10/31 先日の大門山・見越山に出掛けた時、福井の宮ちゃんグループと遭遇した。「なかなか一緒出来ないね。」 などと話していて、「また声を掛けてよ!」 と言ったら、来春の初雪山キャンプ案が出た。「荷を担いでくれる逞しい連中がいるから・・」 などと言ってくれた。

 初雪山となると、あちこちから声が掛かっている。私とて、大地・初雪山なら、毎週にでも行きたいほど好きな山である。大地は、今年も3週続けて出掛けた。1シーズンに5回も出掛けた事もある。でも初雪山となると、休日・天候などもあり、今の私には、年に1回ほどのチャンスしかない。それが、キャンプとなると尚更である。

 もう、3~4年ほどすれば、そのようなチャンスが増えるのだろうが、その頃になると、重荷を担いでの山行が出来るかどうか分からない。しかし、トコトン初雪山の雄姿を味わうにはキャンプしかない。朝夕の光景は、なにものにも代え難いからである。

 娘・孫が来たから、益々ハードルが高くなってしまったが、何が何でもの意気込みがなければ、その思いも夢だけに終わってしまいそうである。何とか、その思い一心で、今後の生活を送ろうと思っている。

 今一つ、越道峠からの点検道があるらしい。また、陽が長くなる3月を跨いだ4月でも、まだ頂きに行けるようであるが、私はあくまで美しい初雪山が好きなのである。



10/30 今日は、心中穏やかでなかった。未熟な故に、平静を装うっていても、何処かに、それは現れるようである。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

 私は、徳川家康が余り好きでない。それどころか、石田三成ファンであるから、可笑しいのであるが、歳を取ると共に、家康の遺訓が、心をとらえるようになって来た。

 私は、元来、悩み事を人に打ち明けられないタイプである。また、悩みを打ち明けられると、自分の事のように考え込んでしまうのである。「他言しない。」 などは、守られるハズがなく、後々問題となるだけに、私は聞かないようにしている。でも、聞かされてしまうから、私は弱ってしまう。言わないから、ストレスとなる。「堪忍袋は既にいっぱい。」



10/29 今度の連休(11/4~11/5)は、久し振りに丸々2日間出掛ける事が出来る予定であったのですが、娘の事情を考慮した事から、叶わぬ事となってしまいました。ならば、「北ちゃん」の還暦祝と早めの忘年会を企画しようと思ったのですが、会場や休日の違いから断念せざるを得なくなってしまいました。

 その貴重な一日になる休日(11/4)は、果たしてどのような山行となるのか、今の段階では分からない。もちろん、お天気もあるし、ムコ殿がやってくるかもしれない。それよりも、行く先選定に苦慮する事であろう。



10/28 世の中は、やっぱり自分の思う通りにはいかない。高速を使っても、ブナオ峠発が午前9時10分だった。ブナオ峠から大門山と赤摩木古山との分岐までの標高差500mを、1時間くらいで登らなければ、その時点で、奈良岳を諦めざるを得ない。ましてや二人であるから・・・・・

 急登場面では、「山ノ神」の息が切れてしまう。でも、まだ諦めきれず、大門山をカットして、赤摩木古山に向かった。大笠山・笈ヶ岳・白山が光って見える。赤摩木古山から見越山へは、150mくらい降って、200mくらい登り返さなければならないが、以前歩いた時から比べれば随分歩き易かった。

 「山ノ神」にしてみれば、1時間半くらいで行けたのであるから結構頑張ったのである。「奈良岳まで行って来たら・・」と言ってくれたが、午後0時40分であったから、保育所の迎えや食事時間の事を考えると、リスクを負うのがイヤであった。

 そんなところに、奈良岳方面から、声がしたと思ったら、宮ちゃんや黒川女史を含めた福井の4名のパーティーではないか! お互い「えぇ~」と言ってしまったが、嬉しい再会である。のち、行動を共にしたのであるが、赤摩木古山で、時間があるから、大門山に行く許しを得て駆けだしたのであるが、宮ちゃんと恵さんが後を追ってきた。陽を浴びた美しい紅葉と久し振りに会えた山仲間など、たまた楽しい山行となったのである。



10/27 我が家の事情で尚更のように一緒してもらえる人達が減ってきた。早立ち出来ないのだから仕方がない。そして、県東部に出掛けるには、8号線で行くにしても高速を利用するにしても、ラッシュ時と重なり、時間が掛かってしまうのだから・・・・・・・

 明日は、かなりの確率で、お天気が良い。久々に、大門山方面に出掛けてみようかと思っている。紅葉は遅いかもしれないが、時間制限の中で、幾つのピークに立つ事が出来るであろうか? 「山ノ神」の足より、私の体調の方が、ちょっと気になるが・・・・



10/26 「寒くなった!」 この寒さは、明日も続くようである。しかし、台風の被害の事を思えば、これくらいの事など何という事はない。でも、風邪をひかないようにしなければ・・・・ 仕事中の私は、まだ半袖だけど。この時雨模様からして、高所は雪だと思う。一気に来るのだろうか?



10/25 心配した二つの大きな台風は、富山からみれば、東の逸れるような感じである。風もさることながら、雨や雨に伴う災害が心配であるが、富山は、日曜日から晴れマークが付き、その先もお天気になる予報である。オセロのように、くるっとなったのであるが、悪い方から、良い方になるのは、何の心配もない。しかし、その反対になると、誰もが困ってしまう。

 雨が上がるとなると、山に足が向かう人が多くなる事でしょう。ぬかるみのない所に行きたいね。来週からは、雪の心配もしなければならないでしょうね。私は11月に入ると、冬タイヤに交換してしまう。すぐに天候が変わっても心配しなくても良いし、使っても使わなくてもタイヤは古くなっていくからです。



10/24 当市は今、市議会議員選挙の真っ最中。30の定員に36人が立候補して、選挙カーが、ひっきりなしに通っていく。名前の連呼、電話作戦に選挙ハガキ、そんな事が投票に結びつくのだろうかと、疑問に思うのは私だけではあるまい。個人演説会や総決起大会などに、動員されるのもちょっと苦痛。また、大名行列という町内の役員を従えて、候補者が歩くのを出迎えなければならない昔ながらのやり方にも閉口する。

 選挙公報やテレビ・ネットだけとは言わないが、もう少し選挙のあり方が変わらないものかと思うのですが如何でしょう。でも、地域との関わりや、人との繋がりで、やっぱりある程度は流されてしまう。一人で生きていけないだけに、「ぶれない。」とは言い切れない。



10/23 二つの大きな台風のせいか、ずっと、トップニュースである。週末に、いろいろと企画しておられる方が多いと思うが、そのご苦労の心中を察するに余りある。私は、気象学など分かりもせぬが、意外と東に抜けていくような気がしてならない。でも、風を免れても、雨量は多いような気がする。でも、これだけ降ったんだから、「もう降らないんじゃない!」 と希望的観測を願うのであるが・・・・・

 その証拠に、「私の休日ばかりに雨が・・・」 などと思う事があるが、一年を通してみれば、意外と帳尻というのであろうか、均等・平等となっているような気がする。だから、何も悲観する事などなく、「その内に・・」 の心境でおればいいのである。



10/22 白山のブロッケン現象には、ちょっと驚いた。穂高岳や鹿島槍ヶ岳などの山頂で、幾度となく、ブロッケンを見た事があったが、今回は、それと大きな違いがあった。今までは、どちらかというと、早朝であったが、今回は正午頃であった。

 故に陽は高く、ブロッケンの出た所は、見下ろす池群であった。それがまた、ずっと消えなく何十分も続き、私にも時間があるというもので、消えぬ間に下山するというものであった。

 あまり上手に撮れなかったが、何十枚ものシャッターを切ったし、動画も撮るに至った。それどころか、次から次へと登って来られる人達に、「ブロッケンが出ていますよ!」と言っていたのであるから・・・・

 ブロッケンが出たからと言って、空模様が悪くもならなかった。(いや、雲行きが可笑しくなった時も、なかったわけでもなかったが・・・) そのガスから抜けたら、素晴らしい紅葉に出遭ったのであるから、全てがラッキーであった。



10/21 昨夜の雨が降っている中、予報と雲の流れからを確信して白山行きを決めた。決めるまでは、孫の事、車の事で躊躇したが、結果的に娘が仕事を休んで医者に連れて行く事になり、また、上の孫の通園や医者に行くために車を置いて行く事となった。

 その煽りを受けたのが、「周さん」であったかもしれないが、快く車を出してもらう事となった。雨は、迎えに来てもらう頃まで怪しかったが、PCの雲の流れを見るに付け、大丈夫と自分に言い聞かせていた。しかし、高速から降りて156号線を走っていても、時雨模様で、ちょっぴり不安になったが、登山口に着く頃には、ピーカンを約束してくれそうであった。

 高所では雪ある事も考え、僅かでも気温によっては、スリップを防止する対策を講じなければと、荷は、ちょっぴり嵩張ったり重くなったりしたが致し方ない。そして、なんぼ何でも大倉山手前までの紅葉期待をしていたが、何だか様子が変だった。新雪も、隅っこに、ちょっぴり残っている程度で拍子抜けではあったが、ピーカンのご褒美をもってすれば、何も言うことはなかった。

 賽の河原に出るまでの急登では、いつもの通り喘ぎ喘ぎとなった「山ノ神」であったが、山頂へ目指す時間がたっぷりとあった。登り甲斐があったという表現がぴったりであった山頂では、きれいな雲海と、長く続いたブロッケン現象に歓声をあげてしまった。

 室堂に戻って昼食としたが、ビールのない「山ノ神」の表情が、いつもと違うような気もしたが、平瀬道の下りでは、素晴らしい紅葉を目の当たりにした事もあってか、結構足早に駆けていったのである。



10/20 目を覚ました時から雨である。「どうしても、山に行かなければならないという事もない。」 と言っていたが、6時間ばかり時間をもらって、小佐波御前山に行って来た。行き帰りに2時間、山中で4時間という段取りであったが、やはり、「山ノ神」のピッチが上がらない。

 そのくせ、獅子ヶ鼻に足を向ける。帰りも上部の同所に行ってしまった。「おい・おい」 という間に岩に取り付いた。でも、岩を崩して立ち往生してしまった。私以上に岩が嫌いのはずなのに、「ビール禁止令」 が、それくらい頭に来たに違いない。



10/19 下の孫が、昨日から熱を出している。そして、明日は雨の予報である。どうしたものか、明日起きてから考えよう!



10/18 「かつみ&さゆり」 私の知らない漫才師夫婦ですが、なかなかいい事言うではないかと思った。バブルはじけて、天国から地獄を味わったようですが、「人生どんだけ稼いだとか、出世したじゃなくて、一回切りの人生を楽しむ事が勝利であって、どんだけ笑って生きられたが重要と思うんです。」

 そして、アンパンマンの作者・やなせたかし氏は、「強いからヒーローではなく、喜ばせるから、ヒーローなのである。」 と言っていた。共に考えさせられた。



10/17 次行く山を決められないもどかしさは、「こちらに来た娘孫達のため?」 それとも、「山ノ神に合わせなければならないから・・」、なのかもしれないが、自我の弱さからきているのではなかろうか? 「が~ん」 と言い切って、自分の思い通りにやれば気がすむのにね!

 でも、「人生は無いものねだり」 なんで、次の物を求めてしまいそう。まるで戦争と平和なのであるが、今は果たして平和なのかと思うが、その中にいては分からない。あの大自然の中にいる時は、「ちっぽけな自分の悩みなどは・・」 と思うのであるが、平生の生活の中では、ついついお化けになってしまうのか、「何で自分だけが・・・」 とか、「こんなに・・」 などと、その悩みを、いつの間にか過大なものに置き換えてしまっているようである。本当に大した事がないのに・・・

 「山に行ったってどうなんだ・・」 どうって事ないのに。されど・・・



10/16 2週間近く仙人(仙人ヒュッテ)に出掛けていた周さんが帰ってきた。それだけ出掛けていれば、いろいろと勉強になったろうし、たくさんの人達との交流が生まれた事だと思っている。そのように見るからであろうか、一回り逞しくなって見えた。

 それもその筈、昨年辺りから、どうなったのかと思う程、山に入れ込んでいる。遠方へも出掛けているし、声が掛かれば、何処へでも飛んで行っているようである。遠近高低に関わらず、その意気込み・入れ込みが、呆れる程であるから羨ましい。

 「一緒に何処かへ行こう。」 と言ってくれるのですが、今度は、こちらの腰が引けてしまう。でも、物は考えようで、こらからはお世話になればいいのかもしれない。 



10/15 金山々頂横で食事をしている時、焼山下の富士見峠辺りから、何人もの人達が金山に向かって駆けてくるように見えた。私達の前を通り過ぎて行く時に感じたのは、今流行のトレランスタイルの人達であった。それも、16~17人だったように思う。

 「思わず何処から?」 と尋ねてしまったが、何でも午前6時に笹ヶ峰を出発して、火打山・焼山を経由して金山にやって来たそうである。そして、金山山頂で、軽い食事をし終えて出発したのが正午前である。天狗原山を経由して、我々が登って来た登山口に出て、林道を辿って笹ヶ峰に戻るというものであるから凄い!

 でも、私には縁のない話である。何よりもハイカットの靴でないと、バランスの悪い私には不安だし、ある程度の装備を揃えていないと、とても歩けやしない。「若いっていいな!」 でも、焼山までなら、まだ行けるだろう。でも、「山ノ神」との交渉がものい。(難しい。)



10/14 金山・天狗原山行きに、池田氏を誘った。「我々の諍いの間に入って楯になる。」 「弾よけになる。」 と我々を笑わせてくれた同氏であったが、前半は、「山ノ神」を巧に操って(煽てて)、熟年の技なるものを見せてもらった。しかし、弾よけに飽きたのか、それとも鍛え上げられた脚力がそうさせたのか、真意は分からないが、先へ先へと進まれ、すぐに姿が見えなくなってしまった。

 そうなると、やっぱり始まるのである。「先に行ってくれ!」 「遅い者を置いていくわけにはいかない。」 など、何回となく繰り返されて、終いにはプッツン! 何処から出て来る力かわからないが、三段ロケットが切り離されたかのように、「山ノ神」は駆け上がっていく。「ならば始めから早く歩けよ!」 なのだが、「怒らすのも奥の手か!」

 紅葉は、2年前も良くなかったが、今回はもっと良くなかった。私の金山・天狗原山での一番の紅葉は、平成20年の10月6日見たものであるが、一度良いもの見てしまうと、それ以上のものでないと、驚かないのが普通である。それは、誰でも同じらしい。

 今回の山行は、行き先に迷ったが、それよりも、池田氏とご一緒出来た事で万々歳であった。同氏の山座同定は、どの山に登っても正確なのである。どちらかというと苦手な私だけに本当に尊敬するに値する。

 「自分のペースで歩けない。」「わがままが利かない。」 の「山ノ神」であっても、山頂で、池田氏から、例の奉納品を頂くに付け、いつものように顔がほころんで、何もかもが「最良」となったのではなかろうか。しかも、予定表通りの歩きとなり、短時間であったが露天風呂に入れ、またまたコンビニで、大好きなに嗜好品に有り付けたのであるから・・・・・ でも、弾は、いつ何処から飛んでくるか分からない。



10/13 fasebookの情報から立山・天狗平や剱御前に雪が積もったらしい。今日の寒さからして、一気に紅葉前線が降りてきた感じである。明日の金山・天狗原山も高所の紅葉は期待出来ないかもしれないが、何処かで見られる事は確か。それが素晴らしいかどうかは、行ってみないと分からない。ゲストの参加があり楽しくなりそうだ。それよりも、諍い回避出来そうでいい。



10/12 10月になっても真夏日があったりして、どうなっているのかと思っていたが、今日は、雨が降ったせいもあるのか、ぐ~っと涼しくなった。やっぱり季節は正直なものである。日月は、お天気になるようであるが、来週半ば頃に影響すると思われる台風26号の動き次第では(東に旋回すれば・・)、北からの強い寒気が南下し、標高1000m超では、雪が降るかもしれないという。それでは、「きれい。」 「きれいでない。」 と言っている間もなく高所の紅葉は終わってしまいそうだ。



10/11 今度の日曜日に娘が英語検定を受けるらしい。また、仕事しながら孫守かと思っていたら、またまた、ムコ殿がやって来るようになったようだ。若い者達の事に干渉しないようにしているが、出費も大変ではなかろうか? でも、そのために働いているのかもしれない。

 もちろん三連休だからやって来るのだろうが、月曜日(体育の日)は、我々のたっぷり丸一日使える山行日でもある。それ故に、ムコ殿に構って上げられる時間が少なくなるというジレンマがある。織り込み済みであると思い込んでいる自分達に問題があるかもしれないが、こちらとて、ストレスが溜まってはやっていられない。でも、今のところ、お互い我慢をしているから上手くいっているのかもしれない。



10/10 NHK番組「クローズアップ現代」を見た。会合に出掛けなければいけなかったので、断片的にしか見られなかったが、「スーパー高齢者競技会驚異の若さと健康」 というテーマであったと思う。90歳や100歳の方が、力一杯競技をしている姿を見るに付け、負けているわけにはいかないと思った。

 「スーパー高齢者」 「スーパー老人」 という類の人達であるが、若い時から競技をしていた方ばかりではないようである。 「勝ちたい。」 「記録を作りたい。」 などとの目標意識が強く、惚けているわけにはいかないのではと思ってしまった。

 その方達からみれば、私などは、まだ子供の類である。何だって、今から初めても大丈夫である。規則正しくも大事な事であろうが、「やはりメリハリを付ける。」 そして、仲間が必要になって来る。自分の出しゃばりを抑えて、相手方のへの思いやりが不可欠。でなければ、長く続かないし、面白くもないであろう。



10/9 昨日の大猫山が35回目となった。これで、30回を上回る山が、牛岳・大辻山・白木峰・金剛堂山・大猫山・小佐波御前山・医王山・人形山・白山・大地山・剱岳、そして、千石城山を加えれば、12座になった。10回を上回る山が31座、5回以上となると、70座になる。何という事はないのであるが、百名山を始めとする各地いろいろな名山にも登れない私の目標を、回数としているだけの事である。

 100回以上複数座、50回以上30座、10回以上100座などと、勢いよく掲げた目標であったが、年齢を考えれば、物理的にも無理という事が、だんだんと分かって来た。でも、剱岳は無理としても、大地山と大猫山が50回を越えれば、10座以上は行けそうな気がする。 体力を洗練し、家庭環境さえ整えば、メチャクチャ遠い目標とも思えない。



10/8 前日の予報が曇りがちだったし、携帯も壊したし、どうしても、大猫山・猫又山に行きたいと言い切れなかった。でも、起きてみると、予報も変わったし、空が青かった。それでも、「行く。」 と言えなかった。

 でも、念には念を入れ、家を出たのは午前6時40分頃であった。携帯が壊れた事もあり、誰を誘う事も出来ず、また、単独行となると、スーパーかコンビニに寄っていかなければならない。

 それでも、8号線を走るに付け、目指す山並みよりも、奇怪な雲が主役になり、車中から何回もシャッターを切った。それは、伊折橋上でも、馬場島に近付いても、車から降りて繰り返された。

 様変わりしているブナクラ取水口を出発したのが、午前9時頃であったが、「大猫山は急登だから、猫又山に行く。」という男性と別れた。その男性は、ブナクラ周辺が初めてと言っていたが、本当に大丈夫だったのだろうか心配してしまった。でも、「謙遜も自慢の内・・」というのもあるから、何とも言えないのであるが・・・

 8月にはなかった索道があった。しかも、1,030~40mくらいまで、おおよそ登山道に沿っているのだから、危ないのではないかと思わずにはいられなかった。歩いて30~40分ほどで、下山してくる「ねぎちゃん」に声を掛けられ、「上はいいよ!」と励ましてくれた。

 4パーティ6人の方々と擦れ違ったが、山頂に辿り着いた時は一人であった。最も、今日は、荷を軽くして、なるべく早く歩く事に重点を置いていたから、寂しい事もなかった。それよりも予想以上の紅葉に、随分得したように思えるのであるから不思議なものである。

 家を出た時から、猫又山を諦めていたが、見る見る内にガスに覆われる剱岳の山容に納得する事となった。それでも、240枚もシャッターを切り、荷はいつもより軽いとは言え、3時間余で山頂に達する事が出来たのであるから、満足感に浸る事が出来たような気がする。



10/7 平湯発9時35分のバスに乗るには、保育所に送ってから、富山まで高速を使ってでも、41号線経由では自信がなかったので、能越道・東海北陸道・中部縦貫道を使って高山で出る事にした。先行く車のスピードの加減や、高山ICで出口を間違えたりして、ロスした感は歪めなかったが、結果的には、ほおのき平9時50分発のバスには余裕をもって乗車出来た。

 お天気は午前中だけと思っていただけに、ガスに覆われたりしたものの、紅葉は充分に楽しむ事が出来た。ハイカーや観光客が入り混ざっての歩きだけに、砂礫や岩がゴロゴロしている所では、擦れ違い様を慎重にせねばならなかった。

 2,700mの畳平までバスが乗り入れ、肩の小屋まで林道のようなものであるから、容易に登れる山となっている。やっとかっとの歩きのお年寄りや、おんぶされた赤ちゃんなど多様であった。

 私自身、三人の子供達が、まだ小学校に通っている頃に、この乗鞍岳山頂を踏んで以来のような気がするが、まだ3回目とは、意外と少ないのにびっくりしているのである。5月の開通直後に来た事もあるし、車を持たない時に、友人と乗鞍高原側から来た事もある。「山ノ神」は、「二人で来た事もある。」と言うが、私の記録的には、やっぱり3回なのである。

 前々から、どちらからでもよいが、ずっと下から(バスに乗らず)乗鞍岳に登りたいと思っていたが、なかなか実現出来ないでいる。そして、今の環境下からして、益々その構想が遠のいて行きそうな気がする。

 「あと、山頂まで、どのくらい?」 と「山ノ神」に尋ねられ、GPSで、その距離・高低差を出そうとして、うかつにも転倒してしまったのである。何でもない所であったが、砂礫で滑りやすい所であったのだろう。

 立ち止まってすれば良い事を、歩きながらであっただけに、まともに転んでしまったのである。代償は大きかった。手首と肘は擦過傷ですんだが、携帯が完全に壊れてしまったのである。(ディスプレーと、本体が分断されてしまったのであるから・・)

 でも、「紅葉は良かった。」 下山時は、稜線をずっと歩いた。す~っと、抜けていくガスの合間の日差しを受けながら、真下に引き詰められたような錦繍の絨毯を眺めながら、短い時間を楽しませてもらった。予定より一つ先のバスの乗り、帰りは、平湯・神岡から41号線で戻った。



10/6 ブナクラの山(大猫山・猫又山・赤谷山など・・) に拘っている私に、何かを感じているのか、珍しく「山ノ神」は、「行ってきたら・・・」 と言ったような・・気がする。でも、鵜呑みに出来ないだけに、念には念を押さなければ後々が怖い。

 明日明後日は、私達の連休である。明後日よりも明日の方が予報は良い。ならば、猫又山行きには、明日の方が良いのであるが、すんなり私だけが使うわけにもいかない。点数を稼ぐわけでもないが、恐る恐る「山ノ神」に「乗鞍岳」を提案してみた。

 保育所の送迎に、この時期の平日であるためのダイヤなどを鑑みても、上手くいって5時間の滞在時間しかないのである。しかも、高速料金やバス代、そして、ガソリン代も掛かるのであるが、基本的に遠い所、あまり歩かなくても良い所には、諸手を挙げて賛成する「山ノ神」であるだけに、何の問題もなく実行する事となった。

 では、明後日の事は、明晩にならないと分からないが、もしかしたら、猫又山行きの許可が出るかもしれない。でも、本当は、紅葉の事を考えると、もう一週間遅い方が良いのであるが、「山ノ神」の気持が変わるかもしれないし、お天気の事もあるから、喜ぶしかないのであろう。

 でも、いつどうなるか、分からないのが我が家の事情。私の山行が許可されても、保育所の迎えを命ぜられたりするかもしれないし、予断は許されないような気がしてならない。明日は好天に恵まれれば、気持ち良く送り出してくれるような気がするが甘いかな!



10/5 行きたい山がいっぱいある。また行きたい山もいっぱいある。そんなわけで、まだ弱気になる訳にはいかない。スーパー爺には、なかなかなれないが、目標さえ、しっかりしておれば、「まだまだ・・」 と言えるし、くたばる訳にもいかない。

 条件が悪ければ、それを克服しないまでも、それなりにやれば良い事であり、そんなに優劣を付けなければならない事もない。「まだ恵まれている。」 そう思えば、自分を奮い立たせる事が出来る。



10/4 ちょっと気になっていたアルバムを覗いて見た。デジカメを使い出した前後から、殆どプリントをしていないだけに、アルバムは、平成12年でストップしていた。平成14年くらいからは、デジカメで撮った画像は、きちんと整理されており、バックアップも、それなりになされている。

 誰にでも、自慢出来るくらいに、アルバムは整理していたつもりであったが、デジカメ登場前後の物が、あまりメモもなく、ポケットアルバムに入れっぱなしとなっている。何とかしなければと、思いつつも、長い年月が経過してしまったのである。

 山中心のライフスタイルであるから、行った山を見付けて、照らし合わせれば、大体分かるようなものだが、先日、そのメモ(記録していた手帳)も処分してしまった。自分よがりの写真など、後になって、邪魔になるだけであるし、気に入った写真を、一座に一枚くらいで良いと思った事もあってである。

 そのくせ、「あの大伸ばしした写真は、何処へ行ったのだろう?」 「遺影候補と言っていた写真は?」 などと、おかしな事になってきた。もう、「後から・・」 などと言ってはおれなくなった年齢になったのである。



10/3 最近の家庭環境からして、高い山や奥深い山へ出掛ける機会が激減している。それでも、「ごまめの歯ぎしり」 ではないが、低山であっても、山頂に拘っている。「百の山頂に百の喜びあり。」 の意味合いから程遠いかもしれないが、時折々、山を味わっていると自分に言い聞かせている。

 もう一つ、私の好きな言葉に、百瀬慎太郎の 「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し。」 がある。実に上手い表現力であるが、今の私の心境を物語っているような気がする。



10/2 「福井までドライブのつもりであったが、高岡まで来てしまった。」 と、大阪の息子が友人とやって来た。僅か1~2時間の滞在であったが、やはり我々の事が心配になってきたのかもしれない。

 帰りは、高速を使うと言っていたが、レンターカーを借りて、下道でやって来たのであるから、つましいところは、私に似たのかもしれない。そんな息子(まだ独身)が、昨年辺りから、そっと、分からぬ所に、小遣いを置いていくようになった。こっちが歳取ったというより、あっちが、大人になたのかもしれない。

 下手くその壁紙貼りが、終わりに近付いたので、その余勢を駆って、今度は、故障していた便座の交換にチャレンジしてみた。メーカーに、「10年以上経ったものに部品がない。」 と言って断られた経緯があり、放置していたところに、最近水漏れが始まっていた。

 「便座を換えれば・・」の甘い言葉に誘惑され、何の知識もないのにやってみたのである。最も、何十年前から、メーター横の止水栓そのものが、ややこしい事になっている所為もあり、難解だと思っていた。

 また、説明書なるものの理解力に欠けるし、経験がないとなると、やっぱりプロに任せるしかないのかと弱気になったりする。試行錯誤の繰り返しに、長時間掛かってしまったし、全部の付属品を付け終わった時点で、前器具が使われていた口を塞ぐものがない。しかし、作業が深夜に及び、「やってみるか?」 と止水栓を解除すると、水が溢れだし、トイレが水浸しになる事が数回。イヤハヤ参った。

 「ワ~ッ」 という叫びに、飛び起きてきた娘と共に、再度説明書に注目し、「今回は分岐金具が使われているから、前器具の止水栓をしっかり止めてさえおけば・・」 との結論に達した。その通りとなったが、今度は、新たなホースの金具から吹き出した。結局は、締め方が甘かったようである。でも、疲れ果てたけれど、山と違った達成感を得たような気がした。



10/1 今日から10月となり、今年も後3ヶ月となった。同じ事を繰り返し、過ぎ去った日々の速さには唖然とする他ない。ここに来て、「老い」を、とても意識するようになって来た。イヤだといっても、覆い被さってくるこの厄介なものに負けてしまいそうである。

 磨ききれない体力と、保ちきれない気力に、自分ながらイヤになっている。それだけ、「老いたくない。」 欲が強いからであろうか? 自然に(時の流れに)身を任せられるほど、人間が出来ていないのは間違いないが、もう少しだけどん欲でありたい。