11/30 お天気になった。相変わらずの保育所の送迎に、夕方から忘年会が予定されていたが、山へ行かないわけがない。当初は、時間が無いし、来拝山へと思っていたが、林道に雪が現れると、より高い山へと気持ちが高ぶり鳥越峠まで車を入れてしまった。

 前日のものと思える轍があったが、陽の当たらない所では、凍結状態で慎重な運転に心掛けた。そんな事もあって、スタートは、午前10時15分となった。急登箇所や陽の当たるところでは、まだまだ雪量が少なく、ぬかるみを免れなかったが、大方30~40cmの積雪を感じた。

 スタートの遅れた分、窮屈な山行となったが、それでも、ナメコがないかと辺りを見渡していては、どんどんと遅れていってしまった。山頂へは、私が先に駆け上がって、食事の準備をし、それを流し込んで、ターンする事になったが、それでも、コーヒーを頂いて、いつもの山並みを充分に堪能したようにも思える。

 山の空気を吸ったからであろうか、それとも、高い所へ登ったからであろうか、自分でもよく分からないながらも、結構な満足感と達成感を味わったのである。その大辻山通いも、あと1回で50回となる。



11/29 明日の忘年会は、今のところ、保育所の迎えの免除が約束されているから、時間内に会場へ行けそうである。しかし、娘の仕事に支障が起これば、孫達の受け渡しが出来なくなり、メンバーに迷惑を掛ける事になる。そんな事が起こらないように願うしかない。

 そんな綱渡りながら、それまでの時間帯には、ちょっとでもいいから、山に行く事になる。行かなければ可笑しくなるから仕方がないだろう。お昼過ぎまでは、お天気が何とか保つような気がするが・・・・



11/28 明後日は、好山病の忘年会である。月曜日であるが、例年万障繰り合わせてメンバーが集まる。休日の違いから、なかなか同じ日の山行といかない現状であるが、和気藹々と出来る時間でもある。

 「好山病友の会」が発足して、12/13で満11年になる。それだけ、皆が歳を取った事になるが、集った時だけは、その事を忘れてしまうほど、皆が元気になる。「バスをチャーターして、皆で一晩泊の山行」 が私の夢であるが、なかなか叶うものではない。でも、そんな夢を、ずーっと持ち続けたいと思っている。



11/27 山に行けなかった。お酒を飲まない。こんな日が続くと、「刃物はいらぬが・・・」 となってしまいそう。でも、全然飲んでいないのではなく、ちょっと休んでいるだけなのであるから、死ぬほどではない。

 まだちょっと、スッキリしないのであるからしょうがないが、忘年会では、皆と飲みたいと思っているから、我慢のしがいがある。お酒というのは、暫く飲まないと、それ程欲しいとは思わなくなるものであるが、一旦、口にすると、また当たり前のようになってしまうから気を付けないといけない。

 唯、夕食時に飲まないのだから、食卓に留まっている時間が短くなるのが難。全然飲まない家庭では、どのように過ごしておられるのか気になるところである。



11/26 やっぱり山に行かないと、ポッカリ、穴が開いたような可笑しな状態である。当欄も、山の事しか記していないのであるから、その材料もないというわけである。どれだけ代替の運動をしても、それは、「山の空気」に取って代わる事は出来ない。

 実生活にしても、それが付いて回るというのか、私なりのエネルギーが湧いてこないのである。たった1回の事なのであるが、そんな身体になってしまったのかもしれない。今度は、何としてでもなのであるが、また予報は良くない。



11/25 今年も欠礼のハガキが数多く届く。今日の22通目は、8月2日に亡くなった由利香女史のご両親からであった。「八月二日、山梨県滝子山へ登山に行き足を滑らせ12~13メートル下の谷へ滑落死亡しました。」 との添え書きがあった。

 未だ57歳であった。立山や白山、そして、丹沢山などを、「山ノ神」と共に一緒したし、我が家で3連泊もしてくれた。また、北アの帰りに寄ってくれたりしたから余計に悲しくなってしまう。今夏も、雲の平へやって来ると言っていただけに、またの 再会を楽しみにしていたものだった。

 いつ何が起こるか分からない。悔いの無い人生などないかもしれないが、少しでも、それに近い人生を送らなければと思ってしまう。



11/24 休日に山に行かないと、何もかもが狂って来る。片付けや洗濯がなくなるから、楽なような気がするが、拍子抜けの方が大きく、力が入らないというもの。その代替として、早朝登山(牛岳か八乙女山)をやろうかと思ったが、夜明けが遅く、どんなに頑張っても、我が家の朝のセレモニーには間に合わない。

 そして、「そこまでする事もない。」 などと、だんだん気勢が削がれていく。一つ一つ皮を削がれていくというのであろうか、それとも、外堀を埋められていくというのであろうか、足掻きが出来なくなっていく。「丸く収まっていく。」 のであろうが、その代わりにトゲトゲがなくなっていくのだろう。

 それは、歳取ったからという言い訳じみたものでなく、意識の問題であろう。その先に必ず選択の機会があったはずで、自らの墓穴みたいなものである。人の心というものは本当に弱いものである。でも、情けも義理も有り、どれが正しいとは言えないような気がする。



11/23 「休日は山へ・・」 の皆勤が途切れた。「意味がない。」 とは、言っていても、やっぱり残念。唯、ちょっとの事で、ライフスタイルが崩れるのが怖いのである。「幼い子供達は、親と一緒ならそれで良いだけで、別に遠くへ行かなくても良いのでは・・・」 が私の持論。でも、私達が出掛ければ、車がない。それがちょっぴり気になるところであった。

 出掛けてしまえば、その方向で楽しまなくてはいけない。「6人が一緒に車で出掛ける。」 しかも私が運転する初体験から楽しみが始まった。そして、いつもは、ケチケチの食事であるが、今日はそんなわけにはいかない。また、恐竜博物館で、誰が一番目を輝かせていたかというと、それは娘。「山ノ神」は、遠くに出掛けたのと、一緒に出掛けた事に意義を感じているかのようであった。

 肝心の孫達は、そのような事はどうでもよく、滑り台や食べ物の方に興味を注いでいた。そうなると、私も欲深く、越前の小京都といわれている大野市誘導したのであった。時間があれば、ゆっくり町歩きが出来たのであろうが、ムコ殿の帰京時間を気にしながらであるから、大野城見学で終わった。

 その大野城で、好山病メンバーの田村氏と出会ったのであるから、これまたビックリである。山と違った疲れを感じての帰宅であったが、何か物足りないような思いもあったが、家族共通の想い出作りになったのかもしれないと良い方に考えた。



11/22 明日は、夕方から雨の予報であるが、ムコ殿が来ている事もあって、朝早くから出掛ける事が出来る。そのムコ殿が帰京する時間まで戻れないが、それは承知済みであるし、夫婦・親子だけでいる方が良いに決まっているから、それに甘んじている。

 ところが、夕方になって、山ではなく、皆一緒に何処かへ出掛けようと、「山ノ神」と娘が意見を合わせて来たのである。しかも、恐竜博物館(福井県勝山市)へ行こうというのである。私は、元来人出の多い所に出掛けるのが苦手であるから、悄げてしまった。

 行く行くは、このようになるのが望ましいのであろうが、まだちょっと早い。「山を逃がすのも残念だ!」 と言っても、特別の山に出かけるわけでもないので、渋々受け入れる事にした。でも、決められた時間にスタート出来ないのなら、「中止」だと念をしておいた。



11/21 久し振りに私に会ったら、きっと、「痩せたね!」 「老けたね!」 と思うだろう。飲食を自重しなければならないのに、相変わらずの大食いである。スッキリしないのに、飲み食いし始めてしまえば何の事もないからであろう。こんな私に、「山ノ神」も、「医者に行って来たら・・」 と言うようになった。

 そんな折、遠方へ出掛けられた山友からのニュースが飛び込んできた。夢のある人、目標のある人は、やはり元気である。そして、「元気がもらえる。」 「励みをもらえる。」 など、勝手だが好循環に作用する。



11/20 今日は、結婚記念日であった。朝方まで覚えていたのであるが、夕方からすっかり忘れてしまっていた。このところ、下の孫(エリー)の体調が悪く振り回されているからかもしれない。近年は、「山ノ神」の好きな、カラオケに行く事が多かったように思うが、カラオケが苦手な私にしてみれば、年に一度のご奉公(我慢の日)となっていた。

 「何もしてくれなかった。」 と言われるのが辛いから、「来週にも・・」 と、先延ばしにするしかないのであるが、この種の記念日は、誰がどのように祝うのか戸惑うのである。「我慢したね!」 「頑張ってきたね!」 と夫婦の労いの場なのか、それとも、子ども達が、「有り難う。」 と感謝の場をつくってくれるのか分からないが、どちらにしても、5年とか10年とかの節目でいいのではないかと思うのは、それこそ私の勝手というのかもしれない。



11/19 今年は、二百名山を3座、三百名山2座に登る事が出来た。そのような名山に、どうしても登らなければならぬとの思いは薄いが、出来る事なら登りたいのも事実である。現在、百名山が77座、二百名山が52座、三百名山が44座である。

 何時、北海道や九州・四国に行けるか分からない現状では、遠い夢物語である。本州でも2泊する山行などは、年に一度くらいしかないし、それも、必ずしもお天気に恵まれるとは限らないのであるから、相当難しいのである。

 それが叶わなくても、まだ登っていない飯豊山や南アに残された山々に、一年に1座でも良いから登ってみたいとの願いがある。それは、登っていないのに、何の評価も出来ないからである。「名山の半分くらいは登ってみたい。」 から始まったのであるから、そんなに欲は無い。今は、6割・7割くらいにレベルを上げてはいるが・・・

 そのような届かない夢よりは、「10回以上登った山が100座」 が直近の目標である。高かろうが低かろうが問題で無く、その山の事を知っている証の回数ではないかと思うからである。出来れば、「50回以上登った山」 の数に拘りたいが、仕事をせず毎日山に行ければ出来るかもしれないが、「休日は山へ・・」 の制約があってだからこその思いがある。



11/18 先日の南保富士・二王山行きは、今年に入って72回目の山行だった。後8回の休日があるが、今のところ、特別な事がない限り、「休日は山へ・・」が続行出来、久し振りに全休日山行が達成される筈である。それがどんな意味があるかと問われると返事に困ってしまうが、「唯々、拘りである。」 としか言えない。

 特別な山 (険しいとか難しい、或いは有名な山) を登っているわけでもないし、自分の許された時間内で、力量にあった山を登っているだけである。まあ~、馬鹿げたようにとられるかもしれないが、雨が降ろうが、雪が降ろうが、風が吹こうがだから、その辺が、ちょっと違うかもしれない。

 でも、もしかしたら、その山の空気を吸う事が、また追い求める事が、自分の健康や生き甲斐となっているのかもしれない。その健康となると、ちょっと自信がないが、歩ける内は、また、歩いている間は健康だと思って頂きたい。



11/17 昨日の南保富士は、登山を終え、8号線に出たのが午後5時であった。途中、眠たくなって、車を止めた事もあり、自宅に着いたのは、午後7時頃になってしまった。保育所の出迎えが出来なかった事に、ちょっと申し訳なかったが、予想より冷たい出迎えでなかったのでホッとした。

 仲間達と一緒だったから、不信感を抱かなかったのかもしれないが、従来なら、「もっと早く帰れるはず・・・」 などと、イヤミを言われたものであった。内容をあかしてくれないが、今日も仲間から、私が無事かどうかを心配して、「山ノ神」にメールを送ってくれたようである。



11/16 好山病諸氏(北ちゃん・ねぎちゃん・田村氏)が、南保富士に行くというので、「山ノ神」共々参加する事にした。娘が、保育所の送りを免除してくれたからであった。ところが、前日から、下の孫(エリー)が発熱し、結局は、「山ノ神」の参加が見送りとなった。

 「約束をしていたから・・」があったので、私の参加を認めてくれた感じであったが、渋い「山ノ神」の見送りであった。朝日町集合が午前7時半であったから、「帰りは、そんなに遅くならない。」 と言って出たが、そんなに甘くは無かった。

 三峯の駐車場、そして、登山口探しに、ちょっと時間を費やし、スタートが午前8時半くらいになった。何せ夏道が初めてとか、久し振りだとかいうメンバーばかりで、共通しているのは、9年前の冬(1月)に、雁峯・二王平峯経由で南保富士に行っただけであった。

 標高727mの南保富士であるから、簡単なハズであった。そして、ナメコも採れたらとの思いもあった。途中で、登山道を整備している人達(二人組)と出会ってから、俄然怪しくなった。もっとも、私は、「二王山に登れたら・・」 などの淡い思いはあったものの、お任せの意味合いの濃い山行だけに、あまり強く意思を示さなかった。

 でもである。その二王山はおろか、9年前の冬に歩いた二王平峯・雁谷峯方面に行く事になったのである。しかし、しっかりした踏み跡があり何ら問題はなかった。それよりも、七重滝に行くルート、そして、その先が、車の所に戻れるのかとが心配であった。

 しかしながら、猛者揃いと、天の助けと思わせるハイカーとの出会いがあり、難なく突破できたのであるからハッピー。そして、そのお方は、今日は不参加であったが、橋ちゃんと同じ職場の人だったから、またまた不思議であった。



11/15 予報通り雨でなかなか止まず、仕方なく午前9時頃自宅出発となる。雨の山の候補を、昨日からいろいろ挙げていたが、結局は高落場山となった。縄ヶ池の駐車場から、更に2キロくらい進んだ所からブナ林に取り付くものである。

 小さなアップダウンはあるものの、取り付き地点から山頂までの高低差はあまりなく、気持ちのよいブナ林の中を歩くのである。落葉を踏みしめて歩くのは気持ちのよいものであるが、私達は、濡れた落葉の上を歩くのであるから、時たまツルッといきそうになる。

 しかし、ブナから滴り落ちる雨や、シーンとするブナ林の中を歩くのは、「静かな山」を求める者にとって格好な場所でもある。そして、私のいうところの「山の空気」を、胸一杯吸う事が出来るのである。

 雨の中の山頂で長居する事もなく、早々に立ち去り、何処かで止む事があったら、「そこで、コーヒータイムでも・・」 と言っていたが、車に戻ってからの食事となった。そして、全くないと嘆いていたナメコであったが、それこそ鈴なり状態の倒木との遭遇に全て良しとなった。



11/14 明日から折角の連休(日・月)なのに、出足から雨のようである。未だ準備をしていない。「早朝から出掛けないの?」 「雨だから様子を見てから・・」 「近間の低山へ・・」 などの会話が飛び交う。「早めに帰って来るよ!」 と言えば、「買い物に付き合え。」 となってしまった。

 このところ、お天気との巡り合わせが悪い。でも、良い時もあったので、一年均せばこんなものかもしれない。「雨の山が好きなんですか?」 などと、聞かれる事があるが、そんな事はない。「ライフワークだから・・・」 としか答えられない。

 明後日は、好山病諸氏との山行がある。今のところ、お日様マークがあるが、どうなるかは分からない。でも、久し振りの熱気を期待したい。そして、月末には「忘年会」の企画もあり楽しみである。体調を整えておかなくては・・・



11/13 4~5日前に、「右目まつげの中に、何か出来ている。」 と、「山ノ神」に指摘されてから、俄然気になってしまった。いわゆる「めぼろ=ものもらい」 ではなく、脂肪の塊か、イボのようなもので、よく見ないと分からないし、目を大きく開けると、二重瞼の中に収まってしまう程のものである。

 しかし、目を閉じると、小さいものだが確認出来るし、気になってからは、目を開けている時に、「何となく変だな!」 と思うようになってしまった。このままでも良いが、目の周りの事だし、診てもらわなくてはとなると、「眼科か皮膚科か?」 と迷うし、他人様の意見もまちまちだった。

 自動車保険のサービスで、メディカルアシストというサービスがある事を思い出し、「何処の医者に行けば良いのか?」 と、アドバイスを求めてみた。それによると、「目に近い”まつげ”までは、眼科。その上になれば、皮膚科だ!」 と教えられた。

 眼科医を訪ねたが、ピンセットのような物で、何回となく、引っ張るような処置が行われた感じだったが、取り終えた画像を見せられ、「これで様子を見ましょう」 と言われた。それで、また出て来たら、処置をしようとの事。その時は、まつげまで失うよだった。「まつげは、また生えて来るのですか?」 と尋ねたら、「生えて来ない。」 との答えに、「この後、何も無ければ良いのに・・」 と思ってしまった。



11/12

11/11 「久し振りに飲んだ。」 と言っても何日か振りで、そう間隔が空いているわけではない。私は、常に酒は毒だと言っている。「その毒に負けるようではお終いだ。」 とも言っている。胸が痞えるようでは負けているに違いない。

 完全とはいえないが、少々節制の真似事が奏功したのか、この頃チョッピリ調子が良い。何十年も生きられないのは分かっているが、腹を切ったり、好きな物を食べられない飲む事が出来ないでは、生きている甲斐がないと常に思っている自分には、またとない時間である。

 最も、医師に診断を受けたわけでもないし、今はどんな状態かは分からない。恐らく自分の思い込みより大した事はないと思っているが、臆病者の私としては、用心に越した事はない。

 山に行った日、イベントのある日、そして、美味しいおかずが並んだ日は、飲みたいものだ! その他の日は、飲むのを止めようと思っている。飲むのにも、メリハリを付けようというものである。だから、明日は飲まない。



11/10 グループで、「何処へ行こうか?」 となると、なかなか決まらない。でも、「此処へ行こうかと思っているのだけれど行かないか?」 と提案すると、「行く」 「行かない」 が、はっきりするから後々楽である。

 今の私(達)は、そのような事もままならないから、ちょっと寂しい。「何処かへ行こう。」 と誘われても、時間制限の事や早い集合に間に合わないもどかしさだけが残る。私(達)に合わせてくれる人達が、おいでないわけではないが、一度や二度ならならよいが、余裕の無い山行に飽きてしまわれるのではないかと思ってしまう。

 これからは、日に日に夜明けが遅く、日没が早くなっていくから、私(達)との乖離が小さくなっていくのであるが、そのちょっとの時間が足りなくダメなのである。でも、全部が全部時間拘束されていないのだから、これからは積極的に仲間を求めていきたいと思っている。



11/9 夫婦山に出掛けたが、雨は降らなかった。しかし、見る見る内にガスに覆われ、展望は全くなし状態となり小雨が降り出した。そして、「もしかしたら・・」 と思っていたナメコも、ちょっとしかなかった。

 私は、以前から、祖父岳の桂原登山口に興味があり、この機会にと思っていた。雨だし、恐らく急登であろうから、案の定「山ノ神」は乗り気はなかった。しかし、車を走らせるのであるから、行くしかないと思ったのであろう。

 西松瀬から4キロ、標高600m地点に登山口の標識があった。100mくらい入った所に、ちょっとぬかるんでいたが、3~4台くらいの駐車スペースがあり、標高700mくらいまで(15~20分)作業道と思われる登山道を行く。このまま切り開かれた道を、標高にして10~20m登ると稜線に出た。

 その稜線歩きは、「これでもか!」 と思うくらいロープが至る所に施してあり、また、標高と山頂までの距離を示した看板が、何カ所となく立ててあった。我々は、雨の中を歩いていたから、展望に関しては何とも言えないのであるが、ちょっとの雨の止み間に、竹原家と思える建物を、紅葉の中でとらえる事が出来た

 登山口まで舗装された道を上がってきたが、帰路は、その先が何処へ向かっているのか興味があったので走ってみたが、すぐに通行止めのゲートがあり、Uターンとなった。そこに居合わせた工事関係者と思える方に、いろいろ尋ねてみると、トンネル工事中で通れないとの事。そして、興味があったその先は、大長谷に通じるようになるとか・・・



11/8 明日の予報は、「一日中雨」 である。しかし、大降りしないだろうから、近間の低山歩きの予定。「このところの帰りが、ずっと遅く迷惑を掛けたから、明日の保育所の送迎を免除してくれる。」 と娘が言ってくれたが、「明日はお天気が悪い。その次の月曜日にしてくれたら嬉しいのだが・・・」 と押し返した。でも、次週が晴れるとの確信はない。しかし、ちょっとでも、娘の負担を軽減したいとの思いもある。



11/7 「まあまあ元気です。」 から、ご安心下さい。明後日も山に出掛けます。



11/1 氷ノ山方面に出掛ける事にした。2日間で2座が目標であるが、お天気の事もあるしどうなるか分からない。天候もイマイチだし、一番簡単なルートを模索している。そして、もしかしたら、観光になるかもしれない。それでも、山の空気に浸って来なくては・・・・