1/31 寒く雪量も多いと予想されていた今冬であるが、「まだ雪掻きをしていない。」 という人が多いようだ。積もったら積もったで偉い目に遭うのであるが、「身体が鈍る。」 「冬らしくない。」 などと、雪量の少ないのを、皮肉っているようである。

 大概のスキー場には、たっぷりとはいかないまでも、それなりの雪量があるようだが、下界にないとなると、そのムードが湧かないのであろうか、スキー場の入りが、今年に入ってイマイチのようである。



1/30 孫達の世話をしているからであろうか、お年玉的お小遣いを娘からもらっていたのであるが、ダウンの上(上着)、靴下、登山ズボン、そして、ダウンの下(ズボン)と、ついに使い果たした。

 昨夏は、修理のための壁紙や便座にへと、消えていった事を思えば、他人様と比べて大した事のない金額であっても、満足感が漂っている。そして、最近、機会を失っている雪山キャンプへの志気の高揚にと勝手に思い上がっている。

 ダウンの上着は、登山用品店で買った物でないが、重ね着をすれば結構いけるのである。従来使用のインナー的ダウンと重ね着をし、ダウンのズボンを履いて、パソコンの前に座れば、暖房もナシ。ちょっと寒いがやせ我慢。それもその筈、「山ノ神」には、「またまた、こんな物を買ったの!」 と言われたくないため・・・・ でも、財布は軽い。



1/29 一昨日の鍋冠山は、私の山行として失敗の歩きであった。以前(と言っても相当前の話) 骨原から林道歩きを試みたのであるが、雪量が多く、何処が林道なのか分からなくなってしまい、とんでもないところを歩き、最後は退却しなければならなくなった事があった。

 今回は、歩き始めて、すぐに林道をショートカットされたトレースを辿った。雪量が少なく林道との区別は殆どの所で出来たし、GPSにルートを載せていった。しかし、いつになっても、私の思っている林道に出ず、尚更離れて行くようであった。

 終いには、猟をする人の跡なのかとも思ったりしてが、その点GPSがあり、その方向を確認して歩いていただけに、それ程の不安はなかった。そのトレースの持ち主は、途切れていたものの、もしかしたら、「あくみ山」 を越えたのかもしれないし、釜池に向かったのかもしれない。

 私は、結局、釜池方面に行く林道に出たようであったが、従来の林道との分岐に出た時、僅かであるが、反対の方向に歩いていたから、その方向も、歩いて来た林道も承知していなかった事になる。GPSで確認すると全く反対に進路を取っている事に気が付き、引き返したのであった。

 時々であるが、林道や標高点が地図とGPSとが一致しない事がある。(頸城駒ヶ岳などは、林道の位置関係が可笑しい。) そのような経験をしていると、果たしてと疑いをもってしまう事がある。今回は、全く自分の間違いであって、下山時は、素直に従来の林道を歩いたが、GPSと地図はピッタリと合っていた。



1/28 ここ一両日の冷え込みでは、車ドアの開閉の支障はない。「赤谷ノ頭」から戻って軽く塗った油(ミシン油)が、功を奏していると思われる。それ故に、池田氏からのアドバイスを、まだ実行していない。もしかしたら、どのような油でも良いのかもしれない。いわゆる扱い易い油なのであろう。



1/27 朝起きたら、頭が痛いという「山ノ神」が、パスとなり久々の単独行となったが、それなら、「もっと早めに言ってくれ!」 と言いたいくらいである。ならば、尚更のように、私が二人の孫を保育所に送り届け、それからのスタートとなった。。しかも、冷え込んだ路面はカチカチで慎重な運転となる。

 西種で準備をしていると、これまたおかしな事に、池田氏の車が止まる。「高峰山・鍋冠山、でも、町内会の新年会があるので、午後4時くらいまでに戻りたい。」 と告げると、そのような余裕のない山行はゴメンとばかり、池田氏は、当初目的の「千石城山」の方へ行かれてしまった。

 西種集落は、川のように流れる水で雪がないが、所々凍った所があり、注意して歩かなければならない、骨原のため池付近からスノーシューを装着。トレースの上に10~20cmの積雪があるが、林道をショートカットして効率が良いように思えた。

 しかし、結果的には、従来の林道から、かなり西側に離れ、「あくみ山」直下から東側に巻き、小さなアップダウンを繰り返しながら、そして、時にはトラバースをして、高峰山と釜池への分岐付近でようやく林道に合流するものであった。

 どちらを優先するかとなったが、まだ2度しか登っていない「鍋冠山」とした。その先の林道から、鍋冠山の杉林では、流石に膝付近のラッセルとなったが、それ程窮屈なものではなかった。西種から3時間半を要してしまたが、山頂で店を広げてしまってからは、高峰山が遠くに見えてしまったのと、カツカツな行程もどうなんだろうと、鍋冠山でゆっくりする事に傾いてしまったのである。

 カップ麺を食べ、コーヒーを飲むだけのようなものだが、あちこち歩いて写真を撮るのも時間を要する。あれよあれよと言っている間に1時間半を過ごしてしまった。これもまた山の楽しみ方なのだと都合の良いように自分に言い聞かせていたのかもしれない。

 杉林を駈け降り、従来の林道を歩けば、何と西種まで1時間強(1時間10分ほど)ではないか。高峰山の頂上を踏めたかもしれないと思ったが、山用品店に寄れたし、町内の新年会にも余裕を持って参加出来たし、これで良かったのかもしれない。



1/26 山仲間から、お誘いのメールをもらった。しかし、文字化けしていて全く読めない。スマホからだと思うが、リッチテキスト形式であったから、テキスト形式に書き直して欲しいと伝えようかと思ったが、文字化けしていなかったタイトル(件名)だけで内容が分かるし、そのまま返事を出そうかと思った。

 でも、たまたま近くに娘がいたので、何となく、「文字化けしたメールを直す事が出来るものか?」 と問うてみたら、「ふんふん」 と言いながら、復元してくれるではないか・・・ 目からウロコと言うのであろうか、この種の事に知識のない私としては感激であった。「表示→エンコード→その他→Unicode(UTF-8)」



1/25 いつもの5人に、ムコ殿と長男が加わって賑やかな食卓となった。ちょっと、血圧が高めで、ヤバイかなと思いながらも、スイスイとお酒が進んでしまった。前日飲み過ぎたと言っていた息子も、終いには飲み始めてしまった。そして、前夜、不調を訴えていた娘も、今のところ大丈夫のようで、賑やかな宴となり、我が家は平和な一日を送った。



1/24 自分の思う通りにはいかないものであるが、それを、まざまざと実感した日であった。思いやりが欠けていた所為だろうか? それとも愛想を尽かされたからであろうか? 中味はともかく、どちらにしても、自分の不徳の致すところとなった。

 それに輪を掛けたように、不都合な事が起きた。それが何でだろうと思う程であるが、これが試練なのかもしれない。折しも、孫の誕生日に合わせてやって来るムコ殿や、また、それに合わせて息子がやって来るのにである。人生不可解なりである。



1/23 近頃、「元気だね!」 とか、「凄いね!」 とかと言う言葉を掛けて頂く事がある。お世辞の意味合いが大きいとは思っているが、それよりも、そのように労られる年齢になって来たのであろう。どれだけ、「まだまだ・・」 と思っていても、他人様から見れば、体型も行動も、そのようにしか見えないのだろう。寂しいが致し方ない。

 高校時代から登り始めた山であるが、毎週のように登り始めて20年くらいであろうか? また、HPにしても、中味はともかく、よく続いていると自分ながら 「アッパレ!」 と言ってもよいと思っている。だから、その「世辞」は、ご褒美なのかもしれない。



1/22 その後考えてみた結果、スキーワックスがいいのではと思い至りました。これなら少しくらい塗り過ぎても、周辺や服を汚すことはないと思いますし、サラダオイルより耐久性もあると思います。 (スプレー缶のスポンジで薄く塗る) と、「車のドア回りのゴムパッキング用凍結防止オイル」 に関する提言を池田氏から頂いた。

 その先に、「サラダオイルを、ティッシュペーパーかなんかに少し含ませて、極く薄く擦りつけるだけで十分ではないかと思います。」 との提言も受けていた。いろいろ考えて頂き、唯々、感謝である。自宅を含め平地での気温と登山口の気温では、当然の如く温度差があるわけで、いろいろと試してみようと思う。

 私は、アイゼンやピッケル(古いもの)を使用した後に、サビ止めとして天ぷら油を塗っている。それも結構いけるのであるが、使用済みの油を使うと、ちょっとばかり匂いが残る。



1/21 先日の下山後、凍結した車のドアに難儀し、そのドア回りのゴムに薄く油を塗布する事を教わり、今のところ奏功していると述べた事に対して、意外な程に反響があり驚いている。私は、思い当たる油がなく、身の回りにあるミシン油を使用したが、もっと理屈なものがあったら教えて頂きたい。

 後始末が便利で、しかも匂いがなく、付着しないで、長持ちがすれば一番よいのであるが、そうとばかりも言っておれまい。イメージとしては、スプレー式のものが便利かと思うがどうであろう。いつも水切りが万全なら、そのような事が起こらないのであろうか・・・・



1/20 牛岳登山口に車を止めて、いざ準備をしようとしたら、下の孫の着替えなどが入ったバックがある事に気が付いた。月曜日は、布団や外で遊ぶための着衣なども含むため山用品と、ごっちゃになってしまったようだ。

 ましてや、保育所のある所は、車がやっと1台通れる狭い道に、駐車スペースが2台しかなく、混雑していたのも災いしたようである。そうなれば、引き返さなければならず、何やかんやで、1時間半のロスが生じてしまい、スタートは午前10時半になってしまった。

 それでも、スキートレースがあり、僅かな沈みの差が、歩く者としては助かった。でも、思いもよらぬルートは、逆にロスとなり、ルート変更に深雪のラッセル強いられるところもあった。

 稜線に出て穏やかさが一変した。五箇山側から吹く風は冷たく、一気に体温を奪っていく。「あと二つのピークを越せば三角点だ。」 と言って励ましたが、「山ノ神」は、しゃりバテを理由に、一つのピークを残して、今にも歩くのを止めようとする。

 仕方なく斜面を利用して、背丈以上の穴を掘る。それでも強風は、雪煙を伴って吹き付けるので、潜る足下を気にしながらタープで覆った。それが奏功し、風を凌いで温かい物を食すれば、一気に身体中が、指先までホンワカとなる。

 「最高点に届かなくても、まあ~いいか。」 と一気に降る。このところの山行回数で気を強くしたのか、「山ノ神」は、今まで足が竦むと言っていた斜面を、一気に駈け降りて行った。やはり慣れなのか・・・・



1/19 蓬沢から神社付近まで車を乗り入れる算段であったが、自然はやはり思うようにさせてくれなかった。厳しいUターンを、巧みなテクニックで、剱橋付近に戻り再出発となった。

 今回は、シュンちゃんがリーダー、そのシュンちゃんが、元気者のラッセル車を連れてきた。そんな事もあって、いつもより急斜面を駆け上がって行く事になる。それでも、口でこそ控え目ないつもの鍛えられたメンバー達は、「凄いね。凄いね。」 を連発しながら、難無く付いて行くからこれまた凄い。

 大倉山に繋がる908m峰「アンリの頂上」は、標高こそ、それ程でもないが、トレースのない深雪を掻き分けて行くのは、それなりの体力がいる。ラッセル車以外は、それぞれ応分のノルマ?をこなし、3年連続で「アンリの頂上」に辿り着いたのであった。何故、「アンリの頂上」なのかは、堀シェフ絡みであるが、此処では、多くを語らなくても良いであろう。唯、「アンリ」とは、堀シェフ夫人の名なのである。

 あまり降らないだろうと12人収容のシェルターはタープを張らなかった。いつものように豪華な食材がテーブルに並び、誰もが、「もう入らない。」と言う程まで食べた。しかし、降雪に見舞われたのである。耐え忍んだのであるが、寒さには勝てず、店じまいになってしまった。

 しかし、それ相当の時間を過ごし、もうちょっと、ゆっくりの時間だけが、省かれた感じであったから、誰からも、クレームを聞く事はなかった。不思議なもので、片付けると、また、帰るとなると、雪が止み、時折、陽が差すのは何故なのだろうか? 

 主稜線から外れると、あんなに苦労して登って来たところを、一気に降るのだから、何分の一かの時間で事足りてしまう。しかし、転ぶ人、ふざける人、怖がる人など様々であり、日頃の人柄と、がらりと変わる一面を見る事があるから面白い。そして、別れの挨拶時には、「また、ご一緒しましょう。」 お互い固く握手する事で、楽しかった一日が終わった。



1/18 明日のハレルヤ山行は、何故か3年連続で「アンリの頂上」である。それでも、12名の参加があるそうだ。一昨年は2月、昨年は1月であったが、年始めの一回目の定番となるのかもしれない。2/15が、ハレルヤ結成10周年である。最近は、メンバーよりゲスト参加の方が多い時があるが、開放的なところが、受けているのかもしれない。



1/17 「赤谷ノ頭」 で車に戻ったのは、午後6時であった。かなり冷え込んで、道路もカチカチ状態であったが、古い私の車も助手席側のドアとトランク以外、凍って開かなかった。解散の挨拶をするために、上市郊外の乗り合わせた駐車場に行かなければならず、仕方なく助手席側から乗り込んだ。

 走行中に、ドアマークが点灯した。引っ張っても開かなかったドアが、暖かくなったために、半ドア状態になった警告であった。暫くして、反対側のドアに対しても、同じ表示が出たため、車を止めドアを閉め直した。

 この状態を閉会の辞を語る集合場所で告げてみたら、無理矢理ドアを開けて、回りのゴムまで取れてしまったという話を聞いてゾッとした。その時、岩城君から、「ドア回りのゴムに、薄く油を塗るといい。」 とのアドバイスを受けた。

 早速、ミシン油を塗ってみた。ところが、晴れ間にと思って、水分を取ってから時間を置いて塗り始めたら、途中から雨が降り出してしまった。その後の冷え込みは、あの当時と比べものにならないが、今のところ功を奏しているようである。出来れば、違った油を、晴れ間に再度塗ってみたいと思っているのであるが・・・



1/16 私はカラオケが苦手。「歌わないから下手になっていく。下手だから歌わない。」 の悪循環で益々ダメになっていく。でも、歌は好きで、それなりに口にする事がないでもない。まだカラオケがなかった頃は、手拍子に乗せて結構あったように思う。

 人生の節目には、その歌が付いて回る。他人様には何でもない曲であっても、自分には忘れない曲(歌)になり、何かに着け想い出す。特に、それは悲しい時に多いような気がする。そして、それは時代背景が繋がって来る。悲しい時ばかりではなく辛い時も同じであったかもしれない。

 その点、山に関する歌は、常に純粋にしてくれるし、心を穏和にしてくれる。もっとも、勇ましい歌などあまりなく、しみじみと味わうものが多いからかもしれない。口伝えで教えてもらった歌などは、尚更のように音程が狂っているやに思うが、自分だけで楽しむには何の遠慮もいらない。



1/15 祝日の月曜日とあって、久し振りにメンバーと一緒出来た。何も言わなくても、ホッとする心は通じ合うところがある。「ちょっぴり褒めて、ちょっぴり落とす。」 その掛け合いも面白い。自分より、ぐっと若い人達に付き合ってもらえるのは山行機会だけである。

 ゲストの諸氏からも、「楽しかった。」 「貴重な経験だった。」 「また機会があったら・・」 など、お世辞かもしれないが、喜んでもらえたようだ。だから山は止められない。もちろん、リーダーだった「北ちゃん」が、上手く纏めてくれた事や、参加者の皆さんが踏ん張ってくれたからであるが、美味しい食材を、重い素振りも見せないで担いで来てくれたのに、平然としていた方々の事も忘れてはいけない。



1/14 赤谷ノ頭山行は、遅い下山になり、何もかもがカチカチになった。道路に出てから転倒もあったが、事なきを得たから笑い話になる。もしかしたら、遅いから心配した家族もあったかもしれない。「好山病・・」 だから、簡単に終わるはずがないと思っていた話もあった。「結果良ければ全て良し。」 なのであるが、信頼・結束・協力などがキーワードになっている事は間違いない。

 身近に雪がなく、山中に入ってから(公園線でも)の積雪に驚いたが、怯む事なくチャレンジ精神が働いた。直前に強者と言われる助っ人のキャンセルがあったが、結果的に良かったような気がする。それ程結束力が強まったように思われたからである。

 もちろん、自前の強者(岩城君や北ちゃん)、そして、ゲストの奮闘があったからに他ならないが、全て上手くいったような気がする。日没は「おまけ」と思えば、ずっと語りぐさになり、この先のいつの日にか「酒の肴」 になる事は受け合いである。



1/13 上市市街地から剱岳公園線に入ると、いっぺんに雪量が増え、3台の除雪車と鉢合わせとなる程であった。雪捨て場の邪魔にならないような所に駐車し北尾根からと取り付いた。

 自前のラッセル車(岩城君)にフル活動してもらい、残りの10名で所々交代でラッセルするという構図となったが、山頂の食事処への到着が予定の4時間をかなりオーバーしてしまい、三角点や最高点手前で設営しなくてはならないようになってしまった。予想以上の積雪に、先行者のラッセルは厳しいかったが、後に続く者は、意外と楽だったのかもしれない。差程の休憩も取らずであったが、時間の過ぎるのは早かった。

 サラサラの雪質にテーブル・ベンチの設定には、ちょっぴり苦労をしたが、それでも、いつもながらの豪華なメニューには、「こんなに歩いたのにまた太るね!」 などの言葉が飛び交うように、赤谷ノ頭界隈?に笑いが渦巻いていたように思う。

 記念写真を撮ったりしていたら、午後3時をかなり過ぎてしまい、最高点を越え、三角点に達した頃は、午後4時近くになってしまった。でも、慌てる事なく、慎重に、かつ足早に降ったのである。薄暗くなった頃に、林道を真下に見たが、法面を降りる事が出来ず、少々登り返して、ヘッデンを点けた。

 ちょうどその頃、娘から遅れ気味に短いメールが届いた。「劇的でした。後半40分過ぎまで2-0で負けていましたが、延長線を制し優勝しました。」 を読み上げると、山中に歓声がこだました。その勢いで谷筋から林道に出て、更に杉林を抜け公園線に出た。道路はカチカチ、私の車は、ドアが開かない程であった。またまた暗くなってしまった事の反省があるが、また一つ想い出が出来た感じである。



1/12 今日のお天気で危惧するが、明日は「好山病・・」の今年第一回目の山行が企画されている。参加予定者が直前になって大幅に揺れたが、それでも、メンバー6名の参加があるようだ。ゲストもかなりの変更があったが5名の参加だと聞いている。

 今回は、「北ちゃん」 が企画してくれたので、こちらは、「おんぶにだっこ」 状態で気が楽である。もちろん、何らかの形で協力は惜しまないが、だんだんと、より若い方に、いろいろな事をお願いしなければならなくなったのが正直なところかな。どちらにしても、、明日は楽しみである。



1/11 昨秋からご無沙汰している福井の宮ちゃんに、「お正月は、何処へ行って来た?」 と尋ねたら、「元日から3日まで、北八ツに行って来た。」 とあり、「天狗岳からの展望が素晴らしかった。」 とあった。そして、女二人一週間山浸りともあった。

 そんな宮ちゃん、「初雪山に泊で行きたい。」 第3日曜が晴れなら、若い彼女も連れて行くから付き合えとある。まさか、今月ではなかろうが、実に嬉しい話である。しかし、宮ちゃんとの初雪山は、何回となくあるが、何にも見えないガスの中歩きばかりであった。

 ここ1~2年、雪山キャンプの機会を逸しているが、何となく、「今年は違う。」 という感じである。しかし、我が家には、高い高いハードルが存在する。これも、山登りと同じかもしれない。苦難を乗り越えてこそ、山頂に到達するのであるから・・・・



1/10 今日は、二組の来訪者があった。訪ねてもらえるとは嬉しいものである。午前中は、eiko女史で、好山病の行く末と、雪山キャンプについてお話をした。彼女は、随分少なくなった好山病山行を危惧してくれたが、これだけ休日が違う中で、イザという時は集まれるし、少数でも、それなりに誰かが登っておればいいのではに落ち着いた。

 もう一つの話題は、高い所へ重荷を担いで行くのは、ちょっと不安があり、低山でのキャンプは可能かとの問いに、私の休日に合われてもらえれば、いつにでもとなったが、果たして、そうなるかどうかは、本当にしたいかどうかだと思っている。

 午後からは、雪降る中を池田夫妻に訪ねてもらった。漬物の秘法の伝授に関してであったが、もしかしたら、諍い中の我々の偵察という意味合いがあったのかもしれない。兄・姉的なお二人に、いつも気遣いをしてもらうという私達は幸せ者である。もうちょっと、暖かくなり、夫人の体調が良くなられた上で、近間の低山歩きをご一緒出来ればと思った。



1/9 今冬も相変わらず火の気のない部屋で耐え忍んでいる。”鍛錬” などと称していたら、「歳なんだから・・」 近年そのような愛情のあるコメントを、時々受けている。”災難” は、突然やって来るらしいから、それこそ、ずっと前使った事のある(20年以上前、景品でもらった) 電気あんかにスイッチを入れてみた。

 小型ながら、それなりに暖かいのであるが、貧乏人は、電気代が気になる。(深夜電力だから、実際は1/3の電気代なのだが・・) そんなわけで、昨夜から、従来の名器(2Lのペットボトルに熱湯を入れて湯たんぽ代わり) を使用する事となったが、私にとって実に相性がいい。足先に置こうが、胸に抱こうが朝方まで暖かい。おまけに、このお湯はきれいだから、何にでも使用出来る。 36℃の暖房機などいらない?

 最近は、めっきり少なくなったが、雪山でもこの方法が良い。2Lとはいかなくとも、500MLのペットボトルでも、シュラフの中に入れると天国である。食事にも使えるのだから・・・ そう言えば、ここ1~2年は、その機会を失っている。今年もダメとなると、ずっと、そのようになるような気がする。何としても実行しなくてはの思いである。



1/8 好天に恵まれた昨日の高落場山に浸っていたら、「残念でした。」 との石川のK女史からメールが届いた。登山口の五箇山トンネルにいち早く着かれ、「石川ナンバーの二人の女性を見送った。」 と池田氏から聞き及んでいたが、まさか、その女性の内の一人がK女史であったとは、「ちょっと、残念!」

 K女史とは、一度もご一緒した事はないが、毛勝山・薬師岳・双六岳など、いろいろな山で、お会いした事がある。しかし、そう多くお話をした事もないが、私のHPに対して、ご意見を伺う事があり、親しみを覚えている。

 多くを知らないながらも、その人の良さが分かる事がある。良いも悪いも、その印象を引き摺ってしまう悲しい現実に、たった一言の重みを痛いほど知っている私でも、未だに、「言わなければ良かった!」 の繰り返しに軽薄さを感じてしまう。

 若き日にあれほど、好き嫌いをハッキリさせていた自分であるが、自信がなくなって来たのか、それとも丸味が出て来たのか分からないが、これも歳の所為などと片付けられるのも、ちょっぴり寂しい気がする。



1/7 今日の高落場山は、池田氏と「周さん」の参加を願い、久し振りに中澤女史にも声を掛けた。午前9時半発では、果たして山頂に届くのかと案じていたが、びっしりと付いたトレースと、今朝の冷え込みで、その心配は吹っ飛んでしまった。

 一冬に何度もないと思われる好天に、「この日は、私の為にある。」 と言わんばかりに、池田氏の快走(快足)が目を見張った。終始先頭を歩いて頂き、「歩きとはこれぞ!」 と引っ張って頂いたのである。

 もちろん、後に続いた者の頑張りもあったのであるが、適当な休息を入れての2時間は、「この時期の我々では、ななかなかない記録である。」 と自画自賛の山頂で雄叫びを上げた。

 それにしても、山頂での大展望は、五箇山の山々は元より、遠くは北アの名峰が手に取るように分かり、シェルターからも見飽きる事がなかった。4日連続の山行だと言う、「周さん」 でさえ、「来て良かった。とても、家におれなかった。」 などと、飲まずとも、その光景に酔っていたようである。

 「久し振りの山だった。」 という中澤女史も、あの頑張りにも表れたが、またこのような機会があればと賛美を送ってくれた。「山ノ神」も、盟友を得たかのように、ずっと喋りまくっていたが、苦手な降りでは、何処かトーンが萎んでいったようであった。

 午前9時半スタート、午後4時頃の下山予定などと、企画した者として、些かの不安があったが、1時間も繰り上げての下山となり安堵となったのである。しかも余裕・満喫などの言葉が当て嵌まる今回の山行は、結果オーライだった感はある。でも、それなりの装備を忘れてはいなかった事だけは付け加えておきたい。



1/6 「周さん」 も行きたいという事で、久し振りに洞山に出掛けた。ちょっと雪不足を懸念していたが、今朝は湿っていて(カチカチ)、それを防いでいたかのようであった。今日で8回目の洞山であったが、450m地点の反射板付近の様変わりに、独り善がりかもしれないが、何だか違和感を感じてしまった。

 西新山や961m峰への通過点として利用される事もあるが、細入道の駅からの直登を試みる人達があるように、洞山単独でも、それなりに登頂の喜びを感じる事もある。今日は、ヤブが煩かったが、その分、「山ノ神」の本領とするナメコ採りには、それなりの分があったかのようである。

 831mの山頂と言えども、その頂に立てば、それなりの喜びを感じるのは私だけではあるまい。初めてなら尚更であるし、回数を重ねれば、その季節毎の魅力を感じるというものである。登らなければ分からない。行ってみなければ、何も言えるものではない。一度や二度で、その山の事など、軽々しく言えるものではないし、分かりもしない。でも、行ってみるが良い。事は、それからである。



1/5 孫達が帰って来た。俄然賑やかになったが、”地雷” が、いつ・何処で、炸裂セルか分からない。相手方も、ミサイル攻撃に、戦々恐々としている事が伺える。この状態に、「緊張感があって宜しい!」 などの応援、イヤイヤ、野次馬的メッセージを、もらったてしまったが・・・・

 山用具店に、2台の不都合なバーナーを、持ち込んで修理を依頼した。T店長は、「一度に2台では困るでしょう。」 と、その内の1台を、手作業で緊急的に修理を施して下さった。過去にも、その種の事に、時間を惜しまず助けてもらった事があった。今度も、完璧に近い程になり、金欠病の私は、大いに助かった。



1/4 昨日の大辻山で、「元さん、幾つになられました?」 と尋ねられた。正直に答えたが、「お元気ですね!」 の言葉と、若者達から、「へぇ~」 と、感嘆ともため息とも取れる響きに、やっぱり年寄りになったんだと思った。

 同年配や極仲間内では、「昔と違って・・」 などと息巻いているが、若い人達から見れば、歴とした年寄りなんだと証明されたようなものだった。毎日鏡で見る顔の変化は、あまり分からないかもしれないが、1年前の写真を見れば確かに確かにである。

 かといって、年寄り同士で、慰め合っていても始まらない。やっぱり若い人達といると、何かエキスをもらったような気がする。出しゃばったり、面憎い事を言わないで、上手に付き合ってもらうよう努力しなければいけないね!

 そのためにも、鍛錬が必要になって来る。「ちょっと待って!」 「足が攣った!」 が何回も続けば、自分から身を引かなければなくなる。そうすると、同年配の仲間も大事である? ハハハ



1/3 国少の家の駐車場で、「元さん、ですか?」 と声を掛けられた。「10年程前、早乙女岳でご馳走になりました。」 と言ってくれたのは、富山の中村さんであった。そのパーティーは、(スキー3人・ボード1人(スノーシュー)・カンジキ1人) 若く(推定30~40代)、先行して行かれたので、これなら、大辻山はゲット出来ると思った。

 ところが、すぐに彼らに追い着いた。「お先に・・」 と言うのであるから参った! その先には、スキートレースが1本あったが、膝下まで沈む。でも、「ライオンズの森」まで頑張り通した。そこからは、彼らに先行してもらったが、スキートレース通りに林道をカットしていった。我々は、遠回りの林道を選んだが、長いし膝まで達する雪量に閉口した。

 でも、2時間半ほどで、長尾峠に辿り着く事が出来たのである。先に着いた彼らは、通常登山口の⑨番に向かっていたようだった。我々は、トレースのない長尾山経由を選択したが、意外と時間を要してしまい、長尾山頂から降り始めた頃、彼らは奥長尾山に達しようかとしている頃であった。

 その彼らに、再び追い着いたのは、④番辺りであった。⑥番から⑧番まで、私達が先行したが、主稜線に出た頃は、ヨレヨレになりかかっていた。しかし、「山ノ神」は、意外と元気でスイスイと登って行く。午後1時頃、ようやく山頂に辿り着いたが、いつもより増して、最高の展望が待っていてくれたように思えた。

 1時間ほどの滞在であったが、その展望は飽きる事がなかった。また、いつものように、シェルターを造ったが、底にも届かず、たっぷりの雪量である。風もなく最高の山頂であった。彼らより一足先に山頂を後にしたが、彼らは追い付いて来なかった。山頂から国少の家まで2時間半、暗くならない内に辿り着いたが、彼らは、もしかしたら、ヘッデンが必要になったかもしれない。



1/2 大晦日も元日も「山ノ神」は、車を使って、プイと何処かへ出掛けて行った。雨、そして、車がない。そして、夕方から新年会がある。そんな私は、家から歩いて二上山に行く覚悟で、雨具を身に付け外に出た途端、「山ノ神」が帰って来て、「私も行く。」だって・・・

 もう口も利かずに、唯歩くだけ・・ でも、知人と出会うと、そうも言っておれない。でも、それが終われば、また元通り。 (ここまでは昨日の話) そんなのに、今日も、山準備をしていると、「何処行くがけ!私も行く。」 だって! お天気が良くないし、なるべく人が来ない山と思って、城ヶ平山・ハゲ山に向かった。

 雨が、大岩に着いた頃から雪に変わった。ミョウガ畑の中の階段を登り切る頃から、雪量が一気に増えた。でも、面倒な事もあって、カンジキを着ける事もなく、一気に山頂に立つ。こちらは話したくないし、あちらは、置いて行かれてはイヤなのか、膝下まで雪のある城ヶ平山に1時間も掛からず着いてしまった。

 お昼時間なのであるが、お天気も良くないし、あまり顔を見たくもなかったから、すぐにハゲ山に向かった。浅生へ降りる分岐を過ぎ、暫くすると何だか人影が見えた。ハゲ山方面から来られた池田氏とHIRO女史であった。お二人は、城ヶ平山に向かわれるハズであったが、一緒に山頂での歓談を考慮されて、ハゲ山に戻る事を決断してくださったのであった。

 山頂に着けば、次第に展望が開けだし、山座同定に暫しの時間をあてた。私達の状態を知ってか、お二人の話術は巧みで、思わず大笑いをしてしまった。約束して登る山もいいが、予期せぬ山での遭遇も、また楽しからずやである。浅生に降り、最後は、何を祈ったか(願ったか)分からないが、日石寺を参拝した。



1/1 今年も、たくさんの方々から年賀状を頂いた。一年に一度の自己アピールの機会だと思っている私は、どんどんその数が増えていく。出費は確かに痛いが、一人にしたら、50円なんだから・・・

 今年は何故か、「膝が痛い。」 「腰が痛くなった。」 などの弱気とも取れる賀状が目についた。「えぇ~、あの人まで・・」 と思わず口に出した程である。山を休止している人、回数がめっきり減ったと言っている人がいる反面、「やっぱり止められなくて・・」 の人もある。

 私の年齢からして、友人・知人、そして、山仲間はその域(そろそろ故障する頃)なのかもしれないが、それを思うと、まだ文句を言いながらでも、山に出掛けられる私は幸せ者かもしれない。

 痛い膝や腰はどうしたらいいのだろう?私は医者ではないから分からないが、使わないと筋肉が衰え、益々ダメになるような気がする。患部の回りの筋肉をどのように鍛えればいいのか、やはり専門医に診てもらうしかないのだろうが・・・

 私は、膝や股関節に違和感がある。しかし、執念からなのだろうか、歩く事は出来る。超人達と肩を並べて歩く事は無理かもしれないが、普通の人達なら遜色なく歩く事が出来る。でも、バランスには些かの不安があるため、冒険が伴うような所へは、なるべく行かないようにしている。どんな山でも、山は山なんだから・・・

 今日の明け方は雨だった。家庭内のムードも良くなく、かなり諦めていた。しかし、歩くのを止めると、衰えが手に取るように分かる。(ちょっとオーバーかも)だからでもないが、ちょっと小降りになったところで、地元の二上山に出掛けたのである。