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7/31 「好山病・・」有志で8月上旬(第1月曜日・火曜日)行われたキャンプ山行が、昨年で途切れた。その間、蝶ヶ岳・常念岳縦走、爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳、蓮華温泉からの朝日岳、雨の雷鳥平などと楽しんだが、昨年は、なかなか皆が揃わず、私達だけで唐松岳キャンプインとなってしまった。

 皆責任のある立場になって平日休暇を取りにくくなった。そして、介護・看護などの家庭環境の変化が大きいように思われる。また、お互い歳取っていくのもモチベーションの欠落に繋がっているかもしれない。

 今度は、私達が危うくなっている。我が家は、正しく家庭環境の変化で、連休を山で過ごす事が難しくなっている。行かなければ、そのようなものとなり、知らず知らずの内に、テンションが下がっていくのが一番怖い。「何とかしなければ・・」 となっても、我が家の障壁は厚い。



7/30 嬉しいお便りが届いた。「新聞記事で、私の名前を見付けて懐かしくなった。」 とあった。また、「少しの晴れ間を利用して、白馬大池を目指したが、身体の準備不足で、両足が攣り、目的地寸前で、リタイヤした。」 とも綴ってあった。天狗ノ庭で雪倉岳をバックに撮った写真は、私より年上のお姉様には感じないし、何よりも思い出して頂いた事に感謝となる。

 一度しかお会いした事がないのに、そして、これからも、お会いする事がないかもしれないのに、何故か気になるお方である。そのお姉様に、「年賀状は遠慮」 を告げられた事があったが、今は、そのハードルを越え、七夕様のように、一年に一度の賀状を楽しみにしている。だから、今回のお便り(一枚のハガキ)は、特別便であり何より嬉しい。



7/29 何だかんだ言いながら、結局雨に負けた。「何処でもいいから歩きたい。」 「どうしても歩かなければ・・・」 の気力がなくなって来たのかもしれない。それには、リスクを回避するの口実もあるが、「山が逃げて行く。」 一つの要因と考えても可笑しくない。

 しかし、「雨の日も歩く。」 「どんな日にも歩く。」 には、それなりの環境が整っていなければいけない。何と言っても、「自由」 であろう。そんな自由がいつの間にか、無くなってしまったような気がする。

 それはともかく、今日は、午後から、2時間ばかり富山の池田氏を訪ねた。休日に、このような事は初めてかもしれないが、山の話を中心に楽しい時間を過ごさせて頂いた。しかし、「2連続休業日に山へ行かなかった。」 など過去にあったのだろうかと思った。もしかしたら、この先このよう時の過ごし方が増えるのかもしれない。



7/28 明日の予報が、ちょっとだけの雨から、一日中雨に変わった。「どうしよう。」 やっぱり起きてから考えるしかないか・・・・・   「出掛けなくてもいいんだよね!」



7/27 次々と夏山のプランを頂く。どれもこれも羨ましく、唯、口に指するだけ! 「まだ動けるだけまし・・」 「歳を取るのは仕方がないが、いつか行ける時の為に体力の維持」 などと、慰めるしかない。

 夏は、やっぱり残雪の多くある山に行きたい。「涼しくて快適。」 「水が充分にある。」 などの他に、若い時は、雪遊び(グリセード)が出来る楽しみがあった。今は、ひんやりとした所で、絶景を眺め、一献やるのがいい。そのためにも泊まらなければならない。「何とかならないかなぁ。」 だんだんと日が過ぎていく・・・・



7/26 お天気がどうであれ、今夏山シーズンの真っ直中。でも、我が家の事情から、思うようなスケジュールを組むわけにはいかない。8月と9月上旬の連休も、第3日曜・月曜の連休も、また盆休も、娘が特別の休日にならない限り連休として活動する事は出来ない。

 今年は、山旅のための特別休業元年と位置付けていただけに、出鼻を挫かれた感じであるが、元気でおれば、先送り出来ないでもないし、9月には敬老の日を加えた連休が余程の事がない限り存在する。

 でも、ダメになる連休が、時間制限がない日帰りが可能ならまだしも、行き先が限定されてしまうと、ストレスが溜まっても解消には程遠い。しかし、それもこれも欲というもの、自分の身の丈を考慮せねばならないのであろう。

 幸か不幸か、盆休後の第3日曜・月曜は、「山ノ神」が、友人と旅行に出るという。そうすると、日曜日は丸々使える事になる。娘が月曜日の休暇を取ってくれないかと思うが、そんな事は、私の口からとても言い出せない。でも、月曜日の午前7時くらいまでに帰って来られればなどの計画は立てる事が出来ないでもない。でも、そのような無茶な計画を立てると、取り返しのつかない事が起こるかもしれないから、やっぱり、自然体で待つしかない。

 

7/25 延長雇用と言うのであろうか、それとも再雇用と言うのであろうか、その期限到来で、同じ年頃の人達が、だんだんと職から離れて行く。羨ましいと思う反面、拘束のない毎日(自由)が、どういう事なのか、私には未知の世界で、よく分からない。

 あっという間に、一区切りを経過してしまっているが、私も 「60歳になったら、大学へ・・」 とか、「あの山にもこの山にも・・」 との淡い夢を描いていたものである。でも、今はそれどころか、ローン残や貯蓄不足(なし)が重荷となって、まだまだ自由の身にはなれない。

 しかし、物事は考えようで、休日は、週に2回もあれば言う事なしだし(現在は、そうでもないが・・)、拘束時間を上手く使えば良し、また、人との交流があるから、ボケ防止になるなどと思えば、そんなに悄げる事もない。  お金のないのは仕方がないにしても、身体の衰えるのを、どう抑えるのかが、今の切実な課題である。



7/24 長い間山をやっていると、どうしても、好きな山と、そうでない山とが生じてくる。だけれど、多く出掛けている山が好きだとは言い切れない。どれだけ好きでも、時間・技量などが合わないと行けない山もある。

 恋と同じで、一目惚れと言うのもある。だから、「こんなハズでなかった。」 「もっときれいだった。」 「ステキだった!」 などと、幻想を捨てきれない事がある。天候・時期・環境・仲間、そして、その時の心境によって、山の感じ方が違ってくる。

 その反対で、何気なしに登っている近間の低山でも、回数を重ねる毎に、親しみを抱き、その良さが分かる事もある。これも恋と一緒かもしれない。悩み多き時に、出会った光景に胸を躍らせた時があるが、決して感傷的などとは言い切れない。「挑戦」 と 「逃避」 の二つの文言は、いつも私の頭で戦い続けている。



7/23 形成外科に出掛けた。ようやく傷口の包帯が解けテープだけになった。でも、抜糸は7/30で (7/29でも良かったが、当日はこちらの休日、病院なんかに出掛けておれない。) それまで、「動かすな!」である。それでは、「仕事が出来ない。」 と食い下がると、「中指だけ曲げるな!」 である。そんな事が出来るはずがなく、何処まで曲げても良いかとなったが、「握るような!」 という事らしい。実際、そのように曲がらず、そうすれば痛い。

 過去の例からすると、曲げてもいいと言われた時には、長い間動かしていないから曲がらなくなっている。 「それが怖い!」 恐る恐る仕事をやってみたが、出来る事と出来ないことがあり、半人前にもならなかった。時間しか解決法がないようである。そして、「関節は、大事な所」 と言われれば、一日二日と急ぐ事はないのかもしれない。(他人様から見ればね!)

 今日の北日本新聞朝刊の「とやまeye camera 富山の百山中 低山を巡る」 の文中に、私の名前が載せられていた。白木峰の下山中に、村上記者とお話しをした経緯があったのであるが、友人・知人から、「また、余計なお節介・出しゃばりが、あったのでは・・」 のやっかみが届いた。しかし、上手な記述に吸い込まれ、まだ登った事のない「元取山」へ、いつか足を運ばせたいと思った。



7/22 大日岳から戻って、気になっていた下の孫の容態を尋ねたら39℃を超えていた。この時点で、今日の山行はナシ。分別が利くようになったのであろうか、それとも、何が何でもを、卒業した証とでも言った方が良いのだろうか、いや、ちょっと遅いが、ようやく大人になったのかもしれない。

 当然、保育所はお休みで、掛かり付けの医院に出掛けた。こうなると、おかしなもので、熱が下がり、元気が出て来る。「何処か行ってもいいよ!」 と、「山ノ神」は、私に嗾ける。でも、行ったら行ったで、「私だけが・・・」 のツケが回ってくる事受け合いである。

 「我慢・我慢」 に尽きる。そして、やっぱし、家におれない「山ノ神」は、出掛けて行った。何処へ行くのかも尋ねないのが不満のようであるが、人それぞれである。私は、「山ノ神」に借りを作らせ、次の山行を有利にしたい思惑があるが、何事も干渉したい「山ノ神」と、相容れないものがある。

 「何としても剱沢(剱岳)に行きたい。」 「北アを彷徨いたい。」 などは、特別な事をしなくても、「山ノ神」 との意気込みの相違である。「年に一度や二度は、自由に歩きたい」は、そんなに贅沢なものとは言えない気がするが、これも家の事情からして、何とも言えないが・・・

 あっという間に夏が終わる。それを何年か繰り返せば、自分の技量もなくなってしまう。口では、「元気な内に・・」 が、合い言葉のように言われているが、現実はなかなかで、後からの嘆きになってしまう事が多いようである。 「そんなのはイヤ」 私だけであろうか?



7/21 ムコ殿の来高で冷たい物を飲み過ぎたなのだろうか、それとも、飲酒後の薬の作用なのだろうか、夜中に腹痛を催し、とてもじゃないけれど、早朝の起床が出来なかった。当然の如く、遠出の山行を中止とした。  それでも、寝ぼけながら、ちょっとでも山に行きたく、大日平を目指す事とした。

 登山口午前8時過ぎだったので、どれだけゆっくりでも、大日平には、それなりの時間に着く。「山ノ神」が、「山頂まで行って来たら・・・」 「私も行けるかな・・」 だと言いだしたものだから、時間的には可能と判断し先を目指す事とした。

 しかし、相変わらず、「山ノ神」は、ススダケに目がない。それは、上がらない足を隠すためなのである。どんどんと時間が過ぎて行けどもピッチが上がらず、終いには、「山ノ神」のザックを取りに戻ったりもした。挙げ句の果ては、稜線(コル)に出てから、「時間がないからここでいい。」 などと、いつものパターンとなる。

 午前中は、ずーっと眺められたであろう剱岳は、ガスの中。それでも、お山のてっぺんに立ちたい私は、先に足を進めた。午後2時、一瞬剱岳が顔を出した。遅い私達を、す~っと、抜き去っていかれた広田女史が、山頂におられ、シャッターを切ってもらった。

 17回目の大日岳は、カモシカのように駆け抜けていかれた広田女史の他に、室堂から大日経由で降りて来られた 「岡田氏とあきちゃん」、そして、自然観察山行のリーダーとして大日平を目指しておられた宮村氏との再会があり、何だか嬉しかった。だが、遅い我々は、閉門5~10分前にゲートを通過し、またまた、しんがりを努めた事になった。



7/20 左手中指、そして、仕事が出来ない引け目があって、剱沢行きを自らナシにした。そして、東京からムコ殿がやって来た。そのムコ殿は、遅くとも翌夕までには帰途に着くであろうから、私達の山行においては、差程影響はない。楽な舅・姑である。

 明日の行き先に、大日岳・白山・白馬岳・唐松岳を提案したら、「山ノ神」は、その内、一番楽な唐松岳を選んだ。でも、起きてみてからでないと行き先は決まらない。



7/19 痛々しい包帯に、またまたご心配をお掛けしてしまいました。今朝、再び形成外科を訪れたところ、出血の恐れがなくなったからでしょうか、直接の患部だけの包帯、それも同系色のものとなり、痛々しさを感じさせなくなったような気がします。

 「早速、山は・・」 の問いに、「ハイキングですか?」 と逆に問われて、同じようなものだけれど、「登山です。左手は使いませんから・・」 と答えてしまった。「黙って行かれれば、そうなるのでしょうが、医師としてはお勧め出来ない。」 と当たり前の事を言われてしまいました。

 関節だけに、2週間くらい「動かさないように・濡らさないように・・」 なのでしょうが、こちらは、仕事が出来なくては干上がってしまうし、動かさなかったら、イザという時に、動かなくなるではないかと思ったのですが、後々、痛い目に遭うのは私自身のあり、少しでも、医師の言う事を聞かなければなのでしょうね。せめて、抜糸くらいまで我慢をしなければ・・・

 それにしても、結構な長さを切ってあり、網羅した黒い糸 (血で黒くなっているのかもしれませんが・・) を見て、「わ~っ」と、思わず声が出てしまいました。擦り傷にしても、吹き出物にしても、若い時に比べれば、治るのに相当の時間を要するようになっています。どうかしたら、治らないままの事もあります。ですから、「少々焦ってみてもしょうがない。」 と言うのが結論のようです。



7/18 午後からの手術は、1時間20分程かかった。麻酔の関係上、何の痛みもなかった。腫瘍は思ったより深くまであり、術後の出血回避のため、管が一本埋め込まれている?とか、何だかよくわからないが無事終了。グルグル巻きの指であるが、明日の受診で、素人の私にも分かるのではないかと思う。

 何も出来なくなってしまった私を気遣って、娘も保育所の迎えのために早退してきたようである。簡単な手術だから、大丈夫と言っていたのであるが、それは、結果オーライであって、何事も終わってみての事のようである。

 抜糸まで、仕事が出来ないという事はないだろうと思うが、今の段階では、日・月の連休に山に行くとは言いにくい。何事も良好な経過を待つしかない事になる。「行かないわけがない。」 と思わせるに、何十年もキャリアがいる。そして、「いつも、それしか考えていない。」 にも、それなりの努力が必要なのである。バカ・アホ・キチガイの勲章がそれである。



7/17 まだ梅雨明けでない北陸の空のように、私の気持も爽やかでない。明日は、左手中指腫瘍の切除を行ってもらう事になっているが、簡単な手術とは言え、また何日か仕事が出来なくなる可能性が高い。

 「山ノ神」との確執が続いているため、仕事が出来なくなると、大いに引け目を感じてしまい、次の連休の話も出来なくなる。もう、「あなたのためなら・・・」 と言う事は、我が家の辞書から消え去ってしまっている。それよりも、ちょっとは良くなったとはいえ、まだガラガラ声のままである。



7/16 昨夜は、家に帰っても、差程ビールが美味しくなかった。だから、そんなにも飲まなかった。車中も、お互いずーっと、だんまりが続き、良い雰囲気ではなかったのであるが、「そんなのに、何故一緒に出掛けるのであろうか?」 と思ってしまう。こちらは、一応声を掛けなければ、後々尾を引くし、相手は、私の身体が心配?いや、何をしでかすか心配なのであろうか・・・・

 今回も、歩く時間より移動時間の方が長いという、あまり好まれないスタイルなのであるが、それでも、野反湖に着いて帰るまでの滞在時間を計れば、やがて10時間半程いた事になり、ちょっとだけ行って来たのとは違うような気がする。

 二百名山の白砂山を調べている内に、野反湖を知る事になったが、アクセスの事ばかりに気が向き、周辺の良さを知らないままに出掛けた事になってしまった。時期的に違うが、シラネアオイやノゾリキスゲ(ニッコウキスゲ)、レンゲツツジなどの予備知識が少しはあったものの、野反湖を挟んだ対岸の山々の事などは全く知るよしもなかった。

 遠出で同じ所へは、なかなか足は向かないのであるが、今度は、キャンプをして、お花を楽しんで、温泉にも入ってなどと思うのもウソでない。やっぱり、一度だけでは、その山の良さなど分かるハズもなく、複数回出掛けてこそ、他人様に語られるのである。



7/15 一般の登山道を歩いている私から見れば、「富山の山を歩いておれば、何処の山でも歩ける。」 と豪語している。今回の白砂山の登山口から山頂までの単純標高差は600m程であった。小さなアップダウンが多く、なかなか標高を稼げない。かといって、距離的にも6・4キロであるから、驚くような道程でもない。しかも、整備が行き届いているのであるから・・・・

 堂岩山からは、視界が悪く、強風に悩まされながらであったが、行けども行けどもの語句のように先が見通せなかった。山頂というのは、大体らしきと思う後方に位置するものであるが、今回の白砂山は、本当に行けども行けどもであった。

 しかし、幾つものアップダウンを繰り返すといっても、大きいものではないだけに、それなりの歩きをもってすれば、私が嘆くような事はない。金沢レリーフ前後頃から、キスゲが登山道の脇に現れ、いっぺんに疲れを和らげてくれたような気がする。

 山への感じ方などは、人それぞれであって、私がここに記述しようとする事が、果たしてあっているかどうかは疑わしいと言わざるを得ない。しかし、ずっと、お花がなかっただけに、私の心を有頂天にしてくれた事は間違いない。

 擦れ違った登山者の方々に、榛名山・赤城山などと教えて頂いたが、うっすら遠くだけに、その感激は薄い。ましてや、佐武流山・苗場山や岩菅山方面は、全くの雲の中なのであるから尚更だったのかもしれない。

 山頂で、茨城から来られた御夫妻とお話しをした。富山だと知ってか、「熊ノ岩でキャンプが出来るか?」 と聞かれて戸惑った。年格好、そして、この山頂までの到達時間などを考慮しても、不似合いのような気がしたからである。岩をやらないまでも、池ノ谷乗越や長次郎のコルまで行くのなら分かるが、何故と思ってしまった。

 でも、私のように、過去の人なのかもしれないし、実力を温存しておられる方なのかもしれないし、一様に云々と言えないのかもしれないから、「よく検討して下さい。」 とだけ言っておいた。山頂に一張りのテント(ツエルト)があった。群馬の県境を歩いているwandererさんである。雪ある時期でなく、藪を好んでいる方のようであった。(お天気の回復を待っているとの事)佐武流山から苗場山へ行くと言っておられた。

 下山路は、堂岩山から八間山を経由する事にした。一時間一生懸命歩いても、高度は100mしか降りないのであるからイヤになる。問題はその先であった。もちろん勉強しておれば、富士見峠を目指せば、お花の群落の中に行けたのかもしれないが、またまた自動車道を、1時間以上歩かなければならないのである。車デボ地点に、近い方のルートを選択しただけに、全くお花がなく寂しかったのである。

 下山して、ワイパーに置き手紙がある事に気が付いた。この野反湖に、「高岡の堀さん」 が来られたとの事であった。我々と違い、翌日八間山に登り、そのまた翌日に尾瀬に行かれるとの書き置きがあった。よく私達の車が分かったものだと思った他に、充分時間を掛けて山を楽しまれる事への羨ましさがたまらなかっった。

 お花の写真を撮ることにおいては、プロ級だし、山を誰よりも愛しておられる御夫妻を見習わなければいけないと思ってしまった。腰を落ち着かせて、ゆっくり山を楽しむのである。そんな日が私には来るのだろうか?



7/14 「そんな身体で・・」 「こんなお天気なのに・・」 と思われるかもしれませんが、休日は、山に行かなければ、どうしようもありません。お天気の悪い時に、難度の高い山にも行けませんし、遠出を選択してみたくなりました。

 先月、いろいろな事があって行けなかった、「白砂山」に、再チャレンジです。明日未明に出れば、ビールが飲める午後10時頃には帰れると思っています。 (どんな身体で戻って来るか分かりませんけれど・・) 「では、来週の連休は?」 「この歳になると、明日の事は分かりませぬ。」



7/13 咳は、随分と改善したが、声は、まだ思わしくない。今日は、喉頭ガンで声帯をなくした人が、訓練して声を取り戻したような状態と、似ているとまで言われてしまった。視力・聴力など何を失ってもダメだが、「助けて!」 だけでなく、「痛い!」 とも、叫べない情けなさに、イヤハヤ参っている。明朝、目が覚めると同時に、声が戻ってて欲しい。



7/12 今日も声で苦労した。ちょっと、聴力の落ちる方との会話では、全く通じず、身振り手振りになってしまった。でも、少しずつ、良くなっている。(良くなっていると信じなければ・・・) 何人もの方々に、声煩い(恋煩い)と冷やかされたが、「ドキドキする胸、恋かと思ったら、不整脈。」 と返しておいた。

 雨模様の三連休に、目的を達成するために出掛ける人もいる。モチベーションを維持する事に苦慮している自分から見れば、雲の上の人かもしれない。15日は、一日フルに使える日なのに、その行き先が決まらない。

 もっとも、計画はあるのだから、悪天でも行けば、それなりになる。唯、「行っただけの山」 と 「行かなかった山」 どちらが意義があるのかは分からない。そして、モチベーションの欠落だけで片付けられるものではないような気がする。



7/11 声が出ない上に、内蔵が飛び出してしまうのではないかと思うような咳込み方に、辛くて辛くてしょうがない。これが夜になると寝てはおれない。だから、日中は、眠気・疲れから何をしても捗らない。

 昨日、仕方なく、医院を訪れた。風邪としては、何年・何十年ぶりなのか記憶にない。咳や痰の症状を訴えたからであろうか、漢方薬を含め5種類の薬である。「ワーッ、何で・・」 も思いはあるが、早く治したいから従うしかない。

 ジワジワと効く薬なのかもしれないが、一日半経った現在、黄色い痰が、白く(透明)なった程度であまり変化がない。こんな体調だからかもしれないが、お酒類を飲まなくなってから、一週間近く経っても差程欲しくない。これも、山といっしょで、癖の物なのか! それよりも、怖い夜が、またやって来る。



7/10 このところ海の日の休日が、私の休日(第3日曜)とくっつき、三連休とはいかないまでも、何とか皆さんと付き合える連休であった。しかし、今年は、暦のイタズラで、第2日曜と第3月曜の海の日が、くっついてしまい、ちょっと寂しい思いをしている。

 それよりも、孫の事から、なかなか連休は当たらないが、娘に懇願するか、「山ノ神」に犠牲になってもらうしかない。山を始めた頃は、毎年剱沢を訪れたいと思っていた。しかし、お天気回りなのか、寄る年波なのか分からないが、このところは、10年に3回程度しか出掛けていないようである。お天気ばかりでなく、他の山にも出掛けているからかもしれない。

 そして、「あっ」、と思った。7/18は、簡単だと言えども、左手中指の手術が控えている。恐らく何日か仕事が出来ない。日数からして、まだ抜糸も出来ていないのに、のほほんと、出掛けられるのかとなる。きっと、今までは、出掛けていたのであろうが、孫がいる分、「山ノ神」が強くなった分、なかなか問屋が卸さないであろう。



7/9 朝起きたら声が出なくなった。咳は、ちょっぴり少なくなったような気がするが、痰が酷い。出だしが全くダメだから、声掛けや電話の応対がまるでダメ。弱った! 快復気配が全くなかったら、やっぱり医者に行かなくてはなるまい。

 それにしても、嫌いな医者通いが続く。昨日は眼科、明後日は、歯科。そして、一週間後は形成外科での手術。ケガや病がなかったら、時間も費用も掛からない。その分、好きな事に使えるのであるが、なかなか、そう上手い訳にはいかないようだ!



7/8 流石の今日は、「行かないムード」 が漂っていた。 それでも、「行かないハズがないだろう。」 が、家人の眼差し。娘も、「医者にだけは行って来てね。」 を言い残して職場に向かった。

 自宅発が午前9時をかなり回っていたが、午後3時~4時くらいまで戻れば、眼科も内科も行けるのではの目算あった。一週間経った白木峰のニッコウキスゲや、ササユリの開花状況が気になっていたのは元より、風衝草原で、のんびり一時を過ごせば、少しは気分が良くなるのではの思いがあった。

 そして、時間の経過で、少しは病状が改善されるのではないかの淡い(甘い)考えも潜んでいたのである。靴紐を結ぶのに、下を向くと頭が痛い。喉の異常から痰や咳が酷い。一生懸命喋らなければ声が届かない。おまけに、目やにが出て視界が可笑しい。など多くの症状を抱えながらの歩きであった。

 先週も一週間殆ど口を利いていない「山ノ神」であったが、山行に合わせて付いて来るのが、何だか恒例化しつつあり、おかしな夫婦・おもろい夫婦になって来ているのかもしれない。「マスクをしておれば、虫を吸い込む事もないのでは・・」 と言ってくれたけれど、急登箇所では、尚更辛い目に遭わなければならなくなる。

 ずっと、手前での駐車を覚悟していた割には、最近1300m付近の駐車場のスペースが、拡張整備された事や、今年は、まだ新聞に載っていない事も手伝ってか、2~3分ほど歩けば良い所に駐車出来、身体の弱っている私にはラッキーであった。

 今日の山中滞在予定は(駐車場から駐車場に戻るまで・・)、4時間前後であったから、コンロ・コッフェルなどの炊事用具を外した事もあって、2人ともサブザックとした。「山ノ神」 の運転も有りの理由から、点滴用具もなしであったから・・・

 「何と軽いのか!」 私は、いつも何を担いでいるのかと思ってしまった。これくらいならば、「この先、何年も山歩き大丈夫!」 である。晴天のハズだったのに、山頂から延びる風衝草原では、何度も何度ども傘を差した。でも、短時間で止む通り雨のようで、また明るくなると、ニッコウキスゲが際だって見えた。

 今日は、たくさんの方々とお話しが出来た。赤谷山以来の八尾の島崎氏、小白木峰寄りの祠付近では、先週もお会いした大沢野のご婦人3人組。(よく覚えて頂いていた。) 木道上では、高岡の千保夫妻、浮島では、岐阜からお越しになった男性3人組(動物・植物などの撮影のため)に、カオジロトンボを教えて頂いた。浮島には、4種類いたと言われが、それだけ覚えられただけでも良しである。

 黒部のH氏にも、声を掛けて頂き嬉しかった。美形の男性であったから、写真を載せたいのであるが、許可を得ていないので割愛してしまった。そして、最後には、白木峰を取材に来ておいでたM女史とお話しが出来た。きっと、明日の北日本新聞を賑やかに飾られる事でしょう。

 帰宅してから念の為、眼科に出掛けた事は言うまでもない。それで、すみやかに休めばいいものを、ずっと前からの約束事であった高校時代からの有志の会の飲み会に出掛けた。2時間ばかりであったが、ひさしぶりの冷たいビールは美味しかったが、物はあまりたべられなかったような気がした。明日は、大丈夫なのだろうか?



7/7 このままでは、明日の事は分からない。何もかも、朝起きてからになる。だが、目も可笑しくなって来た。そして、夕方から飲み会もある。本当に困った。後は、私の治癒力の問題だ。でも、衰えて来ているのは確か。



7/6 体温が下がったが、まだ、喉が痛い。でも、明日までに治さなくちゃ! 今日も飲まないで、早く寝る事にしよう。



7/5 前々から気になっていた事で、市民病院形成外科を訪れた。左中指皮下腫瘍切除術を18日の午後に決めて来た。簡単な手術だから、大した事はないと思うが、また、何日か仕事が出来なくなると思うと、ちょっと憂鬱。

 この10年の間に、鼠形ヘルニア・静脈瘤の手術を受けている。医師側からみれば、手術の内に入らない手術だそうだが、イザ手術となると、これでもかとハンコをおさなければならない。振り返って見ると、内的なものの他に、スキーや登山で、骨折・脱臼などで、一ヶ月近く仕事から離れたことが、5回や6回ではないような気がする。

 それでも、この30年間程は、スキーや雪山に行きだしてから、風邪で病院・医院に行ったことがないような気がする。でも、今日は、病院に行った頃から、寒気がしてならなかった。夕方には咳が出だした。体温も38・5℃を超えた。だるい!今日ばかりは酒ナシで早く寝よう。



7/4 目が覚めたら午前1時半であった。ちょっと余計に飲み、PCの前に座ると、この頃よくなる状態である。ドンドン飲み上がっていくわけでもないが、メリハリを付けて飲むようには心掛けているハズ。目が、チョロチョロではHPの更新も覚束ない。それどころか、ヘンテコなメールを出していないか心配になって来た。

 由利香さんから贈って頂いた北海道礼文・利尻産のウニが、お酒を尚更美味しくさせた感があった。今晩は、ちょっと控え目にしなければ・・・・



7/3 娘の仕事が忙しいらしく、帰宅が午後9時・10時、時には終電車になる事がある。その煽りを受けるのが我々で、自分の子供でさえしていなかった入浴やオムツの交換を強いられるようになった。

 どうしようもない事もあるが、ニッコリした顔を見るに付け満更でもない。下の孫(1歳と5ヶ月)のシャンプー時には、まともに、ザブンとやるから泣きじゃくる。でも、終われば、「ジィー」 とニッコリ寄って来る。

 そんな生活が、4ヶ月目に入った。疲労なのだろうか、体調を崩し気味の娘であるが、決して弱音を吐かない。「東京へ戻れ!」 を言われたくないからか、それとも、自分の夢(目標)が、あるからかもしれない。

 まだ、新たな職に就いて間もないが、「休暇を取るのなら、この日に・・」 と、なかなか言い出せない。もちろん、どれだけ休まれるかも知らないのに・・・ 逆に、「山ノ神」から、「同じ休みの日に、山に行かずに娘達に付き合ってやれ!」 と言われている。「あんたが付き合ってやれ!」 と言うのであるが、車を取られてしまいそうである。



7/2 何処に行くか迷った。ブツブツ言う 「山ノ神」に来るなとは言えない。時間制限下では、行き先が限られて来るし、かといっていつも同じ所では飽きてくる。しかし、振り返ってみると、母の介護の頃(12~15年程前)は、もっと厳しい条件下で、それなりの山行をやっていたのであるから・・・

 「ゴンドラに乗れば、鍬崎山に行ける。」 と「山ノ神」に提案すれば、やっぱり 「えぇ~ッ」 となったが、今回は、それで押し切る事にした。「イヤければ・・」 だけは言わなかった。でも、今度は、孫がぐずった。なかなか食事が進まない。食べさせようとしたら、憤慨し尚更可笑しくなるので、仕方なく待つ事にした。この時間帯の10~20分は、ラッシュになるだけに、もったいない時間であったがしょうがなかった。

 ゴンドラ駅では、「大品山ですか?」 と聞かれたが、「鍬崎山です。」 と答えた。しかし、心配そうな顔をされたので、「必ず、最終まで戻ります。」 と重ねた。瀬戸蔵山まで30分も掛かったので、こりゃいけないと思ったが、大品山まで60分だったので、何とかなると思った。でも、一旦大きく降るだけに帰りは大変だと思わざるを得なかった。

 鍬崎山までは、3~3・5時間だと思っていただけに、刻々と過ぎて行く時間に、焦りを隠せなくなり、1,850m付近で、故障気味のコンロに火を点け、「山ノ神」を待機させる事にした。

 いつものパターンであるが、少しの時間をもらって、私だけが山頂に行く。そして、「山ノ神」だけが、その時間に嗜好品を楽しむのである。私は、少々お腹を空かそうが、お山のてっぺんを伺う方が好きなのだから仕方がない。

 今回は、残りの標高差が240~250mであった。果たして、許された時間で行って来られるのかと不安であったが、往路25分 復路15分であった。山頂からは、有峰湖が望めたが、薬師岳には、ガスが掛かり下部しか伺えなかった。半袖一枚では、寒いくらいの風が吹いていたが、てっぺんに立つ満足感がそれを上回った。



7/1 白木峰の風衝草原に、爽やかな風が吹き快適な歩きが出来た。ニッコウキスゲが咲き始めたばかりで、黄色に埋め尽くされる光景には程遠かったが、例年の日にちから見ても、それは致し方ないところである。

 それよりも、湿気がないというのか爽やかな風は、イヤな虫を、何処かに追い払ってくれたかのようで、浮島で腰を降ろすには最適であった。あまり好天時には、白木峰を訪れていない事もあって、今日は、乾いているから、まるで梵天のようなワタスゲが可愛かった。

 好天に恵まれたとは言え、平日の月曜日であったが、駐車場がいっぱいになるくらいのハイカーが訪れていた。やっぱり、中高年というのであろうか、私からみれば、もっと年上の方々が多かったと思ったが、それは私の思い込みで、私の方が年上であったりして・・・・

 ずっと、浮島や山頂付近で、山並みを眺めながら、ゆっくりするというのもいいのであったが、週に一度は、思い切り歩きたい私は、小白木峰へと足を運ばせた。ササユリの開花はまだなく、ブツブツ言いながら付いて来た「山ノ神」は、必然とススダケに目をやっていた。

 ススダケは不作?のようであるが、それなりに採れば重量が増す。いつもの事であるが、「イヤなら止めてもいいよ。」 と言いながら、小白木峰山頂まで行き、近年、展望台と称して、刈り上げられている所のベンチで腰を降ろした。腰を降ろしたと思った途端に、「山ノ神」が、「これだけが楽しみ・・」 と点滴を打ち始めた。

 100円×2くらいであるから、金額的には問題ないのであるが、その点滴も水も私に担がせて・・・  こちらは、ラーメンとコーヒーだけなのである。 でも、「家に帰ったら、その分まで飲んでやる。」 の気持にして我慢である。

 小白木峰への道は、樹木が高くなる分だけ風通しが悪く、汗が噴き出してしまった。帰りは、水分だけ軽くなったとは言え、尚更重い物を担がされる。でも、喘ぎ喘ぎの「山ノ神」には少々呆れるが、後々のために我慢である。