2/28 テンションが上がらない。「こんな日もある。」 と思うのだが、何故か宿題を残したような気がしてならない。こうして、だんだん気力も体力も衰えていくのだろう。当たり前だよね!



2/27 明日で2月も終わりであるが、1月は9回、2月は6回と、全休日山へ行けた事に感謝である。もちろん、時間制限下の中での山行で有り、低山とは言え、2回も山頂を踏むことが出来なかった。しかし、強風や雨、そして、深雪の中を、唯一念で歩くのであるから、それは、何事にも例え切れない有意義な事と自負している。

 この2ヶ月の15座は、限られた時間内で、重複せず行けたものだと、結果論で有りながら、上手くいったと言わざるを得ない。この間、「山ノ神」と、3度袂を分けた事があるが、まだ単独行はない。そして、仲間達に助けられて、何度となく山頂を踏んだ事もある。

 山は、これからが面白い。それを貫くためにも、家族の中でも、ギブアンドテイクとして、その可能性を見出していきたい。「這ってでも行きたい。」と言っても、「たかが、山である。」 私の山歩きなど大した事ないのであるから、一番いい答えを求めて行動をしたいと思っている。



2/26 山行日から4日目だからであろうか、膝の痛みが気にならなくなった。休んだから(日にちが経ったから)、痛みが和らいだのどろうか? それとも、毎日のように続けている運動が奏功したのか分からないが、兎に角、ホッとしている。

 「山中で痛くなって、動けなくなったらどうするのか?」 と問われては、返答に困る。しかし、いつ、何処で、どうなるか分からない。そのような事のないように、日頃の体調管理が重要になってくる。でも、大概の人達は、元気さに任せて飛び回っている。



2/25 「膝痛は、どうしたものか?」 と考えてしまう。夜も眠れない。極端な歩きさえしなければ、どうって事ないと思うのであるが、やっぱり不安である。でも、ずっと、「這ってでも行く。」 と述べ続けて来たのであるから、行けないわけがないし、行かないわけがない。

 山に行けなくなったら、仕事もHPも終わりである。もしかしたら、人生の大方が終わりであるといっても過言ではない。だから、何としても行くし、過去にも何回となくあったが、行き続けていると、何となく、そのようになったような気がする。

 低山であろうが、高所までへ乗り物であろうが行き続けたい。もう悪い事は考えないでおこう。何でも良い方に考えた方が、暗くならないでいい。明るいのが一番である。そして、素人であるが、膝のまわりの筋肉を鍛え直さなくてはと思うのである。



2/24 やっぱり膝が痛い。触ると痛いし、深く曲げると痛い。階段にも違和感がある。しかし、痛いと言っても、それ程大袈裟な痛みでもないし、生活に支障があるわけでもない。ちょっと、休めば落ち着くような気配である。

 以前、どのような状態だったか、何処でだったか忘れてしまったが、「花じい」に、「元さん、それでは膝が痛いだろう。」 と言われた事がある。「どうして? どうして分かるの?」 と問うたら、「膝の骨が、そんなに尖っているもの?」 の説明に、そうなのかと、妙に頷いた事をはっきり覚えている。

 膝の皿なのか、何処なのか、すり減ったのか、傷付いたのか分からないが、異変が生じている事は間違いないようである。「お歳ですから・・」 とか、「老化現象」 の文言は、イヤで仕方がないが、認めざるを得なくなって来ているのは確かのようだ!



2/23 「今日は降らない。」 さて、この時間帯で、大辻山へ出掛けるには、8号線と常願寺川堤防、もしくは、359線と広域農道など、どの道を経由しようかと思っていても、子供達(孫)の事であり、なかなか事が運ばない。結局、今日も、立山少年の家をスタートしたのは、午前10時に5分前であった。

 腐った雪を想定していたが、思ったより歩きやすく、今日のものであるスノーシューのトレースがあった。途中、それをカットして、直接長尾峠に上がった。それから長尾山を経由して大辻山頂上を目指したのであるが、このところ、何処の山も例年より雪量が多く、何だか雰囲気が違うようにさえ思える。そんな事で、急登箇所などは、意外とそうでもなく感じるのである。

 「午後1時頃まで、山頂に着かないと、休憩時間が少なくなるよ!」 と「山ノ神」へのプレッシャーを掛けていたところに、山頂から降りて来られた男性がいた。河原氏であった。私達が大辻山へ出掛ける事を知り、山頂で待っておられたようであったが、雨が降り出したからと、降りて来られたところに、我々と出会ったようである。立ち話で終わってしまって、申し訳なく、そして残念であった。

 全く何にも見えない大辻山頂であったが、簡単であっても、やはり食事をせねばならない。となると、小規模であっても、ベンチ・テーブルを造らなくてはならない。もう、そうしなければならないようになってしまっているのかもしれない。

 そうしている間に午後2時20分になってしまった。長尾山の登り返しを避け、林道に出て長尾峠に出た。雪量が多いだけに、何処から登っても降りても大丈夫と思う程である。さて、林道を伝って戻れば、大体の時間を掴めるのであるが、欲が出て、トレースのない前長尾山経由での下山の方法をとった。

 往路で、「山ノ神」が、「前長尾山経由で長尾峠はどうか?」 と言ったからかもしれないが、復路で利用は、保育所への迎えに、かなりのリスクがあったが、迷う事もなく、城前峠に辿り着く事が出来た。もっとも、前長尾山からは、うっすらと、トレースらしいものがあったのにも、少々助けられた感はあった。保育所の迎えは、ギリギリセーフ。まだまだ、こんなような事が続きそうである。



2/22 明日のお天気は、当初予想していたよりは上方修正?されたようで、朝方までは雨が上がるようである。同じ所ばかりもイヤだから、久し振りに大辻山へ出掛けようと思っている。気温が高いようであるから、腐って歩きにくいかも知れないし、いつもの時間内に収まるかどうか分からない。

 それはそれで、歩く事に意義を感じているのであるから、山頂に届かなくても仕方がない。トレーニングジムに行くつもりで行く。でも、お天気は、起きてみなければ分からない。「でも、行くんだろう?」 の声が聞こえて来そうだ。



2/21 今日は良い天気だった。明日の夜から崩れるようで、明後日は、「曇り時々雨」 雨予報で気温が高かければ、低山では、そのまま雨。良くても、いや悪ければミゾレである。「何処へ行こう? 止めようか?」 と問いかければ、「行かないわけ無いでしょう。」 だって。

 低山であっても、雪山の雨は決して楽しくはない。こんな日は、他の事に時間を費やしても良いと思うのだが、結局は山に行ってしまう。それは、下界で解放してくれれば、そのような道も考えるのであるが・・・



2/20 ずっと行きそびれている山に、戸田峰・黒菱山・早乙女岳や大平川からの初雪山などがある。大地などは辛うじて繋いでいるが、時間的制約があっては仕方がない。時々、解放される?日があるが、やっぱりお天気などの条件や雪の状態なども有り、なかなか思うようにならないのである。

 下調べをし、地形図を片手に登った山だけに、その達成感というのは、今と随分違うような気がするし、また、同行の諸氏との思い出が、深く胸に刻み込まれているからかもしれない。過ぎた日は戻らないが、共通の想い出でも有り財産でもある。

 大猫山も遠ざかりつつある。ゲートが出来て余計な時間を要するようになったからである。速く歩けば良いのかもしれないが、「山ノ神」というハードルもある。そんな事を述べている内は、まだいいのかもしれない。膝や腰が痛いと言って登れなくなるのだから・・・・



2/19 先日違和感を覚えた膝痛は何ともないようだ。もしかしたら疲労からの痛みだったのかもしれない。僅か、あの2日間の歩行で痛みを感じたのだったら、自分も弱くなったものだと言わざるを得ない。

 それよりも気になる事は、あんなに食べているのに体重が減る傾向にある。そして、短時間に食べ過ぎると腹痛を催すようになった。体重計に乗る毎に、これより体重が増えたらダメと思う限界があったが、針が反対方向へ動くようになってきている。  やっぱり、何処か可笑しいのであろう。



2/18 北陸新幹線3/14開通で、切符(乗車券)を入手するのに、かなりフィーバーしたようだが、ムコ殿も始発ではないが、開通当日の乗車券を確保したようである。それは、鉄道マニアというのではなく、私達の大地・初雪山行きの日程に合わせての計らいのようである。

 これで、来月の第3日曜・月曜日の予定が決定で、後はお天気次第になる。「お天気が悪くても行くのか?」 と「山ノ神」に問われたが、「2日間とも雨でなければ行く。」 「何だったら、君は自宅待機、或いは、ムコ殿を含めた皆で楽しんでもいいよ!」 と言ったが、後々の事もあり、イントネーションの使い方や間を充分考慮したつもり。

 最近は、一年に一度はと思っていた剱岳も、だんだんと遠のいていくし、大地・初雪山方面へが、一番の楽しみになってきている。もしかしたら、初雪山ではなく、大地から眺める初雪山が好きなのかも知れないし、また、大地の山域にいる事だけで満足なのかも知れない。趣向は常に変わるから、そうとも言い切れないが・・・



2/17 周囲にいる元気者には到底叶わないにしても、私だって、20年程前までは、「下りのゲンゾウ」 と言われた事がある。「昔は元気だった!」 は、ロートルの共通の戯言であるが、耳を傾けてくれたりすると、すぐに心がハイになり、幻想・錯覚の類いになる。

 土倉山の翌日の高落場山でも、面白いからと、飛び跳ねるようにトレースの無い斜面を駈け降りていたら、「ズキッ-」 と、膝に何かが走ったような違和感を覚えた。イヤな感じであったが、歩く事には支障がない。ずっと以前に、転倒してから、膝が可笑しくなり、それとは関係がないと思うのだが、最近は股関節が不都合だった。

 とは言え、飛び降りたりすると、瞬時であるが激痛を覚えたのが、最近はそのような事があまりなかった。ちょっとした事をきっかけに、何処が可笑しくなっても仕方がない年齢だけに、気がはやっても、もうちょっと、それなりにしていなければ、長持ちしないかもしれない。



2/16 スタートが遅くとも、前日の?、そして、先行者のトレースに助けられ、難なく高落場山の山頂に辿り着く事が出来た。素晴らしい展望が飛び込んで来たところに、「一人?」 と声を掛けられた。「えぇ~」 と思ったが、俵先輩だった。何年ぶりだろう。 

 そして、その先にいた女性から、「お待ちしていました。」 と、またまた声を掛けてもらった。石川の盛田女史である。何年か前、蓮華温泉から白馬岳をピストンした時も、山頂で同じように声を掛けてもらったのである。「どうしてだろう?」 もしかしたら、1~2日前HPに「高落場山」と記していたからかもしれない。でも、そんな事はどうでもよい事で、兎に角嬉しかった。

 先を急ぐ彼らを見送ってから、イヤというほど大展望を楽しんだ。「山ノ神」は、相変わらずハイテンションであるが、こちらは、何杯かのコーヒーを片手に、立ったり座ったり、また、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり・・・

 大好きな降りは、トレースの無い所を面白いように駈け降りる事が出来た。でも、大失敗をしてしまった。15回目の高落場山であったから、立派なトレースがあるし、間違う筈がないと思っていたからいけなかったのかもしれないが、928mの標高点より130~140mくらい夫婦滝方面へ降りてしまったのであった。

 たまたま私達よりも先に迷い込んだ富山からの男性に「間違った。」 との悲痛とも取れる叫び声を聞き、まっすぐ降りた斜面を、戻り返さなければならない羽目になってしまったのである。そして、今回は、目もくれなかったGPSに助けられたのである。自分の感など、あてにならないものだね。あんなところ、どうして間違ったのだろう。



2/15 天候と馬場島公園線の除雪状況の不安を抱えてのハレルヤ山行であったが、助っ人(岩城君ともう一人の堀君)の惚れ惚れするような激ラッセルに、我々8名は、山頂に立てたのであった。雪量は多く、大倉山への合流点手前(1,300m付近)の核心部(壁)も何処にあるか分からない程。

 景色もなく、唯歩くだけであったが、激励・気遣い・感謝など、日常では、あまりない人との触れ合いが溢れ、山頂に至っては、いや、下山後に、その達成感が漂ってきたのではなかろうか? 「お天気の良い時に、また来たい。」 「また、あの人達と一緒したい。」 などと、日を追うごとに思うのは間違いないように思う。



2/14 今日は、降ったり止んだり、時には、晴れ間が覗くお天気となった。昨夜来の降雪も思ったほどでなく、ホッとしていたが、明日の山行の担当者としては、不安いっぱいの模様である。でも、馬場島公園線を走れる限り決行である。



2/13 私は、明後日のハレルヤの企画担当である。予報は、「盛んに降る降る。」 と言っている。でも、私は、あまり大量に降らないと思っているが、明日になって見なければ分からないし、平野部で少なくとも、山沿いで多いかもしれない。

 降雪量も、気になるところであるが、道路の除雪が一番気に掛かるのである。そんな事は、天に任せ朝起きてから決めればいいことなのかもしれない。車が通れば、例え山頂に届かなくても、チャレンジしてみた気持ちでいるが、これも、私一存ではなく、同志に聞いてみなければならない。

 今のところ、参加者が少ない。(7名)  ラッセル・団らん、そして、静かな山を楽しむには最適なような気がするが、如何なものだろうか? 私は、かねがね 「4~6名くらいが一番いい。」 などと言っているが、激ラッセルが待ち構えているだけに、今回は、ちょうどいいくらいなんだが・・・ 後は、お天気だけである。



2/12 月一の有志の集いがあった。一つ年上の方が3人、そして、同い歳が3人の会なのであるが、最近は、「ここが痛い。あそこが悪い。」 という話が多くなった。やはり多いのは、腰痛、そして、膝痛である。私は、言っても始まらないと思っているから、あまりそのような話には入っていかない。そして、聞き役に徹している。

 内の話になると、分かる筈がないし、気休めを求めての話に違いないから、「そうかもしれないね。」 になってしまう。元気そうに見えても、60代後半に入ると、このようなものかもしれない。私にも、いろいろと都合の悪い所があるが、言ってもしょうがないと思っているのは、「自分の弱みを見せていいわけない。」 との理由からでもある。

 後は、自主治癒力を信じるのと、気力だと思っている。専門家に見てもらっても、治らないものは治らないし、ダメなものはダメと思っているからに他ならない。人の心は弱いもので、誰かにすがりたいとか、聞いてもらいたいものである。本当に聞いてもらえる人を見付けるには、それ相当の目利きがいるような気がする。



2/11 車検が切れる頃に、20万キロか乗り始めて満15年になると思っている。まだ13ヶ月ある。その間に、新車購入になればと思っているが、我が家の財布状況からして、どのような車を買うにしても大変のような気がする。いや、買えないような気がする。

 中古車でも、4WDとなると、「へぇ~」 というくらい高い。もしかしたら、最後の車になるかもしれないし、軽四・4WD・中古車など、どれになろうが、慎重に選びたいと思っている。でも、最悪の場合、もう一度車検を取らなければいけないかもしれない。轟音を気にせず、エンジン警告灯が点ろうが・・・・



2/10 山から戻ってから、明日の事を思うと、少しでも除雪しておかなくてはと精出したのであるが、小一時間もしない内に、入浴と食事の誘惑に負けて止めてしまった。その代償ではないが、今朝起きてみて、膝まで沈む積雪にビックリである。今年から、前道路の消雪装置の稼働で、かなり楽になったように思うが、駐車場の雪は、積み上げなければならないので、山であれだけ深く掘っていても、下界ではうんざりである。

 「私の寝室」 と言っても8畳の何にも無い部屋であるが、とうとう4℃を切った。戸が2枚ないから、あぺぴっろげと変わらないと思うのだが、私が寝るために2階に上げって、しばらくすると、3.9℃が4・1℃になった。それでも、今朝温度計を見ると、3.8℃になっていた。

 山中では、意外と薄着に耐えているのであるが、家に戻ると、どうもダメで、たくさん着込まなければいけない。だから、「寒い。」と言っては、山用品のお世話になる事が多い。今年は、まだペットボトルのお世話になっていない。インフルエンザも、今のところ大丈夫である。血圧降下剤を飲まなくなって、来月末で一年になる。でも、これは自慢にはならない。



2/9 大雪のため、行き先を塔倉山から小佐波御前山に換えてみたものの、猿倉駐車場に集ってから、意外と雪量が多くなく、ならばと、元の塔倉山に向かう事になった。しかし、仲間の車のトラブルや予想を超える雪量に、登山口の長倉集落スタートが午前11時となってしまった。

 「この時間からでは、私の帰らなければならない時間を考えると、山頂には届かないだろう。」 と、塔倉山に精通している「北ちゃん」の発言であったが、その「北ちゃん」の激ラッセルに助けられ、山頂が踏めたのである。

 「山頂が踏めなくても、シェルター造りに拘ろう。」 お互いそんな思いが共通だっただけに、時間の経つのを忘れるかのように没頭してしまった。その甲斐もあり、また、出入り口の工夫もあって、本当に温かい雪の部屋が出来たのである。やはり4~6人用程度のシェルターが、コンパクトで、造りやすいように思う。

 4台のコンロで、思い思いの食材作りが行われ、その間、楽しい話題で和んだのである。いつもは、お腹いっぱいに食してしまうのであるが、「ちょっと、反省。」 の文言は、私達の帰りの時間を意識してもらっての発言でもあり、とても有り難い事であった。暖かいコーヒーを頂いてお開きとしたのである。

 それでも、タープの撤収、また記念撮影などで、どんどん時間が過ぎていったが、その意識とスリリングな降りと相まって、なんとか、それ相当の時間に車まで辿り付かせてもらった。ワイパーゴムの故障(拭き取らない)を、気に掛けての運転になったが、その緊張が眠気を催す事なく、保育所への迎えに遅れはしたものの、無事帰れたのでした。



2/8 予報通り、午後から降り出し風も付いてきた。明日は、一日中雪模様らしいが、もしかしたら、今晩から降り出すのかもしれない。明日は病気(好山病)に掛かっている人達との山行だけに中止になるはずがない。それよりも、立派なシェルターを造らなければと、息巻いているようにさえ感じられるのだから楽しい。

 その先の予報も「曇り時々雪」の予報が、ハレルヤ山行日まで続いている。一週間ずっと続くとは考えにくいが、お天気の事だから分からない。「当日だけでも、晴れてくれればいいのに・・・」 と祈るしかないようだ!



2/7 亡くなって21年になる父の物を、なかなか処分仕切れないでいる。書や絵を嗜んだ人だけに、その作品が、たくさんあるからである。日記などは、亡くなる3日前まで記していただけに、子として、蔑ろにするのが忍びがたいからでもある。でも、私の子供達(孫)からしてみれば、無用の物かもしれない。

 だから、子がしなければと思うのだが、なかなか事が進まない。そんな事を思っている中、私の物は、どうなんだろうと思ってしまった。私が大事な物でも、子供達にすれば、全くいらないものかもしれない。ならば、私の物も、早々に片付けておかなければならないのでは・・・・

 まだ、ずっと、元気に生きる人にしてみれば、「何を今から・・」 となるのであろうが、少しは考えていなければいけないような気がする。そのような中、8つ年上の池田氏から、「立山山麓でスキーを楽しん来た。」 というメールをもらった。

 「元気をもらった。」 ような感じになった。「まだまだ・・」 と思うようにしなければならないようだ。有終の美も良いが、目一杯生き抜くのが一番のような気がする。まだ、やりたい事がいっぱいあるのだから・・・・



2/6 HPを開設してから今日で15年。何だか、あっという間に過ぎた感じである。当時は、どうしたら検索エンジンに引っかかるのかと、仲間達と一生懸命模索していた事を思い出す。今は、UPしたら、すぐにでも見付かるようであるから、時代は変わったと思わざるを得ない。

 当欄は、開設した11月頃から始めていたようであるが、毎日削除していたと記してある。今では、随分と、ずぼらになってしまったが、当時は、山から戻ったら、その日の内に、その状況をUPしていたものだった。そのような事から、我がHPを通じて、いろいろな方々と知り合いになり、いろいろな事を教えてもらった。

 今は、いろいろなタブレットが出回り、瞬時に情報が伝わる時代でもあるから、特別な事をやっているわけでもない私などは、もう用済みのようなものであるが、山に出掛けている間は、なかなか切る事が出来ないでいる。

 毎日更新に拘らず、中身の濃いものにしなければなどと思わないでもないが、古く固まってしまっている頭が機能しないから仕方がない。そして、必然と我がHPを訪れて下さる方が、少なくなるは当たり前の事であり、悲しい事でもない。

 出来る限り、そっと、さり気なく続けていけたらと思っている。幸いこの15年間、誹謗中傷など一回も無かった。その中で、「女性をないがしにしている。」 「山ノ神を何だと思っている。」 などの苦情と思えるものが少々あったが、私は愛嬌ととらえている。



2/5 昨日のお昼過ぎ、保育所から、上の孫(5歳)が嘔吐したからと迎えを頼まれた。何でも所内では胃腸炎が流行っているらしかった。そんなわけで、可哀想にも上の孫は、元気がイマイチなので保育所をお休みしている。

 まあ~、このような事は、預かっている以上想定内なのであるが、これが、私達の休日になると、いっぺんに憂鬱になる。特に約束をしているとなると尚更である。しかし、小さい子達は、何か行事があると、それを見透かしたように熱を出したりする。

 「本当に何でだろう。」 と思わざるを得ない。その約束をしていた場合であるが、どちらが行けば納得してもらえるかを考える訳であるが、山行の場合は, 私に一日の長がある。しかし、戻ってからの雰囲気は相変わらず良くない。今度の休日までは、問題なく快復する事だろうから、その心配は少ない。



2/4 大地に100回とは言わないけれど、50回は登れるだろうか? 如何に大好きな山であっても、限られた期間に 何回も行けないのである。多い時は、3週連続で5回出掛けた年もあるが、最近は、家庭環境からしてなかなか難しい。高岡を午前8時に発って、午後6時までに戻らなければならないからである。

 50回という数字は、自分への励ましでもあるし、それだけ惚れ込んでいる証でもある。その先の初雪山へとなると、ぐっと回数が減る事になる。キャンプをしなければ、その時期も限られるし、雪が無い(少ない)初雪山には興味が薄れてしまう。

 この時期に限って、「山ノ神」が、保育所への送迎を担ってくれれば、自ずからその目的に近付くのであるが、後の報復が恐ろしく、私から、引導を渡す事など出来ない。それ故に、置かれた環境下で目的を達成する事こそ、意義があるのかもしれない。

 3月には、今年もキャンプで、大地・初雪山を計画している。日帰りも可能なのであるが、やはり、朝夕には、言葉には表せない山の雰囲気がある。悪天に見舞われれば、元も子もないが、それでも、山懐で過ごす時間は何物にも代えがたい。



2/3 保育所の送迎を免除された。そうなれば、「大地山に行かなければ・・」 となる。夢創塾からの急斜面にも、雪がビッシリと着いており、好条件かと思われたが、始めはモナカ雪、そして、雪が深くなっていった。何せ、鍋倉山まで3時間15分を要してしまったのだから、その歩きぶりが分かるというもの。

 「いつ止めてもいい。」 と言う「山ノ神」を振り切って、先に進むのは言うまでもない。雪量が多いせいか、いつもの雰囲気と違うように思える事がしばしば・・。急登と思える箇所が、そうでもなく、楽に歩けると思う所が、意外にも足がもたついたりした。

 「もう歩けない。」 と「山ノ神」が言ったのは、午後0時30分。鍋平(970m辺り)より、ちょっと上がった山頂付近を望める所で、風雪を凌げるように、背丈ほどの穴を掘って、タープを張り待機場所にして、私だけが山頂を目指す事になった。その間20分間。

 設営用具や炊事用具を外せば、水を得た魚のように(笑)に足が動いた。海側の展望はあっても、山側は全く展望がなかったが、それでも、何枚も写真を撮りながら歩いた。以前、踏み抜いた事のある雪庇箇所では、慎重になったが、雪量が多いだけに怖くはなかった。990mからの歩きであったが、40分で山頂に達する事が出来た。

 山頂滞在は5~10分。すぐに降りた。何せお腹が空いてどうしようもなかったからである。降りるのは早いもので、15分もあれば充分で、カップ麺に有り付けた。降り始めたのは、午後2時20分だったから、またヘッデンのお世話になるのかと思っていたが、「山ノ神」の踏ん張りに2時間で夢創塾に辿り着いたのである。もちろん、その先に林道歩きがあったが・・・



2/2 予報も、そうであったが、あまり期待出来ないと思い小佐波御前山とした。一週間前から、双方、必要な事以外口を効かない事が続いていても、山行に合わせて来るのだから可笑しなもんだ。立派なトレースがあったが、なるべくそれを踏まないように歩いた。

 今日は、北アの山々こそ眺められなかったが、平野部はスッキリと眺められるとあって、避難小屋には入らず、簡単なシェルターを造った。日帰りの山では飲まない私は、途中で、シュークリームと、ちっちゃなケーキを買い込んできた。たまには、それくらいの贅沢は許されても良いと思ったからである。

 でも、本当は、どうなんだろう? 食を少なくして、クタクタになるまで歩いた方が、身体には良いように思う。家に帰って、飲むのが楽しみなのであるが、そうしてしまう自分の身体は、元の木阿弥というところだろう。



2/1 今年に入ってから、自宅前道路の消雪装置が再稼働した。ヒュンヒュンと水が出るでもないが、あるとないではの雲泥の差を実感をした。他に駐車場や裏道路などの除雪をしなければならないし、それらには捨て場がないだけに積み上げなければならない。

 その作業は、一年一年辛くなっていくだけに、自宅前の道路分だけでも楽になり、ホッとしている。しかし、どれだけの負担金が課せられるのだろうという心配の種もある。