12/31 もしかしたら、今までで、一番お正月らしくないお正月を迎えるかもしれない。何もかもを省略し、何処へも行かず、誰もやって来ないのだから・・・。唯一つ、50年続いている元日の新年会がある。貧弱になり、参加者も少なくなりつつあるが、”意地” で形式が残されている。

 それでさえも、日にちを換えようかとの意見が出て来ている。”お前もか・・” であるが、そうなれば、完全に青春のせの字もなくなる。”玄冬” だから仕方がないのかも・・・・

 こうして、長いようで短い一年が過ぎ去っていく。たった365日なのであるから当たり前か。この先の10年は、3,650日である。ボーッとしていたら、すぐに終わってしまう。途中で終わってしまえば、もっと短い。中味の濃い人生にしなければと思うのであるが、果たして来年は?



12/30 今年も、あと今日・明日だけになった。「歳取った顔になった。」 「あちこち都合が悪くなった。」 など、あまり芳しくはないが、そう言いながらでも、毎週のように、低山であっても山行を続けておられる身体に感謝しなければいけない。

 あと何年元気でおれるか分からないが、感謝の気持ちで歩き続けようと思っている。山を通じて近付きになった友人にも感謝の気持ちがいっぱいだ。私より若い人達が多いし、”お返し” などは出来ないから、元気でいる事が一番のお礼のような気がする。



12/29 今年の山行を振り返っても良いが、次ぎ行く山の方が気に掛かる。「どうせ制限された時間内だから・・」 との思いがあるが、「その中でも、かいくぐってでも・・」 と秘策を考えないと、何処へも行けなくなってしまうとの危機感がある。

 「何回も行きたい山。」 「回数を拘る山。」 「未だ行っていない名山歩き。」 など、どれだけ時間があっても足りないくらいだ。唯こまねいていても埒が開かないし、歳を重ねるだけである。人生、「あれもこれも良しとなる事など殆どない。」 時には、決断というのか思い切りが必要のようだ。

 

12/28 今年最後の山行を大辻山50回記念山行として臨んだ。大辻林道・立山少年の家から30cmの積雪であったが、前日のものと思われるトレースに新たな雪が覆い被さっていたが、それでも、2時間ほどで長尾峠に達する事が出来た。そのトレースは、奥長尾山まで続いていたので、意外と楽ちんさせてもらった。

 といっても、高度をあげる毎に雪が深くなっていくわけだから、次第に足取りは悪くなっていく。夏道よりは歩きやすいかと問われても、小枝が少々煩いし、大きな段差は登りにくく、迂回を強いられたりする。また、雪に隠れている太くて短く尖った木片が、突拍子もなく現れるのはちょっと危なっかしい。

 1人ラッセルで頑張っていても、途中から股関節に違和感を覚えてしまった「山ノ神」は、どんどん遅れてくるし、急登箇所では、引っ張りあげなければいけなくなってってしまった。歩き始めて4時間半、もう山頂まで届かないと思った時点で食事とした。

 時間がなくタープを張ることも出来ないし、サラサラの雪で壁を造る事も出来ないので、風当たりのない所を選んで食事としたが、それでも、手が悴んでしまう程であった。早々に、「山ノ神」 に見切りを付けて、山頂を目指せば行けたかもしれないが、夫婦と言えどもパーティーであるし、寒い中、置いてけぼりにするわけにも出来なかった。

 下山の林道に出てからは、いたたまれなくなった「山ノ神」は、スノーシューを外してしまった。それを、また担がなければならない。こんなのでは、次ぎ行く山も危ない。時間のない中の山行が主だから、速く歩かなければいけないし、休憩も少なくしなければいけない。「行かない。」 と、何時言い出すのだろうか?



12/27 2~3日前、ハゲ山のルート図を載せたが、「そのハゲ山の位置が違っている。」 と、読図・山座同定の達人である池田氏からご指摘を受けた。地図上に、私が山名を書き込んだものであったが、「ありゃ、ホントだ!」 「その通りだ!」 と思ったが、恥ずかしいと言うより嬉しかったの方が強かった。

 元々、この山域はあまり詳しくなく、尾根を歩いていても、複雑に絡み合っているからなのであろうか、ついつい、「あのピークは何?」 となってしまう程である。ともあれ、標高の割りには、展望が良い上に、結構面白く、それが、ファンが多い所以なのであろう。

 今回のミスも、毎度の事であり、誤字脱字をはじめ、不明瞭な文脈など不可解な事が多いのであるが、そこを認識して、ご理解をして頂ければ有り難い。だからこそ、「もうちょっと、頑張ろうか!」 という気持ちになると、またまた勝手に思い込んでいるのである。



12/26 5人暮らしが2人になると、何だか拍子抜けになった感じである。さぞかし楽になるかと思っていたが、そのようなものと違ったものであった。しかし、また帰って来るのであるし、飛び去った後は、必ずしも整頓されている状況でもないから、束の間の休息という状態なのであろう。

 幾つになっても、自分中心に考えてしまうから、必然とそうなるのだろうが、何もかもが、「有り難い。」 と思えば、また違った発想が生まれてくるのに、如何せん、修行が足りないというのか、まだ半人前というのか、なかなか生き方に関して修正が出来ない。

 山に関しても、相通じるものがあるような気がする。自分の立場や力量などから、”相当” というところがあるのに、「まだまだ」 が顔を持ち上げる。痛い目に遭わないと、ダメなのかもしれないが、これだけはどうしようもないとしか言えない。しかし、何処かが都合悪くなり、自然に遠ざかっていくのだろう。



12/25 娘と孫達が、明日から東京へ行くという。夫・父に会いに行くのだから当然の事であるが、娘の仕事の事を思えば、29日辺りからかと思っていたのだが、休暇を取ったのかもしれない。そうなると、今年最後の休日は、時間的にフリーとなる。しかし、お天気が良くないし、雪量がどうなるかによって行き先も変わってくる。

 私のお正月の休日は、1日(金)~5日(火)までにした。元日は、午後4時から50年間続いている新年会がある。でも、余程の悪天でない限り時間内で低山に出掛ける。(候補は尖山) そして、3日の夕方に娘・孫達が来高するだろうから、自由になるのは2日と3日だけ。

 その2~3日に雪量があり、それなりのお天気であれば、城ヶ平山や千石城山辺りで、キャンプを考えていたのであるが、今のところの予報では可能性が低い。やはり例年のように、近間の低山を歩き渡るしかないようである。4~5日は、保育所の送迎が始まるから、制約された時間内の歩きになる事は間違いない。



12/24 せがまれれば面倒だし、せがまれなければ寂しいような気がするクリスマスイブ。「サンタなんかいない。」 と言うまで、そう先は長くないわけだし、泣いたり笑ったり怒ったりしながら、楽しんだ方が良いのかもしれない。ケチな私は、二人の孫に、細々したお菓子と、それぞれが欲しがっていると思われる絵本を贈った。

 前年は、東京でお正月を迎えた孫達は、後に高岡へ帰り、いつも通り保育所へ行ったら、お年玉の話が出て、「私(達)は、お年玉をもらっていない。」 という事になった。もらえるような人達がいないという事で、私達に少額でもいいからやって欲しいと、娘からせがまれた。

 当たり前といえば、当たり前の話であるが、お正月(三が日)に顔を合わせていないので、やるのを忘れていたジジババであった。今年も、そのような時期が、目の前にやって来ているのであるが、私のお年玉感は、「子供自身が使える額」 と思っているから、当然紙幣ということはない。



12/23 28日(月)に出掛けられれば、79/80である。こうなれば、「家族で出掛けた11/23の福井行き(勝山・越前大野) が悔やまれる。」 などと戯けた事が、脳裏に浮かんでくる。簡単な所であろうが、79回も山に行けた(行ける)事に感謝せねば、それこそ罰があたるというもの。



12/22 年賀状 私の分は400枚。ようやく3/5が出来上がった。毎年違った形式と思っているが、なかなか思うようにならない。そして、一人一人にコメントをと思っているが、最後になると、時間に追い詰められ一色単になる事が多い。今年は、なんとか12/25まで出来上がりそうであるが、先の事は必ずしも読めない。



12/21 体調が思わしくなく、3週間も仕事を休んだ「北ちゃん」が、「ハゲ山」に行くと言うから、復帰山行と題して、彼が本当に元気になったかを見極めようと出掛けてみた。しかし、ねぎちゃんから、「珍道はない。」 との確信めいたメールは、一体何だったのかと思うほどの、ヤブ漕ぎの行程を組まれていた。

 でも、西山・袖山・ハゲ山までは、傘を差せる状態だったから、ホッとする事が出来た。ハゲ山の先で、雨を凌ぐためにタープを張って、食事とコーヒーの時間を取ったもあり、珍道までのルートはまずまずであった。その先のヤブは、既に葉が落ちていて、見通しが良く、ヤブとは思えない。しかし、草付きの所や沢に出るなど、おおよそ一般道ではない。

 でもである。時々、訓練・鍛錬の様相に戸惑うのであるが、「慣れ」なのか、時々楽しい時もある。それもこれも、ワイワイガヤガヤだけでなく、人間味を感じる時があるからかもしれない。「ヤブは、つかまる所がある。」 少しは分かってきたのかもしれない。でも、そんな事を口にしてしまえば、その先は、地獄が待っているような気がする。



12/20 今シーズン第1回目のハレルヤ山行が行われた。師走の忙しい時であるが8名が集った。好天の恵まれ、何としても白鳥山頂に立ちたいと思ったが、やはり人生と同じで、事はそのように上手くは運ばなかった。上路集落から雪が現れ、轍が凍っている。大平峠から分かれた坂田峠への林道を無理矢理進んだが、四駆を持て来てでも、辿り着く事が出来ず、30分ほどのアルバイトから始まった。

 予想以上の積雪に胸を躍らせたが、至る所にある鉄製の階段や、それを外しての急登斜面や小枝の煩さに閉口せざるを得なかった。流石、栂海新道・金時坂であった。シキワリに入っても、凄い光景であったが、酷いではなく凄いの形容詞が発せられるように、異次元の山中を歩く様子に、唯々人間の凄さを感じてしまった。

 この時期の山行は、木々や草木が倒れて非常に歩きにくく、一段の降雪・積雪が待たれるのであるが、自然相手の趣味だけに、そう事は運ばない。こんな山に一人で登ろうなんて思わない。それどころか、途中で心が折れてしまうのは歴然としている。

 山頂は遠く、半分程の行程で終了となったが、あまりにも、その自然の造形に負けてしまったのであるから、残念とか悔しいという気持ちが吹っ飛んでしまったようである。もしかしたら、1000mにも届かなかったようであるが、晴天・無風の環境下、そして、山友との親交が何よりであった。

 あの澄み切った空や、真っ白な雪に、身も心も洗われたようで、これからの繁忙期の力となるような気がする。そして、ワイワイと歩いたからであろうか、足の疲れも感じないのは、それ全てが呪いに掛かっていたのかもしれない。



12/19 埼玉の姉が帰った。電車の時間が迫った頃に体調が悪くなったのであるが、何とか電車に乗った。「息子や嫁に言ってくれるな!」 と言う姉が、何だか愛しかった。もしかしたら、もう一人で来高出来ないのではと思ってしまうのであるが、その点、気丈な人であるから、何としてもと、やってくるかもしれないが・・・・

 そんな事を思うと、私だって、「何としても山へ・・」 と通ずるところがあるのかもしれない。そして、幾つになっても、姉と弟。具合の悪い自分よりも、弟に意見するのであるから、これもそれも、弟を思っての事なのであろう。また、息子や嫁よりも、はな垂れ小僧の思いがある弟に意見したり、もてなしをしたりするのが、気持ちがよいのかもしれない。そっと、聞いてやれば何事も上手くいくのであるが・・・・  歳取って分かる 「有り難い事である。」 



12/18 せっかくハレルヤの行き先が私の希望となったのに、姉の来高、そして、近所の不幸などが重なり、どうしたものかと迷ったが、姉は一人で帰れそうだし、近所の通夜・葬儀も、山行の成り行きに合わせて対応しようと思う事にした。

 今シーズン初めてのハレルヤだけに、久し振りに顔を合わせる方々が多い。何人参加か分からないが、きっと盛り上がる事間違いない。12月から5月までの限定的なハレルヤ山行であるが、私のわがままもあって、3月以降不参加が多い。限られた期間中に、私もお世話しなければと思っている。



12/17 雪になったが積もれない。山沿いに積雪を見たかも知れないが、やっぱり寒気が弱いのだろう。今冬は、気象庁の予想通り暖冬なのかもしれない。それは、どちらでもいいのであって、山雪というのか、山だけに積雪を期待したい。山に雪があれば、またお会い出来る人達があるから・・

 この悪天の中、一人で埼玉の姉がやって来た。違った電車に乗ったり、切符を落としたり、散々なようであったらしい。幾多の病を抱えながら、「高岡に執着しているから・・」やって来られるのかもしれない。普通は、親がいなくなると、必然的に足が遠のくらしいが、「これが最後かもしれない。」 と言いながらやって来る。

 代が変わっても、「あなたの里だから、いつでも来て下さい。」 と言っているものの、それ程の歓待は出来ない私であるから、違った何かを求めて来るのかも知れない。その子達にも、「あなたが生まれた所だから・・」 と言っているが、私の思いは届いているかどうか分からない。



12/16 高落場山と高清水山に登って、暫く、この2座の雪(冬)の縦走はやってないなと思った。このところの時間のない環境下でも、一年を通じて親しんでいる山ではあるが、2座一緒に登っていないのである。遡れば8年も前になる。

 それ程高くなくても、ブナ林あり、林道歩きもある。そして、晴れれば、砺波の散居村を眺めての食事となる。砺波アルプスの一部というくらいであるから、スノーシューやカンジキをを利用して歩き回れば凄く楽しい。

 でも、これだけ出掛けていないという事は、この時期は、どうしても、大地に気持ちも身体も持って行かれてしまっている。時間がなく、タッチして戻って来ても、愛しい人に会いに行くようなもので、それなりの満足感に浸れるのであるから仕方がない。でも、そのような事が永遠に続く事などないだけに、登れる内に登らなくては・・・ 当面の目標は50回であるが、まだまだ遠い数字である。



12/15 橋ちゃんがやって来てくれた。しかも、私のシャベルの不都合を知ってか、彼の使わなくなった大型のシャベルを、わざわざ私の為に持って来てくれたのである。子供達へのお土産付きであるから、尚更恐縮であった。

 最近は、一緒に山行する機会もなく、ちょっぴり寂しさを感じていたのであるが、久し振りの再会に、いろいろと話すことが出来て嬉しかった。彼が山に取り付かれ始めた頃、「元さん、あんたが登れなくなっても、担いででも連れて行ってあげる。」 などと言っていた事を思い出したが、彼なら、本当にそうしてくれるのではないかと思ってしまった。

 ここ、2~3週、体調を壊している「北ちゃん」の事も一緒に心配してくれた。その「北ちゃん」から、夕刻 「検査の結果、異常なし。」 とのメールをもらった。本当なら、こんな嬉しい事はない。年内復帰が可能になったと確信したい。



12/14 今日は、時間のない事もあって、高落場山をメーンに、高坪山・袴腰山なども考慮する五箇山の山に臨んだ。ところが、このところの高温の影響があってか雪量がなく、従来の若杉からのルートを通り越して、縄ヶ池駐車場からまだ2キロ先から、高落場山に取り付いた。

 予想以上に雪が無く、そのお陰で、ブナの落葉をぬかるむ事なく、快適に踏む事が出来た。この辺のブナは、大木ではないが、気持ちよい程に、その林が続いており、最近はよく利用するようになった。1時間もあれば、山頂に達する事が出来るのであるから・・・

 余勢を駆って、高清水山に行く事にした。草沼山に寄る事もなく、直接林道に出て、日溜まり峠に出るのである。その林道も、上から眺めれば長いのであるが、行ってしまえばそれ程でもなく、人の脚力というのか、それとも力と言えばよいのか分からないが、その凄さを感じるのである。

 今日は、あまり変化のない単純な山行だったかもしれないが、ブナ林の中を歩いては、心を癒やされたような気がするし、2座の山頂に立って味わえる達成感があった。そして、林道歩きで見付けたフキノトウに、またまた心がときめいた。



12/13 明日の予報は曇りがち。でも、一時的に晴れ間が期待できるという。本当かどうか分からないが、忘年会も有り、時間的には厳しいが、やっぱりお山のてっぺんに立って来よう。五箇山方面なら、時間的にも(歩き時間もラッシュの事も)、ちょっぴり余裕があるから何とかなるような気がする。

12/12 先日の天蓋山の際、ヒラタケを2枚ゲットした。南保富士経由の二王山の時、それこそ、何倍も大きなヒラタケを取り損ねた (凄い嵩の物が採れたのであるが、急斜面を転げ落ちていってしまい見失ってしまった。その時の北ちゃんのあのガッカリした顔が忘れられない。) のと比べれば雲泥の差があるのだが、ナメコが、なりを潜めてから、必然と目が向けられるようになる。

 でも、私は、あまり食べるのを好まない。ナメコは歴然と分かるのであるが、他のキノコの事を、まだ信用出来ないのである。また、皆さんが美味しいというけれど、私はそれ程でもないと思っているからかも知れない。そのヒラタケは、どうなったのかと、「山ノ神」に尋ねると、「もう、とっくに食べてしまった。」 とか、それを食べたのは(食べさせられたのは)私とか、えぇ~。



12/11 やはり、あまり調子が良くない。友人宅の新築披露でも飲まなかったからか、心配して薬(多分胃薬)を差し出されたくらいであった。なるべく自重しなければと思っていても、山から戻った時と、刺身がテーブルに載った時は、やっぱり飲んでしまう。

 菓子類もそうである。何もなければ、どうという事がないのであるが、身近にあると、卑しいからか、ついつい口に運んでしまう。そのくせ、医者に行くのがイヤなのだから困ったものである。まだ、歩けるから良いようなものであるが、食べる事が出来なくなったり、歩く事が出来なくなったりしたらどうしよう。



12/10 このところ暖かい日が続いている。明日は、雨ながらもっと気温が上がるという。これでは、雪が降るどころか、「今まで積もった雪が溶け出してしまう。」 とよからぬ心配をしてしまう。下界ではいらないのに可笑しな言動かもしれない。

 今度の月曜日(12/14)も、夕方から忘年会ある。予報は曇りであるが、そのような諸事情からして、高い所へはいけないだろうから、雪が望めないかもしれない。その後の休日はどうなのであろうか? 暖冬の予想を覆して、山だけに雪を望めないものだろうか? 雪降れば、余計に山友の顔を思い出す。

 

12/9 最近、「まだ、山に行っているのか?」 とか、「歳も考えないと・・」 という警鐘・やっかみなどがなくなった。そして今は、「気をつけて・・・」 「無理するな!」 が多くなった。特別な事をやっていなくとも、山に登らない人からみれば、それは相当危険な事をやっている事になるのだろう。

 それは、雨の日も雪の日も、何かの行事があっても行くのであるから、とんでもなく奇怪に感じるのだろう。こちらとしては、当然の如くライフスタイルを守り、一週に1~2回、月に6~7回程度出掛けるだけの事。トレーニングジムが似つかないだけの事なのである。その費用を出すのがイヤなだけかもしれないが・・

 二上山であろうが、尖山であろうが、冬登れば冬山で有り、雪の時登れば雪山である。汚れた物を包み込み、より一層静寂になるこれからの時期は、高所ならずとも、いろいろな所で山を楽しむ事が出来る。絶景に恵まれたり、仲間との親交を深めたりするのは、おまけ(ご褒美)のようなものである。



12/8 連休2日目は、保育所の送迎や夕方から友人宅の新築披露があるから、とても人形山頂まで行けないと思い、ハードルを下げて春木山へとしていた。前日の好天が続けば、人形山頂からの白山と、それに連なる山々の展望を拝む事が出来ないが、春木山頂からは、北アの山々を、天蓋山とまた違った角度から眺められるからである。

 しかし、いろいろと有り、登山口(人形山登山口)スタートが午前10時になってしまった。前日のカンジキと違って、スノーシューの快適さを感じるのであるが、60~100cmの積雪でのモナカ雪に閉口せざるを得なかった。第1休憩所までは、夏道の1・5倍を要したが、その後は、2倍の時間を要するに至り、所用をこなすには時間が足りなくなってしまった。

 でも、トレースのない雪斜面を進むのは、「チャレンジ」が頭に浮かび、歳を忘れて突進する様は、何事にも代えがたいなどと、自己満足の世界に入り込んでいくのである。もう少し、もう少しと足を前に進めるのであるが、「山ノ神」が、サイドブレーキを効かせる如く、立ちすくんでしまっては、春木山どころか宮屋敷跡にも届かなかった。

 もう少しであったが、食事する事さえ叶わないのかとなれば、その言葉に意気消沈してしまう。その食事中に、ちょっとだけと私一人先に進んだ。荷を担がなければ、7~8分で宮屋敷跡まで到達。そこからでも、北アの雄姿を望む事が出来て満足。もう30分、スタートが早ければ、また、「山ノ神」のもう少しの頑張りがあればなどと思うのは、やっぱり欲張りというものであろう。



12/7 前夜遅く、「明日は早く出ても良い。」 とのお許しを得たが、突然の事で、それほど早く出発する事も出来なかった。しかし、当初から天蓋山行きを決めていただけに、カチカチの雪道を行くには、少しでも早いスタートは助かった。

 登山口の山之村・夕顔の駅の気温は、-5℃。前日のトレースに従わなければいけないちょっぴり不満?があったとは言え、モナカ雪状態では助かった感もある。予想以上の積雪(60センチ)に、カンジキを用意していたが、スノーシューにすれば良かったと思わずにはおれなかった。

 晴天、そして、大展望には、独り占め、いや、二人締めして良いものかと思う程であったが、たまには良いのではとなった。風も無く、食事するには何の問題もなかった。でも、1,500m超えであるからに、時間が経てば、何かを羽織りたくなるのは当たり前か!



12/6 一日予報が早回ったのか、朝からお天気が良かった。でも、流石に午後から曇りがちとなったが、山好き達は、何処かへ出掛けたのだろうかと、他人事でありながら気に掛かるところである。月・火の私の休日も、お天気は良さそうである。どれだけ時間制約があろうとお天気は気分が良い。



12/5 ネットで求めたファンヒーターが予定を過ぎても送られて来ない。寒くなるだろうと思って注文をしたのであったが、当初の価格より安価な物を求めたからか、流石のamazonでも、わけにいかなかったのかもしれない。それでも、2日遅れの明日に届くというのであるから仕方がない。



12/4 綻び始めた装備がある。修理に出す物や取り替えれる物はいいが、既に機能不全という物が出て来た。買うか買わないかは、その甲斐性がなければ別であるが、行きたい所、やりたい事に必要なら、例え、その時にしか使えなくても求めなければいけないであろう。それがイヤなら諦めるべきと思っている。

 私の出掛けるところでは、それほど重大な事は起こりえないと思っているが、大自然は何が起こるか分からない。私は、寒くて1日や2日眠れなくても死にはしないと思っている。しかし、その前後の行動が出来るかという事になる。滑ったらお終いとか、手足が動かなくなるという事の想定である。

 万全とか完璧とかはない。でも、なるべく後悔が最小になるように、いろいろなところに耳を傾けなければと思っている。また、回避を含め、同行者のフォローが出来るかも重要な事である。



12/3 今年の休日は、あと6回ある。しかし、何かと所用が出来、行く手を阻まれるが、「山行く事が優先。」 山には行くが、人との交わりも大切で、それを蔑ろには出来ない。師走故の行事もあるが、その風物詩も壊したくはない。

 それに年賀状もある。まだ何もしていないし、その案さえも浮かばない。どうなるのだろう。しかし、このような事を言いながら、ずっと乗り越えて来たのであるから、浅はかではあるが何とかなるだろう。



12/2 一昨日の大辻山は49回目だった。50回超えの山は、牛岳・千石城山しかなく、大辻山(49)・金剛堂山(45)・白木峰(44)・小佐波御前山(40)・大地山(37)・人形山(36)・大猫山(36)・白山(35)・医王山(34)・剱岳(30)・大倉山(29)・中山(29)などが、次の候補である。

 それよりも、10回超えを意識しており、毛勝山(9)・大熊山(9)・洞山(9)・北ノ俣岳(9)・鋲岳(9)・烏帽子山(9)・赤摩木古山(9)・尖山(9)・唐堀山(9)・早乙女岳(8)・高清水山(8)・三ヶ辻山(9)・寺地山(8)を何とか載せたいと思っている。

 10回以上登れば、何とかその山の事を話せるし、50回も登れば、偉そうに語る事が出来るかもしれないから?と思ってもみたが、簡単そうで、なかなか積み上げる事は容易ではない。また、どれだけ登っても、何もかも分かるという事はない。そして、自然は偉大で有り侮る事など出来ない。



12/1 昨夜は好山病の忘年会で10名が集った。大辻山から帰って、家の用事を済ませ、再び会場の富山に向かったが、中島大橋(8号線神通川に架かる橋)で事故のため渋滞。そして、ナビが可笑しいのか会場近くで、何度もグルグルしてしまい、結果的には一番遅くなってしまった。

 カラオケボックスが会場であったが、午後10時まで全く歌わず当初の目的を達成。後は、ワイワイ楽しく過ごした。体調の悪い「北ちゃん」が、顔を出してくれたのは嬉しかったが、その後の容体が心配である。