8/31 所用があったらしいが、ムコ殿が午後からやって来た。そして、皆を連れて、明朝一番早い 「はくたか」で帰京するようである。したがって、明日から1週間は、否応ナシに 「山ノ神」 との二人だけの生活に戻る事になる。

 もっとも、明後日からの我々の連休に、合わせてくれた意味合いのある休暇となるようであるが、当の我々が思うようにならない。お天気の悪さもあるが、片付けが順調にいっていないのである。そこへもってきて、「山ノ神」 が咳き込んでいる。明日になってみなければ、いや、当日になってみなければ分からないというのが本当のところ。




8/30 北陸を含む日本海側が大雨の予報であったが、友人達のグループは、北アの名峰に望んだ。しかし、途中の山小屋関係者からのアドバイスや下山者達の情報を元に、苦渋の決断をし、引き返したようであった。

 私は、正解であった。と思っている。例え、後にお天気が回復傾向であろうが、それは結果であって、グループ全体の安全を考えれば、現地の状態や、狭義の情報だけでは致し方なかったのではと推測される。 雷も怖いが、増水した沢は、もっと怖い。命は一つしかないから大事にしたい。




8/29 8月も、もうお終いだ! 今夏は、思い通りの山行が出来たかと問われれば、やっぱり不完全燃焼と言わざるを得ない。しかし、年齢や家庭の事情を考えれば、それなりの事をやっているような気がする。

 はち切れそうに、そして、夢いっぱい持ってが、私の理想とするところであるが、なかなかそうはいかない。一人で生きているわけでないし、調和というものがある。「腹八分目」 という言葉があるし、「まあ、まあ」 にしておこうか!




8/28 上の孫(4歳の女の子)が、微熱のせいなのか保育所へ行く事を渋り、食事もせず臥せってしまった。そして、昼食どころか、何も口にせず、非常に機嫌が悪かった。37℃台前半の熱なのに暑い暑いを繰り返していた。

 夕方、再び熱を測ると、38℃半ばまで上がっていた。依然何も食べようとしないし、終いには、本人が、「お医者さんに行きたい。」 と言うではないか! 「山ノ神」に相談したら、行かなくても大丈夫だと言うし、行くなら、「あなたが連れて行きなさい。」であった。

 ならばと、出掛けたが、孫のために病院・医院に出掛けるのは、先日の下の孫の急患センターと2度目である。行き付けの小児科医は女性で、スタッフ全員が、子供目線の対応であった。孫も、そんなのならかどうかは分からないが、安心していたように感じられた。

 出迎えてくれて、薬もその場で飲ませてくれし、そして、お決まりの、キャラクターのシールまで用意しておるのであるから、かなりの営業感覚である。でも、私は、このようなやり方は素晴らしいと思ったのである。

 仕事から帰った娘(母親)は、ちょっと熱が下がった娘に、食べる事を強要していたが、薬を飲む前に、その孫は、戻してしまった。でも、やはり親子関係というのであろうか、夜中のトラブルはなかったようである。




8/27 私は、結構物持ちがいい。そして、自分で言うのも可笑しいが、どちらかというと真面目である。だから、使える物とか、記録や写真・手紙類を溜め込んでいた。賀状などは、小学校の時からの分を残していたが、流石に5~6年程前には、かなりの物を処分した。

 写真は、PC・デジカメ以前は、きっちりとアルバムにコメント付きで、誰が見ても分かるように整理してある。手紙・ハガキの類は、定形外の物を除いて確保されているが、そろそろ見切りを付けなければと思っている。

 しかし、結婚前の手紙・ハガキ、そして、それに順応するものは、「青春の記録」 として、捨てれるものではない。見られて困るというのか、見られたくないと思う物は、封印の形をとってある。

 それを蔑ろにされたら、今の人生を語る事が出来ず、何が何でも守り通さねばならない。あの時はと思って50年。早いものである。そのような中で、両親の遺物を処分しなければならないのは、断腸の思いである事は間違いない。

 でも、私は欲張りである。まだまだ想い出を作りたいと思っている。残された寿命とはまた別に、中味の濃いものである。出来れば、家族、そして、友人・知人などとの共有の想い出を望むものである。




8/26 先週50年間使っていた机を処分したが、今日は、両親が使っていたタンスを二つ処分した。まだまだやらなければいけない事がたくさんあるのだが、一つ物を無くす毎に、想い出が一つ減っていくような気持になり複雑である。

 解体し焼却場に運び終わったら午後1時を回っていた。それからの山歩きの場を、「城ヶ平山」 としたが、やはり暑かった。でも、時折吹く風に、秋の気配も感じられ、ヤマボウシには実が成っていた。

 途中、ミョウガを見付け、少しだけゲットしたが、今朝なのであろうか、それとも昨日なのであろうか分からないが、その収穫に葉が踏み倒されていた。 (収穫には、仕方がない事かもしれないが・・・)

 そのミョウガに気をとられたけれど、時間のない中でも、山頂への執念は欠かす事はない。保育所への迎えを考慮すれば、食事などはそこそこに、一杯のコーヒーでお終いにした。汗だくになって、解体作業をし、暫しの時間だったけれど、山中におれた一日は、私にとって、結構充実したものであった。




8/25 来週から床下工事を行うため、いろいろな物を片付けなければいけない。欲張りな私は、その工事を月初めの連休を使ってからお願いしているため、実質の休日作業は明日だけになる。でも、意志の弱い私が、明日の休日を丸々作業に当てる事が出来るかどうかは不透明であるが、日程が押し迫ってきている事だけは確かである。

 今一番頭を悩ませているのが、19年前に他界した父の持ち物である。父は明治の人らしく、物をとても大事にしていた上に、書道や俳画などを楽しんだ人である。その作品の他に、その道具、また写真や日記などが山ほどあるのである。日記などは、亡くなる3日前まで綴られているのであるから、目を瞑って放るのなら出来るであろうが、一旦、目を通してしまうと、なかなか出来るものではない。

 今まで邪魔にもならないから、そのままにしておいたツケが、今回って来た事になるが、そのような事を思えば、私の物も、そろそろ整理しておかなければなどと思ってしまう。そして、片付けるにしても、今度は、何処に一時保管するかになる。捨てる捨てられないの格闘が今暫く続く。




8/24 ちょっと遅い夕食時に、姉との物の取り合いに負けた1歳6ヶ月の孫が、泣きながら倒れた場所が悪く、額が柱の角にぶつかった。「わ~っ」 と叫んだと思ったら、見る見る内に、額がピンポン球のように膨れ上がり、その真ん中に、内出血だと思われる紫色の線が走った。

 母親(娘)は、慌てふためいたが、私は、「たんこぶだよ!」 と言って、氷で冷やしに掛かったが、孫は、それを振り払い泣きじゃくっていた。でも、「どうしよう・・ どうしよう、こんなのは初めてだ!」 と、不安げな母親の顔を見ていると、それならと、急患・救急センターへ連れて行った。

 その症状を見て、外科に回されたが、担当医師は、私と同じような見解を示されたが、「此処では脳の中を調べる機器がなく、もう少し様子を見て、嘔吐や血の気が引いていくようなら、救急車を呼び、大きな病院へ行きなさい。」 と言われた。また看護師から、その後の症状の変化や、非常時の事などを教わって帰宅したが、時間と共に症状は治まっていったようである。

 丁寧・親切に応対して頂いた医師・看護師に感謝し、深々と頭を下げて戻ったが、母親も、なかなか寝付かれなかったと思う。当たり前と言えば当たり前であるが、子と孫への対応違いと、子も親と同じ道を歩むのだと思った。




8/23 北陸は大雨。高岡の時間雨量が60ミリ。24時間雨量も200ミリを超えた。交通にかなりの支障が出たり、浸水もあったようである。明日、また明日から山へ入られる予定の方々の中には、やむなく中止・延期にされた方もあるようだ。

 やっぱり危険を伴うような山へは、行かれない方が良いと思うし、道中にも、どんな危険が潜んでいるかも分からないのですから・・・・ と言うものの、雨でも出掛けなくてはの輩の一人である私とて、大雨や台風の時は、考えてしまうし、それこそ限定的な所へしか出掛ける事はない。

 でも、おかしなもので、続行すると降るが、中止・延期にすると、お天気が回復したりする事が何故か多い。また、下山する頃にとか、車に乗ってから晴れて来るのも、何故かと問うてみたい気持になる。お天道様しか分からないのだろう。




8/22 先日の白馬岳行きは13回目であった。このところ、7年連続で出掛けているし、初登頂が、40年以上前 (H.46.08) だから、もうちょっと回数を重ねているかと思ったが、自分の思いとずれていた事になる。

 白馬岳に限らず、同じ山を毎年登るのは、自分の体力を知るバロメーターになる。しかし、一年に一度は登りたい山が、数多くあるだけに、天候・休日・家庭環境など考慮しながらの選定に苦慮している。




8/21 埼玉の姉から電話が掛かった。公衆電話からであった。普段は、ディスプレイに公衆電話や非通知・表示圏外などと表示された場合や身に覚えのない県外からの電話には出ないのであるが、何となく出たのが正解であった。

 お盆頃から何度となく電話を掛けても出ない姉に、可笑しいと思っていた矢先である。案の定入院中で、取りあえず連絡だけはとの事であっが、血糖値を下げるために2週間の入院。そして、落ち着いたら人工関節にするための長期入院となるようである。

 「膝が悪くなって歩けなくなったから・・」 なのであろうが、3年前に膵臓摘出の大手術をしているものの、娑婆に縁があるらしい。今回の決断も、「親の墓参りにも行けないようでは生きている甲斐がない。」 との事であったらしい。「もしかしたら、戻れないかもしれない。」 という姉であるが、気丈な人だけに、私は生還を祈っている。

 私は、姉・兄達の死を知らないが、小3で北支の大源で終戦を迎えている10歳上の姉(次姉)は、私から見れば、長姉・長兄・次兄、そして、弟の死を目の当たりにしているだけに、私をとても大事にしてくれていた。その姉の若い時は、投てきの競技選手で、レベルの低い富山県や北陸3県では無敵であったが、今は、その面影は薄い。




8/20 また誕生日を迎えた。ついこの間60歳になったと思っていたのに、もう半ばを過ぎてしまったのだから、心は純情ではない。「高齢者」や「老人」などの類の語句が、周り中にウヨウヨしているのだから困ったものだ。

 しかし、衰えは自覚しつつあるし、抵抗しても限度というものがある。ならば、仲良く付き合っていくしかないという事になる。傲慢にならず、心から接すれば、まだまだ仲間として付き合ってくれる人達がいるハズである。

 「若くありたい。」 には、病気やケガが最大の敵であるが、陥ってしまったなら、すぐに治す気力が大切であろう。「病は気から・・」 であるように、その差は多分にあるような気がする。如何せん容貌だけは思うようにならず、辛いところである。

 鍛えれば、筋力は付くようであるし、笑っておれば、何となく福(喜び)が転がり込ん来るような気もする。後は、常に夢(目標)があれば楽しいし、話題に事欠かない。




8/19 昨日は、殆ど寝ずに午前1時半に家を出た。15時間ほど山中を彷徨い、眠い目を擦りながら、午後11時半過ぎに家に戻った。喉が渇いていたからか、風呂上がりに、3本の缶ビールが、スーッとお腹の中に入っていった。

 連休二日目の今日は、「山ノ神」もいないし、必然的に山に入ってもよかったのであるが、後日に行われる家の補修に関する片付けに徹した。暑い日であっただけに、汗が噴き出し作業そのものは捗らなかったが、それなりに物事をこなせたような気がしている。

 この連休のために、娘はギリギリに休暇を取ってくれ、キャンプを薦めてくれたが、昨日の歩きで、自分はかなり満足をしている。そんな私を、娘は、ランチに誘ってくれた。豪華なものではなかったが、二人で、小一時間ゆっくり話せ頗る満足であった。




8/18 歳を食ったけれど、どれだけ歩けるか試してみたかった。でも、歩くだけでなく、稜線からの展望を楽しみながら、時にはお花と戯れながら、もし、その計画が実現出来たら、ご褒美として、山頂レストランで、コーヒー・スイーツを楽しむ(頂く)というものだったが、私の脚力は、そんなにも残っていなかった。

 裏旭岳と小旭岳の深い鞍部で、これでは行って戻れないと思った。ある程度の暗がりを歩く事は想定していたが、何せお腹が空いてしまった。一気に4~5キロくらいは痩せそうな感じ方であった。その空腹感は、達成感を上回ってしまいステキな山々を眺めながら昼食としたのである。

 しかし、残念無念とかという空しさは全くなかった。やはり暗くなって、蓮華温泉に戻ったが、いい山旅であった事に違いない。清水岳に向かう途中、名古屋から来られたという中高年のご夫婦と遭遇した。白馬大池・白馬山頂・鑓温泉でのテン泊だという。「夕食は山小屋で・・」 だとも言われた。 「いいな!」 「羨ましいな!」 と思った。夫婦と限らず、気のあった山友と、そのようなステキな山旅が出来たらと思わずにいられなかった。




8/17 明日は、どうなるか分からないけれど、思い切り歩いて来たい。白馬岳を越えられるかどうかは、出発時間と、最近の体力で歩き通せるかに掛かっている。雨に遭わなければいいのだが・・・




8/16 息子が帰った後、孫達を連れてファミリーパークへ出掛けた。私は、全くの初めてで、何が何だか分からなかったが、「祖父母と孫の支援事業」とやらで入園料がタダ。ラッキーであったが、ち~ゃんと、お金を使いたくなるようになっていた。でも、幼いだけに乗り物に限りがあるし、冷たい飲み物やアイスクリーム程度であったから、想定内で助かった。

 それにしても、暑いのに参っているが、完全孫守も今日で終わり。あっかりだ!そのくせ、来年になったら、「山に連れて行けるかな?」 などと思ってしまうのは何故?



8/15 何処へ行こうかと迷っていたところに、ドラエモンの映画が、テレビでやっていたものだから、出発がお昼頃になってしまった。挙げ句の果ての行き先が「碁石ヶ峰」であったが、2キロ手前で工事のため通行止めとなっていた。

 ならばと大境海岸へ行ってみると、凄い車の数であった。「ありゃ!テントを持参すれば良かった。」 のにと思うほどの暑さに参ってしまった。始めは、水に足を付けるのさえ嫌がっていた二人の孫娘が、上がるのがイヤだと言い出し困ってしまった。短い時間であったが、私にしてみれば結構長く感じ、帰宅途中に食べたアイスクリームで生き返った。



8/14 長男がやって来た。でも、思ったより飲まなかった。一箱用意していたのに、半分程しか行かなかったようである。もっとも、私も弱くなって、先に音を上げてしまったからか、話があまり弾まなかったように思う。でも、やっぱり帰って来てくれると、何となく落ち着くというのかあっかりする。(安心する。)

 息子(長男)が来ているのなら、ムコ殿も、東京から駆け付けようかとの連絡があったらしいが、日程が合わなかったのか、流れたようである。横の連絡に、タッチしていないのでよく分からないが、もっと先に連絡をしあっておれば良いのにとか、仲が良いのかと思ったり、親の余計な勘ぐりをしてしまった。



8/13 早いもので、いつの間にかお盆である。今年の盆休(8/15~8/16)は、娘の勤務もあり、孫守に徹する事にした。と言っても、何処からしい所へ行くに違いない。幼き孫達は、そんな所に行きたいはずもなく、ジジ・ババの勝手に仕方なく付いてくるしかないないのは可哀想。

 何処か孫達の喜びそうな所を、「山ノ神」は探しているのだろうが、「暑いだけでそんな所はない。」 と私は言い続けている。しかし、そのような囁きに、「山ノ神」は、全く耳を貸さない。

 私の休日は、8/18~8/19である。(8/19は、確定していないもどかしさがあるが・・・) モヤモヤを一気に払えるように、お思い切り歩きたいと思っているが、これも、直近にならなければ分からないのでは・・・・



8/12 限られた時間の中で、毎週何処へ行くかと迷ってしまう。「低山や同じ所はイヤとなれば、もっと速く歩けば・・」 が、エスカレートし一悶着と相成る。すんなりと高所へは行けるはずがない。時間がいるし、お金も掛かる。遠出となれば尚更である。

 しかし、行き先が未定のままハンドルを握るが、この時期は、立山・上市方面しかないであろう。当然、必要以外な事は喋らないし、雰囲気も険悪である。「一緒に行って何が面白い?」 と思うのであるが、長年連れ添っているだけに仕方がないとしか言えない。

 「他の人には優しく出来るのに・・・」 と、「いつも一緒だから、充分が言える安心感がある。」 の共存としか言えないが、直前に決定とか変更自由とかの便利なところもあるし、少々の仲違いも、やり直しが利くいう利点もある。

 でも、この頃は、「自由が全くなくなった。」 「思うようにならなくなった。」 を実感している。これが、つまらない人生なのか、どうかはまだ分からない。そのような中、午前10時を過ぎてからであったが、八郎坂を歩いた。滝の流れを眺めながら汗を掻いた。七曲を過ぎた所で、今日の引き返しを決め、ベンチある所で昼食とした。



8/11 1歳6ヶ月の孫は、今日は大丈夫であったが、このところ夕方になると高熱になる。4歳の孫の発疹も気になる。多分アセモだと思っているが、せっかく、一昨日から、保育所に行けるようになったのに、ちょっと心配である。

 こんな事で、やはり電話が通じて、すぐに対応出来る所しか出掛けられないかもしれない。「どうしても・・・」 という所に行くわけでないし、この一年は腹を括っている?から我慢が出来るというもの。「トレーニングは、その気になれば、どのような方法もある。」 などと思うしかないであろう。



8/10 連日の熱帯夜に疲れ果てている。空調のない部屋で耐え忍んでいる。しかし、大方の意見は、「我慢している年齢でないでしょう。」 である。子供のように、ゴロゴロ転げ回っているが、まだまだ耐え凌ぐ事が出来ると思っている。

 暑さ・寒さを凌ぐ例えに、「暑いのには影がある。」 と言われて来た。今の時代に通用するとは思えないが、何にでも弊害があるのだから、満更でもない。しかし、私のような者が、あれやこれやと努力しても眠れない日は、一夏に2~3日ほどあるが、少々寝られなくとも死ぬ事はない。お盆過ぎとは言えないまでも、月が変われば、必ず涼しくなるし風が吹く。



8/9 家が傷んできている。出来れば、自分の寿命まで、何とかもってくれないかと思うのであるが、なかなかそうはいかないようである。でも、無いものはないのだから、ジタバタしても始まらないと言うのが本当のところ。

 そして、次から次へと耐久消費財も故障がちである。こちらの方は、ある程度予想は出来ているから良いようなものであるが、それとて、これからの生活を思うと暗くならざるを得ない。「すぐに歳を取ったわけでなく、準備する時間があったハズ。」 と言われてしまいそうであるが、今まで自分の思う通りになった事など殆ど無くなく、悉く何処かへ消えて行ってしまった。

 「人生思い通りに行くハズなどない。」 のであって、それを承知しておれば、違った世界が開けて行くというもの。病気やケガをしながらも、まだ好きな山に行けるというのは、家族があり、友人達に恵まれているからであろう。妬まず、「心の中で、自分が一番幸せ者。」 と思っておれば、諍いもなくなるのだが・・・・



8/8 孫達が、手足口なる病で保育所を休んで4日目になる。時たま、高熱、また、口中の痛みを訴えたりしない限り、それこそ、「何処が病だ!」 と思うくらいに元気である。それ故に、我が家はワヤワヤ状態が続いている。

 イヤハヤ参っているが、これが、幸せか否かは、その時の精神状態によって随分違うものである。山歩きも、単独や少人数で歩いていると、大勢でワイワイやってみたいと思うし、大勢での山行が続くと、その煩わしさから、単独の歩きに、心がそそられるから、人間って、本当にわがままである。

 優しくしてあげれば喜ばれる。優しくしてもらうと実に嬉しい。こんな簡単な事が、いつも何処でも、どうして出来ないのかと思ってしまうが、家では本当に難しい。。。。。  時々、会う人には出来ても、毎日一緒にいる者には、なかなかなんだろうね。修行のやり直しになる。



8/7 自分がよく分からなくなって来た。「何でやねん!」 欲張りだからなのかもしれないし、まだまだ考え方が幼稚(未熟)過ぎるのかもしれない。この歳になってである。他人様に格好の良い事を言いながら、自分のやっている事は、「一体全体何やねん。」 である。

 あれもこれも、本当に身の程知らずで、卑しい自分がイヤになって来た。我慢する事が素晴らしい事だというの忘れていたような気がする。欲しい物が手に入れば、今度は次の物が欲しくなる。それが進化という事に繋がっているのであろうが、先に切りがなく、争いも付いて回ってくる。

 今まで築きあげてきた平和・友情・信頼などに、砂上の楼閣的なところもあるが、自分から壊さない限り、いつまでも続くような気がする。イヤな事は言わず忘れる事。どんな時でも笑うに尽きる。怒ったら損。この原点さえ見失わなければ・・・・・



8/6 昨日・今日は私達の連休である。私は、昨日大猫山に出掛けたから、今日は留守を預かっても構わないと思っていた。2日間とも、時間制限下の山行では、なんぼなんでもイヤになって来る。でも、「交代で・・」 を提案する毎に、「山ノ神」から拒否され続けていた。

 自由になる私が、どれだけイヤなのか分からないけれど、昨日も帰宅すると、「山ノ神」の機嫌が良くなかった。もっとも、二人の孫が、手足口病なる症状が出て、保育園から返されたのもあったのかもしれないが・・・・

 今日は、その孫達を私が預かる番になってしまった。1歳の子のオムツ交換や薬を飲ませる事など、私が出来るのかと思ったが、娘が、午後から早退してきてくれたから助かった。でも、娘の力になってやれなかった事に、ちょっぴり自分の不甲斐なさを感じている。

 何せ、何処かへ行きたがっていた「山ノ神」は、夜明けと共に、市ノ瀬側から白山へ行ったようであった。同じ行くなら、前夜から、行き先を告げておいても良いハズなのに、書き置きがあって、それが分かるくらいであるから、おかしなババーである。

 家に戻った「山ノ神」に対して、私は何も言わないから、それがまた気に食わないらしい。「そんな些細な事」 他人様からみれば、可笑しくてならないだろう。「幾つだと思っているんだい。」 などと言うのもイヤになって来た。夫婦間の危機である事に間違いはない。



8/5 紆余曲折があったが、大猫山に出掛けた。私を入れて、好山病メンバー4名であったが、久し振りであっただけに、会う事だけでも嬉しかった。怪しいお天気に、メンバーの志気は上がらなかったが、「もうちょっと・・・」 と言い続けて大猫平まで登り詰めた。

 言葉とは裏腹に、「大猫山のてっぺんまで」 を意識していたのは、私だけではなかったかもしれないが、雨、そして、展望が望めなかっただけに、大猫平が最善であったような気がする。お互い衰えを認めたくないハズであっても、あえて、それを肴にするのであるから、底知れぬ体力に恐れをなさねばならない。

 今回、遠方よりお越しの3パーティーと遭遇したが、口々に「イヤハヤ・・・」 の言葉が聞かれた。イマイチのお天気に、急登につぐ急登で、展望がないとくれば、「何でこのような山に来たのか・・」 となるが、剱岳や北方稜線の響きと共に、大展望を期待しての山行であれば、またの挑戦になる事であろう。



8/4 梅雨明けしようがしまいが、北陸のお天気は気ままである。山に入るともっと顕著で、時には想像以上の事が起きているようである。先日、欅平から入ったイマイチ女史も、雨・雨で目的が達成出来なかったようであるし、今日も、岡山の杉原女史からのメールでは、白馬岳からの五龍岳を諦めて、白馬鑓温泉にルートを変更されたようであった。

 富山市も、ゲリラ雨に見舞われたようであるが、私の住んでいる高岡では、一滴の雨も落ちなかった。最も、明け方には、降っていたようであるが私は知らない。そんな中、一部であるが、明日は、好山病の有志での山行に参加である。行き先は、大猫山である。大猫山へは、軽く50回、出来れば100回などと高を括っていたが、その回数への挑戦が怪しくなって来た。

 「ブナクラ取水口まで、車を入れる事が出来なくなった。」 ばかりが理由ではなく、やはり、孫のための保育所送迎が、一番の痛手である事は間違いない。でも、本当の山好きというものは、どのような事があろうが、合間を縫ってでも出掛けてしまうものである。



8/3 2週間ぶりにムコ殿がやって来た。自分の女房や娘達にお会いに来るのが、月一では可哀想である。たまには、月に2回・3回になっても良いのではないかと思っている。今日来て、明日帰るのであるから、なるべく構わないようにしているが、奏功しているのかどうかは分からない。

 梅雨明け宣言があったけれど、本当なのかと思う程に、モクモクと雲が湧いていた。しかも黒い雲である。しかし、専門家の判断なのだから、それだけの材料が揃ったという事なのだろう。信じるしかない。

 月・火の連休を利用しての剱沢行きを回避した。ずっと前からの咳が止まらないし、今の予報を、なかなか信頼しきれないところもあるが、重荷を担ぐ自信がなくなったのかもしれない。



8/2 まだ完全に調子を取り戻していない身体故、剱沢行きを、強く嘆願出来ないでいる。そんなところへ、「北ちゃん」 から、大猫山への誘いを受けた。「北ちゃん」 だけでなく、何人ものメンバーが一緒の事となると、また悩んでしまう。

 「一台の車」、「孫達の保育所への送迎」、「山ノ神の遅い歩き」 が、現在の悩みの種である。山行きを勝ち取ったとしても、「車を与えない。」 は、分かるにしても、送迎までするというのであるから、私の自由限られてしまう。イヤだなぁ。



8/1 今日から8月であるが、今年も、早いもので、7/12が終わったという感じである。娘と孫達が増えた新しい生活に翻弄されて、なかなか思い通りにならなぬ歯痒いところがあるが、世の中は、それが必然と言いたげである。

 幾つになっても、「ちょっとでも、何処でもいいから、輝いていたい。」 ものであるが、回りは、穏便にとかを理由に、静かにしていて欲しいらしい。でも、気概がなくなったら、人生お終いである。少々身体が不自由になろうが、常に憧れ(夢)を持ち続けたいものである。