6/30 この時期は纏わり付いてくる「虫」に随分と苦慮している。目の中に、そして、ハァ~、ハァ~と息を切らす、口の中にまで入ってくる厄介者である。もちろん、露出している肌にチクリ来る。私などは、唯、痒いだけですむが、肌の弱い人などは、化膿して、しばらくは痕が残ったりして困っているようである。

 私の防虫対策は、暑くてもなるべく露出面を少なくする。そして、ネットを被るのであるが、そうはいうものの、なかなかこれというものがない。「虫除け」 「虫刺され用」 などが市販されているが、私は、「ハッカ油」 というものを、希釈し霧吹きに入れ、身体中に振りかけている。帽子もザックもである。

 ス~ッとして気分が良いが、虫たちとの格闘が、後々まで続くのは言うまでもない。擦れ違う登山者に、サービスとばかりに、サーッと一降りすると、「元さんの新手のナンパ」 と私を冷やかした人がいた。




6/29 読み返してみた。(4年前の今日)

 薬師岳の上部は風が強かった。体感温度だけでなく、実際気温も低かった。薬師岳山荘前に戻ってから、食事になったが、時折、コンロの火が消えたり、料理自体が吹き飛ばされたりした。それでも、薬師峠キャンプ場手前まで雨はもった。その内、良かった視界も次第に雨の中に霞んでいった。

 しっかり雨具を纏って、太郎平小屋から15分程、高度で100m位降りたところであったろうか、不覚にも木枠に足を乗せた途端、スリップし大きな事故を起こしてしまった。転倒した瞬間は痛くも何となかった。しかし、軍手をしていた左手の形が可笑しかった。薬指が波打って反り返っていた。恐ろしくて軍手を外せなかった。ようやく軍手を外したら、関節の内側が切れていた。指の中身が見えるようなおかしな色をしていると思ったら、血がポタリポタリと落ちてくるではないか・・・

 変形した指と切り口に、皆が顔を背ける程であったが、持ち合わせた小道具と、疑心暗鬼ではあるが、ありったけの知恵を出して、応急処置をしてくれた。脱臼だと思ったが、どうしようもなく、唯、登山口に向かって降りるだけであった。

 登山口の折立に着いたのが午後6時半。濡れた雨具を脱ぎ、ザックを詰め込んで宮ちゃんの車に乗り込む。亀谷ゲートで、心配してくれた皆の顔を思い浮かべながら、ほぼ片手運転で高岡に向かった。あまりにも凄い汚れだけに、簡単にシャワーだけをして急患医療センターに電話した。

 診療科目が外科・内科・小児科だっただけに、症状を告げ、診てもらえないなら、何処か紹介して欲しいの意味合いで電話したのであるが、外科の先生が診てくれるという。レントゲンを撮り、脱臼だから痛いのを我慢してくれるのなら、引っ張って見ましょうとの事、3回ほど痛いのを我慢して処置をしてもらい、もう一度レントゲンを撮ってみると、何の変化もなしで、痛かっただけ・・・

 その段階になって、「今日の整形外科の当番は済生会病院」 との事、手術になると思うし、ケガから6時間がタイムリミットなどと、自分としては、分からないまま次の病院に行く事となった。済生会病院に行くと、救急の患者にその家族。そして、また救急車が来る。

 大分待たされたが、紹介状があったからか、スムーズに診てもらえた。痛い事が全く感じないような麻酔を打たれ手術となったが、幸いにも骨・神経には問題がないようだとの主治医。当然縫合手術もついて回る。家に戻ったら午後11時半になっていた。それからの食事は、飲まないとなると食欲も衰えていた。

 手術をしたので、また、出血があるとの事で、大袈裟過ぎるほどの包帯でのグルグル巻き。そして、一ヶ月ぐらいは固定したまま状態になると告げられた。





6/28 山登りに関して、何がダメでも担ぐのだけは、同年代の人達に、そんなに遜色はないと自負していたが、黄信号が点ったような気がしてならない。日帰りでも、特別の時以外は、10キロは下らない荷を担いでいたが、この頃は後半になると肩が痛くなる。

 今夏のキャンプ時には、例年通り荷を担げるのかと心配になって来た。他人様より余分な物を詰め込んでしまうのであるが、もうそろそろ、何でもかんでもを止めにして、相当吟味しなければならないようである。アルコールもである。




6/27 友人・知人達の膝痛・腰痛・背痛の話をよく耳にする。山行を見合わせている人、また、歩き方を変えている人など様々であるが、50~60年使い(私の場合はもっと・・) メンテナンスが行き届いていないのだから、故障しがちなのは当たり前。しかし、山への執念だけは変わらないようである。

 日常生活に差程の支障がないから、「ああだ!こうだ!」 と言っておれるのであるが、それを、まともに食らうと、内臓を患うように、ニッチモサッチモいかなくなる。私のように、平生は、正座も胡座も出来ないでも、山に登れたり、長い階段でも、何の支障もなく登れるのであるからまだ幸せである。

 「ず~っと、歩きたい。」 というのは、「ずっと、若くいたい。」 と同じ意味のような気がする。唯、のんべんだらりではなく、一工夫も二工夫もしなければならない。そうでなければ、お天道様も不公平と思うに違いない。お金を掛けるも良し、自分の信念を貫くも良しであるが、人は弱いものである。時々は、「だよね!」 と、相槌を打ってもらいたいのである。




6/26 10日前の白山では、福井の宮ちゃんと会った。室堂センターの中を覗こうとしたら、「あらっ、元さん!」 と声を掛けられた。お連れの方との食事が終わり、そろそろ下山しようかと思っておられた頃と推察したが、我々は、着いて食事を始めた所であるから、その行動力や相変わらず凄いというしかない。その宮ちゃんから、絵手紙が届いた。文中、「お孫さんを見るに付け、束縛もあるでしょうが、また楽しみもありますよ! 私にはない楽しみが・・・」 とあった。あっそうか!

 同じ白山で同じ頃、「元さんですよね! HPの再開を待っています。」 と男性に声を掛けられた。お名前をお尋ねしたところ、金沢のM氏との事。「いつかは会えると思っていました。」 そして、「時々、笑っているし、ためになる事もあるのですよ!」 と私が嬉しくなるような事を並べて下された。

 別々に登った山頂では、記念の写真を撮らせてもらったし、またお会いした室堂では、同氏持参の大事なビールで乾杯しようと3人でコップを合わせた。後日暖かいメールを頂き感謝である。

 白山の翌日、コシアブラ採りを兼ねた人形山に出掛けた。6~7時間もあるのだから、人形山だけでなく、三ヶ辻山にも行けたかもしれないが、途中から自由行動を許可されても、息が上がるだけで面白くもない。それでも、ハシゴ坂付近で別れて、私だけが、景色が異なる稜線まで足を延ばした。

 結果的には、人形山には行けたのかもしれないが、コシアブラに執着してしまった感じとなった。人形山と三ヶ辻山の分岐で、証拠写真でもないが、双方の山を山を撮っていると、人形山から降りて来られたご婦人2人組にお会いした。「山頂に行かれないのですか?」 との問いに、「時間がありまして・・」 から、「保育所にいる孫を迎えに行かなくてはならないので・・」 と答えると、「もしかして、あんた元さん?」 と返された。

 「そうなんですが・・・」 から、ご婦人のお一人は、私のHPに、時々登場する澤課長の奥様であった。もちろん、夫人とは初対面であったが、元気者の澤課長は、三ヶ辻山に行っておられるとのことであった。

 私は、先にU-タンしている「山ノ神」を追いかけたのであるが、もしかして、澤課長が追い付いて来られるのではの期待があったが、今回はお会い出来る事はなかった。HPをお休みしている間に、何人かの方々にお会いして、人恋しい自分がよく分かった。




6/25 一昨日、白山で撮った白いハクサンチドリを載せた。以前、白いカタクリやショウジョバカマも見た事があり、これは珍しいと思い、花じい氏に問い合われた事があった。でも、同氏からは、「植物学的には差程との見解?でも、珍しいのであるから希少価値。」 でも、随分前の事であるから、果たしてそのコメント自体、正しく覚えているかどうかも怪しい。もう一度聞いてみなければ・・・・

 その事において、先日池田氏から、「アルピノ」という言葉を教えてもらった。難しい事は分からないが、ウィキペディアによると、 動物学においては、メラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損により 先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患、ならびにその症状を伴う個体のことを指すらしい。

 植物学の分野においては、光合成色素を合成できない突然変異個体のことを指す用語として用いられ、このような個体は独立栄養が営めないため、種子中の栄養を使い切ってしまった時点で枯死することになるようである。

 このような事を、ちょっと、コピーするだけで、頭が可笑しくなるから、私にはどうでもよいのかもしれない。その池田氏、このところ、連日のように、北アに足を運んでおられる様子で、それには頭が下がります。でも、「あまり急がないで・・」 と、やっかんでしまう。




6/24 朝方の食い違いから、高速利用時、それどころか、登山口に着いてでも、殆ど口を利かなかった。こんなのなら、一緒に山に行かなくてもと思うのであるが、お互い相手の気持ちなど分からないでいる。

 小杉から、高速を利用する事など殆どないのに、孫を保育所に預けてからになると、ラッシュになるだけに、それは致し方ない。それでも、高速に乗るまで、イライラするくらいに時間を要してしまった。

 それなのに、根知から梶山に向かう途中の山口で、20日~28日まで舗装工事のため通行止めの看板が掛かっていた。土日は可能とあったが後の祭りである。昨年か、一昨年だったか、忘れてしまったが、このような事があって、小谷側から登った事があった。

 時間がないから、今更小谷に行っても、山頂まで行くことが出来ないと思ったが、それでも、車を走らせた。行ってみて、またビックリ、笹ヶ峰や妙高への分岐の雨飾荘前で、またもや通行止めの標識が行く手を阻んでいた。もちろん、笹ヶ峰方面もである。しかし、昨日は、雨飾山へ行けたハズなのに・・・・

 梶山側から入れないと知った時、ヒスイ峡側からの明星山へと思っていた事もあって、もう時間がないかもしれないが、行ってみようと思った。しかし、北小谷の道の駅を通過した時、風吹岳(風吹大池)の標識が目に入り、「そう言えば、こちらから登った事がない。」 予備知識がないし、時間的には無理かもしれないが、偵察という事で、Uターンして林道を進んだ。

 風吹荘から大池まで300分とあるように林道は長かった。(10キロ そして、標高は1、100m) 途中、重機が作業をしていた。何でも、週末の山開きに合わせて、荒れているところを直しているとの事。(当日に2台のマイクロバスが乗り入れるためだとか。) 「上にも、重機がいるから、もしかしたら、待たされるかもしれないが、除けてくれるから、行くがよい。」 と言って下さった。

 山奥に行くのに、降ってまた登り返す狭い道。そして、やっぱり待機しなければならない所があった。Uターンどころか、すれちがい出来ない場所だけに、曲がりくねった坂道を下っての待機であった。でも、ここまで来たら、何が何でも登ってやると待ったが、山特有の虫が纏わり付き車に逃げた。

 そんな事もあり、登山口発が午前11時55分。保育所に午後6時まで戻らなくてはならない事もあり、何処まで行けるかであった。登山口の標識には、「大池まで2時間」 とあるだけに、「山ノ神」次第であるが、何とかいけるのではないかと出発した。

 その山開きのためなのかもしれないが、意外と登山道は整備されていて、標識も1~11に分けられていた。一つ、10分の目安のように思えたが・・・・ブナもあり、それなりの雰囲気があった。シラネアオイやミズバショウも咲いていた。

 「標高差700m 2時間なのであるが、そんなにきつくはないハズ。」 なのであるが、「山ノ神」の相変わらずの疲れ隠しなのであろう、ススダケ採りに一生懸命には参ってしまう。私などは、下を向いたら頭がクラクラするのに・・・ そうする間に、時間と雨が気になりだした。

 避難小屋と称する風吹山荘は、大工さんなのであろうか修理が行われていた。小屋の前には、まだたくさんの雪が残っていた。でも、木道の片隅には、可愛らしいチングルマが咲き始めていて思わずニッコリしてしまった。大池の周遊(未だダメらしい。)や山頂を諦め、10分ほどの簡単な食事(おにぎりだけ、コンロは使用しなかった。) だけに留めたが、それでも、ビールを飲まなくてはならない「山ノ神」には、少々呆れてしまった。

 同じ道を引き返したが、やはり雨になった。少々であったハズのススダケが、いつの間にか重いくらいになった。「時間がないから早く。」 と言っても、ススダケに執着する「山ノ神」を放って、一人で先に降りてしまうわけにもいかず、イライラが募るのであった。

 登山口発午後3時55分、保育所には、5分程遅れて到着したのは良いにしても、食事時にまた一波乱あった。テーブルの物を、ひっくり返したい気持にかられたが、貧乏性の私は、後々の事を思うと、そのような事が出来ないのである。また、沈黙の一週間になる事間違いない。




6/23 先週の日曜日(6/16)平瀬側から白山に出掛けた。相変わらずズラズラしているもので、室堂を後にしたのが、午後3時を過ぎていた。下山時に登って来る男性と挨拶を交わす。その男性から、「随分急な所を登って来たが、軽アイゼンとストックしか持って来ていないが、帰りは大丈夫だろうか?」 と尋ねられた。

 男性は、室堂泊らしかったが、「朝夕の特別冷え込む時以外、そんなに問題はないですよ。」と答えた。「それより、真っ平らの雪原で、ガスでに見舞われた方が厄介ですよ!」と付け加えた。

 それより先、室堂を後にして、賽の河原方面に向かう時、「山ノ神」は、50~80m程右にずれて歩き始めた。私は、「もっと山側だよ。」 と言ったが、「山ノ神」は、「そんな事はない。」 と食い下がったが、後々訂正に至った。視界は良好であっても、一つ間違ってしまったら、印も何もなく、とんでもない所に行き、右往左往しなければならない時がある。

 今回の山行においては、「山ノ神」の事を考え、2人分のピッケル・アイゼンを準備したが、使う事がなかった。しかし、そのような装備は、車のタイヤチェーンのようなもので、イザという時のものであって、持参しなければ良かったなどとは思わない。天狗のように飛び回れるような方々ならイザ知らず、念には念を入れるのが私の流儀である。




6/22 暫く振りです。あっと、いう間に日々を費やしてしまいました。何もしなくてよかった(追われなくてもよかった。)反面、習慣になっていた事をやらないのですから、ちょっぴり寂しい気持がありました。

 そして、悩んだり怒ったりしても、心が晴れる事もないし、空しさだけが残りました。これからの人生を考えるに、やっぱり 「忘れる」 という事に尽きると思いました。出来れば、「笑う」が付いて回ればいう事なしなのでしょうね。

 考えて見れば、そんなに長くない人生。悩んだってしょうがないし、唯々、時が過ぎていくだけのような気がしてなりません。やっぱり後退りしないで、先だけを見詰めて進みたいと思います。

 幸い多くの友人・知人に恵まれていますし、それなりの健康でさえあればという気持ですから、まだ、山もHPも止められません。




6/10 しばらく休みます。



6/3 私達の休日には、ちょっとばかり早く保育所で預かってもらう事になっているが、孫達が必ずしも思うようになってくれない。当たり前の話か? そんな中、八尾側からの金剛堂山を目指した。ザックにいっぱいの山菜を目論んだが、これも思うようにならず、ウドはのびて大きく、ススダケはこれからであった。それでも、僅かな時間であったが、山頂に立てた事に満足。



6/2 今朝は、昨日の雪辱の意もあって城光寺野球場までの坂道にチャレンジしてみた。ヨレヨレであったが何とかなった。帰路は、小矢部川に沿って走ってみたが、こんな事も長続きはしないと思う。週に2~3回程出来れば御の字である。

 相変わらず、大食い大酒は続いているが、1ヶ月半程前からヨーグルトを食するようになってから、何となく体調はよい。(気のせいであろうが・・・) 後は、週一で良いから、思い切り歩けるようになる事である。



6/1 ママチャリを購入して早速試してみた。我が家から二上霊園まで走ってみたが、最後の後10mで力尽き歩いてしまった。あの急坂であるから、初心としては致し方ないところかもしれない。明日は、尚きつい城光寺競技場への坂道に挑戦してみようと思うが無理かもしれない。なぜならば、あの元気な中学生達が、麓に自転車を置いていくのであるから・・・・

 思い切り歩きたいというよりも、たくさん食べたい飲みたいとの欲望が、そうさせるのであろうが、夜明けと共に起きるとなれば、夜も早々に寝なければならず、今時の時世に合致しているような気がする。しかし、今日も日付が変わろうとしているから、必ずしもそうではない事になる。