10/31  「ロマンが無くては人生はつまらない。」



10/30 自分は、つくづく馬鹿だなと思う。でも、過度に自慢するわけでもなく、他人様を陥れる事もないのだから、悪者や大馬鹿者ではないような気もする。それもそのはず、小心者だけに、何事にも、ビクビクしているのだから情けない。

 どのように生きようが、いつかは逝くのだから、好きな事というのか、思い切りが必要なんだが、そうもいかない。これが、自分の本性なのだろうか、「ごまめの歯ぎしり」 みたいなもんだ!



10/29   人生 何度も繰り返し・・・



10/24 一ヶ月ほど前に買ったザックに、ようやく物を詰め込んでみた。ちょっと、大きめであるが、日帰り用として使用するつもりである。バックパッカー用なのかもしれないが、生地は薄い代わりに、ちょっぴり軽いような気がする。安価であったから、飛び付いたのかもしれない。

 大きめのザックは、乱雑に物を詰め込めるのが利点であるが、それだけ余計な物を入れてしまう欠点がある。しかし、山行形態が変わりつつあるからして、その余計な物を担ぎたい事もあるから仕方が無い。

 ストックを装着するようになっているが、ピッケルとなると、どうもダメなようである。 (そんな時は、古いザックを担げばいいのかもしれないが・・・) もう一つ、大型のシャベルを持参するのに苦労している。結構ザックを傷めていたからであるが、小型にするか、誰かを頼るのも一つの手段である。

 これまで、幾つのザックを買った事になるのだろう。両手を広げるくらいにはなっているかもしれない。50年になるのであるから、大型・小型、あるいは用途によってであるから、それはそれで仕方がないのかもしれない。



10/23 黒部の猛者・能登氏から、ある資料と共にお便りを頂いた。資料なる物は別にして、相変わらずの健脚ぶりは、後に頂いたメールと共に呆れるくらいであった。9月と10月に、2回もクズバ山に出掛けておられ、中山との分岐から2時間も掛からないで登っておられる。 (1時間45分というのがあった。)

 同氏は、私の一回り年上の方であるから凄い。私生活の事は、全く知らないが、スーパーマンや天狗のような人である。いやいや、ご当人に許してもらえるのなら、「仙人」が相応しいかも知れない。黒い顔をした仙人は似つかないか?

 元気な御仁がおられると、我々に、元気を与えてもらえるし目標となる。もっと、もっと、頑張ってもらえたらと思うのであるが、実際は、私より健脚なので、その表し方が難しい。こっちの方が、ガンバレと言われそうである。

 そう言えば、牛岳の三妖怪(秋山・粟野・寺口氏)の消息を掴めていない。元気なのだろうか? 肩書きも技量も無いが、どんな低山であってもいいから、「あの人は、まだ歩いて(登って)いるのか・・」 と言われたいような気がする。(自信が無いけれど・・)



10/22 髪の毛が無くなるのも、顔のシワもイヤだが、それよりも、もっとイヤだったのが、お尻の肉が無くなるのと、太腿が細くなるの事であった。髪の毛と顔のシワは、自分から言わなくとも、ご存じの通りであるが、最近、お尻の肉が無くなって来ている。太腿は何とか堪えているようだが、お尻の肉が無くなっては、「知りません。」 とか言っておれない。

 一週間に1回、または、2回の山歩きに、毎日のようにやっている、腕立て伏せや、腹筋では効果がないのだろうか? 山歩きだけは、何らかの効果はあると思っていたが、歳を重ねる事には、やはり叶わないのかもしれない。

 でも、「格好など、どうでもいい。」 と言ってしまうようになると、もうお終いのような気がする。ずっと、気にしていかなければ、到底、山など登っていける元気もなくなるのではと思っている。



10/21 当初の目的は、ナメコ採りではなかったのであるが、雨飾山・毛勝山・高頭山と続いてしまった。台風・凍結・雨と状況はかなり違っていたが、標高1,000~1,200m辺りで採った事になる。山菜採りと同じで、あまり興味が無くとも、採り始めると結構面白い。

 「食べて美味しい。」「他人様に、お分けして喜ばれるのも嬉しい。」 でも、そうするためには、何事も後処理が伴う。喜んでもらうとなると尚更である。山の恵みを楽しむとは、そういうものなのかもしれない。それにしても、毎日・毎食になると、流石の私でも逃げ出したくなる。



10/20 「午後から雨の予報」 でも、降水量は、左程でもないだろうと高頭山を選んだ。40代の終わり頃に登った事のある高頭山の記憶は、送水管と切り株、そして、見通しの良くない山頂であったが、何となく、今回は、久しぶりの山に心が動いた。

 一度、登山口周辺だったろうか、工事中で登れなかった事があったが、今回は、それを除いて3回目である。登り始めの急登は、些か足に来るが、ちょっと我慢をすれば、送水管に沿った小径になる。私は、最後まで送水管横の階段を登ったが、建屋から後は、それらしき道が無く、斜面を飛び降りて登山道に出た。

 登山道を忠実に歩いた「山ノ神」が、ベンチのような所で腰掛けて待っていた。「ここから降りて来ると思っていた。」 と言う「山ノ神」に、「道など無かったけれどな~。」 そこが、三枚滝との分岐で、「降りて来ると思った。」 と言った所が、山頂への登山道であった事が、歩けば歩くほど、GPSのルートと掛け離れて行く事で分かった。

 それならば、一層の事、三枚滝なる所へ行こうとなったが、取水口の建屋に到着しても、それなる滝が見当たらない。「もしかしたら、川底に見え落ちるものが、滝なのかな。」 と思ったが分からなかった。いつか誰かに尋ねてみなければ・・・

 分岐の標識が、ちょっと分かり難かったせいで、小一時間ロスをした感じであるが、その事はどうでも良かったが、雨降る時間帯に出会すのは、確実になったような気持ちになっていた。

 こちらの急登も、ちょっぴり我慢すれば、切り株の稜線に出るが、以前は、その切り株が痛々しくも見え、見通しが良かったように思っていたが、今は、雑木が伸び、そのようには感じなかった。標高1,000mくらいになるとブナ林がいい。ちょっと、細いかも知れないが、黄色を基調とした紅葉が素晴らしい。

 「ナメコがない山だね!」 などと言っていたが、立ち枯れが現れると、一気にナメコが目立ってきた。雨が降り出しても何のそのである。きれいなものだけを採っていたが、雨に打たれると、皆立派なものになるから不思議だ! 荷を重くして山頂に着いた。



10/19 「行く、行かない。」 から、「大猫山・猫又山より毛勝山の方が楽そうだ。」 と思って臨んだ「山ノ神」であったが、そう甘くは無かった。過去に3度山頂を踏んだ事があっても、5年の歳月が流れているのであるから、衰えも加味しなくてはなるまい。しかも、10月ばかりで、ヘッドランプのお世話になっている事が多かったのであるから尚更であった。

 どうしても、「このような山でなければならないのか?」 と、「山ノ神」は食い下がったのだが、大猫山は、50回を目指す礎に、猫又山もそれなりにの気持ちがあったが、どうしても、あと2回登れば10回に達する毛勝山に心が動いていた。

 工事中の看板と施錠で、西北尾根の登山口までは入れなかった。僧ヶ岳登山口も魚津市民登山とかで、見る見る内に車で埋まった。好調かなと思った歩きも、以前の記録に比べると、大幅に遅れていく。ましてや、ナメコに目が移っては、尚更である。

 時計と予定表を比べながら、クワガタ池辺りで、「山ノ神」を置いてでも、山頂に行きたいと思っていたが、1,500m辺りから、霜が降りており、1,700~1,800m辺りから積雪を見るに至り、陰っている所では、ヒヤヒヤし始めたのである。

 二つ目の地塘のある地点で、山肌が白くなっているのを見るに付け、「もう、止めよう。」 と言いだした「山ノ神」に、「クワガタ池まで行こう。もし、途中、ダメだと思ったら引き返すから・・」 と言って、先に進んだが、2,100m辺りであろうか、「山ノ神」が、固まって動かなくなった。「此処で留まるから、あんただけが行き、写真だけでも撮ってきたら・・」 となった。

 しかし、先を進むも、まだその先が有り、時間が掛かりそうだし、降りるのに苦労するに決まっていた。実際、「山ノ神」が停滞していた地点に戻るにも、お尻を地に着けながら、そっと足を出すような降り方になっていたのだから・・・ 留まっていた「山ノ神」も、動く事も座る事も出来ないでいたのだから、撤退・退却が、我々からしたら妥当なところだったように思える。

 地塘のある所まで退却して食事にしたが、既に午後1時であった。届かなかった山頂方面を眺めながらの一時であったが、左程悔しさを感じる事がなかった。ケガしたら、「山には来られない。思うように歩けなくなる。」 が頭にあるからであろう。駒ヶ岳や僧ヶ岳を眺めているだけでも、「自分達は高い所にいるんだ。」 と心は和んでいたような気がする。

 今日こそは、陽が落ちない内に、登山口戻れると踏んでいたが、なかなか予定通りにはいかないものだ。ナメコを気にしながらでは仕方がないか!! 秋の毛勝山は、ヘッデンが付きもののようだ!



10/18 明日行く山に、「毛勝山or大猫山・猫又山」 を提案した。けれど返事をしてくれない。かと言って、単独行の許可も無い。由々しき事であるが、この先、生きる為にも、「山ノ神」の考えを無視する事が出来ない。情けないが仕方が無い。明朝の決着では、この山域へは行く事が出来ない。弱った!



10/17 「セルカ棒」 なるものを買った。自分撮りするのには格好のアイテムである。シャッターを押してもらう機会が無くなると、それだけ他人様との交流がなくなる欠点があるが、マイナーな所へ出掛けての証拠写真撮りには充分なような気がする。

 もちろん、三脚立てての撮影には叶わないと思うが、重さリスク軽減、そして、思いもしなかった別アングル撮りが面白いかもしれない。当分の間、TPOを考えて使ってみたい。



10/16 最近、「目が覚めてホッとした。」 「今日も生きていた。」 など、耳にする事が多くなった。それだけ、周りの人達と共に歳を食ったという事なのであろう。生きている事に感謝する心があれば、自ずと諍いもなくなるというものだが、私は、そのような聖人には程遠く、生臭さが残り欲深く、どう考えても神仏に召される事がないようである。

 でも、「ちょっとぐらい他人様の為に良い事が出来ないだろうか?」 などと思うのであるが、その知恵や行動力が乏しく、なかなか思うようにはならない。仕方が無いから、せめて他人様の迷惑になる事や、悪い事と思われるような事をしないように心掛けているが、自分の思いと他人様の思いは、必ずしも合致せず悲しい事もある。

 「右の頬を殴られれば、左の頬を出す。」 域の心境ではないだけに、どうしても、「自分が・・」 「自分の・・」 になってしまうようである。こんな事を思う事も不可解であり、やっぱり、いつも笑っておれる自分でありたい。笑っておれば、少しはいい顔であるような気がする。



10/15 雨飾山に初めて登ったのは、記憶が間違っていなければ、昭和51年11月22日~23日であった。当時は、まだ車がなく、糸魚川で乗り換え大糸線根知駅まで。それから、山口まで路線バスに乗った。その後は、当然歩きであるが、今考えてみればよく歩いたものだ。

 その時は、3人であったが、降雪に見舞われた。雨飾山荘からその先、どの辺まで行ったのだろうか分からないが、積雪は1mくらいはあった。11月下旬の上、悪天だから日没は早い。3人とも初めての山だけによく分かっていない事もあったが、一人がひょんな事から滑落した。

 滑落者は無事だったが、その煽りを食ったのかどうか分からないが、宿(雨飾山荘最終宿泊日)に戻って、風呂に入ろうとして気付いたのだが、私のニッカズボンが切れ裂けて、太腿にも傷があった。アイゼンのものである。

 翌日は、打って変わって快晴となったが、再び山への意欲はなくなっており、長い林道歩きをして戻った。その雨飾山の山頂を踏んだのは、それから10年目の秋であった。その頃は、単独行として自由に何処でも行けたのに、今はその面影もない。



10/14 昨日の雨飾山は、反省しきり。何事もなかったから良いようなものであるが、何かが起これば、たくさんのパッシグを受けたに違いない。山頂から降りてくる一グループがあったが、お互い 「好きやね!」 の一言を交わしたが、暴風にゆっくり話す事が出来なかった。

 3人グループの一人の女性は、「偉かったけれど、達成感は素晴らしかった。」 とも漏らした。瞬時の光景が、そのような感想になったのだろうが、やはり何かを求めていたに違いない。小谷側からの登山者は、荒菅沢を渡る時に断念したグループもあったそうだが、我々の梶山側からの女性3人グループも、途中で引き返したようであった。

 自然現象は、我々を嘲笑うように予想を覆すが、時たま、この世にあったのかと思う程の絶景を、プレゼントしてくれる事がある。だから、「山は止められない。」 のかもしれない。悪天で、独り占めするような時などは、私(達)だけに与えてくれたのかと思うのである。それが錯覚であっても良いではないか・・・・

 昨日のナメコは、とても美味しかった。例年からしてみれば、旬の味には、ちょっと早いように思えたが、プリンプリンで絶妙の味であった。1キロ以上(もしかしたら、1~2キロ)を採ったから、毎日食卓に載るかもしれないね。



10/13 「台風接近なのに、山へ行くなんて・・・」 と思われるのは承知で雨飾山に出掛けました。午前7時登山開始、午後2時に車に戻り、5時に帰宅をすれば、災害に敏感な娘家族を家に残して行っても大丈夫だろうと踏んだ。予報などを加味すれば、そんなに雨量が多くないとも思っていた。

 時間制限があるような無いような中で、往復とも高速を使わずして出掛けるのと、4年前の墜落事故の事もあり、「山ノ神」が、どう思っているかの不安があった。結果として、「危険だと思ったら、途中で止める。」 と言いながら今回も登ってしまった。

 それでも、あの山頂付近の暴風は凄かった。吹き飛ばされそうであった。衣服を少々濡らした事もあって、急激に体温を奪われてしまった。手袋の脱着が出来ないくらいに手が悴んでしまった。そして、何だか、私自身がふらつくような感じで、岩場を降りるのに躊躇してしまったのである。

 「もしかしたら、脳梗塞か心筋梗塞かもしれない。」 と言っても、「山ノ神」 「あっそう、どちらであろうが、私は何も出来ないから・・」 といつも通り冷たい返事である。 それこそ、何かあったら大変で慎重に降るしかなかった。

 お腹が空いても、口に入れるなどの余裕も雰囲気もなかったが、小谷側の分岐まで戻った所で、ようやく温かい物に有り付けた。不思議なもので、あの風は何だったのかと思う程に止み、一時だったけれど青空が覗いた。往路では見られなかった紅葉も飛び込んで来た。

 「雨飾山の紅葉も今年はダメか?」 と言っていたのに、イヤイヤ素晴らしい。でも、「今度の台風で、皆持って行かれるかもしれないけれど・・・・」 予定より早く山頂を後にしたのだけれど、「山ノ神」のおっかなびっくりの歩きは、いたずらに時間の経過を余儀なくさせた。

 それだけなら良いのだが、ナメコや山葡萄を見付けては、私に採れと促すのであった。そのような事が重なり、家路へは、強い雨の中を走らなければいけなくなったのである。



10/12 明日出掛けるのは不謹慎なのだろうか? 明朝起きてみてからになるが、どちらにしても、早く切り上げたいと思っている。「ビールを飲んでいる時間などないよ。」 と「山ノ神」に伝えてあるが、果たして、心しているかどうかは分からない。



10/11 台風の案配を注視している。10/13は、せっかく丸一日使えるのに、台風様に邪魔されるのは辛い。大型の台風様は、ちょっと、予想より遅れ気味だが、日本列島を縦断する構えである。早めに出掛けて早く戻るのも手であるが、もうちょっと、見守るしかないようだ。



10/10 私は、旅先で、必ず富山県、そして、高岡市のPRを心掛けている。(と言っても、山ばかりですが・・・) もちろん、縁あって、高岡へ訪れて下さる方々へもそれを忘れない。家では、自称「私設富山県・高岡市の親善大使」 と銘打っているが、「また始まった。」 くらいで冷ややかであった。しかし、この頃は、悪い事をしているわけではないし、徐々に浸透しているかのようである。

 お金や地位がなくても、もてなしは出来るものである。名物や名所の案内もいいが、笑顔と相手様を褒めるだけでも、かなり印象が違うような気がする。それは、県内・市内に住む人達へも同じかもしれない。 「あっ、忘れていた。」 家中でも通じる事であった。



10/9 昨夜10時頃だったか、「ドカ~ン」 いや、「ガサ~ッ」 だったか、物凄い音がしたので、シャッターを開けて外に出てみた。すると、軽四が車止めに乗り上げているではないか・・・ 

 我が家の分も含めて40台くらい駐車場で、3所有者ながら、その境がない。しかし、横隣との境に車止めがある。(隣の所有物) その車止めに乗り上げていて動かなくなっていたのである。

 お節介な私は、「どうしたの?」 と声を掛けるが、車の下に潜り込もうとしていた若者は、「大丈夫です。」 と言うが埒が開かないようであった。私は、家に戻りヘッドランプを取りに行って、手元を明るくしてやった。「これは、ジャッキアップしなければダメだな。ジャッキはあるのか?」 と聞いたら、「やっぱり大丈夫です。」と返ってきた。

 しかし、やった事があるのかと思う程、ぎこちない。その上、タイヤが、その車止めに食い込んだ状態で持ち上がったままであった。このままではダメだったので、太くて長い角材を持ち込んでタイヤを車下から押し出して上手くいった。

 若者は恥ずかしいのか、自分で出来ると思っていたのか、言葉が少なかった。私は、「困った時はお互い様。気を付けて帰られ!」 と言って、家の中に入った。私の60余年の人生中で、それほど、人のためにとか、良い事などしてこなかったように思っている。このままで、人生が終わってしまっては、情けないので、自分の出来る事は、なるべく力に(助けに)なってあげたいというのかお節介をしようと思っている。

 「有り難う。」 とか、「助かった。」 「嬉しかった。」 とかを、もらうと実に嬉しいものである。そんな事があった今朝、玄関先(勝手口)に、「昨晩は、石材に車が挟まっているところを、助けていただき有り難うございました。直接お礼をお伝えしたかったのですが、夜分でしたので、お手紙にかえさせていただきます。ありがとうございました。」 というメモと、袋に入った缶コーヒー2本がおいてあった。

 あの青年は、契約駐車なのか、開いている所に勝手に駐めていたのか分からないし、何か事情があったのかも分からない。顔も暗くて分からなかったし、あまり見つめてもいなかったが、そのメモ(手紙)に心が通じたのかと思った。



10/8 今度の土・日・月は三連休である。私には、そのような事はないが、体育の日(10/13)は、皆様と同じ日の休日となり、何処かへ一緒出来る楽しみがあった。でも、台風19号は、先の18号より、なお大型で、その休日に大きく影響しそうなのであるから困ってしまう。

 本当は、「遊ぶ。遊べない。」 ではなく、生活に影響があるかないかの方が大事なのに、幾つになっても変わらないのでは、呆れられるよりは、愛想を尽かされてしまうかもしれない。「いい大人が・・」 である。



10/7 昨日は、大型台風18号の事もあり、山行を自粛したが、富山県への影響は殆どなく、午後からなら、問題なく何処かに行けたような気がするが、「焦らない。」 「羨ましがらない。」 などを心しなければと思っているだけに、今日は、満を持しての山行となった。

 天蓋山で単独行の青年と出会った。わざわざ京都からやって来たと言うのである。登山は初めてで、ネットで登りやすいとあったから、この山を選んだらしい。タイツに半ズボン、そして、スニーカーのような靴と、それなりのザックスタイルであったが、話を聞いてみると、山が流行だからではなく、何かを感じてのチャレンジの始まりのようであった。

 槍や穂高、ましてや剱や立山の名も知らない初陣の若い登山者に、何となく拍手を送りたくなったし気にもなった。何かを探しに来たかもしれない彼の旅に、老人が拘束するのも如何なものかと、先に山頂へと促した。

 大展望といかなかった山頂で、彼は物思いに耽っていたのか、それとも、唯1人寂しくいたのかは分からないが、我々の食事をに誘ってみた。何のわだかまりもない彼の振る舞いに、子や孫と同じように接しられ、こちらもホットな気分になってしまった。登り始めに、おにぎりを一個食べただけで、他に食料を持ち合わせていないとの事であったから、ちょうど良かったのかもしれない。

 彼は、ずっと、私の話を聞いてくれた。それは、我慢して聞いてくれるのではなく、興味を持って聞いてくれていたような気がする。「いい気になって・・・」 と思った「山ノ神」は、「先に行ってもいいんだよ!」 と促していたが、彼は最後まで一緒してくれた。

 彼のお祖母様が、私より年齢が一つ年下とか聞かされた時は、「ええっ」 と思ったが、それはそれである。「ちょっぴり元気なおじさん」 とでも思ってもらえたら光栄である。大学を出て、そう時間が経っていない彼であるから、これからの人生には、紆余曲折があるだろうが、世の中は、「そう捨てたものでない。」 と思ってもらいたい。

 今回は、もう一つの出会いがあった。先に行くかなりの人数のおばさん達を追い抜く時、「元さんでは・・」 と声を掛けてくれた女性があった。「どうして、私など・・」 と思ったが、2年前、白山の後半を一緒した横浜からやって来ていた河合君のお母さんだと言われるから、これまたビックリ。嬉しかったが、ここで私は、失敗をしでかした。

 河合さんのお母さんは、団体さんの一員だと、私が勝手に思い込んでいたから、山頂でゆっくりお話が出来ると思っていた。しかし、彼女は、単独行で、下山中だったのだと、後から「山ノ神」に聞かされ、お叱りを受けてしまった。河合君の実家は砺波市だから、そんなお母さんと、またお会いできるかも知れませんし、私達の条件に合うようでしたら、声を掛けて頂ければと思いつつ、失礼した事を、此処でお詫び致します。



10/6 県内は、立山権現様のお陰なのか、今回も台風の被害がなかったようである。雨も風も、これが大型台風なのかと思う程であった。そんな我々と違い、降る度に避難せねばならない方々には、お見舞い申し上げたい。

 結局、山に行かない一日は、思ったほどの事も出来ず、不完全燃焼のまま、時間が過ぎ去ったような気がする。それこそ、非日常を、楽しむ事など出来なかった事になる。明朝は、少し雨が残るかもしれないが、やっぱり歩かなければいけないようだ。



10/5 明日は、台風の接近が決まっているようなものだから、山行は中止としよう。以前なら、「何が何でも行かなくては・・」 とか、「雨の止む間を見計らって・・」 などと、出掛けたのであるが、その辺から、「雨の日でも登る人」 となったのかもしれない。

 もちろん、近間の低山であったが、展望もなく、滑ったりもするのであるから、面白い筈もなく、それこそ、何の為に登っているのかと、自問自答の世界に入るしかなかった。冷めたのか、バカバカしくなったのか、一概に答えられないが、「それも人生、これも人生と、ごまかしている。」

 山に行かなくても、する事はたくさんある。休日に限ってであるが、久しぶりに普通の人になろう。風も雨も、他人様を惑わすものにならねばと願わなければならないが・・・



10/4 この頃の自分がイヤになる。酒量を少なくしているのに、PCの前に座る頃になると眠くなる。誤字脱字の多さには、自分ながら呆れていたが、最近は、文章自体の間違いや、タグの間違い、UPするのを忘れたり、その酷さに恥ずかしくなってきている。

 「まあ~、いいや!」 が、だんだん輪を掛けて酷くなって来ては、情報を伝えるHP本来の機能を失ってしまっている。もう、「末期的だね。」 「どうしてもやらなくては・・」 より、眠気が優先していては・・・・



10/3 「今年の紅葉は早い。」との情報が、幾つも飛び込んでくる。来週は、連休(10/6~10/7) だけに、時間がない中、どの山に行こうかと考えている。高所は行けず、簡単な山になるだろうが、大型の台風が気になる。大きな台風と言っても、的中する確率は低いのであるが、たまに当たったり、都合の悪い時には、何故か当たるから厄介なのである。

 血圧の薬を飲まなくなって半年になる。相変わらず、やや高めに推移しているが、特別変わった事はない。時々、後頭が痛くなる(重くなる)事があるが、山に登ると必ずと言っていいくらい回復する。勝手な判断で、後々どうなるか分からないが、食生活さえ気を付ければ、何とかなるような気がしてならない。



10/2 今年は、何処も紅葉がきれいだと聞く。そして、例年より、かなり早いようである。昨日、来高して下さった千葉の川久保氏よると、栂海新道の黒岩平辺りの紅葉が素晴らしく、同行の女性などは、「来年も来たい。」 と言っていたようである。その川久保氏は、4回目の栂海新道だったそうだが、本人も、「こんな、キレイなのは初めてだ。」と言っておられた。

 一昨日、私が出掛けた大門山~見越山は、まだこれからであったが、ブログとFBに載せておられる筏井氏によると、白木峰が見頃だそうだ。そのブログにコメントをされていた池田氏の記述によると、ブナクラでも、かなり下に降りて来ているようだ。まさか、例年、「文化の日が、ちょうど。」 と言われている「中山」 が、真っ盛りという事はないだろうね。



10/1 突然の来客があった。11年前、日光白根山で親しくなった千葉の川久保氏である。そんな事もあって、7年前の4月、ご夫妻と共に僧ヶ岳に登り、後、高岡で会食をした想い出があった。今回は、同氏と山仲間とで、白馬岳から栂海新道を降り、親不知で、その仲間達と別れ、わざわざ高岡へ来て下さったのである。そして、お客さんにもなってもらった。感謝!

 三つ上の川久保氏は、一年前には、椎間板狭窄症の手術を、4ヶ月前には、前立腺の手術をしておられるのに、持ち前の体力は、全然落ちていないようであった。此処にも、スーパーマンのような方が存在という感じであった。明日は、立山周辺を歩き、明後日は、大町から帰ると言っておられた。