1/31 今日は、予想に反して日中は陽が差した。晴れれば、何をしていても気分がいいものである。しかし、夕方から雨が降り出した。大した事はない降り方だし、明日も、曇りがちのお天気だと思い込んでいる。少雪だというものの、久し振りに牛岳へと思っているが、スタート地点の高い高落場山へと心が動き出した。

 そして、明日から2月である。そうなると、大地山はどうなんだと思いが募る。時間制限下で「、山ノ神」付きでは、大地山は辛い。しかし、近年は、「山ノ神」を、途中でほったらかしにして、何度となく山頂を踏んでいる。タッチして戻ったとしても、大地山は、私にとって特別の山なのである。



1/30 今日も降らなかった。それどころか陽まで差した。お陰様で駐車場の雪がいっぺんに溶けてくれた。でもである。山の雪が心配でならない。人生と同じで、何もかもが思うようにならない事は重々承知しているのだが、何だか面白くない。

 さて、2/1~2/2の連休は何処へ行こうか? 言わずと知れた近間の低山となる事必死であるが、気持ちの良い歩きを模索している。そして、朝の解放を進言するには、それ程好条件の山行を望めないだけに、じっと我慢となる。



1/29 日曜日も「曇り時々雪」に変わった。そして、その後も同じように「曇り時々雪」の予報である。しかし、寒波は強くないようで、沢山の降雪は、あまり期待できないようである。あんなにあった家の周りの雪も、随分と溶けてしまったからか、山の雪の状態が気に掛かる。

 雨よりは雪の方が良いのは間違いないが、少ないのには雪山の良さが落ちてしまう。山だけ降って欲しいと思っているのは私だけではあるまい。辛いが純白の雪上を歩くのは、何にも代えがたいのであるから・・・・



1/28 上の孫・ミーは4月から一年生になる。今日は、その手始めに、半日入学というのがあった。それ自体は嬉しい事であるし、めでたい事なのであるが、遊びばかりを考えている私(達)には、今から憂鬱に感じている事がある。”小一の壁” と呼んでいるが、保育所と比べて帰宅時間が早くなるのである。

 学童保育というのがあって、少々救済的な事があるらしいが、それでも、今と比べれば、1~2時間早いし、一年生になりがけの時は、それ以上に早く帰宅するのではないかと気を揉んでいる。

 観念すればいいのであるが、まだもう少し、好きな事をしたい自分達。お互いに「あんたが我慢すれば・・」 となり、埒が開かない。どうすればいいのだろうか? 孫達が大きくなるのを待つとなれば、今度は、自分達が動く事が出来なくなる事必死で有り、今の仲間達も危ういものである。下の孫・エリーも昨日4歳になった。 嗚呼・・・



1/27 何だか、いっぺんに雪が解けたような気がする。下界(平場)で生活するには、大変結構な話なのであるが、上(山)の事が、ちょっぴり気に掛かる。アルペンルートの除雪が始まったようであるが、平年と比べて、室堂では2m程少なく、除雪し始めの藤橋~桂台辺りは、平年の1/3程度の積雪であると報じていた。

 まだまだ、降るのであろうが、予報に傘マークが付くと、気持ちが滅入ってしまう。2月のハレルヤの当番を引き受けた事もあり、絶好のコンディションで迎える事が出来るのだろうかと、今から気を揉んでいる。



1/26 昨日のツケで、今日は、一日中除雪に精出さなくてはいけなかった。昨冬から、消雪装置が再稼働しているので、道路上の除雪は軽減されたが、店前・店横の駐車スペースに、裏の愛車の駐車スペースと、その取り付け道路の除雪もあり、流石に参った。時間を費やしても、まだまだ、それで終わりという事はなく、明日も、やらなければなるまい。

 今日は、昨日までの空模様と打って変わって、一日中陽が差し、どうかしたら、暖かくも感じたくらいであった。こんな日に、山へ出掛けられれば、いう事なしなのだが、そんな上手い具合になるわけがない。それでも、昨日のように、誰もがいなく、深く積もった真新しい雪上を歩くのも、それこそ言いようのない喜び(楽しさ)もある。

 昨日の閑乗寺では、大きな駐車場がきれいに除雪されていた。我々が行った時は、誰もいなかった。車に戻っても、変化はなく、車1台やって来た様子が窺えなかった。やっぱり、私(達)は異常なのだろうか?



1/25 大雪の高岡、「どこもかしこも、道路や駐車場の除雪で、てんやわんやなのに、それでも山に行きたいなんて・・」 万葉線が動かないというので、娘を高岡駅まで送り、孫達も保育所に送ってからの出発であったが、高岡市内の移動や、市内からの脱出に時間を費やしたものの、砺波に来れば、平生とあまり変わらなかった。それどころか、閑乗寺までの道路はスッキリ空いていました。

 八乙女山へは、スノーシューを履いて、始めは膝下、高度を上げては、膝上のラッセルが伴った。午前10時のスタートであったが、夜には、自治会新年会が控えていたし、その先に、少々所用をこなしておかなければと思っていたので、午後1時までが、行動のタイムリミットとし、3時まで車に戻る想定をしていた。

 僅か3時間であったが、異様な程に体力を消耗してしまった。八乙女峠の東屋に到着しても、本来なら、「もうちょっと先まで・・」 と、いうのであるが、「ここで止めようか?」 と言ってしまった。後で考えてみると、”シャリばて” だったのかもしれない。

 「あまり降らないと思う。」 の予想は、時には陽が差し、青空まで覗いた。でも、ずっと、小雪が舞っていた事に変わりはなかった。まだまだ平年の積雪に及ばないが、それでも、フワフワの雪上を跳ぶように歩くのは実に楽しく、「来て良かった。」 のである。



1/24 今度は、本当に降ってしまった。殆ど一日中降り続いていた。それが風を伴ってであるから、除雪をする間がなかった。それでも、ほんの束の間、孫達を特設の滑り台に乗せて楽しんだ。しかし、その後も降り続いている。この様子では、道路状況を鑑みると、県東部の山には行けないような気がする。町内会の新年会が、明夕あるのも一つの事情。

 「北ちゃん」が、明日から、山に復帰するとの情報を得ていたから、出来れば一緒したいと思っていたが、まあ~、焦らなくとも、またの機会があるというもの。県西部の低山を歩く事になると思うが、これも起きてから、状況を把握してからになる。

 富山県冬期道路情報を見ていて、蛭谷・入善・宇奈月の降雪・積雪が増えたのに少々安堵した。(気象台発表より少なめ) 下界でそんなに降って欲しいと思わないが、自分の好きな山には、いっぱい雪が降って欲しいと思うのは私だけではあるまい。今年も許される限り大地・初雪山に行きたい。



1/23 寒波がやって来る。西日本中心の数十年に一度の寒波だそうだが、我が北陸・富山に、また、これから行く山での降雪・積雪は如何にというところか?大体凄いとか酷いとかの表現で伝えられる情報は、今までの経験からして、そのような事に見舞われた事がない。「えぇ~、何だ!」 という事が殆どである。でも、それは、我々が行く山と同じで、何十回・何百回の中の一回に備えなくてはいけないのである。

 山歩きをしていて、暑さでぐったりする事もあるが、寒さにも耐えられなくなってきている。数年前までは、「あんたは、夏も冬も同じ物を着ている。」 とか、「その格好で寒くはないのかね!」 などと言われてきたが、あまりあれもこれもと持っていない(着たきり雀)とか、着るのが面倒だったからに違いなかったが、この頃は、だんだんと我慢が出来なくなってきている。

 晴れていれば、私が行く程度の山の稜線歩きでも、ズボンの下は、下着のパンツ一貫で通していたが、この頃は、タイツや雨具(防寒具)を履いていなければダメになってきている。また、食事中、雪上に座っていると、冷えてなのであろうが、足が攣ったりする事も、しばしば・・・ 歳は行きたくないものです。

 汗を掻く、そして、寒さを感じる。これを回避する手は、小まめに衣服の脱着しかないのかもしれない。「まあ~、ゆっくり、汗を掻かないように歩く。」 そんな上手い事いけばよいが・・・



1/22 「何かいい事があるのですか?」 特に悪天で出掛ける時に問われるが、苦笑するしかない。ここまで来ると、逆に、「行かなければならなくなった。」 ところもないわけでもない。誰もが、私の事を、ずっと見ているわけでもないのに、気持ちが、そのようになってしまったところは否定できない。

 自己満足の世界なのに、どうして、そんな風になってしまったのだろうかと、自分ながら可笑しくなってしまう。やっぱり他人様を、いつの間にか、意識しているようになってしまったのかもしれない。「雨が好きなんですか?」 「牛岳が好きなんですか?」 などと問われるようになった所以も、その辺にあるのかもしれない。

 最近は、「バカ・キチガイ・アホと言われるようになるまで50年掛かりました。」 が、挨拶になってしまうほどになったが、いやいや、もうとっくに50年を過ぎてしまっているのである。「健康にいいですね!」 「自然相手に最高の趣味ですね!」 と言ってくれる人に山を勧めても、「イヤイヤ・・」 と言う人達が殆どであるが、時々、「付き合ってやるか!」 という病人が現れるのであるから、山は人生と同じで面白い。



1/21 平成9年からの山行記録を載せているから、今年は20年目になる。その先の2~3年前の記録は、年間15~30回くらい。もっと先を辿ると、精々年間10回程度しかなく、雪山への記録は、ほんの少ししかなかった。それも、積雪期はなく残雪期しかなかった。

 そして、高校時代とか20歳前後頃は、4~5日、もしくは、1週間の山行があったが、後々は、1~2泊程度のものであった。当時の記録として、ガリ版刷りの物があって、行き先、日程・目的・同行者・ルート・装備などが記されていた。その後は、手帳やメモ用紙に変わってしまったようである。また、カメラは、当然フイルムであるから、撮り方に工夫を施していたように記憶する。

 若い頃の写真は、2度と撮れないわけだから、ボケていようが貴重なものである。今思い返せば、もっと、撮っておけば良かった思うのであるが、それは仕方がないと諦めるしかない。20年ほど前になると、車もあるし、今ではとても出来ないと思うが、五竜岳や鹿島槍ヶ岳、また、魚沼駒ヶ岳や平ヶ岳などへ、高速を使わず、高岡から日帰りで行っていたのであるから、元気があったものだと今更ながらつくづく思う。

 当時は、「日帰りで、どの山まで行けるのだろうか?」 と、真剣に考えていたのだから、今思っても恐ろしい。だから、「山で遭難しないかもしれないが、車で遭難するなよ!」 とよく言われたものである。今は、夜の運転に、少々不安を感じるようになってきているし、体力もそのような事に付いていけなくなってきているから、時間に余裕を持てるような山行でなければいけないのである。しかし、その時間がないのだから・・・



1/20 今朝の私のねぐらは5℃。相変わらず、空調もなければ火の気もなく、完全に締まる戸もない。2~3年前まで、本当に寒い時は、大きなペットボトルに、熱いお湯を入れ、湯たんぽ代わりにしていた事もあった。しかし、最近は、布団の上に、毛布を被せる事を覚えた。従って、毛布と毛布の間に布団があるという状態である。その布団は、薄く安価な羽毛なのであるが、結構暖かいのである。羽毛は、インナーの役目となっているのであろう。

 話は変わるが、1/3負釣山に登って山頂で食事をしている時、後から入善の滝本氏が登って来られた。そのベンチに同氏を招き入れたのでした。その時、同氏から頂いた自作の干し柿を食べようと噛んだ途端、ガリっと歯が揺らいだ。種を噛んだのである。結局は、抜く羽目になって、仮歯となっていたところ、1/17ハレルヤ山行の折、池田氏から、またまた干し柿を頂いたのでした。(私だけでなく全員に) 私は、貧乏性から何となくもったいないので、そっと、ザックに入れて持ち帰ったのである。

 それを孫にチョッピリ囓らせ、その後は、自分が充分に美味しさを堪能するはずであったのに、仮歯である事をすっかり忘れていて、またまたガリっとやってしまった。正に、歯抜けジジイである。我が家は、家系からして歯が弱い。健康でいる為にも、「80歳20本」 と言われている歯であるが、もしかしたら、夫婦で20本になるやもしれない。その先に、それまで生きておればの話であるが・・・・



1/19 昨日の雨中山行で、ずぶ濡れになった。といっても、雨具を通したが、必ずしも着衣全部を濡らしたわけでもない。長い間に、いろいろな雨具を買った。そして、ゴアの雨具になって、今は3代目となっている。その3代目は、私の還暦の祝として、子供達が買ってくれたものである。8年半にもなろうとしているのだから、そろそろ買い換えの時期になっている事は確か。

 雨具は高い。3万・4万もする。例え2割・3割引でも高価である。命に関わる事もあるのだから、安易に考えてはいけないのだが、もうちょっとだけ、プライスダウンする物を考えている。山行機会の頻度や、雨の日でも出掛けるのだから、他人様より多く利用している事は確かである。そうは言っても、これが最後の購入機会になるやもしれない。



1/18 「休暇を取るから一緒したい。また、時間も合わせるから・・」 と言ってくれていたマキちゃん。しかし、予報は改善されず雨。それでも、一緒してくれると言ってくれました。そこに、猛者・周さんが加わってくれて士気は高揚。しかし、雪山の雨やミゾレは辛いものがある。

 行き先選定に苦慮してしまった。お天気の悪い時は、この時期屋根がある小佐波御前山が定番化しているのであるが、ゲストがあるからして、違った所への気持ちが向かう。鍋冠山なら、林道歩きが長いから傘も活用出来るのではの思いもあった。

 林道から外れ、鍋冠山本体の急登箇所では傘をしまうが、高い杉の木からの落雪が脅威であった。まともに当たれば、「むち打ちになる。」 と叫びながら凌いだ。やはり急斜面にはヤブが蔓延り、山頂もその類いであった。長居する機運になれず、一枚の写真を撮って、思い思いルート取りで駈け降り、食事処を模索した。

 明日から寒波襲来の予想も有り、林道のど真ん中で店を開いた。タープを張っても、少雪で壁面を造れず、びしょ濡れの身体では、寒気を感じるのであるが、湯が沸き美味しい料理が出来上がる頃には、皆が満面の笑みに変わっていた。雨が最後まで、雪に変わる事がなく、思惑が外れたが、それも、長い山歩きの一ページになるのである。



1/17 「本当にどうなっているのだろう?」 筏井氏が幹事を務める時は、いや、彼が参加する時は、「晴れ」 になる事が多いが、今回もそれが的中した。目が覚めれば”満天の星” 大品山の集合場所に集っても好天であった。

 大品山へは、トレースがあり、楽々達する事が出来た。しかも、好天・視界良好・展望良しであるから、誰もが、ブナ林の中をルンルン気分で歩かれたと思う。そうなると、予定外の事が思い浮かび、ちょっとだけ鍬崎山方面へとなる。

 その準備がなかったため、ルートファインディングに少々戸惑ったが、一旦降りを強いられた後でも、せめて大品山の高さを超えなくてはと、自ずと皆の頑張りが出るものである。立山方面の展望良しとなれば、早速のベンチ・テーブル造りとなり、雪中のレストランとなる。

 思いも寄らぬ美食を得た後は、降りた分だけ駈け登り、粟巣野方面へ向かうのであるが、トレースに惑わされず、確実にゲレンデ上に到達する事が出来た。しかし、ゲレンデ横を歩くに付け、雪が重たくなり、結構足に来たようであった。それにしても、久し振りに見た仲間もあり盛り上がった山行であった。



1/16 お正月からの休日山行が継続しているものの、何となく不完全燃焼である。それは、歳の割には歩きたがるからかもしれない。でも、これから、はそのような事は言っておれなくなるのに自分知らずとは、このような事なのだろう。

 実際、1月の休日は9日間。お正月3日は、孫達が上京していたため自由。来高した4・5日は、朝の保育所への送りが免除された。そして、11日は、成人の日の祝日と、明日の第3日曜日は自由。後は、18日と25日だけが、制限下の山行となる。

 そんな事を思えば、日照時間(行動時間)が短いとは故、1月は勝手気ままな一ヶ月となっている。もしかして、そんな事とは別に、私自身が気付かぬ内に、”しょわしきなく” なっているのかもしれない。でも、元気でなければ何も出来ない。



1/15 ハレルヤ(1/17)の行き先が決まった。しかし、その翌日の行き先を決めかねている。日曜日の夜から、お天気が荒れるとの予報では、ゲストがあるから慎重にならざるを得ない。自分(達)だけなら、出発直前までに決めればいい行き先であるが、どうしたものかと悩んでいる。

 時間制限があるものの、ちょっぴり変わった所へと模索していたが、単純な(簡単な=いつものところ)になってしまうかもしれない。でも、お天気は分からない。もう少し様子を見よう。



1/14 なかなか雪が積もらない。富山では積雪をみたと報道されたが、高岡の市街地では、屋根や車のフロントガラスには積もったようだが、地面には積もらなかった。観測地点の高岡伏木では、1cmとか2cmとか、どちらにしても、気象統計上、一番遅い観測のようである。

 富山県冬期道路情報によると、主な地点降積雪(魚津・富山・八尾・高岡・福光)は、ゼロ。しかし、五箇山(平・利賀)では、60cm以上あるとの事。やっぱり暖かいのであろうから、少雪はやむを得ないのかもしれない。しかし、高い山や奥深い山には雪がありそうだが・・・



1/13 馬鹿者なのかもしれないが、降雪・積雪を期待して、早朝窓を開ければ全くのゼロ。それどころか、陽が差す時もあるのだから、今冬はどうしたのだろうか? 元々、暖冬との予報であったが、雪を期待する一人として、なってみなければ分からないと、小さな反論を持っていた。

 「来週は、強い寒気がやって来る。」 と言われると、今度は反対に、「その予報も、なってみなければ分からない。」 などと、勘ぐりたくなる。平地と違い山は、「降ってからお天気が良い。」 のであるが、そう事は運ばない。

 お正月は、悪い悪いと言われながら、そうでもなく、どちらかと言うと、「お天気が良かった。」 のように、良い方に外れれば、大方は満足であったに違いない。でも、自分の都合の良いように求めるのであるから、予報官も辛いであろう。

 今度の日曜日は、ハレルヤ山行である。現在少雪、そして、この後、「寒気がやって来る。」 との予報では、幹事も大変である。どちらにしても、”歩く高気圧” の異名を取る筏井氏のお世話だから、晴れるのが約束させているようなものだが・・・

 その翌日は、私の連休2日目である。久し振りに一緒出来る山仲間との企画が待っている。私達の環境を考慮しての同行だけに、「この日も何とかならないか!」 と欲張りな私である。



1/12 スノーシューの修理(取り替え)の見積は、17,000円超だそうだ。両方だから高額になってしまったが、今まで何度もそのような事があった。山が生き甲斐なのだから、すぐにでも、修理か買い換えしなければいけないのだが、このところ、予定外の出費が相次いだ事と、我が家には、もう1台のスノーシューがあるから保留にしてもらった。

 入り込んでいる趣味なんだから、ケチって、イザという時に、泣きをみる羽目になったら大変である。スノーシューに関しては、今までに経験した事から、いくつかのパーツを、いつも持ち歩いているが、本体が裂けてしまってはどうしようもない。

 「お前は、いつも、どうして、そのような大きな荷を担いでいるのか?」 と聞かれる事があるが、出来るだけ有事に対応出来るようにと思っているからである。ず~っと以前、山中で、カンジキの台座が切れた事があった。その時、一瞬、「戻れなくなる。」 と慌てた事があった。何かで補修、縛ればいいだけの事であったが、やがて夕闇が迫ろうとしていた頃だっただけに、余裕がなかったのであろう。

 私は、「備えあれば憂いなし。」 を、なるべく忠実にと思っている。何百回・何千回の一回であってもである。でも、まだ足りない物がたくさんあるような気がするし、上手に使いこなせるかという事も付いてまわる。



1/11 午前6時半、集合場所の上市でも雨。どうしたもんだと思いながらも、雪になる事を確信しながら車を走らせた。西種でも降雪・積雪ともゼロ。そのまま林道に入り込むと、小雪になり、1・5キロくらい進んだ所で、想像以上の積雪で車をデボする事になる。

 カンジキかスノーシューかと気を揉んでいたが、いきなりスノーシューの装着となった。雪量が少なく担ぐのであればカンジキと思っていたが、その心配も吹っ飛んだ。また、雨・ミゾレだったら、手袋や雨具が不安だったので、ゴム引きの手袋をDYIで購入してきたり、「山ノ神」に、予備の雨具を用意させていたりしたが、これも出番がなくなった。

 僅かに残るトレースに従い岩城君がラッセルし、我々が続く。登山口まで1時間。登山口から高峰山まで1時間と、ほぼ予定通り。その後は、トレースが無く重い雪のラッセルであった。大辻山まで時間的にちょっと無理かも知れないと思いながら、鳥越峠まで約40分。(午前10時25分~30分)

 重い雪と枝の雪を払いながらであるから、どうしても時間を食ってしまう。それでも、登頂意欲は強く、唯々前進である。後方を着いて行く我々でも疲れて来るのであるから、終始トップを歩いている岩城君は、相当の疲れを感じているはずであるが、おくびにも出さないのだから凄い。

 しかし、戻る事や食事の事も考え、午前11時50分、歩き始めてから4時間20分、標高にして1,020m辺りで終了とする事になった。小雪が舞い始め、ちょっと寒かったが、1時間半以上滞在してしまった。「山ノ神」以外、誰もアルコール類を飲まないが、それなりに話があるもので、良い時間となった。

 撤退準備を開始した時に、「山ノ神」のスノーシューが故障している事に気付く。(足を乗せるアタッチメントが切れっていた。それも両方ともであった。) それを知った岩城君が、その故障したスノーシューを着けて、自分の物を「山ノ神」に与えてくれたのである。

 それを着けても、我々と同じ歩きをするのであるから、どのような足をしているのかと思ってしまう。また、その優しさに、心の中では最敬礼であった。でも、最後の最後には、両方ともちぎれてしまったが、大事にならず本当に良かった。



1/10 予報は雪でも雨が降り続いている。そのような中で、行き先選定に苦慮したが、判断しなければならず、高峰山そして、林道の状態次第では、大辻山(北尾根ルート)への意欲を伝えた。しかし、参加者は、私達2人を含め4人となった。岩城・筏井両氏の脚力を当てにすれば、結構いいところまで行くに違いない。それにしても雨。どうなるのだろうか・・・・



1/9 やっぱり、あまり降らなかった。(平地では全然。) 幾つかの情報を得たが、まだ判断出来ないでいる。傘マークになったり、雪マークになったりする微妙な予報だけに、本当に悩んでしまう。高度さえ上げれば、雪に間違いないのだろうが、湿った雪だと結構辛いところがあるから、屋根がある所が有力になってくる。ギリギリまで待ってみようか? 出掛ける事だけは間違いないが・・・・



1/8 何だか、ちょっとは雪が降るみたい。山沿いでは25cm程という予報。山沿いという事は、山では、もっと降るという事なのだろうか? それもこれも、降ってみなければ分からないし、予報の曖昧のようなもので、「所によっては・・」 になりかねない。

 それにしても困った。山仲間有志に、1/11の山行に付いての連絡をまだしていない。明朝の降雪(積雪)状況を考慮して対応したいと思っているが、待ちきれず、新たな企画に乗っている有志があるかもしれない。



1/7 それにしても雪が降らない。週末に期待をしていたが、だるまマーク(雪マーク)も怪しくなって来た。高所や北では降るのだろうが、我々が行けるような所では、降っても、多くを望めないような気がする。

 成人の日(1/11)は、雪があったら、今年も大鷲山と思っていたのであるが、今の状態では難しいようである。行けない事はないかも知れないが、快適さというものがないのでは面白くもないであろう。もっと、高い山となると、五箇山(利賀)しかないのかもしれない。それでも、木々に遮られる事受け合い。今暫く降雪の期待をして待とう。



1/6 低山ながら5日連続のお正月山行、少雪でも好天に恵まれて満足感が漂っていたが、平常に戻ると、何だか腑抜けになってしまいそうである。でも、あと5日仕事すると、また休みになる(山に行ける)ではないかと、自分が自分を慰めているが、これでは、まるで駄々っ子のようである。

 私達も、もう少し山に雪が欲しいのであるが、スキー場は、ちょっとどころか、死活問題のようである。暖かいから、野菜が生長しすぎて、農家は安価に頭を悩ませているニュースを見るに付け、なかなか程よいという事は難しいのかもしれない。



1/5 「お天気が今日も何とかもちそうである。」 この辺の山域の主のような池田氏に連絡を取ると、OKの返事だった。スタートこそ、少々ずれたが、稜線からご一緒頂き、山頂では、コーヒーを頂きながらの歓談となった。時折パッラパッラと来たが、熱気がその雨を吹っ飛ばしたかのように遠のいていった。

 あれもこれも、いろいろ話しても、時間が余った。そんな折、池田氏から「稲村城山」の事が出た。看板は見ているが、お互いその機会がなかった。「では・・」 となり、同氏の後を付く事になる。上市川第2ダムから、冬期期間直接稲村に行けないので、上市川ダムから稲村に行く事になる。こんな道があるとは全く知らなかったが、この道も本当は通行止めだったのかもしれない。

 その稲村から城山(348m)に登るのであるが、取り付きが分からない。そこは、池田氏の感が働き、それらしき所を付いて行く。しばらくしたら、マーキングがありそれに従うが、なかなか厄介な踏み跡を辿る事になった。この時期だからかもしれないが、ズルズルと滑るのである。しかし、同氏は、我々の心配をよそに、スイスイいくのであるから、唯々たまげるだけであった。

 山頂周辺は、笹が蔓延っていたが、そこまで登って来る事を思えば、何という事はない。何だか近年で一番緊張した山だったように感じた。帰り(下山)も厄介で、「山ノ神」へのフォローをもお願いしたが、何とか乗り越えられたのである。「もう来ないかも知れない。」 とお互い言っていたが、同氏の事だから分からない。



1/4 お正月のお天気は、あまり良くないと言われていたのに、結果オーライであった。3日から4日に先延ばしにしていた「千石城山」 行きであったが、今日も、何とかお天気が持ちそうな気がして、5日に延ばし「大辻山」 とした。もっとも、来高した娘が、保育所への送迎を免除してくれたからでもあった。

 1週間前は、「山ノ神」の故障で、山頂に届かず苦汁なめたが、今回は、お正月三が日のものと思える、しっかりしたトレースのお陰?で、壺足で山頂まで行けたのであるから、少雪を此処でも感じてしまった。スノーシューとカンジキの選択を迫られたが、担ぐ事を思えばと、カンジキとした事は正解のようであった。

 山頂からの展望は、剱岳を望めない以外は、そこそこの山座を確認出来るものであったが、すっきりした山容は望めなかったのも事実であった。それは、お天気が持つかどうかで臨んだ山行故に、そのような贅沢は言えないのでした。

 それでも、山頂には、正午から数えて1時間半程滞在した事になった。降りがけにアラレが降った。途中、小雨がパラついた。でも、必死の頑張りに、雨は車に戻ってから降り始めたのである。



1/3 予定を変更して負釣山へ。登山口駐車場で準備をしていると、シュンちゃんと玉ちゃん先生がやって来るではないか? そうなれば、当然、最後までのお付き合いをして頂いた。少雪は負釣山でも。3合目までは、殆ど雪の無い状態であった。担いで重たいのは、カンジキよりスノーシューという事で、カンジキを準備したのは奏功した。実際、私は、最後まで装着しなかったのであるから・・・・

 少雪は、雪山・冬山らしくなく、装具の選択に苦慮するし、歩きにくいところもある。しかし、その分、フォローをして頂いたとはいえ、山頂に達する事が出来たのであるから、それは、また違った喜びがあろうというもの。

 曇りがちのお天気も、だんだんと良くなり、陽が照れば暖かいという状態であった。また、少雪というものの、山頂テーブルを造るには充分な雪量であった事はご報告しておきたい。そんな中、滝本氏や金ちゃんと言われる名の知れた方との遭遇も嬉しく楽しかった。



1/2 雪不足なら割と多い五箇山。そして、簡単そうで過去2回しか行った事のない高坪山を候補にあげた。「山ノ神」が箱根駅伝を見たいと言いだし、私一人となったが、それはそれでいいのではと思って家を出た。平スキー場は、多くのスキーヤーが集まったのか、車を整理する係員が忙しそうであった。

 過去2回は、相倉からのもので、平スキー場側からは初めてであった。林道歩きが主で、それこそ簡単な山と高を括って臨んだのが、失敗の元だったのかもしれない。ここぞと思って行った林道?は、全く見当違いの鹿熊峠であった。それも、それからの尾根と思い込みヤブとの激闘が続いた。GPSはとんでもない所を差していた。「あれっ~」 どうしたんだと思い、未だ時間があるからと主要林道に戻り、また思い込みでコース(道宗道)の横の沢沿いを歩いてしまった。

 トレースらしいものがあったから踏み込んだのだろうが、すぐに消えていた。地図を見ると、またまた違っていて、力が抜けてしまった。今度こそはと、地図とGPSを駆使して、ようやく取り付きを見付けたが、その先も木々が倒れ、上にあると思われる林道に到底届かないと思って林道に出た。この間4時間。私は何を血迷っていたのだろうか?キツネにでもつままれたのだろうかと思ってしまい、どっかっと腰を落としてしまったのであった。(コーヒータイムとした。)

 それでも、これで終わるのは納得いかないとなり、アホにも、八乙女山に行く事にした。登山靴を履いたまま運転し、リックの荷もそのままで歩いた。唯々、執念だけだった。流石に家に戻ってから疲れを感じた。でも、「5連休は全て山へは変わらない。」



1/1 予報にそぐわぬ素晴らしい好天に恵まれた。悪天でなければ、諸事情を考えて、「尖山」と決めていたが、此処まで良いとは思わなかった。これは、正しく正月から縁起が良い。ならば、横江集落入口(立山公園線横にある。) 駐車場から歩く事にする。

 林道をずっと歩くつもりであったが、途中から夏椿峠ルートに入った。2度目であるが、なかなか良いコースである。ところが、夏椿峠から上は、ずっと、虎ロープが張り巡らせてある急登に、「山ノ神」は、たじろいでいた。それでも山頂からの展望は、素晴らしかった。

 低山であっても、この素晴らしい展望を求めてか大勢の登山者があった。その中に、5年前の雨飾山でお目に掛かった砺波の棚田夫妻があった。「お正月からお目に掛かれて嬉しい。」 とお世辞めいた言葉を頂いたが、こちらとて、その奇遇に喜びを感じた。

 また3年前の元日に、同じ尖山でお目に掛かった高井氏も登って来られた。「元さん」 と呼ばれるその響きに、勝手に酔いしれていた自分は、何処か可笑しいのかもしれないが、最高のお正月気分だった。