9/30 かなり磨り減っている靴下の現状を鑑み、量販店で3点ばかり購入してきた。そして、この時ばかりと、紛失していたサングラスの代替も求めた。どれも、現在の財布状況を考えれば、安価なものばかりである。それでも、必要に迫られていたものばかりであるから、今はホッとしている。

 欲しいものは、山ほどあり切りが無い。しかし、これだけはと思う物以外は我慢するしかない。といっても、これがなくてはという物は、どないしても求めなければ山には行けない。そこが辛いところでもある。そうして、何十年過ごしてきたのであるが、体力・技量が衰えてきている昨今、尚更装備を吟味しなければいけないし、そうでなければ、行かない方がいいし、その資格がないのかもしれない。



9/29 「山ノ神」の話によると、昨日は、友人二人と医王山へ行って来たようであった。こちらの話は、「あっ、そう。」 くらいにしか聞かない事もあり多くは喋らなかった。「北ア方面にガスが掛かっていたから、必ずしも、ピーカンといかなかったのでは・・」 と付け加えていたが、「そうでも無かったよ」 としか私も言わなかった。

 昨日は、たくさん歩いたが、左程足の痛みは無かったし、睡眠不足があるものの、それ程疲労感はない。それは、もしかしたら、ここ2~3回は、それなりの歩きをこなしているからかもしれない。何事も ”慣れ” なのかもしれない。



9/28 午前2時自宅発。一昨日届いた車の操作がよく分からないまま。そして、経費節減の為、往復共下道。でも、行きたいのだから仕方がない。蓮華温泉に着いたら気温は7℃で結構寒い。混んではいなかったが、駐車する場所選びに戸惑って、スタートが5時を回ってしまった。

 でも、今日は自由の身であるからして、速く歩こうが、ゆっくり歩こうが、また、カメラを構えようがいいのである。白馬大池までは予定通り。一眼レフを、ザックから取り出したり、入れたりしていたが、面倒になって手に持って歩く事にした。

 と言っても、ちょっと行っては立ち止まり、立ち止まっては、フェンダーを覗いていては、ペースが捗らない。でも、後からと思って撮れなかった事が多いだけに、それを優先する。「陽が当たった。」 「雲が湧いた。」 といってはシャッターを切っていたのである。家に帰って、PCに落としてみれば、コンパクトカメラと合わせて、470回シャッターを切っていた。

 船越の頭辺りまでは、振り返っては白馬大池、そして、高度に合わせて形を変えていく雪倉岳が中心であったが、その先は、小蓮華山への稜線、そして、山頂から延びる杓子岳・白馬鑓ヶ岳が存在感を漂わせて来る。「あぁ、鹿島が・・」 などと、その先の名峰も浮かび上がってくる。

 小蓮華山辺りに来ると、三国境から山頂へ荒々しさが間近に迫ってくるし、旭岳や清水岳方面の山々が湧き上がるガスに、その神秘さを強く印象付けるのであった。そして、陽が当たれば、紅葉の鮮やかさに目を奪われてしまうのであった。

 そんなにしていても、山頂へのアプローチは予定以内であった。しかし、風が強く、じっとしていては、手や口が悴んでしまうほど低温であった。急激に体温を奪われては、話すのにも支障が出るし、足を伸ばしたりすると攣りそうな状態でもあった。

 そんな山頂に長居する事もなく、来た道を辿ったのである。明るい内に蓮華温泉へどころか、平岩、イヤイヤ、富山県に入るまで明るかったのは、近年にない事であった。



9/27 不思議だ!下の孫が急快復である。何とも言えないが、私の出発時に何事もなければ決行である。しかし、往復とも下道だし、恐らく、今晩もあまり眠れないから、しんどいものになるのは覚悟しておかなければならない。真夏と違って、夜明けが遅いし、日没も早い。もしかしたら、山頂に達し得ないかもしれないが、それでも行きたい。ずっと、お天気であって欲しい。(恒例の蓮華温泉から白馬岳)



9/26 ここ2日間、山への憧憬を語ったが、怪しくなって来た。下の孫(エリー)の様子が可笑しいのである。咳き込み食欲がない状態では、保育所の通園もままならないような気がするからである。当日は、「山ノ神」が、友人との山行計画があり、もしかしたら、私が孫守をしなければならなくなるからである。

 「自由の身になった。」 と、喜んでいたのに、「誰かと約束をしているか?」 と問われ、「今のところ、誰とも・・」 となれば、約束している「山ノ神」に、優先権が出来てしまうのは仕方がないところでは? でも、まだ望みは捨てていない。孫の急快復を期待したい。



9/25 「休日は山に・・」 は、高山・低山、遠出・近間を意識しなければ、元日以来皆勤である。そして、このままであれば、久し振りに 「全休日山へ・・」 が可能である。「そんな事はどうでもいいのに・・」 なのであるが、唯々、ライフスタイルを崩したくないのである。

 そして、出来れば、「行ってみたい山」 「大好きな山」 へ行ければ最高である。でも、それは欲というものだから、「行ける時に行く。」 しかない。天候や相棒に恵まれ、気ままに歩く事が出来れば言う事なし。でも、なかなかだね!



9/24 今度の休日(9/28月曜日)は、「山ノ神」に所用があり、単独行が許される。予報は、まずまずであるから、薬師岳 or 大猫山・猫又山辺りを狙っている。でも、ピーカン確実で、未明発が可能なら、今年行きそびれている白馬岳も考えたい。

 「老骨に鞭打って、辛い目をしなくても・・」 なのであるが、「今しかない。」 「そうそう、自由な時間がない。」 などの他に、目一杯のチャレンジなのである。「ゆっくり楽しみながら・・」 は、重々承知していても、時々、張り詰めたり、延ばすものを延ばしておかないと、楽に甘んじてしまいそうだから・・・・  「冷や水」 と言われないように心掛けておくのは忘れません。



9/23 金曜日の夜から来ていたムコ殿が、今夕帰京した。入れ替わりに大阪の長男がやって来た。賑やかなのは良いのだが、ライフスタイルが崩れるのだけは難である。それは、「食べ過ぎ・飲み過ぎ」の類いなのだから、節制がないだけの事で、自分が悪いだけの事である。

 先日の連続山行(白山・大日岳)で、身が軽くなったのも束の間で、また元に戻ってしまった。少しくらいの運動では、ウエイトに大した影響は無く、食べない・食べ過ぎないが一番である。ハードな山行は、ミニ断食の意味合い有り。



9/22 今年の紅葉は、例年より一週間程早いようである。それは、自然の事であり、雪が早い遅いと言うのと同じである。老いも自然で有り、なだらかに道筋通りならいいのであるが、時折思わぬ病やケガで、人生を狂わせてしまう事がある。

 そのリスクを如何に少なくするのかが、これからの人生に寄与する筈。「節制や鍛錬を怠るな!」 は、簡単なようでなかなかである。勾配の強い山道を歩いていたら、元気な高齢者と思われる方が登って来た。何度か抜きつ抜かれつになった折、お互いの歳を確かめ合う事になる。相手様は、私より五つも六つも年下である事が分かり、複雑な気持ちになる。

 年相応な歩きに心掛けているが、相手様も、私を「年老いた人」 と感じているに違いない。「年寄りばかり・・」 の中に、自分も含まれているのは間違いない。何かあると、「あの年寄りが・・」 となる事受け合い。そんな事にならないように気を付けて歩き続けたい。



9/21 大日岳の提案に、「行かない。」 と、言うに決まっていると思っていた「山ノ神」であったが、意外にも、「他の用事をキャンセルしてでも行く。」 と言ったのにはビックリであった。もう、私を一人にさせないという執念のようである。

 今の「山ノ神」では、6時間は掛かると思っていたが、意外にも順調で、5時間で行けるのでは思う程であった。しかし、最後には、ペースダウンし、コルで止めると言い出した。でも、途中から一緒した人達と共に山頂を踏んだ。

 山頂では、「山ノ神」恒例の点滴儀式を欠かす事はない。日帰り組は、皆去ってしまい、相変わらずのしんがりである。でも、4時間があれば何とかなると高を括っていたが、「山ノ神」苦手な牛首の前後で時間の食ってしまった。

 登山口到着が午後5時47分。駐車場発が5時55分。これなら大丈夫だと車を飛ばしたが、ゲートが閉まっているではないか! しかし、施錠した人の車が、未だゲート前に止まっていたから、「まだ20秒前ではないですか?」 と問いかけたら、ゲートを解除してくださった。

 登山靴を履いたまま、もちろん着替えもせず、一目散でゲートに向かったのであったから、通過後、立山駅の臨時駐車場で、靴を脱いだ。そんな時、DOI女史に声を掛けてもらった。ニッコリと微笑んでもらい、緊張感がいっぺんに吹き飛んだような気がした。

 

9/20 下道とは言え、今日はゆっくり、そして、早く帰宅出来ると読んでいたのに、またまた暗くなっての下山。超スピード(車)で帰っても、午後8時40分くらいになってしまった。今年、長い間通行止めになっていた平瀬道から白山へ入山。新しく舗装された駐車場もいっぱいだった。

 「ちょっと早いかな?」 と思っていた紅葉であるが、大倉山を過ぎる辺りから、ボツボツ始まっていた。「お天気が約束されていた。」 が、次から次へとやって来るガスに、その彩りは必ずしも、「良い」とは思えなかったが、山頂に登る途中から振り返ると、それはなかなかのものであった。時折であるが、陽が差せば、「GOOD」 である。

 いつもなら、室堂で止めてしまう「山ノ神」を、山頂まで誘導したのが、裏目に出たのかもしれないが、またまた暗くなってしまった。しかし、カンクラ雪渓~大倉山間で、あまり、はっきりしたものではなかったが、「ブロッケン」 のおまけがあった。



9/19 「なるべく遠い所に車を止めて歩くのだ。」 という人がある。「一駅手前で降りて職場まで歩く。」 という人もある。もちろん、健康のためである。「トイレが近い。」 と言う人に、介護の人が、「リハビリだと思えば・・」 と聞いた事がある。

 すべて、後々の事を考えての事だと思う。物忘れが多く、行ったり来たりする事が多くなった私であるが、頭の事は別にして、、これも、リハビリと考えればいいのだろうか? 今日のお昼もカレーだった。夜は、この連休で来高したムコ殿の事もあり、4日振りにビールを飲んだ。道が付けばドンドン入っていくが、「自重」 は未だ効く段階である。



9/18 16日の夜に始まり、昨日の17日は、朝昼晩と3食、そして、今日の昼もカレーが続いた。「今日は飲むのか?」 と聞かれ、その雰囲気に引き摺られ、「飲まない。」 と言ったら、「カレーは食べないよね!」 と問われた。

 「なんぼ、カレーが好きでも、ちょっと酷くないか?」 と言えば、「1回粉飾している。」 と言い返す。でも、その後の会話は続かない。娘は、仕事で未だ帰っていなく、何時もと違った雰囲気(酒は飲まない。お互い黙って話さない。)に、上の孫は何かを感じているようだ。



9/17 本来なら、今度の連休(9/20~9/21)の計画が出来上がっていなければならないのに、そのような雰囲気が掻き消された状態である。世は、安保法案で揉めているが、我が家では、内戦、いや、例によってダンマリだから、冷たい戦争と言った方がいいのかもしれない。

 もう一日休みをもらって、飯豊山 or 南アの赤石岳・荒沢岳辺り、それがダメなら、以東岳かイブリ差岳、そして、近間なら大池キャンプの白馬岳、イザとなれば雷鳥沢キャンプなどと思っていたが、いっぺんに何もかも吹っ飛んでしまった。

 理由は分からない。こっちまで、余計な事を喋らなくなってしまって雰囲気は非常に悪い。こんな状態で、一緒に旅する気になれない。日帰りもあるのだから、そう悲観する事もない。



9/16 私はタバコを吸わないが、酒・タバコは毒だと思っている。飲む飲まないは別にして、その毒に負けるようになったら、お終いだと思っている。夜中に、ちょっと引っかかる事があったので、起きてから、「山ノ神」に、「今晩は飲まない。」 と告げた。

 今は、娘や孫を含め5人暮らしであるが、2年半前までは、「白米はお昼まで。」 で、夜になって、「飲まない。」 と言っても、いわゆるご飯がない生活を送っていた。私が飲まないという事で、ライフスタイルが変わるのであるから、「山ノ神」にしてみれば厄介極まりない事に違いない。

 1日に、3~4回飲むコーヒーも1回にした。夕飯を頂いている時に娘が帰って来て、開口一番 「どうしたの?」 であった。それ程、我が家では、”夜は酒を飲む。” が定着しているのであるから、非日常となれば、「どうして?」と心配になるのであろう。

 特別大酒飲みではないが、お酒(アルコール)を、こよなく愛す私であるが、出来れば、楽しく愉快で有りたいと思っている。悲しい時、悔しい時にも飲んだ事もあるが、ちっとも美味しくなかった。

 車の運転が出来なくなれば、8割方人生は終わりだと思っている。お酒が飲めなくなれば、9割方アウトのような気がする。ちょっとの症状であっても、後々尾を引くかもしれないが、医者嫌いなのだから仕方がない。危ない判断と自己治癒力に頼るしかない。

 今日は、「飲もうか飲むまいか、迷うところである。」 飲めば、家族も忘れてしまうであろうし、飲まなければ、「医者に行け!」 と煩く言われるに違いない。「山に行けなくなるよ!」 と言われれば、何とする?



9/15 車庫証明なる手続きをやって来た。やっぱりお役所への書類の複雑怪奇には参るが、よく見てみると意外と簡単である。と言っても、ディラーの協力を得てである。資金力の無い私には、「ケチられる所は全部。」 という方法で臨んだからであるが、人の手を介すという事は、それなりの事になる認識を改めて感じたのである。

 警察署へ、その書類を提出するついでに、何十年来の友人に出すバースデーカードを投函しようとポスト前に立った時、自分の名を書いてない事に気が付き、警察署に寄ってから、自宅に戻り改めて投函しようと思った。ところがである。警察署から、「ハガキを落としていかなかったか?」 との問い合わせがあり、「えぇ~」 と警察に駆け込んだ。

 差出人のないハガキなのであるが、先の証明には、私の名がいっぱい書いてあるのだから、「そこから足が付いた。(笑)」のであろう。でも、ハガキには記述が有り、それを読まれていると思うと、何だか恥ずかしく頭を掻きながら取りに行った次第である。

 <記述削除>

9/14 晴れるという予報だったのに、何だか黒い雲が立ち込めていて、どうなるのだろうと思っていたが、岐阜県に入ってから明るくなり、今回の登山口である安房峠10号カーブに着いた頃は、ピーカンを約束してくれたようなお天気に変わっていた。

 百名山狙いなのか、私達が着いた頃は、遠方からの車で溢れそうであった。午前8時前に、登山口をスタート出来た事もあり、何時もと違い余裕が漂った。しかし、快適な休憩ポイントを見付ける事が出来ず結果的には良いペースとなった。

 後方の山陰から乗鞍岳が、ぐーんと見えるようになった頃、「元ちゃ~ん」 と言う声が聞こえた。「えぇ~」 と振り返ると、駆け上がってくる女性が見えた。「わ~っ、宮ちゃん」 と叫んでしまった。「宮ちゃん」は、福井の5人パーティーで、登山口で私達の車を発見し、仲間をほったらかしにして、駆け上がって来たようであった。

 その「宮ちゃん」は、「今日は余裕の山行だから・・」 とタブレットを出し、盛んに写真を撮っていた。5月の大倉山以来であるから、「盆休は、何処へ行っていた?」 「今度は何処へ?」 など、山・山・ 山の話以外無い。

 山頂からは、穂高・槍・笠などがスッキリ見え、誰もが、「いいね!」 を連発していた。30分ほどして、福井のメンバーが上がって来られた。大田夫妻も一緒だった。「犬ヶ岳以来だろうか?」 「それとも大猫山以来だろうか?」 どちらにしても、久し振りである。

 福井パーティーの輪に入れてもらって、楽しい一時を過ごさせてもらったが、「あのお天気が、こんなになってしまうのか?」 と思う程真っ白になり、何もかも、がガスに覆われてしまった頃(午後0時半頃)、私達は、先に山を降りる事にした。



9/13 明日は、朝の拘束から解放される事になった。それでも、迎えの事もあり、「何処でも行ける。」 とはいかない。「山ノ神」に、 「行きたいところは?」 と問うと、「久し振りに焼岳」 との答えが返ってきた。

 いう事を聞いておれば、またいつか、こちらにもいい事があるだろうとの思いもある。来週の2日間は、娘の休日と重なるので解放される。最後の月曜日は、「山ノ神」自身の都合(他の友人との山行)で、完全自由がもらえそうである。

 この休日は、大事にしたいと思っているが、「お天気にならなければ、思い切った行動も出来ない。」 とは言うものの、特別の事が出来るわけがない。でも、気分的に楽である。そして、計画を練るのも楽しみの一つである。



9/12 「グレートトラバース・200名山一筆書き・東北~新潟18座に挑む。」 を見た。その中の「焼石岳」は、私達と同じで、雨風の中をタッチして、山頂から去った画像であった。でも、「東北の山は、7月に登れば、きれいなお花がいっぱい。」 とイメージそのものであった。

 何度となく東北を訪れているが、盆休を利用して日程だけに、お花とはあまり縁がない。もう少し時間の取れるようになってからでは、永遠に行けないような気がする。老後真っ只中であるのだから、「今の内に・・」 「元気な内に・・」 行かなければの気持ちが浮上してきた。



9/10 大雨で北関東では想像を絶するような被害の状況が映し出されていた。「気の毒でならない。」 こんな時に山に登っていると、大変な事になる。 ”50年に一度” なんだから、やっぱり我慢するより仕方がない。行っても面白くないハズ。

 しかし、災害や事故というものは、予期せぬ時に起こるものである。滑落・落石・雪崩・落雷や、増水・テントの吹き飛ばされ、雪渓の崩落・踏み抜き、ルートの迷い、熊との遭遇など、大小は別にして、いろいろな場面を経験してきた。「怖かった。」 「死ぬかと思った。」 は、何度となく有り、その都度、その経験を教訓としているが、防げないものもある。

 その手立ては、”怖いものには近付かない。” が、一番の方法かもしれない。 「死んだら終わり。」 「ケガしたら山に行けなくなる。」 そのようなリスクを、如何に回避するかに掛かって来るが、程々が一番なのかもしれない。

 

9/9 熊の事になると、俄然話したくなる。6年前、熊と睨み合いになった時、カメラを取りだして撮ったのであるが、それは、前々から、熊と遭遇した時に撮るという心積もりがあったから、上手く撮れたのかもしれない。(常に、首からぶら下げ、胸ポケットに・・)

 その時、新聞社から、クマの習性や私自身の行動などに対して取材を受けたが、「分からない。」 としか答えられなかった。それも事実で有り、いろいろな学説があるものの、それが本当かどうか分からないとも付け加えた。

 鳴り物が本当に効果あるのか、ゆっくり、後ずさりが良いのかは分からない。識者の言う事が、必ずしも正しいとは言えないのだから厄介なのである。事実クマに聞いた事があるわけがないし、統計上というのか、また、言い伝えに頼るしかないのも現状のような気がする。

 私は、牛岳で2回、大平山周辺で2回、有峰林道で2回、水無山・片貝川沿い・福井の山、そして、今回の小佐波御前山と計10回熊に遭遇したことになる。その内、間近で遭遇したのが7回で、そして、カメラを構えられたのが3回、実際に撮れたのが2回だけである。

 何時襲って来るか分からないのも事実であるが、大概あちら様は逃げるのである。でも、出会い頭だけは避けたい。だから、鳴り物が必要で有り、お喋りが有効のような気がする。しかし、これも分からないのである。音に寄って来る熊がいるかも知れないし、珍しい事に興味を持っているかもしれないし、聞いた事がないから誰も分からないのである。



9/8 雪の時しか行った事のない洞山だが、今冬(1/6)出掛けた時、あのナメコを思い出したのか、「山ノ神」の提案に乗っかった感じで庵谷に向かった。「こんなに急登だったか?」 の思いが大。そして、登山道沿いに電線コードが張り巡らされていた。新しい鉄塔に関しての作業用の物らしかった。

 途中、変な色をしたヘビが横切った。暫くして、別のヘビを踏んでしまったらしい。どちらかというとヘビが苦手な方であるが、「山ノ神」の前では、毅然した態度でなければ、すぐに撤退である。

 林道に出てからが厄介であった。雪の山では、シュートカットして、次の尾根に取り付くのが普通である。しかし、夏道は何処にあるのか分からなかった。林道を300mくらい(上)歩いたが見当たらない。それではと、今度は、反対側(下)を100mくらい進み、ミラーがある所に、点検道らしいものを見付けた。

 しかし、見るからの急登に「山ノ神」は止めようという。仕方がないので、下山を決意。林道経由を模索したが、とんでもない程歩かなければならないようで、来た道を戻る事となる。登山靴を履いたままで車に乗り小佐波御前山に行く事にする。

 展望レストラン(猿倉山経由)からのハズであったが、洞山で少し歩いたから、林道終点まで車を乗り入れる事にした。しかし、その林道は初めて入るようなものだから、何度となく道選びに迷ってしまった。

 歩き始めてすぐの獅子ヶ鼻への標識のある所で、突然、「ガオー」 と猛獣の声を聞いた。恐らく、クマがヤブからが登山道に出ようとしていた時に、私達が話し始めたものだから、クマが驚いて声を上げたと思えるのである。もちろん、鈴や凜を下げていたが、意外と人の声は、遠くまで聞こえるらしい。

 私は、首にぶら下げていたホイッスルを吹きまくった。そしたら、頭と足だけしか見えなかった黒い物体が、遠くへ消えていった。そのホイッスルであるが、なかなか、手でつかまえられなかったのだから、やっぱり動揺していた事になる。

 洞山のヘビに次いで、熊であるからして、「山ノ神」は、「それでも行くのか?」 と言いたげであったが、「もう出ないから・・」 と言うしかなかった。相変わらずの「山ノ神」の歩きであるが、今日ばかりは、何だか足早に見えたが、気のせいだったのであろうか?

 気になるような雨ではなかったが、視界を悪くするガスが掛かっていた。1時頃から2時頃まで、避難小屋(小佐波御前小屋)で、カップ麺の簡単な食事をして、コーヒーを嗜んだ。トイレに行ったと思っていた「山ノ神」が、なかなか戻って来なかった。

 「使えないくらいに汚れていた。」 らしく、その掃除をしていたようであった。残っている水を提供し、もう少し頑張ってもらい、落葉で汚れていた玄関も、きれいにしたのである。日頃の感謝の気持ちでもあるが、今日のいろいろな遭遇に対しての「お祓い」であったのかもしれない。



9/7 雨。ずっと雨。どうしようかと思っていたが、「山ノ神」にしても、「何処へも行かない筈がない。」 と、準備だけはしていた。行き先を決めるのに迷っていたが、昨日、池田氏から、「宝探しをした。」 とのメールを頂いていた事もあり、小降りになった頃合いに重い腰を上げ、鳥越峠から大辻山を目指した。

 元来、無雪期の大辻山を目指す時、一番ぬかるみの少ないルートだと思っている。例のお宝探しは、先人に取り付くされている感があったものの、執念で残り物を探すに至った。そして、掘り出し物が少なかったとしても、48回目の大辻山に意義もあった。

 小雨でも、あまり気にならなかった事もあり、山頂では、カップ麺やコーヒーを頂ける余裕があった。でも、ちょっとばかり、煩い虫がいたが、お愛嬌だと思えば、そんなに気にならない。今日は、チョッピリ時間があったので、富山街中の山用具店に足を運ぶ事が出来た。



9/6 私の連休(9/7~9/8)は、お天気が悪い予報で、かなり諦めている。でも、「何処かへ行く事だけは間違いなく、歩かなくては死んでしまう。」 などと、大袈裟な振る舞いをするから、娘などは、「明日は雨なんですけれど、何処かへお出掛け?」 と慇懃に問う。

 自由の効かない今度の連休より、シルバーウィーク中にある2日間連休とか、10月の体育の日のお天気が気に掛かる。まだまだ先の事であるし、これは、天にまかせるしかない。”紅葉は、あそこと此処” ”泊まれるなら、全体にあそこだ!” かなり自由を失った私にしてみれば、このように考えている時が一番楽しいのかもしれない。



9/5 「ルーの法則」 というのがある。うろ覚えであるが、「使わない筋肉は衰える。」 である。その説に感化されているわけではないが、「休日は山へ・・」 を実行している。でもである。その歩きによって動いている筋肉は、それりに意味をなしているかもしれないが、他の動かされていないものは、退化の一途を辿っているようである。

 躓く・転ぶにしても、その時の筋肉(といっていいのだろうか?)は、日頃動かされていないものであって、大概痛い目に遭う。その証拠に、運転席から後部座席の物を取ろうとして、身体を伸ばす時、誰しもが、その経験をしているのではないか?

 常時のトレーニングに、ちょっとだけ、違った所を動かすのが、後々の為意義あるような気がしている。つま先から頭まで、動かせる物は全て動かす。そして、反対側へも動かしてみるのが賢明のような気がする。それは、確実のケガを軽くする事受け合いである。



9/4 たまには丸一日使える時もあるが、大概は保育所の送迎があり、朝の出発が遅く、なかなか思うようにならない。そして、「一緒に・・」 という事も、お互い(山仲間)声が掛けにくいというのか、どうしても、「山ノ神」とだけの山行が多くなる。

 中止・変更などが柔軟に出来る利点があるが、どうしても、わがままというのか、我慢が足りなくなり、良い雰囲気の山行が少ないように思う。このような山行スタイルは、「もうちょっと後からで良い。」 と私は思うのであるが、なかなか思い通りにさせてもらえない。

 「欲には切りが無い。」 のは重々承知しているのであるが、でも、その欲が萎んでしまっては、もうお終いのような気がする。「もうちょっと・・」 「もうちょっとぐらい」 などと、自分を励まさなくては、元気が出てこないし、その先が暗い。

 「やっぱり欲張りなのだろうか?」 仏様には、まだまだなれないのだから、ちょっとくらい欲を通したい。でも、私より、不都合な方々がいらっしゃるという事を思えば、「この馬鹿者!」 と、心が痛むし、私は幸せ者なのだと思わざるを得ない。



9/3 「未だ行きたい山がいっぱいある。」 という気持ちと、「もういいじゃない。休日に山に行けるのだから・・」 と気持ちが交差している。それは、「まだまだ歩けるのだ!」 と、「そんなに力んでどうする。」 が格闘しているようなものだ。

 もっと言えば、「もう少し解放してくれてもいいのでは・・」 と、「今まで、結構好きな事をしていたのでは・・」 が、相対しているようなものである。でも、もしかしたら、口では、「歳だ!歳だ!」 言いながら、反対に認められないという心が強いのかもしれない。

 それは、「未だ歩ける。」 「未だ担げる。」 を自負している他ならない。でも、「いつダメになるか?」 が同居しているようなもので、不安が就いて回る。「フォロー出来なくなったら、お終いだ!」 も同じようなもの。もうちょっと、元気でいたい。



9/2 娘と子供達が帰って来て俄然賑やかになった。静かなのがいいのか、賑やかな(煩い)のがいいのかは分からない。こんなのは、もうちょっと時間が過ぎてから分かるのだろう。しかし、負担が多くなるのと、自由が脅かされるのだけは間違いない。

 今、次の車に悩んでいる。余裕資金があれば、悩む事などないのであろうが、ケチるくせに、あれもこれもと足したい物があるから困る。ダメなら、中古車になるだろうし、それでもダメなら、無理矢理にでも車検を通してもらわなければならない。



9/1 八尾のおわらも雨。アルペン球場の巨人ーヤクルト戦も雨で中止。来週の私(達)の連休も雨予報。今年は、梅雨が無かったような感じであったし、夏も暑さのせいか、雨量は極端に少なかったように思う。「均せば一年同じようなもの」 からいけば、降らなかった分、これから降るのかも知れない。

 雨でボヤクより、「降らなかったら儲けもの。」 程度に思っておれば、そうそう嘆く事もない。”腹八分” ”欲張らない” ”程々に” などの言葉が当て嵌まるような気もするが・・・・

 どちらにしても、雨対策が必要。私のゴアテックスの雨具も8年を経過で、あまり快適とは言えない。とは言え、30,000円・40,000円の高価な物を買う元気はない。でも、行きたかったり、したかったら、そんな事も言っておれない。

 安価な優れものを探してはいるのだが、一長一短あるので、なかなか決められないでいる。「何かを止めれば・・」 や、「少しずつ貯めれば・・」 の声には耳が痛い。「何かを本当にしたければ・・」 の答えは、すぐに出るのであるが、ロートルになると、欲と諦めが同居し、結論は後回しになってしまうような・・・・