4/30 桑首林道入口に通行止めの看板が立ててあったが、通っても良さそうになっていたので、林道を進めば、整備された直後のような感じで、林道交差点まで何の問題もなく入れた。猛者なら、登山口までも入れたかもしれない。

 登山道も1000m超の稜線まで殆ど雪がなく、虎ロープもしっかり施されていた。流石に稜線に出れば、ビッシリ雪が付いていたが、暖かい日が続けば、見る見る内に溶け出す事だろう。

 ラッセルが伴う事もなく、車が入る事もあり、少々身体が病んでいても、足さえ前に出しておれば、猛者達に比べても、そんなに遜色はないと思える。実際、タイムを参考までに聞いても、1時間とか2時間などのような大きな差はないのである。

 身体に合わせて、或いは、好きな角度からファインダーを覗いたりして楽しむには、この度の大倉山山行は、誠に打って付けの日和となった。友人・知人との遭遇が談笑となり、それはそれは気分の良い山行となった。

 普通は、午後に掛けて、剱岳にガスが掛かったり、ぼんやりとしてくるものなのであるが、今回ばかりは、時間が経過する毎に、空が青くなり、剱岳を始めとする北アの雄峰は、より一層際立って見えたのである。

 唯、あまりにも話に熱中し、箸がおろそかになり、食事をしたのかしなかったのか分からないようになるのは、毎度の事であるが困ったものである。車に戻る頃は、いつもお腹が鳴るのである。



4/29 元ちゃん(元さん)と声を掛けてもらった。兼ねてから、何時かはお会い出来ると思っていた金沢の中野女史からである。友人・知人から、同女史は健脚だと聞き及んでいたから、どんな凄い方かと思っていたが、お会いしてみると、スラッとした品のあるご婦人であった。

 私のHPを介しての知人であったが、賀状でのお付き合いで、お互い「その内いつかは何処かでお会い出来る。」 の思いが通じたのか、好天に恵まれた大倉山で叶ったのであった。同女史の仕草・雰囲気は、機敏でとても同世代だとは思えなかった。今度は、いつお会い出来るか分からないが、「ず~っと元気で、山と向き合っていて下さい。」 とエールを送りたい。



4/28 明日の昭和の日(旧天皇誕生日)、誰からも誘いがなかったし、問い合わせもなかった。大熊山か大倉山かと迷っていただけに、何となく良かったような気がする。これからの休日は、窮屈な山行となるだけに、明日は、朝立ちして、思う存分ゆっくりし、久々に、山を満喫したいと思っている。

 出来れば、下山時に、お目当ての山菜があれば越した事がないが、そう思うようになるわけもない。 しかし、お天気は、まずまずのようであるから、この上もない味方である。



4/27 同じ孫守をしているYo女史から頂いたメールの一節に、「○○さんも誘って、アルペン村で動物を見て尖山にとかいいかも!」 があった。友人のイマイチ女史が、「キッズお山歩クラブ」 を主宰しているのに、私には、全くそのような発想がなかった。

 自分の子や孫は、自分達だけでの思いが強かったからであろうか?それとも視野が狭いという事なのかもしれない。しかし、どのような手段を用いようが、なし崩しに好きな事が出来なくなっていく事への抵抗というのか、阻止しなければ、知らず知らずの内に加速をしながら年老いていくような気がする。



4/26 今月は、今日現在6日間の休日の中、山に出掛けられたのは3日間。ライフスタイルが崩れかけているし、体調も何処か可笑しくなりかけている。そんな事もあり、もう一日残されている休日(4/29)は、何が何でも出掛けなくては・・・・・

 簡単な運動(腕立て伏せ50回、腹筋25回)は続けているが、とても、トレーニングとは言い切れない。もう少し時間を掛けて、走るとか自転車を漕ぐとかをやらなければ、見る見る内に衰えていくのが確実である。

 何もやらない「山ノ神」は、もっと顕著であるが、それでも、この2日間、下の孫を負ぶって、1キロ強離れた保育園の送り迎えしていた。負けられないという気持が芽生えて来たのなら言う事なし。



4/25 今日は、来月からお願いする保育園のお試し入園?で、午前中は静かだった。その孫達も、意外とすんなり溶け込んでいった聞き安堵。来月からは、時間制限があるというものの、一応は山に出掛けられる事である。

 しかし、幼い子だけに、いつ体調を崩すか分からず、携帯の繋がらない所や、戻るまで時間が掛かる所へは、行く難い事は変わらない。やっぱり、一人が、家に残るのが良いのであろうが・・・・



4/24 身近に名山(百名山、二百名山、三百名山など・・)を目指す人、また達成してしまった人がある。新聞紙上でも、時々、その類の記事が載る。良い悪い好き嫌いは別にして、目標・目的がある人達は元気である。

 それだけでも、ネタになり話に事欠かない。老若男女に関係なく、つまらない事を話題にする事もない。それは、自慢する事なく、相手の話を聞く事が秘訣かもしれない。私は名山を目指す人や踏破してしまった人にも、一回切りでなく、機会があれば、何度となく登って欲しいと思っている。天候の悪い時もあったろうし、急いで駆け上がった時もあろうというもの。

 今一度、違った視点から望んで欲しいと言うのは、こくであろうか? でも、複数回登ったという勲章が付いて来るではありませんか? というものの、当の私は、到底一つの表題も達成する事が出来ないくせに・・・



4/23 片貝川沿いの林道は、GW明けにならないと、片貝第2発電所のゲートが開かないようである。そうなると、やっぱり僧ヶ岳への気持は薄らいでしまう。「なんのその・・」 と長い長い林道を歩き、幾つものデブリを越えていたエネルギーを失ってしまったのかもしれない。

 2時間台で登山口に辿り着いた事もあれば、重荷を担いで、荒れた林道を歩いた時には5時間近く要した事もあった。また、真っ暗になって、車に戻ったのも二度程あったような気がする。

 「あそこまで車を入れてくれたらいいのに!」 と思う事があるが、落石の危険という当局の立場の他に、山菜や川魚の目に余る乱獲を防ぐ狙いがあるのかもしれない。

4/22 「唯、孫守だけではつまらない。」 と、山菜採りを兼ねたものにした。急な斜面を登ったり、河原に向かって降りたりすると、上の子は、「爺ちゃん落ちるんじゃないの? 落ちたら死んじゃうよ!」 などと、子供なりに気遣ってくれたようである。

 そんな孫達にしてみれば、面白い事などないのであるが、ブルーシートを広げて、コンロで湯を沸かし、カップ麺を作れば、目を丸くして、非日常の事を味わっていたように思える。五箇山の入口から、ちょっとだけ、桜ヶ池に寄ったが、遊具で遊ぶとなると、まるでダメで、すぐに疲れてしまう私であった。



4/21 上市から雪だった。夏タイヤの人あり、降雪により志気の上がらない人もあり、大倉山を目指すハズのハレルヤ山行は、途中から、リーダー・掘シェフの機転により、千石城山へ向かう事になった。

 剱親公園管理棟前に車を駐め、なるべくゆっくりと歩く申し合わせであったが、名残と思わせる20~30cmの新たな雪に、尚更のように足が前に進むようであった。歩き始めから、やがて1時間半を要し、山頂で如何に過ごすかであったが、取りあえずタープが張られた。

 それでも、未だ午前9時頃であり、宴としては適さない時間である。しかし、何かを作れば、箸が延びる。となれば、次から次へと、食材が出て来るのだから不思議で面白い。設営から撤収までの2時間を、面白く楽しく過ごした上、お腹が一杯になれば、痩せるつもり出来ても、目方を増やして帰らなければならぬ理不尽な事が起こってしまう。

 それにしても、土井夫妻が持ち込まれた食材と手捌きには、皆が一様に驚きながらも感謝したのである。下山後も、管理棟の一室を借りて、またまた土井コーヒーをご馳走になった。唯々有難う。 下山途中、何人かの馴染みと、顔を合わせられたのもハッピーであった。



4/20 明日は、あまり良くないお天気のようですが、遅々ながら、ハレルヤ山行に参加させてもらう事にした。雪山の雨は、あまり面白くないが、雪になるような気配である。水気がたっぷりの雪は、身体を冷やすし、とても厄介である。でも、仲間内と行く山だけに、熱気が、何もかもを解決してくれるかもしれない。



4/19 明後日のハレルヤ山行をどうしようかと思っているところに、娘から、5月第1月曜・火曜の連休を使えるように休暇を取ると言われた。月曜日は振替休日であるから、火曜日の休暇という事なのであろうが、遠くへ出掛けるわけにもいかないだろうし、雪上のキャンプとなると「山ノ神」も嫌がるだろうから、なかなか泊まりがけは出来ない。

 ましてや、ムコ殿がやって来るだろうから、帰京の日と重なるとなれば、私と違い 「山ノ神」は尻込みするに違いない。私達の山菜採りが出来る山には、ちょっぴり早いし、もしかしたら、その休日を、もてあそばなければならなくなる懸念が出て来る。でも、私は、絶対にその日は逃さない。



4/18 先日、知人の通夜式に出掛けたところ、その式場で世話していた高校時代の同級生M君に声を掛けられた。もしかしたら、40~50年ぶりであったが、名乗られその面影に気付いた。いきなり、「先日、町内会の懇親会の折、一級下のN君とで、「タマゴ事件と本間元三の名が出て・・ 盛り上がった。」 と言われた。

 武勇伝と言われたが、気恥ずかしかった。そして、「今は、静かに暮らしています。」 と言って別れた。あの頃は、一人の若者として、熱く燃えていたに違いない。でも、今は、その面影もなく、他人様の前で偉そうな事も言えないでいる。「老兵は去れ!」 なのであろう。



4/17 HPの次に、最近、臆病になっているのが、facebookである。HPと重複する事もあり、週一の投稿と決めていたが、それも何だか鬱陶しくなってきた。友達の友達という関係からか、欲しくない情報が、ドンドン入って来るのも、如何なものかと思うようになっているのが事実である。

 仲間内で、会務連絡や出欠確認などには便利なところもあるが、メンバー全員が利用しているわけでもないので、これも不完全燃焼となっている。何でもやってみたいのであるが、あれもこれもやるには、それ相当の忍耐と寛容が求められるのかもしれない。



4/16 山への思いは綴れても、体験(実行)が少なくなっていく事に、HPの意義に戸惑いを隠せない。自分の日記、そして、それをサーバーが、バックアップしてくれていると思えば、そんなに難しく考える事はないのかもしれない。

 そして、紀行とか情報とかを特に考えず、その時の思い付きを綴れば良いのかもしれないが、”潮時” と言う二字が頭を過ぎる。この事に関しての潔さの欠如は、ライフスタイルの変化を、易々と容認するのがイヤだからのような気がする。

 「まだまだ」 という気持はいっぱいある。「そんなに、おいそれとは捨てられない。」 そこは難しいところであり、存在感なくては生きられないのは事実。ならば、次なるものを見付け出さなくては・・・・・・ 幾つになっても未練がましいのは変わらないのであろう。



4/15 孫2人の面倒をみて、子育ての大変さを実感した。その上の仕事であるから、それはそれは大変である。私の場合は、たった一日で、12時間後には、母親(娘)が帰って来るという安心感があるのだから、「あと何時間」 だと計算が出来るというもの。

 「今日の一日は・・」 と思い返してみると、孫達の事以外、何にも考える事がなかった。それこそ、あっちこっちと、違った意味での「無」に近かったように思える。「自由から拘束」 は、日頃好き勝手している私に何かを考えさせたのかもしれない。

 でも、それとこれとは別で、如何なる方法を用いても「自由人」 になるよう努力を惜しまない。もちろん、「自分だけがいい。」 などという事は有り得ない。



4/14 明日の「山ノ神」は、友人と吉野の千本桜を見にバス旅行で、前週の事もあり、私が、2人の孫の面倒をみる事になっている。もちろん、娘は勤務である。なのに、「山ノ神」 との間に一悶着が起きた。

 「やったことのない」 事に協力しようとしているのにである。遊びに行く人に、クレームを付けられるのであるからイヤハヤ呆れてしまった。私はいつか爆発するに違いない。



4/13 ふと考えてみた。このままでいけば、上手くいっても、今までの半分以下である。泊まりの山行など出来るのであろうか?また日帰りであっても、時間制限下の山行となり、思うようにならないような気がする。期間も限定されない介護と同じようである。これも人生なのかもしれない。



4/12 知人から、「義兄が、あなたのHPを、いつも楽しんでいたよ!」 と言う事を聞かされた。その方は、最近亡くなられたようであるが、「ファンだった!」 とまで言われた。更新を怠ったり、紀行として、山の情報としても値が無くなりつつある、我がHPであるが、そこまで言ってもらえるとしたら、波長が合ったとしか言えない。

 そのような方がおいでたのなら、お話し出来たら良かったのにと思わずにはいられない。自分が登れなくなったので、託すというものでなくとも、何か共有出来るものがあったに違いないからである。。

 唯々、感謝であり、ご冥福を祈るしかない。



4/11 先日の大明神山での撤退は、必ずしも潔いとは言えないまで、もそれなりの鉄則を守った。しかし、雪崩痕の後の強行突破は、反省せねばならないと思った。以前、その上部で、私は、雪崩に乗っかった事があった。亀裂が入ったと思ったら、ズルズルと雪面が動き出し雪崩となったのである。

 始めは緩やかであったが、だんだんと、何もかもを巻き込んで、凄まじい速さで降りて行った事を思い出せば身震いをしてしまう。幸いその時は、緩やかな動きの時に、身を挺して逃れたのであるが、今はその敏捷性も劣ってしまい、そのような事は出来ない。

 「結果オーライ」 であったとは言え、今後慎まなければならない。やはり命が大事であるから・・・



4/10 今度の休日(4/15)は、1人で孫守をしなければいけないので、1歳2ヶ月の女の子のオムツ交換に挑戦してみた。結果は散々で、訓練しなければいけない事を思い知った。私の3人の子に対しては、自慢にはならないが、両親が健在であったし、私が手を出すことなど全くなかったので、オムツの交換をした記憶があまりない。それどころか、風呂にも入れてやったのだろうかと思う程、あまり良くない親であったのであろう。

 今の若いダンナ達は、育児どころか、厨房にまで入って協力しあっているようで微笑ましいし、時代が変わったようにも思える。でも、それが本当のところかもしれない。一食のご飯を与えるのでさえ、大変さを感じている私。遊びにも付き合ってやらなければならない。試練の一日になりそうである。



4/9 今日も会合があったし、明後日もある。そして、花粉症なのか鼻水が止まらず、一日中憂鬱。思考力も鈍り、HPの更新もままならない。しかし、昨日の長時間歩行にも、足の痛みはない。鈍足であるが、まだ持久力はあるみたい。それを維持するためにも、何とかそんな機会を確保しなければいけないのだろう。



4/8 朝方の時雨を予想して、集合時間を30分程遅らせて、自転車の活用を期待したのですが、すぐに残雪のためデボとなる。小雪がちらつく中、大又橋付近の取り付きまで2時間を要してしまった。

 着雪からして、スムーズな登高を期待していたが、2時間近くヤブとの戦いとなった。ヤブから逸れるとゴボるし、急斜面ではスリップを繰り返していた。広い尾根に出て登り易いかのように見えても、30cm前後の新雪は、穴ぼこを隠し、斜面ではずり落とそうと待ち構えているようであった。

 1,500m付近に達した時には、最早登頂など出来るハズもなく、荷を降ろして、今年の最高地点(初雪山の標高)を目指そうとなった。(超えようとなった。)1,650m付近に達した時は既に午後1時半となり、未練はあったけれど、潔く撤退する事にした。

 と同時に山頂付近のガスが、見る見る内に消え、真っ青な空になったが致し方ない。荷のデボ地点に戻り遅い昼食となったが、空いたお腹にラーメンは絶好の食材となったような気がする。

 あれだけ苦労して登ったのに降りとなると、何度も尻餅を付いたものの跳びはねるように駈け降りた。そして、再びヤブの中に入った。登りほどではないにしても、やはりヤブは辛い。途中雪上に出て(標高800~850m付近)お互い顔を見合わせた。

 ヤブを捨てての谷筋の強行突破である。しかし、雪崩痕ある。積もった雪が全部押し流された感じあったし、その痕は凄まじいものであったが、何もかもが落ちたような気もした。やってはならない事であったが、標高差にして、250~300mの突破を試みた。逃げる事と、切れていた時は、尾根筋に登り返す事を覚悟して・・・・
 「結果オーライ」 となり、明るい内に車に戻れたのである。

 

4/7 予定していたムコ殿の電車(はくたか)が運休となった。明日は、私の大事な休日であるから、そのムコ殿を見送らずに私は山へ出掛ける。(娘も出勤)
 「北ちゃん」から、「明日の予定は? 車共々解放されるなら大明神山へ・・」 との誘いを受け、”渡りに船とはこの事ぞ” と乗っかる事にした。事前に、「何処かへ・・」 と打診を受けていた「周さん」と3人パーティーになる。

 明日の予報は、爆弾低気圧が去り、お天気は回復傾向にあるが、午前中は時雨模様で、高所では、積雪の模様であるからして、万全の装備が必要である。でも、楽しみである。私としては、4回目の大明神山行きとなる。



4/6 爆弾低気圧と言われていたが、今のところ、差程でもない。でも、明日が酷いのかもしれない。



4/5 明日からお天気が大きく崩れるようです。しかも、強風・大雨などと気象庁が注意を呼びかけています。一方、月曜日(私の休日)の予報は、曇りに、晴れマークが付いたり消えたりなので、どうなるか分からないというのが正直なところでしょう。

 予報通りになるか、早まるか遅くなるかによって、行き先を交わさなければならない。せっかく、孫守から抜け出せるかもしれないというのに・・・ それよりも、日曜日に帰京を予定しているムコ殿だが、電車が動かなくなる事になったら、これも困るのである。



4/4 連日の子守。よく考えてみると、子守でなく、孫守だった。「ジイ」 と呼ばれるのが、イヤなものだから、ひとりでに、孫を子と呼んでしまったのかもしれない。

 そんな中、6年振りに本社勤務となったムコ殿が、フレッシュ休暇を取る事が出来たとの事で、急遽、昨夕、来高となり、孫達の日中は、ムコ殿に任せる事になった。でも、日曜日までなので、私達の休日(月曜日)以降の反動が恐ろしい。

 「山ノ神」との休日の棲み分けが実現すれば、私は8日(月)、「山ノ神」が、15日(月)に自由が戻って来る。後は、車の問題だけである。行程の長い山となると、どうしても、車が必要であるが、予報はピーカンとはいかないようである。7~8時間も歩いて展望が望めないのも辛いし、グレードを一段下げる事になるかもしれない。最終的には何処でも良いのであるが、後は穏便に交渉せねばならない。



4/3 ようやくネットが接続した。やっぱり、これだけ属されていて、不都合になると、生活が可笑しくなる。やれやれであった。今年は4/1のネタもなく、日が過ぎてしまったし、子守に山行ナシ、ネットの不都合、花粉症?などと4月に入ってから、おかしな生活になってしまった。賑やかなのは良い。でも、何となく過ぎて行ってしまうのはイヤだ! メリハリのあるパターンにしたい。知恵を絞ろう。



4/2 今日の休日は、予定通り子守に徹した?古城公園で桜を見ながら散歩、そして、動物園見学。自宅に戻って食事をし、砺波の鉢伏山辺りのフキノトウ採りで、一日を終えた。何をしたとは思えないのであるが、ぐったりするほど疲れてしまった。明日からは、仕事をしながらの子守である。

 昨日の牛岳下山時に、伝説の人「サブちゃん」 に出遭った。もう、5~10分も歩けば登山口の地点であったが、「あんたの車を見たから、頂上で飲もうと思って担いで来た。」 と言って下さった。飲む飲まないは別にして、いつも優しく声を掛けてもらっている。

 「サブちゃん」とは、始めから一緒に登った事は一度もないのであるが、ヒョンとした所でお会いする事が度々ある。県外の山に出掛けて、「高岡から・・」 だと述べると必ず「サブちゃん」を知っているか言われる程の人。登山経験や技量も比べようもないくらいに上の「サブちゃん」 は、私に「元(もと)ちゃんと言って、親しみを持って接して下さるから実に嬉しい。

 山の上でも、下界でも、まだ一緒に飲んだ事はないのであるが、酒豪のレッテルを貼られている伝説の人。太刀打ち出来ないだけに、そんな機会があれば良いのか、無い方が良いの分からない。でも、山の話をじゅっくり聞いてみたい。



4/1 「やっぱり、ちょっとだけ行かせてくれ!」 「孫達が起きて来て、1~2時間だけ辛抱してくれ!」 「遅くとも、10時頃には戻るから・・・」 「朝4時~5時の間に出発出来なかったら、行かないから・・」 などと、昨夜、「山ノ神」に頼み込んだ。

 「また、牛岳け!」 と、「山ノ神」には呆れた思いがあるかもしれないが、こちらは、困った時や時間のない時の牛岳であって、結構配慮しているのだと勝手な思いが交錯する。でも、最後の決め文句は、「一週間に一度ぐらいは、身体を虐めるくらいに歩かないと、身も心もダメになってしまう。」 である。

 朝方の牛岳は結構冷え込んでおり、雪面はクラストしており歩き易かった。その雪面に、スノーシューが心地よいくらいに食い込み、どんな急斜面でも登る事が出来た。踵が上がる事により、アイゼンに比べれば楽でしょうがない。

 当然、すぐに戻らなければいけないから、装備も自ずから少なく、そして、独り歩きなのであるから尚更である。今日の北アは、雲海の上に白っぽく見えたが、それでも充分過ぎるくらい満足であった。登りは2時間余、降りは、1時間余であったが、縦横矛盾に歩け、心が洗われたように思えた。


 予定を少し超えて帰宅したが、思ったより孫達は静かであった。そんな孫達と、午後から猿倉山に出掛けた。何もかも車に詰め込んだつもりであったが、イザ食事をしようと思ったら、食材と鍋(コッフェル)が入ったザックを忘れて来た事に気付く有り様。燃料やコンロがあってもどうしようもなく、コンビニに車を走らさなければならなかった。

 それでも、猿倉山への階段を2往復、ちびっこ広場での滑り台やボール蹴りに3歳10ヶ月の子は、充分に満足であったようだ、1歳2ヶ月の子は、唯々、食べるだけであったが、泣き叫ぶこともなく、ようやく少し我々に慣れて来たように思えるのであった。帰りの車の中は、皆が疲れ切って眠ってしまったのはいつでも何処にでもあるパターンである。