが動かなくなる。「調子がいいぞ!」 と思っても、固まったり、消えたりする。ディスプレーも可笑しい。文言では表せない程に、カチャカチャになったりする。ピーピーと音がする事もある。他に可笑しい事がいっぱい。

 しかし、時々正常?になる事があり、その間隙を縫って、少しばかりの更新をしているのが現状です。そのような時でも、すぐに上書きをしておかないと、全てがパーになるから、ストレスがたまってしまいます。

 一日に何十回も強制終了を重ねているだけに、「もうダメかな!」の思いがあります。少しでも、データーを確保しておかなければなのですが、これが思うようにいかず四苦八苦しています。バージョンはXPでも、結構使い勝手がいいのになぁ。



1/4 起きてみてビックリ。昨夜から一気に降った感じであった。富山県冬季道路情報システムでは、高岡市赤祖父地点は54cmを記録していた。これでは、ほっぱらかして、山に出掛けるわけにはいかない。前・横・後の駐車スペースを合わせると50坪、それに前と後の道路もやらなければならない。

 前は、公共の建物、後は、空き家と除雪しない家などの特殊要因が重なり、一年一年辛さが増してくる。雪質が軽ければ差程でもないのですが、水分をたくさん含んだ時などは腰が痛くなりそれは大変です。今回は、「山ノ神」が、手伝ってくれた事もあり、何とかお昼過ぎには片付いたのでした。

 そうなれば、「近くの二上山に行くしかない。」 となるのです。まなび交流館に着いたら、大型ブルで除雪の真っ最中で、駐車するには、ちょっと時間が掛かるようでしたので、二上射水神社に参拝・待機のつもりでしたが、小学校時代の遠足で、この神社から取り付いた事を思い出しそれに従った次第でした。

 午後1時40分からスタート、しかも、下界は大雪なのに、二上山を愛しての事か、それとも、私達のように大馬鹿者なのか計りしれませんが、何人もの登山者と擦れ違ったのでした。



1/3 帰阪する息子を高岡駅まで送り、一旦家まで戻った。「山ノ神」は、全く山に行く気はなく、今日も私一人が山に向かった。8号線の雪量は多くなかったのであるが、ガタガタの上に凍結状態であり、僅か20分の間に、5台の車が中央分離帯に乗り上げているのを見た。また、前方50~60m前の軽自動車がスピンし反対向きになったのにはビックリしたが、事なきを得る事が出来た。

 上市町東種までは、問題なく行けたのでしたが、ダム上の骨原との分岐から除雪が行われていなく、タイヤが埋まりそうな雪量を進まなければいけなくなった。雪質は軽く車は進むのであるが、真っ白の雪中を、しかも雪煙のように捲し上げるため前方が見えなくなり、何度もストップしなければいけなかった。

 何処まで行けるか分からないが、「来たからには歩かなければならない。」 となってしまう。「2時間歩いてメドが立たなかったら、引き返そう。」 と思っての10時半のスタートであった。

 通常の登山口まで意外と早く着く事が出来、この分ならと先に進んだ。時々、前日のものか、それとも、前々日のものか分からなかったが、トレースらしきものがあった。しかし、その上に、かなりの雪量が覆い被さり膝ぐらいまで沈む状態であった。

 それでも、山頂には、正午過ぎに辿り着き、テーブルの雪を取り除き、セルフタイマーで一枚の写真を撮った。しばらくすると、何処かであったような青年がやって来るではないか。「こんな時に登って来るなんて・・」 などと思って尋ねてみると、年末(12/24)に、小佐波御前山の際ラッセルしてくれた堀君であった。帰りは一緒してもらう事になり、問題にならない程の速さであったが、私に合わせてくれるほどの優しき人でもあった。



1/2 箱根駅伝をみたいという「山ノ神」をおいて、今日は単独行であった。予報はあまり良くなく、「尖山」か「来拝山」のどちらかと新聞のチラシ裏に書いて出発してきた。雨がだんだんと小降りになり、立山町に入った頃は止むどころか、青空が顔を出すようになった。

 しかし、芦峅寺の雄山神社を過ぎると、一気に雪量が増え、轍があるものの立山少年の家まで辿り着くまで、何回となく立ち往生せざるを得なかった。少年の家駐車場には、2台の先行車が止まっていたが、人影はなかった。

 トレースに従い登高すると、やがて先行者に追い着き、失礼をして、山頂には一番乗りになった。おにぎり2個以外の食料を持参しなかった事もあったが、山頂では長居せず、城前峠に向かって降りた。踏んでない尾根道を歩くのは、それなりに気分が良く、何物にも代え難い。幹線道路に出てから雨になった。



1/1 元日は、「尖山」か「二上山」と定着しつつあるが、路面に雪があったのと、午後4時から48回目となる管鮑会(高校時代の同期有志の会)の新年会があるという事情から、今年は、二上山を選んだ。相変わらず多くの方々が登っておられた。多くの知った顔にもお会い出来た。