2/28 「光陰矢のごとし」 と言われるが、あっという間に2ヶ月が過ぎた。一年の1/6である。同じ時間を共有しているのに、歳を重ねる毎に、早く感じてしまうのは、初めて行うよりも、経験しておればその要領が分かるから、また、初めて通うよりも、2度目3度目の方が、早く感じるからのようである。すなわち経験値のようである。

 今一つ、20歳の人の一年は、人生の1/20であるが、60歳の過ぎてきた一年は、1/60である。だから、年齢と、その早く感じる速度は反比例するようだ。特に過ぎてしまった年月は、あっという間に感じるが、これからの日々を考えると、必ずしもそうでないような気がする。

 一週間に一度好きな事をするとすれば、一年に52~53回である。毎日好きな事をすれば、365回なのであるが、仕事を辞めるか、続けるかの選択に悩むように、どちらが良いのか分からない。結局は、無いものねだりになるのが必然であろう。

 笑ってばかりもおれないが、苦虫を潰したような顔をして過ごすのは、もったいないような気がする。やりたい事は我慢する事無く、何とか努力をして解決法を見いださねばなるまい。まあ~、どちらにしても、元気で無ければ、なかなか思うようにならない。でも、少々健康を害していようが、後は気持ちの問題である。



2/27 「こんな生活をしていて良いのだろうか?」 と思う事が時々ある。唯々、日にちが過ぎていく事に対しての虚しさからから、そのように思うのかもしれないが、「今更・・」 の方が強く、流され続けている自分に愛想が尽きる事がある。

 年齢に関係なく、「常に上を向く。」 「次を考える。」 ほどでなくてはいけないのかもしれないが、夢破れてしまっては、いい加減なところでの妥協に落ち着いてしまう。それが年老いた事になってしまうのであろうが、実に悲しい事である。

 若さは、そうして失っていくのであろうが、世には、それに逆らい輝いている人達もいる。それが、スーパー高齢者や、スーパーじいandスーパーバーと呼ばれる所以であろう。あちらにも、こちらにも良いと思われようとしても、どだい無理な話で、少々、わがままにならなければ、そのようになれないような感じである。



2/26 今年は早めに確定申告を終えた。人様に言えるような営業成績でもないし、ましてや、高額の税金を納付出来るわけがないが、何だか一つの仕事を片付けた感じで気分が良い。

 そんな折、いろんな所へ出掛けている友人・知人の情報が入ってくる。「いいな!」 と思っても、今年から、「羨ましがらない。」 事にしている。喜んであげたり、褒めてあげても、自分の立場・技量を考え、羨ましがらないのである。

 そんな上手い事にならないかもしれないが、世の中には、もっともっと好きな事が出来ない人達がいるハズだからである。「時間が無い人」 「体力が無い人」 などであり、HPやブログなどを通じて、その行動を発信している人の方が少ないと思っている。

 「ちょっとでも、好きな山に行ける。」 「制約されながらでも行ける。」 「それが、里山程度であっても行けるのであるから・・・・」 そして、「一ヶ月に1~2回程度であっても、それなりの山にも行ける。」 のであるから、嘆く事ばかりで無く喜ばなくていけないような気がする。



2/25 明日から車検のためディーラーに車を渡す。3月で丸々13年になる。通勤なしで175,000キロであるから、よく走った方かもしれない。15年、200,000キロと思っていたから、もう1~2年頑張ってもらわないといけない。

 次買う車は、中古でもいいから、ワゴンやバンなどの泊まれる車と思っていたが、昨年4月から、生活が一変し、現在は諦めムードである。しかし、元気でおれる時間も限られたものであろうし、何とかならないものかと模索しなければなるまい。

 「世は自分だけのものでない。」 のを承知の上で、「解放」 「自由」 を勝ち取らなければと思っている。「山だけが人生ではない。」 のであるから、少々ハンドルを切る時なのかもしれないが、「もう、ちょっと・・、もう、ちょっと・・」 なのであるが・・・・・・



2/24 今度は必ずと思って臨むハズであった「鳥ヶ尾山」は、発電所への細い林道が雪崩で通れなかった。諦めたが、車一台がやっと通れるくらいの林道であるから、バックの苦手な私としては、難儀しながら時間を掛けて戻った。

 あと、100~150mの地点であったが、人力ではどうしようもなく、そのまま車を止めて置くわけにもいかなかった。苦労して戻ってから、どうしようかと思いついたのが、大辻山であった。

 家に帰ってから、「安全な場所に戻ってから、鳥ヶ尾山に行くつもりがなかったのか?」 と尋ねられ、「あっそうか!」 と思ったが、後の祭りであった。歩けばそんな時間も掛からなかったのに、余裕がなかったのだね!

 大辻山へは、林道歩きを含めて長尾山経由で3時間半、戻りは、2時間10分であった。「山ノ神」は、ヨタヨタであったが、時間制限の中、充分に「山の空気」を吸った事になる。



2/23 明日はお天気が良いようである。大地に心は揺らぐが、時間からしてちょっと厳しく、ましてや、「山ノ神」同行となると、楽しむという点では、難しいような気がする。ならば、先週の「鳥ヶ尾山」リベンジにとなった。もちろん、雪質にもよるが、4時間があれば行けるような気がする。例え行けないにしても、チャレンジ精神をむき出しにしたい。



2/22 「次ゆく山は何処?」 この時期になると、「あそこえも、ここへも・・」 と次から次へと山名が浮かんで来る。「何度行ってもいい山」 「最近行きそびれている山」 「まだ行った事のない山」 などなど、それは、おおよそ年齢とは関係なく、想い出と共に、欲望というのであろうか、チャレンジ精神が潜んでいるからかもしれない。例え、小さなものであろうが、生きている限り持ち続けたいものである。

 しかし、私には、時間制限という、どうしようもない事情がある。「今まで好きな事をやって来たじゃない。」 と言われても、そうすんなり引き下がる事は出来ない。賑やかで、それなりの喜びを感じている事に違いはないが、「私の小さな欲」 を押さえきる事は辛い事である。「もし、私が元気を失ったとしたら、家族は困るであろう。」 などと、勝手な理由を付けてでも、やりたい事をやらなければと思っている。もちろん、節度というものを考えながらである。



2/21 お忙しいS先生にお願いして、XPから7にバージョンを上げて頂いた。もちろんすべてのデーターの移行もお願いした。最後の最後の設定で、メールのパスワードが分からない。それでも、S先生は、決して焦らず、マジシャンのように、そのパスワードを探し当ててくださった。長い長い時間を掛けてである。

長い間、PCをやっていても、まだまだ未熟であり、よく分かっていないのが実情。メールソフトも変わったし(アウトルックからベッキーに・・)いろいろなものが変わった。 暫し戸惑い途方に暮れるかもしれないが、何事も好奇心を揺さぶり、やるしかないのである。



2/20 文明の機器にも金属疲労というのがあって、その使用回数によっては、取り替えがないと大惨事に繋がる事がある。その反対に、大事な物をずっと使わないでいたら、知らぬ間に劣化していて、使い物にならなくなってしまう事がある。事前に点検をしておかないと、直前になって戸惑うのである。

 元気な人が長生きするとは言い切れないが、使わないところは確実に衰えていく。しかし、何もかもを意識して動かす事など出来ないし、鍛えようにも鍛えられないところもある。でも、その道の達人たちは、足先から頭のてっぺんまで、それなりに努力しておられるようだ。

 努力しないで、良いことなど飛び込んで来るハズがない。何度、病に倒れようが、ケガをしようが、甦って来る人がある。目標があるのだろうが、きっと、鍛錬を怠らないのではなかろうか! 「若くありたい。」 「元気でいたい。」 が、永遠のテーマであるが、「みっともないのを見せたくない。」 も本当のところである。



2/19 我が家は今、ワヤワヤである。「山ノ神」も娘も調子が悪い。インフルエンザばかりとは言えなく、娘の場合、食道に異常があるらしい。とにかく、家中の誰かが臥せると、何もかもが可笑しくなる。

 そんな折、ホッとするような、便り(郵便物)やメールをもらうと、殺伐とした心も和らぐというもの。やっぱり私は寂しがり屋で、世と断絶など出来ない。好き嫌いが激しいくせに、人が恋しくてしょうがない。

 週に一回、恋しい人(山)に会いに行くようなものだが、後の5~6日間の方が長い。その日を、どう過ごすかであるが、幸い私には、まだ仕事がある。若い頃のような夢もなければ、技量もないが、「交流」 の一点に絞れば、まだまだの感触がある。

 そして、幸か不幸か、私には、完済まで3年半掛かるローンが残っている。これがなければ、結構自由になれるのだと思うが、そうはさせてくれない。まだまだ重荷を背負っての修行の域だ。「自由になりたい。」 「自由になれない。」 の綱引きこそ、味のある人生なのかもしれない。



2/18 「昨日の山行は、何だったのだろう。」 と反省しきりである。ちょっと、斜度が上がると、胸まで達しては、もう何も出来ない。ストックを横にして、雪を削っても埒があかない。回り込もうとしても、その手立てがなかった。

 とうとうシャベルを取りだしたのである。ワイパーのようにある程度削り、ステップを切った。しかし、排雪が問題となって来る。払い除ける雪が、何処かよこちょに行けば良いのであるが、自分が踏み固めたトレースの上に落ちれば、ワヤワヤになってしまう。後続者が何する事もないから、踏み固めれば良いのかもしれないが、回りの傾斜などを考慮すると、必ずしも、そのような雰囲気の所ではなかった。

 6年前の3月、「山ノ神」も、重荷を担いで、この尾根を越え、鉢伏山まで足を延ばしている。その時は、4時間で鳥ヶ尾山頂上に達しているのであるから、今回の難儀さが分かるというもの。もちろん、2月と3月の差が、もろに出た感じである。

 山は、その時その時で姿を変えてくる。だから、素晴らしく神々しいのであるが、牙を剥かれては、一溜まりもない。何度出掛けても、何十年山に登っていても、その恐ろしさは、心しておかなければなるまい。経験を尊ばれる事があるが、それは、体力が落ちてくる代償のようなものである。



2/17 娘は、やはり快復せず欠勤する事になる。早く保育所に送り届けなければ、山行時間が、だんだんと短くなって行く。でも、娘が在宅という事で、孫達が甘えてなかなか思うようにならない。

 「体調が完全でないのだから、まだ山に行かなくてもいいのでは・・」 の声が聞こえて来そうなのであるが、昨日は、諸事情から、ハレルヤ山行に参加出来なかった故、今日は、週一のジム(週一の山行)に出掛けなければ、それこそ、鈍ってしまうというより、生き甲斐が途絶えてしまうからである。

 その行き先であるが、大地・鳥ヶ尾山・戸田峰から選ぼうとしたのであるが、昨日のハレルヤの仲間達でさえ、11名のメンバーがありながら、大地への途中、標高810m辺りで止めたとの情報を得ているだけに、何処に出掛けても、山頂に達する事は難しいと思いながらの山行である。ましてや、今日も、高速を使っても、午前9時40分スターとなのであるから・・・・

 選んだのは、「鳥ヶ尾山」 4回目であるのも選考の理由。凄い雪に、どうして対岸に渡ろうかという事から始まった。でも、杉林は膝下の雪。ちょっと外れると、膝雪である。しかも、ずっと急登である。標高750mの杉林を抜けた所から、苦闘が始まった。

 膝上どころでなない。斜面になると、胸までの雪で足が上がらない。1mを稼ぐのに何分も掛かった。大した事がないように見えても、実際足を上げても届かないというのであろうか、、その内、ズルズルと撃沈である。

 あまり体調の良くない「山ノ神」から、何度も 「止めようか・・」 と声が掛かった。実際、私が進まぬのであるから、寒いのであろうし、足下が必ずしも安定をしていないのであるから・・・・

 私には、拘りがあった。本当につまらぬ拘りである。昨日、ハレルヤの仲間が止めた標高より、高い所まで行きたいというものである。プライドでも何でもないのであるが、山頂に立てないのなら、せめてと、そのような目標を立ててしまうバカな男なのである。

 そうなれば、シャベルで、その斜面を削って、しがみつきながらの登高となる。30分で10mも稼せいだろうかと思ったくらいの所もあった。午後1時50分標高840mの所で止めた。でも、その4時間あまり、ミカンをちょっぴり食べた以外、水も飲まず必死にもがいていたのである。

 若い人達なら、また違った歩きがあったのだろうが、如何せん、歳を食った私の技量とはこのようなもの。まあ~、トレーニングジムで機器に乗って、汗を流すのも良いのであろうが、私には出来ないので、このような事になってしまう。

 背丈ほど掘ったシェルターで、簡単な食事をして、一時を過ごしたが、やはりタープを張らなければ、暖かさをもらえない。短い時間だからとの口実に、ついつい省いてしまうが、これが高齢者には、後々ダメージになるような気がする。

 あんなに時間を掛けたのに、降りるのは、あっという間である。1時間も掛からない。もっと、陽が長くなれば、鉢伏山に連なる稜線歩きは、穏やかで優雅な気分になるのであるが、出来れば、一晩山中で過ごす事になれば、尚更その味は深い。



2/16 昨夜、ウンウン唸っていた娘が、朝食をとっていた。「えっ、何日か前の自分と随分違う。」 と思ったが、お昼になる頃には、やはり雲行きが怪しくなっていった。「山に行っても良かったのに・・」 などと言ってくれたが、娘が臥せっていて、ムコ殿が看病、しかも孫2人を置いて、どうして、私(達)が出掛けられるか・・・

 もっとも、自分の体調も万全とは言い切れない事もあり、早々に決断していたのに、今更言われてもどうしようもないから、ちょっとむかつく。そんな不安な妻子を置いて、ムコ殿は、仕事のある東京へ帰って行った。

 今日の山行は我慢したが、明日は、娘が普通通り仕事に出掛け、孫達が保育所に預けられるのなら、少々窮屈であるが、それなりの山行が出来るというもの。それが、あれだけ、職場に行かなければと言っていた娘のトーンダウン、そして、下の孫が、通園許可が取れたものの完全ではないような気がする。

 やっぱり、明日も、「起きてみてから・・」 になるような気がする。元気だと思っていた「山ノ神」でさえ、何だかボロが見え始めて来た。実際、今日の日中は、床の中に入っていたし、咳の頻度も増えてきたような気がする。「まあ~、何が起こるか分からない。」 と思っておれば間違いない。自分の思う通りには、なかなかならないのだから・・・・・



2/15 「痰が絡む。」 とか、「背中が痛い。」 などを除けば、平常を取り戻したような気がする。僅か2~3日の事であったが、辛くとても長く感じた。昨夜の最終「はくたか」で、東京からムコ殿が、せっかくやって来たというのに、今度は娘がダウンである。

 インフルエンザに掛かった孫達と、一緒にいるのだから当たり前なのかもしれない。でも、そのインフルエンザの検査をしても、あまり早過ぎるからなのであろうか、「ノー」 の結果だったらしい。だから、タミフルの服用は見送られたようだ。

 でも、時間の経過と共に、発症となる可能性大であると言われたらしい。環境がこんなのだから、ちょっとでも、早く治したいと思っても、医者側は、リスクを考えてしまうのだろうが、患者としては困ってしまう。

 その娘、お昼からウンウンと苦しそうであるが、どうしようもない。ムコ殿は、娘の看病と、子守にやって来たようなものだ。食事の時ぐらい、リラックスさせてやりたいと思うのであるが、子供達が纏わり付いて可哀想なくらいである。親だから仕方がないか・・・・

 明日は、「大地」 へ行かないと宣言しているため、ムコ殿に、何か協力をしてやらねばなるまいが、ちょっとやって来て、またすぐ帰るのに、インフルエンザ発症となれば最悪の事態となる。独り暮らしのため、だれも看病をしてやれない。明夕まで滞在の予定らしいが、あまり無理をせず何ともなければと思っている。



2/14 3日振りに店を開けた。熱は平熱に近い。でも、何だかむかつくようで、食欲がわかなかった。しかし、時間と共に、それが治り、普通に食べられるようになった。大好きなコーヒーも飲めるようになったのである。

 でも、とんでもない厚着から、薄着(仕事着)になるには抵抗があったし、まだ鼻声でもあり、奥で孫達の相手をする事となった。夕方になって、やっと、少しばかり仕事をしたが、まだまだ身体の動きが、ぎこちなかったように思う。

 それでも、働ける事や動ける事に感謝しなければと思った。このようにして、だんだんと、体力や気力を失っていくに違いないからである。2日間と言えども食していなかったから、ゲッソリとしてしまったし、怠ったトレーニングも取り戻すには、かなりの日にちが掛かるであろう。

 過日、「這ってでも行く。」 と言っていた事があったが、明後日の大地行きも、我慢しなければ、後々まで響くのは受け合いであり、ずっと長く歩きたいのなら、「忍」・「忍」の二文字以外ないであろう。それが、大好きな山であってでもある。



2/13 下の孫も、昨夜は急患センターに行ったようである。(A型だそうだ。) 店を開けるかどうかを、「山ノ神」に問うたら、「仕事が出来るほど元気になったのか?」 と逆に問われた。「あんただけでも・・」 と言ったら、「孫達を誰が見るのか?」 になってしまい今日も休業。お客様商売とはおかしなもので、平生は暇にしているのに、こんな時にばかり電話が掛かってくる。

 「それで、お前は医者に行ったのか?」 まだである。インフルエンザは、発熱から48時間以内でないと、タミフルが利かないと小耳に挟んでいる。服用して5日間、服用しなければ、一週間経たないと、元通りにならないとも、何かの小冊子でみたような気がする。

 医者に行けと勧める家族。そう言えば、「山ノ神」 と娘は、今のところ何ともないようである。男より女の方がやはり丈夫なのか? それとも年齢なのか(私は、いつの間にか、老人の仲間入りだもんね!)

 昨夜、孫が訪れた急患センター担当老医師から、「糖分を取れ!砂糖をなめろ。」 と言われたそうだ。 それもそうなのかと思い、今朝、砂糖湯にして飲んでみた。それが功を奏したのか分からないが、熱は36℃台に下がったし、食欲も出て来た。咳も幾分少なくなったようにも思う。俺は、「インフルエンザではない。」 と思いたい。明日は、どちらにしても、「山ノ神」が、メーンとなって働いてもらうしかないだろう。



2/12 ダウンである。身体がだるく、ちょっとばかり熱が出た。思い切って休業することにした。明日、S先生にWindowsXPから、7への移行、そして、データーの移行をやってもらう予定であったが、事情を話して、治ってからにしてもらった。もう一つの会合も、当然キャンセルにしてもらう。

 本当に申し訳ないが、堀シェフから頼まれたハレルヤ山行の幹事も、引き受けられなくなってしまった。その旨を、お知らせし承諾を頂いたが、残念と申し訳なさが相俟って、床の中にいても、浅い眠りにしかならないようだ。寝ているのも辛いね!



2/11 二人の来客が帰って寂しくなった。以前から咳が出ていたが、それ程気にしていなかった。血圧降下剤の副作用という話も聞いていたし、どちらかというと無頓着であった。(熱もない。) でも、此処に来て、孫がインフルエンザだというのだから、何か少しは影響があるのかもしれない。

 症状は、「時々の咳の他は、身体が寒い。」 だけであり、今晩は、早めに眠りに着こうと思っている。でも、昨夜は、堀シェフから電話を受け、何となく、ハレルヤ山行の幹事を引き受けてしまった。(2/16) 「私は大地しか行かないよ!」 などと豪語していたが、このようなおかしな身体に、予報が必ずしも良くない。メンバーや関係諸氏に、連絡しなければならないのであるが、明日早く起きてするしかない。



2/10 孫達を保育所に送ってから、庄川道の駅で、「橋ちゃん」 と待ち合わせた。利賀街道牛岳登山口から、ちょっと行った広い所(降雪時の雪捨て場)で、準備をしている時に、保育所から電話が掛かった。「上の孫が、高熱(39.2℃)である。」 という連絡であった。緊急連絡先というので、私のところに掛かって来たのであるが、今日は客人があったため、「今、山の中にいる。」 と言ってしまった。

 娘の携帯に掛けると言われたが、携帯は切られているから、職場に直接電話してもらうように頼んだ。しかし、本当に連絡が出来ているのか、娘が迎えに行けるのか確認しなければならなかったので、歩きながら連絡を取り合った。ダメなら、私だけでも戻らなければいけないからである。幸いこちらの意向が、分かってもらっているからして、山行を続ける事が出来た。

 心配していた雪量も、今回の降雪・低温で、それなりの雪があった。6合目まで前日のものと思えるトレースにしたがって楽をさせてもらった。「雪に埋もれたい。」「腰までのラッセルを想定していた。」 と言っていた由起子さんには、途切れていたトレースが、ちょうど良いように思えた。

 しかし、彼女は、昨年末の山岳耐久レースでケガをして、2ヶ月間運動をしていないという。心配になったが、やはりそのような身体が出来ているのか、慣れていない足運びであったが、それなりに進んで行くではないか・・・・

 曇りがちのお天気でありながら、時には雪が舞い、一瞬であるが陽が差し、また、冷たい風の洗礼を浴びたりしたが、雨具や手袋の脱着を繰り返し、それらを凌いでいたようであった。三角点で止める事も考えたが、また同じ山に来るかどうか分からないのであるから、牛岳権現のある山頂にも足を延ばし、ターンして再び三角点(牛岳最高点)に戻った。

 食事をするとなれば、テーブル・ベンチが必要である。背丈以上に掘り下げ、珍味に舌鼓を打たせた。次から次へと出る食材に、お腹がいっぱいでどうしようもなくなった。そして、長い間過ごすには、タープ張りを省いたため、やっぱり寒くていたたまれなくなってしまった。早々にベンチを埋め、下山開始したが、真新しい雪上の降りは楽しいものである。

 我が家へ移動中に、孫の症状が気になり連絡を取ったら、インフルエンザだという。そうなれば、我が家での打ち上げを、どうしようかと相談したら、そのような事に屈せないとの事で敢行する事となる。奥の部屋で、うんうんと、唸っている孫には申し訳なかったが、夜遅くまで、4人で、たくさん食べたくさん飲んだ! 由起子さんの良い想い出になってもらえればいい。



2/9 由起子さんがやって来た。明日の山行のために、前夜入りしてくれたのであるが、やっぱり飲めるのはいい。ちょっと外で食事をして、家に戻って、また飲んだのである。いろいろ話があるのだが、明日のために残しておかなくては・・・



2/8 予想以上に降雪があり、何もかもが狂ってしまった。最も、何事も思い通りにはいかないのが常で、思い上がるのが良いとは思っていない。それにしても、東京は大雪だそうだ! そんな中、糖尿病を患いながら、右膝の人工関節の手術を行った埼玉の姉の結果が良いと聞いて安堵している。

 しかし、その後のリハビリが大変だと聞いているし、左膝の手術も待っているのだという。一番大変なのは、右膝のため、車の運転がままならず、どのようにして、遠くにある病院に通うのかと、ちょっと心配になる。でも、思い切ってやったものだ! 姉も医師も・・・



2/7 左折・右折をする時、速度が極端に落ち、それが止まるように感じたので、車回りを点検すると、氷の塊がびっしり、タイヤボックスにくっついており、どうかすると、タイヤとの差がないような状態であった。これは危険だと思い足で蹴ったら、大きな岩のような氷塊が幾つも落ちた。

 それは、信号待ちでの事で、家に帰ってから、工具を使って、もう一度点検し、殆どを落とした。この度の冷え込みは、やはりドアの開閉にも及び、今一度、油を塗布したいと思っているのであるが、なかなか晴れず現在に至っている。



2/6 真冬日が2日間続いた。今冬は寒いが、降雪が極端に少ない。そして、山雪型なのかもしれないが、低山では、ちょっと苦しいところがある。それでも、標高500mを越えれば、それなりに雪量はある。この度の降雪は、その山々にも、恵の雪となってくれれば良いのにと思わざるを得ない。



2/5 来週、東京から由起子さんがやって来る。「雪の富山に来たら・・」 や  「スノーシューは楽しいよ。」 の呼び掛けと、「雪に埋もれるのが憧れ。」 というのが合致したのかもしれない。とは言え、直接の知り合いでもなかったし、まだ二度しか会っていない。そして、親子ほどの歳の差、ましてや、時間制限下の山行である。

 「もう一人の娘がやって来る。」 そのような感じで迎え、雪山を充分に楽しませてあげなければと思っている。近間の低山を予定しているが、これも、この先の天候次第である。同行してくれる好山病・・有志の意見を聞きながら行き先を選定しなければ・・・

 遠くから、山仲間を迎えるのは、楽しいものである。よくある年寄りの押し付けに注意し、若者の持っている良さを感じとりたいと思っている。自称・富山県や高岡市の親善大使、故に、好印象をもってもらわなくては・・・



2/4 予報は雪。どうしようかと思ったが、一日中降るのなら「小佐波御前山」となる。高岡を出た時は、積雪が無く、チラチラと雪が舞っているだけであった。359線・八尾・笹津へ行く毎に、雪量が増えていくのにビックリ。そして、展望レストラン前の駐車場に、「帰りは、脱出出来るのだろうか?」 と思いながら無理矢理車を入れた。

 雪は、ずっと降り続いた。それも風を伴ってである。本当に、「あれよあれよ。」 と思う程に積雪が増した感じであった。行き慣れた「小佐波御前山」であったが、何故か遠くに感じた程であった。同行の「山ノ神」が、「いつ止めようか!」 と言い出すのではないかと思っていた程である。

 避難小屋で1時間ばかり過ごして、外に出たら、トレースが悉く消えてしまっていた。それは、通い慣れた所であり、GPSを持参しているから、事なきを得ているが、低山でも、このような事が起こり得るのであるから、心しておかなければならない。

 でも、フワフワの雪に、翻弄されてはいたが、不安さえなければ、また楽しいものである。「ジムに通っているようなもの。」 などと、他人様に言ってはいるが、「このような楽しい事が、他にはあるまい。」 出来れば、死ぬまで(歩けなくなるまで)続けたいものである。



2/3 私達の山行には時間制限があるという事を知りながら、「北ちゃん」合わせてくれた。本当は、何処か違った所へ行きたかったかもしれないのに感謝である。それも、予報が悪く、「何処へでも・・」 に、なかなか答えられなかった。

 そして、決めた「金剛堂山」は、雨かもしれないのに、快諾を受け、午前9時スタートにも、何の躊躇いもなく承知してもらった。雨・腐った雪、もしかしたら、山頂に届かないかもしれないのに、「途中で止めたら尚更いい。」 などと、逆に励ましてくれるのであるから、尚更のように奮い立ってしまう。

 辛い辛いと言いながら、3時間程度で登ってしまうのであるから、やっぱり只者ではない。そして、偉い顔をせず、人を立てるのであるから、これがまたいい。そして、「好山病・・」の事も心配してくれる。腐った雪を踏みながら、「何で、このような事をしているのか・・」 と、時には哲学者のように・・・



2/2 「耳や目が遠くなり、近くなるのはトイレだけ。」 と面白く言われるのを聞いた。私自身、幼い頃から痛めた耳には自信がないが、目は、運転する時に眼鏡を使用しているものの、物読みをする時は、まだ眼鏡はいらない。(老眼ではない。)小さい字も未だ読めるくらいであるから、しばらくは大丈夫であろう。

 2年ちょっと前から飲み始めた血圧降下剤を、ずっと、薬を飲み続けなければならないという巷の常識が、今一番の不安材料であるが、何とかならないと模索している。朝方自宅で計る数値は、上が150を越えるし、下が100を越える。しかし、寝る直前の数値は、120-80以下になる。

 「出来れば薬を飲みたくない。」 理由の一つは、副作用の回避である。それが副作用なのかどうかは分からないが、口中の異常や咳き込む事など、不快な日常を過ごさなくてはならないからである。もちろん、ずっと飲み続けると費用が嵩むという事がないでもない。

 その不安を持って、医院の診察を受けたら、意外な程に数値が低い。前回もそのようであったが、普通は、白衣を見たら、逆に上がると言われているだけに自宅の計器が正しくないのかと思ってしまう。

 薬を飲んでおれば、安心して酒が飲めるという考えを聞いた事があるが、出来れば飲まずに、または、軽い薬に替えられないかと願っている。何の根拠もないのであるが、余計な物を飲んでいると、認知症になり易いとか、ガンになり易いと思ってしまうのである。



2/1 あっという間に、一ヶ月が過ぎて2月になってしまった。1月は、どうだったのかと振り返ってみると、低山ながら全休日山に出掛けている。あれやこれやと言いながら、山は、やはり落ち着ける処なのであろう。

 でも、近間の低山が多く、県東部、特に新潟県境付近の山には、なかなか行けない状況は続いている。この先、大好きな大地山・初雪山を含め、大鷲山や黒菱山などへは、余程の事がない限り行けないのかもしれない。

 しかし、月一の日曜日には、遠慮なく出掛けられるのであるから、「何を贅沢な・・」 と叱られるかもしれない。でも、その周辺の山々は、海が近いからであろうか、独特の雰囲気をもっているだけに、毎週にでも出掛けたい山である。

 賞味期間と言うのであろうか、やはり良い時期に出掛けたい。家でゴマをすってでもいいから、何とか環境を整えたいと思っている。そして、「お願い!お願い!」 と言うしかないのだろう。