12/31 今年も一緒に山に行ってくれた人、また、HPで応援して下さった人など、何かとお世話になりました。欲にはキリがありませんが、お陰様で、まずまずの一年を送る事が出来ました。

 来年は、他人様の事を羨ましがらず、そして、妬まず、心優しい人になれるよう精進出来ればと思っています。また、「百の山頂に百の喜びがあり。」 の如く、自分の環境にあった山行を心掛けます。

 まだまだ修行が足りず、不愉快な事を述べたり、おかしな行動をしたりするかもしれませんが、どうか良きご指導の程宜しくお願い致します。この一年本当に有難うございました。



12/30 「さて、来年の初登山は何処にしようか?」 今のところ、予報は良くない。二上山・尖山・城ヶ平山辺りが候補であるが、出来れば雨の山は避けたい。かといって、ミゾレ混じりの雨や、水分のたくさん含んだ雪もイヤである。そのような事を言っていたら登る山がなくなってしまいそうなお正月のお天気である。

 もう一つ、元日は、昭和42年のお正月から、ずっと続いている新年会がある。同級生の有志の会(管鮑会)が夕方(午後4時)からあるため、いい加減に家に戻らなければいけない事情もあり、奥深い山や遠い山には行けないのである。

 もっとも、元日登山を始めたのは、平成16年からであって、まだ10年である。やっぱり母が亡くなってからという事になる。予報や空を見ながら、ギリギリまで待って決めたい。



12/29 娘と孫達は、高岡を午前11時過ぎに出たが、諏訪に着いたのが午後5時前らしかった。「無事とは言えませんが、何とか上諏訪に着きました。」 とのメールをよこしてくれたが、「もう糸魚川で限界でした。」 とも付け加えてあった。

 ともあれ、何とかなったようだ。そして、舅さんの状態も、快復に向かっていると姑さんから電話があった。また、一年ぶり以上経った孫との再会にも喜んでおられたようにも感じた。

 再び5人から二人になった我が家は、煩いのがいなくなって、清々しているものの、いる者がいなくなったのだから、やっぱり何だか可笑しい感じである。まだまだ序の口、その間羽を伸ばさなくては・・・・・



12/28 娘は今日から9連休。子供達を連れてダンナのいる東京へ。ところが、ダンナの父様(舅)が脳出血で入院されたから、また計画が変わったようである。そのダンナの実家が、長野県諏訪市なもんで、そこに行くのが大変だ。

 車でも結構かかるが、JRとなるともっと大変らしい。東京へ行くより時間が掛かり、連絡が悪いと(待ち時間など入れると)倍くらい掛かってしまうようである。4歳と1歳の子を抱えて、大きな荷物があるとなれば、それは大変であろう。

 ダンナが車で上越まで迎えに来る(実家の車を借りて)のも、チャイルドシートがないというのでダメ。結局、ダンナがJR に乗って糸魚川まで迎えに来るとか!  ダンナも子供達も大変である。

 こうなると、私達の生活パターンが変わってしまう。元日はともかく、2日・3日の自由な山行がなくなってしまう。「まあ~、いいか!」 低山でのキャンプを目論んでいたが、お天気も良くないようだし、場当たり次第の山行となりそうであるが、とにかく山に行かなければ、一日中飲んでばかりいなければなるもんね。



12/27 一生懸命生きなければと思いながら、「今年は、何をしていたのだろう!」 と反省しきり。「もったいない一年であった。」 というところもあるが、「ちょっとだけ、高揚した時もあった。」 ようにもある。

 それは、自分が卑下しても、何度となく、周囲から温かい手を差しのべて頂いた事からも分かるように、幸せなどは何処にあるか分からないし、その尺度も多様である。信条とか目標とか、そういう大袈裟なものではないが、「ぶれない事」 「なるべく他人様を悪く言わない事。」 を、心掛けていたつもりであるが、幾多の隙間から、抜け落ちていたかもしれない。でも逆に、ちっちゃな喜びが、何度となく、くっついて来た事もあったように思う。

 「欲張らないでコツコツ。」 「ひたすら地味に・・・。」 「ちょっとだけ、いい事を・・・。」 なかなか出来ないが、「威張らない自慢しない。」 「褒めてあげる。」 ならば満点に近いが、私には出来ない事ばかり。



12/26 昨日は、雲一つない最高のお天気で、「立山連峰が、凄くきれいだった。」 といろいろな情報として入って来た。「うん、冬の好天時の立山はきれい。」 誰にでも見せてあげたくなる。

 我々の住む高岡からだって、そう思うのだから、もっと、近くの方々は、感激も一入かもしれない。「いや、慣れっこで、そんなに気にしていない。」 「どうなんだろう。」 と思った事がある。「そのような景色を、日常見られる所に住んでみてみたい。」 などと思ったものだが、今や、とても適うものではない。



12/25 一昨日で今年の山行を終えた。記録的には平凡だったけれど、また、4月からの事情を考えると、67回も山に行けたのだから、良しとしなければなるまい。身体を病んでいる人や、家庭環境からとても山などに行けない人と比べれば、私は幸せ者の部類であろう。

 「牛岳に200回登るのは、いつになるのだろうか?」 「10回以上登る事の出来る山が、本当に100座を越えられるのだろうか?」 「大猫山や初雪山に、何回登る事が出来るのだろうか?」 などと、どうでも良い事が、私の直近の目標なのだから可笑しい。

 でも、5回以上登った山が68座になった。元気にいれば、どうでもいい記録に、かなり接近出来る事は間違いない。でも、本当は、大好きな山に何回登れるかの方が興味深い。我が家の高いハードルを、如何に越えられるかに掛かっている。



12/24 一種の記念山行の余韻を楽しむかのように、「シュンちゃん」 と杯を傾ける事となった。「山・やま・ヤマ・・・」 の話のハズであったが、脱線も甚だしかった。しかし、終始笑い放しで、あっという間に時間が過ぎてしまった。何時間飲んだのだろう。

 気が付いたら、午前2時頃ではなかったか・・・・・ 酒瓶が何本となく寝そべっていた。 そのためと言ってはいけないのであるが、今日は一日中眠たかった。人生、いつも人恋しく過ごせたらいい。



12/23 11年前の今日、一ヶ月前に母を亡くした私への慰めと、早乙女岳以来、山に遠ざかっていた「花じい」を、山に戻そうという主旨の元に、復帰山行と称して大辻山に集った。

 今回は、その大辻山は、ちょっと無理という事だったが、同じメンバーで、手軽な千石城山に集う事を密かに計画をした。天候や雪量の心配があったが、快適な歩きと意外と利いた展望に皆が満足感を漂わせていた。それよりも、集えた事への嬉しさが込み上げたようにさえ思えた。

 池田夫人との再会は適わなかったが、突如現れた土井夫妻とお会い出来たのが嬉しかった。花じい・シュンちゃん・池田氏 共々、「12年目にも会えたらいいね!」 と固い握手をして別れた。 



12/22 一度は積もったものの、後は、降っても、なかなか積もらない。もちろん雪の話であるが、年末に掛けてだけに、足場が良いのは生活が楽という事になる。しかし、山で遊ぶ者にとって、自分の行く山の雪量が気に掛かる。高所では、かなりの雪量らしいが、里山の雪量が如何ほどなのか心配である。



12/21 今年の山行は、明後日(12/23)の一回を残すだけになった。その明後日に行けたとして、回数的には67回(67日)になるが、やはり、娘や孫達がやって来てからの内容は、欲張りな私からしてイマイチのように思う。

 一年52~53週を考えると、内容は別にして、現役で働いている者としては大健闘なのであるが、不満は尽きないのである。これは、修行が足らない故なのであるが、常に可能性を求めているからとご理解頂きたい。

 孫達を預かっているからして、今年もキャンプはナシとなった。来年は、この障壁をクリアして、実績を残さないと、ズルズルとなってしまう可能性が高まらないでもない。今一つ、自分の健康にも懸念がないわけでもないが、「山ノ神」の動向にも注視する必要がある。



12/20 薬(血圧降下剤)をもらいに近所の内科医に行って来た。いつもと同じ薬をもらうわけであるが、ずっと前から、咳が止まらず、最近は喉が痛い。(咳は少なくなったが・・・) 症状を伝えると、当然薬をあてがわれるから言わなかった。

 血圧降下剤を飲み始めて、もう2年になる。何とか飲まないでもいい方法がないものかと、思っているが、ネットの宣伝以外、一生飲まなくてないけないと言われている。「イヤだな!」 もっとも、数値は上がり気味、ある人に言わせると、過激な運動はいけない数値とか!でも、山に行くと、気分がいいのか、何ともないと思っている。

 塩分や酒量を抑えれば、かなり数値が下がるやに聞いた事もあるが、全て素人の話。でも、自分の身体の事を一番知っているのは、自分自身である事は間違いない。それから、「熱い風呂に入らない。」 「カッカしない。」 なども言われているが難しい。もちろん体質の遺伝もあるのだろう。

 もっと不安な話がある。薬を飲み続けていると、「認知症になりやすい。」 「ガンにもなる可能性が高い。」 とかであるが、それはそれである。虚弱体質と寿命は、必ずしも一致しないように、何もかも定めとしか言いようがない。



12/19 今年は、この調子でいけば、例年より相当早く年賀状を投函出来そうだ。コメントを横着しようとしたら、間違いが生じたりして、偉い目にあったが、あとの事は全て順調に推移し、明日・明後日には、私の関係は終了となる。

 そうなると、HPの更新に時間を掛ける事が出来る。遅れている更新に、年度が替わる事に伴う作業もある。でも、世とは思うようにならぬが常。何が飛び込んで来るかわからない。実際、冷戦状態の「山ノ神」の賀状に手を付けていない。このままなら、放って置けばいいのであるが、和解となると、当然のように負担増となる。しかし、凝った事をしなくてもいいから、どうって事ないような気もする。



12/18 フレッツ光ネクスト ファミリー・スーパーハイスピードタイプ隼の超カンタン設定CD-ROMを挿入したが、どうも、この手の物は苦手な事もあり、なかなか上手くいかない。こうなると、やはり町内のS大先生にお願いしなければならなくなる。

 そのS大先生を持って来てでも、ちょっぴり戸惑われたようであった。三つの機器(NTT側)が一つになって、スッキリしたのであるが、当方のルターとの接続が上手くいっていなかったようである。(業者が接続して行かれたが、S大先生によると不要になってしまったようである。だから尚スッキリ!)

 後は、S大先生の独壇場であったが、インストロールに時間がかかってしまった。S大先生曰く、「カンタン設定とあるが、簡単ではない。」 と笑っておられた。歳が明けてから、XPからバージョンアップしなければならない事でまたお世話にならなくてはいけないが、何から何まで本当に有り難いと思っています。



12/17 山の装備がいっぺんにガタが来た。「登山シャツが破れてしまった。」 「コンロの五徳が曲がってしまった。」 「ザックのフレームがむき出しになった。」 「座布団代わりのマットが歪になった。」 上げれば切りがない。「防水が効かなくなった雨具。」  「雪山では、ちょっと寒く感じるシュラフ。」 「何十年も使っているアイゼン。」 「曲がってしまったストック。」 などなど、本当に切りがない。

 欲しい物が、すぐ手に入るのなら、何の問題もないのであるが、何もかもが思い通りになるはずがない。いい気になって、後払いにすると、ニッチモサッチモいかなくなる。命に関わる物を優先し、後は、追々揃えていくしかないか・・・

 しかし、イザ処分するとなると、いろいろな想い出があるだけに、なかなか思い切れない時がある。だから、身の回りに物が散乱する事になる。後ばかり振り返っている自分に、些か嫌気を差すのであるが、こればかりはしょうがない。先は短いにしても、夢や目標があれば、目が輝くというもの!



12/16 昨日の大辻山敗退の事もあり、「今日は何処に行こうか?」 と考えたが、時間制限のある中、奥深い山には行けないし、かといって、スノーシューを必要としない山も、ちょっと寂しいと思った。そこで、昨日、帰り際のみたトレースがあると思われる来拝山を選んだ。

 午前9時50分スタート。トレースに新たな雪が積もっていたけれど、楽勝ムードで歩き始めた。しかし、雪量は多いものの、未だ定まっていない雪の状態だけに決して歩き易いとは思えなかった。そして、垂れ下がった小枝が結構うるさかった。

 雪下がササの急登箇所では、足場が作れず四苦八苦した。その頃から、トレースなるものがなくなってしまった。新たな雪に覆われてしまったのか、それとも、あえなく断念されたのか分からないが、唯々、時間が過ぎていくだけとなった。

 日頃、ひ弱な「山ノ神」が、意外と頑張った。「止めよう。」 とも言わずに、盛んに急斜面のチャレンジを繰り返していた。そして、「あんたが選んだんでしょ!」 と、言われてしまった。後は、ピークに立ちたくて執念だけであった。

 広い尾根筋に出てからは、「山ノ神」が、またまたナメコ採りに興じてしまった。そして、後からやって来て、「まだ、これだけしか来ていないの?」 には、どっと、疲れが出てしまった。3時間40分も掛かってしまった。1時間10分の休憩後、別ルートで下山し、また一波乱。



12/15 午前5時前、高岡を出る時は雨。富山に入っても雨。集合場所のアルペン村では、ミゾレであった。しかし、スタート地点の高台にある国少の家では、様相が一変し、凄い雪量となった。 (スタート地点で1mの積雪はあった。)

 先行したスキーヤーのトレースに助けられ、思いの外順調だったが、そのスキーヤーも城前峠前でリタイヤとなり、その先のラッセルは壮絶なものになった。ちょうど10年前(H.15.12.21)、装備がカンジキだったとはいえ、総勢8名で、ライオンズの森にさえ届かなかった事が脳裏に浮かび始めた。

 大辻山頂から、ブナ林の⑥まで、そして、③の奥長尾山までと下方修正して、必死にラッセルに励んだ。5m先まで、10m先までと、メンバーをフル回転しながら、もがきにもがいた。その過酷な要請にリタイヤ者を出してしまったのは、痛恨の極みであったが・・・・・・・

 6名で臨んだ1次隊に、後続隊2名が追い着いて来たかに思ったが、若手のスキーヤー二人であった。”神に仏” とは、この事ではの思いで、必死になって後に付いた。しかし、我々のトレースに乗ってきた彼らであったからか、ライオンズの森で止めようとしたのである。

 その彼らをおだて上げ、長尾峠まで、ほぼ一緒の登高となったのである。その彼らにも疲労困憊が伺われ、それ以上を求めるのは酷というものであった。さて、我々の目指すピークはとなったが、奥長尾山はとても無理。長尾山も蹴落とされ、別ルートの前長尾山を目指す事になった。

 しかし、定まっていない雪の状態に、小枝類がうるさく邪魔をした事もあり、前長尾山ピークから、二つ手前の小高い小さな場所で昼食にする事となった。(国少の家から、長尾峠まで4時間半、その先食事場所まで20分。)

 ベンチ・テーブルが出来上がる頃、後続隊の筏井夫妻が到着。如何にトレースがあったとしても、故障気味のスノーシューを履いての歩きで、2時間とか2時間半でやって来るのだから凄い。タープの中は、久し振りに顔を合わせた方もあり、大いに盛り上がった。堀シェフの大型お好み焼きは格別で、皆のお腹をいっぱいにしたのは言うまでもない。テイクアウトまであったようだ!こうして、今冬のハレルヤ山行が始まった。



12/14 雪模様だけれど、平地では積もりきれないでいる。しかし、山沿いではかなり降っているようだ! 明日のハレルヤ山行は、積雪量よりもお天気が気に掛かる。吹雪やミゾレ、そして、水分を含んだ重い雪になると、やっぱり萎縮してしまう。強い風や濡れ鼠により、体温が奪われるからである。 何人の猛者が参加なのか、私は幹事でないから分からないが、明朝の顔合わせが楽しみである。



12/13 世は、本当に思い通りにならぬもの。当たり前の話である。「何かいい事ないか?」 などと言えば、「昼間のお化けと、いい事などお目に掛かるわけがない。」と、何度も突き放された事を思い出す。相手様・他人様があるのだから、そうそう上手く事が運ぶわけがないし、自然相手となると尚更である。

 そうなると、「身分相応」 とか、「控え目」、そして、「欲張らず・・」 が、当て嵌まるいい言葉であるような気がする。「気持が届かぬもどかしさ・・」 などは、可愛いもの。成就しなくても、そのような気持でいる時が一番いい時かもしれない。



12/12 起床時点では、車の屋根に、ちょっぴり積もっている程度の雪であったが、7時を過ぎてから、見る見る内に積もった。水っ気を含んだ重たい雪であったが、いよいよ冬到来と思った。5~6cmくらい積もったのだろうか・・・・

 こうなると山間部には、どれだけ降ったのだろうと興味津々である。もちろん、山中の状態も気になってくる。いよいよ、スノーシューやカンジキの本格的な出番である。車にもスコップが必須となる。



12/11 年賀状の進捗率25%。なかなか進まないが、例年より出だしがよい。宛名を見ながら、2~3行のコメントを書くのが実に楽しい。以下同文というわけにはいかないから、その作業に時間を要する。しかし、一年に一度、自己アピールの機会だと思っているから、大事にしたい。でも、今年は、30通超の欠礼のハガキが届いている。



12/10 「キノコは絶対に採らない。食べない。」 と言っていたが、ブナハリに続いて、ナメコが認められた。でも、他人様にあげる時は、自分達が食してからと万全策をとっている。それ程美味しいものでもないし、毎日毎食出されては、何だか胸がムカムカするような気がしてならない。

 でも、出掛けの小粒のナメコを丼にして食するのが好き!もちろん、味加減が良くなければ、その域に達しないのはもちろんである。この厄介な物(ナメコ)の出現に、また山行スタイルが可笑しくなってくる。頂きに達してから、下山時に、ちょっぴりご褒美となればいいくらいなのであるが・・・・



12/9 しばらく走ってから、スノーシュー・カンジキの類を忘れた事に気付いた。取りに戻ろうかと思ったけれど、時間のない中、その大きなロスを嫌い、近くの登れる山に行けばよいと心を宥めた。しかし、尖山や来拝山を通り過ぎ、大辻林道の長尾峠まで車を乗り入れる事が出来、「林道歩きもあるかな!」 の分を相殺出来たと思った。

 登山道に入れば、前日のものであろうか、完璧なるトレースが私達を導いてくれ、壺足でも充分であった。ゆっくり歩いても、1時間半強というタイムであったから・・・ 真っ青な空に、北ア北部の山並みが際立って見えた。時間が経過する毎に、それが冴えていくような気もした。

 スノーシューやカンジキを忘れても、シャベルは持参していた。簡単なテーブル・ベンチを作って、いつもと代わり映えのない食事をし、コーヒー類を楽しんだ。凜と聳える山々を、飽きもせずじっと眺めていた。

 時折、樹木に付いた雪を強風がまき散らし、吹雪のような感じになったが、それでも、寒さ・冷たさを堪えて座っていた。富山の山好き達は、必ずと言っていいほど、真っ先に剱岳を探す。それ程中心的な山だけに、他の山々が見えなくとも、剱岳が見えれば満足するのである。

 しかし、実際は、他の山々が見えても剱岳が見えない事の方が多く、がっかりするのであるが、今日のように、大日岳が主役のような配置であっても、大御所のような剱岳が見えればいいのである。

 アイゼンが欲しいくらいのカチカチであった登山道の雪も、下山時の下部は、やはりぬかるんでいた。そんな中、登山道から外れたところに、またまた「山ノ神」が、ナメコを見付けたのである。立ち枯れた1本だったけれど、たくさんのナメコが採れた。

 特に雪を払い除けた根元周辺には、きれいな大物がたくさん成っており大収穫となった。でも、取りに行かされたのは私であり、またまた、毎食ナメコでは、飽きてしまうのが目に見えている。



12/8 雪量は充分でないかもしれないが、明日も晴れるようである。咳き込んで、目が覚めるという日が何日も続いているが、だんだんと弱まってきているように思う。気管支だったら、自分で治す事が出来ないかもしれないが、まずは気分である。

 いつものように時間は限られているが、「山の空気」が吸えるだけ、まだましである。付き人の煩わしさを感じないわけがないが、何もかもプラス思考とするしかないであろう。その行き先は、まだ決めていない。



12/7 年末になると、勝手に名を付けた同窓会的山行を思い出す。なかなか会えなくなった山仲間と、久し振りに機会を持ちたいという趣旨の山行であったが、3年前の白木峰を最後に、ハレルヤに吸収された感がある。

 その12月のハレルヤに、昨年は、独自の山行、一昨年は、娘がお産で帰省中のため不参加であった。でも、今年のハレルヤには、久々に皆勤し、存在をアピールしたつもりであったが、出しゃばらない事にも努めた一年であったようにも思う。

 さて、今年はどうなるのだろう? カレンダーを見れば、皆さんと一緒出来る日は2回ある。声が掛かれば、一日くらい混ぜてもろうと思っているが、来週半ばくらいから雪模様の予報である。面白くなるか、行けなくなるか、押し迫らなければ分からない。そういいながら、今年も終わっていく。



12/6 今日から、年賀状にチャレンジ!本当は、今からでも遅いくらい。でも、出足はいつもよりいい。特別変わった事や、面白い賀状ではないけれど、また、PC使用と言えども、心を込めて出したい。480枚は、2~3週間は掛かるであろう。



12/5 事細かに、或いは、大袈裟に書くからか、大勢の方々に、またまた心配をかけてしまった。私の逃げ場的な所で、共有?して頂いたような不思議な気持も、やっぱり嬉しいと思うのが正直なところである。

 「うちのジイちゃんは寝ている。」 と言われるより、「うちのジイちゃんは、いつも跳び回っている。今日も山に行った。」 と、言われておりたいのであるが、いつまでも、そう上手くはいくまい。でも、「手が掛からない。」 とか、「自分の事ぐらい自分でやりたい。」 というのは、もうちょっと先にして欲しい。

 まだやりたい事がたくさんある。設定している15年間ではとてもやれない。最近は、その期間も下方修正しなければならないような感じであるが、「車の運転が出来る・出来なくなる。」 が、一つのバロメータになるのであろう。

 経済力や体力・気力、そして、家庭環境などの中で、体力だけが、これからの希望の支えかと思っていたら、ちょっぴり陰りが見えてきた。後は気力しかない。「まだまだ・・」 そんな気持で頑張らなくては、この先、何ら面白くも可笑しくもなくなってしまう。

 長生きの条件には、手先を使うとか、ストレスが少ないとか、いろいろ言われているが、私は、「わがまま」 が一番ではないかと思う。世間で人気のある 「気を遣ってくれる人」 などは、とても長生きには適さない。周りを見て、「長生きしている人達は、我が道を行く人達が多いのは確か!」 しかし、幸せかどうかというのと、それはまた別の話で、「気を遣って、気を遣ってもらうのが一番良い。」

 話が変わるが、誰しもに、当たり前のように、友達が存在すると思われるが、意外な程に、あまりいないというのが本当のようである。片寄っているのかと思うところもあるが、ふと考えてみると、そうなのかもしれない。

 たった一言、また一行動で、取り返しのない事が起きるのであるから、長きに渡って維持するのは大変である。マンネリに胡座をかいておれば、それなりになるし、やはり、気遣いという努力が必要なのかもしれない。明日は、我が身に返って来るかもしれないから、高慢な態度の是正をし、感謝の念に浸ろうか!



12/4 一向に身体の調子が良くならない。今まで(若い時)と違って、治癒力・再生力が衰えて来ているに、なかなか認める事が出来ないのかもしれない。こんなハズでなかったと気付く頃には、手遅れかもしれない。

 「ならば、今の内に・・・」 と、気は急いても、そのような体勢になっていないから、かえって可笑しくなる。そして、自分の思うようにいくハズがない。このPCも同じである。やたらと多い間違いに気付いた頃は、末期的な症状が出て来て、固まってしまう。どうしようもない。

 しかし、時間が経てば、また動くのである。2週間後にフレッツ光が”隼”に、そして、いずれXPから、バージョンをUPしなければならないスケジュールがある。やっと動いている本体の存亡もある。「山登りは人生そのもの。PCは、私の身体を見ているようなもの。」 決して過言でないような気がする。



12/3 昨夜の「好山病友の会」の忘年会は、街中で初めてであった。時々、山行を一緒してくれるメンバーもあるが、休日の関係上、久し振りのメンバーもあり、飲むに従って盛り上がっていった。また、今回は、「北ちゃん」と「山ノ神」が、節目の歳にあたり、それを祝う事も兼ねていた。

 そんな中で、自分一人が、盛り上がりに欠けていたのではないかと、今になって心配をしている。酒類は、それなりに飲んでいたのであるが、それでも、いつもの半分程であったのではなかったろうか? どうかしたら、「眠っていた!」 とまで、「山ノ神」に言われたからである。

 それでも、今日は、袴腰山に出掛けた。細尾トンネルから、1・5キロ以上車を入れる事が出来、林道歩きが30分で助かった。もっとも、轍が付いていたのであるが、車の腹がつかえるようになって、車を駐めたのである。

 流石、五箇山である、標高からして、予想以上に雪量であった。我が家出発が午前9時を過ぎていた事もあり、八乙女山辺りに行き先を決めて、出たはずであったが、砺波市内に入る頃から、もう一寸、高い所へと目移りしてしまった。

 であるから、カンジキは用意してあったが、スノーシューまで気が回らなかった。スノーシューを準備するかの話になった時、「そのような山には行かない。」 となっていただけに悔いたのである。しかし、カンジキでも、そんなに遜色なく歩ける状態であった。

 道しるべとして、ブナに赤ペイントがベタベタと施してあったが、もう1mの積雪ともなれば、皆見えなくなるのではないかと心配したが、あれは、積雪期用ではないのだと思われた。ちょっとばかしの急登を凌げば、山頂に届く。そして、人形山などが見える所まで行って食事とした。



12/2 夫婦山の小井波登山口は久し振りであった。いろいろあって、「周さん」 を交えたスタートは、もう一寸で、午前10時というところであった。「周さん」 との山行は、10/21の白山以来であったから、いろいろな山の話をして、もちろんゆっくり歩いた。

 それに輪をかけたのが、「山ノ神」 のナメコへの執念である。あまりないと思っていただけに、「あそこにも、ここにも・・」 には、さすがの「周さん」 も翻弄されていたようであった。ナメコを食しない「周さん」には、本当に酷な作業であったに違いない。それは、女峰を経由したにしても、山頂まで1時間50分も要したのであるから分かるというもの。

 山頂(男峰)では、出来ないのではないかと思っていた食事が出来たし、一時的にでも、それなりの展望があったし、予報の事を思えば、まずまずであったのではなかろうか。そして、予定よりも早い時間に下山出来、余裕をもって忘年会に参加する事が出来た。



12/1 急に熱くなったり、反対に寒い寒いと言わなければならないような、おかしな体調である。そして、咳をするようになった。風邪なのかもしれないが、痰の色が気に掛かる。以前、静脈瘤の手術をした所が、暖かくなると急に痒くなる。心臓周辺も何となく変だ。そのような事を並べると、「すぐに医者に行け!」 と言われる。

 そんな中、時間制限・体調不良など、全て承知で、「何処かへ・・」 と言ってくれる 「周さん」と、夫婦山の約束をした。「ゆっくり歩いて欲しい。」 も分かっての話である。

 夜は、好山病友の会の忘年会もある。今更欠席も出来ない。「酒量も少なめに・・」 と思っているが、そのように上手くいくか分からない。でも、久し振りに会うメンバーもあるし、何としても行きたい。そんなのに、明日のその先に山へ行こうとしているのだから、やっぱり何処か狂っているのかもしれない。