9/30 雷鳥沢キャンプの折、もてなしを受けた事もあり、ついつい、飲み過ぎてしまった。その後、体調が芳しくなく、2~3日アルコールを止めた。しかし、それも寂しい事なので、今までの1/3~1/2に落とした。飲まなくても耐えられるし、その方が身体が楽?のような気がする。何せ、毒を飲んでいるようなもんだから・・・・・

 それでも、山から戻った時は、イヤというほど飲みたい。逆に身体が要求しているような気がするから・・・・  でも、そんなに飲めなくなって来ているのは確か、毒に負けるようになってしまったのだろう。 (寂しいね!) ワイワイ 楽しくやる時は、アルコールが付きものだし、仲良く付き合っていかなくては、人生面白くない。



9/29 給油や買い物もあったが、ブナオ峠発が午前10時を回ってしまった。ブナオ峠は、猿ヶ山を登るために、8/4にやって来ているが、大門山~見越山へは、昨年の10/28以来である。高所では、紅葉が始まり、また、真っ盛りという所もあるらしいが、「五箇山周辺の山は、どのようなものかな?」 との思いもあってやって来た。

 もう一つは、限られた時間内では、どうしても同じような山になってしまい、新鮮味を求めたところもあった。昨年、10/28の記録からして、やはり午前10時にブナクラ峠を発って、見越山まで行き、午後4時前にブナオ峠に戻ったのであるから、今回も、何の疑問も持たなかった。それよりは、奈良岳まで行けないのかとさえ思っていた。

 しかし、「山ノ神」の足は重たかった。赤摩木古山に辿り着いた時には、またまた、「見越山へは、あんただけ、行って来られ!」 であった。時刻は、午後0時10分過ぎ、それでいて、「午後2時から2時半の間に戻って来い。」 なのであるから、困ったもんだ。

 こちらとて、毎年歳を重ねているのだし、唯、行ってターンして来るだけでは意味がないし、やっぱり、途中で写真を撮ったりしたいのであるから、だんだんと無理ばかり言われるのには、どうしたもんだと考え込んでしまう。

 そんな事もあって、途中の動画も短く、山頂では、三脚を出したり引っ込めたりしていたら、とても休んでいる暇などなかった。登り返しがあるこのコースであるが、長い登りには耐え忍ぶ事が出来るが、下りを走り掛かると躓きが多く、どうしても慎重にならざるを得ない。

 赤摩木古山に近付くと、遅いとでも言いたかったのか、迎え?に来ていた。それもそうであろうか、長い間、一人で過ごさなければならないのであるから、その気持ちは分からないでもない。ましてや、今日は、ビールが無く、3%のチューハイが1本だけだったとか。

 時間が押し迫っていたので、食事もせず、コーヒーだけをもらった。大門山の分岐に差し掛かったら、やっぱり登りたくなり、またまた「山ノ神」 と別れた。その「山ノ神」に追い付いたのは、もうすぐ、ブナオ峠の登山口に近いところであった。



9/28 孫が一緒に山へ行きたいと言うし、どうせ限られた時間内の行動だけに、そのようにするかと思ったら、娘から、明日は、朗唱の練習(10/3 万葉朗唱の会に保育園として参加らしい。)や、身体測定があるとの横やりで、孫と一緒するのは延期となった。

 そして、我々は、何処へ行くのかもまだ決まらない。結局は、また明朝起きてからになる。同じ所へ何度行っても良いのであるが、欲深いのであろう、なかなかそうはいかない。でも、お天気だから、何処へ行っても気持ちが良いであろう。



9/27 時期が良いだけに大勢に方々が御嶽山に登っておられたようだ。そして、突然の噴火に戸惑われた事と思う。何事にも、運・不運があって、登っておられた方、登ってしまった方、これから登ろうとしていた方など、思いは様々であっただろう。

 また、しばらく登る事が出来なくなり、名山を目指しておられる方には残念というしかない。そんな事を思うと、焼岳や焼山、そして、しょっちゅう噴煙をあげる浅間山など、いつどうなるか分からない。もしかしたら、富士山だって、いや、立山だって分からない。



9/26 このところHPに力が入らず停滞気味。そんな折、近所のS先生に、デジカメで撮った動画を編集するソフトを尋ねてみたら、ムービーメーカーなるものを教えてもらった。今まで、何となく撮った動画が少しばかりあるし、「繋いでみたい。」 「変な所を削除したい。」 「出来れば、タイトルも付けてみたい。」 などと、私にとっての未知の世界へ飛び込んでみようと思っている。

 あまり調子のよくないカメラなのであるが、山歩きの幅を持たせる事が出来るかもしれない。もっとも、がんがん登る事が出来なる年齢でもあるし、違った意味での楽しみが出来て面白いかもしれない。安価なおもちゃのようなカメラでも、撮れないわけでもないし、いつまでも、チャレンジ精神がないと、一気に、人生が失速するような気がするから・・・・



9/25 「山ノ神」は、ブナクラ周辺の山を苦手にしている。それでも、何度となく登っているハズなのであるが、急登・長時間などが、頭に焼き付いているのか行きたがらない。我が家の現状から、その辺の山に行くとなると、体育の日か、第3日曜日辺りしかチャンスがない。

 恐る恐る、「山ノ神」に、その旨を打診してみるが、あまりいい返事がない。それがダメなら、一日保育所の送迎を免除してくれないかと言ったものだから、まともに顔を合わせようとしなくなった。それでも、お天気に恵まれなければ行く事が出来ないし、日曜・祝日なら、一緒してもいいと言っているのだから、私が可笑しいとも言い切れないのでは・・・



9/24 行っていない山への憧れより、もう一度行ってみたい山や、何度でも行ってみたい山に心が向く。そりゃ!、行った事のない山に興味がない筈がなく、「どうしてもというわけではない。」 という事である。

 行って(登って)みなければ、その良さなど分かる筈もなく、語る事も出来ない。山歩き(山登り)は、自己満足の世界であるが、誰かに認めてもらいたいという側面もある。共有というのであろうか、分かち合いたいものである。

 だから、唯一人、誰にも自慢する事なく、黙々と歩く人があるとすれば、この世の人でないような気がする。修行とか仏様の言葉が当て嵌まる人ではないでしょうか?



9/23 雷鳥沢キャンプ場は、一人500円だった。大方の所は、700円で、涸沢のような所は、1,000円である。そして、雷鳥沢ヒュッテへ、ビールを買いに行ったら、自動販売機があり、500mlが500円、350mlが400円だった。それこそ、大方の所は、350mlが、500~600円であるから、これも何だか得したような気がした。 (飯豊連峰の高い所では、1本1,000円という所もあるようだが・・・)

そして、究極は、バスの荷物代である。往路は、仕方なく300円を二人分払ったが、復路は、重い物を私のリックに纏め、一人分だけを払った。「山ノ神」の歩く速さを除けば、大方計画通りで、経費も節約出来たような(儲かったような)感じで帰宅の途に着くハズであった。

 しかし、世の中は、上手くいかないものである。車のキーは、私のズボンの後ろポケットに入っていた。大きな荷のため、何となく出しにくかったので、「山ノ神」に取ってくれるよう頼んだのがアヤであった。キーが、ポケットの内側の布に引っかかった時に、先の室堂で、荷物代を払ったお釣り500円玉と100円玉2枚が落ちたのである。

 他の紙幣と100円玉2枚は見付かったのであるが、どうしても、500円玉が見付からなかった。日は暮れ、二つのヘッドランプで探す羽目になったが、それでも、何処へ行ってしまったのか見当たらなかった。仕方なく諦めたが、最後の最後になって損をしてしまった。

 10円玉を落ちし、それを拾らおうとしたら、胸ポケットから500円玉がこぼれ、側溝へ落ちていってしまった落語の語りを思い出してしまった。その煽りというのか、何故か気持ちが収まらず、渇いた口を潤すアイスクリームを、コンビニで買ったが、一個だけにして二人で分けて食べた。



9/22 もっと早く発つはずであったが、やっぱり出遅れて午前5時半。そして、サブザックだけなのに、「山ノ神」のピッチが上がらず、別山乗越(剱御前小屋)まで2時間を要してしまった。前夜の飲み過ぎが祟っていたのだろうか、その事に関しては口を開けたがらなかった。

 別山・真砂岳・富士の折立・大汝山・雄山の一番高い所を踏んだ。今までは、真砂岳を巻いたり、富士の折立のてっぺんに登ったりする事が少なかっただけに、それぞれのピークに立って高揚しかり。登山者が溢れる雄山では、隅っこで、カップ麺を分け合って食べ、一ノ越へ急いだ。

 途中、おばさん三人組が、おっかなびっくりで歩いているのを見てしまい、その内の一人の手を取って、しばらく歩き通した。ずっと、距離が開いてしまったので、そこまでで止めた。ニッコリだったおばさんであったが、私がサングラスを外したら、ガッカリしたかもしれない。

 一ノ越から、ちょっと下がった所から、雷鳥沢へ直接行けるルートを選んだ。もう、何十年も通っていないルートであったが、人には会わないし、特に、この時期には、もって来いのルートかもしれない。途中から、今、有毒ガス問題になっている みくりヶ池山荘⇔雷鳥荘⇔雷鳥沢間の代替えルートの整備作業現場に出た。

 いい感じで静かなルートも、また多くの登山者が行き交うようになるのかと思うと複雑な気持ちになる。テントを撤収して室堂に向かうが、相変わらず「山ノ神」のピッチが上がらず、午後4時20分発のバスに、30秒か1分遅れになってしまった。もちろん乗る事が出来ず休憩室のお世話になった。

 その休憩室で、何だか凄い話をしている若者達がいた。警備隊の方々かなと思っていたが、ケーブルに乗ってから、その若者に声を掛けられた。「本間さんですよね。」 何だか見た事がある顔だとは思っていたが、4年前、白山でお会いした小松の北田君であった。

 あの時は、初めての白山なのに、自転車やって来たと言っていた青年である。(もしかしたら、初めての登山だったのかもしれない。) 私達は、その北田君に声を掛け、今でも年賀状のやり取りをしていたのであるが・・・・ 失礼をしてしまった。

その北田君は、欅平から入り阿曽原キャンプ。その1泊だけで、午前6時に発って、室堂までやって来ているのである。逞しい青年に、唯々、敬服するだけであった。立山駅で写真を取り合って別れたが、何だかホッとしながら、嬉しくて仕方がなかった。

 

9/21 連休の山は、やはり混んでいた。砂防博物館一番奥の駐車場に案内され、ケーブル40分待ちであった。それでも、室堂に着いた時の大パノラマに心は和んだ。雷鳥沢キャンプ場に着いたと同時に、立山駅で声を掛けて下さった神谷夫妻の手招きで、ベンチ横で好条件の場所にテントを張る事が出来た。

 同夫妻は、直接一ノ越に向かわれ、稜線を歩き楽しんだ後、真砂岳直下からの大走りで、同キャンプに戻ると言われ、すぐに発って行かれた。我々は、テントを張ってから、奥大日岳に向かった。素晴らしい紅葉には、もう少し時間が欲しいような感じであったが、陽が直接当たる所では、それなりの色付きに思われた。

 剱岳を眺めながらと思っての歩きであったが、室堂乗越辺りから、ガスに覆われ始め、てんぺんしか見えない状態になったが、奥大日岳頂上に辿り着いた頃には、全く見えなくなってしまった。

 「雲中であっても、お山のてっぺんというものは、何となくいいもんだ!」 そんな気分で寛いでいるところへ、午後1時半頃であったか、2時近い頃であったか、はっきり覚えていないが、「今から称名へ降ろうか!」 という男性2名が現れた。しかも、車は、立山駅周辺であると言われるのであるから、「そりゃ、天狗でないと行けないわ。」 と、助言でも忠告でもない、半分やっかみ加減で言ってしまったが、奥大日岳からであるから、私の方が正解であったであろう。

 そのお二人(成田・山崎氏)と意外と馬が合い山談義となってしまった。スキーで、この稜線に上がって来ておられるというから、ただ者ではないのかもしれない。失礼があったら、この場を借りてお詫びする次第です。

 良い時間にテン場まで戻り、これ以上ないというくらいに着込んでベンチで宴を始めた。山の黄昏前は、きらきらネオンよりずっといい。「あの空も、あの山も・・」 何もかもを肴にしての一杯は格別である。

 そんなところへ、神谷夫妻が戻って来られた。何を食べても何を飲んでも美味しくて仕方がなかった。冷え込んで来たところに、二次会に誘われた。ついつい飲み過ぎてしまった。「ご馳走様でした。有り難うございました。」



9/20 雷鳥沢キャンプと一番楽と思えるのを選んだ。一日目は、奥大日岳辺りへ、二日目は、立山三山縦走になる予定。そうすれば、仕事も休まずに済むし、ムコ殿とも、少しは飲めるような気がする。予報通り晴れて欲しい。



9/19 お天気が上方修正されてきた。こうなると、また悩まなければいけなくなる。立山の稜線で雪が舞ったという情報もあり、寒さ対策も考えなくてはいけない。それよりも、孫の行事(運動会)にやって来るムコ殿に、涸沢へ行けば、3日間になるため全く愛想出来なくなる。やっぱり、大日岳を絡めた2日間の立山がベーターなのだろうか、もうちょっと考えてみよう。



9/18 セルフのスタンドでの給油中、車の下に油(ガソリン)が流れているのを見て、何でだろうと思っていた事が2回もあった。今回の薬師岳行きに際し、早朝8号線のスタンドで給油をしていて、それが、自分の車から漏れている事が分かった。オーバーフローではない。恐らく満タンに近付いた頃に漏れるのではないかと思われた。先の給油では、そのような事は起こらなかったし、日常の駐車状態でも、車の下が濡れている事もないからである。

 他に移動しても、その漏れているような感じはないし、停車・駐車しても下が濡れることもなかった。しかし、それを知ったからには、私の車に他人様を乗せるのが怖くなり、池田氏の車に便乗させてもらうことになった。満タンにしなければ、大丈夫との素人考えで押し通そうと思ってみたが、まだ、1年以上、この車を乗らなければいけない事情もあり、ディラーに相談したら、当たり前の話であるが、ガソリンの事だけに、「見せてもらわなければ・・」 となってしまった。

 どのような構造になっているのかも分からない私だけに、高額の修理代なら考えてしまうところであったが、錆びてボロボロになってしまったネック・フェエルフィラとかいうものの取り替えだけで済むようだったのでお願いした。タイヤを外した奥の鉄製の管?が濡れて湿っていたのを確認。14年目の車であるが、今春に車検を受けただけに、もう少し頑張ってもらわなくてはいけない。



9/17 今度の連休(9/21~9/22)は、2日間とも使えそうである。その次の9/23は、秋分の日で、孫守をしなくてもいいはずであるから、もし、好天が続くのであれば、仕事を休んで、涸沢に行こうかと思っていた。しかし、長野県の予報は、曇り時々雨が2日間、最後の日は曇りである。

 まだ時間があるから、どのように予報が変わるか分からないが、富山県の方が、まだ少し良いようであるが、しかし、パーっとしたものではない。そうなると、仕事を休んでまで行く事もないと考えてしまう。最悪のパターンは、2日間とも日帰りであるが、予備プランの立山・剱岳方面のキャンプは、まだ捨てきれない。



9/16 池田氏の快足には些か参った。「山ノ神」にしてみれば、同氏とのんびりが頭にあったようであるが、最近の鍛錬がそうさせるのであろうが、何せ 「速い。」 「休まない。」 なので、私達との山行スタイルとは違い戸惑っていたようである。二人だけだと、わがまま放題であるから、何処ででも休むし、自分勝手に休む。それが出来ないのであるから困ったのであろう。しかし、休憩の回数・時間を、まざまざと感じ、勉強になったのは間違いない。

 太郞平までの往路は、私が薬師岳山頂を目指していたから、それなりの歩きをしなければと思われたのではないかと思うが、復路は、どんな足をしているのかと思う程の速さであった。お陰でヘッデンのお世話にならなくて良かったが、違った意味の後遺症が残ったようである。

 池田氏は、私より8歳も年上のお兄さんである。学生時代から山に親しんでおられたようであり、その知識や経験は、私などは足元にも及ばない。そんな同氏であるが、確か、2~3年前は、あまり調子が良くなかったように覚えている。それが、どうした事やら、「今年は絶好調」 と聞き及んではいたが、それを実感! それもその筈、今年の山行回数が、やがて100回と聞いた。



9/15 日帰り・キャンプ・通過など形態こそ違うが、近年は、一年に一度は薬師岳への山行が継続している。(一昨年は、何故か抜けてしまったが・・) その間、雨や雪、そして、転倒してのケガ、ヘッデンを点けての下山、間に合わずゲートの閉鎖など、いろいろなアクシデントに遭ってきた。しかし、数々の想い出残る出会いも有り、優美の山容を構えた薬師岳は、私の好きな一座に間違いない。最も、昭和56年に、現在36歳の娘(当時、2歳10ヶ月)を担いで登ったのであるから、忘れられるハズがない。

 最近は、家庭の事情から孫守を担わなければならなくなり、自由な山行機会が激減する中での模索で有り、「ようやく見付けた一日でもあった。」 第3日曜日や祝日の月曜日などと、全くゼロではないにせよ、今までのライフスタイルの変調そのものであるから、天候などの事を考えれば貴重な一日であった。

 当欄に、へんてこな事を綴るからであろうか、池田氏の援軍要請を頂いた。山頂に必ずしも執着しない「山ノ神」の御守役である。しかし、同氏の歩きは速過ぎて、「山ノ神」はタジタジであった。

太郎平小屋で、北ノ俣岳方面へ向かう二人と分かれるのであるが、(午前10時45分頃) 午後3時まで戻る約束をしたから、4時間余の猶予であった。往復3時間半あれば出来ると読んでいたが、写真も撮りたいし、知人と会えば話をしたいから、そう上手くは事が運ばない。

 北ノ俣岳・黒部五郎岳・笠ヶ岳・穂高岳・槍ヶ岳・水晶岳・赤牛岳などのお馴染みの山々がスライドして行く様を、放って置くわけにもいかず、どうしてもカメラを構えてしまう。富山平野も富山湾も鍬崎山もとなれば尚更である。

 薬師岳山荘には寄らなかったが、その手前のガラ場で、同山荘のご主人と鉢合わせになり、先の特別表彰のお祝いを述べた。何でも定期検診のために下山中であった。「山荘に寄られ・・」と言って下さったが、そのような時間はなかった。後は、山頂から、「剱岳が望めるか?」 の思いで先を急いだ。

 そんな事があって、雲上に剱岳のてっぺんが望めたのは、午後1時に1~2分前であったから、まだ、時間の余裕を感じ、セルフタイマーで、我が身を撮ったり、見渡せる名山を心置きなく撮りまくった。水も飲んだ。大福も食べた。携帯の電源も入れてみた。しかし、明るすぎるのかどうか分からないが、液晶に何が映っているのかさっぱり分からず閉じてしまった。

 時計を見たら、午後1時25分であった。今までなら、問題なく3時まで太郞平小屋に着いたであろうが、「今年は分からない。」 と、ちょっと弱気になった。躓いて、両足とも攣ってしまったからであった。でも、約束の時間をオーバーする事なく到着したのであるから、ホッとせずにはおれなかった。

 太郞平から折立の復路は、快足の池田氏に、とても付いていけなかったが、そのお陰で、今回はヘッデンのお世話にならなくて済んだのでした。残念ながら、私は、岩城君・堀君・板東さんや、Dr.sinokawaにお会い出来なかった。惜しいかなマキちゃんにも・・・



9/14 サンダーバード42号で帰る予定の杉原女史が、少々前倒しにして高岡に立ち寄ってくれた。好山病の諸氏と蝶ヶ岳から常念岳への縦走時に、反対方向からやって来られた杉原女史に声掛けをしたのが、早いもので6年前であった。

 雲の平からぐるりと回って来られた時、太郎平でお目に掛かれたのが4年前である。小屋泊予定の同女史を、我々のテント泊に誘い込んで、翌日薬師岳に登ったのが、つい最近のように思っていたが、もう4年の歳月が過ぎていたのである。再会を果たした時は、雨の中、時間がないのに、ねぎちゃんがやって来てくれて、太郎山に登ったのであった。

 今日は、1時間ばかりお目に掛かれたが、「山・やま・ヤマ」 の話である。親子ほどの年齢差があっても、共通の話題があれば、話が途切れる事などない。あっという間に時間が経ってしまったが、「いつでもおいでよ!」 と惜しみなく手を振った。



9/13 「今、斑尾にいる。」 という東京の由起子さんは、その斑尾から妙高・飯綱の麓を駆け巡る110キロマラソンにチャレンジとか、一方、岡山を今朝発って、「剱御前小舎に来た。」 という杉原女史。若いっていいな! いや、女性は強い。



9/12 薬師岳行きは、「山ノ神」と二人になりそう。「お互い単独行」と言いながら、一日中、放りっぱなしというわけにはいかない。ましてや、薬師岳と北ノ俣岳に分かれるとなると、ずっと心配して歩いていなければならない。

 大休憩を取り過ぎなければ、それなりに山頂に達する事が出来るはずなのであるが、「山ノ神」の山への思いが、私とは違うようである。ましてや、二人となると、「休まない。」 とか、「早く」 とかが、気にいらないようで、ついついお互いが我慢で出来なくなり、プッツンとなる。

 他の参加者がおれば、不思議と喧嘩がなくなり、そして、意外なほどに頑張れるのであるから、これまた、どうした事だろうとなる。まだ2日もあるから、先の事は何とも言えない。



9/11 アプローチが長いだけに、南アの山々とはあまり縁がない。北沢峠から仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳へ登った以外は、北岳も鳳凰山も、高岡からの夜行日帰りであった。そんな折、もう一座ぐらいと思ったのが、今日のメーンページにある塩見岳であった。

 その時は、連休とあって、前日に南木曾岳に登り、島倉林道?を経由して大きな広場(駐車場だったかもしれない。)の登山口で夜を明かしたような気がする。しかし、「山ノ神」が、あと1時間くらいの所で山頂を諦めたので、私一人が山頂に立ったのであった。真っ暗になって、車に戻ったと記憶している。

 その南アの山々も、今では、「遠くにあり。」 になりつつある。「いつかは・・」 と思っていたが、今の家庭事情では、とても覚束ないだろうし、その欲望も次第に萎んでいく事であろう。今は、行ける山に精出すしかない。しかしながら、今年も剱岳への機会を失ってしまった。巡り合わせがダメだっただけで、この程度の山なら、また来年という事も考えられる。

 お天気が約束されるなら、今度は、「薬師岳に行こうかな?」 単純なピストンになるけれど、それだけで幸せというもの。白馬岳・白山・剱岳・薬師岳は、一年に一度は登りたい山としてあげているであるが、なかなか思うようにならなくなった。一年に何度もと思っていた大地・初雪山や大猫山でさえ、最近は怪しくなって来ているのだから・・・



9/10 お酒の量を、ほんのちょっとだけれど少なくした。就寝時間も少し早くしている。といっても、他人様と比べればどうなんだろう? 缶ビール1本と清酒1合強、そして、休むのが平均して午後11時台半ばである。「くたびれて来たから・・」 と、「もうちょっと、元気でいたいから・・」 が、その理由なのであるが、効果があるのかどうかは分からない。

 それでも、「5時間以上は眠られるから・・」 と思っているが、疲れが取れないのか、ついついウトウトする事が多くなってきた。「弱った!」 なのであるが、「当たり前」 と解釈したら気が楽になった。家中の心配、世界中の心配をしたってしょうがないのであるから・・・・ そして、「思い通りになるはずがない。」 をようやく悟った。



9/9 今日も午前中は元気だったようだが、「様子が可笑しい。」 と保育所から連絡があり、早々に迎えに行かなくてはならなかった。(下の孫) こんな状態が、しばらく続くのを覚悟しているが、その間に歳を食ってしまう自分はどうなるのだろうと思わずにはおれない。

 少々、しわくちゃになろうが、元気でおられればいいのであるが、そう、事は上手く運ばない。また、どれだけ元気であろうが、若い時の元気と違うのだから仕方がない。そして、そして、仲間も同じように歳取っていく。元気でいよう。

 15日(月・敬老の日)は、久々に丸一日自由になる。「何処かに行かない?」 「一緒してくれない?」 と呼びかけてみたが、大方は仕事日、あるいは、先に約束があるようである。まだ行き先を決めていないが、お天気が良ければ、たくさん歩いてみたい。



9/8 朝起きたら、下の孫は熱かった。そして、母親(娘)に抱きついて離れようとはしなかった。娘は、「仕事を休むから・・」 と私達に山行を勧めた。しかし、私達の山行は、許された時間内のものであって、どうしても行かなければならないというようなものでなく、「仕事に行きなさい。私達が面倒を見るから・・」 と娘を仕事に送り出した。

 そのような会話の中、珍しく、「山ノ神」が、「あんただけ行って来たら・・」 と言ってくれた。しかし、娘にも言ったように、誰かと約束をしていたわけでもなく、また、行きたい山なら、もっと、早く出発しなければならないし、今日は、下の孫の面倒をみる事にした。上の孫を保育所に送って、コーヒーを飲んでいる時、寄ってきた下の孫は、やはり熱い身体をしていた。

 でも、僅かな時間が過ぎた頃から、何処が病かと思う程元気になってきた。ずっと、喋りまくって、「何処かへ行こう。」 と、行くところ行くところに、金魚の糞のように付いて来る。今までの経験値からしての 「すぐに熱が下がる。」 が、どんぴしゃりでもあった。

 午後から、見たい物・買いたい物があって、イオンショッピングモールへ出掛けた。そこでも、我々の手を解き、走り回る下の孫を見ながら、苦笑するしかなかった。上の孫を保育所に迎えに行ってから、「虫取り」をするため二上山へ行った。一旦、家に戻ったこともあり、午後5時を回っていた。

 お目当ての虫をゲットする事が出来ず、上の孫の要望に応えられなかったが、城山と二上山頂上に立った。今日は時間がなく、車使用となってしまったが、鐘撞き堂で中秋の名月を眺めた。上の孫は、何処で教えられたのか、「ウサギさんがいる。」 何度も言っていた。



9/7 明日のお天気は、まずまずのようである。ところが、下の孫(2歳半)が、昨日から熱を出している。回復気味であるが、起きてからでないと分からない。したがって、中止もあり得る。こんな時は、2人もいらないのだから、私を解放してくれてもいいと思うが、「山ノ神」は許してくれない。

 もちろん、大変な病なら、私だって行きはしない。「微熱程度で、保育所に行けないくらいの状態なのだから・・」、と思うのであるが、なかなかである。私が留守番してもいい。「あんたが出掛けてもいい。」 と言ってもダメなようである。本当に困った。でも、孫は、いつもかも邪魔するわけでもないし、明朝スッキリした顔で起きてくるかも知れない。

 そんな時は、何処へ行こうか? 同じ山ばかりも飽きてきた。時間的には山頂に届かないだろうが、大日岳(大日平)はどうであろうか? そうなればそうで、早く遅いで、また揉めるのであろう。



9/6 この頃の私は、トレッキングポール(ストック)を使用していない。しかし、常にザックのサイドに括り付けている。それは、膝を痛めた時の非常時や、ぬかるみなどのバランスを取る時に便利である。もちろん、積雪時は、必須である事は間違いない。

 そのストックを紛失したり、曲がったりさせてしまい使用不能にしてしまった。長い間に何本も購入したが、最近は、ビックリするほど高額になって来ている。2本で2万円なるものも出て来ている。これでは、ちょっと手が出ない。

 スキーストックの方が強度があり、特別出資をしなくてもよいのであるが、使用しない時に格納出来ず不便であるので、どうしても、そのような物を求めたくなる。ネットで、2本3,000円という物があった。「激安に注意!」を心して求めてみた。見た目は変わらない。試験的に今度の歩きで使用してみたい。私が使わなくても、「山ノ神」が使う。



9/5 この頃、忘れ物が多い。出掛ける前に準備すると大概何か忘れる。毎回でもないし、しょっちゅうでもないし、肝心な時は、結構心掛けが違うから、そのような事はあまりない。危険なのは、「まあ~、いいや、明日起きてから・・」 のいい加減な時に起こるような気がする。

 最近は、新手の忘れ物をする事が度々。メモリーカードをPCに差し込んだまま、デジカメに戻していないケースである。これも、すぐに手順通りの作業をやっておれば問題ないのであるが、「後から・・」 が、いけないようである。

 カードの入れ忘れに気が付かず、突然、「メモリーがいっぱいです。」 で気が付くお粗末であるが、他にカメラを持参していなかった時などは、後々寂しい思いをする。そして、カメラ本体にある画像を、どうしてPCに移すかなのであるが、冷静に考えれば、左程難しくないのであるが、そんな時は、如何せん慌てふためいてしまうのである。



9/4 今日は暑かったが、確実に秋に向かっている。私が行けるような山では、トンボが乱舞しているし、ブヨも殆どいなくなり、川沿いのオロロも姿を消したかのようである。夜明けが遅くなり、陽が暮れるのが早くなるという事さえ除けば、山登りには格好のシーズンとなる。

 時間があり、お天気が良ければ、跳んで歩きたいのであるが、何もかもが上手く行くハズがない。しかし、ちょっとでも、一回でもと思えば、そう落胆する事もない。私が日頃から、1回や2回では、その良さなど分からないのではと言い続けているが、物は考えようで、これしかと思えば、脳裏にしっかりと覚え込む事が出来るような気がする。

 山の素晴らしさはそうであり堪能出来るのであるが、不徳の事態は、また別の話である。単純な行程になるかも知れないが、何度も足を運んで身体で覚えるしかないのではと思う。ステキな物に会えるには、それだけのリスクが伴うというのであろうか、そう簡単ではないような気がする。



9/3 「子供は疲れを知らないのだろうか?」 と思う程、昨日、中山へ登った上の孫が、しらんふりをしている。山を初めて登った人にしてみれば、中山のピストンであろうが、周遊であろうが、結構疲れるハズである。流石に、車に乗るとすぐに眠りに入ったが、家に帰ればいつもと変わらないし、今日になっても何の変化もなかった。

 もっとも、我が孫が強いという事でなく、もっと幼い時から、登らせておられる方もあるようだし、もっと、ハードな山行をこなしておられる方があるように聞く。でも、孫と言えども、我が子でない故に、何かあったら、それこそ大変である。楽しいし、緊張感もあったが、このような事は、やっぱり、たまにでいいのかもしれない。



9/2 今日は、孫娘(瑞姫)と中山(1,255m)へ登り、彼女の山デビュー記念の日となった。今まで、猿倉山(375m)と二上山(274m)にしか登った事がなく、標高差約550mの山に登れるのかと思ったのですが、意外なほどに強く、初めて登る大人とそれほど遜色のないタイムで登ったような気がします。

 そんな事はどうでもよく、充分に休憩を取って登りました。何しろ、自分の子供達は、あの強行日帰りがあったため、山に行かなくなったようなものですから、孫娘を大事に扱うように心掛けました。もちろん、今まで出来なかった「褒め言葉」も忘れませんでした。

 家では、なかなか食べさせてもらえない「カップ焼きそば」が食べられて、孫娘は、とてもご満悦のようでした。そして、山頂で出会ったおじさんにお菓子をもらったりして、益々、「山はいい。」 と思ったに違いありません。

 登れるかどうかさえ分からなかったのに、意外と速く山頂に到達した事もあり、ちょっと欲張って、下山路を東小糸谷経由としました。しかし、エネルギーを使い果たしたかのように、下りの段差が低くとも、苦労するようになっていきました。一時抱え上げて急斜面を凌いだ事もあったのですが、孫娘は潔いとは思わなかったようで、滑りながらも自力に拘っているかのようでした。

 立山川に降りてからは、いっぺんに元気になり、道路脇にあるススキを摘んだり、イナゴを追ったり、いっぺんに子供に返ったのでした。ガイドの多賀谷氏御一行に、ちょっと褒められたりしたのですが、はにかむしかなかったようでした。



9/1 登り始めや梯子坂前後などは、ススキが登山道を覆い尽くし、まるでヤブ漕ぎしているようであった。この時期(8月や9月上旬)に、あまり人形山へ来ていなかったからかもしれないが、曇りがちで視界もよくなく決して快適な歩きが出来なかった。

 今日も午前9時50分発である。「宮屋敷跡まで、2時間で登らないと、後がきついよ!」 と言ったからであろうか、お互い単独行にダンマリが加わった。僅か10分か15分の事であるが、結果的には、山頂での休息や保育所の迎え時間に響いて来るのであるから仕方がない。それは、お互い分かっているのであろうが、「言ってしまった。」 「また、言われてしまった。」 になるのであろう。

 その宮屋敷に先に着いた私が、お昼時だし、何か食べるのにと思って、湯を沸かそうと思ったのであるが、何処を探しても、コンロが見当たらないのである。過去にも何度かあったが、「燃料を忘れた。」 「コッヘルを忘れた。」 もっと酷いのは、「食材を忘れた。」 事があったが、この歳になると、前々から準備をしていないと、何かしら忘れてしまうようである。

 私の担いでいる物で、口に入るのは水だけになった。こうなると寂しいものであるが、「食べ過ぎよりも、かえって身体にいいかも・・・」 などと言ってごまかすしかない。そんな事もあって、「山ノ神」は、山頂まで、あと10~15分の所で、腰を下ろしてしまった。もちろん、最大の理由は、”点滴”の時間がなくなると困るからであろうが、唯々、歩くのは面白くないからと思ったのかもしれない。何にも楽しみのない私は、時間潰しも有り、ゆっくり歩くしかない。そして、山頂は真っ白で何も見えない。

 「山ノ神の休憩地点」に戻った頃から、さっきのゴロゴロは、北朝鮮の偵察機。イヤ、カミナリ様が怒られたのかもしれないと、ちょっぴり話せる雰囲気になった?のも束の間で、雨が降り出した。始めの内は、そうでもなかったが、だんだんと登山道が川のようになって、急斜面は滝のようになっていった。